2016年10月31日月曜日

配属する人、される人

人事には「配属」っていうけっこう手の掛かるお仕事がある。

でも、それはある意味で働く人の運命に関わる瞬間だ。

だから配属する人の責任は重大で、ほんとはくじ引きみたいな決め方であってもそんなこと口にできない。

また、会社や組織の事情で決まっていることも公言し難い。

だから、配属される人には常に「なぜ」がつきまとうわけだね。

この「なぜ」を前向きに捉える人は、パフォーマンスも高いよ、というのがクランボルツの「計画的偶発性理論」だ。

「ぐーきゃり」とか言われちゃうくらい有名な理論だね。

でも、シンプルに考えれば、配属には根拠があり、配属された理由がわかったほうがみんなスッキリする。

だって、「無意味化」ってやる気を失わせる決定打の1つだもんね。

で、ね。根拠と理由の背景には会社を良くしたいとか、自分が成長したいという想いがあることを配属する人、される人は誤魔化しちゃいけないのだ。

配属を手間とか言わずにもっと本質に向き合ってやったほうがいいと思うよ。


偶然?


2016年10月30日日曜日

無問題? 問題ととらえるかはその人次第

上海で色々な発見があったけど、その第三弾は「時間」だね。

良く中国人は何につけ「無問題(問題ないよ)」と言うけど、特に時間に関わる感覚は日本人と異なっているように感じる。

例えば、ホテルのチェックインの時間。

ちゃんとした高級ホテルであるにもかかわらず、今回部屋の準備が間に合わず1時間以上待たされた。

それも事前に電話で確認したのに、だ。

そして次は飛行機のフライト。

予定通りの時間に搭乗が完了したけど、当局から離陸の指示がなく機内で1時間30分近く待たされた。

どちらも裏で何があったかはしらないけど、この手の出来事に遭遇すると思い出すのが冒頭の「無問題(モーマンタイ)」です。

これは、中国人がルーズなのだというより、予定通りに行かなくても現状を「正」とするマインドが強いように思えるね。

つまり、そもそも問題が発生していないから「無問題」なんだよね。

この、「当然」に対する認識の違いって他者理解、ひいては自己理解において、結構重要なことなのだ。


「ごめんね」?

人は変われる、という実証

人事を支援する仕事において実感、体験がなく「かくあるべし」の提案は虚しいね。

要するに「そういうお前はどうんなんだ」って突っ込まれるやつだ。

そこで、グローバル化が盛んに議論される中で、外国国籍の人材採用を決めたのが3年前。

その人材が自国に社員のまま戻り会社の事業発展に取り組むという新たなフェーズに入った。

で、ね。彼女が語ったのは、「人のせいにするのではなく自分が変わること」と「仲間の大切さ」に気づいたということでした。

これは、今の仕事でとても大切にしていることであり、その想いが通じたことは国籍にかかわらず「人は変われる、成長できる」という実証にもなった。

「人は変われるのか」という問いは戦略的には情緒的である一方、教育的には「変われる」が前提なのだけど、実際にできた事を通じて一歩も二歩も前進した気がする。


異国の夜


2016年10月28日金曜日

発見のある日常を送るための非日常

日常の中に発見をするのでなく、発見のある日常を送ること。

同様に、気づきを得るために気づきのある日常を送るという考え方は、受け身から能動的に仕掛けるパラダイムシフトだよね。

で、ね。今日は上海に来ているのだけど、上海という非日常から日常を振り返ると発見がある。

例えば、夜景という観光資本を活かしている上海と、スカイツリー周辺を思い浮かべても活かせていると思えない東京の違いから見える本質への気づきだね。

東京の観光資本はノスタルジー的だけど、上海は未来志向的に思える。

つまり、いつの間にかこれまでに執着する日本と、これからを考えている中国の差を謙虚に受け止め考えることへの気づきだね。

まあ、そんな感じで今日1日が過ぎていくのだ。



上海なう



2016年10月27日木曜日

格好良く夢中になりたいね

カメラで写真を撮るのが趣味なんだけど、時に撮りた気分が萎えることがある。

それは、他の人の撮影マナーの悪さだ。

自分だけが良い写真を撮りたい気持ちはわかるけど、カメラを構えている人を全く気にせず割り込んでくる姿は時に微笑ましいこともあるけど、基本的にはアカンと感じるよ。

で、ね。「何かに夢中になる」ことは、他者を元気づけることもあれば、萎えさせることもある、ってことだ。

趣味も仕事もいっしょ。

他者の邪魔をしない夢中さは他者を元気づけるけど、他者の邪魔をする夢中さは多大な迷惑でしかない。要は自己中なんだよね。

ものすごく夢中なんだけど、周囲がしっかり見えていて他者に敬意を払える、そんなチカラを身に着けたいものだ。


夢中用心!



2016年10月26日水曜日

引き算の戦略 残るのは宝物か平凡な物か

写真は引き算の芸術と言われるけど、誰かに何かを伝えたい時は余計な要素をどれだけ取り除けるかが大切だよね。

これは、プレゼンテーションでもそう。

必要な要素を盛り込んでいくと必ず盛り過ぎになってしまう。

1枚にまとめようと思っていたのにあれが必要、これも必要って、気がつくと8枚くらいになっているのはザラだよね。

人の短期記憶の容量はとても小さくて電話番号くらいだし、大人の集中力は20分ってことを考えれば、少ない要素を短時間で繰り返し伝える必要がある。

深夜早朝の通販番組を思い起こしてみると良い。

この理屈をしっかりと実践しているよね。

でも、通販番組はこのうえなく退屈だ。

引き算をして重要なものを残していくとあたりまえの平凡なものになってしまう、ってことだね。

部屋を片付ければ綺麗になるけど殺風景になるのと同じで、強く訴求する主題があってはじめて引き算の戦略は意味を持つのだ。

余計な要素を取り除いた時、なんだか平凡に思えたら、それは残った主題の魅力が無いことに気づかなくちゃいけないね。


窓ではないアートな壁面の覆い

2016年10月25日火曜日

動画のチカラ 

最近、岡崎体育さんの「MUSIC VIDEO」という動画が気になる。

「MUSIC VIDEO」は、真面目に作っているミュージックビデオの”あるある”を集めて歌(動画)に仕上げた、メタな動画なんだね。

皮肉っぽい気もするけれどちゃんと良い出来だ。

宇多田ヒカルさんの最新アルバム「Fantome」が4週連続1位で売上46.5万枚がすごいと話題になっているけど、「MUSIC VIDEO」は視聴回数が12百万回とこちらもすごい。

もちろん、有料と無料の違いがある。

で、もっとすごいのがピコ太郎さんの「PPAP」で、65百万回(関連動画含めると2億回)。

大阪の小学校では将来の夢第3位が「ユーチューバー」だそうだけど、この数字をみると結構、真剣なんだと思うよ。

ネットの世界では単純にフォロワーの数が発信力を表しているし、それはビジネスチャンスを意味している。

映画「マイ・インターン」では主人公がインターンシップに応募する際、募集要項では履歴書でなく、自己紹介ビデオをYoutubeにアップロードすることを求めている。

これは映画だけの話でなく、アメリカのあたりまえだ。

誰でも簡単に発信が出来る時代になった結果、世の中はより発信力の強い人に注目するようになっている。

そして強い発信力を持っている媒体が「動画」であり、皆がもう一度見たくなるコンテンツにはすごい可能性が秘められていると言えるのだろうね。



チーン

2016年10月24日月曜日

フレームとスキーマ 立て付けの悪い枠から隙間風が吹く?

いろいろな英語が日常で遣われるけど今日考えているのはフレームとスキーマだ。

フレームは「枠」でスキーマは「構造」だね。

フレームは視点にバイアスをかけたり狭めたりする効果がある。

だから、同じ意味を取り出すのに便利な仕組みだ。

一方のスキーマは意味を作り出す構造だ。

例えば、データベースがある意味を持ち機能するのはスキーマのおかげだね。

意味を取り出す仕組みと、意味を作り出す仕組み。

この2つを使うと意味を操れる。

たとえばこの写真。

人は意味を作るためにスキーマを持っているので何かを感じてしまう。
モノクロからはどことない古めかしさと造形の複雑さを感じるね。

さらに枠をつけてどこかに配置すると、主題となってかつてそこに居た寂しい薔薇の物語りが始まる。

一方でスキーマとフレームを間違うと残念なことになるよね。

気をつけましょう。


意味化、してる?

2016年10月23日日曜日

Webが地形ならばSNSは海 浮かんだり沈んだり、浮かんでこなかったり・・・

SNSへの発信と人の状況ってなんだか「海」とそこで生きる「生きもの」のように思える。

海の生きものと言えば、クジラやイルカなどの哺乳類、魚類、そして魚類のなかでも深い海の底で暮らす深海魚がいる。

で、ね。よく投稿する人は哺乳類的。

つまり、呼吸するためには浮上しなくちゃならない。

この浮上の仕方とSNSの投稿が似ていると思うんだ。

仕事や家庭に何某かの問題が生じると頻繁に投稿するようになる。頻繁な息継ぎが必要になるからだ。

でも仕事や家庭が忙しくなると投稿が減る。

つまり、潜るわけだね。

SNSへの投稿とその人のマインドセットってどうも関係があるように思える。


さて、中にはほとんど投稿せず水中に居る人もいる。

仕事や生活が充実しているから、と言えばそれで良いのでしょう。

そもそもSNSにアカウントを持たない人もいるけどそれらの人は深海魚みたいな感じかもしれない。


水面か、水中か、深海か、と言う観点でSNSの投稿を見てみると結構、興味深いのだ。



上なのか、下なのか

2016年10月22日土曜日

愛されキャラであるために、受け止めることと自分の世界をもっていること

パフォーマンスは低いけどチームに必要な奴。

上司や先輩から可愛がられる新人。

そして全世界から愛される存在。
例えば、SNOOPYの「チャーリー・ブラウン」であり、ドラえもんの「のび太」くんのような、と言えばわかりやすいね。

これら愛されキャラには共通点があるよね。

1,機転が利かずドジ
2,運があまり良くない
3.自己世界を持っている

そして重要なのが、
4.素直で受容性が高いけど思ったことには一途である
5.謙虚で正直

ようするに他者や状況を受け入れる姿勢が強いのだけど結構マイペースだから失敗しちゃってそれを素直に認められる、ってことだね。

だから失敗しても許されるし、他の人を勇気づけられるのだわ。

「しょーがねーなー」から「俺も頑張らなくっちゃ」とね。

以前、落語の主人公っては失敗する人なんだって話を聴いたことがあるけどそれと一緒なのかもしれない。

人とは、上手く行かなくても精一杯やろうとする姿に癒やされる特性を基本的に持っているのだろうね。


だーれだ



2016年10月21日金曜日

前頭葉を失う時代? 利他性を蝕む利己性の不気味さ

アメリカ大統領選挙がもうすぐ始まるけど、今のところひどい醜聞合戦だね。

特にトランプ候補の言動は酷い。

これがアメリカだけかと言えばそうでもなくフィリピンもそうだし、そんな国が増えているのかもしれない。

脳科学的には、社会性は我慢という賢さにチャンスを与えているらしいけど、昨今の出来事やネットで毎日のように起きる騒ぎを見ていると我慢できない人が増えているようだね。

社会性を司る脳の前頭葉は8歳くらいで98%が完成するが、臓器としての成熟と社会性の成熟は別物なのかもしれないね。

利他性は、群の生存能力を高める有効な戦略だけどひょっとしたらそれを上回る戦略が求められている時代なのかもしれない。

ネットワークの浸透で高度な社会化が進行した結果、有効な戦略が変わったのかもしれないのだ。

個人的には一時の「ゆらぎ」と思いたいけどね。


あり得ないものを無くしていく

2016年10月20日木曜日

日本人はバランス感覚が優れているのか、劣っているのか

「和」を大切にする日本人にはバランス感覚が備わっていそうだけど現実的にはそうでもなさそうだね。

職人気質(しょくにんかたぎ)や、派閥政治はその良い例だよね。

村社会もそうだし、「いじめ」などもバランス感覚が欠乏しているが故の問題だ。

クレイマーや事なかれ主義もそう。

で、ね。バランス感覚の本質って、ホリスティックさ(全体平等志向)にあるのだと思う。

それは目の前の利害調整でなく、未来に向けた学習と成長の源泉だ。

日本が、明治維新後に急発展できたのもこのホリスティックさがあったからなのじゃないかな。

身近なところではインターネットはその実証だ。

一方で、メーカーの独自路線で駆逐されてしまったガラケーなんぞは日本人のバランス感覚の無さの現れである悪い例かもしれない。

学習と成長の源泉が、バランスを取りながら振り幅を広げることであるとしたら、僕達日本人は明治維新の頃より退化してしまったのか・・・


バランス



2016年10月19日水曜日

その仕事にアフォーダンスはあるのか

ドアの把手を見ると、言われなくてもドアの開け方がわかる。

こうした環境が人に与える意味を「アフォーダンス」って言う。

平たく言えばこう使いなさいって、モノが教えてくれることだね。

さて、現代はハードウエア(硬いモノ)だけでなくソフトウエアも私達をアフォードする。

例えばポケモンGOはそのいい例だ。

では、仕事はどうだろう。

そう考えると、仕事に意味を見つけるために多くの時間が費やされていることに気づくね。

つまり、多くの仕事にはアフォーダンスが少ない(か無い)。

だから、インターンシップが必要だし、研修が必要だし、リアリティショックでメンタル、離職が発生するのかもしれない。

仕事(という環境)は意味があるのではなく意味を見つけるもの、と言ってしまえば格好いいけど、これは生きていく上でとても厄介なことだよね。

だって、どう使っていいかわからないモノ(最近、多いけど)が目の前に有ったら単純に困るでしょ?

で、ね。すぐに気づくのがこのアフォード具合は経済性ととても密接に関わっているってことだ。

この意味ならいくら、って言う具合に無意識のうちに値決めすることが出来るんだ。


話を仕事に戻すと、アフォーダンスが少ない仕事は無意味感が強く苦痛を感じやすいと言える。

そこには当然、アフォーダンスを得られるための当人の成長も必要だ。

「その仕事にアフォーダンスはあるのか」と言う問いは案外、面白くて深い問いなのかもしれないね。



雲の形もアフォードしている


2016年10月18日火曜日

創発する未来を人はどう予測しているのか

人に自由意思はない、という認知科学の議論の中では人は意思を持つ前に行動の準備をしていることがその根拠となっている。

つまり、人(と言うより生き物)は常に未来を予測し行動している存在だっていうことだね。

その考え方に経てば、未来を予測するのがデフォルトであって、改めてどう予測するのかなんてナンセンスな話に聞こえる。

でも、実際は、未来の予測で右往左往するのが人の世の常だ。

一方で、未来とは不確定で予測不能であることも知られている。

要するに時間軸にして、無意識で予測できる未来と、意識下で予測できない未来がある、ということなんだ。

実は、無意識で予測できる未来は、人工知能でも予測できるけど、意識下で予測できない未来は人工知能でも予測できない。

なぜなら、次と次の次の間にある条件を知ることが出来ないからなのだ。

無意識の予測は、なめらかなに生きることに欠かせないけど、その先の予測は強く生きるために欠かせない。

例えば、「こうありたい」とか「こうしよう」というのは強く生きるための宣言であり予測でもある。

結論的に言えば、創発する未来を人は「こう生きるのだ」と予測しているのに他ならない。

そのことに気づけば、誰かの戯言に惑うことのない未来予測のあり方を見つけられるんじゃないかな。


未来が見える?


2016年10月17日月曜日

場数が踏めない時はどう過ごす? 経験が作れないときの経験学習を考えよう

グラフィック・レコーディングを学んでから、ほぼ毎日スケッチブックとプロッキーのセット持ち歩いているのだけど、このところ場数が踏めていない。

議事を録るというより、このところ考え抜きながら対話や議論をすることが多いせいかもしれない。

また議事を進めるファシリテーションに立ってしまうとスケッチブックじゃなく板書になっちゃうね。

師匠からは何よりも「場数」と教わっているのでこれはかなりのピンチだ。

なんとかしなくちゃね。


さて、仕事をしていると場数が踏めて自然とスキルが熟達することと、場数が踏めずにスキルの獲得が進まないことがあるよね。

しかし、そのスキルの獲得が仕事におけるクリティカルインシデント(核心的な事柄)だとすると、経験を運に任せるわけにいかなくなる。

そこで予行演習や訓練が登場するのだけど、すくない場数で能力を発揮するためにそれらは欠かすことが出来ないよね。

で、ね。予行演習や訓練には当然コストが掛かるけど、経験学習にとっては欠かすことの出来ない先行投資なんだ。

でも、その意識が無い予行演習や訓練は単なるコストでしかないからとても無駄に思える。

経験をより価値のあるものにするには日頃から先行投資を忘れちゃいけないのだろうね。


絶え間ない


2016年10月16日日曜日

視点を下げて世界を見上げてみよう

先日、デパートに行ったら盆栽の売り場で店員さんが下から見上げる盆栽の見方を教えてくれた。

百貨店って買わないお客にもとっても親切だよね。

さて、教わりながら見上げると幹とか枝ぶりがよく見えて、大きな木を下から見上げるような印象だった。

逆に森や林を歩く時はいつも下から見上げていて上からは見下ろせないから、盆栽の下からの眺めのほうが見慣れれた景色なのかもね。

で、ね。ちょと考えてみるとこういう、コンパクトにした瞬間にいつもの観点を無くしてしまうことって案外多いのかもしれない。

とくに上の立場に居るとかつて見ていた下からの観点を失いがちだよね。

かつて組織人の大規模調査を行ったところ、ハイパフォーマーは常に一つ上の立場の仕事ぶりであることがわかったけど、組織トップのハイパフォーマーは一転して、初心に戻っていた。

さらに上ではなく基礎に帰るんだ。

これ、盆栽の見方とどこか似ている。

うわべではなく、構造の本質を知るってことだもんね。

奥が深いよなぁ。


見上げる



2016年10月15日土曜日

「既読」ってなんだろね コミュニケーションを改善することの難しさ

LINEは便利だよね。

特に相手がメッセージを見たのか見ていないのかがわかる仕組みは電話で話すことに近い。

会話では話に頷いたり復唱したりする態度で相互の疎通が確認され相互理解と信頼がうまれるけど「既読」も態度が相手に伝わる仕組みだね。

でも、対面で行うリアルコミュニケーションの改善にとっては良くない影響もあるのじゃないかな。

態度が「サイン化」されることで単純になってしまうからね。

オープンであるべきコミュニケーションが単純化によって受け入れるか、受け入れないのかとクローズなものになりやすい。

わかりやすく言えば、「なんで読まねえんだゴラァ!」だ。

結局、コミュニケーションは複雑であることによって他者との関係を作り出すものなんだろうね。


このライン?

2016年10月14日金曜日

モノを創る勇気が問われる時代

韓国のサムソン電子は開発販売したギャラクシーノート7に不具合があって大変なことになっている。

リチウム電池の発火リスクをコントロール出来なかったようだ。

サムソン電子はスマートフォンの勝者であるだけにその影響も深刻だ。


でもこの問題はサムソン電子固有の問題じゃない。

ノートパソコンの発火問題でパナソニックはずーっと回収を続けているし、他にも同じ事が起きてるよね。

要は、マーケットシェアが大きいが故に大問題化しているのがギャラクシーノート7なのだ。

もちろん問題が大きくなっているのは製品以上に対応の不味さもあるよね。


さて、モノを創る(作る)ことは常にリスクと背中合わせだ。

ギャラクシーノート7のような安全性のリスクもあれば、売れ残る在庫リスク、他社の権利を侵害するリスクなどなどリスクの種類も実に多様だ。

逆に言えば、モノ創りにはリスクを恐れぬ勇気が必要なのだ。

リスクを知るが故の勇気、だね。

だから勇気を持ってモノ創りをする人をとても尊敬しています。

でもこれはモノを創る経験の無い人にはわからないことなのかもしれないね。


リスク除けしたくなる



2016年10月13日木曜日

効力感の光と影 謙虚さが価値を生む場所

パーソナリティデータを分析すると一番はっきりと見えるのが「効力感」です。

効力感は「結果予期」(良い結果が出るだろうという予測)と「効力予期」(自分には出来るだろうという予測)で出来ていて、物事を前に向き捉える原動力になるものだね。

効力感が高い人はモチベーションが勝手に上がるし、効力感が低い人はなかなか上がらないから、一見、会社にとって効力感は大切なものに思える。

でも、効力感には光と影がある、というのが個人的な見解です。

光は敢えて説明する必要がないけど、影はまさに組織力に影を落としている。

現場レベルで言えば、効力感が高いけど他者に気を遣われる存在の人が影を落とす人だね。

効力感が組織をギクシャクさせ、ときに毒を吐く存在になるからだ。

だから、効力感とパフォーマンスの相関は実は思っているほど高くない。

もちろん効力感の低い人よりはパフォーマンスを発揮する可能性は高いけどね。

で、ね。結論的に言えば、効力感の影には謙虚さが必要なんだ。

影を影と認める謙虚さは他の人をモチベートする力になるからね。


前にしか進まない





2016年10月12日水曜日

加速するキャリアの議論はどこに行き着くのだろう

社会人になって仕事をするとキャリアっていう足跡ができる。

でも、最近はキャリアというと目的地に向かう道筋のようになってきた。

要するに計画的になってきたのだけど、裏を返せば計画性が無いと脱輪する危険性が増しているとも言えるよね。

例えば、キャリアのピークを考えると年功序列、終身雇用の社会とグローバル化社会ではまったく様相が違う。

グローバル化社会では45歳がキャリアのピークだから、終身雇用の55歳役職定年と比べても10年早いくしかも頂きはずっと高い。

となると一人前になるのに10年、なんて悠長なことは言ってられない。

入社10年、32歳くらいではすでに数部門での管理職経験が無いとそのあと上級管理職に間に合わないことになる。

必然的に人材育成の対象は若年化する。

その煽りが大学生にも及んでいて、大学でのキャリア教育に注目が集まるのを単なる就活対策と考えるのは見当違いだろう。

一方で、会社人にとっては45歳でキャリアがピークオフするとなると、そこからの20年以上をどう過ごすのかも一大事だよね。

セカンドキャリアやパラレルキャリア、副業自由化にはキャリアの道幅を広げて脱輪を防ぐ役割が少なからずあるのだ。


「ウサギとカメ」の話に例えれば、今日のキャリアは、ウサギのように速くかつカメのように休まず地道に歩むことが求められているのかもしれない。

なんだか昨今のマラソンブームが頭を過るなぁ。

今後、AI(人工知能)がキャリアデザインの領域で活用されるようになれば、より効率的、効果的にキャリアを築けるようになるのかもしれないけど、それまでは「キャリア=苦闘するもの」ってことじゃないかと個人的には思います。


自動運転じゃないし、めっちゃ早い



2016年10月11日火曜日

「リーダー」という生理現象 思っているほど論理的じゃないのかも

どんな世界においても「リーダー」は注目される存在だよね。

もうすぐアメリカの大統領選挙があるけど、これは「リーダー」を選ぶ行為だ。

その中でトランプ氏が候補として善戦?していることは注目に値する。

だって、政治経験ゼロ、煽動的でトラブルメーカーだ。

だから対立するクリントン候補は大統領の資質が無いと攻撃するけど、大統領選を戦っている段階で資質は有ると認める人が多い事実を無視するわけにはいかない。

では「リーダー」って何だろう。

日本の企業でよくある「現場リーダー」は時に、トップダウンを否定する。

”上はああ言っているけど、ありゃダメだね”

一方で、現場は上手く機能して日本株式会社の強さに貢献していたりする。

もちろん、それで迷走しておかしくなる会社も少なくない。

だけど社会は正解の無い問いだらけだから結果論からプロセスにダメ出しをするのは否定のための否定、要するにネガキャンなのだと思う。

さて、話が横道にそれたけど、孤独なリーダーは別として、基本的にはリーダーには「フォロワー:が居ることになっている。

「リーダー」の背後には「この人のためなら」「この人の言うことを信じて」と語る人だ居るよね。

じゃあ、これが論理的か、と問われると実はそうでもないようだ。

なぜなら、つい誰かをフォローしてしまう大勢の人がいるから。

SNSはそんな人の特性を見事に捉えていると思う。

で、ね。ひょっとしたら、リーダー選びって論理的な思考の産物でなく、生理的な欲求なのかもしれないよ。


光に向かう仕組みがある

2016年10月10日月曜日

パーソナリティはなぜあるの? ちょっと考えてみよう

人には固有のパーソナリティがある。

誰でも知っているけど、その理由を深く考えることは案外少ないかもしれないね。

そこで今日はちょっと考えてみる。


さてパーソナリティは先天的、後天的に形成されるもので同じ遺伝子を持った一卵性双生児でも異なることが知られている。

こういった再現性の無さを考えればパーソナリティは複雑系であることがわかるよね。

ちょっとした初期条件の違いがまったく異なる結果をもたらすのだから、「もしあの時に戻れたら」「もう一度やり直せたら」が出来たとしてもより良い結果となる保証はまったくない。

この、予測不可能性にはどんな意味があるのだろうか。

ひとつは、種の生存確率を上げるために戦略が生まれそうだね。

だって、疫病が流行って多くの人が犠牲になる状況では種が死滅しないため”皆と一緒じゃない人が居る”戦略がとても重要だもの。

一方、パーソナリティには種としての戦略じゃなく、個の戦略もある。

他の人と際立って異なる特徴を強く発揮することで他の人より優位に立つ戦略だね。

つまり、パーソナリティには、誰でも他の人に対して優位に立てる可能性が潜んでいるのだ。

それは一人ひとりが強く生きる原動力といえるだろう。



このように、パーソナリティは、種としてのリスク回避と、個としてのチャンスメイクと、とても合理的な仕組みだよね。

だから、パーソナリティに蓋をすること、矯正すること、逆に放任して強みを自覚させないことはとても不条理だ。

まあ、人は常に不条理なものだけど、その中でもとっておきの不条理と言えるんじゃないかな。


いろいろ





2016年10月9日日曜日

チームワークで本当に必要な目に見えない大切なもの

リトルプリンスの有名な一節に「大切なものは目に見えないんだよ」というのがある。

そこで、この数日で目に見えなかったものを探してみよう。

例えば、休みの日に会議参加する、会議の中で積極的に情報を提供し、自ら思考し発信することは「目に見える」こと、すなわち「自発性」だ。

そして本当に大切なのは他者にそして社会に貢献することを厭わない自らの心への素直さだよね。

目に見える「自発性」には多様さがあって、表現力にも個性があるから、他者から見た時に過不足を感じやすい。

会議のケースもそうだけど、チームワークはその典型だ。

成果を生む強い自発性を皆が求める。「怠けるな」とね。

しかしチームワークには決してパフォーマンスは高くないけど「場を和ませる人」が居ることも皆、知っている。

そのひとなりに一生懸命であることが伝播するのだろうね。

意味があるから貢献するのでなく、貢献するために意味を見つける。

「自らの心への素直さ」を言い換えるとそういうことになるのかもしれない。

さらに映画「あん」の
”「ねぇ、店長さん
 わたしたちにはこの世を見るために、聞くために生まれてきた。
 だとすれば、何かになれなくてもわたしたちは
 わたしたちには
 生きる意味が、あるのよ」”
という台詞を加えて、

”意味があるからリーダーとなってチームに貢献するのでなく、リーダーや有力メンバーになれなく、また成果が無くても意味を見つけるために一員としてチームに参加する”

ことがチームワークで目に見えない大切なことなのだと思います。


見えないもの

2016年10月8日土曜日

とって(把手)も気になることがある

会社の近くを歩いていたら不思議な把手を見かけた。

あまり気味が良くないから色々と想像もしちゃうよね。

まずこの把手は普通じゃないから何かの理由があるのでしょう。

理由として考えられる1つが何かの目印だ。

把手の顔は二人とも目を閉じているから仮眠所なのかもしれない。

でも、仮眠所だったら目を閉じっぱなしというのもおかしいよね。

ひょっとしたら扉を開けることができるのはこの二人、ということも有り得る。

となると最新の顔認証システム?

でもかなりシュールだ。

目的が機能でなく表現だとしたらどうだろう。

アート作品だとすればそれなりに納得も出来るね。

街おこしで色々な場所に芸術作品を置く試みは少なくない。

しかし、周囲にこんな把手は見当たらないから街おこしでも無さそうに思える。

うーむ、一体何だろう・・・

気になるなぁ・・・


顔、顔

2016年10月7日金曜日

変わる世界、変わらない私?

世界は複雑なことの産物だよね。

台風と一緒で予測できない、ってことなんだけど、人はその状況にしなやかに適応している。

それはすごいことなんだ。

複雑さに関しては北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる、っていう有名な比喩があるのだけど、実は日常ってそれに近い複雑さに満ちている。

で、ね。その複雑さから非日常を見つけ出すことってとても意味深いことだし、本質に目を向けることでもあるんだ。

逆に、目を背けることも可能で、そういう人は「変わらない私」という世界観を持っている。

いい、悪いじゃないけど、個人的には「非日常」を見つける方が好きです。


どこかで嵐が起こる



2016年10月6日木曜日

掘って掘って掘りまくれ あなたが苦手を克服する?方法

何でもできるスーパーマン見ないな人はほとんど居ないよね。

非日常的だから映画になるのだ。

ところが企業は社員に、高い専門性と強いチームワークとベストプラクティスとイノベーションを同時に求めたりする。

すると真面目な人ほど自分の苦手を克服しようと努力するものだ。

一方、本来は苦手じゃないのかなぁと思うことをしっかりと出来る人も間違いなく居るね。

で、ね。インタビューでそれらの人がどうやって出来るようになったのか確認すると苦手なことを克服したというより、自分の強みを深めていったら出来ていたという印象のほうが強い。

例えば、内向的なのに他者と粘り強く交渉し成果を出している人などは他者との交渉を頑張っているのでなく、その人が重要だと強く考えることと深く向き合っていく中で他者との交渉が生まれていた。

そして他の人にも同様なエピソードが確認できた。

逆に高い実績を出している人でも苦手意識を払拭するのはなかなか難しいこともわかった。

結論としては、苦手を克服するより強みを活かして何かを達成しようとすれば結果として苦手も克服できるようです。


ぐるぐる



2016年10月5日水曜日

採用も戦略だ! ってことは・・・

大学生の新卒採用って年度によってすごく変化するよね。

特に大きいのが景気の波の影響だ。

好景気と不景気によって企業の採用意欲が変化するとその影響をダイレクトに受けるのがその時、就職活動をしている学生ということになる。

さて、景気の波に関係なく大切なのが採用戦略、つまり、採用(就職)で何を取り、何を捨てるのか決めることなのだけど、採用(就職)活動をしているとついついあれもこれもと諦めない態度をとりがちです。

その大きな分岐点が「よりよい人材」「よりよい企業」といった曖昧な価値観の出現と言えるでしょう。

人材の良さも企業の良さもゼロイチじゃなくて様々な視点があるからあれもこれもと考えだしたらキリが無くなる、そんなことは誰でもわかっているんだけど、実際に採用活動(就職活動)を続けているとこの底なし沼に足を踏み入れちゃう。

これは採用担当者(決定者)、就活学生ともに戦略的リーダーシップが足りないときに特に顕著だね。

その際のポイントは「捨てること」だ。

結局、戦略的な良い採用って、「人材像において捨てることを決めた企業」が「会社観、仕事観において捨てることを決めた学生」を採用することと言えるんじゃないかな。


右は捨てる






2016年10月4日火曜日

さぼってんじゃねーぞ それぞれの成長を考えよう 

家には数種類のサボテン、観葉植物、エアプランツがある。

当然だけど、それらの成長は全く違う。

見た目で似ているところといえば総じて緑色ということくらいだね。

でも植物なので水(水分)と日光が必要であること、そして成長したり枯れたりすることは共通です。

面白いと思うのは、水やりを一様に済ませると一斉に枯れ始めることだ。

もうその時は手遅れなのだけど、自分が手を抜いたことに気づかされる。

「こちらの都合はそちらの不都合だよ」という強い警告でもある。

で、ね。植物の都合とは、元々彼らが原生してた環境条件だよね。

このそもそもの環境への適応は全ての生き物が持っている条件だから「人」も例外じゃないと思います。


昔は可愛かったのに・・・







2016年10月3日月曜日

「愛」とは

愛だよ、愛

ずーっと愛して、長〜く愛して

愛こそすべて

愛の賛歌

・・・

というわけで、「愛」って何だっていうことです。

で、ね。個人的な結論から言えば、「愛」は脳のパニックだと思う。

だから、すごい体験なのだけど長続きしない。

それは、神様が与えてくれるものというぐらい奇跡的な瞬間です。

でも、「悲愛」とか「慈愛」になると全く意味が変わるよね。

それは、神様の領域を体現するものであり、人に許された0.2秒の自由意志とも言えるでしょう。

つまり、与えられるものでなく、自ら創りだすものだね。


愛する対象は様々だと思うけど、忘れたくないことを記憶として刻むように、愛する対象を刻み込むことが出来るか否か、彫刻のようなものが脳のパニックのあとにある「愛」だと思うのです。


天使の輪


2016年10月2日日曜日

「食」と「職」 「食うこと」を考えましょう

病気になった愛犬が一番最初に見せた異変は、大好きなご飯を食べなくなったことです。

彼には「仕事」や「稼ぐ」、「生活」と言った認知も理解もないから、「食べる」=「生きる」ことだ。

だから、「食べる」ことに支障が生じることは「生きる」ことに支障が生じていることであり、とてもシンプルだね。

では、日本人はどうだだろうか?

30年前、新入社員として一番驚いたのは、昼は15分、夜は0時過ぎという食生活の酷さだった。

それは、「生きる」ことはなく「生き残る」ことだ。

確かに事業には生き残りを掛けた闘いの一面もあるけど、それだけに焦点を合わせることは太平洋戦争の「一億総玉砕」と何ら変わりがない。

もはや「ブラック」を通り越した「ブラックホール」だ。

で、ね。社内の若手社員を見て感じることは2つある。

1つは、1時間以上(ルールでは1時間)掛けて昼食をとることへの違和感であり、もうひとつはコンビニ菓子パンで昼を済ます違和感だ。

しかし、前者は自己へ、後者は他者に感じとっている。

違和感の本質は何なのか。


生きることにおいて「食」と「職」を対比させると生きていないことが見えてくるように思える。

生きているけど生きていない、生きていないけど生きている。

どうやらそれが違和感の本質であるようだ。


食う

2016年10月1日土曜日

蕎麦屋という庶民の悲喜交交

落語には蕎麦屋のシーンが多く登場します。

落語ってそもそも江戸時代のダメな人を笑いにする噺です。

その場面で蕎麦屋が登場するということは、それだけ蕎麦屋は日常生活に溶け込んでいたというこでしょう。

まあ、今日だったらサイゼリアやスタバってなことでしょうけどやっぱり庶民生活の悲喜交交は蕎麦屋だよね。

さて、今日お昼を近所の庶民的な蕎麦屋で食べていたんだけど、後から入ってきた三人家族がすごく気になりました。

まず、狭い4人席で、どちらかというと広い二人側に座ったのが子供で狭い側に座ったのが母親と父親。

子供といっても結構大きく、男子、恐らく、高校3年くらいかな。

で、ね。この子供がいきなり父親を罵る。それもニコニコしながら。結構酷い言葉遣いでした。

で、父親は本気で怒ってテーブル越しに子供にグーパンチをしていた。

でも子供は平気だし、母親も何も言わない。

この時思ったのは家庭内暴力なのかなってことだったけど、その後のやり取りを鑑みるにどっちもどっち、という感じでようするに、お互いに相手を傷つけるコミュニケーション満載なご家庭だという結論に至ったのです。

実際はどうだかわからないけど「蕎麦屋」というフィールドはとても面白いよね。

そこには日本人の家庭観と生活臭が漂っている。

だから蕎麦屋が好きなんだな。


きつねソバ