2017年7月5日水曜日

「時間」に追われてる時に考えたこと

僕たちはいつも「時間」と付き合いながら生きている。

仕事のアポイントや納期は「時間」が僕たちの行動を監視しているし、家庭の起床や就寝は僕たちが「時間」を監視している。

「時間」が主語の場合は「時は金なり」だし、僕たちが主語の場合は「ワークライフバランス」のように限られた持分をどう配分するか考えるよね。

「時間」はどんな事情があっても融通を利かせてくれない、付き合うには実に頑固で厄介なやつだ。

人身事故で電車が運行停止しても、勘違いでアポイントの時間を間違えても「時間」は待ってくれない。

僕がお金を失うことには無頓着だ。

朝、どんなに眠くても止まってくれないし、夜、気がつけば日にちが変わっている。

僕が配分し損なうことにも無頓着だ。

でも、世の中がそんなに厄介なことにならないのは、僕たちは「時間」を使って誰かと繋がっているからなのだろう。

電車が止まればタクシーの運転手さんと繋がるし、アポイントを間違えても相手が許してくれれば救われる。

それって、どうしようもない頑固親父のもとで家族が協力し合うようなものなのかもしれない。

そうなると、怖いのは「時間」の頑固さよりも、繋がれる人がいない社会なのだろう。


時間の機械

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