2016年12月31日土曜日

今年一年を振り返って

折角、一年に一度の年末なので今年を振り返ります。

要するに、内向した一年でした。


自分は、内向型じゃ無いけど外向型でも無い、バランス型だ。
だから、内向するには努力が要ります。はい、それは、我慢です。

言いたい事を言わないことは結構ストレスを溜めることになるのだけど、バランス型なので我慢できないことはありません。

で、ね。何を内向したのかと言えば、身近なことからちょっとソーシャルなことくらいまでです。世界平和までは内向しませんでした。


時代的にはシンギュラリティーなど、おそらくオン・ザ・エッヂ的な場所にあるのだけど、日々の暮らしはもっと近視眼で先のことなど見ていません。

複雑系で考えれば、先読みをしてもあまり意味が無いから近視眼的でも良いのかもしれないです。


さて、身近なところで考えれば、一番の困難は「共感なき世界の統合」です。
それぞれのバックグラウンドを持つ人間は、簡単に他者に共感しない。
いや、出来ない。

しかし、その世界を統合するためには何が必要か。

政治はその可能性を持っているけど、統合でなく妥協に流れることが多いです。
笑っちゃうくらいにね。

そうなのだ。

私は「我慢」と「妥協」の違いを問わなければいけないのだ。

「我慢」は時を待つ行いで、「妥協」は時を失う行いと言えるだろう。
待つのが失うのか、シンプルな判断でもあり、複雑な現実でもある。

簡単に決めるのか、複雑さにもがくのか。
あと数時間考えて見ましょう。

今年も一年、ありがとうございました。


Thank you!






2016年12月30日金曜日

因果的に見えるのは何故? 人の行為の不思議さを考える

自然科学の考え方で因果と言えば、再現性が認められる事を言うよね。

もう一回同じ条件で行えば同じ結果が得られる状態だ。

一方、人文科学の領域でいう因果とは、「ほら、見たことか」的な教訓めいたものを指しているように思えるね。

結果の理由として語られるものだ。

こんなに違う事を同じ言葉で表現しているところに日本人の曖昧さが顕著に現れているのだろうけど、一方で、なんとなく再現性がある事を誰もが実感している。

人工知能にその「なんとなく再現」を解き明かす期待を持っている人もいるけどおそらく、私たちの理解と五十歩百歩のような気がする。

さて、「なんとなくの再現性」は言い方を変えると「パーソナリティ特性」となる。

内在する因子や環境によって徐々に作り上げられる「固有の作品」だ。

この「固有の作品」は、少し俯瞰すると「文化」になり、さらに俯瞰すると「種」にもなる。

つまり、「犬」と「人」の固有性だ。

こうした固有性がDNAから発生するのは間違いない。

DNAは僕らの根本の設計図だけど、同じ設計図でも同じモノにならないのが人文科学と自然科学の違いだね。

「生命とは自分の時間を生きるもの」だ。

そう、「生命」は環境と同じように自らのDNAも活用して自分の時間を生きている存在なのだろう。

そしてその設計図と機能の差に芽生える「自由度」が意識であるとは考えられないだろうか。

設計図に焦点を当てれば因果的だし、実際の行為に焦点を当てれば複雑系で非因果的(予測不能)。

それが「人の行為の不思議さ」と言うことだと思う。


味はイマイチ









2016年12月29日木曜日

なぜ残業は無くならないのか 計画錯誤から考える

日本企業にとって今年は残業が大きな問題として再認識された年だった。

なぜ長時間労働が発生するのか、どうすれば残業を減らせるのかということを多くの企業が真剣に考えずにはいられない。

そこで以前にも少し取り上げているけど年末にしっかり考えてみようと思う。

もちろん、残業の問題はずーっと昔からあったわけだけど、作業効率で労働生産性を測っていた大量生産が中心の高度成長期と違って、内発動機から仕事に向き合う時代の残業は問題が複雑だよね。

作業効率であれば、一つの作業に掛かる時間を測定して無駄を減らすこととラインを増やすことで総時間数を制御できる。

しかし、人によって異なる責任感、達成感、探究心、価値基準、技能差の混在する元で時間を制御するのは困難だ。

ある音楽系企業の社長が長時間労働是正勧告に対して反論しているけど、本質的な問題のすり替えがあるのは別にして多くの企業の本音でもあるのでしょう。

本質的な問題とは、長時間労働はいずれにしても不幸に通じる道である、ということだ。

どんな人にも体力、気力の回復が絶対に必要だ。

その時間が取れないことは、人を窮地に追い込む。

もちろん、誰でもそうはなりたく無いからそれなりに計画を立てるのだけど、その計画自体に甘さが内在しているとしたらどうだろうか。

「計画錯誤」と言われる認知バイアスの一種だ。

それは作業に要する時間を短く見積もってしまう癖だけど、人は自分の仕事、部下の仕事、取引先の仕事などを最初から甘く見積もっている。

時間を正確に見積もるにはスキルと経験が必須なのだけど、仕事の非定型化が進むことで経験が機能しにくくなっているとも考えられるね。


これからの世の中、認知バイアスをちゃんとコントロールできない人材は自分や他者を幸福に出来なのかもしれない。

その中でも「計画錯誤」は身近で緊急性の高い認知バイアスだと言えるだろう。


刺し盛り!






空気清浄機を正常に保つためにすること 任せるならメンテが大事

今日は年末恒例の大掃除。

日頃積み重なった汚れをみんなで落とし、とてもスッキリとした気分で年末年始の休みを迎えられた。

さて、掃除機や空気清浄機は私たちの職場を良い環境に保ってくれる文明の道具だよね。

でも、それらの道具にはより多くの埃が溜まる。

そしてそれを綺麗にするのは机の上を拭くよりもかなり大変なことだ。

で、ね。掃除機や空気清浄機を清掃しながら、職場の空気を良くしてくれるのは道具だけじゃなくメンバーもだ、と思った。

そういうメンバーは、便利で有難い存在だけど、職場の空気を汚すメンバーの毒っ気を間違いなく吸い集めているんだよね。

だから有難がるだけじゃなく、しっかりと心の奥底に溜まった声を拾い出してあげなくちゃいけない。

これは年末の大掃除みたいに恒例行事にするべきだろうね。


美味しいもの第2弾 ロースカツ!

2016年12月28日水曜日

ホームアドバンテージ 地の利という心の拠り所

サッカーには「ホーム&アウエー」という概念がある。

ホームは有利でアウェーは不利だという信念だよね。

では何でホームは有利なの?ということになるけど、それは歌の世界がわかりやすい。

清水翔太の「HOME」しかり、木山裕策の「HOME」しかり何だけど、「HOME」になった途端、滅茶苦茶人は自信を持ったりするのだ。

なぜだろう?

一つは他者に侵されない場所がある、という安心感だろう。

もう一つは拠り所に依存する人の弱さだ。

人は元来、弱い存在だ。

例えば、親には勝てない。
だって、親が居なければ今の自分は居ないのだからね。

弱さに抗う、でもそれ自体が弱さの証でもある。


結論的に言えば、「弱さを知る人間は強い」のだ。

故に、たまに「HOME」に帰リましょう。



これもHOME





2016年12月26日月曜日

サイクロン方式よりも強力? ネガティブバキューム

過日参加したグラフィックファシリテーションのセミナーのことを、今日ふと思い出した。

それは、やまざきゆにこさんの「暗い絵を描くと皆が注目する。ネガティブな気持ちを共有できる」といった話についてだった。

逆に、ポジティブな話にどことなく怪しさが漂い、人によっては警戒心を持つ。

ネガティブな感情が瞬時に人を繋げる効果を持つことは、ネット社会での炎上を見るに疑う余地がない。

それはもっと身近な集団、会社や学校でも同じ。

グラフィックファシリテーションでは、個人のネガでなく場の感情がネガなところを拾うことと、安全設計を組んで心がうまく伝えられなくてネガになっているところを掘り起こすのだそうだ。

つまり、ネガティブなことは注意して意識的に取り扱う必要があるってことだね。


コッターは組織のリーダーが組織のインフォーマルな側面に関わると述べているけど、このインフォーマルな側面にはネガティブな要素が集まりやすい。

リーダーに問われるのはそれに蓋をせず掘り起こして、ネガが底を打って上がってくるのを辛抱強く働きかけ、待つことと言えるんじゃないかな。


ネガの底に光明がある




2016年12月25日日曜日

「事件は現場て起きているんだ!」 じゃあ、戦略は誰が考えるの?

「踊る大捜査線」という日本映画の名台詞に「事件は現場で起きているんだ!」というのがある。

これ、日本社会のグローバリズムを考えるうえでとても重要なキーワードなんだ。

対極を成すのが、グローバリズムにおけるルール偏重なのだけど、まずはルールありき、そしてルールが全てだと言わんばかりの現場無視は分かりやすい一方で、日本には向いていないと感じるね。

例えば、有名なコンサルファーム、アクセンチュア(旧アーサーアンダーセンアンドカンパニー)では新入社員に徹底的にフォーマットを学ばせるそうだ。

例えば、企画書の何ページ目はこう書いて・・・みたいにそれは本当にルールありきなんだってさ。

何だか日本の銀行みたいで、自由主義の米国企業というイメージとはかけ離れているよね。


さて、「事件は現場で起きている」という現場の正義は、経営戦略の障害になりかねない。

だって、戦略はと何をやらずに何をやるのか決めることだから、目の前の出来事に囚われる現場の正義と衝突することが少なくない。

稀有の戦略家、日産のゴーンさんがもし現場主第一義だったら改革とV字回復は実現できなかったのじゃないかな。

で、ね。戦略と現場の間を繋ぐのが優秀なマネジメントということになるけど、その要件を備えた人材がいかに少ないかは想像するまでもないでしょう。

さらには、叶う人材はどんどん経営側に行ってしまう。

経営に優秀な人材が居ない企業には不幸な結論しか待っていないからね。

そして、マネジャーは常に人材不足っていうことだ。

結局、マネジメントを常に排出し続けるためにはちょっとしたポテンシャルも見逃すわけにはいかない。

結果を待って選ぶほど余裕がなければ、結果が出ていない人に期待を持つしかないでしょ?

そのことを理解している企業は少なくないけど、そのことを考えるマネジメントは自分もその淘汰に身を委ねているからちょっとおかしなことになっている印象もあるのだ。

もしあなたが自分を秤に乗せて量目が不足していることを知ったらどうします?

経営がそのことを慮って適切な支援をしない限り、マネジャーの苦悩が晴れることはないのだろうね。


メリクリ!


2016年12月24日土曜日

売上よりも人に役立つことの大切さ

テレビ東京は、芸能人じゃなく一般の人で番組を作っている。

その路線が結構当たっていて好調らしい。

旧来の著名芸能人を登用しているテレビ局が低迷しているのと対照的だよね。

さて、テレビ東京の番組で「家、ついて行ってイイですか?」という番組を見ていてすごく考えさせられた。

終電時間を過ぎた街中で家について行って良いか声を掛けた人が、美容院を経営している 美容師だったのだけど、産業カウンセラーの資格を持ち、心理学を勉強している。

さらには、これから医療美容でがん患者の役に立つことを目指し準備を進めているそうです。

美容師になり、仕事がキツくて先輩がどんどん辞めていく中で店長になり、売上至上主義でスタッフの離職が相次ぐ中でがん患者の女性の髪(ウイッグ)をカットする機会があり、それが大きな転機になったとのことだった。

相手の気持ちを考え思いやる中で、医療美容の資格を取得し、心理学を学び、そして産業カウンセラーの資格を取る。

それは経験からその本質に気づき、行為の選択肢を広げ、そして新たな行為を生むという、まさにリフレクションの実践者と言えることなのだ。


リフレクションを行うには経験が必要だ。

故に、どのような経験をそれ以前に積んでいるのかがポイントでもある。

役立ちたいという動機を持つことは難しくないが、どう役立つのかを知ることは簡単じゃない。

それは最初に頭で考えることじゃなく、利己性の壁にぶつかる経験から知ることだからなのかもしれない。


May I help you?





2016年12月23日金曜日

恋愛のピンチを知恵で乗り切る? 使いまわすリソースを見つけよう

脳科学の研究から、「子育て中の脳の動きは、恋愛しているときと同じ」であることがわかっているそうです。

さらには、「恋愛は“子育てのバグ”」と言われるそうだとか。

子育ての愛情を発達させたのが「恋愛」なので、実際に子供が出来て恋愛感情が失われうのは止むを得ないらしいですが、はてさて。

脳は限られたリソースを使いまわして複雑な環境に対応し社会を構築したりイノベーションを創発したりしていて、前述のような「子育てと恋愛」や「リスクとチャンス」が脳の同じ部位の働きであることを知ることは、私たちにどんな示唆を与えてくれるのでしょうか。

例えば、パーソナリティ特性には、個性を発揮させる歪みや偏りが存在しますが、それは、異なる部品の寄せ集めからではなく、同じ構造から多様性が生じることの証であると言えるのかもしれません。

洋服の着回しのように使いまわしによって多様性が生じるプロセスが知恵とか成長と認識されるのである考えれば、知恵を得たり成長を促すことへのアプローチが大きく変って来るのじゃないかな。


知恵の正体


2016年12月22日木曜日

私の常識はあなたの非常識 忘れがちな根本的違い

世の中には様々な「違い」がある。
その中でも、根本的に「違っている」ものは、誰が見てもすぐに「違う」ものと認識されそうだ。
ところが意外に「違う」ものと認識するのは難しい。
自分の世界を描写し続けていると「違う」世界が見えなくなるからだ。


識者の方に社内の会議で議論に参加してもらうと、ハッとすることが少なくない。

自分たちが描いている世界の偏狭さに気づくからだ。

もちろん、これは逆の時もある。

社外で議論を行うとき、その会社の世界とそれ以外の世界の違いを理解してもらうのは簡単じゃない。

ちょっと俯瞰すれば根本的に違うものを、自分たちの世界で同一視してしまう過ちから解放されるためには、常に自分たちの世界と異なる世界へ越境するか異なる世界の人を向かい入れる必要がある。

気をつけましょう。


異なる世界



2016年12月21日水曜日

気持ちを切り替えるのにちょっとよい方法とは

嫌な出来事に遭ったり、気に障る物言いをされるとだれでも鬱々とするものです。

そんなとき、どうすればいいのでしょうか。

・楽しいことを考える(=嫌なことを頭の隅に追いやる)
・内省してなぜ鬱々するのか根本を理解し解決に取り組む
・他の人やモノにあたって気晴らしする
・お酒を飲んで酔っぱらう
・瞑想やヨガ、自律訓練法などで心を整える
・スポーツで発散する
などなど

すべて良い方法ですが、簡単でかつ効果の大きいおすすめの方法があります。

それは、

・誰かに小さな親切をすること

です。

例えば、電車やバスで席を譲るとか、重い荷物を持ってあげるとか、何でも良いのです。

親切をするだけでも気分は上向きますが、感謝の気持ちがある小さなコミュニケーションが生まれると気持ちが浄化されますね。

よければ一度お試しください。


誰でも良い、そのときあなたのそばに居る人に



2016年12月20日火曜日

逃げるは恥? パーソナリティから見える回避傾向

テレビドラマ、「逃げるが恥だが役に立つ」がどうやら高視聴率らしい。

ドラマの内容はさておいて、タイトルにはかなり興味が湧くよね。

タイトルは「逃げる」「恥」「役立つ」の3つの要素が並べられているわけだけど、「恥」になるけど「逃げると」「役立つ」とか 、「役立つ」のは「逃げる」ことで「恥」はかくよ、みたいに並べ替えてみるとタイトルの本質が見えてくるよね。

つまり、「逃げるのは役に立つ」というハウツー文脈と「恥だ」という信条が位置に何かが隠れているのだ。

ポーターの戦略論は、端的には無用な戦いを避けようということだから「逃げるのは役に立つ」と相通じている。

実は「逃げる」のは戦略であって「役立つ」ものなのだ。

で、ね。パーソナリティから見ればそういう特性を持った人は一定数居る。

それは戦略というより「癖」なのだけどね。

一方で、経験から学ぶ(経験学習)のためには、逃げてはいけない。

つまり、逃げるのは恥だという倫理観がポイントなのだ。


結局、逃げるのは、癖でなく「戦略」であることと、逃げることを「恥」と感じ経験を積むことの両方が大切だっていうことだね。


戦いたければどうぞ・・・



2016年12月19日月曜日

組織とはモチベーションを下げるもの?

多くの組織ではメンバーのモチベーションを上げることに苦労している。

なぜだろう。

そのヒントになるのが、個人の活性の高さとモチベーションの高さの一致じゃないかと思う。

そもそもモチベーションが高い人は組織の有る無しとあまり関係ない、と言うよりも、そういう人が組織の中でモチベーションを維持するのに苦労する場面をよく見かけるからだ。


もしかして、組織には個人のモチベーションを下げる働きが内在しているのではないだろうか。


例えば、組織のメンバーは自分のことにしか興味を持たない人が多い。

これは現実だ。

組織の課題を検討し、解決に取り組んでいる最中に課題解決よりも自分の利害を当然のように優先させるなんてザラ。

でもこれはメンバーのモチベーションを間違いなく下げる。

会議を盛り上げていきましょう!何て言っている本人が平気で欠席するなんて最悪だよね。

残ったメンバーは、『俺らなんで集まってるの?』となる。

朝令暮改と言うけれど、朝の決定が、夜になったら溶けている様は、疲れを倍増させる。

要するに組織においてモチベーションをダウンさせるのは、組織課題に無関心なメンバーの存在なのだけど、始末が悪いのはインタラクテブで双方向に連鎖するのだよね。

「俺、知らね」「じゃ、俺も知らね」「じゃじゃ・・・」みたいにね。

こうした出来事を通じで組織のメンバーは「ストレスを溜める」「諦める」もしくは 「気にならなくなる」のどれかに収束していくとしたらどうだろう。

組織とは約束事でできている集まりなのに約束事は常に崩壊に向かう。

まさにエントロピー増大の法則が組織にも当てはまり、組織全体のモチベーションは時間とともに薄まっていくのかもしれないね。



やがて崩壊します



2016年12月18日日曜日

映画から見えて来る戦略とバイアス 「パソナリティ特性」の公正さを考える

日曜日の午後、家で映画を観ながら考えていたのだけど、ハリウッドでアカデミー賞にノミネートされるのが白人ばかりだとの問題提起が記憶に新しい中、最近の映画に登場する人物の国籍は非常に多様だ。

特に主役ではないけど出番もセリフもしっかりとあり、ストーリーで重要な役割を果たしている人の国籍にはマーケティング戦略が鮮明に感じられる。

アニメ「ベイマックス」やSF映画「オデッセイ」「スターウォーズ」など、なんだかストーリーよりも設定や登場人物から透けるマーケティングが気になってしまいちょっと気が散ってしまった。

確かにマーケティングを考えれば、世界中のどこでも興行収入を稼げる映画こそが成功作品だし、製作者は皆、成功を目指している。

今や映画作りでは、中国やインドでの成功が前提なのでしょう。

逆に「見た目」がもたらす影響が深刻であることを考えさせられてしまうよね。

「見た目」から「仲間意識」や「差別」が生じるのは映画の世界だけじゃない。

人が認知する情報の80%以上が視覚情報で占められ、しかも瞬間的に見分けるためにはバイアスが大きな機能を果たしている。

そのバイアスを排するために採用で、写真の添付を行わない企業や、そもそもそれを禁止している国もある。

要するに「人は見た目に惑わされる」こと、「見た目とパフォーマンスは無関係である」ことを忘れちゃいけないってことだね。

一方、パフォーマンスを予測するには「パーソナリティ特性」が効果的だ。

なぜなら「パーソナリティ特性」とは、「その人の一貫性」のことだから予測出来て当然とも言える。

人は環境とコヒーレントな関係を作る複雑な存在なので我々が期待する狭さで予測することはできないけど、見た目による偏狭な判断よりもはるかに高い精度が期待できるよね。


見た目が大事なもの



2016年12月17日土曜日

神秘に目覚める時 あなたの中の神様が登場したのはいつですか?

信仰の有無は別として、誰にでも神秘的な物事への興味関心があるよね。

人によってはさらに神秘的な物事へ傾倒する。

心理学者のジェシー・ベアリングは子供が神に興味を持ち始めるタイミングに関心を持ち、誰もいない部屋でズルをするかしないか実験を行った。

その結果、子供は神秘的なものを自然に信じ、それは生まれ持った心の働きであるとの結論に至ったのだ。(NHK「モーガンフリーマン 時空を超えて」より)

神秘的な物事になぜ興味を持つのかはとても興味深いテーマだけど、消費に関わるトレンドの個人の精神的・肉体的トレンドの一つ、神秘体験探求トレンドとして、私たちの生活にも大きな影響を与えているのだよね。

ベアリングの研究では、神秘的なものへの目覚めは3〜5歳頃だそうだ。

つまり大人になってからの消費は、3〜5歳での出来事に強く影響を受けているのだね。

でも、3〜5歳頃の記憶はとても断片的だし、神秘的なことを意識として自覚するのは思春期で中学から高校の頃なので、人は神秘的なことを自らコントロールしているような錯覚を持ってしまうのでしょう。

しかし実際は心の働きとして自然に芽生え、10年くらい熟成されているものなのだ。

そのことを認知すれば、自分の神様を探す旅は新しい局面を迎えるよね。

このように始まりのタイミングを知ることにはとても大きな意味があるのです。


月も神秘の対象





2016年12月16日金曜日

言葉の限界 正確に伝えるために必要な事

仕事を進める中で、意図を相手に伝える事は思っている以上に困難で、しかも、ストレスに満ちている。

齟齬がないように記述するのは手間も時間も掛かるからどうしても口頭で「こーだよ」「了解」みたいに簡単に済ませたくなっちゃうけど、これが思っている以上に伝わらないのだ。

しかも、一番肝心なところが伝わらない。

勢い、イライラして「だから」「どうして」みたいなパターンに入るか、『やっぱりわかっていないか』みたいなあきらめになってしまう。

で、仕様書を作らないで一番伝わる方法は、「やってみせる」しかない。

山本五十六が「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」と言ったそうだけど、最初の「やってみせ」と言うのは実は、コミュニケーションのことなんだよね。

実務的には、コミュニケーションしながら仕事も進むから、「生産性」(最近、やたら耳にする言葉だね)も良い、合理的な解決法なのだ。

また、次のコミュニケーションの時に「あれ」「ああ、あれね」と使い回しが効いて便利でもある。

仕様書を作ってしっかり伝えるか、「やってみせる」のか、実は戦略的な選択なのだよ。


空へ


2016年12月15日木曜日

人材像って語るもの?測るもの?育むもの?

採用場面ではよく「当社の求める人材像」が語られるよね。

採用担当者は、VOC(Voice of Customer)を集め、苦心しながら人材像を結ぶけど、自分や社内に置き換えた時、なんだかすっきりとしないんじゃないな。

なぜなら、自社らしさが明確でそれに沿ったものであれば納得感もあるけど、多くの場合は現場でのマネジメント課題が反映される傾向が強いからだ。

現有メンバーでできていないことを新しいメンバーに期待したくなるのはわからないじゃないけど、マネジメントや環境の問題を棚に上げていては話にならない。

まず、マネジャー自身が変わってメンバーのポテンシャルを引き出し発揮能力を高める方が先だ。

しかし、これは結構大変。

「自分」が変われたとしても、メンバーが変わるかはわからない。

一方、仕事の成果はそんなに悠長に待ってくれない。

だから「こんな奴が居たらなぁ」「こんな奴いないかなぁ」「こんな奴を採用してよ」と、どんどん採用担当にお鉢が回ってくるわけだね。

まあ、採用担当としては、リクエストにちゃんと答えればあとは現場の責任だからミッションコンプリートなのだけど、そんなに都合の良い人材は居ないから、結局、人材像において何が足りないのか、それをどう育てていくのかという目線で現場と合意するのが一番良いのだと思う。

マネジャーには、「俺(私)はどんなメンバーでも育てられる(育ててみせる)」と豪語する人も結構いるけど、社員はマネジャーの私有物じゃないから、採用担当は人材像を通じてメンバーをマネジメントする必要があるのだ。


 そーっとね


2016年12月14日水曜日

知能とは生命の証だと思う 人工知能と知能の埋められない隔たり

色々な場面で人工知能が注目されているけど、そもそも「知能」って何だろう。

「知能」は常に生き物とともにあるものだ。

人間が発揮する「知能」は身近な動物に比べれば確かに高度だけれど、「屋久杉」が何千年も生き長らえることはなんて、人の一生に比べたらすごい「知能」と言えるんじゃないかな。

つまり生き物が自分の時間を生きるときに発揮するのが「知能」であると考えてみたいわけです。

そしてもし「生命」があるということが「知能」を発揮していることと実態が同じだとしたら、「人工知能」ってちょっと違和感があるね。

その仕組を知れば、今日の「人工知能」は、知能というより自動分析装置でしかない。

データとプログラムを設定すると結果が出力される装置だ。

人が使うソフトウエアの範疇を越えていないわけで、脳の構造を模したとしてもそれは、脳に遠く及んでいない。

一方、生き物の「知能」は環境にしなやかに適応し、最適な結果を導いて時間を自分のものにしている。

やがて、汎用型になれば、その隔たりは狭まるのかもしれないけど、そろそろ人工知能という呼び方を止めても良い頃じゃないかな。


人工ではあり得ない知能




2016年12月13日火曜日

疑り深いのは、学習の結果? それとも気質? あなたは何を根に持ちますか?

職場には様々な「疑い」が渦巻いているよね。

「言ったことをちゃんと理解しているのだろうか?」という日常的で軽めなものから、「実は裏で自分の足を引っ張る画策をしているのじゃないだろうか・・・」みたいなドロドロのものまで数えたらキリがない。

疑いはその都度晴らせばスッキリ、職場は明るく前向きになるのだろうけど、ずーっと引きずる人がいるとなんだかもやもやするね。

場合によっては「疑うことが仕事」なんてこともあるから疑うことを否定するのま間違っているのだ。

さて、何か問題が生じたり、失敗したり、はたまた人に裏切られたりした結果、人や物事を疑うようになるのだろうか。

役割として疑うケースは別としても、そもそも信じない、根に持つといった気質に由来する「疑い」のほうが多いのではないかと思う。

また、そういう気質の人は結構、記憶力が良い。長期記憶と記憶を呼び出す能力が優れているのかもしれないけど、疑いやすい気質で記憶が良いとなると、いつもストレスを溜めていそうです・・・。


ところで、疑いやすい気質で無いとしても何かしら「根に持っている」ことは誰にでもあるよね。

「忘れられない疑い」、だ。

でもこの「忘れらない疑い」は、実は自分をよく知る手掛かりになると思う。

自分はなぜあの疑いを温め続けているのか、という問いと、どうずれば手放せるのかという問いは、いまの自分を変えるきっかけだよね。

一度、相手を疑うためでなく、『自分を変えるため』に根に持っていることの棚卸しをするのも良いかもしれない。


つるっといこう




2016年12月12日月曜日

仕事のストーリー、描けていますか?

事業戦略の「ストーリー」を取り上げた一橋大学の楠木教授は、「組み合わせ」でなく「順列」であることが重要であると言っている。

さて、個人的に仕事の「ストーリー」でも同じことが言えるのではないかなと思う。

例えば、多くの仕事は常にインプットとアウトプットがあるよね。

わかりやすく言えば仕事とは、誰からか受け取って、誰かに渡すことの連続だ。

そこで、「AさんからBさん」なのか「BさんからAさん」なのかと言った「順列」を描く余地が生まれる。


仕事で人の配置を考えることは、単に機能や効率を上げたり、人を育てるためでなく、仕事を「ストーリー」にすることだと捉えると、どんなことに気づき、取り組めるのだろうか。

まず、「良い仕事を生むためのストーリーとは」「ミスのない仕事をするためのストーリーとは」と考えると自然と人の強みに目を向けているよね。

「新しい仕事を生むためのストーリー」であれば、ゆらぎを起こす組合せを考えるだろう。

「仕事を変えるためのストーリー」であれば、きっと今までにない人の配置だね。


では、「代わり映えのしない仕事のストーリー」ではどうだろう?

きっと、3ヶ月前、半年前、1年前、3年前と同じ人の配置だ。

人の配置を変えることは面倒くさいし、一見、効率が悪く見えるけど、良いマネジャーはきっと良いストーリー作家として采配を振るうのではないかな。


横断歩道と並木でabbey road のストーリー



2016年12月11日日曜日

経営センスのある人材ってどんな人材?

事業環境が複雑に変化するご時世において、経営者が従業員に環境変化を事細かく理解させ、行動を指示することは不可能だよね。

だって、現場は細分化されているし、その現場ごとに変化は逐次起きていて現場ごとに異なっているものだから経営者がその状況を把握し、従業員に理解させ行動を促していては手遅れだし、常に現場に経営者が居なくてはならない。

要するに、現場では、変化対し経営者のごとく判断して的確な対応をすることが求められているのだ。

では、経営者のごとくするにはどうしたらいいの?となる。

端的に言えば経営者とは、

1.事業や会社を最も自分ごとにしている人
2.事業や会社の運営に必要なスキルをもっている人

だと思う。

多くの経営者は1 and  2だと思うけど、中には1 or 2の場合もあるね。

で、ね。現場に求められる経営センスは1 or 2だ。

1は、経営者の立場を理解し、経営的に行動する判断軸を持っている人で雇われ意識の反対に位置する。

2は、経営に必要な財務、組織、マーケット、システム&プロセスのスキルを適切に使える人でMBAはそのトレーニングだね。


こういった人材は採用応募者に限らず、組織の中にも多く居ないというのが現実だと思う。


両方揃ってる?




2016年12月10日土曜日

去ってほしい社員の条件? 言葉は自分にかえってくるもの

宮﨑駿さんに人工知能を使ったCGのプレゼンを行い烈火のごとく怒らせてしまったドワンゴの川上会長。

その会長室のまえに「去ってほしい社員の条件」という以下の7カ条が掲げてあるそうです。(家庭遺産

・知恵のでない社員
・言わなければできない社員
・すぐ他人の力に頼る社員
・すぐ責任を転嫁する社員
・やる気旺盛でない社員
・すぐ不平不満を云う社員
・よく休みよく遅れる社員

このように他者に何らかの態度を求めたとき、求めた当人にも当然目が向くよね。

「そういうお前はどうなんだ」

冒頭で、宮﨑駿さんと川上会長のエピソードを書いたけど、怒らせてしまったシーンをそのまま放送させた場面を考えると、知恵を出し、やる気をもって自らプレゼンし、その結果の責任を取った、と言えるのかもしれません。

さて、人材の採用を行う企業では多くの場合、「こんな人材を求めています」と明示している。

じゃあ、その企業の社内は皆、そのような人材なのか、もう少し現実的にするなら、そのような人材になろうと努力しているのか、が問われることを忘れちゃいけないね。

もちろん、トップを始めとして、ね。


寄り添ってるね

2016年12月9日金曜日

まとめサイトを担がない、騙されないためには3つの態度と3つの能力が必要だと思う

このところネット上に流れる様々な情報に関する話題が国内外を問わず騒々しいよね。

まとめサイトが曲がり角、サイバーAやヤフーも一部記事の掲載中止 DeNA問題受け見直し急

「偽ニュース」対策強化を=クリントン氏、米議会で訴え

虚構ニュースサイトや過度に偏向したブログなどに人々が関心を持ち検索上位であれば広告収入のために真偽も確かめず、しかも無断で情報を転載することで更に拡散する、と言う問題だ。

端的に言えば「デマ」が「流言」として広がるプロセスをインターネット上のビジネスモデルが加担し拡大している。

そしてクリントン氏の件など見ても、実害がありそうだね。

「流言の心理学」(1974 オールポートマン、ポストマン)は、デマの伝播に関する基本法則 を「デマの強さ」R=「重要さ(主題の個々人にとっての)」i × 「論旨のあいまいさ」a としたけど、今日では、× 「情報チャネルの広告ビジネスモデル」z が間違いなく加わっている。

テレビのやらせ問題や出演者を消してしまうなど行き過ぎた編集も、根本には広告ビジネスモデルの存在があるのだと思う。

多くの人を集めるためにいかにネット上で連鎖を生むのか、結果として広告ビジネスモデルの問題解決のために「デマ」が使われ、「流言」として広められてしまった格好だ。


さて、インターネット社会の到来とともに情報リテラシーの議論が巻き起こったけど、解決どころかますます深刻化している。

正しく伝え、受け取るために情報を見極めるには、公正で客観的な態度と、適正な判断能力が必要だ。

そこで、公正で客観的な態度は、
1.いかなる場面でも自分の感情や欲求に流されない(その努力をする)
2.様々な他者の視点に置き換えて考えている(その努力をする)
3.自立した主体として他者との共依存関係にはまらない(その努力をする)
ことであり

適正な判断能力は、
1.信念や主義の上位に公正であることを位置づけている
2.普段から情報判断の試行錯誤を通じて経験を蓄積している
3.物事の本質や根本に立ち返って思考する
ことだと考えた。


困ったねぇ


2016年12月8日木曜日

リフレクションを活かして不満の本質に気づこう

どんな組織にも不満を持った人は必ず居ます。

もちろん、様々な場面ごとで考えれば、不満が無い人はまず居ないことでしょが、一貫性を持って不満状態にある人が組織には少なからず存在しています。

不満とは、充足感が欠乏している原因が外在していることを認知している内的な状態であると言えるでしょう。

マザーテレサの言葉では、

”最後に振り返ると、あなたにもわかるはず。
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。

あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。
                       マザー・テレサ”

とあるのですが、不満はとてもパーソナルなものですよね。

だから、他者に不満を伝えるためには、様々な方法で表明する必要があります。

表情、言葉、行為などなど手段は多岐に渡りますがいずれにしてもトゲトゲしたものになることは間違いありません。

さて、充足感の欠乏を感じると人はその原因を探りますよね。

「なぜ?」と。

そして、どうもその時一番身近にある困難を原因と捉えるバイアスを持っているようです。

この無意識バイアスを知り、正しく自分の欠乏を知るためにはリフレクションが良さそうです。

リフレクションは、座禅や瞑想と違い、意識的に自分や他人の本質に目を向ける行為と理解していますから、気づきを得て行為を修正する、つまり、原因が外在しているとの認知を正すことに適していると思うのです。


クラウド化する原因





2016年12月7日水曜日

心で感じるう美しさが生命になにを与えるのだろうか

第二次世界大戦下、ドイツ強制収容所での体験を綴ったフランクルの「夜と霧」は有名だし、その内容は今でもとても鮮明だし強烈です。

そして、あまりにも過酷で生死の際にあった収容所での日々において、食べるものも無いなかで夕日の美しさに心を動かされた人がなぜ生き残ったのかという問いがその後のフランクルの人生に大きな影響を与えました。

さて、今年ヒットしているアニメ映画で風景描写の美しさが話題になっている。

Wikipediaを見ていたら、映画監督は思春期の苦しい頃に美しい風景に励まされたというくだりがあった。

そのとき思い出したのが、冒頭のフランクルの「夜と霧」だ。

映画監督が心を動かされた風景の美しさが、彼の作品を見た多くの観客の心も動かしている事実は、心が美しいと感じるエネルギーは絶望的な状況でも生命に輝きを与えるものであると信じるに足る証拠に違いないのだろう。


「心で感じうる美しさ」は人の感情に強く影響する。

であれば、「感情」と「生命」の間に何らかの関係があると考えられるのではないかな。

ただ、感情と言ってもエモーショナルでエキセントリックなものでなく、内向的であることは大切なポイントだろうね。

アドレナリンが出るような話じゃなくて、汚れた血液が浄化されるような出来事なのでしょう。

そう、「心で感じうる美しさ」は生命を洗濯する仕組みなのだね、きっと。


生命の洗濯





2016年12月6日火曜日

記憶に残ってしまう不誠実さ 不誠実さを与える3つの行動とは

フェイスブックのタイムラインで「大切なのは、誠実さ。」という言葉を見て妙に共感してしまった。

というのも、ちょっと不誠実だよな、と感じる人の投稿がその前の方にあって少し考えていたせいかもしれない。(要するに、「いいね」しなかったのだ。)

とはいっても自分事として振り返れば自分自身が不誠実を山積みにしてきた当人なので、偉そうに人を批判なんて一切できません。


さて、他人の不誠実さってなかなか忘れられないよね。

それも、行動を止めてしまうくらいの影響性がある。

例えば、ドタキャン。

宴会など人数で手配している場面でのドタキャンはとても不誠実だ。

もちろん、誰にでも都合の悪くなることは1回や2回はある。

しかし、それが3回、4回となるともう、声を掛けたくなくなってしまう。
このように不誠実さはネガティブスパイラルを強化する。

他者に不誠実だと感じさせる行動は以下の3つだ。

 1.自己中心的な行動(自己都合最優先、他者の迷惑に無配慮)

 2.一貫性のない行動(気まぐれ、不安定さ)

 3.公正さの欠けた行動(贔屓、もしくは嫌がらせ)

そして、他者の力を借りていくためには避けなければならない行動でもあるよね。


冬の彩り




2016年12月5日月曜日

仕事での「◯◯力」の測り方 間違っているのは何?

世の中には「◯◯力」が溢れている。

学力からはじまって、基礎力、想像力、人間力、女子力などなど留まるところをしらない。

簡単に言ってしまえば ◯◯力 = ◯◯することができる、ということだけど、先程の人間力とか女子力といった表現は他者よりも優れいることをより強く表わしているのだ。

そう、「◯◯力」はどこかで他者との比較が入ってくるね。

だから測る時は同じ条件で「◯◯力」くらべを行うことが多くなる。

テスト問題とか、50mトラックとかが「同じ条件」だよね。

でも、「同じ条件」を揃えることは、ある意味とても特殊な状況であり、非日常的だ。

そこで会社で仕事を通じて測られる「◯◯力」は場面も状態も異なる状況で測定されることになる。

で、ね。要するに会社で語られ、測られる「◯◯力」の多くは想像とイメージの産物だっていうことだ。


「◯◯力」が人を説明する力はそれほど高くないってことを間違っちゃいけないね。


紅葉力?






2016年12月4日日曜日

「殻」と「壁」を克服する方法 昨日の続き

昨日の結論は、「壁」は見えるもの、「殻」は自分では見えにくいものということだった。

では、「壁」と「殻」を活かして人はどう成長しているのだろうか。

結論から言えば、「壁」を越えるために身につけるのがスキルで発揮するのがバイタリティだね。

そして、「殻」を破るのに必要なのがフィードバックと内省だ。


たとえば、事業での課題を解決するためにはロジカル・クリティカル・インテグレーティブに事実を理解し考えるスキルと、局面を打開するパワーが必要だ。

一方で他者を巻き込む人との関わりにおける課題を解決するためにはまずが自分自身が変わらなくてはならないけど、人は自分を見る他人になることはできないから他者からフィードバックをもらい内省する必要があり、そのために最も必要なことは謙虚さだ。

ただ、フィードバックをしてくれるのは生きている人とは限らない。

先達の知恵による啓示も自分を知るためのフィードバックに成り得る。


スキルとスタミナを身に着け、他人の助けを得て自分の本質を知り新たな選択肢を通じて自分を変える。

「壁」と「殻」を克服し成長する方法は言葉にするとシンプルだ。


克服して大きくなる



2016年12月3日土曜日

「殻」と「壁」 成長を促すものとは

「壁」はいろいろな場面で重要な役割を果たしているよね。

ベルリンの壁もそうだし、養老孟司さんの著作「バカの壁」は400万部も売れたらしい。

でも、成長にとって重要な「壁」はナチュラルパワーが通用しない状況だ。

つまり、普段通りではダメな瞬間に目の前に現れるものだよね。

だれでも経験があると思う。

「このままではまずい」と思ったとき、人はそれまでの経験ややり方を捨てて新しい学習がはじまるとも言われているから、「壁」は成長を促す仕組みであると言えるのかもしれない。

一方、「殻」は自分にとって心地よい状態を作り出す。

「自分の殻にこもる」と言うけど安心できる心理的空間と言えるでしょう。

そして「殻」は、「壁」と違って、自分ではその存在に気づけないことが多い。

一方、心地よさに安住している人を外から見ると「殻」がはっきりと見える。

自らその存在を感じ越えることで成長につながるのが「壁」で、他者からのフィードバックによってその存在を受け入れ破っていくことで成長につながるのが「殻」なのだ。


殻に入る?

2016年12月2日金曜日

今年最後のがちゃトークは気づき満載だったよ

今日のがちゃトーク、テーマは「日本語」でした。

面白かったのは、「日本語に関する話の展開」と「日本語を通じた人との関係」について気づけたことだったね。

トークテーマが、「日本語の不便なところ」「美しいと思う日本語は?」「日本語を大切にしていますか?想いを込めて語ってください」の3つだったこともあるのかもしれないけど、「日本語に関する話の展開」は、対立、真価、本質へとドラマチックな展開となった。

そして、本質では「操作」「プロトコル」「憧れ」と「日本語」を語りながらも実は他者との関係を語っていることに気づいた。

最近では少なかったゼミ生が多かった今晩のがちゃトークは今年を締めくくるに十分な手応えだったのだ。



グラレコ だよん

30代半ばから40代半ばのキャリア

仕事がらいろいろな年代のビジネスパーソンを目にする機会が多い。

その中でも特に注目しているのが30代半ばから40代半ばまでの年代だ。

なぜなら一通りの社会経験を積み、良くも悪くも自分らしさが出せる時期であって、将来への可能性と自信と意欲と社会的責任のアンバランスさが絶妙だからだ。

40代後半になると、大人度が上がり、50代からは悟り度が増すのでなんだか面白く無くなる。

自分自身を振り返ってみても、同窓、同期の飲み会に行ってもそう感じる。

ビジネスシーンは常に他者との関わりだから30代半ばから40代半ばの個性が際立ち魅力的なのかもしれない。

最近、経験豊富な方の30代半ばから40代半ばの頃をよく想像するのだけど、可能であればその年代の時にお会いしたいと思える方が本当に多い。

ちょうど宇宙から地球の台風を見下ろすみたいな感じでね。

きっとすごい破壊力だったんだろうな。


個性