2017年7月16日日曜日

消費のクリエイティブを甘く見たらいけません

糸井重里さんのほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」に「消費のクリエイティブ」と言う言葉が載っていた。

糸井さんはクリエイティブと言う言葉は、「生産(制作)」側に都合よく使われているけど、今や消費におけるクリエイティブは当たり前になったと書いている。

糸井さんはだいぶ前から「消費のクリエイティブ」「休みのクリエイティブ」と言って来たらしい。

人の作ったものを有難がって消費するだけでなく、工夫をして消費する、消費しながら工夫をする、それが市場を活性化させている一方で、生産側は生産一辺倒で在庫をつくっていると言う指摘は現状をとてもよく言い表しているように思える。

在庫をつくっている人たちの恨み節は、スマホやスマホアプリのメルカリなどに向かうけど、本当は消費者の工夫であるクリエイティブと向き合う必要があるのだ。

他人のクリエイティブを消費するだけでなく、誰もがクリエイティブになっていくことはフェイスブックやインスタグラムなどを見ていても自然な流れである。

かつてのカリスマやモデルは特別な人だったけど、今では、普通の主婦や読者がカリスマやモデルになる時代だ。

だから、クリエイティブとは限られたクリエーターのものであるとする考え方にむしろ驕りがあるのだろう。

今日、街中に出ると、クリエーターの制作物と、クリエートを支援する制作物が溢れているけど、どちらかというと後者の方が賑わっているように感じられたのは、クリエートする活力が感じられるからかもしれないね。


消費のクリエイティブ

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