2017年7月30日日曜日

テクノロジーが変えるという古くて新鮮な世界観

将来、AIが人間から仕事を奪うと言われているけど、テクノロジーが人間から仕事を奪うのは日常茶飯事だよね。

例えば、最近テレビで盛んに宣伝している自動車の「自動ブレーキシステム」。

事故が減って良いことしか無いように思えるけど、修理工場の仕事は減り、修理関係の商品を製造している会社にも影響がでる。

同じようにレコード、CDが無くなり、本屋も減少の一途を辿っている。

今、構造的に変化が起きて不調に陥っている業界、業種はまず、間違いなくどこかでテクノロジーの影響を受けているのだろう。

逆に、好調な業界、業種は良い方向で影響を受けているのかもしれない。

ただ、自動ブレーキシステムのように派生的な影響である場合、技術が開発されてから影響を予測するのに時間が掛かる。

多くの新技術は「死の谷」に阻まれて普及、浸透は不確実だからだ。

この、「風が吹いたら桶屋が儲かる」話は、複雑系科学では「北京の蝶」として知られている。

ある出来事が閾値を超えて次の出来事に連鎖する状況とは、いつの時代でも古いけどいつも新鮮な世界観なのかもしれない。


鮎 ready?



2017年7月29日土曜日

10代の闘い 熾烈な主役争いの経験は人をどう成長させるのか

休日の今朝、WOWOWでロシアのバレエ学校で繰り広げられる主役争いのドキュメンターリを観ていた。

それは、その後のバレエ人生のキャリアも左右する重要な争いだ。

そもそも、10歳くらいの時に学校に入学するのだけど、1000名からの応募があり、その中から60名が選ばれる。

しかも、8年生になる時には15名くらいしか残れないほど生存競争も激しい。

10代の子が「明日から来るな」と宣告される容赦のない競争なのだ。

今の日本にこんな熾烈な競争はあるのだろうか?

さて、番組が追いかけていた子は、トップ成績ながらも、No.1の座を後輩に奪われ、さらに、公演4日目の主役の座までも、直前の舞台での失敗により失ってしまう。

しかし、彼女はその大きな挫折を公演中にすでに過去のことと言い切り、そして、これからのバレエ人生においてもそのような失敗、挫折はあるだろう、でもそれが私のバレエ人生だ、と前を向くのだ。

自分の足りなさを反省しつつ、挫折を意味づけし、その後もひたすら鍛錬し続ける。

もし、彼女がバレエダンサーという孤独な闘いの後に、組織で仕事をすることになった時、こうした経験がどう花開くのか興味が尽きない。


険しい階段を登る

2017年7月28日金曜日

エシカルAIの時代が来ている?

かつてクレイというスーパーコンピューターが登場したとき、その発熱の多さに驚いた記憶がある。

それから40年。

半導体の集積度は「ムーアの方則」を超えて高まっているらしい。

そしてネットワーク社会の到来により日々、膨大なデータが集まるようになると、データアナリスティックスの技術も進化を遂げ、AIの時代が到来した。(正確には到来すると予測された)

要するに、データ量と集積度の追いかけっこが昨今のAI騒動の背景にあるのだ。

今後、集積度はさらに上がってそのうちテラの100万倍、ペタの1000倍のエクサになるそうだ。

さて、忘れてはいけないのが、集積度が上がった半導体を高速に動作させるには膨大な電力が必要だっていうことだね。

消費電力1万2000人分 弱点克服できるか (AIと世界)

膨大なデータ全てに対して膨大な計算処理を行うためには膨大な電力が必要なる。

センサーを通じでデータを集めるところでも電力が必要だから、全体としてどれだけ電力が必要になるのか想像もできない。

そしてCO2も膨大に発生するのだろう。

アメリカが京都議定書を離脱したのも案外、AI絡みなのかもしれない。

AIも錬金術のように等価交換なのだとすれば、生み出すナレッジのために何かを犠牲にしているはずだ。

そしてコンビニの廃棄食品よろしく、AIもエコロジーの視点、エシカルAIが欠かせなくなるのではないだろう。


生命の効率性


僕たちはすでに遠い未来に向けて変化している

学生のパーソナリティデータが毎年変化し、ニーズの本質を深堀りする特性が徐々に高まっている。

エンジニア適性の高い特性である。

一方、組織を引っ張ったり、発展させて行こうとする主体性のある学生が減っている。

少子化もあって希少種になりつつあるとも考えられる。

でも未開の地を切り開くよりも、テクノロジーを開く方が今は求められていて、エンジニアの有効求人倍率は7倍というホットな状況だ。

就活というアグレッシブな場面で攻撃的になっている学生は4割でデフェンシブな学生は6割。

内定が出て、入社するときにはテンションが下がっておそらくもっとデフェンシブになっている。

でも、エンジニアの適性はデフェンシブな方が高い。

これまでの新入社員の人材像で言えば「物足りない」のだろうけど、実は世の中的には「うまくいっている」のだ。


総合的に考えれば、無意識のうちに僕たちは新しい時代に備えているのかもしれない。

というのも僕たちに自由意志はない?、というアメリカの生理学者ベンジャミン・リベットの議論を鑑みても、意識や行動よりも先に僕たちはコトに備えている。

それは、選民意識的な脳中心主義が描く世界よりも、世代を繋いで生き続ける生命の本質なのだろう。

たぶん僕たちはすでにシンギュラリティよりも先の時代に生きている。


先の時代












2017年7月27日木曜日

離職行動を科学する?

B = mat

これはBJフォッグの「行動モデル」だ。

実は、フェイスブックやインスタグラムなど多くのSNSサービスがこの行動モデルを基に設計されているらしい。

BはBehavior(行動)、mはmotivation(動機)、aはability(能力)、tはtriggers(引き金)でmatが揃うと行動が起こるという非常にシンプルなモデルである。

さて、「離職行動」も行動なのでこのモデルで説明がつく。

例えば、「仕事が辛い」とか「会社に馴染めない」みたいな負の感情がモチベーションになり、とりあえず離職しても生活できる能力があり、知り合いからの誘いが揃うと「離職行動」が起こるのだ。

離職のモチベーションが低いときは強い誘いが行動を起こさせる。

また、キャリアアップのモチベーションはあるけど職探しをする時間がない人(abilityが低い)に転職サービスのコーディネーターの支援で行動が起きる。

motivationやabilityには当然だけど色々な面での個人差があって、「性格」もその一つだ。

しかし複数の要因が絡み合うことで、結局は「離職行動」が起きるまで、実際に行動するかしないかわからない。

要因をデータ化して分析すればいくつかの傾向は確認できるけど、「科学」というほどの再現性は確認できない。

人の行動予測に「必ず」は無いのだ。


この後どうなる?


2017年7月25日火曜日

仕事に合わせる? 人に合わせる? 仕事の適性という

デイビッド・ウルリッチの「人材経営キャリアのモザイク」という考え方がある。

本社、事業部門、現場、そして人材経営部門以外の4つの領域でそれぞれゼネラリスト、スペシャリストが業務を行う個人貢献者、管理を担う統合者、采配を振う戦略家の3種類でそれぞれの知識を活かして人材経営に資するというものだ。

それまでの職種ごとのまっすぐな梯子を登るイメージのキャリア形成と異なり、経営において人材を戦略的に活かす考え方だ。

実は、仕事に関するデータを分析すると似たような構図が見えてくる。

営業などの現場、新規事業開発などの事業部門、人事、総務などの本社、そして顧客サービスなどの人材経営部門以外だ。

顧客向きか社内向きか、開拓寄りか統制寄りかで整理されるのだ。

一方、人の特性から仕事を分析すると、目的的か協調的か、攻撃的か守備的かで整理される。

一見似ているけど結構違う。

例えば、知財を扱う仕事は社内向き、統制向きだけど、人の適性で考えると目的的、攻撃的な人に向いている。

つまり、仕事を行うスタイルの話と、仕事で達成することの話は似て非なるものということだ。

で、ね。仕事への適性は、仕事で達成することの方が意味を持っている。

これまでの経験から言っても、どんな風に働くかよりも、何を達成するのかにフォーカスした方が人は活躍しているからね。

これ、仕事の適性を考えるうえで実は多くの人が間違えている部分ではないかな。


走り方よりも走る衝動の方がフィットする







2017年7月24日月曜日

会社が派遣?自分で負担? 「学びは自腹」が意味すること

世の中には素晴らしい教育メソッドやコンテンツを持っている教育機関や企業がある。

とは言っても、それらは奉仕活動じゃなくて営利団体だ。

つまり、学ぶためにお金が掛かる。

そこで出てくる問題は、誰が学ぶためのお金を負担するのか、ということだ。

自分で払えば「自腹」だし、誰かが払えば「おごり」だよね。

僕はたいそうおごられたこともあるし、自腹を切ったこともある。

子供の時だけでなく、最初に就職した会社でもおごってもらったけど、いずれも倍返しどころか恩返しもできなかった。

申し訳けないことです。

その後ろめたさがあるのかもしれないけど、今は学びの本質は自腹にあると考えている。

振り返るに、自腹の時の方が何を学びたいのか真剣に考えたし、学びをどう仕事に活かすのかより多く考えていたと記憶しているからだ。

そう、振り返った時の意味づけが違うのだ。

もちろん、貴重な機会におごってもらえることも無駄にしてはいけない。

どんな機会でも活かすべきだ。

そのうえで自腹で学ぶと、「学び」に対するリフレクションが進むのだろう。

思うに、「学びは自腹」とは、内省を通じて「学ぶこと」自体を学ぶチャンスなのかもしれない。


自腹?おごり?






2017年7月23日日曜日

1500年後に残っている会社は?

日本、いや世界で一番古い会社は株式会社金剛組という宮大工の会社で西暦578年創業だから1439年の業歴がある。

建設はいくつもの時代を超える事業だ。

一方、今、世界で最も注目されているの企業の一つ、Googleは1998年創業で19年と金剛組の約76分の1しか業歴がない。

さて、googleを始めとるすIT業界はとにかく人材を必要としていて日本でITエンジニアの求人有効倍率は約7倍、まあ、とにかく人が足りない。

そして、建設で大切な役割を担う左官職人が激減しているらしい。

左官の技どうつなぐ 職人激減、わずか10分の1

今の若者にとって就きたい職業ではないのかもしれない。

金剛組のような建設業にとって職人の減少は大きな問題ではないだろうか。


少子高齢化の進む日本にとって「若者」は希少資源だ。

色々な対策も進むだろうけど、基本的には教育機関、産業などあらゆる領域で奪い合いが起きるでしょう。

そして1500年後に残っているのはどんな会社なのだろう。


5000年前の仕事



2017年7月22日土曜日

グランパな日 僕は生まれ変わっているのかもしれない

記憶や意識を辿るといつでも20代に戻れる。

その頃の感情を再現することもできる。

ただ、鏡を通して現実を見れば間違いなく年相応になっている。

思えば遠くへ来たものだ。

僕の歴史には輝きもあれば影もある。

誰でもそうだろう。

そして僕の歴史は、新たな歴史を生み出している。

本当に有難いことだ。

会社で部下の成長を見守るもの至福の想いだけど、自分の子供が親になっている姿を見ると別の感慨が湧き出してくることに気づいた。

もう、世界は僕のものじゃない。

君たちのものだ。

で、ね。想像するよりもグランパになることは難しくない。

今を受け入れることだけだ。

で、ね。とても元気になった。

明日から新たな僕の歴史を刻むよ。


龍雲 そして My Road


2017年7月21日金曜日

君は超社交的なパートナーだわん

世の中には面白い研究があるものだ。

例えば、犬はなんでそんなに友好的なの?という研究などもその一つである。

犬と一緒に暮らす僕にとって、尻尾を振りながら顔をペロペロ舐められるのは普通の出来事だけど、確かによく考えればちょっと不思議だ。

しかも僕の犬、ルイだけじゃなく、糸井重里さんのところのブイヨンちゃんもKenakoさんのところの小次郎くんもたいそう友好的だ。

たまに、人や他の動物を襲い怪我させる凶暴な犬もいるけれどごく少数だから一般論として犬は人のよきパートナーになっている。

さて、犬は、遺伝子レベルで超社交的な人と共通性が認められるというのが研究の知見である。

超社交的、というのは社会不適応に至る発達障害のレベルで「超」らしい。

つまり、もし犬が変身したとしたらあまりに社交的で困ってしまう人間になってしまう。

犬が人のパートナーとして成立するのは、彼らが犬だから、なのだ。

確かに、ルイは「がぶ」(甘噛み)するけど超社交的なのだと理解すれば納得がいく。

彼にとって「がぶ」は僕と交わるための行為なのだ。

ということで、僕は今日もルイに尻尾を振られ、顔を舐められ、がぶされて一緒に過ごすのである。


超社交的?



2017年7月20日木曜日

今日、僕はランチに挑戦された

僕はランチのお店選びであまり開拓をしない。

ジョブズやザッカーバーグ、アインシュタインがワンパターンの服装で決断の数を減らすのと同じで、不要な決断はしないからだ。

かといって同じ店に毎日通うほどロイヤルティを持っていないので、いくつかのお気に入り店をローテーションする。

行きつけの店は、中華、とんかつ、唐揚げ、寿司、カレー、うどんなどバリエーションを持って被らないようにしているのだけど、必ずそれらの決まった店に行けるとも限らない。

そう、「ランチの挑戦」は勝手に僕を待っている。

今日はその「挑戦」の日だった。

用事で外出し、ちょうど昼の時間帯になったため、歩きながらお店を探し、そして入った店は路地裏のとんかつ屋だった。

実は、様子を探ろうと店の前を行ったり来たりしてみたのだけど、中は全く見えなかった。

意を決してお店の戸を開けると、おそらく80歳くらいの老夫婦がそこに居る。

正しくは、ただ座っていた。

即座に『このお店、お客は来るのだろうか』と感じたけれど、他に誰ひとり客がいない店を後にするのはあまりにも感じが悪いし、お年寄りに悲しい想いはさせたくない。

無言で入店すると、お婆さんはカウンター4席とテーブル席10席の店内でテーブル席の真ん中に僕を通してくれた。

そして、僕の印象は確信に変わった。

『おそらくこの店、僕が食べている間に他の客は来ない。』

店内を見渡すと座った席の前にビールを冷やすケースがあるが、電源は入っていない。

年季の入った木造の店に不似合いな大きなクーラーからは不気味な匂いが漂ってくる。

木造の古い家で漂う例の臭いなのか、それ以外の臭いなのかはわからなかったが、食欲は即座に失せた。

僕は、あまり空気を吸い込まないように無言で料理を待ち、出てきたヒレカツランチ定食を一気に平らげ店を後にした。

ヒレカツランチ定食は不味くなかったように思うけど正直、食べながら味はどうでも良いと思った時、僕はランチから挑まれた戦いに勝つことができなかったのだ。


世に中には、素敵な雰囲気でにぎわっている店もあれば、絶対にインスタに投稿されないような手強い店も世の中にはたくさんある。

やはり僕はランチファイターにはなれそうもない。


これはうまうま

2017年7月19日水曜日

炎上させてる? ロングテールの噛みつき注意

かつてサイレントマジョリティと呼ばれた人たちは、インターネットとソーシャルネットワークの普及でもはやサイレントな存在ではなくなった。

マジョリティはロングテールに姿を変えたのだ。

インターネットビジネスはロングテールを消費者や参加者にすることだから全ての個人で発信力が増すのは必然だ。

そうした発信力の高まりを受けて増えているのが”炎上”だね。

ネットが”炎上”する多くの場合、他責な発言が引き金になることが多い。

その発言も最近は”炎上”を意識したものが少なくないように思う。

「ブースト」と呼ばれるランキングの上昇やフォロワー、視聴回数の上昇を狙って人の怒りを買うような投稿を行うものである。

昨日も議員の”炎上”がニュースを賑わしていたけど誰かを犯罪者にしてしまうような行為を正当化することはできないでしょう。

愉快犯、確信犯、故意犯は立派な犯罪だよね。


ネット社会において匿名性や発言力を前提とした倫理観が求められている。

一方、倫理観には「身勝手な正義」という行き過ぎの厄介な問題もあり単純ではない。

これからも「噛みつき」を意識して発信すること、発信を受けて発信することとを考えていきたいと思う。


噛みつき攻撃



2017年7月18日火曜日

得意なことと苦手でないこと 適性はどっち?

「さて、何を食べようか?」

お昼ご飯で食べたいものがあればいいけど、食べたいものがない時は困るよね。

そんな場合、食べたくないものを考えると案外素早く絞り込めたりする。

今日はカレーなないな、とか、魚はやめておこうなど、Don'tによってDoが決まるわけ。

実はこれ、戦略的な考え方でもある。

正解がないなかで、決断をする場合、都合よく「直感」や「閃き」が降りてきてくれれば良いけど、そんなに都合よく行かない時もある。

また、論理的に考えるにはミッシーな状態となるだけの情報、つまり、選択肢を網羅し階層化が必要だ。

さて、ここまで「食べ物」で考えてきたけど、同じようなことが「仕事」にも言えるだろう。

どんな仕事をしたいか、クリアじゃないことだって普通にある。

最初はそれほど関心がなかったのに、いざ初めてみたら妙に仕事にフィットすることだって珍しくないだろう。

手を挙げ研修で達成度が高いのは、元気よく手を挙げたかでなく、経験の意味づけを通じて自分の殻を破った人だ。


人は無意識に「得意なこと」を選択する傾向も持っているから、わざわざ「得意なこと」を選んで、自分の成長の幅を狭くするよりも、「苦手でないこと」とで自分の幅を広げる方がメタに捉えて「適性」のある状態であるのかもしれないね。


苦手ではない柄の首輪




2017年7月17日月曜日

カラーセラピーでリフレクションする休日

僕が子供のころ「海の日」という休日は無かった。

海に行くでもなく、海の近くに住んでいるわけでもない僕にとって、「海の日」はいまひとつピンとこない休日だ。

とはいっても、人並みに休みを楽しんでいるので「海」に感謝しないわけにいかない。

僕が「海」で思い浮かべるのは蜷川幸雄さんが演出した舞台「海辺のカフカ」なのだけど、「海」のシーンは思い出せないから「海の日」の「海」もきっとそんなものなのだろう。

さて、僕は今、家の近くのカフェでカラーセラピーを受けている。

セラピストは妻だ。

リフレクソロジー、アロマテラピーアドバイザーなどの資格を持っている彼女は、最近アドバンスカラーセラピーの資格も取ったので今日、はじめて受けたのだ。

セラピーがカウンセリングと学術的な定義においてどう違うのか知らないけど、カラーセラピーを受けながらクライアントに気づきが生まれるよう、しっかりと考えられて作られているなぁと感心した。

日常的な社会生活を送るうえで心理に大きな問題を抱える人にはそれに対応するスキルが必要だから奥さんのようなセラピーには向いていないと思うけど、ちょっと元気を無くしたり、悩んでいたりする人には良い気づきを与えてくれるのではないだろうか。

というのも、クライアント中心でカール・ロジャースのノンディレクティブなアプローチをちゃんと実践しているからだ。

僕はこのディレクティブ、ノンディレクティブというのは人の心理に関わる態度で大きな分岐だと思う。

ディレクティブなものは結論に導くもので選択肢を人に与える行為で、ノンディレクティブは自ら選択肢を見つける支援だからね。


今日の妻のカラーセラピーで僕の選択肢が見えたと思う。

新たな選択肢の出現というより、選択肢の顕在化によるものだ。

おかげで充実した休日になりました。


カラフル!



多様性で求められる一人一人のリーダーシップとは

色々な価値観、信念、文化的背景、生活背景を持った人々が組織に集まっていることを組織における多様性と言うけど、多様な人々が1つの組織目的に集うことは、もともと資本主義の原点であり発展の源泉であった。

ただそこに共通の主義信条や倫理観が息づいていたのも忘れてはいけない。

そして組織の最適化が進み、組織風土が生まれ、組織社会化のプロセスが強化されるに連れ、組織では徐々に画一性が高まる一方で、異なる主義信条、倫理観だけでなく、異なる働き方までも組織が取り込む時代が来ている。

階層構造を前提とした画一的な官僚型組織では、権限が上位に位置して、トップダウンや権限移譲がわかりやすい。

そしてリーダーシップは権限とセットだ。

さて、多様性を前提とすると権限は相対的に弱くなる。

経営の都合から、働き手の都合に少しだけど重心が移るからだ。

仕事に120%コミットメントしろ、という素直だけど乱暴なマネジメントは社会的に通用しない。

かつて労働組合の出現でこうした行き過ぎた人材マネジメントは修正されたけど、高度なスキル、経験、態度を持った人材とイノベーションを必要とする今日の企業では世の中にタレントを組織の懐を深くしてどれだけ集められるかが経営課題なんだよね。

とはいっても、タレントが輝くのは、目的に向かってその能力が活かされる時だけだから、「想い合い」が欠かせない。

で、ね。多様性が受け入れられる組織の中で自分のタレントを活かしたければ各自が「想い合うリーダーシップ」を発揮するってことだ。

「想い合う」のは事業、同僚、上司、部下、経営、株主、顧客などステークスホルダーと呼ばれる多くの人たちや仕事そのものだ。

ジョブホッピングや雇われ意識って、実は自分の多様性やタレントを放棄していることなのかもしれないね。


想いをブリッジ

2017年7月16日日曜日

消費のクリエイティブを甘く見たらいけません

糸井重里さんのほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」に「消費のクリエイティブ」と言う言葉が載っていた。

糸井さんはクリエイティブと言う言葉は、「生産(制作)」側に都合よく使われているけど、今や消費におけるクリエイティブは当たり前になったと書いている。

糸井さんはだいぶ前から「消費のクリエイティブ」「休みのクリエイティブ」と言って来たらしい。

人の作ったものを有難がって消費するだけでなく、工夫をして消費する、消費しながら工夫をする、それが市場を活性化させている一方で、生産側は生産一辺倒で在庫をつくっていると言う指摘は現状をとてもよく言い表しているように思える。

在庫をつくっている人たちの恨み節は、スマホやスマホアプリのメルカリなどに向かうけど、本当は消費者の工夫であるクリエイティブと向き合う必要があるのだ。

他人のクリエイティブを消費するだけでなく、誰もがクリエイティブになっていくことはフェイスブックやインスタグラムなどを見ていても自然な流れである。

かつてのカリスマやモデルは特別な人だったけど、今では、普通の主婦や読者がカリスマやモデルになる時代だ。

だから、クリエイティブとは限られたクリエーターのものであるとする考え方にむしろ驕りがあるのだろう。

今日、街中に出ると、クリエーターの制作物と、クリエートを支援する制作物が溢れているけど、どちらかというと後者の方が賑わっているように感じられたのは、クリエートする活力が感じられるからかもしれないね。


消費のクリエイティブ

2017年7月15日土曜日

戦略化することと戦略を持つことの違い

言葉には、言葉によって受けとられ方の色々な幅がある。

「青空」と言えば、晴れて青く広がる空を誰でも思い浮かべ問題は生じないけど、「青」だけだとスカイブルー、マリンブルー、ピーコックブルーなど多様な青があって、例えば洋服や印刷などで行き違いがあると問題になる。

この言葉の幅に関して昨日の議論の中で気づいたのが「戦略」という言葉だ。

「戦略」を立てる場合、そもそも何をゴールとするのか目的、目標があってそれを達成するためのプロセスを定め取捨選択を行う。

一方、すでにあるプロセスの精度を上げるために「戦略」を用いる場合もある。

同じ「戦略」だけど指しているものは違うのだ。

既存のプロセスに「戦略」を用いる場合、KPI(Key Performance Indicator:
重要業績評価指標)などを設定しプロセスと成果の関係を明確にすることが行われる。

本来、「戦略」は大きな目的に紐づくものであり、上位、下位そして横の「戦略」と連動するものだ。

しかし全体の「戦略」から切り離されたプロセスに「戦略」を用いるとプロセスの目的の「戦略」にな理、その目的は小さい。

ただ、戦略思考やシステム思考とは、大きな目的と連動するものだから小さな目的でも「戦略」を考え始めると、そもそも何が目的なのかという問いが自然発生するのだね。

結局、昨日の会議もそこに行き着いた。


また食べたい

2017年7月14日金曜日

保護色化させない社会を作ろう

あまり目立たない存在で、人に近づくのは得意だけど一定の距離をとって、効率的に成果を手にしようとする。

これは最近の若者の話、ではなく、これどこでも観察できる鳩の生態です。

中国では広場などに居ないらしいけど日本ではよく見かける鳩は、都会の景色に溶け込んだ灰色とか白が多い。

保護色であるように思える。


自然界に置いて目立つ色はリスクでもある。

天敵に見つかったり、逆に捕食の対象が気づいて逃げられてしまうと一大事だものね。

だから派手な色でメスの気を引くオスの鳥はひょっとして命がけなのかもしれない。

リスクよりも種の保存のチャンスにかけているのだろう。


さて、動物は身を守るために保護色になるのでなく、目立つ個体の生存可能性が低くなることで保護色の個体が生き残るケースもあるようだ。

環境が動物を選択的に淘汰しているわけ。

これはおそらく社会や組織でも同じだね。

それで思うのは、僕たちは「目立つことがリスクでなくチャンスになる」、そんな環境を作っていくべきなのだろう。


溶け込む戦略?







2017年7月13日木曜日

仕事が難しくなるってどういうこと? 

有効求人倍率が高まり、売り手市場を言われるこの頃だけど、就職を目指す学生にはやはり大きな覚悟が必要であるようだ。

とある上場企業の採用担当の方からお話を聞いたのだけど、採用する職種は営業といった単純な仕事ではなく、開発PJのマネジメント(PM)を行う仕事とのこと。

驚くのはその仕事を入社1年目でこなす人材を採用するのだそうだ。

そこには専門性も求められるし、社外の専門家をコントロールする難易度の高いヒューマンマネジメントスキルが欠かせない。

ITの世界でPMを担うとすると、5年から10年の経験が必要であると数年前に聞いたけど業界こそ違うもののそれが今や1年目のほぼ新人の仕事とは恐れ入った。

PMには強い目的志向、先回り行動の一方でリスクマネジメント、ステークスホルダーマネジメントも必要になる。

この相反するタスク環境を、専門知識とマネジメント手法と機転を効かせた判断、折れない心で乗り切るのだ。

それも入社1年目で。

もちろんそんなハードな仕事ばかりではないと思うけど、全体的に仕事の難易度は確実に上がってきているように感じたのだった。


伸びなさい


2017年7月12日水曜日

負けず嫌いの行動力 根負けする人たちの優しさと戦略

スノーボードの竹内智香選手は生まれながらにして大の負けず嫌いだったそうだ。

幼稚園生の時、トランプでよく遊んだ近所の友達のお母さんは、負けるともう一回、もう一回とキリがない竹内智香さんの様子に、負けてあげていたという。

また、負けてあげないと遊びが終わらないという事情もあったようだ。

そう言えば僕にも小さい時、負けを認めようとしない友達が居て、そういう友達と遊ぶことは大変だった記憶がある。

負けず嫌いというのは生来の資質なのだろう。そして本人にその責はない。

負けず嫌いの人は執念がある一方で、自分の言い分ややり方を貫く姿勢が強い。

だから周囲の人の中には負けてあげる人が出てくるのだけど、前述の友達のお母さんのようにそれらの人には優しさと戦略が混在しているように思う。

相手の負けず嫌いに合わせてあげるのだけどどこかで相手をコントロールしているのだ。

負けず嫌いな人もこのコントロールを受け入れることで社会性を発揮していて、受け入れない人には”わがまま”というレッテルが貼られる。

「負けるが勝ち」という言葉もあるけど、勝ち負けよりも持ちつ持たれつの関係であることを見逃してはいけないのだろう。


負けないゾ







2017年7月11日火曜日

採用したい”よい人”を科学?する

会社で人を採用するとき、”よい人”を採用したいと思う。

”よい人”をもう少し詳しく考えると、仕事が出来る人、仲間とうまく付き合える人、会社の想いに共感をしてさらに大切にしてくれる人だ。

さて、科学的(あくまでも「的」)に考えるなら、活躍する人材の法則を兼ね備えた人ということになるのだろう。

人の数ほど「個性」があるので法則があれば楽だよね。

法則の良いところは人に寄らず再現性のある答えがでることだ。

それは活躍が科学によって保証される!?かもしれないし、誰の意見が正しいの?などと迷わずに済む。

じゃあ、科学が会社を混乱から救うのかといえばそうでもない。

会社に入るのが人ならば、迎い入れるのも人、なのだ。

入る人が良くても、待っている人が良くなければそれは科学の保証外だし、日々移ろう経済状況、経営環境などを考えればなおさらだ。

だから”よい人”とは想い、くらいに考えた方が良い。

そして「科学的」とは想いの強さを表すラベルの一つで、別に「科学」じゃなく、飲み食いしても、社員全員が会ってもてもよい。

採用したい「”よい人”を科学する」のと同じようにそのほかにも色々な想いを持った方が良いのだろう。

結局、(人工知能を含め)科学のみによってではなく、想いを強くすることが”良い人”を採用することなのかもなどと当たり前のことを採用を行いながら思う今日この頃である。


四万六千日の想い




2017年7月10日月曜日

人工知能が教えてくれること

僕は、機械学習を人工知能とは考えない。

文脈理解や、自律的な情報収集、取捨選択を行わないからだ。

ところが自分たちの日常に目を向けると、文脈を理解せず、与えられた情報だけで色んな意見を持ったり判断してしまったりしていることに気がつく。

機械学習を人工知能と考えてしまうのは、僕たちの日常が機械学習的になっているからではないだろうか。

AIに飛びつく人、売りにする人たちが機械学習的な日々を送っているのだとするとそれはそれでかなり怖い。


なんだか怖い



2017年7月9日日曜日

沈んだ後の浮力の魅力

人生に浮き沈みはつきもの、ではないだろうか。

一日の中で巡る小さな浮き沈みもあれば、数年単位で巡る大きな浮き沈みもある。

浮き沈みと言えば振幅のように聞こえてしまうけど、調子の良い時悪い時さらには大きな喜びと深い苦しみの最中にあっては、当人にはいつまでもその時間が続くように感じられる。

傍目からもそういった様子、心もようはよく見える。

最近はそういった内容を構成したテレビ番組もあるけど、その人のこれまでをじっくり聴くと気づくことがある。

それは、浮き上がる時の「やさしさ」だ。

誰かに対しての「やさしさ」だけでなく、自分自身に対する「やさしさ」であったり、時には抽象的なモノやコト、考え方などへの「やさしさ」である。

さて、「やさしさ」とは「優しさ」と「易しさ」の2つが意味されている。

「優しさ」は全てを飲み込む包容力と言っても良いかも知れない。

「易しさ」はシンプルに捉えることだ。

複雑に絡みあった感情や状況を自分の中で整理することと言い換えられるだろう。

要するに状況を受け入れるシンプルに考えることで浮力を得ている。

けっこう沈んで浮かび上がってきた人が魅力的に感じられるのはそんな浮力を持っているからじゃないかな。


夏ですね




2017年7月8日土曜日

合わせるのかハマるのか 出向は越境じゃない?

会社員にとって「出向」を経験する機会は案外多いものなのかも知れない。

「出向」とは要するにホームグランドでなくアウェイで仕事をすることだ。

だからアウェイの洗礼を受けることになる。

洗礼とはそれまでの仕事のある部分を捨て去り、その代わりになるものを新たに学ぶことだ。

ところがこれは、アウェイに合わせる方法だよね。

だが、時に、ホームよりもアウェイの水が合うことがある。

合わせるのが「適応」、水が合うのが「適合」だ。

さて、自発的に組織の枠を越えるものが越境学習だとすると、出向は会社から命令されるもので自発的とは言いにくいから越境学習ではない、ということになるだろう。

でも「出向」でも学習は起こっている訳で、キャリア論で有名な計画的偶発性理論からすれば自発性の有無はあまり問題でないのかも知れない。

むしろ大切なのはどのような機会であっても積極的に意味付けすること、つまり、自ら学ぶ機会に変えることなのでしょう。

そう考えれば、「適応」であっても「適合」であっても自らも、そしてアウェイ先の組織にも「成長」が実感できるのではないだろうか。

僕は「出向」している人をそんな目線で見ているらしい。


出航 じゃないか・・・






2017年7月7日金曜日

生き抜く戦略 × 関わる戦略 = 人の器

我が家の犬は、ジャックラッセルテリアという、狩猟のために作られた犬種だ。

もはや狩猟はしないけど、子犬ながら狩猟的な行動をたまに見せる。

そして、狩猟的なもののスイッチがオンになると手に負えないくらい攻撃的になる。

その時はちょっとしたホラーだ。

ただ、犬のしつけの本を読んだら一番噛み付く犬はチワワと書いてあったので、色眼鏡で見ているだけなのかもしれない。

犬はそもそも狼がルーツらしいから基本的にはどの犬種であっても狩猟の血が流れている。

狩猟タイプの動物なのだ。

さて、動物だと狩猟タイプや他のタイプなど、特徴がわかりやすい。

生存戦略がライフスタイルそのものだからだ。

一方、人間にもタイプがあるけど非常にわかりにくい。

社会性や社会的役割によって覆いがかけられているからだ。

したがって、普段は礼儀正しい人が、急に狩猟タイプの猛獣になったりすると皆がびっくりする。

でもその人の本質タイプが猛獣であることを知っていれば運転者をハンガーで殴っても誰も驚かない。

むしろ、ライオンの檻に入る人間に非があると考えるものだ。


社会性の覆いを取り外すことができたとして人を観察するとおそらく動物の生存戦略と同じようなタイプが良く見えてくるのだろう。

例えば大きく4つに分けると、狩猟タイプに対して大きな群れの中で生きる群生タイプ、目立たぬよう隙間に身を隠しながら生きる隙間タイプ、他の動物の弱みを強みにする逆転タイプなどだね。

で、ね。自らの生存戦略と社会性の戦略(利己、利他と革新、保守)を掛け合わせたものが人の基本的なタイプなんじゃないかな。

もちろん、生存戦略と社会性戦略のベースには関連があるだろうから、狩猟タイプはやはり利己、革新傾向だ。

逆に生存戦略と対極に位置する社会性戦略を纏っていると懐の深さを感じる。

狩猟タイプなのに保守、利他傾向だと「みんなを引っ張り頼れるリーダー」だね。


ジャックとぬいぐるみ




2017年7月5日水曜日

「時間」に追われてる時に考えたこと

僕たちはいつも「時間」と付き合いながら生きている。

仕事のアポイントや納期は「時間」が僕たちの行動を監視しているし、家庭の起床や就寝は僕たちが「時間」を監視している。

「時間」が主語の場合は「時は金なり」だし、僕たちが主語の場合は「ワークライフバランス」のように限られた持分をどう配分するか考えるよね。

「時間」はどんな事情があっても融通を利かせてくれない、付き合うには実に頑固で厄介なやつだ。

人身事故で電車が運行停止しても、勘違いでアポイントの時間を間違えても「時間」は待ってくれない。

僕がお金を失うことには無頓着だ。

朝、どんなに眠くても止まってくれないし、夜、気がつけば日にちが変わっている。

僕が配分し損なうことにも無頓着だ。

でも、世の中がそんなに厄介なことにならないのは、僕たちは「時間」を使って誰かと繋がっているからなのだろう。

電車が止まればタクシーの運転手さんと繋がるし、アポイントを間違えても相手が許してくれれば救われる。

それって、どうしようもない頑固親父のもとで家族が協力し合うようなものなのかもしれない。

そうなると、怖いのは「時間」の頑固さよりも、繋がれる人がいない社会なのだろう。


時間の機械

2017年7月4日火曜日

良い仕事ができない理由 作り手と受け手の溝

僕たちが仕事と呼んでいるものは、有形無形問わず何かを誰かから誰かへ受け渡す。

受け手にとって価値があれば、それは良い仕事だ。

そして何かを作る人は、受け手にとっての価値を生み出すために知恵や工夫を凝らしている。

誰もが良い仕事をしたいのだろうけど、正直、価値が感じられない仕事もある。

今日、作り手の側に居ながら、受け手になる場面があった。

顧客へのプレゼンをぶっつけ本番で聞いたのだけど、その際、どう受け取れば良いのか戸惑う不思議な感覚を持った。

データの並べ方というとても単純な加工なのだけど、なぜその並べ方をしたのか、データを準備した作り手の意図を事前に知らなかったので価値を感じられなかったのだよね。

本来「データの並び」は作り手が考えている以上に受け手に大きなメッセージを与えてしまうから用心深く扱わなくてはならないのだ。

そしてコミュニケーションによってメッセージを正しく理解してもらえると仕事に価値が生まれる。

でも、受け手はそのメッセージを理解できない場合、価値を感じることができない。

実は、こうした作り手から受け手へのメッセージはデータの並びだけでなく、有りとあらゆるものに内在されている。

もちろん、具体的に記述された「メッセージ」もあるけど、多くの場合は記述以外の形で表現されている。

この表現を間違うと仕事は価値を失う。

上手な作り手はこのバランスが絶妙で、機能やデザイン、イラストに無言のメッセージを外化する。

下手な作り手はそもそもメッセージを持たないか、自分の頭の中でメッセージをこねくり回しているだけでそれらは外化されない。

結局、良い仕事とは、何を作るかよりも何を伝えるのかなのでしょう。


僕たちはメッセージを探してしまう











人はなぜ余計なお世話をしたくなるのか

僕たちは色々な情報に晒される中で知らないうちに「余計なお世話」に鈍感になっている。

ステークスホルダー(利害関係者)じゃないのに、あーだのこーだの言いたがるのだ。

社会の一員として、社会で起きている出来事に無関心にならないことは大事なことだけど、事によってはあえて無関心になることも大切な社会的な知性だよね。

最近では妻を亡くした歌舞伎役者の報道などが良い例だけど、そっとしておいて上げることができないのはなぜだろうか?

その原因の一つは野次馬根性だ。

おそらく多くの人が野次馬根性を備えていて、もちろん僕も人並み以上の野次馬根性がある。

僕たちは常に新たな刺激を求めているのだ。

原因の2つ目は刺激がお金になることだろう。

 Googleからプライバシー設定について診断するように表示が出たので(広告を止めるAdblockを入れていると診断のページが開かないのは笑える)確認したところオプトインと呼ばれる、広告が出る仕組みをたくさん承諾しているのがわかった。

僕に身に覚えはないのだけど、なんで多くの会社が僕にオプトインしているのかといえば、ビジネスだからでしょう。

そして3つ目の原因は社会のサービス化だ。

人は、利己的な行動より利他的な行動をとることで、複雑化する社会をカオス化させない知恵を持っている。

社会が複雑化の度を増すと、「お世話」は良いことだという社会的同調圧力が徐々に増していくのだ。

で、ね。本能、お金、善行の3つそれぞれに「余計」があって「余計なお世話」がどうにも止まらない。

でも、無関心、情報統制、悪行と比べてどっちが良いのかと問われると「余計なお世話」でも良いように思えてくる。

結局、あえて無関心、あえてプロモーションを無視する、あえて善行に抗うという一人一人の意識が大切なのだろうね。


余計なお世話よりも・・・

2017年7月2日日曜日

ほぼ日の上場で思い出し感じること

糸井重里さんが社長を務める「ほぼ日」が今年春に上場した。

個人事務所から始まり社名にもなった『ほぼ日刊イトイ新聞』の創刊から19年経ってからの上場だ。

昨今、スピード上場がもてはやされる中、19年目の上場は珍しいのじゃないだろうか。

スローライフならぬスロー上場だよね。

「ほぼ日」の売上の多くは「ほぼ日手帳」という手帳らしいけど、この手帳の歴史を最近読む機会があった。

手帳が試行錯誤、失敗を繰り返しながら徐々に支持を得てきた過程がわかって面白い。

その中でも、2005年にロフトのオープンバイイングという公募で手帳が店頭に並んだことは驚きだった。

実は僕も、傘の商売をしていた時、オープンバイイングではないけどロフトに商品を新規で取り上げてもらったことがある。

開発した新商品をギフトショーに持ち込んだところ興味を持ってくれたのだ。

日本では多くの小売店で仕入れといっても返品条件付きであることが多く、実際に店頭に並んだ商品が売れなければならないが、そもそも店頭に並ばなければ始まらない。

これまでに無い商品を作るとき売れると信じる反面大きな不安もある。

そういう意味で店頭に置いてもらえることで大きな勇気をもらったことを今でもはっきり覚えている。

東急ハンズもギフトショーで展示品を観てくれたけど、あまり興味を引かないようだった。

印象的だったのはロフトのバイヤーは若くて好奇心があり、行動力だけでなく、新しいことに積極的に取り組む姿勢が強いことだった。

さて、「ほぼ日」がロフトのオープンバイイングに応募したのも、ロフトが「ほぼ日手帳」を仕入れたのも僕は自然な出来事であったように思える。

そして、そこから12年経って「ほぼ日」が上場に至ったことはなんだかいろんな意味で嬉しくなった。


壊すのでなく育てる





2017年7月1日土曜日

雪山での遭難 飛行機が落ちたときあなたはどうする?

先日受けた研修で、飛行機が墜落し雪山で遭難した場合の対応に関するワークがあった。

この手のワーク、実は色々な研修で用いられている。

NASAのメソッドと言われたり、実例や映画を元にしたものだったり様々だけど、基本的なパターンは絶体絶命の時にどう考えるかが問われるのだ。

もちろん、研修は絶体絶命じゃやない。

これは全ての研修に通じることだけど、現実に課題と向き合っている訳じゃないから、その場での解決策は気楽なものだ。

研修で良い点を取ることでなく、研修後の絶体絶命で生き延びることが真の目的だ。

さて、今日、WOWOWを見て居たらおそらく研修のワークの元ネタとなった事故を題材にした映画を放送していた。

映画では、食べるものがなくなり、いよいよ何を食べるかと言った究極のシーンが描かれていたけど、研修のワークではやはりそこは扱っていなかった。

現実は、怪我をした人、救出されるまでに亡くなる人など映画で描かれた以上の過酷さがあっただろうことは想像に難くない。

そう思うと、研修の場で行ったシミュレーションの意味が180度変わってくる。

問われるのは合理的な判断でなく、人間観、死生観での葛藤だ。

ただ、自分の生死と倫理観の葛藤を思い描くのは簡単ではないだろう。

僕だったらどうするのか、この休みに考えて見よう。


世界は想定ではない