2017年3月30日木曜日

趣味が仕事じゃ困っちゃう人とは

今年年頭に掲げた年間テーマは「趣味」だ。

僕の考える「趣味」とは「内発する報酬の無い行動習慣」だ。

要するに報酬ゼロでも止められない。

さらには、お金を払ってでも続けたいことです。

会社にとってみればお金を払わなくても働いてくれる(かもしれない)都合のいい人だよね。

だから、ファンを持つ会社はとても恵まれた経営環境に置かれていると言える。

一方で、採用活動で、ファンはファン(で商品を買ってくれれば良い)、社員は社員(ビジネスをちゃんと考えられる人)と立て分けている会社もある。

そして、会社という単位でなくてもビジネスを第一に考え、趣味を仕事にする人に嫌悪感を持つ人がいる。

そういう人は大概、修羅場をくぐり抜け結果を出している。

つまり、結果を出すために何をするのかを考える人たちだ。

こういった成功体験モデルの人にとって、外的な報酬は非常に意味がある。

他者から評価される結果があってなんぼ、の世界なのだ。

だから、内的報酬がすべての「趣味系仕事人」を危惧するのでしょう。

でも、不思議なもので、お互いに極めようとする人の連帯感はあって、チームワークが成立したりする。

ほんと不思議だ。

そして始末に負えないのは、どっち寄りみたいな人たちがチームワークを組んだ時だよね。


内的報酬?外的報酬?

僕たちは環境から力をもらう元気玉

性格診断を行うとその人のその時の活性状況も見えて来る。

「やる気」が満ちている時と、失せている時の落差は誤差では済ませられないレベルなのだ。

例えば、就活や転職など次に向けて動いている時、人の活性は高まる。

一方、日常がマンネリ化していたり、省エネで仕事をこなしていたり、ストレスを溜めている時の活性は低い。

活性が高いとその人の良い面が輝くけど、低いと悪い面が目立つ。

活性は当人の問題と捉えられやすいけど、状況や環境から力をもらっているとも考えられるよね。

科学が証明したすぐ幸せになれる16の方法」という面白い記事があり、そこに書かれているのは方法は当事者としての視点なのだが、注目したいのは全てがインプットでなく環境や状況に働きかけるアウトプットプロセスであることだ。

「睡眠を十分にとる」ことも環境、状況との共同作業だよね。

さて、いい環境や状況は元気をくれることが多いけど、必ず元気になれる訳ではない。

で、ね。「いかなる環境や状況からも元気をもらう」というマインドセットがあって初めて環境、状況から力をもらうことが出来るのだと思う。


子犬と遊ぶ





2017年3月28日火曜日

呑んだら乗るな なのに なぜ仕事で呑むの? 

飲酒して車を運転することは法律で禁じられているよね。

有名な標語、「飲んだら乗るな。乗るなら飲むな。」がある。

子供の頃、川崎大師へ初詣に行った時、前を走っている車が片側三車線の大通りを右に左に大蛇行していてすごく怖かったことを覚えているけど、酔っ払いが運転するほど危ないことはない。

そもそも1トン以上もある金属の塊がスピードを出して行き来するのだから、ルールの遵守と集中力はとても大切だ。

で、お酒が入れば気は大きくなるし、集中力も運動神経も麻痺してしまうのだから危険この上ない。

事故を減らす努力なしに交通安全は実現できないのだ。

さて、仕事も考えてみればルールの遵守と集中力で成り立っている。

だから、ほとんどの会社では就業中の飲酒を禁じている。

ところが、接待や会食というグレーゾーンがある。

「仕事で呑む」というやつだ。

お互いに腹を割ってみたいな言い分はあるけれど酒呑みの言い訳みたいにも感じる。

そして多くの人が行き来する組織においても、集中力とルール遵守の欠如は危険この上ない。

「酒で失敗」という仕事に関する飲酒事故は小さいものも含めればきっと数限りないよね。


僕は酒が嫌いじゃない。

気の合う人との呑みはこの上なく楽しい。

それは仕事関係の人との呑みも同様だし、呑みの場で学ぶことも少なくない。

でも、「仕事で呑む」ことは好ましいと思っていない。

なぜなら飲酒運転と同じだと考えているからなのだ。


仕事じゃない呑み



経験者の決断とプロの決断の間にある違いを考える

「判断」とは、情報を集めて事実を正しく構成することだと思う。

例えば桜の開花宣言で標準木に5輪の花を咲いたことを確認するのが「判断」である。

一方、その「判断」に基づいて開花宣言を行うと決めることが「決断」だ。

実際の基準は知らないけど、5輪咲いたとしても、根っこの方で咲いているから止めよう、といった「決断」もあり得るでしょう。

もちろん、事実を正しく構成できていない「判断ミス」もある。

情報不足などがその原因になる。

さて、僕は経験者とプロフェッショナルで「決断」に違いがあるとはあまり考えていなかった。

むしろ経験者とプロフェッショナルは情報の取り方が違う、つまり「判断」の仕方に違いがあると思っていたのだけど、進むか止まるのかの決断に際して未知の将来の姿をどう描いているのかに違いがあると気づいた。

経験から来るリスクとチャンスだけでなくあるべき未来の姿を組み合わせてプロフェッショナルは決断するのでは無いか、とね。

もちろんプロフェッショナルだって間違える。

しかし、結果が同じだったとしても、「これまでこうだったから」と「こうあるべきだから」との間には大きな違いがあるよね。


開花?



2017年3月26日日曜日

学校の教育、企業の教育

学校にも様々あるけど、学校で行われる教育は社会で活躍するための基礎や専門性を築くものだよね。

一方、企業で行われる教育は、企業の目的を達成するために必要な業務知識や対人などのスキルを獲得するためのものだ。

前者は実践に備えるもの、後者は実践で発揮するものと言い換えられるかもしれない。

しかし少し穿った見方をすると、学校も事業者としてほ採算性が求められている訳で、企業の社員に該当するのは、学校職員であり、教員である。

つまり、企業で行われる教育を学校に置き換えると、学校職員、教員への教育がそれに該当するのでしょう。

で、ね。学生への教育に当たるものが企業には無い。

このことを整理しておかないと、学校と企業、それぞれの教育が異なっていることを見失うよね。

さて、学校がどういう状態で生徒を社会に送り出すのかはとても重要な問題だ。

明治以降の日本で教育が国の発展に果たした役割を鑑みるに「教育」には長期的な展望と公正な信念が不可欠だよね。

だから「教育者」の言動にはより高い基準が求められる。

金額の異なる契約書を3通作成するような功利的な態度では話にならない。

少子化や人工知能の進化の中で教育の重要性が増す中で学校の教育に関わる人々の果たす役割は大きいのだ。


卒業と入学の季節



2017年3月25日土曜日

タイプに分けて500匹の豆柴を普通の住宅で飼う

僕は土曜日の夜、夕飯を食べながら日テレの志村どうぶつ園をよく見ている。

この番組、以前は子猿、子犬や子猫などかわいい動物の赤ちゃんと子供、お笑いタレント、アイドルといった徹底的に視聴率を稼ぐためのコンテンツだったけど、最近は、保護犬、動物愛護精神の高いタレント、お笑いタレント、アイドルの組み合わせに変わった。

ただ可愛いくて面白い、というやらせ路線から、社会的に関心のあるテーマに軸が変わったように感じるね。

番組は単に視聴率を稼ぐだけじゃなく、放送局並びに広告主はCSR(企業の社会的責任)を果たす役目を負っていることを意識しているのでしょう。

そんな番組の変化の中、今日の放送では普通の家(といっても敷地は1000坪!)に豆柴犬500匹を飼っている人の紹介があった。

面白かったのはその管理方法なのだけど、成犬400匹を性格の似た同士でグループ分けしていた。

確か、7つのグループだったと思う。

その目的は、集団が大きくなることで発生する犬同士の喧嘩を防ぐことにあるそうだ。

これは、似た犬同士は喧嘩をしない(!)ことの実証でもありとても興味を引いた。

人間でも性格が似ていると相互理解が進み素早く意気投合できる。

それは一緒に仕事を進める上でメリットになる。

「性格」は「集団」にとってとても大きな影響性を与えているのだ。

さて、興味深いのは性格でグループ分けすることだけじゃなく、グループの数が7つであったことであった。

「無くて七癖」とも言われるけど性格は7つくらいで捉えられる傾向がある。

「7つ」は人が記憶しやすい数であるし、それ以上に3つの軸の組み合わせ(2の3乗=8)に近いことが気になる。

つまり、生き物の性格は3つの特徴の有無で違いを見極められるのではないか、と考えているのだ。


400匹の豆柴で言えば、会社の組織は喧嘩が起きて当たり前だよね。


ハバネロは6つらしい

意識というバイアス(偏り)から個性を考える

同じ状況でも人によって受け止め方が違う。

例えば規則があると「窮屈だと感じる」人と「安心する」人が居る。

どう意識するかはその人次第なのだ。

また、同じ人でも意味を変えることで意識も変わる。

人の評価をするときに、要求水準を高く持てば「ダメなやつ」になるし、低く持てば「頑張ったやつ」となる。

人によっても、また人の中でも変化する意識とは何なのだろうか。

意識とは生き物にとって情報過多の環境から意味を取り出すために脳がパニックを起こす現象であるという説(意識のパニック理論)もあるらしい。

僕たちが環境の中で様々な情報に対して主体的に行動するには、情報の取捨選択が環境とコヒーレント(相互干渉的)でなめらかに行われる必要がある。

現在のAI(人工知能)がインプットされたすべての情報をデータ処理する装置であることは僕たちとAIの決定的な違いの一つだ。

結局、僕たちは環境から行動を引き出すために選択的に情報を取り込み、その行動をよりなめらかに環境とカップリングさせるよう、意識を使って強化学習しているのではないだろうか。

意識とはその人の個性を強化する仕組みだっていうことだ。

それによって冒頭の「規則が窮屈」な人は、学則も交通ルールも情報管理規定も邪魔な存在だし、「規則で安心」する人はその逆になるのだ。

しかし意識は常に同じではない。

意識が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。 ―ウィリアムジェームス

そこで大切になることが意識を変えるというアンラーニング(学習棄却)である。

規則は窮屈だけど大切なものである、という新しい意識は、遵法行動を引き出す。

例えばそれによって運転手は事故を起こしにくくなり、安全な車社会が実現するのだ。

これは意識のもう一つの重要な働きと言えるだろう。


最後に整理すると、意識は生き物である人間が環境の過多な情報を取捨選択してなめらかな行動を強化するために存在する一方で、意識を意識することで僕たちの行動の選択肢を広げる、つまり可能を広げる存在でもある。


なめらかに噛み付く(笑)



2017年3月24日金曜日

日々、いいことを思いつこう

いつものような毎日をいつもと違う日々にどうしたら変えることができるのだろうか。

天災など不可抗力による生活環境の変化が無い中で自分の内側に変化を起こすことは簡単なようで意外と出来なかったりするのだ。

脳はリスクとチャンスを発見する偶有性を持っているけどその機能が常に働いているわけでは無いのらしい。

人の行動の80%以上が習慣化されたものという研究結果もあるように脳がいつもと違うことを見つける機会は少ないのだね。

この確率は、ギャンブルは勝ちの確率が5回に1回だと一番ハマるとの研究結果とも関係があるように思える。

また、上司が部下にフィードバックを行う時もポジティブなもの5つでネガティブなもの1つの割合が一番効果があると言われるけど、これも関係があるのかしらん。

脳がリスクとチャンスを20%に抑えるのはカオスの縁にどまるためなのでしょう。

さて、起きている時間が18時間だとすると20%は3〜4時間もある。

1時間の中では24分。

大人が集中し続けられるのはおよそ20分と言われるけど、実はその時がいいことを思いつくチャンスタイムなのだろうね。

で、ね。そのチャンスを何に使うかは僕たちの自由だ。

そして自由を行使するためにはチャンスが来たらどんどんアウトプットするのがいいのだと思う。

そのためには自分のチャンスタイムを見逃さない癖もつけたいよね。


閃き









2017年3月23日木曜日

僕たちは二つの努力と向き合っている

僕は「努力」はマジック・ワードの一つだと思う。

物事が上手くいかない時、「努力が足りない」の一言が問題の本質を隠してしまうからなのだ。

残業問題も「努力」では解決しない問題の一つだけど、労使双方に「努力」が足りなりと考えられがちだ。

でも、個人的には、残業は「仕組み」や「働き方」だけでなく「気質」と「生活環境」にも本質的な問題が潜んでいると思う。

もちろん「努力」は否定されるものじゃない。


「努力」に必要なのは「気持ち」+「気づき」だ。

「気持ち」が乗る「努力」は容易く感じるし結果も出やすい一方、「気持ち」が乗らない「努力」は難しく、かつ結果もなかなか出ない。

だから、「気持ち」をコントロールする必要がある。

「いやだ」「きらいだ」と思わず好きになる工夫をするということだね。

でも実際、気持ちが乗らないことも少なくない。

ではなぜ気持ちが乗らないかというとシンプルに「不得手」なんだ。

好きな仕事に取り組んでいる人は、好きなことを加減するのが不得手だし、趣味の無い人は趣味を持つことが不得手なんだ。

で、ね。得手・不得手に気づくことは気持ちをコントロールするのと同じくらい大切だ。

それは「努力を考える」ことになるからね。

結局、僕たちは、得意なことへの努力、不得意なことへの努力という二つの努力、努力する気持ち、努力への気づきという二つの努力に向き合っている。


飛ぶのは努力?





2017年3月22日水曜日

「社会化」を考える でも新人育成の話ではないよ

先日、BEAMS新人研修について話を聞いたけど、テーマの一つだったのが「社会化」だった。

とは言っても今、僕が考えているのは人間じゃなく子犬の「社会化」だ。

群れで暮らす習性のある犬にとって社会性はとても重要だ。

だから子犬の時期から自然と「社会化」の訓練を積む。

ここで問題になるのが飼い犬の「社会化」だよね。

犬の「社会」と人間の「社会」は一緒じゃやない。

また、犬は人間に成れないし、逆もしかり。

となるとこの2つの異なる「社会」を統合させる必要があるのだね。

でも、不思議なことにこの「混合社会」は多くの場所で成立している。

もちろんたまに失敗してニュースになってしまうこともあるけど、それはレアケースだ。

で「混合社会」がどう成り立つのかというと、失敗は無視し出来た時に褒めることで「良い社会」をお互いに経験することなのだ。

ポイントは、失敗を責めるのでなく成功の喜びを分かち合うこと、らしい。

で、ね。はたと気がつくのは僕たち人間の社会は日頃いかに失敗を責め合っていることか。

知らないうちに「悪い社会」を見る癖を持っている僕たちにとっても子犬の「社会化」は「良い社会」の共有を身につける大切な訓練になっているってことなんだね。


褒め合う社会



2017年3月20日月曜日

落語家の弟子入りはグローバル社会で日本人が生き残る「経験」を示唆する

3月1日になると、就職活動用のナビサイトがオープンする。

ナビサイトの使い方は人それぞれだろうけど、全く使わない人はごく少数じゃないかな。

さて、ナビサイトに拘らず、日本の新卒採用活動はシステマチックに行われる。

そもそも経団連の倫理協定なども含めた一括採用はグローバル社会からは異質な日本特有の仕組みだ。

そしてグローバルで活躍している日本人の就職活動は、所謂「就活」ではないようだ。

スタンフォード大のアメフトコーチになった河田剛さんやILMの行弘進さんなどは、無給でも良いから働かせて欲しい、さらにはお金を払っても良いというくらいの熱意で道を開いている。

実は日本においても落語家の弟子になるには同じような熱意が必要らしい。

就活システムが無い時、希望の仕事を得るために必要なことは本心の熱意と本当の仕事にするための努力だ。

落語家の弟子入りで言えば、無給の掃除とか身の回りの世話とかはグローバル社会でも通じる道を拓く方法なのでしょう。

「経験」には結果としての経験と、果を生むための経験があるよね。

じゃあ、果を生むための経験って何だと言われると定義するのは結構難しいのだけど道無き道を拓く経験もその一つであることは間違いないようだ。



自ら道を拓く経験



2017年3月19日日曜日

学びにとって大切なことをなぜ最初に学べないのか

先日、法政大学長岡教授と対談を行なった際に、「4つの学習モード」の話を聴かせて頂いた。

それは、自分のための学び、何かを作ることによる学び、他人のための学び、変革のための学び、だ。

詳細は後日、対談のまとめを公開する予定なのでそちらに譲るけど、これまで学びを「自分のため」「他人のため」などと分けて考えたことはなかったので新鮮な気づきがあった。

普段何気に学びとか学習って言葉を使うけど、自分の身につくことで考えているよね。

いろんな場があるけど、学びとはプライベートな領域での出来事で当人にのみ便益があるいうバイアスを持ちやすい。

しかし実際は、多くの学びは社会性に寄与するものであり、僕たちは社会のために学ぶ存在であるということを忘れてはいけないのだろうね。


何モード?



2017年3月18日土曜日

「時間を貯金する」という考え方 

愛犬ルークを亡くし、呆然と悲しみに暮れている最中に出会ったルイが今日、家に来た。

迎い入れる整理もついていなかったけど、ルイとの縁は僕たちにとって必然だったように思える。

そしてルイと家族になることを決めてから家の整理と準備をする35日間ルイを預かってもらったのだけど注射を打った一日を除いて僕たちは毎日ルイに会いに行った。

それは「関係性を作るための貯金」だ。

これから長く一緒に暮らすうえでルークのようにルイとも良い関係を結びたかったし、そのために35日間で出来ることは会いに行くことしかないことはわかっている。

毎日会いに行くのは楽なことじゃないけどこう考えた。

『僕たちは将来に向けて毎日貯金をしているんだ。』と。

会いに行く時間は一緒に暮らす時の貯金だとね。

ルイは僕たちが驚くくらいとても自然に家に慣れたし、お互いにストレスの無い1日目、Day 1を過ごしている。

それは貯金のおかげであるように思える。

そして、僕は人間同士でも例えば挨拶など、毎日の「貯金」はとても重要なんじゃないかなと気づいたのだ。


ようこそ










モノの時代からココロの時代への転換とは社会的リフレクションなのだ 

物の多さに幸福感を持つ時代から、心の充足に幸福感を持つ時代へのシフトが少しづつ続いているよね。

市場が新製品で溢れる状況から、文脈を大切にする状況への変化はいたるところで実感するし、ものづくりをする人は誰でも「物が売れなくなった感覚」があるのじゃないだろうか。

もちろん僕たちの暮らしが「モノ」で成り立っていることは明白だ。

コンビニが24時間開いているのも、ネットで買った商品が宅配便が都合の良い時間に届くのも、僕たちの身の回りを「モノ」で埋める仕組みだもの。

アマゾンのエコーという機器は仕組みが行き着いた姿かもしれない。

僕が「モノ」に接するポテンシャルはもはや無限大とも言えるよね。

そして無限のポテンシャルに気がつくと僕たちはどうやって「モノ」を買うのか問い返す。

欲しい→買う→欲しい→買う→欲しい→買う→欲しい→買う→・・・

の無限連鎖から

欲しい→買う→どうだった→なぜ欲しかったのか→購買の本質への気づき→新たな選択

というループがより強化されるのだ。

集めてきた購買履歴やビッグデータなどを使って購買が想定される対象者に集中的にアプローチを行うターゲットマーケティングは消費の世界で勝ち組になってきた仕組みだけどこのところあまり具合が良くないらしい。

思ったような効果が出ないとも聞いた。

僕にはダイレクトマーケティングは購買の無限連鎖とダブって見える。

そしてターゲットになった時のリコメンドがいつもうざく感じる。

なぜなら僕の文脈じゃないからね。

で、ね。僕の文脈は何かと言えば、「なぜ」と「本当に」と「何が起きた」があって、「次はどうしよう」なのだ。

要するに自らのココロに向き合うことだよね。

選択肢が増えるということは内省も増えるということを指していて、ココロに届かないモノは意味を失う時代なのでしょう。


ココロに届ける


2017年3月16日木曜日

なぜ?がわからないテクノロジーの妥当性とどう向き合うのか

昨今話題のテクノロジー、クラウドやAIなどに共通しているのは実態を目で確認できないことだ。

目の前にある結果がどう生まれたのかがわからないから結果が妥当なのかそうじゃないのか判断がつかないよね。

それを気持ち悪いと感じるか、気にならないかは結構大きな問題だと思う。

前者は、経験や身体を通して理解するから同じ状況に遭遇した時に可能性を広げることができるけど、後者は盲従する癖がつくから選択肢は狭まる。

例えばトランプ大統領が声高に「フェイクニュース」と叫ぶけど、事実の検証を行なっている人は、トランプ大統領がフェイクなのか、ニュースがフェイクなのか見分けがつくけど、そうでない人はどっちがフェイクなのかわからない。

要は、リテラシーは、原理を知ろうとする意識から芽生えるのだろうということなんだけど、妥当性の概念を失った瞬間に人はリテラシーも失うということなんだ。

テクノロジーの発展がリテラシーの消失に繋がっては意味がない。

その鍵を握るのはいかなる物事からも「問い」を起こせるか否かの素朴さにあるのではないだろうか。


栗が栗を拾う、の図 なぜ?

事業の種と人材の種に関するあくまでも個人的な感覚

どのような事業でも人材でも種を蒔いて直ぐに花咲くことはないよね。

個人的な感覚としては、根付くのに3年程度は掛かる感じです。

もちろん、中にはすぐに頭角を現すコトもあるけれど、その後伸び悩みがあったりして、「これか会社のジギョウだ」とか「社を代表するワタシ」になるには一定の期間が必要なのだと思うのだ。

先日聞いたBEAMSの新人育成では、1年目で「固め」2年目から3年目で「広げる」と言っていたけど、事業のアイデアや人の意識を定着させ、次の成長に向けて力を貯めるために根を張らせることが必要なんだよね。

で、この3年程度が長いか、短いかでいうと、結構長く感じる。

息を止めて走りきれる距離(時間)ではないでしょう。

その間に壁は無数にあるし、根付かないことも少なくない。

新卒の社員では、3年で3割が根付かないし、新規事業はもっと根付く率が低いのではないかな。

根付くことができなかった時、「うちに向いていなかった(ミスマッチ)」と口にすることがあるけれど、やはり環境要因による淘汰が起こることは避けられないのだ。

一方、3年程度経つと事業も人材もその先への期待がなんとなく見えた気がしてくる。

でもそれはあくまでも「なんとなく」なんだよね。

そのフィーリングも大事なのだろうけど、一方で、3年程度のハードルとは、実は飽きないことなのじゃないかと思うのだ。


発芽、する?









2017年3月14日火曜日

BEAMSの新人育成をグラレコするホワイトデーナイト

今晩は、経営学習研究所シアターモール・東京大学 中原淳研究室共催のイベントに参加した。

テーマは、「BEAMS流・新人育成の仕組み!? 経験から学ぶの3ステップ、振り返る、固める、広げる です。

ガチャとーくでご一緒した長谷さんも登壇されるとのことでとても楽しみだったのだ。

ダイアログの時間では、講演された原田さんの上司、戸崎さんとも対話が出来、気づきの多いホワイトデーナイトとなった。

僕の理解でポイントをかいつまむと、一年目は2週間の合宿とそのあとのチェックリスト面談で「実務能力」と「主体性」を固め、二年目以降は、「視座を上げ」、「自らのキャリア選択肢」と「越境」で広げる、という新人育成のデザインだ。

そして、中原先生は新人研修のポイントが組織社会化の壁を主体性により過剰適応を打破することにあると纏めていたと理解した。

これはBEAMSが取り組む「セレクトショップの次を作る」人材育成方針とも一致しているよね。

で、ね。組織である以上、過剰は困るけど適応は必要ってことを言っているようにも聞こえたのだ。

肝心なのはその適応は手段や方法や集団へでなく、組織目的や理念への適応だってことなんじゃないかな。

そして僕には、「採用基準がまずBEAMSのファンであること」、というのが核心であるように思えたのだ。

詳細は、グラレコしたよ。


セレクトショップ風グラフィックレコーディング


2017年3月13日月曜日

優れた戦略はロングショットから生まれる

エゾモモンガは厳しい冬を乗り越えるためにもを寄せ合う。

冬以外は単独行動らしいので身を寄せるのは生き残るための術だね。

じゃあ、攻撃的で身を寄せられない個体はどうなるのかというと生き残れない。

仲間とうまくやっていける個体だけが生き残れるのは環境による選択的淘汰の結果だ。

このような環境による淘汰は自然界で珍しくない。

例えば犬は狼の中で警戒心が薄く人に近づくことが出来た個体が原点だそうだし、人間でもヨーロッパでは疫病の流行でB型の血液型が少ないという説がある。

江戸時代が長く続いたのが、戦国時代で好戦的な人達が戦闘で亡くなり減ったからかもしれないね。

さて、環境による選択的な淘汰は、長期的な戦略だ。

エゾモモンガの行動をクローズアップで見れば越冬だけど、ロングショットで見れば種の持続可能性がテーマなのだ。

最近は、投資家受けを狙って短期的な成果に固執する企業には存続を脅かす大きな落とし穴が待っている。

それは本当に厳しい冬を乗り越えるために必要な我慢と知恵が足りないからなのかもしれないね。


狼の末裔


2017年3月12日日曜日

50歳でのゴールは良夢か、悪夢か

錦糸町隣の住吉という駅近くにFC東京の深川グランドがある。

土曜日に住吉に行くとFC東京のコートを着た中学生から高校生ぐらいの子供たちをよく見かける。

その中から未来のJリーガーが生まれるのだろう。

一方、年齢で言えば15歳前後だろう彼らが50歳になった時、プロサッカー選手としてゴールを決める未来はなかなか想像し難いね。

今日、プロサッカー選手の三浦知良選手が50歳でゴールを決めたニュースを聞いたとき、住吉で見かけた子たちをふと思い出した。


僕が15歳の時、親父がちょうど50歳だった。

もし、15歳の僕がプロ選手を目指してサッカースクールに行っているとして親父がプロのサッカー選手だったら複雑かもしれない。

憧れと尊敬の一方で決して越えられない存在として劣等意識を感じでしまいそうだ。

経験の無い若者にとって体力は大きなアドバンテージであって欲しい。

だからプロスポーツ選手が体力の限界を迎えて引退するのは若手にとってはある種の希望なんだと思う。

ひょっとしたら、サッカーにしろ野球にしろプロスポーツ選手が50歳超でも活躍するのが当たり前になったら、同年代の中高年は喜ぶかもしれないけど、若者には悪夢かもしれないよね。


良夢?悪夢?



組織人は大喜利を見習おう

僕は、事業とは結局、問題解決なんだと思う。

どうしてかというと、事業を行う時にはすでに問題を定めている、ということなんだ。

だから、問題意識の無い状態で事業を行う組織人となって良いのかという疑問が湧きます。

問題解決のプロセスで大事なのは当事者意識であってジャーナリズムでは無いことは明白だから自分の正義をかざして会社を批判することに僕は違和感をずっと持っている。

さて、当事者意識にも色々な「かたち」があるよね。

例えば、現場に足を運ぶことも当事者意識の表れだ。

大きな災害があった時、ゴルフ止めない政治家と被災地に出向く政治家のその後を見れば現場に足を運ぶ当事者意識を多くの人が大切にしていることがわかる。

そして、僕が考えるもう一つの当事者意識のヒントが大喜利にある。

その心は、ネガティブなことポジティブに変える思考スタイルです。

脳科学で、リスクとチャンスは脳の同じ部位を使っているらしいけど、人はリスクを感じると回避もしくは攻撃を生じ、チャンスを感じると創造性を発揮する。

そして真の問題解決に創造性は欠かせない。

なぜなら、事業として定義する問題とは、様々な葛藤を統合的に解決しなければならないからなのだ。

で、ね。問題解決に創造性を発揮している事例を身近なところを探したら、笑点の大喜利を思いついたのだ。

故多湖輝さんの「頭の体操」もそうだけど、問題を解決するために創造性を発揮しているときはその人はまさに当事者だよね。

だから組織人は、問題の問題を糾弾して事態を悪化させるのでなく大喜利よろしく創造性で問題を解決する方向に力を注ぐのがよろしいと思うのです。


沈没船とかけて、付き合い残業と解く
その心は、引き上げるのが大変






2017年3月11日土曜日

そしてアキハバラはどこへ行くのかな

この先、僕たちが歩んできた時代を再現することは出来ないだろう。

しかし、あの時代のアキハバラはもう一度行きたい場所だ。

街にはたくさんの電気関係のパーツ屋があり、大きなビルにはオーディオとレコードが目一杯詰まっていた。

神保町で本を見て、御茶ノ水で楽器を触り、アキハバラで音楽に触れる。

そこは僕にとって絶好の遊び場だった。

とはいっても、大学生や大人で賑わう街に小中学生の居場所があるでもなく、チョロチョロ歩き回っていた、というのが実態である。

今のアキハバラの実態はわからないけど、そこにかつての店も人もいない。

オーディオやレコードをたくさん買っていた人、たくさん売っていた人たちはどのに行ってしまったのだろうか。

ある商品の10年先、15年先を予測する仕事をしながら、人は自らの環境を変えてしまう存在であることを痛感する。

今日は昨日と違うし、同じ日が続くことはない。

アキハバラという街はそのことを僕たちに教えてくれているように思う。


センチメンタルジャーニー







2017年3月10日金曜日

頭脳明晰な人の攻撃性というパーソナリティ特性を考える

脳科学者茂木健一郎さんは素晴らしい頭脳の持ち主である一方、他者を攻撃する一面を持ち合わせているようだ。

先日も、「日本のお笑い芸人は終わっている」とツイートしちょっとした騒ぎになっているらしい。

この部分だけ取り上げると一つの主張なんだけど、以前、出版記念の対談で一聴衆の質問にキレまくっていた様などを目の当たりにしているので茂木さんにはどうも論理性を持った強い主張を使って他者を攻撃する傾向があるように思う。

とても頭の良い方なので攻撃的なのが脳科学分野だと素晴らしい成果でも、人相手だと人望は集まらないよね。

さて、「他者を攻撃してしまう」というのはパーソナリティ特性だ。

だから珍しいことではなく、世の中には一定数存在する。

「頭脳明晰で他者を攻撃する人」と言えば誰でも身近で思いつく人が居るよね。


パーソナリティ特性は、遺伝、環境、成長の3要素で形成されるので、「他者を攻撃してしまう」というパーソナリティ特性が生まれる背景には、「もともと自己中心的で他者を攻撃する資質を持って生まれた」「自己中心的で他者を攻撃する生育環境だった」「周囲に他者を攻撃する気の合う人が多かった」「他者を攻撃することが求められる状況にマッチした」「他者を攻撃することで達成があり自我が生まれた」などの可能性が考えられる。

研究では、気質の半分くらいが遺伝らしいから、基本、持って生まれた傾向が強いのだけど、親が個性を尊重し(手に負えない?)、受験競争みたいに他者に勝つこと強く求められる状況の中で頭の良さもプラスになって、気質が強化、固定化されるのかもしれない。

そもそも攻撃性は生存競争においても重要な戦略で否定されるものではない。

トランプ大統領なんて、事業でも選挙でも攻撃しまくっていまの地位を得ている。

そして、同じ特性の人が自然と仲間として周囲に集まり、また、他者を攻撃することで生存しようとしている人たちからの支持も得てのだろうけど、どうにも人望が無いことは明らかだね。

「頭脳明晰で他者を攻撃する人」は自らのパーソナリティ特性に合った状況に変えるため、敵を作り出し続けるというのも共通の特徴だよね。

「突然他者を攻撃する」、「反撃を受ける」、「敵対関係が生じる」、「自分のパーソナリティ特性が適合する」、「相手を撃破し達成感を得る」というプロセスがみえてくるのだ。

そして「頭脳明晰で他者を攻撃する人」のもう一つの特徴が驚くことに「高い社会性」だ。

「社会」は生存戦略において最も重要で「社会性」を発揮することには大きなメリットがあると論理的に考えるのかもしれないけど、外面が良いのだよね。

これはあくまでも個人的な見解なのだけど、社会性の発揮に関しては、生育状況における親の関与、躾が大きく影響しているのではないかな。

「人様に迷惑をかけてはいけません」という極めてシンプルな躾だよね。

恐らく、攻撃性のある子供は親から人一倍「人様に迷惑をかけてはいけません」と言われていることでしょう。

それによって、みんなが困っていること、みんなに役立つことに対して積極的に関与するようになるのだとしたら、社会性の獲得において親の役割ってとても重要なのだ。


親が教える社会性



2017年3月8日水曜日

目的のために団結するのか、団結して目的を果たすのか あなたの「まなざし」はどっち?

パーソナリティ特性のビッグデータからは色々なものが見えてくるけど、その中でも一番
強く出てくるのは「まなざし」だ。

ここでの「まなざし」とは、まずその人が何らかの目的を見ているのか、仲間の協調や平等を見ているのかという違いです。

ちょっとした違いのようだけど背中合わせのこの「まなざし」、組織の中では結構深刻な対立に繋がったりするよね。

例えば、「まなざし目的」は、達成に向けて人がどう連携するのかを考えるから、「まなざし団結」からしてみると自分がやりたいことを優先させている、人を駒扱いすると受け取られる。

一方、「まなざし団結」はまずチームや組織内の平等や協調を考えその上で達成を考えるから、「まなざし目的」からしてみると何がやりたいのかわからない、目的意識が薄いと受け取られる。

「まなざし目的」からしてみれば、順位をつけない徒競争なんてナンセンスだけど、「まなざし団結」からしてみれば順位をつける徒競争がナンセンスなのだね。

ややこしいのは目的が気に入らないから「まなざし団結」になる、またその逆の「似非まなざし」も出現するのだけど、結局、何を拠り所に善し悪しを判断しているかを見切ると本当の「まなざし」が見えてくる。


さて、心理学で言う「態度」は「価値要素」「感情要素」「行動傾向」で構成されるのだけど、「まなざし」は、「価値要素」にあたるのかもしれない。

しかも、潜在化、前提化していて案外本人は気づけない。

だから、組織の中でリーダーやメンバーは自分が相手(メンバーやリーダー)からなぜ理解されないのか不安や不満を溜めてしまうのだよね。



それぞれの「まなざし」

成長の可視化 すくすく育つのだワン

今度我が家に来るジャックラッセルテリアのルイと出会ったのは生後53日目だった。

それから三週間ちょっと経ったけど、日々すくすく育っているようです。

妻が毎日会いに行って写真を撮っているので、

「歯が生えた」

とか

「あ、マズル(鼻)が伸びた」

みたいに、小さな変化に気づくことができる。

また、最初は抱っこされて寝ていたルイも最近では寝ることもなく、興味津々で周囲を見渡し、吠えて噛み付くようです。

「犬は、噛む動物です」
「犬は、吠える動物です」

初めて犬を飼う人向けのビデオで言っていたけど、ルイは確実に「犬」に成っていく。

それはホントに小さな変化なのだけど、外から見える成長なのだ。

さて、先輩犬のルークは16歳という高齢で亡くなったけど、彼は亡くなるまで成長し続けていた。

病気もあって体は細く、足腰は立たなくなってしまったけど、僕たちとの関係性はどんどん良くなっていたからね。

喜びの感情をとてもよく表すようになったし、その後、病気が進むことで夜中にトイレがしたくなるとちゃんと教えてくれたのだ。


僕は体の成長と関係性の成長と二つの成長を目の当たりにして生き物の成長し続ける姿の素晴らしさに改めて感激している。


76日目


こちらは54日目




2017年3月6日月曜日

知りたい結果が出るようにデータを作る、ということ

今の世の中にはデータが溢れている。

というよりデータが溢れるように作り出され続けている。

気づかないところで言えば、スマホで写真を撮ったり地図アプリを開いたりする瞬間に僕の居場所が記録されている。

もう少し、気づく部分では、コンビニで買い物をするたびに出すポイントカードもデータ製造機だよね。

IoTなんてことになったら、人間の行動だけでなく、冷蔵庫の食材から掃除の頻度による部屋の清潔度なんてものまでデータとして収集されるのだ。

昔は電波や電磁波など、送り込まれるものが危険だったけど、これからは吸い取られる情報も危険だ。

なぜなら、吸い取られた情報は何かに変わって降りかかってくるからね。

さて、「どこに居る」とか「何が保管されている」みたいな事実データは足し算引き算で済むからわかりやすいけど、「なぜそこに居る」とか「保管されているものでどんな料理を作る」みたいな思考の要素が入ると事実の足し算引き算では用がすまない。

他のデータを紐付けして意味を見つける必要があるのだ。

この段階でデータは集めるものでなく、作り出すものに変わる。

勝手に生えてくる雑草では、料亭の料理は作れないというの同じことだね。

サクラもちっと




2017年3月5日日曜日

ロングテールのコンテキストを踏みにじることとそのペナルティ

昨晩は、映画「アナと雪の女王」をフジテレビが地上波で初放送したらしい。

映画館で観て、WOWOWでも観たので今更CMの入る放送を観る気も起きず、スルーしたのだけど、今日になって放送に批判が殺到していると知って悪い予感が当たったような気がした。

その予感とは、僕のコンテキストとは異なる過剰演出になるだのでは、と言うものだね。

僕が映画を観るコンテキストとは、

映画に没入できる
映画の余韻に浸れる
映画をまた見たいと想う

だ。

これは、映画好きの人にとって結構一般的なコンテキストなんじゃないかな。

だから、テレビ局が他局に勝って放映権を買えた嬉しさ全開の番組なんていうものは全く異なるコンテキストである。

さて、インターネットとスマートフォンの普及によってサイレントマジョリティが消失し誰でも発信できるようになったことで、ロングテールのコンテキストを踏みにじる行為に大きなペナリティが下されるようになったよね。

例えば、「ブラック企業」というのもロングテールのコンテキストを踏みにじったペナルティだ。

ロングテールのコンテンツを踏みにじるペナルティは映画放映だけでなく、築地市場の豊洲移転でもそうだし、電通の自殺問題も、横浜市教育委員会のいじめ認定問題もそうだと思う。


冒頭のTV局は優秀なコンテンツプロバイダーとしての過信がロングテールのコンテキストを踏みにじっているような気がする。

それは、映画だけじゃなく、ドラマの視聴率にも表れているように思うのだけど、如何であろうか。


ペナルティはこれ?




2017年3月4日土曜日

育成担当者に必要な資質とは

会社で人材の指導、教育、研修などを行う人にはどんな資質が必要なのだろうか。

理解力だろうか。

本質探求力だろうか。

それとも献身性だろうか。

もちろんそれらの特性も必要だけどデータを解析したところ一番に出てきたのが寛容性だった。

感情をコントロール(どちらかというとしっかり抑え)し、懐深く他者を受け入れいる資質が必要という結果なのだけど、とても説得力があるよね。

特に、人材や価値観の多様化やが増している今日において「寛容性」は重要なのだと思う。

マネジメントには、組織目的を達成する行動力、統率力と同時に人材育成も求められている。

ところがパーソナリティ特性から考えると、この2つは割と対極に位置する。

目的の達成を第一にすることとまずメンバーの現状を受容することには矛盾があるからだね。

「やって当然だろ、仕事なんだから」
「意味わかりません(わかりたくないし)」

みたいなすれ違いはしょっちゅう有るのじゃないかな。

近思録の九徳では、「寛にして栗(寛大だが、しまりがある)」といった極にある概念を同時に体現する事が徳のある状態としているけど、まさに、両立させることは、ステージが変わるくらい難しい事なんだよね。


寛容さ



2017年3月3日金曜日

掃除しています? がちゃトークの行方はいかに

2017年3月のがちゃトークはひな祭りの日でした。

それゆえなのか、二人の女性参加者が見事にトークに当選しました。

さて、テーマは「掃除」。

ところがトークの内容は「掃除」を超えて、エシカルファッションや水素水などグラフィックレコーディングでも表現できないほど飛んでいましたのでどこまで伝わるのか不安ですが、まあ、それもグラフィックレコーディング、ということですね。

後記

僕が「掃除」で思いつくのは、「吸い込む」と「掃きだす」だ。

掃除機は「吸い込む」、箒は「掃きだす」ものだけど、それはなんだか「心」にも通じているように思う。

心は何かを「飲み込み」何かを「吐き出す」ものだから。

僕は掃除をするとなんだか心が綺麗になるように感じられて、一心不乱に掃除をするのが好きなのだけど、毎日掃除をするほど掃除フェチじゃない。

ではどんな時に掃除をするのかといえば、溜まった疲れやストレスを取り除きたくなった時に掃除をしているのかもしれない。





Katyさん

2017年3月2日木曜日

理由なき結果を受け入れいるのが人工知能の時代?

就職活動をしている学生に送られる「お祈りメール」、そこには結果があるけど理由は
ない。

ただ、僕が遥か昔に就職活動していた時も不合格の理由は教えてくれなかったのだから不合格の理由を知ることが出来ないのは今に始まったことじゃないね。


黙って結果を受け入れいるには寛容さが必要だ。

しかし誰でも自分にとって不快なことや不都合なことはその理由を知りたくなる。

「なぜ?」とね。

トヨタは「なぜ」を5回繰り返して世界一になったけど、人間は問題を解決するためにはその理由を知らなくてなならないから「なぜ?」と問うのだ。

そして黙って結果を受け入れさせることは下手をすると思考停止を促しかねない。

さて、現在、様々な分野で人工知能がもてはやされている。

ただ、現在の人工知能は、汎用的な僕たちの知能とは大きな隔たりがある。

僕たちの脳のニューロンの働きを模したアルゴリズムによって分析結果を出力するのが今の人工知能で、要するに知能型計算ロジックなのだ。

機械学習と呼ばれるこのロジックの正体は、データの取り込みと手法の選択とパラメーターの設定ファイルだ。

そこには「なぜ」は無い。

事実と計算結果の間に一番間違いの少なかったロジックが選択されるだけだ。

で、ね。設定するパラメータって学習率、学習1回ごとに訓練データをいくつ利用するか、何ステップ学習するか、隠れ層1のユニットの数、隠れ層2のユニットの数・・・といったもので計算で起きていることを誰も理解できない。

まさに結果の理由がわからないのだ。


確かに人間には認知バイアスがあって、判断が偏ったり間違ったりする。

だから結果が悪ければ謝るしそのあと改善に取り組む。

一方、機械学習の結果が悪ければアルゴリズムを変えるだけでおそらく誰も謝らない。

間違っていた時には謝罪と改善があると思えば、まず結果を受け入れる寛容さも生まれるだろうけど、ないことを知っていて結果を受け入れるのは主体的思考停止だよね。

大量の応募がある企業がエントリーシートを機械学習で合否判定するのもいいけど、そういう企業に応募するのかしないのかについて就活生は思考を止めない方が良いのじゃないかな、と思うよ。


流されない












2017年3月1日水曜日

鍛錬とケア 忘れがちな当たり前のこと

おそらく生卵をぎゅーっと握る人はいないし、ジャガイモをそーっと握る人もいない。

人間は、見たり触ったりした物の質感を感じ取り、適切な握力で握ることができる。

ロボット製作ではとても苦労する部分だよね。

ところが対象が人間になると途端に乱暴になったり過度に神経質になったりするのだ。

例えば、鍛えなければ強くならないと言った信条からひたすら厳しいストレスを与え続ける上司や職場は間違いなくあって、繊細な社員は酷い苦労を負うことになる。

電通の件は個人的にはまさにそんな印象だった。

さて、強くなるためには鍛錬を欠かすことはできない。

そうやって一人前からプロフェッショナルに成長した人は数限りないよね。

でも、鍛錬するには、そもそも耐えられる強さが必要なんだ。

生卵とジャガイモの話だね。

そして生き物には、生卵の部分とジャガイモの部分が混在している。

もちろん人間も。

だから、強く鍛えるところと、柔らかく支えるところを使い分けなくちゃいけないのだけど、自分自身の得意不得意で他者に接してしまうことが少なくない。

また、いざ仕事となると、最近は強さ弱さに合わせていられるほど組織にも余裕が無い。

でもそうやっていろいろな問題が生じるのだから、やはり、シンプルに強み弱みがあることを認め、自分と他者のそれを知り、その上で何をどう鍛錬し、何をどうケアするのか一人一人に合わせてオーダーメイドするのがよろしいようです。


強さ弱さ