2016年9月30日金曜日

データサイエンティストに必要なもの

人工知能に注目が集まる中、データサイエンティストっていう仕事が注目されているよね。

日本では定義がいい加減で自称データサイエンティストが多いみたいだけど、アメリカではデータの取扱いだけでなく、複数の専門領域で知見をもった(博士号のレベル)人を指すらしい。

そして、50人くらいしか居ないという説もある。

まあ、アメリカの基準で考えても仕方がない気もするので日本でデータサイエンスをする人で考えましょう。

さて、データサイエンスにとって必要なことはスキルだけじゃやない。

もちろん、データを取り扱うスキルは必要だよね。

それは、料理人は料理できなくちゃいけない、というのと一緒だ。

一方で、料理できれば料理人になれるわけではないように、データサイエンティストはデータを扱って意味を生み出さなくちゃいけない。

そう、大切なことは「意味」を生み出すこと、リフレクティブでクリエイティブな態度だよね。

あえて、データの中に隠れている「答え」を引き出すことではない、と考えます。

で、ね。なんでこんな抽象的なことを書いているかといえば、それはお仕事なので具体的なことは言えないのだけど、人の感性を持ってデータを扱っていると意味が見えてきたからなんだ。

その意味とはとても人間的なもの。つまり、人の向き不向きだったんだね。


データを通じて生命と向き合う





2016年9月29日木曜日

ちょっとしたフィット感が生み出す大きな達成 「褒める」意味とは

パーソナリティ特性を形作るうえで、ちょっとしたフィット感かはじまっていることが少なくない。

例えば、人よりもちょっと脚が早い人は徒競走で一番になる。

すると、徒競走に関して褒められる。

それは、徒競走に対してポジティブな感情とモチベーションを内発させることになる。

才能があれば、前向きな姿勢はさらに良い成績へと繋がり、その道に深入りする機会を生む。

勝負へのこだわりやストイックにトレーニングする習慣などはその人のパーソナリティとなるわけだね。

「褒める」という報酬がもたらす快楽は、私達が思っている以上に劇薬なのかもしれない。


競争しよう、そうしよう。。

2016年9月28日水曜日

デプスインタビューの難しさをリフレクションする

インタビューって人から本質的な情報を引き出すことができるよね。

でも、それは結構難しい。

まず、心を開いて話してもらう必要がある。

つぎに、聞きたいことにフォーカスすることを忘れちゃいけない。

でも聞きたいことばかりフォーカスすると人は心を閉じるものだし、下手をすると誘導尋問みたいになってしまう。

逆に、心を開いてもらうことに力を入れすぎると肝心なことが聞けない。

要するに無駄話が多くなってしまうのだ。

そしてこのバランスはインタビューの最中につねに点検しなくちゃいけないね。

プロセスは問いかけと傾聴の繰り返しだけど、インタビュー相手の心の深みに問いかけられているか、掘り起こした気づきをしっかりと聞き取れているかを考え、感じ取り、そして次の行為を選んでいく。

なので、終わった後はものすごく疲弊するのです。


疲れたビー





2016年9月27日火曜日

課題を解け、と問われる社会で感動を呼ぶものは何か

人工知能が囲碁のプロに勝ったというニュースもすでに昔ばなしの感があります。

全てのゲームには「課題を解決せよ」という司令と課題解決のツールが提供されているわけだけど、囲碁では、対戦相手と碁盤と碁石とルールが解決のツールだよね。

解決のツールの組み合わせから解決に至る打ち手をどう選ぶかが勝敗の鍵となり、打ち手が多岐にわたるほど偶然性は下がる。

要は、打ち手の力量にかかってくるのだね。

さて、今日、新幹線に乗ったけど、新幹線と言えば、7分間のお掃除劇場が有名です。

ゲームじゃないけど、そこには明らかに解決しなければならない課題がある。

それも、「人間」というとても、多様で複雑な手段を使って打ち手を編み出し解決しなければならない課題なのだ。

この課題解決が海を越えて、ハーバードビジネススクールで注目されたということは、人間社会にとって普遍的な課題であり、かつ打ち手に感動のストーリーがあると考えて良いのでしょう。

で、ね。感動の本質は何なのかと言えば、それは誰にでもわかるものじゃなくちゃいけなくて、考えるに「合理性」と「希望」なんだと思う。

課題解決のための合理性と課題は解決出来るのだという教訓だね。

ただ、この合理性は、固有の課題のものだ。

例えば、お掃除劇場が5分だったら打ち手は変わっているかもしれない。

囲碁で言えば、碁盤が一回り大きいければ(小さければ)打ち手は異なるはずだ。

だから実は打ち手はそのままでは他の課題解決に役立たないよね。

でも、「課題は解決出来る」希望はモチベーションを内発させ、いかなる課題解決にも役立つ。

結局、皆、内発するモチベーションに感動を覚えているのかもしれない。


光明




2016年9月26日月曜日

ショクエンの摂り過ぎは身体に悪い? ヘルシーに働くために必要なこと

そごく簡単に言ってしまうと、親族との付き合いが血縁なら、ご近所さんとのお付き合いは地縁だ。

人は独りで生まれてきて、独りで死んでいく訳だけど、生まれ落ちた瞬間から亡くなった後も様々なご縁があるのだよね。

その代表的なものが、血縁、地縁となる。

ご縁があると言えば、会社や仕事もそのひとつ。

どうやら「社縁」「職縁」というのもあるらしいけど僕は「職縁」のほうが音的に好きだなと思った。

だって、なんだから聴いただけで身体に悪そうって感じるもの。

さらに「職縁」って職業のご縁かとおもったら職場のご縁らしいからやはり身体に悪そう。

とても味の濃い味噌ラーメンをスープまで飲み干すみたいだよね。

で、ね。何が悪いかと言うと塩分が強いと繊細な素材を味わえなくなるし、高血圧、心臓病、腎疾患と身体に良くないのと一緒で、「職縁」が強すぎると職場に集う人の細やかな良さが感じ取れなくなったり、ストレスを溜め込む場になちがちだよね。

だから「職縁」は薄めのほうがいい。

人それぞれの個性がよく感じ取れて、同調圧力が低く浮腫みのない職場が僕は好きだな。


海水?淡水?








2016年9月25日日曜日

映画「マイ・インターン」が教えてくれるもの プロフェッショナルが居る「場所」

人材に関わる人たちの間で映画「マイ・インターン」はちょっと話題になったみたいだね。

元のタイトルは「The Intern」で、最近、就活前の熱心な学生が挑むインターンシップと、高齢者の再雇用的な内容が人事系の人に向くのかな。

さて、ちょっと前に非正規雇用の問題をブログで書いたのだけど、「非正規雇用」というとなんだか社会派みたいでややこしくなるから「正社員」って表現したら、「正社員って何」という問いがあった。文中で触れた「プロフェッショナルって何」というのと合わせてね。

言葉足らずに成らない「やさしい表現」について考えることが出来るとても良い問いでした。

実は、「マイ・インターン」では、この「プロフェッショナル」と「正社員」の問題にも触れている。

映画自体はコメディであり、クローズアップすれば悲劇だけど視聴後はほっこりするものであまり深読みしないほうが良いのかもしれない。

でも面白いのでちょっと考えてみる。

ネタバレ要素もあるので映画を観ていない人は、まず、映画を観ましょう。

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さて、映画の中で描かれるプロフェッショナルは「気配り目配りがあって的確な行動で他者のパフォーマンスを最大化する人」だ。

しかし、彼は「正社員」じゃない。インターンだ。

でも、彼の行動はプロフェッショナルだ。

そこから気づくことは明快だね。

そう。プロフェッショナルは雇用形態なんかじゃない。

さらに彼は「異動」を苦ともしない。置かれた場所で咲くことが出来る人だ。

つまり、組織(というより「場所」)への適応にも長けている。

主人公は、プロフェッショナリズムを備え、かつ、いかなる状況でも協働意欲を持つ人なのだ。

映画ではあまりに理想的に描かれているけど、実はD・ベル「ポストインダストリアルソサエティ」やA・トフラー「ザ・サードウェーブ」が1980年頃に予言したこれからの社会と働き方を今風に言い換えているだけでしかないように思えるね。

プロフェッショナルの対語として安易にアマチュアという言葉を使いたくない(「アマチュア」ってとても奥深いよね)けど、高度な知見と実践力と適応力をもって周囲の人の認識や仕事を変えるという観点で、やはりプロフェッショナルは壁を越えた存在なのだ。


My Way?  Our Way?


2016年9月24日土曜日

あなたは約束を守る?守れない? 2種類の約束が守れない人

約束を反故にされて気持ち良い人はいないよね。

だから約束を破る人は「信頼が置けない人」とレッテルを貼られちゃう。

会社でそんな分析をしていたので結果を見せてもらったらとても深いないようだった。

一言にすると、「頭は良くても面倒くさがり」ということに尽きる。

しかしデータをちょっと読み込むと深層が見えてくる。

人との接点が薄いのだ。

そして人との関わりにおいて正しく判断する能力が養われていない可能性がある。

「情」だね。

約束を守れない人なのに、なんだか可哀想に思えてくるのは不思議だ。

さて、人が良すぎて約束が守れない人もいる。

仕事としては「責任感」が問われるけどどこか憎めないよね。

そうなんだ。

社会って約束を守る前提で成り立っているから、約束を守れないとペナルティが待っているけどなぜ守れないかを考えることは決して無駄じゃない。

約束を守れない人が会社に居ると会社の信頼にとっては困りごとだけど、愛すべき人たちでもあることを忘れちゃいけないのだろうね。


意味はありません

2016年9月23日金曜日

非正規化する就労意識? プロフェッショナリズムから逸脱するワークライフバランス

正社員としてではない働く人の増加が問題になっているけど、雇う人にも雇われる人にも原因があるよね。

雇う人にとっては人材を必要な時に必要なだけ揃えることで、人件費をできるだけ抑えたい、といった都合などがある。

一方、雇われる人にとっては、好きに働きたいという動機もある
正社員になって心理的に色々と縛られたくない欲求だね。

社会が発展することで様々な就労形態が生まれ、仕事に対する意識は、仕事そのものにやりがい、動機を持つ人たちと仕事とプライベートをはっきり分けて考える人にくっきりと分かれた

好きなことが仕事と言える人と、仕事は生活の手段と割り切る人だ

今はこの2つはスマホの料金プランみたいに選べる。
そして冒頭の問題は、選べないケースで表面化するものだった。

もちろん、この2つのこころは誰にもあるものだと思う。

だけど、こころの中に占める割合が50%を1%でも超えるのはどっちなのかは大きい。

好きなことが仕事と言える人は、「仕事の報酬は仕事」(田坂広志)みたいな考え方に共感する。

手段と割り切る人は、いかに効率的、効果的に収入を得られるか、また、そういう人材に成長できるかに着目している。

D・マクレガーやD・ピンクなど多くの人が言い方を変えてこのテーマを論じているけど、実はこれらは、本来は社会の豊かさと関係無いテーマだ。

それが社会の豊かさによって色濃くなった。

また、仕事には家族の求めもあって当人も内面だけの問題とも言えなくなっている。

さて、採用面接で合う学生は就活の決め手として「自分が成長できる環境」と言うけど、これは「割り切り派」の言質だよね。

そして、彼等は就活コンサルタントの言葉を再生しているだけだから、多くの就活コンサルタントが割り切り派なのだと思うよ。

マクレガーに言わせればX理論の人達。

レクリエイションで再生が必要な人達でもあるけど、要はそれを媒介する人達が居るからだよね。


プロフェッショナルの姿









2016年9月22日木曜日

神童も大きくなればただの人 秀でた能力を育てる3つの条件を考える

9月に入ってからお日様をあまり見た気がしないし、休みのたびに台風が来ているようにも思えるね。

秋分の日の今日も東京は激しい雨だった。

そんな朝、情報番組を見ていたらとある幼稚園の教育方法が取り上げられていた。

その幼稚園では、文月、神無月など旧暦の月名を感じで掲示していて園児はそれを読めます。

また、目隠しで聴いたピアノの音を当てる訓練をしていて絶対音感と集中力を養うのだそうです。

幼児の能力ってすごいよね。

さて、幼児の能力と言えば脚の筋力がついてハイハイから歩行に変わると学習がゼロリセットされてしまうことを明らかにした研究があるのだ。

具体的にはハイハイのとき傾斜を登ろうとして一度転ぶと以降は登ろうとしなくなるのに、歩行を始めると同じ傾斜を登って転ぶ、という研究結果です。

その結果から導かれた結論は、傾斜と脚の筋肉の発達と転ぶという学習は一体化しているということだった。

先程の幼稚園の話に当てはめると、その幼稚園の教育方法と園児の能力と絶対音感、集中力は一体化しているのだ。

だから、成長して小学校に入学し新しい教育方法に接すると、小学生は絶対音感も集中力もゼロリセットで学ばなくちゃならない。

もちろん、初めてよりも2回目のほうが学習時間が短くて済むのかもしれないけど、幼稚園と小学校はまったく教育方針が異なるから培われる能力も変わるってしまうよね。

それに対して、例えば親が音楽家だったら状況は一変する。

幼児期からずーっと一貫した環境によって能力がゼロリセットされることなく高められていくので秀でた能力を身につけることが出来るのだろうね。

この関係性はスポーツでも同じだと思う。

オリンピックで活躍した選手のバックグランドを見ると、親が同じ競技のプレイヤーだったり、小さい頃から同じコーチの指導を受けていたりする。

ただ、教育方法と育む能力が一緒だとしても、当人は成長を通して変わっていくので必ず秀でた能力が身につくわけでもないのだろうね。

ちょうど身体が重くなると鉄棒の逆上がりが出来なくなるみたいにね。

つまり、教育方法、つねに変化する当人の身体的状況、育みたい能力、この3つの条件を上手に組合せることで秀でた能力を計画的に培うことができるのでしょう。


タレント


2016年9月21日水曜日

面倒なものが無くなって残るのは何だろうね

「ザ・インターネット」という1995年のアメリカ映画を見ています。

その当時、APPLEの MACINTOSH POWERMAC 6100/60AV というパソコンを使っていたので映像に当時のMACが登場してとても懐かしいです。

パソコンのディスプレイもCRTというブラウン管だし、20年前がとても昔に思えるなぁ。

さて、映画の中で登場する重要なアイテムにフロッピーディスクがあるのだけど今はまったく見かけなくなった。

20年も経てば当たり前、だよね。

映画には大きなノートパソコン、携帯電話は出てくるけど、スマホもクラウドも無けれなUSBメモリーも無い。

どうやら映画はリメークが必要なようだね。

PCユーザーにとっては、USBメモリーやクラウドがフロッピーディスクを上書きしてだいぶ経つけどイノベーションは消費者からCDや書籍も上書きしようとしてる。

そして、車の運転が上書きされるのも遠い未来ではなさそうだ。

で、ね。イノベーションで上書きされるのは面倒なもの、つまり多くの人にとって無くなったほうが嬉しいものだからだからどんどん上書きが加速する。

だから無くなって欲しいにもかかわらず残るものには必然的に注目が集まっちゃう。

「まだ有るの?」ってね。

その無言の圧力は意図されずに別のイノベーションを誘発しているのだろうね。

またそれはイノベーションで上書きしたもの自体にも及び、残るのは終わりのない上書き競争なのかもしれない。


ひっそりと上書きされなかったもの



2016年9月20日火曜日

イジメ、ダメ、ゼッタイ からの パワハラ、セクハラ ダメ、ゼッタイ

今日は、BABYMETALというユニットの東京ドームライブを聴きに行きました。

ファンクラブでもなかなかチケットが取れないとても貴重な経験です。

Kさん、ありがとうございました!

さて、彼女たちの代表曲に「イジメ、ダメ、ゼッタイ」という曲があります。

この曲、日本という国とってはとても重い曲です。

群る特性を持つ日本人にとって、「イジメ」とは、踏み石であり、差別です。

それは群のありがたみを意味づけるものだと思います。

でも、それは、すべての個の幸福感とは相容れないものです。

つまり、誰かがイジメられることで誰かが幸せを感じるという低次な幸せの姿です。

組織において、それはパワハラ、セクハラでしょう。

組織がより高いレベルに登る(成長する)ためには、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」なのです。


だめよ!

2016年9月19日月曜日

ここにもそこにも隠れたビジネスモデル?

パソコンで使っているインターネットブラウザにアドブロックという広告を表示しないアドインを入れている。

先日、検索でヒットしたサイトを開いたら、「このサイトは広告収入で運営されているのでアドブロックを停止してください」と表示された。

会員制の有料サイトならまだしも、ちょっと驚いたね。

一方で無料サイトのカラクリを目の当たりにしてビジネスモデルを改めて考えてみました。

録画機器のCMカット機能が一時、盛んに議論されていたけどあれも広告の問題だった。

さて、最近ではステルスマーケティングなど、利用者が意識出来ない形で広告というビジネスモデルが増えている。

テレビでもインフォマーシャルといった番組仕立ての広告があるよね。

疑ってかかると情報番組での商品、サービス紹介や、街歩きでの店紹介なども怪しく感じてくる。

例えば、就職したら「3年はどんなことがあっても頑張ったほうがいい」というのもひょっとしたら、3年経ったら転職しようね、みたいなプロモーションにも思えてくる。

まあ、こういうのを懐疑性思考というのだけど、現代はバリューチェーンという儲けるしくみの連鎖で世の中が繋がっているのだから強ちパーソナリティ特性の問題とも言いきれないよね。


見えたほうがいい




2016年9月18日日曜日

徹底した取材が生むリアリティ 絵の中の生命

画家・諏訪敦さんの創作ルポをテレビでみたけど凄まじいの一言だった。

ETV特集 アンコール▽忘れられた人々の肖像~画家・諏訪敦“満州難民”を描く

諏訪さんの細密画はものすごいリアルなのだけど、それ以上に凄いと思ったのがその徹底した取材です。

満州で亡くなった自分の祖母(といっても30代で亡くなっている)の痕跡を調べに現地に赴くのだけど、同じ収容所に居た日本人を探し出して同行してもらい実際の当時の様子を再現してもらう様からは事実をすべてこの目で確かめたいという強い信念が感じられた。

作家の山崎豊子さんも鬼取材で知られるそうだけど、他の多くの作家や画家も取材をするのだろうけど、皆、そんなに鬼気迫る取材をするのだろうか。

さて、「取材」って何だろうと改めて考えてみると「当事者でない人間が、当事者や目撃者の話から当事者にとっての事実を知ること」と言えるのじゃないかな。

で、ね。その事実があるから、我が身をもって作品に向き合えるのでしょう。

諏訪さんの例で言えば、絵の中の祖母の生命を削っていくプロセスのなかで、祖母が見た景色、飢餓に襲われていた収容所の様子、死の病となった発疹チフスを通じて亡くなった祖母の姿を描いているわけで、空想ではないのだ。

しかし、当事者の真実ではないことも忘れちゃいけないよね。

基本は創作、つまり、作者が作り上げる真実だもの。

諏訪さんは、執念深い緻密な取材で丁寧に作品のなかの祖母の生命を削り落としながら、作品として生命を与える。

絵の中には2つの生命があるのですね。


今日は妻の誕生日

2016年9月17日土曜日

トイプードルの日? 人は他者との接点を無意識に作り出している

飼い犬が治療でこのところ毎日のように動物病院に通っている。

動物病院はいつも混雑していて、獣医さんはさぞかし大変だろうなぁ。

一方、僕は様々な動物と様々な飼い主さんの組合せを見るのはとても面白いから診察の待ち時間が嫌いじゃない。

何が面白いかというと、まずは、動物の見た目と飼い主の印象に共通点がありそうだと感じることだね。

これはひょっとしたらそういう風に感じようとする「バイアス」があるのかもしれないけど、研究結果もあるらしい。

ペットは多くの場合、飼い主がペットを選択するのでその時の判断に「かわいい」「育てたい」だけでなく「親しみやすい」という基準が入っていても納得できるよね。

じつはもう一つ気づいたことがあるのだけど、診察の曜日、時間帯によって集まってくる動物に傾向が見られるということだね。

今日は、トイプードルという犬の日みたいだった。

トイプードルは人気の高い犬種で多く飼われているから病院で出会う確率が高くなるのは不思議じゃないんだけど、病院はトイプードルを筆頭に、ミニチュア・ダックスやウサギ(!)などぬいぐるみ系で埋め尽くされていたね。

で、ね。考えたんだけど、ひょっとしたらペットと飼い主が似ているだけでなく、同種のペットの飼い主の間にも行動の類似性があるのかもしれない。だから自然と今日はトイプードルの日になったのだ。

そう思った時思い浮かんだのが色々な企業の昼休みだった。

会社のエレベーターにしても、丸の内のオフィス街にしてもそうなんだけど、お昼を食べたり買いに会社の外に出る人達の集まりって見た目ってよく似ていると思う。

似た人達が同じ行動傾向持つことは、行動科学やマーケティングでは当たり前だけどよくよく考えると不思議だよね。

ペットもそうだけど、人は無意識に他の人と繋がるための機会をたくさん作り出しているのかもしれない。

その機会が互いに似ている人の集まりを作っているのだと思う。


明日も病院だよ






2016年9月16日金曜日

「同期の絆」って何だろう? 「必然の関係性」が意味するもの

宇多田ヒカルさんと椎名林檎さんのデビューが同期だったのは結構な驚きだった。

で、その二人が宇多田ヒカルさんの新譜でデュエットをしたらしい。

二人ともレコード会社が一緒だった縁もあり、同期の絆が強いのだね。

ところでその二人にとってデュエットは初めてじゃないらしい。

以前一緒にカーペンターズの名曲を歌っているのだそうだ。

そこでふと思ったのだけど、「同期の絆」って何だろう?

定義的に考えると
「新しい環境で一緒にスタートを切った人たち」
と言えそうだよね。

だから、年齢が違っていても関係ない。

例えば、社会人学習で一緒になった20代と50代も同期だ。

つまり、年代や性別やバックグランドなど全てを越える絆であるとも言える。

さて、人間以外で「同期」という意味を有する生きものはいるのだろうか。
同じシーズンに生まれ巣立つツバメに「同期」感情はあるのだろうか。

とても興味深いのだけどわからないので人に限定して考えると、人は常に共通点探しをしている生きものだ、っていうことだろうね。

そして、「偶然」を「必然」に変えるために共通点を探しているのだ。

さて、ほとんどの人が行うことは、生存にとって有利なことだよね。

で、ね。その理由を考えてみたのだけど、社会性を持つ生きものにとって「群」は生存に重要な戦略だから、恐らく、「必然」は「群」を作り出すうえで欠かせないものなのだろうね。


偶然?必然?

2016年9月15日木曜日

4次元ポケット化する採用基準

会社が採用を行おうと考えた時、どんな人を採用するのかって結構悩ましい。

人材で苦労しない組織はないからね。

だからできるだけ同じ轍を踏むのは避けたいと思うわけだね。

逆に、人材で成功した経験を持つ組織は、同じタイプのな人材を求める。

こうして、欲しくない人材像と欲しい人材像ができるのだろうけど、人はユニークで多様な存在だから正解が無い。

イメージと存在を紐付けるのが採用基準だけど、シンプルにするのは難しく、複雑にするのは簡単なのだ。

あんな力、そんな力、どんな力が必要で、あんな癖、そんな癖、どんな癖は要らないみたいにいくらでも並び上げることはできるけど、ずばり「これ」、みたいに潔くするには、人物像評価でなく明快な課題の設定しかないように思う。

100mを10秒切ったら、みたいなね。

でも、その課題は実際の仕事場面における課題じゃ無いから、当初の目的(人材で成功するand苦労しない採用)は達せられない。

結局、人の組織に対する貢献の仕方は4次元ポケットみたいに無限だから貢献をベースに人材を考えると採用基準もそうなっちゃうということなんだろうね。


誰を採用する?




2016年9月14日水曜日

メンタルクリニックを受診するには強いメンタルが必要?

先日、知人から聞いたのだけど、その知人は公私ともにいろいろと大変で鬱々としていたらしい。 

「自分はひょっとしてうつ病なのかもしれない」

そう思った彼はネットで調べて感じの良さそうな近所のメンタルヘルスクリニックに行ったそうだ。

そのクリニックのHPでは仕事帰りでも寄れるように診療時間を設定していることなど患者本位であることを強くアピールしていたんだって。

とはいっても、初めての経験だったので「あなたはうつ病です。ゆっくり休んでください」という天の声をもらえるのか、「いや、ぜんぜん大丈夫。気にしすぎですよ、あっはっは」とお笑いモードで吹き飛ばしてくれるのか、ビルの入口を行ったり来たりしながら診察シーンを想定していたそうな。

で、意を決して、受付に行ったら、

「うちの医院は完全予約制でしかも大変混んでいて新患はとらないんです」
「どうしても、というのでしたら1ヶ月以上先の予約でひょっとしたら予約できるかも・・・」

というまったく想定外の対応で思わず笑っちゃったらしい。

『メンタルの患者ってそんなに多いんだ』という驚きと『ネットに予約制なんて書いないじゃん』って頭の中に浮かんだって。

で、彼はその状況で笑える自分を省みて『あー、俺のマインド、全然健康だわ』と自然に思えたそうな。

「よかったね」というところで会話は終わった。


その話を聞いた後、ふと思ったのが彼がもし本当にうつ病だったら、とても辛い状況だったに違いないということだ。

毎日が辛いのに、いつ診てもらえるのかもわからないなんてもっと辛いよね。

他の病院を探すのだって楽じゃなさそう。

それと、以前、慶應大学医学部の教授が「私達は社会保障費で食べさせてもらっています」って言ってたけど、その観点から言えば、乗車拒否ならなぬ診療拒否は問題だよね。

まあ、「いつかは診ます(ひょっとして)」ならば拒否とまで言えないかもしれないけど、現実的に診てもらえないのは、バブル期の夜の銀座のタクシーと一緒だね。

さらに重箱の隅をつつけば、私達が払っている医療保険のごくごくごくごく一部がクリニックの収入になっているのに、行った時に診てくれないのって、乗車拒否より質が悪いんじゃないかなぁ。

病気になった時、適切な医療に掛かれる権利って健康保険加入者には無いのかしらん?

もちろん、この問題は、全ての保険医療機関共通だよね。だから友人が行ったクリニックが悪いわけじゃなんだと思う。

医療現場はほんとうに大変なのだと思います。

でも、強いメンタルがないと受診できないメンタルクリニックってどうなんだろうね。


Be smiling !



2016年9月13日火曜日

ぷよぷよしながら、すーっと漂うブログ

毎日、日課のようにブログを書いていると、なんだか惰性になっているようにも感じてしまう時もある。

ちょうど、無重力で水玉がぷよぷよしながら、すーっと漂うようなイメージです。

一方、渾身の力を込めて書いたときはちょうど砲丸投げの砲丸が、ぐわっと投げられてドスンと芝生に穴を開けるように、手応えと反響が感じられます。

さて、ぷよぷよ、すーっが上手いのは糸井重里さんですね。

脱力感があるのだけれどぷよぷよしているようすは読んでいるとことのほか面白い。

海老蔵さんのブログはすーっと流れるけど、あまりぷよぷよしていない。ライブ中継みたいなもんだからかな。

砲丸投げは・・・まあ、たくさん居ますね。

ドスンと大穴をあけるために極端な意見を展開するけど、結局、自分の足元に落ちて怪我(炎上)した、といった見出しをYahooニュースのトップで見ない日はないでしょう。


あれ?そう言えば、毎日ブログを書いているのに、毎日読んでいるブログがありません。

それは僕が「誰が」というより「何が」に興味を持っている証なのかもしれないです。

そこで改めて「ブログ」を見ようと検索したら今度は「このサイトは広告収入により運営されています。広告ブロック機能をはずしてください」というサイトが出てきた。

ブログは読みたいけど広告は別に読みたくないんだよね・・・。


ぷよぷよ


2016年9月12日月曜日

頭の理解と心の理解 サンドイッチされる感情を味わう

1回目の結婚生活で、仕事を終えて帰った時にデパ地下やコンビニのお弁当が続いたことがあったけど、これは結構きつかった。

実は何がきつかったのか今でも良くわからなかったね。

当時、結婚相手も仕事をしていてお弁当を買う動機も理解出来たし、そもそも、お弁当は好きだったんだ。

でも、リフレクションを学んだ今は、何がきついのかよく分かる気がする。

要するに、頭の理解と心の理解のズレだきつかったんだね。

リフレクションでは、「心のエレベーター」をつかって、理解、感情、欲求を整理する。

まず、きついと感じる感情は、あまり目を向けようとしなかった心の理解のズレに理由がありそうです。

では、心はどういう理解をしていたのかと言えば、ずっと実家暮らしをしていた自分にとって続けて夕飯にお弁当が並ぶという経験は無かったから、「理解できない」が正解。

「こういうもんだ」っていう焼き付けは怖いものだよ。

理解できないのだから良いも悪いもあったもんじゃない。

つまり、合理性という理屈は、時に(常に?)心にとっては心地よいもんじゃない、ってことだね。

総論賛成、各論反対もその類なのかな。


心の理解




2016年9月11日日曜日

最近話題の若手男性芸能人から「芸能」の自説を持つ 「考える」ということ

ユビキタスやAIの到来は人が考えなくなる世界の到来でもある。

大学生のPCスキルは低下する一方で、スマホがどんどん普及しているのがひとつの兆候だね。

PCは考えるためのツールになるけど、スマホは基本的にグーグルやWikipediaなどから答えを貰うツールだよね。

例えば、大学の先生に授業のどこが試験にでるのか聴くことは常識ではあり得ないけど、スマホに慣れた大学生にとって答えを貰う行為は「当たり前」なんだろうね。

さらにAIが一層普及すると、この状況はもっと酷くなる。もちろん全員がそうなるわけじゃないけど、マジョリティになったら一大事だ。

でも、考えることをせず答えを求める若者の比率は間違いなく高くなると思うよ。


さて、考える道具を使って最近話題の若手男性芸能人を分析してみた。

PCが無いと出来ないし、試行錯誤を通して新しい知識を自分で発見する分析だ。

で、ね。今日の芸能と言う世界には、「演じる」を中心に「仕切れる」「立ち回る」「焼きつく」「剥き出し(す)」「格好よい」「奏でる」といった力が求められていることがわかった。

これは新しい知識創造だね。

マップを解釈すると、不起訴になった彼は、社会性の低さと自分の欲求を持て余してしまうという個性ゆえに芸能界において強いポジショニングが出来ていたとも考えられるわけで上手に立ち回っていたら、あまり注目されていなかったのかもしれない。

だから、逮捕後に芸能界から出てきたコメントの多くは「ほら、やっぱり。そうなるんじゃないかと危惧していた」的なものだったよね。


これがまさに考えるプロセスだ。

工夫してツールを使い、アウトプットを作り、結果を吟味して本質を問い、自説を持つ。


答えをひたすら受け入れることによってもたらされた歴史の悲劇を繰り返さないためにも、「考える」ことを失ってはいけないと思います。


自説だよ

2016年9月10日土曜日

ヒトに自由意志はない? だったらもっと個人に注目しなくちゃいけないよね

NHKのモーガン・フリーマン 時空を越えて と言う番組を見ていいたけどテーマがとても面白かった。

「運命か?自由意志か?」という問いなのだけど、脳科学の最新研究では自由意志は少しだけしかないらしい。

さて、今回特に注目したのが、オハイオ州立大学の心理学者デニス・ジェニファーの研究で無意識の動きのなかで飛んでいるものを追跡しキャッチする動きは人でも犬でも同じであり、「動きを導く基本的なメカニズムは普遍的」だということだそうです。

そして、それはどんな戦略をとるかに関わらない。

とても示唆深いね。

無我とか無意識は、禅や仏教の世界では哲学的命題だけど、行動科学の観点からみれば還元的原則ということになるのだね。

で、ね。今朝、錦織選手とワウリンカ選手のテニスの試合を観ていたのだけど、相手選手の打ち手にだけでなく、会場や観客まで巻き込んだ選手の行動メカニズムが無意識をベースとして普遍的なものと考えてみると面白い。

勝ちを掴む文脈はみんな一緒ということになるからね。

「あ、勝ちそう」とか「ちょっと負けそう」とかは時々刻々と変わるその文脈に沿って感じているものなのかもしれないです。

仕事においてどこの会社でも「営業の勝ちパターン」や「優秀なマネジメント」の議論があると思うけど、戦略や思考でなくメカニズムの問題だとしたらどうだろうか。

どうやら組織は個人のセンス、フィジカル、スキル、マインドセット、それらを包含し駆動するパーソナリティにもっともっと注目する必要がありそうだね。


カレー作ったどー





2016年9月9日金曜日

三つ子の魂百まで パーソナリティというフィルターを通して見えるもの

どんな人にも豊かなストーリーがあるよね。

それは本人がどう欲し、感じ、考えているかだけでなく、偶然の要素もかなり含まれている。

でも、その人のパーソナリティを前提に見ていくと、欲し、感じ、考えることと偶然の出来事の間に文脈が生まれてくる。

つまり、偶然ではなく必然だっていうこと。

例えば、小さいときの出来事と、大学生での出来事、社会人になってからの出来事は背景も関わる人も当然違うのだけど、当人の意味づけは一貫した傾向を見せるんだね。

まあ、当たり前といえば当たり前なんだけど、実はそれだけ狭い視野で人はモノを見ていることを忘れちゃいけない。

この視野の狭さは豊かさを奪うことにもなりかねないよね。

一方で、他者も本人とは異なる自分の視野で文脈を作っているとも言えるから、パーソナリティを知ったら次にすることは視野の狭さを知り作った文脈を疑うことだと思います。


見えるものはその人の文脈



2016年9月8日木曜日

「目で見る多様性」に挑戦してみる

個性、多様性、ダイバーシティっていろいろな場所で声高に言われています。

でも、「いろんな人が居ること」とか言っちゃうとなんだか違う気がする。

だって、そもそも世の中にはいろんな人が居るわけで、それが認識できるのが社会の前提だものね。

じゃあ、多様性ってなんだろう、ということでなんとか見えるようにならないか考えたんだのが下のアニメーションなんだ。

じっと見ているのは目が回るので止めたほうがいい。

さて、下のアニメーションは、人の特性をコンター図という手法で画像化し、そのバリエーションを並べたものなんだけど、まるで心臓が鼓動しているみたいになった。

つまり、多様性っていうのは、「そこに在るもの」ではなく「そこで生きもの」だっていうことです。

多様性って、いろんな人が居ることじゃなく、いろんな人がいることで常に変化し続けることだよね。

で、ね。人に偏りが出ると、こんなにダイナミックに動かなくなる。

引っ掛かったり、止まったりして見るからにしなやかさが失われてしまう。

じつは、そのほうが問題でお医者さんが診て病名がつく類です。

だから多様性が無いほうがはるかに問題なんだろうね。

なめらか、かつ、しなやかな多様性

2016年9月7日水曜日

「学び」×「匂い」を考えるべき理由とは

睡眠中の脳にはロックがかかっているそうです。

それは、視覚や味覚、聴覚などの感覚器からの情報を寝ている脳が受け取らない仕組みだとか。

これは睡眠中という無防備な状態で脳がハッキングされることを防ぐのにたいそう役立っているらしい。

ところで、このロックを外す方法がどうやらあるらしい。

それは「匂い」だ。

睡眠中に「匂い」を嗅がせ同時に音を聞かせると「匂い」と音が紐付けされる、つまり学習が行われる実験が進んでいるのだ。

確かに、真夏の早朝に秋の匂いを感じたときなど嗅覚は凄いと思っちゃう。

また、家の犬は熟睡しているにもかかわらず、部屋に好物の匂いが少しでも漂うと目を覚ます様からは匂いによる学習の力がいかに強いか垣間見ることが出来るね。

で、ね。百貨店でアロマを売り場でディフューズしているところはあるけれど、学びが起こる場の匂いってもっと積極的に向き合うべきテーマなんじゃないかな、と思うのだよね。


宣伝ちゃいます





2016年9月6日火曜日

勝ち馬に乗るリスクって知ってる? 最後には信念が勝つ理由

何事にも旬ってあるよね。

天ぷらでも春の天ぷら、夏の天ぷらなど旬の味覚が一番美味しい。

さて、テーマや人物にも同じように旬がある。

目利きは、旬を迎える前に刈り取れるのだけど、目が利かない多くの人は結果的に旬を越えたあたり、つまり、ちょっと落ち目の高値で掴む羽目になる。

仕方ないと言えば仕方ないけど、賢さってなんだろうと考えさせられちゃうね。

例えば、中国観光客の爆買いで慌てて店舗を改装した小売店などはその良い例だ。

一番売れている時期に店舗改装を計画して、オープンしたときには沈静化していた。

勿論、短命じゃなく長続きする旬もあるのでそこらへんは賭けなんだけど、教訓としてはあまり歩の良くない賭けです。

特に今日のように情報を核とした変化の早い経済状況の下では旬を越えて取り組むリスクを甘く見てはいけない。

それは、「売れない」だけでなく、「次の旬」に目が向かなくなるリスクだ。

このリスクに対する対応をグローバルで見ると、やはりアメリカは図抜けていると思う。

それは「次の旬」にチャレンジする態度だね。

日本は付和雷同、同調圧力、そして勝ち馬に乗ろうとする態度が残念だけど目立ちます。

これに揺さぶりを掛けたくなるのは閉塞感を打破しようとする信念の成せる技だと思います。

フォロワーになるな、フロンティアたれ。それがウイナーへの道なのだ。


掻き分けろ





2016年9月5日月曜日

約30年振りのヨガ 身体と心の関係を考える

30年振りにヨガをした。

正確には26年振りかな。

ジムナスティック的負荷は当然あるのだけど身体との対話で何が変わったのか考えてみたい。

26年前はまだ30歳前なので運動不足はあっても体力的には余剰な状態だよね。

だから、ヨガのアクロバティックなポースに筋肉が反発していたね。

それに比べて筋肉が減ったせいもあって無駄な反発は減った気がする。

一方で間違いなく無理も効かなくなった。

失ったものと得たものがあるっていうことだよね。

加齢ってそういうものなのかもしれない。

有り余っていたものが無くなることで知ることが出来ることはあるけど、有り余っている感覚は戻ってこない。

だから歳をとってから運動がしたくなるのはやはり足掻きというより新たな境地の開発なんだろうね。


歳とってなんぼ



2016年9月4日日曜日

職場が「チャップリンからの贈り物」を受け取る方法とは

人生はクローズアップで見れば悲劇だが ロングショットで見れば喜劇だ
Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.
                           チャーリー・チャップリン

映画「チャップリンからの贈り物」は実話をもとに作られているそうだけど、だとしたら、とても素晴らしいエピソードだった。

視聴したWOWOWでは「W座からの招待」というコーナーがあって小山薫堂さんと長友啓典さんが映画についてコメントするのだけど、小山薫堂さんさんが引用した冒頭のチャップリンの言葉に強く惹きつけられました。

この言葉には部分と全体の視点と悲劇と喜劇(「笑い話」というより悲劇の対照としての)の場面と2つの対照性が描かれている。

チャップリンが本当に伝えたかったことはわからないけど、この言葉を聞いて僕は映画「モダンタイムス」にしても「ライムライト」にしても、場面場面で繰り広げられる皮肉めいた掛け合いが映画全体としては心に残る感動を生み出す様を思い起こした。

で、ね。これを職場に当てはめると、例えば「クローズアップ」が「上司のマネジメント」でロングショットが「社員のキャリア」じゃないかと思う。

「マネジメント」は様々な葛藤も生み出すけど、「キャリア」が素敵になれば良いのかもしれない。

でもパワハラ上司に当たってしまった悲劇を「キャリア」の中で意味づけすることは簡単じゃない。

一方で、パワハラ上司には「ちょっとやりすぎちゃってさ」みたいに飲み会の笑い話化して実は懲りていない人もいる。

そして他の会社の人にとっては他人事だ。

こと職場に関して言えば、決してチャップリンが言うような名言になっている訳ではなみたい。

だから、部分の悲劇を全体の喜劇に転換するにはデザインが重要だと思った。

パワハラされた部下には新たなチャンスが与えられ豊かなキャリアを築ける偶然でない仕組みが無いと職場に喜劇は訪れない。

つまり全体として喜劇(悲劇ではない結末)になるよう、常に部分の悲劇(現実的困難)を意味づけし次の行動の選択肢を生み出していく必要があるということだね。

ひょっとしたらチャップリンが言いたかったのもそういうことなのかもしれないな。


喜びを








2016年9月3日土曜日

あなたにとっての「注文」は文化? 経済? 刺激? グラレコで「注文」を考える

昨晩のがちゃトークには、先日グラフィックレコーティングを教えて頂いた松本さんも参加されていました。

実はスケッチブックとプロッキーは持っていたけど、ビールを飲みながら大好きなCafe Katyのミートソースに差し入れの「あまび」更には図々しくKatyさんに届いたスイカまで頂きながらがちゃトークに突入し、グラレコのことは完全に忘れて対話で盛り上がっちゃった。

帰り際に、Katyの奥さんから「今日は書いていないんですね?」と聞かれてはたと気がついたけどもう後の祭りだね。

そこで曖昧な記憶を元に、今日、グラフィックレコーティングで描いてみたら良い振り返りになった。(飛んじゃった記憶もあるけど・・・)

がちゃトークではその場で決めたテーマから、さらに参加者が話したい、聞きたいコトを書き出して、偶然選んだものを偶然選ばれた人がスピーチしその後対話する場で、昨晩は
1.食後のデザート注文するタイミングはどんな時ですか?
2.疲れた時はカフェで何を注文しますか?
3.スタバの注文のしかた、どう思う?
で場が盛り上がった。

詳細は添付したグラフィックレコーティングに譲るとして、振り返りでの気づきは、「注文」という日常的な行為には、文化的な要素と経済的な要素と自分のメンタルをコントロールする刺激的な要素があるっていうことだ。

しかもそれらは複雑に入り組んでいる。

何気ない行為の背景や本質には深い意味がある、っていうことを考えるにはとても良いテーマだったと思う。

で、ね。たとえその場でグラフィックレコーティングが出来なかったとしても、後から時間のある時に描くことをお薦めしようと思います。


覚えていないことは割り切っちゃおう

2016年9月2日金曜日

無意識にプリセットから注文する社会 がちゃトークナイトより

今晩のがちゃトークは「注文」がテーマでした。

その中で長岡先生が触れた ”McDonaldization of society”については対話を越えて議論まで及びました。

さて、注文(オーダー)と選択(チョイス)は本来違うものであるにもかかわらず、それが意識されずプリセット(事前に設定されている情報)から選択するのが注文であると広く思われている状況は、改めて身の周りを見回すと非常に多くあると思う。

でもそれらは、効率とセットだから、注文する人の思考を止めるか、ストレスを与える元凶にもなっているのだね。

例えば「食べること」を創造的な行為としたとき、プリセットは非創造的な行為と言えるんじゃないかな。

要するに「ゆらぎを失う」ことだよね。

高度に機能化する社会で「ゆらぎ」は非効率の象徴だけど、世界を広げるためには欠かせないものだ。

だから、プリセットが世界を狭める可能性を常に私達は知らなくてはいのだと思う。


Katyさん スイカの差し入れありがとう



2016年9月1日木曜日

会社を辞めない三層構造 先鋭化している社会が見せてくれる本質

ジョブホッピングが盛んな中国のビジネスマン分析からみた会社を辞めない理由には示唆がとても多かった。

そこには会社を辞めない人の特性が三層構造になっていて、

一層目 ぶらさがり
二層目 企業ロイヤリティの高さ
三層目 信念、価値観の一致

だったんだ。

で、ね。実は三層目はジョブホッピングし易そうな人達でもあるのです。

要するに、企業が手を打ちたいジョブホッピングは、社員よりも自社のアイデンティティに掛かっているのだ。

さて、目を日本に向けると、まだまだ終身雇用の美徳が蔓延っているね。

だから、転職=悪であったり、転職=損をする 場面が少なくない。

つまり、この三層以外に辞めない理由が社会的に存在している。
三層になぞらえて書くと以下のようになる。

n層目 なんとなく辞めにくい

漂っているので「n層」です。

それがまた、離職とパフォーマンスの真因を見えにくくしているのだね。


三層構造