2017年7月4日火曜日

人はなぜ余計なお世話をしたくなるのか

僕たちは色々な情報に晒される中で知らないうちに「余計なお世話」に鈍感になっている。

ステークスホルダー(利害関係者)じゃないのに、あーだのこーだの言いたがるのだ。

社会の一員として、社会で起きている出来事に無関心にならないことは大事なことだけど、事によってはあえて無関心になることも大切な社会的な知性だよね。

最近では妻を亡くした歌舞伎役者の報道などが良い例だけど、そっとしておいて上げることができないのはなぜだろうか?

その原因の一つは野次馬根性だ。

おそらく多くの人が野次馬根性を備えていて、もちろん僕も人並み以上の野次馬根性がある。

僕たちは常に新たな刺激を求めているのだ。

原因の2つ目は刺激がお金になることだろう。

 Googleからプライバシー設定について診断するように表示が出たので(広告を止めるAdblockを入れていると診断のページが開かないのは笑える)確認したところオプトインと呼ばれる、広告が出る仕組みをたくさん承諾しているのがわかった。

僕に身に覚えはないのだけど、なんで多くの会社が僕にオプトインしているのかといえば、ビジネスだからでしょう。

そして3つ目の原因は社会のサービス化だ。

人は、利己的な行動より利他的な行動をとることで、複雑化する社会をカオス化させない知恵を持っている。

社会が複雑化の度を増すと、「お世話」は良いことだという社会的同調圧力が徐々に増していくのだ。

で、ね。本能、お金、善行の3つそれぞれに「余計」があって「余計なお世話」がどうにも止まらない。

でも、無関心、情報統制、悪行と比べてどっちが良いのかと問われると「余計なお世話」でも良いように思えてくる。

結局、あえて無関心、あえてプロモーションを無視する、あえて善行に抗うという一人一人の意識が大切なのだろうね。


余計なお世話よりも・・・

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