2017年2月28日火曜日

パターン化する世界から脱出しよう

アカデミー賞の時期になると契約しているWOWOWで過去の受賞作品をたくさん放映する。

話題で気になっていたけど観なかった作品に触れるチャンスだよね。

つい先日は「レヴェナント:蘇えりし者」を放送があったので楽しみにしていた。

さて、放送を見初めてすぐに気がついてしまったのが「パターン」だった。

これはハリウッド作品のヒットの法則なのだろうけど、最初にすごく派手なシーンが繰り広げられる。

「スターウォーズ」シリーズでも、「プライベートライアン」でも、「オデッセイ」でも同じだね。

一時、JPOPでサビから始まる歌だらけになった時があったけど、それと同じ現象なのかもしれない。

で、ね。人間ってパターンが好きな一方で、パターンを見つけるのも早い。

そしてパターンを見つけるとなんだか飽きを感じてしまう。

娯楽だけでなく、仕事においても様々なものがパターン化している。

定型業務と言われる仕事はもとより、女性活躍、働き方改革に採用活動などなど組織横断的にパターン化するものも少なくないけど、パターン化するとどこかに安心感が生まれていることにも気がつくのだ。

全てを固有の事象と捉えるより、いくつかのパターンの一つと認識した方が効率的で消費するエネルギーも抑えられるのだろうね。

このパターン化する世界から脱出する方法が、視座を広げることと物事にぐっと寄ることだと思う。

ちょっと引きの構図にした瞬間にパターン認識が困難な豊かな世界に触れられるし、近寄って凝視すると個性が見えてくる。

要は、ここそこでいろんな事象が同時多発的に起きている空間的、時間的広がりのある世界を見慣れた景色にしないこと、かな。


投球パターン


この子の成長に

年明け、約5年一緒に過ごした愛犬ルークを亡くした。

ペットロスは初めてだけど、愛するもの失うことはやはりとても辛い。


その悲しみの中、新たな出会いがあり躊躇いもあったが新しい愛犬ルイ(♂)を迎えることになった。

ルイはまだ生後2ヶ月ほどの子犬でこの上なく愛らしい。

一方、子犬とはいえ、ルークと同じ狩猟犬がルーツのジャックラッセルテリアという犬種であり、強い一面も見せ始めている。

人間では40%から60%の性格が遺伝的要素と言われるけど、犬も同様であろう。

ジャックラッセルテリアを飼うと決めた瞬間に覚悟しなければならない。

どんなに手を尽くしてもジャックラッセルテリアであることを変えることはできない。


しかし、残りの60%から40%は後天的なものだ。

後天的に性格を決めるのは、迎い入れる家とそこでの僕たちの接し方。

彼はそこで、好きなことにチャレンジしてその結果を得、自我を形成する。


彼は飼い主を選べない。

親であり、先生であり、友達である存在を選べないとしたら僕たちはどう感じるのだろう。

僕たちは親から生き方を学び、先生から社会でのルールと知恵を学び、友達からパートナーシップを学ぶ。

彼の行為は、僕たちというバイアスを通して反射される。

歪んだ鏡、みたいにね。


結局、僕たちはルイの本能と学習能力と「対話」をし続けるのだ。

それは晩年のルークと結べた関係性と異なる、新たな関係性作りだよね。


ルイです。




2017年2月26日日曜日

僕たちはお金でなく自らに新しい仕事を生み出す

産業革命が開いた扉を僕たちは閉じることができないよね。

それはパンドラの箱ではなかったけど、僕たちは狭まった世界の中を激しくボールが行き交うピンポンのような光景を見ることになった。

どうやらその光景はここ20年でさらに激しさを増している。


誰かの一撃が攻守を変え、昨日の勝ち組が今日は負け組になる。

ただ目を開き耳をすませば流れすぎていくのはそんなニュースばかり。

自分の世界には攻守を変える一撃など無いだろうと考えている人達に待っているのは、干ばつで荒廃した大地だね。

そこは掘っても水は出てこないし作物なんて実らない。


だから僕たちは攻守を変える一撃を打ち続けるよ。

でも最も重要な打撃は自分を変える一撃かもしれない。


僕たちは乾いた大地から伝説の埋蔵金を掘り出す努力ではなく、自分を変える努力で新しい仕事を生み出すことの大切な意味をもはや知っているはずなんだ。


夜桜






2017年2月25日土曜日

ラララ、よりもジェジェジェ 利己的に生き残る?、利他的に生き残る?

今年のアカデミー賞の有力候補、La La Landの公開が始まった今日、観に行った映画は、「彼らが本気で編む時は、」という日本の映画だ。

妻のたっての希望だったけどいろいろ気づかされることが多かったよね。

La La Landが有力視されているアカデミー賞はここ数年「白すぎるオスカー」と呼ばれるほど人種的偏りが問題になっている。

今回のLa La Landは主演女優、男優は白人じゃないのかな?

実は、トランプ氏が大統領になった際も人種問題が話題になったけど、白人至上主義的な流れがもし本当にあるのだとすれば、アメリカの差別意識は深刻なのかもしれない。

一方、「彼らが本気で編む時は、」のテーマはトランスジェンダー、多様なアイデンティティの存在する社会だった。

そういえばまさにこんなニュースが一昨日流れたよね。

トランプ大統領、トランスジェンダー保護政策を撤回 「自認する性に応じたトイレの使用」認められず

ひょっとすると今日は、差別を公言する空気と向き合う空気が交錯した日なのかもしれないね。

最近の日本映画で僕の記憶に残っているのは「あん」など差別を取り上げたものなのだけど、ひょっとするとアメリカよりも日本の方が文化・芸術レベルにおいても差別を無くそうと向き合っているのかもしれないと、ちょっと考えてしまった。


生き物は有利な生存戦略を取るために、時に利己的で、時に利他的だ。

そして差別も生存戦略の一つであるに違いないけど、社会性が人類発展の基礎にあるのだとしたら、長期的には利他的なテーマに取り組むことが大切なのではないかな。


良い映画でした




何がプレミアム? プレミアムなラベルを剥がそう

昨日はプレミアムフライデーだったらしい。

プレミアムであれば単なる早帰りでなく、普段とは違う極上感が漂って欲しいよね。
早く終わって同僚と一杯、じゃあ、プレミアムってモルツのことだったの?って感じ。

そこで僕なりのブレミアムフライデーを考えてみたい。
もちろん、僕だけのプレミアムフライデーじゃなく、社会的なプレミアムフライデーをね。

では今の僕にとってのプレミアムって何だろう。

一つ目は広告の無い時間だね。

広告って必要な時は有難いのだけど求めていない時は正直うるさい。
最近は、ステルスマーケティングとかインフォーマシャルとか手法も多様化していて、広告じゃ無い顔した広告も増えているからなおさらだ。
お金を払った映画やコンサートでも当たり前のように広告が入るのはもう冗談としか思えない。

二つ目は文化的な生活を満喫したい。

要は、文化人と呼ばれる人のような時間の過ごし方ができるといいなぁという願望だね。
でも文豪がよく行く喫茶店に行ったからといって同じ時間の過ごし方をしているとはいえない。つまり、日頃から文化人としての生活が必要なわけで、月一の話じゃ無いね。

三つ目は野性的な生活。

下町暮らしをしていて憧れるのはやはりカントリーライフだ。
愛犬とともの狩猟をし狩った生命を家族で頂く、なんていうのはその一つ。
他に馬と暮らす、なんていうのもあるけど、いずれもイメージ先行であることは否めないです。


で、ね。こんなことをつらつら考えてみると、プレミアムってやはりつまらないラベルだと気づいた。

貼るよりも剥がしたいラベルだね。

僕にとっては非日常への願望でなく、日常を如何に充実させるのか考えた方が良いし、充実させるためには、決められた月一日の午後をどう過ごすかでなく、自分と社会の関係性を見直すことの方が「プレミアム」と感じるのだ。


プレミアムかも?


2017年2月23日木曜日

自然界にはマッチングが溢れている

美味しい刺身にはやはり日本酒が合うと思う。

中華料理には老酒だよね。

以前、お酒に詳しい友人から聞いた話では、洋風で味のしっかりしたお酒の肴が増えたことで、日本酒も淡麗辛口からフルーティなものに変化しているのだそうな。

改めて言う必要もないのだろうけど、食べ物の組み合わせは自然と収まりが良い方に向いていくのではないかと思う。

こうした収束は、僕たちの内側に自然と持っているものだ。

子供の遊び方も性別で自然と違ってくる。

もちろん、社会が刷り込む影響も大きいのだけど、神秘性への目覚め同様、「何か」を見つける能力と、見つけられたモノにはマッチングが存在しているのだ。

例えば自分も含めてだけど、飼い犬と飼い主はよく似ている気がする。

見た目もそうだけど、運動能力やライフスタイルなどにもマッチングがある。

結局、無限にある組み合わせの可能性から一つの組み合わせを作る為に人は脳の大部分を使っているんじゃないかな。

パズル脳じゃないけど、無意識にずーっとマッチングを探っているから、実際にマッチするものに出会うとビビッとくるっていうわけ。

もしかしたら「人」だけじゃないかもね。

で、ね。なんでこんなことを考えているのかと言えば、昨晩食べた刺身が美味かったからであって、配属の検討ではありませんよ。


ウマヅラハギを肝醤油で!


2017年2月22日水曜日

鬼は外、福は内 もしくは鬼は内、福は外

組織で仕事をしているとどうしても主流、反主流みたいな構図が生まれるよね。

で、主流の考えは「鬼は外、福は内」だ。

つまり、仲間が一丸となって外に向かっていくことを考える。

一方、反主流的な立場の考えは「鬼は内、福は外」だね。

組織では酷い仕打ちにあっていて、そんなところに長居してはいけない。組織を離れる方が幸せなのだ、とね。

そういうのも含めた全てが組織であり、もちろん善し悪しはないのだけど、組織を離れてしまえば貢献はできない。

出来ることと言えば、せいぜい、口コミサイトに悪口を書き込むことぐらいだ。

で、ね。マネジメントとして組織の内で貢献する人と、組織の外に出る人とどちらに信頼を置けるのだろうか。

その問い自体が対立の構図を生むこともわかっているのだけど問わずにいられないのだ。


福は内?



快適ゾーンって本当にあるの?

誰でも成長したいと思うよね。

でも、皆、自分の快適ゾーンから出たいかといえば別問題だ。

快適ゾーンとは何か、はこちらのページへどうぞ。

快適空間、背伸び空間、混乱空間・・・あなたが今立っているのはどの空間?:学びとリスクの微妙な関係 


さて、快適ゾーンから抜け出せない自分を認めて欲しいという欲求も誰にも少なからずある。

まあ、ちょっと頑張れば成果が出せて成長が実感できる時代ならともかく、いくら頑張っても周りも大変でなかなか成長が実感できなくて虚しさを感じるのもよくわかる。

さらに今の時代は快適ゾーンに居ることも大変だったりする。

いろんなところに見えにくい圧力があるからだね。

それをストレスフルな社会と言ったりするけど、社会性の本質は我慢なのだから仕方がない。

学びとはちょっと違うけど、映画館で上映中にスマホを見る輩が居ても我慢、我慢だし、昼食に入った店が分煙になってなくても我慢、我慢だ。

一方、スマホ依存症の人にとっては、二時間スマホを弄ってはいけないというのは我慢だし、愛煙家にとって昼の一服が禁止されるのも我慢だ。

未知のものに出会うことはないけど、何かを学び取らなくてはならない圧力が社会にはあって、全体としての社会性が低まる(構成員の利己性が強まり、利他性が弱まる)とその傾向は強まる。

だから、快適ゾーンから踏み出そうとしない人もどこか辛そう。

それらは本来快適ゾーンであって欲しいけどそうもいかないのだ。

こう考えると社会とは、快適ゾーンのゼロサムゲーム、奪い合いなのかもしれないね。


場所の奪い合い






2017年2月20日月曜日

アナログで磨かれた強さ デジタル化だけではたどり着けない場所

世の中がデジタルに移行する中で一番その影響を受けたのがフイルムメーカーだよね。

事業を支える主力商品の市場が無くなるなんて経営者にとってみればまさに悪夢だ。

カメラメーカーがスマートフォンに市場をさらわれるのも同じ構図だけから、フィルムとカメラを作ってきた会社にとって、デジタル化の波は、まさに津波の破壊力なのだ。

そんな境遇にある会社が「勝ち組」になっている。

魔法を見ているみたいだね。

写真フィルム不要の時代、富士フイルムはなぜ「勝ち組」になれたのか?

記事では、既存の組織能力で新市場を開拓したと書いているけど、富士フイルムの本質は化学メーカーだっていうことを忘れてはいけない。

色々な薬剤を混ぜて反応を起こさせるビジネスだ。

化学反応は、デジタルと異なり、とても繊細で微妙なものだそうだ。

その繊細で微妙な反応をコントロールして、写真フイルムという、さらに繊細な人の感性に響く製品を世の中に普及品として送り出す。

要するに、アナログの極みの世界なのだと思う。

で、ね。富士フイルムは事業の多角化を進めながらもカメラ事業を継続していて、そのカメラの評判がすこぶる良い。

その一番の強みは、アナログの極みを再現できる画像の美しさだよね。

デジタル化だけでは到達できない極みの領域が間違いなくあって、かつて人々はアナログでそこを目指していたのだけど、今はデジタルで極みの領域を目指している。

富士フイルムのカメラを見ているとそんな気がするのだ。


極みの領域を目指してきた者だけが知っている世界の価値に僕たちはもっと気づき、敬意を払うべきだろう。

そうすれば、アナログからデジタルのような手法のパラダイム転換があっても「勝つ」ことができるのじゃないかな。(きっとAI(人工知能)でも同じことが言えるでしょう。)


自然な色






2017年2月19日日曜日

なぜ長時間労働が無くならないのか 働き方改革の本当を考えてみた

最近、希望退職など良い話を聞かないニコン。

そのニコンがフィルムからデジタルに踏み出し成功を収めた時の中心者に当時の話を以前、聞いたことがある。

カメラの中心技術がアナログからデジタルにシフトして一番大きく変化したのが仕事の仕方だったそうだ。

その時聞いた話は大体、以下のようなものだったと記憶しています。

アナログ的仕事スタイルでは、ノウハウは秘伝で時間をかけて熟成させて価値を生むのに対して、デジタル的仕事スタイルではオープンで最新のテクノロジーをいかに早く取り込めるかに価値があって全く異なるものである。

この話は、日本の製造業に根ざしているアナログ的仕事スタイルとグローバルに進展するもの作りのデファクトスタンダードの対比とも言えるよね。

日本の「現場」では、すり合わせのための長時間の会議、終身雇用、一人前に10年、規定・規則・マニュアル作りと、ひたすら秘伝のレシピを熟成させることに専念している。

一方、デジタル的仕事スタイルではネットワークに点在するタレントやナレッジを弱い繋がりで引き寄せることに力が注がれていて、MOOC(Massive Open Online Course )など教育のレイヤーから仕組み化が進んでいるのだ。

オンデマンド、ソーシャル、ストラクチャルホール、トランザクティブメモリーといったキーワードはネッワークを最大限活かすキーワードだよね。

では、「労働時間」で考えるとどうだろう。

アナログ的仕事スタイルは、時間を掛ければ掛けるほど価値が高まる。

一方、デジタル的仕事スタイルは、最短の時間で価値を生み出すのが目的だ。

「時間」に対する考え方は180度違うのじゃないかな。

さて、このように考えてくると、最近問題になっている「長時間労働」はアナログ的仕事スタイルに原因があるように思えるけど、本当にそうなのかは疑問なんだ。

というのも、人は価値を生み出すために自らを鍛える時間が必要だ。

結局、デジタル的仕事スタイルでいいとこ取りしようとしても、「いいとこ」はアナログ的仕事スタイルから生まれてくるのだ。

世の中がデジタルにシフトしても日本の製造業が強いのはそこだよね。

自分の仕事が大好きな人は、自分が長時間労働だなんてあまり考えないし、むしろ時間管理され残業時間を制限された方が苦痛です。

「いいとこ」は趣味が仕事的なモチベーションを苗床としているのだね。

そして、個人的には「働き方改革」は、「いいとこ」を生み出す人になるのか、「いいとこ取り」をする人になるのか自ら選択しその道に励むことを迫ることになる気がする。

「いいとこ取り」をする人は長時間労働から解放され、「いいとこ」を生み出す人は「長時間労働」という概念から解放されるのだ。


アナログは美味しい



2017年2月18日土曜日

ロングテールの発信が誰かの権利を密かに侵す

昨日、病院の待合で診察の順番を待っている時、テレビで「飼い犬が死んだので会社を休むのはありかなしか」みたいな放送を行なっているのを見た。

最近、愛犬を亡くし、しかも会社を休んだ身としては、「あり」しか考えられないのだけど、放送を見てちょっと怖いなと感じたよね。

というのも、先日、「社会人としてあり得ない有休の理由」という記事が批判で炎上したばかりなのに堂々と同じ類の話を放送で取り上げる無神経さが酷いからだ。

個人的には休む、休まなないは当人の自由だし、その結果に対する責任を最終的に取るのは当人なのだから、周りが騒ぐことじゃないと思う。

最近話題になっている若手女優の引退劇でのカンニング竹山氏のコメントが的確で感心したけど、選択の自由と自己責任の原則で考えれば極めてシンプルだよね。


さて、人の関心を引くために他人の権利を否定することは珍しくない。

松本サリン事件で被害者だった河野義行さんがあたかも犯人であるかのように扱われた出来事などはその実例だけど、他者の権利の侵害はマスコミという業界に限った問題ではないでしょう。

今日では、誰でも自己主張によって他者の権利を脅かすリスクを持っている。

特に、SNSなどの普及で誰でも発信出来るようになったことでリスクが増大している。

より多くの人に到達すると侵害は甚大だ。

で、ね。多くの人に情報を届ける仕事を60年以上、生業としてきた事業者が未だに受け狙いの二元論に歯止めを掛けられない現状にあって、SNSでのロングテールがどうやって他者の権利を守れるのかがわからない。

トランプ大統領はロングテールじゃないかもしれないけど、1個人として見た時、このリスクを強く感じるよね。


二元論?



2017年2月17日金曜日

世界でたったひとつの「特別」な私、に納得してしまうわけ

僕は自分のことを超人だとはまったく思っていない。IQが40000あるわけでもないし、魔法も使えない。

でも、僕たちの心にはタレント願望、超人願望が巣食っていて、僕だって映画を見ればスーパーマンやジェダイの騎士に憧れちゃうのだ。

要するに誰でも自分だけが特別であったり、特別な力を持っているという話が好きなんだ。

「恋愛マンガ「1万ページ」統計分析した男・・・」という記事の中では女性向け恋愛マンガの王道を分析しているけど、そこにも「特別な自分でありたい」という願望があるようだね。

心理学者ジェシー・ベリングは研究から子供が「神秘的なものを自然に信じること」を見出したけど幼少期の神秘性への目覚めは「特別な存在」の出現でもある。

そして僕たちの心理にはストレスに対抗するための防衛機制という働き(投影、同一化(同一視))があると言われていて、世の中には「特別な存在」が居て自分がそれであると考えることにあまり違和感を持たないのだね。

だから、映画や漫画でありえない超人が描かれても平気で受け入れてしまう。

この「特別」を生み出し、同一化しようとする心の働きは「正義」という倫理感にもどこか影響を与えているのじゃないかな。

例えば、「自分こそが正しい」という根拠のない信念なんかはどうも怪しい。

一方で「謙虚な人」はこの心の働きをコントロールできる人だと思う。マザーテレサの以下の言葉は見事にそれを表していると感じるけど、どうだろうか。

 You see, in the final analysis

    it is between you and God;

         it was never between you and them anyway









2017年2月16日木曜日

焼き餃子に潜む幸せのすがた

焼き餃子って不思議な食べ物だ。

多くの人が好きだけど、高級店よりも近所の中華料理屋の方が美味しかったりするのだもの。

更に、水餃子より焼き餃子の方が絶対旨いのに高級店ではあまり焼き餃子を見かけない。

焼き餃子は庶民的と言ったらわかり易いかもしれないけどラーメンが不味い店でも焼き餃子は美味しかったりする。

以前食べた焼き餃子で一番いただけないのはなぜかアンが甘かったやつだけど食べられないことはなかったね。

そこから思ったのは、主役はアンじゃないって言うのが僕の意見。

じゃあ、主役は何?、と考えると熱々さと皮のパリパリ感だと思う。

冷えてぶにゃぶにゃの焼き餃子ほど不味いものはない。

そう考えると、近所の中華料理屋の餃子が旨いのは、焼きたてがすぐ出せる距離に客が居るからなのじゃないかな。

一方、高級店のように調理場が遠くなればなるほど餃子は美味しくなくなるのかもしれないし、高級店はそれを知っているので焼き餃子を出さないのかもしれない。


焼きあがった餃子をヘラですくって皿にひっくり返してそのまま客に出す。

この手際と素早さが餃子の味そのもので、狭さと手際の勝利だよね。

で、ね。先日行った亀戸餃子。

この店は、とても狭い。

さらに食べ物は餃子しか出さないらしい。

しかも、座ったらノルマは2枚と餃子は注文する必要もなく、ストップと言わなければバンバン出てくる。

素早さと手際のために最適化されているのだ。

美味しさと人気の秘訣を垣間見た気がしたけど、食べている人は皆、幸せそうだったね。

もちろん僕たちも幸せだ。

熱々とパリパリの幸せは、ピザなんかもそうなのだけど、人との付き合いでもそんな感じの時があるね。

今、まさに考えている尖ったことをぶつけ合う時ほど楽しいことはない。

結局、幸せとは心地よい刺激によってもたらされるものなのかもしれないね。


ひっくりがえっていてもお構いなし。でも美味しいのだ。





2017年2月15日水曜日

ああ「協調」の掛け違い

「協調」を一番に考える人と、「協調」が必要と考える人の違いは結構、深刻だ。

なぜなら、「協調」を一番に考える人は常に自分は「協調」が足りていないのではないかと考え、「協調」が必要と考える人は自分がどれだけ「協調」に取り組んだかを考えるからだね。

もう少しわかりやすく言うと、まず皆のこと、次に目的を考えるのか、まず目的を、次に皆のことを考えるのかの違いです。

前者で起こりがちなのが目的の軽視だし、後者で起こりがちなのがメンバーの駒扱い。

そして相互理解がなかなか進まないのだ。

で、ね。その違いを意識せず「協調が大切」と言っても始まらない。

だって、そもそも両者とも「協調は大切」だと思っているのだからね。

同じことを言っていても人によって意味が違うのは「協調」だけじゃないけど、組織や社会においては「真の協調」はやはりとても重要なテーマだと思う。


やはり東京タワーとスカイツリーは違うのだ

2017年2月14日火曜日

内定者も認知的不協和と戦うのだ

こうすると決めた後になんだかモヤモヤする。

特に決めたことに関してネガティブな情報に触れるとザワザワする。

これが認知的不協和だね。

例えば、車のカタログを一番よく見ているのは、購買前じゃなく購買後だと言われるけどそれは認知的不協和を解消するためなんだよね。

そして、同じことが就活を終えた内定者にも起きているらしい。

この時期、内定を承諾したものの、本当にこその会社で良かったのか、仕事についていけるのかと程度の差こそあれ不安になっている学生は少なくない。

経験者からしてみれば、「あー、そんなことあったなぁ」くらいのものだけど、当人にしてみれば結構深刻なのだ。

なかでも特定の条件で応募を絞った就活生ほどその傾向が強いみたい。

意を決して高額な車を買った人ほど本当に良かったのかと考えてしまうのと同じだ。

で、ね。結局は自分の決断を信じるしかないよね。

だって、考えれば考えるほど葛藤は深まるものだから。

一番いいのはネガティブな感情と向き合うことで認知的不協和を外化、つまり取り出すことでしょう。

その時は不安な気持ちを取り出すのではなく、不安な気持ちの背景にある葛藤を取り出すことがポイントなんだと思う。

葛藤も含めて自分の決断を確認すれば再び強く前を向くことができるのだね。


ライトアップ





2017年2月13日月曜日

さあ、踊ろう! シアワセノスガタ

幸せな時に踊る。

これは人間だけじゃないよね。

「踊る」って、心の弾みが身体の弾みとなって現れるみたいにじゃない?

心が弾んで身体も弾んでいる時、生き物は間違いなく「幸せ」を感じている。

「幸せ」を科学する必要なんて感じられない、まじで幸せなのだ。

さて、幸せだから「踊る」のと踊ると「幸せ」になるのはちょっと違う気がするね。

ミラーニューロンの効能で、他人が幸せで「踊っている」のを見ると幸せを感じられるけど、自分が踊っても必ず「幸せ」であるとは限らない。

感情でなく思考から生み出される踊りは、どこかに憂いが漂ってしまってる。

それは芸術として感性に訴えるものではあるけれど、動物に備わっている「幸せ」じゃないのだ。

で、ね。何回か「裸踊り」という動画を通じてフォロワーのことを取り上げているけど、真のフォロワーとは、幸せで「裸踊り」する人のことだよね。

そこでこの問いが生まれるのだ。

あなたは幸せな時踊っていますか?
あなたの幸せはリーダーを支えていますか?

この問いは自分の中の感情と思考の対立や矛盾を明らかにしてくれるのかもしれない。


自然と踊る

2017年2月12日日曜日

雰囲気の正体 正しいことを伝えるよりも雰囲気を正しく伝えること

アルバイト程度しか働いたことがない学生もやがて会社を選ぶ。

カフェラテみたいにカップの底は見えないけど決めるしかない。

だから値段とかカップの形とか見える部分を気にする。

でも、彼らが一番好きなのは描かれたラテアートだったりする。

フィーリングを大切にするのが彼らの流儀だ。

ウンチク好きはコーヒー豆や入れ方を競うけど心を動かす決め手は雰囲気なのだ。

実際、会社選びは、教育制度や福利厚生、給与よりも働く人の雰囲気が一番重要視されている。

多くの企業の採用ページを見れば、社員が皆笑っている。

まるでラテアートだ。

しかし、ラテアートの下はドロドロとした苦い世界でもある。

世の中、ドロドロした苦味の中の強く惹きつけられる旨味を知っている人はあまり多くない。

そして知らない人にその旨味を伝えることは難しい・・・。


結局、旨味を知らない人たちの心を動かすために必要なのは、ラテアートのごとく雰囲気を、できれば正しく(そうでないとしっぺ返しを食らう)伝えることなんだ。


八葉の蓮華を踏むの心なり




2017年2月11日土曜日

ルールは管理のため?挑戦のため?

組織には様々なルールがあるよね。

例えば働き方改革で改めて見直されているテレワーク。

多様な働き方、特に育児や介護など止むに止まれぬ理由で通勤出来ない人の就労を助ける在宅勤務が発展し、その後、満員列車での通勤などを回避し快適に勤務するリモートオフィスなどに広がったと理解しているのだけど、企業が兼業を認め始めている中でテレワークは個人にとっては高度なスキルを発揮するチャンスを増やすルールだと思う。

そして、これだけネットワーク環境も整っているのだから導入、運用で障害になるのは「やはり仕事はフェイストゥフェイスだ」という固定観念や、テレワークでは仕事で手を抜くのではないかという猜疑心だね。

要するに、仕事は誰かが管理するもので常に対面が必要という仕事観によってルールの運用は大きく影響されるのだ。

この視点で考えると、組織におけるルールは管理者の安心のために運用される場合と、メンバーに挑戦を促すために運用される場合があることに気づけるよね。

でもよく考えてみれば、業務委託では、常時対面していなくても仕事はちゃんと進むし、成果がはっきりしていれば挑戦による成果も手抜きもわかる。

結局、ルールは組織内の仕事をやり易くするための手段として用いるべきで、うまく機能しないとしたらそれは人間関係の悪さに原因があるんじゃないかな。


ルールを決める