2016年7月31日日曜日

井の中のものづくり。 俺らはサイコーってなっていない?

予約していたハーバード・ビジネス・レビューの21世紀マッキンゼー賞論文集が届いたので、この週末に読み始めた。

で、2001年から17本の論文(翻訳)が掲載されているのだけど何で古い順なのだろう。

古い論文に価値がないとは思わないけど、一番興味深いのは最新の考え方だよね。

ということで、後ろから読んでいます。

一番後ろは「【実践】リバース・イノベーション エイモス・ウィンター、ビジャイ・コビンダラジャン」という、新興国で製品やサービスの開発を行い先進国に持ち込むアプローチとその際の落とし穴を避けてどのように開発を行う必要があるのか、という内容だね。

この論文を読んで最初の感想は、「グローバルスタンダード」は幻想なんじゃないかなということ。

先進国が自国の製品・サービスを現地の経済状況や生活習慣などに合わせて機能を省いて価格を下げ投入してもほとんど成功しないことをいくつかの事例を通じて論じている。
現地の状況を相当研究して開発をする必要があるらしい。

その開発によって得られた新たな知見が先進国の製品にもイノベーションを興す「リーバス」のプロセスは、スタンダードというイメージには程遠く、スパイラルアップしていくものだ。

結局、自分達が良いと感じる製品やサービスはどこまでいっても「自分達にとって」なんだね。

さらに、生活レベルの異なる場所だと極めて鮮明になるけど実は国を跨がなくても至る所にある問題なのだろうう、ということだ。

だから、製品やサービスの開発においては、常に「自分達にとって」であることを自戒し、「これでいい」と思ってはいけないのでしょう。


自分の視点しか持てない



2016年7月30日土曜日

出口よりも入口が大切だ! グラフィック・ファシリテーション、グラフィック・レコーディングのセミナーにて

今日は午後から、「議論の可視化にできること」というセミナーに参加した。

先日参加したグラフィック・レコーディングのワークショップで知り合った方からの情報で、サードプレイス繋がりの有り難さを心から感じる時間ともなった。(ありがとうございした)

そこで2つの場を敢えて比較してみると、同じテーマを同じ3時間で扱いながらまったく違っていたんだよね。

もちろん、今日は講座(別に設定しているみたい)じゃないからって言うのは分かるのだけど、どちらも、仕事に役立つ新たなアプローチを知ってもらいその裾野を広げていきたい想いは一緒だよね、きっと。

前回のワークショップが、どう始めるのかを経験する場であったのに対して、今日のセミナーはやってみて(やると)どうなった(どうなる)のかを知る場と感じた。

最も短く言うと、身体知と形式知の違いじゃないかな。

重要なことは、前者はハードルが下がるの対し、後者はハードルが上がること。

知り合いに教えられるのは前者で、後者はとても無理だね。だって、他人の知恵の受け売りだもの。

で、ね。世の中には、はじめ方を教えたいというウォンツよりも、どんなに素晴らしい方法論や事例や結論なのかを語りたいウォンツのほうが多いのでそういうセミナーが花盛りになるのだろうけど、はじめ方のほうが絶対大切だと思う。

だって、受け手にとってみれば、覚悟を決めてはじめるより、楽しさを知ってはじめるほうが世界を広げやすいよね。

セミナーの最後に登壇者の一人が参加者の雰囲気が冷えていることを気にしていたけど、これって事前設計(グラフィック・ファシリテーションでは一番重要って登壇者の一人が言ってました)はどうだったのかちょっと気になりました。

最後に、今日のセミナーでチャレンジしたグラフィック・レコーディングを添付してみます。全部で10枚にもなったし、途中で茶色のプロッキーがインク切れしちったけど、内容はともかく、雰囲気や気分(←これが命)が伝わるかな。











場数を踏んだ

2016年7月29日金曜日

エンジニアに甘えるな 産業の高度IT化が晒す産業組織の問題

会社の人や組織に関する課題や問題を誤魔化さずに解決してきたサイバーエージェントが新しい新制度を打ち出した。

「エンジニアFA権」「エンジニアコンシェルジュ」など計8つのオリジナル人事制度 社内エンジニアの活力を引き出す新制度パッケージ「ENERGY(エナジー)」を導入

ITエンジニアの活力を引き出す、という特定の職種に向けた施策だ。

優秀なエンジニアの定着と能力発揮には、グーグルでも苦心しているし、シリコンバレーの企業も軒並み福利厚生に力を入れている。

ITエンジニアはスペシャリストの一種なのだけど、スペシャリストとは自分の仕事に解を出す人のこと。

医師などもスペシャリストだね。

さらに言えば、「解を出す」のは自分の専門領域での仕事であって、会社や組織の中で正解のない曖昧な問題やありたい姿に向かって課題解決をする人ではないっていうこと。

だから、自分の仕事に集中できる環境を作るのは当たり前なのです。

難しいのは、仕事に集中できる環境って人によって違うからサイバーエージェントでも8つの制度が必要だったのでしょう。

もちろん、役割を担えば別だし、気を利かして柔軟に応じてくれる人もいる。

そういう便利な人は重宝されるので評価も高くなって得をする構造もあるのだけど、実はこれってスペシャリストを使い捨てる意識が背後に隠れている。

多くの企業では、専門職用のキャリアパスを作っているけど、聞こえてくる話は、キャリアアップの行き場がない人を処遇するためのセーフティネットだ。

ITエンジニアに対する処遇の改善は、専門領域における需給バランスの問題であり、産業が高度IT化することで露呈している。

そして産業組織はこの使い捨て問題に対する根本的な解決策を持っていない。

だから使い捨て問題のリスクはITエンジニアが持っており、そのリスクテイク分は賃金に反映されなければならないものだ。

ITエンジニアを雇用している企業でサイバーエージェントの新制度を見てすごいな〜と思ってしまった経営者や人事担当者は、まずITエンジニアに甘んじていることに気づかなけれなならない。

と思う。


夏が来た!










2016年7月28日木曜日

みんな迷って大きくなった 迷い方あれこれ

人には自由意志があるのか、なんていう議論が脳科学中心にあるけど、そんなことお構いなしに日常には迷いが溢れている。

今日のお昼は何にしようか、このデータはどう解釈しようかなどなど、数えていたら切りがないのは僕だけではないとね、きっと。

昔、”ソクラテスもプラトンもニーチェもサルトルも悩んで大きくなった”って野坂昭如さんが歌ってたけど、人生には悩みよりもっと浅い混沌の方が何百倍、何千倍も多いんじゃないかな。

最近思うのだけど、迷いにも2種類ありそうだ。

一つは、霧に包まれるような迷い。「ホワイトアウト」っていう映画みたいに感覚が効かなくて立ち往生する感じ。あまり動き回らずにじっと霧が晴れるのを待つのが安全策ではあるけど結構辛いものだ。

もう一つが、行くてを阻まれている迷い。迷路を歩いている時みたいに感覚はバッチリあるけど、解決策が見つからない。上空から俯瞰すればあっという間に出口にたどり着けるのだから飛べる羽根が欲しくなるよね。要は自分の力不足からくる迷いだ。

感じられない迷いと、力不足からくる迷い。

この2つの共通点は、「身体性」だと思う。

つまり、脳が無意識に答えを出すには、身体知が無いとダメなんだね。

会社でお昼が決められなくても食べ物の匂いがあればパッと決められるでしょ。データだって物事や特定の人と紐付いていれば自ずと答えが出てくる。

これらは、いずれも身体を通して知っていることなんだ。

だから進路や就職で迷うのは当たり前ってことだ。

インターンシップやOB訪問などでちょっとは触れることが出来るかもしれないけど、身体知にはほど遠い。

だから迷うわけだね。

身体知のある人にとってその感覚はわからないから物足りないとなるのだろうけど相手のことがわからない不幸がそこにある。

結局、身体知が無くて脳が右往左往する、それが迷いの正体なのかもしれない。


月と鴎










2016年7月27日水曜日

心を測る 「中らずといえども遠からず」ってどのくらいを言うの?

昨日の続きです。

村上先生からお聞きした林知己夫先生の言葉の中に、”「中らずともいえども遠からず」を狙う”があった。

これは、質的データの中でも特に人の心に関わるデータを扱うときの心構えなんだけど、そもそも複雑で曖昧で再現性が低く測定が困難なものだということをちゃんと頭に入れておけば、とても示唆深い言葉だね。

このところの社会は複雑さ、困難さと予測不可能性を増しているけど、それはそもそも人の心の有り様から生まれていると言っていい。

さて、冒頭の話を聞いたとき「中らずといえども遠からず」で確率ならどのくらいなんだろうって思いが頭を過ぎった。

で、ね。仕事を通して感じることなんだけど、30%では中っていないし40%では遠い。

50%だと五分五分だし、60%くらいになってやっと「遠からず」感が出てくる。

80%だとかなり近い感じで、90%だったら中っている。

ということは、「中らずといえども遠からず」は60%から70%だね。

ただ対象が個人になると10%増す必要がある。

それだけ、実感が強いと言うことなんだ。

村上先生の話に戻ると、「中らず遠い」場合はものさしを替えデータの生成と分析をやり直すことを躊躇ってはいけない。

なぜなら「真実」に近づけないからだ。


一歩近づく 羽根がいいね



2016年7月26日火曜日

世界を広げる方法、知ってる?

今日は幸せなことに、定年を迎えるこの春まで同志社文化情報学部教授を務められた村上先生のお話をお聞かせ頂く機会が持てました。

村上先生は会社の顧問を引き受けて頂いていますが、日本の統計学における多変量解析の祖、林知己夫先生(故人)の一番弟子です。

話の随所に林先生のエピソードが織り交ぜられ、日頃データを扱う身としては心も頭も浄化される時間でした。知性によるマインドフルネスの世界ですね。

そこで今日から何回かに分けて気づきを記したいと思います。

最初の気づきは世界を広げる方法、です。

その方法を理解する手掛かりは、演繹法と帰納法です。

これらは推論において有名な2つの方法だけど、演繹法は大前提があって、結論が導かれるもので、大前提よりも結論が小さいのが特徴。

つまり、前提で描かれているものより結論の世界は狭まるのです。

確かに世の中こんなもんだ、と思っていたら、どんな結論も「あ、やっぱりね」となるよね。

自分の脳力はこんなもんだ、と決め込めば、仕事で失敗したとき、こんなもんだろうって考えちゃう。固定的知能観と呼ばれる自己限定の世界だね。

一方、帰納法は、”部分に関する事実を収集し、全体に関する真実をそれにより帰納する”(村上先生談)。

手に入る部分の事実から、手に入らない世界全体を描くことで新しい知識を得る。

これが、世界を広げる方法です。

なんだそんなこと?と思ってしまったら、それは残念だね。

だって、世界が広がった瞬間を感じられていないということだもの。
アハ体験と言い換えても良いね。

浜辺に流れ着いた椰子の実をみて見果てぬ南の島を想う、それも、妄想や空想でなく帰納的に推論を行うことでより、世界の事実と違和感のない真実として想う。

表現がロマンティックで誤解されるかもしれないけどそうやって、人は未開の地(知)へ一歩踏み出して来たんだ。

データをしっかり集め扱い、世界を広げる。

セブンイレブンを成長させた鈴木さんはまさにその実践者でしたね。


広げる








2016年7月25日月曜日

マジックワードで議論の余計な水分を飛ばそう

ご飯が炊けたら混ぜると余計な水分が抜けて美味しくなる。

これ、議論でもいっしょだね。

議論を混ぜ返すと急ぎ結論を出したい人は嫌がるけど、なんだかすっきりしない論点や感情を出来るだけ飛ばしてしまったほうがよい結晶になると思います。

で、ね。混ぜ返す方法は至って簡単なんだ。

普段、議論を混ぜ返す人の物言いをコピペするだけ。

そのなかでも「でもさ」と「なぜ?」は、議論を昇華させるマジックワードです。

どのくらいマジックか、というと車メーカーのトヨタは「なぜ?」を5回繰り返して世界一になっちゃったくらいのマジックです。

これらの言葉の魔力は、瞬間的に人の頭をこき使うことだね。

『なにぃ?何か言いたいわけ?』って心のなかで言い返しているとき頭の回転は結構フルスピードに近いものがあります。

でも喧嘩っ早い人は防御のためのアドレナリンを出なくするトレーニングが必要です。

議論じゃなく、罵り合いになっちゃうからね。

やはりマジックは意図をもって意識的につかうものなのだ。


It's magic!




2016年7月24日日曜日

仕事を業務にしない方法 仕事が楽しくない人は考えてみよう

決まった手順で物事を処理する。

仕事には少なからずこのような場面があります。

で、こういった仕事を飽きっぽい人は投げ出すし、面倒臭がる人は他人や仕組みに押し付けちゃう。

それらは淡々と同じことを繰り返せる粘り強い人が得意だと思われがちだけど、そもそも、仕事に「決まった手順」はやめた方がいいのだ。

だって、ある種の人にしか向かない仕事はどこかで邪魔にされていくよね。

向いていない人は、「俺には無理」とか「いつも同じことをありがとう」とか言うけど、自分に邪魔なものだから、誰かに押し付けたり、ひたすら感謝しまくったりするのです。

仕事を手順にしたり、定義化することで、取り組む人にとっての向き不向きがはっきりするけど、どうも仕事は邪魔なことっていう前提がありそう。

邪魔なことは減らしたほうが良いから効率化しなくちゃいけないということに疑いが生まれないわけだね。

なんだか働くことが楽しいことじゃなくなる。

それじゃあ楽しく働くためにどうしようっていうことになるのだけど、松任谷正隆さんは、ユーミンのプロデュースをする際に、”プロジェクトでは面白いことは何でもやる”そうです。

なにかピンとくるよね。

プロジェクトって、ユニークで終わりのある、人生みたいに「誕生と死があるたったひとつ」の仕事なんだ。

だからこそ、「何でもやる」気になるのでしょう。

ここでやりたいことはやっておかないとかないと次の機会は無いと思えれば、飽きたり面倒臭く思ったりしない。

そういう人の仕事はAI(人工知能)に取り替えようが無い。

本来の仕事ってそういうものじゃなかったのかな。


料理は効率化しない










2016年7月23日土曜日

はじまりの場所 銀座四丁目交差点

昔、銀座四丁目の交差点にはマクドナルドの店舗があったんだよね。

銀座三越の中央通りに面した側で、親が買ってきたハンバーガーやポテトを食べたのだと思う。

思う、というのは店の記憶はあるのだけど、食べたものの記憶がないからです。

店が何年まであったのかは知らないけど、銀座と言えば、小さい頃は親について行く場所。

浅草や日本橋も同様で、買い物に嫌々ついて行った場所にあまり良い印象はないけど、そんな中でも銀座で言えば、マクドナルドやシェーキーズといった外国から来た飲食店は好きな場所でした。

なぜ好きだったのかと言えば、それまでなかった食べ物は美味しく、食べ方は新しく、要するに「刺激的」だったね。

マクドナルドが銀座に一号店を出店してから45年が経ったそうだけど、その後も銀座四丁目の交差点は、新しいモノゴトがはじまる場所だと思う。

そのこころは、「前向きの変化」ではないかな。

今はマクドナルドもシェーキーズも無いけど、新しいスタイルの新しい飲食店があるし、集う人も変わりました。

もちろん、地域再開発みたいなガラガラポンはないけど、前向きさが街の様相を常に変えています。街の手触りが変わる、といったらいいのか、そんな曖昧な印象ではありますが・・・

でも、何かがはじまる予感ってそんなものじゃないかな。

会社とかでもそう。

昨日までつるつるだったところが、きょうはざらざらしているのだけど、新鮮な刺激を感じる。

そんなことを続けていれば、何年たってもそこは、「はじまりの場所」なのでしょう。


つるつるが、ざらざらに


2016年7月22日金曜日

「成長ほぐし」を思い巡らす。そしてキーボードを叩く。

学びには「学びほぐし」などといわれるアンラーニング、学習棄却が重要だといわれます。

では成長には「成長ほぐし」ってあるのかな。

それが今日のお題です。

「学びほぐし」は、新たな学習のためにそれまで身につけた学習成果を捨てることです。

就労者であれば、キャリアアップではなく、キャリアチェンジの際に起こることと言えばイメージが持てるかもしれませんね。

では、「成長ほぐし」って何だろう。

「学びほぐし」のように考えれば、新たな成長のためにそれまでの成長を捨てることでしょう。

思いつくのは、竹が60年目に花を咲かせ実をつけてると竹林が一斉に枯れる話です。

こうした世代交代は生きるものの必然なので、もう少し軽い感じが欲しいね。

そうすると昆虫の完全変態は「成長ほぐし」という言葉のイメージにかなり近いですね。
自分のアイデンティティを変えるような大転換と言えるのかもしれません。

で、ね。「成長ほぐしは」は「学びほぐし」よりも傍から見るともっと命がけであることだけは間違いないよね。


メロンたべたい



2016年7月21日木曜日

フェアプレイのオリンピックは遠くになりにけり

組織的ドーピングでロシアがリオ・オリンピックから締め出されるみたいです。

スポーツはルール命なところがあるゲームだから、ルール違反をしていたらペナルティがあるのは当然と思いますが、ロシア側は国を挙げて反発しています。

この騒動を見ていると、ルール順守とかフェアプレイの精神ってどこまでいっても自主規制みたいなものなんだろうなと考えちゃうよね。

つまり、どこまでが許されるかは当事者間に委ねられた問いなのだろう、と。

「犬の糞やおしっこは飼い主が始末してください」という看板を見た飼い主が自らに自分の行動を問うのといっしょで、ちゃんとしている人は気が引き締まるし、気にしない人にとったら無意味なのだ。

で、この問題は、昨日や今日はじまったものじゃない。

おそらく、人類がルールを作ったときからずーっと起きている。

守りたい人と気にしない人の、一見衝突しているように見える実は奇妙なズレなんだよね。会社でもよくあります。

話をオリンピックに戻せば、ルールを守りたい人たちの競技会だったから良かったのだろうけど、試合に勝ちたい人たちの競技会になったことで皆が奇妙なズレと付き合わなくてはいけなくなっちゃった。

こんなところでも結果主義は世の中の軋轢を増すのだね。


三四郎の舞台だそうで




2016年7月20日水曜日

外なる自分を使って内なる自分にエネルギーを与えよう

「人となり」には内面に宿る力と、他者との関わり方があるよね。

内面に宿る力は「気力」とか「精神力」と言われるけど、体調や状況によって結構、変化します。

誰でも、風邪を引いただけで如実に「なんか元気ないね」となってしまうし、物事がうまくいっている時はよりパワフルになれる。

対立候補者を「病み上がり」と言っちゃったおばさんもいるけど、ハードな仕事においては喉から手が出るほど欲しい力だね。

一方、他者との関わり方は、内面に宿る力から割と独立しています。

他者を攻撃したり、協調する姿勢などは、元気度合いによってインパクトは変わるけれど一貫性があって「人となり」の大きな特徴を成しています。

「元気だけど自己中なやつ」とか「おとなしいけど気遣いができる子」みたいにね。

そして、「自己中なやつ」が失敗をしてシュンとしていてもやっぱり自己中だし、「普段おとなしい子」に良いことがあってハツラツとしていても気遣いができるところは変わらない。

そんな風に人を思い浮かべると誰でも思い当たると思います。

で、ね。私たちは、この内面に宿る力と他者との関わり方で瞬間的に人を見分けているんだ。

だから、見分けられる側としては、この2つを上手く使わない手はないよね。

ポイントは冒頭に述べた、内面に宿る力は変化しやすい、ということです。

繰り返しになるけど、「気力」や「精神力」は、体調や状況によって上げることができる。

つまり、体調管理はちゃんとやるとして、他者との関わり方次第で自分のエネルギー充填ができるのです。

他者との関わり方なので、そのやり方は多種多様、いくらでも方法はあるわけで、自分の得意技を見つけると良いでしょう。

ただ一点だけ気をつけるとすれば、他者の気力を吸い取る方法だけは止めておいたほうが良いよね。

因果応報でいつか自分の内面の力も吸い取られることになるから。


足裏からエネルギー充填

2016年7月19日火曜日

「今時の若いものは・・・」「・・・何いってんだかわかんない」という段差の越え方

世代の段差は古くて新しい社会問題だよね。

先日の参議院選挙でも世代間での投票行動には大きく差があったそうだけど、社会の至る所に棲みついてるのでありまする。

この社会問題の特徴は、かつては「今時の・・・」言われた側が、今度は言う側に回ることが繰り返される「輪廻」と、お互いにわからんと言い合う「相剋」が同時にあることでしょう。

また、主義信条とは直接関係ないですね。

で、言う側に回った時気をつけなくてはいけないのが、概念やイメージを振り回さないことです。

例えば、恒例化している今年の新入社員は◯◯型と言ったイメージ化も世代の差を煽っているようであまり好きになれません。昔、新人類世代とか言われて、なんだか嫌な印象があったことを思い出します。

いづれの世代においても、概念を作っちゃう世代にとっては、俺らと違う得体の知れない世代としての手触り感があったとしても、イメージ化された世代にとってみればキョトンとした感じだと思いますよ、ほんと。

特定の経験が多くなれば、それらを束ねて概念を作り、それでコミュニケーションすることができますが、経験がない人にとって、それは経験の無さで壁を作るようなものです。

だから、まずは、知らず知らずに作ってしまう自分達の世代と、異なる世代への概念やイメージに気づくことからはじめましょ。


わかるかな



2016年7月18日月曜日

やはり梅雨は「明けて」ほしい

雨が降ったかとおもうと真夏のような暑い日があったりと梅雨らしい天候が続きます。

東海以西は梅雨があけたそうでうが、関東の梅雨明けは発表されませんでした。

それでもあとちょっとの辛抱だね。

最近の梅雨明け宣言は、「明けた思われる」といった類の表現で、梅雨空同様、なんだかすきりしません。

どうも、明けたと言ったのに雨が降ってどうしてくれるんだ、などと難癖をつける輩が増えたようで、気象庁も嫌になってしまったのが原因だとか。

プロフェッショナルへの期待の高さと完璧な正義の振りかざしが入り混じったストレスフルな状況がここにもあるようです。

先人は「雨降って地固まる」とか「水に流す」などなど、天候や水を自然の賜物として上手に使っていたけど、どうも自然を恵みと思う人が減ってしまったように思えて悲しいです。

それに、プロフェッショナルってどんな人だろうと考えると絶対間違えない完璧な人のことではないよね。

NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組を見ていても、失敗や苦難を超えてある境地に達し、さらに挑戦し続ける人が主役です。

そのような人の判断、決断だから一目置かれるわけで、結果の精度じゃなく、態度への信頼が根本にあると言っていい。

で、他者を信頼するしないは人それぞれだけど、梅雨明け宣言って人が自然と対話している感じがしてとても好きなのです。

「俺は信頼しねぇ」という人もいるのだろうけど、気象庁さんにはプロフェッショナルとして自然と対話をすすめてほしいと思うのだ。


滑ってもよし





2016年7月17日日曜日

成績がいいやつの性格はみんないっしょ?

小保方さんのSTAP騒動もだいぶ昔のことになりました。

が、最近たまにネットでこの話題を見かけることがあって、その多くは外国の研究でSTAPが確認され特許が取られてしまう、STAPを認めなかった人達はどう責任をとるんだ、といった内容です。

そのたびに「あー、またかぁ」と思っちゃいます。

何かと言えば、海外の研究論文を都合よく使っちゃっているパターンなのだけど、先日の「学校の成績は、知能ではなく性格で決まる(研究結果)」というタイトルには思わず笑っちゃいました。

「性格」っていう言葉は、良い、悪いの意味が入っているのでどちらかわからないけど一方的な結論があるように聞こえちゃうからです。

良い性格だと成績が良いのか、悪い性格だと成績が良いのか想像してみるのも面白いけど、そんなことないよね、実感としても。

もし、普通の会話でそんなことを言ったら、ヒガミか優越感からととらえられるのがオチです(希望を持つ人もいるだろうけど)から、論文の中身をよく理解してから話をしたほうが良さそうです。

そして、んなわけねーだろ的なタイトルにはよく注意しましょう。


仕込みに注意






2016年7月16日土曜日

ポケモンGOの魅力を考える

このところポケモンGOのニュースをやたら見るようになってきたよね。

これまで興味はなかったけど、これだけ言われてくるとやはり気になります。

最初に湧き上がる気持ちは「待ち遠しい」「やってみたい」なのだけど、どこかでそれでいいの?と感じる自分がいることに気づくのよ。天邪鬼かもしれないけど。

で、ね。よ〜く考えてみると、自分の時間を生きていないゲームのキャラクターに人生の大切なものを与えるのは嫌だなぁと思いました。

その大切なものは、言葉にすると「集中力」だぜ。

「集中力」は宝物と言っていいと思います。それも、「限定ものの」です。

「集中力」は、それを欠くと脇見運転、滑落、歩きスマホなど生命に関わる事故にあったりもするわけで、生命と同じくらい大切にしなくちゃいけないものです。

サッカーの試合に気を取られているとなんだか家の雰囲気が悪くなるなど、身近なところでも大切な人との関係にもばっちり影響を与えてる。

生き物はその限られた宝物を上手に使い分けているよね。

一方、宝物ゆえ人の集中力を奪うものにはお金も集まるのが世の中の仕組みと言えるでしょう。

だから任天堂の株価がすごいことになっている。
投資をしている多くの人が、ポケモンGOはうまく「集中力」を吸い上げる仕組みだと考えているのでしょう。

日頃、もっと集中力が欲しいと思うことが少なからずある、いわば慢性的集中力不足のあっしにとって、やはりポケモンGOは魅力的なものじゃないかもしません。


気をとられないでね



2016年7月15日金曜日

気づかせるのは周囲 気づくのは本人 ではどうやって?

何かに気づくって大切だよね。

もともと「気づく」って、でたらめな状況の中で危ないことや美味しいものを見つけ出す能力です。

だから、生きる術なわけ。

我が家のルーク(Lovely Dog :-) は爆睡していてもりんごや焼き鳥の匂いがすると飛び起きます。

気づきって興味じゃなくて無意識なんだね。

この無意識は、経験によって感度を上げることができます。

審美眼とか専門的見識とかは、経験を繰り返すと同質のでたらめから「気づき」を得る能力が高まる証です。

ルークは焼き鳥を食べたことはないから、先天的な「気づき」なんだろうけど、りんごはおやつとして食べるようになってからの「気づき」で学習したわけだね。

最初は見逃していたことを見逃さなくなることで生きる能力が高まる仕組みってすごい。

そして、欲が強いほど気づく能力は高くなるみたいです。

たとえば、意欲のある人は1冊の本から気づけるけど意欲のない人は100冊の本を読まなくては気づけない。意欲のある人が100冊の本を読んだら無敵だよ。

でも、本に触れるより直接人から得る「気づき」は100倍すごい。

で、ね。意欲って人によって違うから、意欲の高くない人は「気づき」を得られる人に多く会うことが大切になるわけだ。

100冊の本が読めない人は、とっておきの一人をみつけましょう。


気づくとこうなる






2016年7月14日木曜日

お願いが届きますように・・・ 心を揺らす8つの応え

気が小さいわたしは人に何かお願いをするとき、かえされかたがけっこう気になるんだ。
飲み会の声掛けでもそうだし、研修講師のお願いなどもそう。

で、ね。依頼内容によるけれど、難しいお願いをするときは嫌な思いをすることも少なくないよね。

そこで、どんなかえされかたをするとどう感じるか考えてみる。

まず、依頼に対して「でもさ」と言い返されると、『頼まなきゃよかったかな』と瞬間的に気持ちが落ちるね。

「なぜ?」と問い返されると、理由を一生懸命組み立てなくちゃいけないからオタオタしてしちゃう。

この「でもさ」と「なぜ?」は依頼に対する反撃だけど、気持ちの良い応え方もある。

「なるほど」と応えてもらうと『ああ、この人は度量が大きい』って感じる。これ、傾聴するときに使うと良いって言われてるね。『飲み込んでくれようとしているんだな』って伝わる。

「じゃあさ、」と応えてもらうと依頼がもっと素敵な依頼に変わる予感がする。その後に続くのが「こんなこともやってみよう」とか「こうしてみよう」みたいにおまけがつきそうだもの。

「しましょう」というダイレクトな応えは信頼や絆が芽生えるのだ。かつてソフトバンク孫さんは「やりましょう」ってよく言ったけど、あれには絶大な効果があったよ。

「ですよね」は、やや控えめだけど、同意してくれた証の応えだ。

ちょっと異色なのは、「わかった」。わかったからどうなるの?と後から後から不安が押し寄せる。で、結局そのまま放置、ってことも少なくない。

さらに異色なのは、「しました」です。お願いしたばかりなのに「しました」って何?って思うけど、要するにお願いそのものがズレているのだ。

お願いするのが心地よいひとは、この8つの言葉を場面に合わせて使い分けているけど、多くのひとは、癖で応えてしまうから注意が必要だね。


しました





2016年7月13日水曜日

魅力を長〜く味わえる大人になろう

魅力的な人にはどこか子供っぽさがあるよね。

たいそうな仕事をしているのにピュアだし、ひたむきだし、無邪気なところが愛さずにはいられません。

ところがそういう人は、時に負けず嫌いで聞き分けがなかったり、度を越して羽目を外すなど、もうちょっと大人になってほしいな、と感じることも無くはない。

ちょっと待って。
魅力は子供っぽさなのに都合よく大人になって欲しいって何だろう。

大人は誰にいわれなくても状況に適した行動をとることが出来ます。だいたいですけど。

つまり、やりすぎない節度があれば、子供っぽさは魅力だってこと。

大人なのに子供の魅力を持っている人はちゃんとそこらへんをわきまえていて、警察沙汰になるようなことはやらないです。

逆に、大人のふりをして、じつは節度のない子供みたいな人が一番手に負えません。

言うことは立派なんだけど、裏では自分のやりたいようにやっている人望のない人って、経営者、政治家や文化人など、思いつくだけでも結構いると思うよ。

そういう人って、多くの人からは愛されにくいし、下手をするとボロを出して社会からバッシングされちゃう。

分別だけの大人って僕はあんまり魅力を感じないけど、それでもまだましな気がします。

で、ね。やはり順序としては、子供っぽさのある大人が一番いい。

だって、その人の魅力を長〜く味わうことが出来るもの。

だから、ちゃんと大人になった人は、ちゃんと子供っぽさを取り戻しましょう。


梅雨の鴎








2016年7月12日火曜日

都知事の適性 次の都知事に望むこと

都知事としての適性って何だろう。

「適性がある」とは、本人に取って苦にならず長続きする+周囲から見て同じ条件下で他者より高い能力を発揮できていることを言うよね。

片一方だけではダメなんだ。

立候補する人はみんな「苦」はないけど、適性があるとは限りません。
当選しても辞任する(ことになってしまう)人は「不適」です。

期待を裏切るブラックな資金作りや過剰な海外視察で、みんながあって欲しい姿、やって欲しいことに夢中になっていないから、「あの人、ダメじゃね?」となっちゃう。

一方、高い能力を発揮できそうでみんながやって欲しいけど立候補しない人もいて、やはり本人には何かが「苦」なんでしょう。

嗚呼、どうしたものか。

適性の有る無しを「向き、不向き」、「得手、苦手」と言うこともあるが、現実はそんなに単純ではないのだ。

だっていきなり出来ちゃう簡単なものにはやりがいがない。
仕事を、つまらないからという理由で辞める人は少なくないです。

かたや、やりがいのある(そこそこ難しい)ことでも、人より能力や条件、運が長けていないと自己判断すると”あたいには向いていないのさ”となっちゃうわけ。

そうなると「適性がない」ことになります。

でもね、人より長けてなくて、「苦」だと思っていることを楽しいことにかえてくれる魔法のような出来事は間違いなくあります。

心のブレーキを外し夢中にさせてくれるものだね。

で、ね。そうすると「適性のなさ」って自分が自分にかけているおまじないみたいなもんなんだ、きっと。

おまじないなんだから解けばいい。

次の都知事には自分にかけたおまじないを解いて、みんなが望む姿や仕事を夢中になる人になってほしいな〜。


はずしていく?





2016年7月11日月曜日

ポルトガルの勝利に見るチームワークの謎 

ヨーロッパサッカーのビッグタイトル、ユーロ2016がポルトガルの勝利で幕を閉じた。

開催地元、フランスとの決勝戦でポルトガルはさぞや戦いにくかったことだろう。

しかし、ポルトガルも初優勝を狙って気合十分であった。

さて、個人的にはポルトガルの勝利に謎が残った。

なぜなら、ポルトガルのエースのC.ロナウド選手が早々に負傷退場してしまったのに、交代後のポルトガルはそれまでの硬さが抜け、逆に出足が早く攻撃的であったフランスが落ち着いてしまったように見えたのだ。

「エースの負傷交代で意気消沈するのはポルトガルじゃないの?」

素人目には、そんな風にうつっていた。

サッカーでは同様に、退場者により数的不利になったチームが負けないことも少なくない。

言ってしまえば、チームワークは決して足し算、引き算だけではないのだ。

むしろ、掛け算、割り算、べき乗、指数的などなどむずかしい相乗効果がどんどん変化する「場」と考えた方が良さそうである。

わかっていることは、すべて人の内面に起きる変化、といっていい。

糸井重里さんの表現を借りると、チームというのは「でたらめ」なもので、チームワークとはでたらめを泳ぐ「身のこなし」となる。

チームはでたらめ、なんていってしうと元も子もないけど、まあいい。

そして「身のこなし」の息があうと良い結果となり、合わないと悪い結果になるのであれば、大切なのはタレントよりもプロセスだ。

そう、タレントよりもプロセスだ。

だれをそろえるかでなく、みんながどう身をこなすのかを考えればいい。

だから、C.ロナウドが居なくてもポルトガルは優勝できるのだ。


身のこなし









2016年7月10日日曜日

美味しくたべて美味しく写す 美味しい場数の踏み方

美味しいものを美味しくたべて美味しそうに写す。

そのために必要なことは以下の3つです、

1.美味しものを食べられ、写真を許してくれる店に行く
2,良い席、良いパートナーと良い身体のコンディション、天候のもとで味わう。
3.良いカメラとレンズの組合せでパートナーの理解のもとで美味しい瞬間を切り取る

1は、本日は、中央区新川1丁目のMile Post Cafeというお店に行きました。
これまでも何回か通ったことがあり、よく知っている店です。

この店は、先日まで一階の自転車屋さんと併設だったのですが、最近、自転車屋さんは引っ越したようです。また、内装が終わったら一階でもカフェの営業をする予定だそうです。

さて、カフェは隅田川が一望出来るテラスがあり、料理はインド人のシェフが作る、スパイシーながらも繊細な味わいのある上質な料理です。

そして、店の売りはクラフトビールが飲める店、ということでしょう。
種類は程々ですが、全て美味しくてハズレがありません。

2は、今日はタイミングよく、川が一望できるテラス席に座ることができました。
隅田川を行き来する遊覧船や、モーターバイク、そしてたまにカヤックなどを観ながら食事することができます。永代橋やスカイツリーが見えるのも良いですね。

今日は、梅雨の晴れ間で、やや暑かったですが、ビールが一層美味しく飲めました。

3は、3世代くらい前の古いデジタル一眼レフを持ち出しました。
カメラはソニーのα380という、最後のCCDを使ったカメラです。CCDはデジタル撮像素子としてとても優れた特性を持ちますが、製造工程が複雑で現在はほぼCMOSが市場を締めています。

カメラで重要なのは、撮像素子とレンズです。

レンズは、旧ミノルタの50mmF1.4というフィルム一眼レフ時代の古いものを使いました。開放F値1.4というのは、人の眼よりも明るい一方で、被写界深度が浅く「ボケ」の多い写真が取れます。人の目では無いボケの世界を見せてくれるレンズです。

カメラもレンズも今の中古でしか入手できませんが、カメラもレンズも1万円以下です。

しかしながら、技術の集大成と明るいレンズでの味わい深い写真は50万円くらいする最新機材と比べても遜色ないと思いますが如何でしょうか。


クラフトビール その1
味わい深い


セロリのレモンピクルス
香菜とカレーパウダーが隠し味


グリーンサラダ
ドレッシングがGood!


パパド・チップス
インドのお豆のおせんべい。塩味がビールにベスト


タンドリーチキン フレッシュトマトサルサで
うまい! 玉ねぎといっしょに


フレッシュミントのモヒート
モヒートは夏に最高に合う


クラフトビール その2
ラガー


塩はちみつを添えた ガーリック・ポテトナン
塩とはちみつ!!! 初めてですがまた食べたい


シュリンプとカラマリのガーリック鉄板焼き
エビとイカのアヒージョ う〜ん、やられた!

2016年7月9日土曜日

人生はプロジェクトの集まり 昨日と同じ今日、明日が続くというを前提を捨てよう

プロジェクトとは、固有性、有期性を持って目的を達成するための業務です。

要するに、期間内にいつもと違うアウトプットを出すことが求められる仕事と言えます。

先日、「区切り」というテーマで対話を行った際に、法政大学長岡教授は、自身が関わる仕事はプロジェクトという認識であり、区切りということをあまり意識したことがないと仰っていました。

その話を聞いて思い出したのが、友人から聞いたイギリスの舞台演出家が演者達に語りかけた"Life is a little death and a little birth. And so on, so on..." でした。

人生は、終えることと生まれること達で出来ている、という話は、仕事とはプロジェクト的なものである、ということと言い方は違えど同じ意味を指しているように思います。

さて、プロジェクトを成功裏に収めるために、プロジェクトマネジメントがあります。

大雑把に言えば、プロジェクト憲章によって目的を明確にし承認を受け、ステークホルダー分析、リスク分析を通じてプロジェクトの足を引っ張る存在をあぶり出し、WBSによってタスクとタイムの管理を行うマネジメント手法です。

このフレームワークは、私達が日常的に行っていることを構造化したものと言えるでしょう。

誰でも人と関わり、環境に適応し、一日を終え新しい一日を始めている、と表現するとわかりやすいかもしれません。

一方で、昨日と同じ今日、そして明日が来ると考える場面も少なくありません。

それらの場面において、昨日と違う今日や明日が来たタイミングを「区切り」と感じるのでしょう。


「区切り」ではなく「プロジェクト」で考えると、仕事とは一つ一つの取り組みや一期一会で人と関わる、かけがいのない出来事になります。

逆説的になりますが、それは、その瞬間を大切にする「区切り」のない「死なないための仕事」のひとつの姿であると言えるのではないでしょうか。


んだ、んだ





2016年7月8日金曜日

どうしたら「気づく人」になれるだろうか 糸井重里さんになる方法を考える

糸井重里さんのほぼ日刊イトイ新聞では、「今日のダーリン」という糸井さんのエッセイコーナーがあります。

そこに今日(7月8日)載っていたのが以下のような文章です。

偶然に満ちた世界で生きるための身のこなし(←これはは糸井さんのツイッターから)

サイコロを振る。これが「でたらめ」のシンボルだ。どんな目がでても、なにかできるようになればいいのだ。意味だとか、因果関係だとかいくら考えても、ほんとうはどうだかわからないことだらけだ。だったら、「でたらめ」と抱き合ってしまえ。「でたらめ」を泳いでしまえと、遠慮がちにぼくは思う。いちばん必要なのは、おそらく「身のこなし」だ。よける、ふせる、逃げる、向かっていくというような。

ほぼ日刊イトイ新聞7月8日「今日のダーリン」より抜粋

これは、昔「乱数のプレゼント」を目の当たりにし、記憶に刻まれた糸井さんが「でたらめ」を考えたエッセイです。

ポイントは、私たちが「でたらめ」を作ることは難しい、自然の中には「でたらめ」が溢れている、「でたらめ」の中で生きるには「身のこなし」が必要である、の3つであるようです。

さすが糸井さんだけあって、むずかしいことですがわかりやすく伝わります。また、「乱数のプレゼント」を”発見(気づく)”する力もさすがだと思いました。

糸井さんのように「気づく人」にはどうしたら成れるのでしょうか。

脳科学者の茂木健一郎さんは脳は「偶有性」を使って身の回りの不確実性に適応していると説明していますが、糸井さんの指摘にある「身のこなし」を私たちは無意識に執り行っています。

「無意識」は、複雑な環境でなめらかに生存するためのキーワードですが、そこに違和感(気づき)を持つ視座の正体が気になります。

例えば、自然の中にある「でたらめ」には「素数」という不思議な存在があります。

「素数」は自然数で、正の約数が 1 と自分自身のみであるもののこと(WIkipediaより)です。

この「素数」は様々な自然現象の中で確認されるのですが、なぜ、このような数字があるのかわかっていません。

「素数」と自然界の関係に関する発見は知識と観察から生まれるのですが、その際のひらめきも、実は脳の「偶有性」から生まれていると言えます。

となると、冒頭の糸井さんの「身のこなし」も「身のこなしに気づくこと」も無意識の「偶有性」によって実現していることになります。

「身のこなしに気づくこと」はメタ認知(再帰)であり、「鏡に映っている鏡を見る」ようなこと、もしくは幽体離脱して自分を客観視しているようなものです。

さて、右脳の角回という部位が体外離脱体験を引き起こすそうです。

少し話が飛躍するかもしれませんが、私はこれが第六感の正体ではないかと考えています。

そして、無意識のことを無意識に意識化する感性と物事の観察眼、それが「気づき」の姿なのかもしれないと思うに至るのです。

よく気づく人=第六感が発達している人 であり糸井重里さんになる方法を結論的に言えば、
・第六感を磨き鍛えること
・日常をよく観察すること
・+上手な文章表現力を身につけること
となりました。


でたらめを泳ぐ身のこなしは素敵なかたちになる


2016年7月7日木曜日

「場数師」になろう! グラフィック・レコーディングが教えてくれるもの

お会いしたことはないのですが、「場活師」という名称で活躍されている研修の売れっ子講師がいらっしゃるそうです。

きっと、その方の研修はとても盛り上がり、参加者が活性化するのでしょう。

さて、先日から何回かグラフィック・レコーディングの話を書いていますが、ワークショップでは、「場数」が大切だと教わりました。

「場活師」ならぬ「場数師」への道、ですね。


何事も「場数」を踏むと上達するものですが、一方で、あちこちで「場数」を踏まずに上達する方法の広告や書籍も目につきます。

では、「場数」を踏んで上達するのと、「場数」を踏まずに上達することにはどのような違いがあるのでしょうか。

メリットを考えてみます。

「場数」を踏む上達
・熱中できる
・自信が生まれる
・自分の成長がわかる
・周囲から感心され手本にされる

「場数」を踏むこと自体が目標になり、継続する中から、達成、満足、拡張によって拡張形成が生じます。それは、成長的知能観の獲得でもあり、要は、「努力すれば報われる」ことの学びとなります。

「場数」を踏まない上達
・直ぐ成果を手に出来る
・より多くの事が出来る
・他者を凌ぐことができる
・周囲から羨ましがられる

自然と出来てしまう、それは優位性であり、優越感も得られる素晴らしい才能ですね。しかし、逆説的には努力をすることの意味に気づく機会は減ってしまうかもしれません。

努力を礼賛するわけではありませんが、現実には「場数」踏まずに上達する人は滅多に見かけませんから、惑うこと無く「場数」を踏み、仕事だけでなく生き様も充実させる方がオススメであると言えるでしょう。

ということで、まずはグラフィック・レコーディングの「場数師」を目指したいと思います。(目指すのが「グラレコの達人」、ではないところがミソです(笑)


困った顔も描けるようになった


2016年7月6日水曜日

矛盾・曖昧・豹変を許す寛容さを与え給え とっても大切な発見

先日の自画持参、がちゃトークで印象的だった発言が、ゆとり世代のパワーを引き出すことについて対話が進んでいるときに出てきた”矛盾・曖昧・豹変を許す”というものでした。

今日、仕事でパーソナリティデータの分析を行っていたところ、言葉の意味をさらに深く考える機会があったので少し整理してみます。

分析結果ですが、”矛盾・曖昧・豹変を許す”ことの近くに、”寛容さ”さが出現ていました。

”矛盾・曖昧・豹変を許す寛容さ”と表現しても良さそうです。

では、その対極となる概念は何でしょうか。

言葉尻を捉えれば”矛盾・曖昧・豹変を許さない厳格さ”となりますが、分析結果から見えてきたものは、”物事の本質に迫る緻密さ” でした。

つまり、朝礼暮改のように言っていることが変わることが対極にあったのではなかったのです。

確かに、しっかりと事実を積み上げてその本質を知ろうと向き合う態度には矛盾・曖昧・豹変は不釣り合いです。

そして、”矛盾・曖昧・豹変を許す”のは寛容さであって、妥協することでもないことにも気づきました。


言語レベルで対極に位置する概念ではなく、人が持っているの意味は一見、対立しているようでも実は共存可能なものです。

”矛盾・曖昧・豹変を許す寛容さ”も”物事の本質に迫る緻密さ”も一つの人格で成立するのです。

多くに人は、どちらかに寄っていますが、確かに人望のある人は、この2つの振れ幅を持ち場面に応じて上手に使い分けています。

言語化してしまうと見失いがちな人となりにおける大切な視点を再確認することができました。

さて、副次的に出現したも一つの概念が”組織に適応し他者と協調する”と”組織に染まらず執着し時に他者を攻撃する”でした。

これは、組織を安定させる傾向と組織を不安定化させる傾向ですが、こちらも、経営者や執行役員にとっては重要なテーマです。

日頃、組織を安定させるために多くの施策を行っていても、ある時はわざと組織を揺さぶることで変化を促し組織風土の変革を実現することが求められるから(逆もあります)です。

これらの振れ幅は、CEO、COO、CFO、CIO、CTO、CMOなどの経営陣と現場マネジャーでは異なります。もちろん、現場マネジャーや専門職ではさらに異なり、振れ幅が狭まります。スタッフは、偏りがその人の個性、強みとして力を発揮することになります。

人材に問われるのはこうした懐の深さや幅の広さであり、そこに目を向け、自ら成長する、もしくは他者の成長を支援することにしっかりと向き合いたいと思います。


ガソリン注入!







2016年7月5日火曜日

直感が活きる正の相関、直感が間違う負の相関

採用において、面接による人の見極めよりも、しっかりとしたデータを使ったほうが間違いがない。

蓄積データを解析して、すでにこのような取組みを進めている企業があるそうです。

この取組には一理あります。


業績とマネジメント力の分析を行うと、営業職においては強い正の相関が見られます。つまり、出来る営業マンは良いマネジャーになれるのです。

一方、企画職においては、業績とマネジメント力は無相関でした。

仕事の出来る企画マンが良いマネジャーになるかはわかりません。

そして、技術職では、業績とマネジメント力がなんと逆相関だったのです。仕事の出来る技術者は良いマネジャーになれないのです。

このような、実情に対し、人の見極めが有効なのは営業職のような正の相関がある場合です。

逆に、無相関、負の相関において多くのケースで人は判断を間違います。

採用活動においても同様でしょう。

米グーグルでは分析により大学の成績評価GPAや超難問の試験結果と入社後の業績は無関係だったとわかり採用基準を大きく変えたそうですが、人は一見、相関がありそうなことを判断の拠り所にしてしまうことが少なくありません。

ゆえに、分析結果が、無相関であったり、逆相関であると大きな驚きを感じるのです。

これは、人が予測を間違う要因のひとつです。

線形(Y=ax)はとてもシンプルで世の中の現象で比較的多くみられる法則ゆえに、予測において有利なモデルとして、判断のデフォルトになっているとも考えらます。

いづれにしても、AI含め、分析における発見とは直感と異なる無相関や負の相関をみつけることとも言えるでしょう。


成長も非線型です




2016年7月4日月曜日

グローバル化する社会の安全と安心とは

また悲惨な事件がバングラディッシュで起きました。

ソフト・ターゲットと呼ばれる民間人が警備の少ない場所で襲撃された事件でした。

このような事件は、私たちに強い衝撃を与えます。

昨年末には、パリで大きなテロでたくさんの人が犠牲になったことも記憶に新しいです。

一方、華やかなスポーツの祭典であるリオ・オリンピックは、ジカ熱と治安の悪さから辞退する選手が増えています。

スマートフォンを出してはいけないとか、強盗をみても助けにいかないなどの状況を知ると、日頃、安全・安心な暮らしが送れることの有り難さを痛感します。


仕事をするうえで「安全」「安心」がある環境は、そこに集う多くの人に挑戦を促します。

しかし、その環境に慣れてしまうと、危機意識や危険察知能力が低下してしまいます。

そして、グローバル化によって日常におけるリスクは徐々に増していることは間違いないでしょう。

特に海外における危険性は深刻です。

ゆえに、私達な常に危機察知能力を高める努力をする必要があるのです。


このような状況を鑑みるに、日本の四季のように、安心・安全は厳しさ・過酷さと交互にあることが重要なのだと思う次第です。


光と影





2016年7月3日日曜日

パワー全開 ゆとり世代が教えてくれるもの

先日、17採用で活動をしている学生のデータを分析した際に、彼らの時代背景を考察しました。

データを読む時は、その時代背景や文脈を理解しなければなりませんから、改めて1994年から何があったのかを振り返ったわけです。

そこで改めて気づかされることは、1960年代生まれの自分とはまったく異なる環境の中で成長していることをもっと強く意識しなければならないことです。

そうしないと、彼ら、ゆとり世代のパワーを見失うことになります。

先週末のがちゃトークで法政大学長岡教授はゆとり世代のパワーに気づいて指導の方針を大きく変えたそうです。

長岡教授のゼミ生を見るに、その話にはとても納得感があります。

一言にすると、ソーシャルな場面でのコミュニケーション能力の高さで、特定の組織に帰属し、その中でパワーを発揮してきた”私達”の世代と異なるのです。


私は、他者に変わって欲しいと思うのであれば、まず自分が変わらなければならないと考えますが、世代が異なる他者のパワーを引き出すためにも、自分が変わらなければなりません。

これまで抱いてきた組織と組織人イメージという快適ゾーンから抜けだし、新たな組織と人の姿を描く時、一番の課題は自分革新であるようです。


パワーが違う

2016年7月2日土曜日

プロセスの理解が無いほど要求は乱暴になる?

『百里の道は九十九里をもって半ばとす』という諺があります。

最後まで気を抜くな、という意味ですが、一方で、私達は計画を立てる時、作業にかかる時間を短く見積もってしまったり、締め切りを甘く見る傾向があります。

「計画錯誤」と呼ばれる認知バイアスの一種です。

この「計画錯誤」を防ぐためにプロジェクトマネジメントで利用するのがWBS(Work Breakdown Structure)です。

実際の仕事をそれ以上分割できないタスクレベルで計画し進捗管理することで目標を着実に達成するための手法です。

目標に至る作業を細分化(「段階的詳細化」と呼ばれます)していくと非常に多くのタスクを行っていることがわかるのですが、どうやら私達は目標に至るための詳細なタスクを省略して物事を考える癖があるようです。

これは能力発揮の仕方と関係があるのかもしれません。

例えば夏休みの宿題を終えるには複数のタスクの組合せが必要ですが、夏休みの宿題を終えるために保有する能力が発揮されたか否かは結果からしか確認出来ないものとなります。

したがってプロセスよりもゴールへの意識が強まりやすくなり目標を短絡化してしてしまうのではないでしょうか。

「いますぐこれが必要だ」といった乱暴な要求の背景には、間違いなく「計画錯誤」があると思います。

プロセスの理解が薄いほど、ゴールが短絡化される傾向が強まるのです。


これもプロセス


2016年7月1日金曜日

がちゃトーク X グラフィック・レコーディング を堪能した夜

今日は7月の第一金曜日。市ヶ谷のCafe Katyでがちゃトークがありました。

そこで、がちゃトークをグラフィック・レコーディングしてみました。
今日のプロッキーは緑、ピンク、茶 + 黄、赤です。(ちょっと色遣いが多かったですね・・・)


トークテーマは、「区切り」です。

今日7月1日は一年の半分ですし、テーマを提案された方は1月1日生まれで今日は0.5歳にあたり、さらには転職して丁度一年だったそうです。

さらに、少し遅れて参加された方は、今日、丁度プロジェクトが一区切りつき、明日が結婚8年目の記念日と実は「区切り」がたくさんのがちゃトークだったのです。

さて、内容はスケッチブックにレコーディングしました。見てわかるでしょうか。

今日はいつもにも増して、対話を越え、一部議論的なものもあり、グラフィック・レコーディングの場数としてハードであったことは伝わると思います。

個人的な感想としては、「区切り」と聞いて人生といった大事を思う人と、今日は漫画をどこまで読むか、といった「区切り」を思い人に別れる傾向があり、それは、コントロールとクリエイティブのどっちの観ているのかによるのかもしれないというものでした。


今日もありがとうございました