2017年1月30日月曜日

内省で己を悟り、経験で自信を培う

自分は自分が思っているように出来ているのだろうか。

ちょっとした思い上がりに気づいた時、人は己を本当の姿を見ようとします。

例えば、我流で役割を果たしていた管理職の人が本来のマネジメントとはどのようなものかということを考えることで自分のマネジメントの意味づけが変わります。

要するに、自分はまだまだなんだ、と悟るのですね。

それによって、今までと違う選択と行動を発揮することができます。

一方で、自分の姿をいくら見ていても自信は生まれません。

自信は、いつもの自分よりも少し意欲的に取り組みそして達成した時に獲得されるものです。

心の惑いから生じる「根拠なき自信」というのもありますが、自信は普通、経験と手応えを通して得られるのです。

鏡で自分の姿を見る謙虚さと目を外に向け一歩踏み出し経験を積む意欲。

両方とも常に意識したい習慣ですね。


見つめる?踏み出す?

2017年1月29日日曜日

けっこう毛だらけ 

休みの日はフィン・ユールのソファーに身も心も委ねてしまう。

そんな過ごし方が今の僕たちのスタイルだ。

このソファーは1953年にデザインされたもので、体をしっかりと受け止めてくれる芯のある座り心地に惚れ、あちこち探して日本でライセンス生産されているものを手に入れた。

鹿の角のような曲線を持つ肘掛と座りを誘うフォルムも格別だけど、浅い眠りに引き込まれて首が傾いでも体が痛くならない使い勝手も忘れるわけに行かない。

こいつは今の僕たちの暮らしを魅力的に彩っている。


愛犬ルークも多くの最後の時間をこのソファーで過ごした。

と言っても、彼がソファーで過ごす時は、僕や妻に抱かれていたので彼がソファーの座り心地を直に知ることは無い。

ルークはこの家に来た時、すでにソファーに登らないよう躾けられていたのだ。

だから僕らが眠るルークを抱き抱えて座るのだけど、病気で大人しく抱かれているようになったここ5ヶ月ほどで彼もその至福の居心地を堪能したに違いない。


ジャックラッセルテリアは都心の部屋で飼うにはあまり都合のいい犬じゃない。

運動能力が高く、走り回ったり飛んだりするのが好きだ。

そして毛がよく抜ける。

毛は寝床だけでなく、部屋一面に広がり、そしてフィン・ユールであろうとも許してはくれない。

こうしてソファーの掃除が僕の新しい習慣になった。


僕たちが選んだソファを覆うデンマークのファブリックはルークの毛を捕まえたら容易に離さない。

掃除機はもとより、ブラシでも歯が立たないから、使うのは「毛抜き」である。

一本、一本、根気よく布からルークの毛を抜くのだ。

一心不乱に毛を抜く作業には何かの儀式を執り行うような不思議な魅力がある。

それが何の儀式なのかと言われても思いつかないけど、フィン・ユールのギフトに対して敬意を払いたいのかもしれない。


ルークが亡くなり、部屋に新たな毛が広がることも無くなった。

フィン・ユールのソファーに新しい毛がつくこともない。

そして僕は毛を抜くのを止めた。

ファブリックに絡んだ毛は、ここでルークが僕たちと暮らした証なのだから。


僕らの場所



2017年1月28日土曜日

愛犬を亡くして8日目の出来事

ペットロスを癒しに妻と外に出た。

昼は銀座の「つばめグリル」で赤ワインを嗜みながらつばめ風ハンブルグステーキで腹を膨らませ、もうすぐ取り壊されるソニービルのIt's a Sony展を見る。


テレビ、テープレコーダー、ウォークマン、ビデオなど金属の塊からは懐かしさとともにあの頃の自分を感じてしまう恥ずかしさが漂ってきた。

あの時代の僕たちは、恥ずかしさを勢いで乗り越えていたんだ。


少し酔ったその足で、見知らぬ犬に会う為に有楽町線銀座一丁目の深く長い階段を降りて、少し混んだ電車に乗り込んだ。

季節外れの暖かさのせいか、電車の中にはどことなく緩んだ空気が漂っている。

豊洲にある都心にしては大きなショッピングモールのペットショップには相変わらず飼い主を待つ子犬たちが並んでいる。

その場所ではあまり見かけないジャックラッセルテリアは僕たちが先週見送った犬なのだけど、何故か今日に限ってそこに居た。

寄ってきた店員は僕たちの手に消毒剤をかけると生後2ヶ月の子犬を抱かせる。

僕たちの愛犬を失った悲しみを知ってもは彼は売ることを止めようとしない。

「この子は可愛いけどルークじゃないし、代わりにしちゃいけない」
僕が呟くと妻は
「子犬は覚悟が必要なの」
と応える。

子犬を返して外に出ると知らないアイドルたちの歌で賑わっている。

僕たちの悲しみと関係なく世界はいつも賑やかだ。

屋外に併設されたドッグランで走り回る犬たちを二人で眺めていると、ジャックラッセルテリアを散歩させている女性が目に入った。

トイプードルが一大勢力のここのエリアでジャックを見るのは珍しい。

二人でジャックをじっと見つめていると彼女は何かの感じたのか近づいて話しかけてきた。
「中に居るんですか?」

一瞬、僕らは顔を見合わせた後、妻が彼女に真実を伝える。
「実は先週、飼っていたジャックを見送ったの」
「そうだったんですか。何歳だったのですか?」
「16歳よ」
「すごいですね」
「この子はどのくらいかしら」
「5ヶ月です」
「やっぱりやんちゃ?」
「ええ、すごく」
「ジャックはすごいよね」
「そこが可愛くて」
「そうよね、そこが可愛いのよね」

そして妻が
「留守番はどうするの」
と聞くと彼女は
「仕事をしているのでケージに入れて留守番させていて・・・」
と申し訳なさそうに犬に目線を送った。

同じ種類の犬を飼っている(正確には、僕たちは過去形なのだが)だけでどうして人はこんなに無防備に親しく話すことができるのだろうか。
彼女が電車で隣の席にいたとしても話をすることは無いのに。

僕は妻と彼女の犬を触りながら、会話を聞いてそんなことを考えていた。


彼女と彼女のジャックと別れた後、僕たちはもう一度、ディスプレイケースに入ったジャックを横目で眺めて小春日和の豊洲を後にした。












2017年1月27日金曜日

嗅ぎつける力が嫌われるのは何故だろう

アメリカのトランブ大統領を見ていると、多くの人に嫌われているのはよくわかるよね。

まあ、彼の発言を見ていると嫌われるだろうなぁとシンプルに思ってしまいます。

ただ、支持する人も居るし、嫌われるということは逆説的には結構、痛いことに言及していることの証とも言えるのではないでしょうか。

ブレインの差し金かどうか知らないけど、彼には痛いことを嗅ぎつける力があるように思います。

さて、嗅覚鋭く、人の弱点や怒るポイントを見つけてしまう人がいます。

その才能を持った人は、ズル賢く立ち回ったり瞬間的に相手を怒らせたりする傾向があるのではないでしょうか。

トランプ大統領はまさにそのタイプですね。

ある意味、とても高い生存能力なのですが、そもそも生存能力を高めるための、他者よりも優位に立つ術であると捉えた方が良いのかもしれません。

故に、謙虚、誠実、公正、公平を是とする人にとっては受け入れ難いのでしょう。


嫌われない力



2017年1月26日木曜日

心のフィールドと体のフィールド 人にはあなたの苦労がわからない

パソーナリティ特性には一貫性があって、人の行動を予測可能たらしめています。

そしてパーソナリティ特性はいくつかの傾向性で理解することができる、すなわち、近さ遠さを平面上に表現することができます。

さて、サッカーのフィールドをイメージし能動的な特性をフォワード、受動的な特性をディフェンス、そして自分本位な特性を左サイドと他者本位な特性を右サイドとするとパーソナリティ特性をポジションとして理解できます。

そして、人はそれぞれ自分の得意なエリアを持っているのです。

得意なエリア=一貫性ですね。

さて、実行動のフィールドを「体のフィールド」とすると、人には内面のフィールド「心のフィールド」があります。

そして、どうやら人は「心のフィールド」では「体のフィールド」よりもはるかに広い範囲をカバーしているようです。

つまり、ある時はフォワードとして攻撃的に、ある時は右サイドバックとして他者の貢献するなど、自由にフィールドを駆け巡っているのです。

ところが「体のフィールド」では、「心のフィールド」のようにダイナミックに動いているように見えません。

他者からは同じエリア、すなわち得意なエリアの中で活動しているように見えるのです。

「心のフィールド」では自分の得意不得意を超えてダイナミックに挑んだり、守ったり、主張したり、合わせたりしてかなり無理も苦労もしているのに、他者からはそれが理解されず、変化や成長が見られないと思われてしまう。

これは、当人にとってなかなかしんどい状況であることは間違い無いでしょう。

そして「他者を承認する」とは、その人の「心のフィールド」の動きを知り、敬意を表すこととも言い換えられるのかもしれません。


あなたのフィールド

2017年1月25日水曜日

で、コミュニティって結局なに?

バーチャルコミュニティの登場後、「コミュニティ」の本質が問われているように思います。

リアルコミュニティでは、例えば町内会の餅つき大会みたいに地域や職域のつながりの中でイベントなどを通じて場を共創(みんなで作り出す)するイメージが強いです。

一方、バーチャルコミュニティでは、イベントで集まるときは「オン」ではなく「オフ」会と、本来はただ緩やかにつながっていながら場を共創しています。

また、ソーシャルネットワークでの弱いつながりの中に特定のテーマや人の出現など何らか引き込み現象が起こるとコミュニティが突然出現するように、バーチャルコミュニティは神出鬼没でもあります。

さて、今、参加している「ドコノコ」というSNS上のコミュニティはとても優しい場です。

愛犬や愛猫の写真・動画を投稿するサイトなのですが、愛犬が亡くなれば共に痛みや悲しみを共有してくれて攻撃されることはありません。

一方でその対極にあるのが口コミ系のサイトですね。

どんな意図があるのかわかりませんが、ひどいレビューを書いて参加者をわざと怒らせたりする人が必ずいます。犯罪者で言えば愉快犯みたいな人です。

しかし、そのような人もコミュニティの参加者に違いありません。

口コミ系コミュニティと「ドコノコ」の違いは、モラルというより真剣さ、純真さの欠如であるように思います。

この理解がもし的を射ているとしたら、職場はどちらのコミュニティなのでしょうか。

相手を怒らせても当たり前の人がいるコミュニティでしょうか。お互いの喜びや悲しみを共有し労わりあうコミュニティでしょうか。

このことを考えると、とても複雑な気分です。


素敵な贈り物を頂きました

2017年1月24日火曜日

楽しいことだけじゃ成長できないって本当ですか?

趣味を仕事にできたら常に前向き、能動的に働くことができて良いですね。

さて、このように言うと意外と多く出てくるのが、「成長は苦しみを伴うもの」という仕事観です。(今日の社外とのランチMTGでもその意見が出てきました。)

そこには「楽しい仕事だけでは成長できない」という意味が含まれています。

この仕事観を持つ人がよく引き合いに出すのが「若いうちの苦労は買ってでもせよ」と言う格言ですが、この仕事観には大きな問題が潜んでいると思います。

それは「苦労の押し付け」を正当化する危険性です。
みんなも大変なんだからと言う開き直りや、自分も若い時に苦労したのだから・・・と言った苦労自慢で苦労の転嫁が行われるのです。

「鬼十則」なるものも似た匂いがします。

さて、楽しくても楽じゃないのが「仕事」です。
楽しくない「仕事」も「仕事」です。

「仕事」とはアウトプットを誰かに渡すことであり、受け手にとって必要とされるもので無くてはなりません。

上手なアウトプットを上手に出すことが「生産性」であり「仕事」をすることなので「楽」はできません。

そして人は「楽しいこと」であれば「苦労」があっても挑めるものです。

一方でネガティブに意味づけされた経験は回避傾向を生むので楽しくない「仕事」は先細りします。

ゆえに「この仕事は自分にとって何か意味があるのではないか」という「仕事」の意味づけが必要なのでしょう。

また、「仕事」に意味を見つけられない人の多くは自分の人生の意味にも迷っているように感じられます。

自分探しと仕事探しが苦しみとともにどこまでも続くのです。

仕事をさらに楽しくすることができる、仕事を楽しむ工夫ができるようになることが「成長」につながっているのではないでしょうか。


石の上に何年?

2017年1月23日月曜日

仕事とは非日常の世界?

ルーク(愛犬)が亡くなって、所謂ペットロスです。

突然泣けるし、寂しいし。

ところが、いろいろな問題を抱えた職場に行くと何だかそれどころじゃない感じになります。

ひょっとしたら、仕事はペットロスを忘れさせてくれる場所なのかもしれません。


辛い出来事を忘れさせてくることは、世の中にたくさんあります。

ディズニーランド、コンサート、温泉、カラオケ、お酒などなど。

それらに共通するのは「非日常」です。

日常からかけ離れた世界に身を委ねることで辛さを忘れることが出来るわけですね。

しかしながら、仕事の中の辛い出来事も沢山あります。

例えば、経営者としての辛い出来事としては、期待をかけていた人材が退職してしまうことなどもそうです。

「非日常」でありながら「日常」でもある。

仕事で気づきが多いのはそれゆえなのかもしれません。


ルーク じゃないよ 手の影だよ


2017年1月22日日曜日

幸福の因子から「幸福」の実像を知るために必要なことを考える

以前の写真を整理していたところ、2013年の資料が出てきました。

それは、慶應大学大学院SMCの前野教授が「幸福とイノベーションの関係」というタイトルで行った講演の資料です。

その講演の中で、前野教授はアンケート結果を因子分析し設定した幸福に関わる4つの因子を披露されていました。

その4つは、
1.「自己実現と成長」:目的を達成するための自己成長と自身に向か特徴のある因子
2.「つながりと感謝」:感謝傾向と他者に向かう特徴のある因子
3.「楽観性」:楽観的で精神的に安定している因子
4.「人の目を気にしない傾向」:自己を確立し他者と比較しない性質
でした。

内面の強化・拡張、外部との良質な連携の中で人は幸福を感じるというものですね。

幸福感は人によって大きく違います。

そして、世の中にはなんとなく幸福感は高い方が良いものであるという価値基準があります。

確かに誰でも「幸せ」であることは望ましい状況でしょう。

しかし、「幸せ」も多様であるはずです。

例えば、人間以外の生き物にも「幸せ」はあるですが、それらの「幸せ」はどう測れば良いのでしょうか。

また、厳しい境遇や環境でも「小さな幸せ」はたくさんあります。

となると、前野教授の幸福感の4因子をより広く実感に合わせるためには生き物と社会のより深い理解が必要となるのでしょう。

つまり「因子」を活用するための「辞書」が欠かせません。

例えば、生き物であれば目に宿る感情を正しく理解することが必要なはずです。

脳波から科学的に分析することも可能かもしれませんが、多様な生き物の多様な幸福感を効率的に測定するには、より手軽で直感的に用いれる手段の方が大切だと考えます。

社会の理解に欠かせないのは、マジョリティの共通項だけでなく、一人称のストーリーとその繋がり(ネットワーク)であり、そのためには自ら多様なネットワークに参加しなければなりません。


要するに複雑なものを単純化するのでなく複雑なまま理解することと、理解と「因子」の接続を多数準備する必要があるということではないかと思います。


福は7つの七福神 





2017年1月21日土曜日

ルークから学ぶこと

4年8ヶ月一緒に暮らした愛犬ルークが昨日息を引き取りました。

昨年の夏に体調を崩し、腎不全であることがわかってから闘病生活を送ってきましたが、ついに別れの日を迎えることになりました。

さて、ルークと暮らしてみてすごく多くの気づきをもらい、内省も行いました。

今日はそれについて考えてみます。

ルークの性格は、
1.好奇心旺盛
2.本能に従順
3.記憶力は高く執着するけど切り替えが早い
4.そして根に持たない
5.人や犬が好き
6.けれど媚びない
7.ブレない
といったところでしょうか。

その瞬間、瞬間を精一杯生きる、まさに一日一生のような印象です。

我が家に来るまでは大変なことも多かったようなのですが、拗ねたりいじけたりすることがありませんでした。

拾い食いを止めて噛まれたこともありますが、その後もそれまでと何も変わりなく散歩していました。

一方、人間は、受け身であることが多く、損得で考え、出来事をいつまでもネチネチと引きずり、理屈で人を理解・説得しようとし、その結果勝手に敵味方を作り、迷ってその場その場でブレていくことが少なくありません。

要するに、全て自分の問題なのに、他者のせいにしながら勝手にイラついているのです。

でもルークにはそう言うところがありません。

犬だから単純なのでなく、環境とともにシンプルに生きるスタイルを持っているのだと思います。

そしてそれはとても示唆に富んだ生き方であるでしょう。


ありがと、ルーク


投げ出さない人は幸せを手に入れ易い?

終身雇用が前提の時代、転職経験はネガティブなものでした。

離職の原因が探られ、力が足りず投げたしたからではないか、何か問題を起こしたのではないかと疑われたわけです。

今日の日本社会は職業選択の自由も根付き気軽に転職をする人が増えていますが、中には会社に強く貢献し帰属する意識を持っている人もいます。

これも一つのダイバシティなのでしょうが、簡単に投げ出しても良いという意識は、「キャリア」の現状と本人の幸福感を見るにあまり良い結果に結びついていないようです。

「キャリア」の現状で言えば、良い結果でないのは、転職をする度に収入が減る人が多いということです。

これはまだまだ、日本社会は終身雇用的な価値観と制度が生きているからかもしれません。

本人の幸福感で言うと、定年退職者の幸福感が下がるように、特定の組織に帰属していることと幸福感に相関関係があることが研究されています。

マッキーバーはコミュニティとアソシエーションの関係を論じましたが、それくらい組織は社会的な存在なのです。

故に、特定の組織に帰属しないことは社会的側面において個人の欲求に欠乏感を与えるのではないでしょうか。

逆説的に、投げ出さない人は、収入、帰属両面において幸福感を得易いのかもしれません。


幸福です



2017年1月19日木曜日

組織の中の「おしゃべりなローングテール」とマネジメントの課題

過日、法政大学長岡教授から、慶應SFC熊坂教授の「おしゃべりなロングテール」ご教示頂き、とても興味深い話だったのでネットで調べて見た。

”ソーシャルメディア上でさまざまなことを発信し、小さくつながるコミュニケーションの連鎖で構成されるコミュニティ。それらが無数に散らばり、ダイナミックに新しい様相を見せるのが、「おしゃべりなロングテール」です。”(【熊坂賢次氏×武田隆氏対談】(後編)時代を読みとるカギは“おしゃべりなロングテール” より)

それは、サイレントマジョリティは過去の産物で、今日においては「発信と小さくつながるコミュニティ」が社会文化現象を理解するうえで重要だとの指摘です。

さて、組織に目を向けたとき、Lineや各種メッセンジャーが特にインフォーマルなコミュニケーションでの主役となっています。

まさに組織でも「発信と小さくつながるコミュニティ」の状態になっているのです。

特徴は、徒党を組まず、複数のコミュニティに参加する「個人」の存在ですね。

各ノードは個人主義的なのだけど特定のフックで繋がるネットワーク構造の働きを理解するのは困難です。

ネットワークは実際に機能するまでその働きがわからないからです。

例えば、マネジメントの対象であるAさんとBさんとCさんが居たとき、AさんとBさんの仲が良く、BさんとCさんの仲が良かったとしてもAさんとCさんは反目しあっているというケースがごく当たり前になります。

このような人間関係は組織においてある程度見られる状況ですが、それが、SNSによってより強力でかつ見えにくくなっているでしょう。

マネジメントの課題は、このような状況で "Get Things Done Through Others"、他者達の力を通じてコトを成し遂げなければならない、ということですね。


実は密かに個別に繋がっている



2017年1月18日水曜日

遠慮と我慢で不満が爆発? 社会性の本質が抱える爆弾

社会性の基本は我慢にあると著書「拡張する脳」の中で藤井直敬氏は述べています。

また、幼児期に見られる協調行動や利他的行動が思春期に抑制されること、本当の賢さはチャンスを窺い我慢をしている弱者に宿っていることも洞察しています。

この考え方を前提に、社会の出来事を見てみると気づきがあります。

まず、我慢を通じて協調や利他に取り組む人々と、堪え性が無く自己中心で利己的な人々がいることはすぐわかります。

例えば国家レベルで見ても、自分を常に正当化して紛争の火種を焚きつける国に対して、相手を尊重し協調しながら問題を解決しようとする国があります。

前者は往々にして「大国」と言われる強者もしくは強さを顕示したい国であり、後者はそれほど大きな国ではないものの賢さで国際社会に貢献する国ですね。

さて、本当に賢ければ争いを避け、実を取るのでしょうが、最近の風潮は強さを顕示したがる国のトップが多いようです。

一方で、協調、利他のために遠慮や我慢をしてきた国でも国民には不満が蓄積していることも見て取れます。

やはり、協調や利他的行動はストレスが溜まりやすいのです。

スポーツや芸術にはそう言ったストレスを浄化する効果もありますが、強さを顕示したい国はドーピングなど、やはり自己中心的でなかなかストレスは解消されません。

こうして社会は不満を溜め込んで行くものなのかもしれません。

そして、おそらく会社も同様ですね。


協調する





2017年1月17日火曜日

マーケティングを読み解く

マーケティングといっても様々なアプローチがある。

しかしその本質は、消費行動を解明して商品開発や販売計画、広報活動に生かすことだ。

解明においては大別してユーザー理解と商品(サービス)理解があるのだけど、商品(サービス)理解は、サイズなど各種スペックであらわされるように数字で客観的に捉えやすい。

一方、ユーザー理解は様々な観点が、定性的や感性的な情報であり測ることと表現することが難しい。

重さ6キロの重さは想像できるけど「高級品志向」60%とか言われてもよくわからない。

結局、「ああ、あんな感じの人だね」とイメージで一致させることになるわけだね。

つまり、ユーザー理解とは、多くの人が抱いているイメージを言語化する作業とも言い換えられる。

さて、言語化にはイメージの表象による「好き嫌い」や「良し悪し」といった要素が入り込むから厄介だ。

例えば「秋葉おたく系」と言った瞬間にある種の評価が含みこまれてしまう。

皆が感じていること掘り起こして共鳴させるうえでポジティブな表現ばかりというわけにもいかない。

だからマーケティングを読み解くには、背景、文脈、皆の中に蓄積されているイメージを知っていることが大切なのです。


結露の向こうに何がある?







2017年1月16日月曜日

「一生一日」なんだと改めて思う

比叡山・千日回峰行を二度満行した天台宗大阿闍梨 酒井 雄哉さんが記した本のタイトルが「一生一日」です。

新しい草鞋も、一日の修行でその役目を終えていく、その様を考えるに一日を一生と思って生きようと悟ったそうです。

目の前にある愛犬の生命を見つめるに、この一日の大切さを改めて考えさせられます。

振り返って仕事も今日一日を一生と思えば、長時間労働も無くなるのかもしれません。

時間がまだ余っていると思うから無駄に使ってしまうのではないでしょうか。



ぷかぷか



2017年1月15日日曜日

「思い」のマネジメントにとっての「壁」とは

「思い」のマネジメント(一條 和生, 徳岡 晃一郎, 野中 郁次郎 (著) では、目標によるマネジメント(MBO)だけでなく、「思い」のマネジメント(MBB)が大切だと説いています。

MBBとはManagement by Belief の頭文字をとったものです。

MBOなどで足元ばかりを固め、人も組織も疲弊しイノベーションが生まれない企業に対して、未来のありたい姿も「思い」として描き共有している企業はとても創造性が高いことを事例を通して教えてくれます。

さて、実際に組織運営を行うと、「思い」を共有することはなかなか難しいものです。

著書の中では、対話を通じて高質な「思い」の正当化を行うとありますが、人はそれぞれの才能、環境、経験を通じて「自分」を確立しており、その領域に他人が足を踏み入れることを無意識に嫌います。

「思い」が大切だと「思う」メタ思考に至っている人は、俯瞰的に「思い」をセルフマネジメントできますが、「自分の思い」が大切だと思っている人は、一致しない限り他者の思いを「自分の思い」に統合することはありません。

そもそも「自分の思い」が不明瞭な人は「思い」をセルフマネジメントすることが出来ません。

他者の「思い」を傾聴するスキルがあっても、自分の「思い」を刷新するスキルが無ければ、「思い」は集団の中に敵味方を作るだけです。


結局、「思い」のマネジメントにとっての「壁」とは、学習棄却による自己刷新が出来ない非プロフェッショナリズムにあるのではないでしょうか。



「思い」とは雲みたいなもの

2017年1月14日土曜日

レク? 浄化? 学習? 繋がり? 「趣味」の効能

日々の摩耗した身体に「趣味」で活力を取り戻すリフレッシュ。
鬱積し蓄積しドロドロになった精神を「趣味」で外化し、浄化するカタルシス。
「趣味」を通して物事の本質に目を向け、日常生活に新たな意味づけを行うラーニング。
他の人たちと「趣味」で繋がるネットワーキング。


「趣味」が、「趣味」以外生活にどのような影響を与えているのか、とても興味深い問題です。

休日のゴルフは、身体を動かすことによるリフレッシュ効果が高そうです。ジョギングやマラソンもそうです。

演劇や音楽などの鑑賞は、心のモヤモヤをスッキリさせてくれるでしょう。

自己啓発を「趣味」とする人は、「趣味」から多くのことを学びます。

漫画「釣りバカ日誌」では、釣りの趣味を通じて1サラリーマンが社長と懇意になります。「趣味」のネットワークが仕事に影響を与えるストーリーですね。

さて、世の中には「趣味」の場を提供、運営する人達が居ますが、この4つの要素を組み合わせて場作りをしていることに気づきます。

例えば、ゴルフ場は主に会員制で運営され競技会が開催されます。身体を動かすだけでなく、ゲームやコミュニティを構成し、鍛錬の機会を提供しています。

セミナーでは、積極的に交流の場を設けたり、身体を動かすアクションラーニングの要素を取り入れたりしていますし、上手なラップアップは演劇を見ているような爽快さがあります。

「遊び」に比べ、「趣味」は習慣性があるので日常生活により大きな影響を与えることができます。

もしかすると「趣味」を正しく理解することは、私たちの日常をより深く知ることになるのかもしれません。


効能









2017年1月13日金曜日

人工知能は「趣味」を持てるか

三日間ほど「趣味」と違うテーマを考えましたが、今日はまた「趣味」について考えます。

テーマは「人工知能は「趣味」を持てるか」です。

先日のMALLイベントで人工知能の今に関する話を聞きましたが、人工知能ができることは、大量のデータを活かすことであるとの結論に至っていました。

テーマを自ら見つけ、自律的に学習しアウトプットするには程遠いのが現状です。

もちろん、指数関数的な進化によって近い将来そのような状況(汎用型 AI)に至ることが予言されています。

では、汎用型AIが誕生した時、人工知能は「趣味」を持つのでしょうか。

第一回目に「趣味」を「内在する報酬に強く動機づけられる行動習慣」と設定しましたが、汎用型はどのように自律的学習を始めるのかとても興味深いですね。

そして、そこに不合理的な固有の行動習慣が形成された場合、それを「趣味」と私たちは感じるのだと思います。

実は、今日の人工知能も、データを大量に集め評価するという観点では、「収集」という「趣味」の1つの形態の側面を持っています。

人間は不必要な情報を無視してしまいますが、コンピュータはすべての情報を処理する、つまり傍目から見て無駄と思えることでもやり抜くのです。

なんだか、すでに「趣味」で情報を処理しているように感じてしまいます。

さらに、もし内在していると考えた動機が実は環境から与えられたものであるとしたら、人工知能のデータ収集に内的な動機が無いと決め付けることはできないことになります。

野球カードのように「集めろ」という潜在課題が環境的に与えられ、「収集」が始まる「趣味」は少なく無いのです。

今後の「趣味」の定義にもよりますが、すでに人工知能は自らの「趣味」を形成し始めているのかもしれません。


飛べるから飛ぶのか、空があるから飛べるのか





2017年1月12日木曜日

背水の陣というストレスが修羅場を越えて消える時

自分の後には誰もいない。

仕事をしている中でストレスが高まる場面だよね。

しかし、顧客ニーズの前線に近くなればなるほど、理解も含めて代替が効かなくなる。

つまり、振り向いても誰もいない状況になる。

組織全体の修羅場というより、パーソナライズされた修羅場とでも言えば良いのかもしれないけど、孤独な苦闘だ。

で、ね。それを乗り越えてきた人はそれが普通になってしまうから、そのストレスに晒されている人の苦悩が感じにくくなってしまう。

時にそれはパワハラと感じられたりするのだけど難しい問題だと思う。


ブルー



組織の「風通し」って何?

昨晩のMALLイベントでの対話で強く印象に残ったことがあった。

それは「風通し」ってなんだろう、という対話だった。

対話をした人は、メンタルヘルスに関する仕事をしている方で、その人曰く、メンタルの発症って組織に偏りがあって、0か1かなのだそうだ。

つまり、平均何人みたいな話ではなく、ある組織では出て、ある組織では出ない。

では、その違いってなんだろうと言うと「風通し」なのである。

そこで冒頭の「風通し」って何?という対話になったのだけど、結論には至らなかった。

対話で一致したのは、コミュニケーションの多寡ではないよね、ということでした。

で、ね。要は「風通し」とは芯を食ったコミュニケーションなのだと思う。

遠慮とか、猜疑心がある中ではいくらコミュニケーションスキルを磨いてもダメなんじゃないかな。

言わなきゃわからないし、言ってもわからないのがコミュニケーションだとすると、ある基準を置いて誰でも判断できる状態にすることが「風通し」をよくする方法に思えるよね。


はじける!

2017年1月10日火曜日

煽るマスコミ、不安な人事、醒めてるプロ 人工知能を取り巻く人々をMALLで感じる

今日は、久しぶりにMALL(経営学習研究所)のイベントでした。

テーマは「人工知能といかに愉しく共存するか」+ホッピー飲み会でした。

人工知能の研究者や物理学者、哲学者など認知科学の専門家は、今何が出来るかより、これから人工知能の進化によって何が起こるかを見据えているのに対して実務者は今の人工知能によって明日何が変わるのかに興味津々です。

実務者は失業やビジネスモデルの喪失など身近な不安や恐れに苛まれているのに対して、研究者などの専門家が描く明日は極めてシンプルです。

そこには、出来ないことも描かれるからです。

今日は専門家が描く未来図を聴くことが出来ませんでしたが、「今」を強く感じることが出来るMALLでした。

ということで今日のMALLで何が描かれていたのかは、グラフィック・レコーディングに委ねるとしましょう。


イルミナティ風に


2017年1月9日月曜日

集める「趣味」を考える

「趣味」には色々なスタイルがありますが、「収集」はかなりメジャーなスタイルと言えるでしょう。

しかしその対象は「切手」「コイン」「絵画」など非常に多くの収集家がいるものから、一人しか集めていないものまで様々です。

ビジネスとしての「収集」もありますが、「趣味」における「収集」には金額に変えられないその人なりの価値があります。

つまり、「収集」とは人間が持っている多様な価値観の結晶であると言えるでしょう。

なぜ、人が独自の価値観に沿ってモノを集めるのか知りませんが、「趣味」でモノを集める人のエネルギーってすごいですよね。

「収集」と「保管」に情熱と多くの収入を注ぎ込む姿は、他人が簡単に理解できるものではありません。

さて、収集している人をよく観察していると、数もそうですが、1つ1つの収集品に対する想い入れが強く感じられます。

「これはどんなモノで、どこでどのようにして手に入れたのか」といったエピソードに満ちています。

ただ集めるだけではなくストーリーを創り上げている、とでも言えば良いのでしょうか。

それも、メーカーが売るために作る商業的なものではなく、人生的なものかつ内面を充足させるものです。

この内面を充足させるマイストーリーはその人にとてもポジティブな文脈を与えるものです。

モノを保有することでマイストーリーが固定化され内面を充足させる文脈が強化される。

「収集」という「趣味」にはそんな働きがありそうです。

ひょっとしたら、人が活力を生む自然の仕組みなのかもしれませんね。


収集していません










2017年1月8日日曜日

「趣味ゼロ」を考える

「趣味」について最初に「仕事」「遊び」を対比させながらその輪郭を漠然と浮かび上がらせてきましたが、丁度、「趣味」に言及した記事がありました。

「残業ゼロ」でも「趣味ゼロ」という大問題

長時間残業の改善に向けて導入される「プレミアムフライデー」の一方で「趣味ゼロ」という人が少なくない、という問題提起です。

趣味が無い、という人には2つのタイプがあると思います。

1つは、自覚の問題です。「人に言えるほどの趣味じゃありません」というシャイなケースと、「人に自分の趣味を言いたくありません」という社会的開放性の低いミステリアスなケースですね。

もう一つが、「無趣味」と言われる人です。

記事の中では「幸せそうでない」「受け身の生活」とかなり厳しく言われていますが、趣味があるから幸せそうで、能動的なのだとは思えません。

内在する報酬に動機を持つ人は、自発的に行動し、報酬を獲得するために「趣味」という行動習慣を持つのです。

そういう人は、時に仕事にも内的動機を持つので良いパフォーマンスを発揮するのでしょうが、趣味があっても、仕事では愚痴って「会社」を批判ばかりする人も居ます。

要するに「趣味が無い」ことが悪いのではなく、自発的な行動習慣を形成できない人が社会には存在することを知り、個性として認めることが大切なのだと思います。

そして、「プレミアムフライデー」で余った時間をどう「生きる」のか、戸惑い悩む姿も含めて受け入れる社会こそが、「残業ゼロ」を目指す社会の姿ではないでしょうか。

自分の時間を生きるものを「生命」とするのであれば、すべての生き物は、自分の時間を生きている、つまり、行動習慣を自発し自律しています。

植物が歩き回れないからといって、「幸せそうじゃない」「受け身の生活だ」という人は居ないですよね。

「趣味」は、社会的偏見や差別思考に便利に使われることも忘れてはいけないようです。


生きてるよ



2017年1月7日土曜日

趣味と遊び 趣味で遊ぶ

昨日は「趣味」と「遊び」の違いを考えました。

さて、敢えて”違い”を取り上げたのですが、「趣味」と「遊び」の境界線は実際は非常に曖昧でしょう。

例えばケーキ作りが趣味の人は、レシピを守りながらもどこかで「遊び」を入れているはずです。

それは飾り付けであったり、味付けであったりするかもしれません。

同様に「仕事」にも「遊び」があります。

「遊び」は、すべての行為に出現する可能性がある要素ですが、動機が内在する点で「趣味」との境界がよくわからなくなるのでしょう。

さらには、「趣味」の中で遊ぶだけでなく、「趣味」で遊ぶことも珍しくありません。

「サッカーが趣味の人がサッカーで遊ぶ」などですね。

こうして考えると、「趣味」と「遊び」は階層的ではなく、重層的な関係にあるのではないでしょうか。


入れ子









2017年1月6日金曜日

趣味と遊びの違いは何?

1回目、2回目では「趣味」と「仕事」を考えてみました。

まだまだ、考えきれていませんが、3回目はちょっと目先を変えて「趣味」と「遊び」を考えます。

最初に触れたように、「内在する報酬に動機づけられる」という点において「趣味」と「遊び」には類似性が認められます。

では、人はなぜ遊ぶのでしょうか。

「遊び」には、「剰余エネルギー説」「本能説」「準備説」「反復説」「気晴らし説」などの古典理論と「般化説」「代償説」「浄化説」「精神分析説」「発達説」「学習説」などの近代理論がある。M.J.エリス(1973)

要するに、人がなぜ遊ぶのかは、諸説があってはっきりわかっていないのです。

その原因の一つは、因果関係が見えないことでしょう。

「遊び」は行為自体に意味があるため、行為の観察はできますが何が成果なのか不明瞭です。

例えば、行き先も無いのにいきなり走り出した場合、何のために行なっているのか、わかりにくいですね。ゆえに、本能だ、気晴らしだ、浄化だとなります。

一方、「趣味」は、行為だけでなく、成果も明らかなことが多くあります。

ランニングが「趣味」の場合、週に何回とか、何Km走るとか、何分で走ったとか成果として語れるものが間違いなくあるでしょう。

つまり、「趣味」はどこかの段階で、目的を達するための行為となっているのです。

したがって、「趣味」は、初対面の人との会話のきっかけや履歴書への記載などで人となりを知る手掛かりとなります。

興味、関心の所在と人生において大切にしてきた目的がわかるからです。


意味があること





2017年1月5日木曜日

仕事を趣味にすることの功罪

「仕事を趣味にする」とは、主に外的報酬に帰する行動習慣であり、成果を求められる仕事の動機を内在化させるプロセスと言える、と昨日考えました。

もっと簡単に表現するなら「仕事が好きになる」ことでしょう。

しかし、単に好きになるだけでなく、時に外的報酬を超える入れ込みようが見られる「好きさ」です。

「経験」「興味関心」「達成・満足」「気づき」「承認」などを経て至る境地ですが、自ら動機を持って仕事に取り組む人材はマネジャーに好まれます。

なぜなら、マネジャーが取り組むマネジメントとリーダーシップの発揮において目指すメンバーの姿を体現しているからです。

意地の悪い言い方をすればマネジャーにとって好都合なそれらの人材はプロモーション(昇進)も果たし、組織の中でロールモデルとなりますが、組織の中において仕事を趣味に出来ない人にとっては異質な存在と言えるでしょう。

また、仕事以外の繋がりが置き去りにされてしまうと困った問題が起きかねません。

仕事には日々、多くの時間が割かれますから、問題が起きた時は深刻ですね。

「あなたは、家族と仕事とどちらが大切なの(なんだ)?」なんて家の人から問い詰められた経験がある人は要注意です。

過ぎたるは及ばざるが如し、ということですね。


禁断の扉?




2017年1月4日水曜日

趣味を仕事にするか、仕事を趣味にするか

今年一年、「趣味」を実践し、研究することにしました。

そして、最初に取り上げるのが

「趣味を仕事にするか、仕事を趣味にするか」

という趣味とキャリアの関係です。

「趣味」について、文献調査を行い改めて定義をしたいと思いますが、内在する報酬に強く動機づけられる行動習慣であると言えます。

「趣味を仕事にする」とは、内在する報酬に動機を持ちながら、外的報酬も獲得することを意味しますね。

ところで、外的報酬を獲得するためには、価値の交換が行われなければなりません。

したがって、「趣味」によって交換に足る価値を生み出している必要があります。

「何を趣味にしているのか」と「趣味としている行動習慣の成果を求める人が居るのか」を明らかにすれば「趣味を仕事にする」キャリアデザインが可能になりそうです。

実際、就職活動の時期には後者の検討が多く行われていることでしょう。
(きっと多いのは音楽関係ですね。)

一方、多くの場合、成果は才能でなく習慣によってもたらさられものであり、自身の行動習慣を鍛え、価値を生み出す人も居ます。

偶然、趣味が仕事になることも無くはないでしょうが、趣味を仕事にするためには価値を生み出す努力が欠かせないと言えるでしょう。


では今度は「仕事を趣味にする」を考えてみます。

仕事とは主に外的報酬に帰する行動習慣である、とすれば、「仕事を趣味にする」こととは、「成果を求められる行動習慣の動機を内在化させるプロセスである」と言えるでしょう。

このプロセスには様々なパターンや問題、課題がありそうです。

それについては明日書きたいと思います。


趣味と仕事をつなぐ「価値」











2017年1月3日火曜日

そして新年の抱負 今年のテーマは・・・

昨日は大人の学習と達成目標の設定という観点から新年の抱負を考えた(というほどでもなかったけど・・・)

結論的にはプロジェクトマネジメントに至った訳だけど、今日、振り返ってみると新年の抱負はMBO(目標管理制度)では無い。

何かの枠にとらわれていたよね。

故に結論に至らず、今日に先送りしたのだろう。

改めて抱負にはワクワク感が欲しく見渡したところ見つかったのが「趣味」です。

そう、「趣味」を極めるのことなのだけど、自分の「趣味」を楽しむだけでなく、「趣味」そのものを解き明かしてみたいと思う。


「趣味」はとても不思議だ。

一つは、「遊び」に近く、「趣味」そのものに内在する報酬に起因する点。
一つは、「趣味」はパーソナリティ特性と全くの別物であるのにパーソナリティを識別する有効なインデックスである点。
そして、もう一つは「趣味」を手掛かりに人々が自己組織化する点。

つまり、誰に言われなくても人は何がしかの趣味(仕事が趣味、家事が趣味というもある)を持っていて(内発性)、それは、気質とは別の具体的側面(意外性)を持ち、コミュニティやアソシエーション、コーポレーションの内外を縦横無尽に繋いでいる(疎通性)のだ。

しかしながら「趣味」は多くの場合、「公私」では「私」の領域に分類され、人によっては機微、つまり「放っておいて欲しいこと」であったりある。

公私のセパレータ(分離器)としての側面も考えると、ますます「趣味」は不思議だよね。

おそらく「趣味」にはさらに異なる側面があるだろう。
それは、潜在化している重要な側面かもしれないし、ひょっとしてライフワークに定めていることのキーファクターに巡り会えるかもしれないと思うとワクワクする。

なので、「趣味」を解き明かすことを今年の抱負にしてみようと思う。

もちろん、自分の「趣味」を深めることはその実証実験でもありのです。


深いよ


2017年1月2日月曜日

新年の抱負 何を始める? 何をやめる?

正月になると、初詣や年賀状のCMに混ざって通信教育のCMが数多く流されるます。

年が明け、気分も新たに何かを始めたい、という視聴者のニーズを汲み取ったものですね。

でも多くの人が始めたことが続かないみたい。

確かに自分にも思い当たることがあります。

どうも「下手な字がうまくなったらいいな」みたいな願望ではなく、それによって何を為すのか具体的な達成目標が大切みたいです。

例えばプログラミングを学ぶなら、どんなソフトウエアを作るのかを決めると良さそう。

さらに目標の実践が上手い人は「宣言」をしています。

自分に釘をさすのですね。

さて、「何かを始める」ことに関しては非常に多くの提案(営業)が待っています。

冒頭の通信教育のCMもそれです。

しかし、大人の学習には主体性、経験、実用性、問題志向(ノウルズ 1975)が必要らしいので、用意されたものでなく、自分で用意をすることが大切です。

要は、大人の新年の抱負とは、自分自身のプロジェクトマネジメントであるようですね。


明日も考える


2017年1月1日日曜日

男性脳、女性脳という都市伝説 男性・女性のラベルを剥がしてみよう

ちょっと前になるけど心理学の100の有名理論を検証したら、3割程度しか再現実証できなかったというニュースがあった。

その後、検証方法に問題があるとの指摘もあって有名理論の真偽が疑わしいかどうかの結論には至っていない。

そもそも、人文科学での理論は多くが仮設であり、自然科学の理論と同じように考えるべきものでは無いよね。

さて、男性と女性は脳そのものの構造が違っていて、それが性差の原因であるというまことしやかな説が最近の研究で否定されるようだね。

脳MRIのデータを分析した結論らしい。

そうなると、これまで男性脳、女性脳に原因を置いていた諸々の仮設も全部、無に帰す訳だよね。

では何故私たちは「構造が違うから」という説明に弱いのだろうか。

違うことを前提にしたいからなのではないだろうか。

いっそこの際だから「男性」「女性」というラベルを剥がして、性格タイプと役割志向で世界を描き直して見よう。


新春