2016年5月31日火曜日

リーダーシップを目覚めさせるのか、加速させるのか

組織で仕事をするうえでリーダーシップの発揮はとても重要です。

特に、他者を統率し頂点として君臨するリーダーシップより、メンバーが、それぞれの領域にや、領域を跨いで自発的な協働意欲を持って取り組むことが組織成長の原動力となります。

そこで、マネジメントは役割やOJTや研修などの取り組みを通じてメンバーのリーダーシップを顕在化させる働きかけを意識、無意識に行っています。

この働きかけは、組織社会化(組織の構成員として一人前になる)が進む過程においては、比較的順調に進み、メンバーは自発的に判断と行動を起こせるようになります。

一方、仕事のレベルが上がって解決すべき問題が複雑化したり、自ら課題を定めて達成に取り組む段階になるとリーダーシップを発揮できないメンバーが急激に増えてきます。

不安による躊躇いや回避がリーダーシップ発揮の障壁となるからでしょう。

この状況に陥ってしまうと、そこからリーダーシップを発揮させることは困難です。


暗闇に光明を見出し前に進むためには、当人が目を開いて先を探っていなければならないのですが、意識的に目を閉じたり背けたりしている人が他者の支援から気づきを与ることはできません。

したがってリーダーシップへの働きかけは、勢い、目を見開いて前に進もとしている人に注がれることになります。

そして、それらの人は、後押しを受けて加速していきます。

これはとってもシンプルな原理なのですが、一方で、不幸な現実であるかもしれません。

組織マネジメントと状況は全く異なりますが、例えば日本国のリーダー、内閣総理大臣は2008年のリーマンショック後と2011年の東日本大震災後で政権交代しました。先の見えない闇に突入した時、前に進もうという姿勢のあった人が後押しされた結果とも言えるでしょう。

そして昨今の企業のトップの挫折や不祥事からも同様のことが伺えます。

結論的に言うと、リーダーシップは加速させたくなるものですが、目覚めさせることに多くの力を注がないと筋肉質な組織は作れない、ということです。


目覚め

2016年5月30日月曜日

企業の人材難は自業自得? 狭い視座にとらわれる危うさ

IoT(Internet of things)の時代となり、これまでの技術者が余り、これからの技術者が足りないのは同じことをし続けた人が高く評価され、様々な分野を経験しようとした人が低く評価されてきた結果である、という内容の文を見ました。

つまり、これまでの人事制度によって人余りと人材難が生まれたという話です。

一見、説得力がありそうなこの手の考え方ですが、よく考えると短絡的で論点がずれています。

例えば、「頭は家において、手と足だけ会社に持ってこい」という創業社長が居た会社では、その後、事業が曲がり角を迎えた時、社長の方針によって社員が考えなくなってしまったと批判がありました。

では、社長が諸悪の根源なのかといえば、それは違います。事業の成長期においては正しかったのです。

もちろん、時代の変化に敏感で先見性があれば、先を見越して手を打っているでしょうからその点では社長に落ち度があったのかもしれません。

実際は誰も未来何が起こるかわかりませんが、大切なことは何か手を打っているのか、ということでしょう。


さて、「社長せいで社員が考えなくなった」というのは、上手く行かない状況の憂さ晴らしみたいなものです。「人材難は自業自得」も同様です。

事業目的の無い会社はありません。

そしてその事業目的に沿って経営やマネジメントが機能し、人と社会を接続します。上手に接続すれば事業は成長するし、拙ければ躓きます。

つまり、社会の変化に伴い人と社会の関係も当然変わります。

社会とは、まさに私たちが「解」を得るための「場所」であり、社会が変わるとは「解」も変わることを意味します。ややこしいのは、私たちが「解」を持つことで社会が変わることです。

冒頭の事例でいえば、同じことを繰り返すことで繰り返し続けられない社会が出現するのであり、考えない社員の活躍が考えなければならない社会を生み出してのです。

創業社長や人事制度や制度を作った人事部などはスケープゴートであり、適合度の高さ、達成、成長実感といった現状での快適さの先に必ず変化があることから目を逸らすべきではありません。


私たちは世界を変えている

2016年5月29日日曜日

文脈に依存する職場 やってみなけりゃはじまらない

組織における人材のハイパフォーマー分析を行い、その結果を用いて採用や育成を行うと、組織内に様々な変化が観測されます。

人材要件の定義を行い、高実績者と同質の人材を採用したところ、刺激を受けた先輩社員のモチベーションが上がり、組織パフォーマンスが向上したことなどは良い例といえるでしょう。

採用した人材のパフォーマンスが発揮されるよりも先に組織の業績が向上したのです。

実は、人材マネジメントを実践する上で、施策がもたらす間接的な効果は小さくありません。

そして、結果が出てから振り返るとそこには見えていなかった文脈があることに気づかされます。

例えば、冒頭の事例で言えば、組織内にある競争心です。

後から新人に負けていられないという気持ちが芽生えたことは確認できますが、それは高実績者と同質の新人が入って来て初めて顕在化したものでした。

組織における人材を科学するアプローチでは、還元論、帰納法、客観性といった自然科学の方法論は取れません。それは、文脈依存的であり、固有性が高いためです。また、隔離した実験は行えないので、実際の施策とその結果を使って科学に取り組むことになります。

普遍化できるとしたら、人と組織に関して戦略的、合理的に思考し、施策を行い、その結果を振り返って本質を捉え新たな施策を選択するサイクルを通じてスパイラルアップすることです。

この観点で見ると、素晴らしい採用、育成を行っている企業は皆、この方法を実践していることがわかります。

そして、それらの企業は、これからの環境の激しい変化にも常に挑戦し続ける権利を持っているのです。


高次のビジョン、高次のミッションを

2016年5月28日土曜日

誰も見ていない? 誰かが見ている? 

心理学者ジェシー・ベリングの興味深い実験をTV番組「モーガン・フリーマン 時空を超えて」で観ました。

ベリングは子供が神に興味を持ち始めるタイミングに関心を持ち実験を行いました。

その実験とは、6歳くらいの子供たちに、誰もいない部屋で難しい課題(実質、不可能な)を与え、ズルをするかしないか観察するものです。

非コントロール群が、ほぼズルをしたのに対してコントロール群では、ズルをする子がほとんど出なかったそうです。

どのような条件を設定したのかと言えば、部屋の中に見えない人(子供が怖がらないよう
な工夫をして)が居るという話をしたことです。

子供たちはこの話を自然に信じて、居ない人の視線を意識してルールを守ったわけです。

この「神秘的なものを自然に信じること」は、生まれ持った心の働きであるとベリング氏は考えています。


この心の働きに関する考察は、とても興味深いものです。

「神」といった究極の存在に至らずとも、自分を客観視するときの心の働きに近いと思うからです。

リフレクションなどで自己を客体化するとき、何らかの規範にに基づき行為の意味化を行っています。

つまり、行為の背景とは別の規範に照らし合わせることでズレを作り、新たな行為の選択肢を生んでいると考えらるでしょう。

その別の規範がどこからくるのか不思議です。

もしかしたら、リフレクションを通じて成長する人と、どんなフィードバックをしても結局リフレクションが起こらずに、自己変容が始まらない人の違いはそこにあるのかもしれません。

誰かが見ていなくても、自らを律し、努力・鍛錬すること。

世の中に良い変革をもたらす人達が共通にもっている行動様式ですが、それらの人達は実は見えない誰かに常に見守られているのかもしれません。


神様

2016年5月27日金曜日

効率的な働くために必要なこと 効率って時間で測るものなのだろうか?

面白い記事がありました。

「午後4時に退社? フィンランド人が徹底的に効率よく働く理由とは」

「フィンランド人男性と結婚後、現地に移住し2人の子供を育てるフリーライター・靴家さちこさんが見た、その理想と現実とは?」というリードがついていますが、残業が多く、他の先進国に比べて生産性が低いと言われる日本の社会がベンチマークするうえでフィンランドはお手本になるのでしょうか。

現状での社会構造は大きく異なるものの、少子高齢化と労働人口の減少が深刻化する日本にとって、少ない人口で循環型の産業を構築するフィンランドは重要なシナリオの1つだと思います。

さて、記事にはとても印象に残る一文がありました。

「リソースの少ない国では効率良くやらなければ疲弊してしまうのだ。」(同記事より抜粋)

つまり、人々が疲弊してしまうと持続不可能である、という定義です。

これは根本的な真理に感じられます。どんな生き物でも過度の疲労が続けば短命になります。

裏を返せば、やりがいを持てる適度なストレスが、持続可能性の根源であるのかもしれません。

さて、サイバー・エージェントでは「安心と挑戦はセット」で考えるそうですが、持続可能なストレスを実現するために人事制度が果たす役割は小さくありません。

終身雇用や年功序列も、長く勤めてもらうため、ひいては時続可能性の施策と捉えることもできるでしょう。

となると、終身雇用などと長時間労働は1つのエコシステムになっている可能性もあります。

雇用の安心と仕事へのチャレンジから生まれるやりがいによって、持続可能な社会が形成されてきたのではないか、という仮説です。

一方で、安心があってもチャレンジがなければ長時間労働のストレスは持続不可能となります。


冒頭で取り上げたフィンランドの記事では、「自由になった時間で何を充実させるのかという問題」に最後で触れていました。

やりがいの無い仕事で残業する時間と、やりたいことの見当たらない自由な時間は実は一緒なのかもしれません。


根本は?

2016年5月26日木曜日

思考のスピード しっかり聞いて素早く考えゴールする

様々な研修の中で、課題を聞いて2〜3分で考え1分で発表するといったワークを行うと結構多くの人が苦労するようです。

ひとつは、2〜3分で考えがまとまらない人。もう一つは1分でコンパクトに離せない人です。

考えがまとまっていない場合はアウトプットできませんし、話しながら考えようとする話が長くなります。さらに、興が乗ってしまい、本題から逸れてあれもこれも話したくなってしまうと止めるのが大変です。

「研修開発入門---会社で「教える」、競争優位を「つくる」」(中原淳著 ダイヤモンド社)では「グループワークやディスカッションを破壊する9人の困った人々」として「聞かず屋、評価屋、目立ち屋、否定屋、断言屋、携帯屋、あさって屋、詳細屋、意図読み屋」を挙げていますが、この人達も当然このワークは苦手です。

さて、このワークを1.ワークの課題をしっかり聴きとり、2.考え、3.そして本質に気づき、4.組み立てて、5.タイムマネジメントしながら発話する とプロセスに整理すると問題がどこにあるのか見えてきます。

以前、リフレクションのコルトハーヘン教授は、短時間で思考しアウトプットすると余計なことが省かれ考えが本質に届きやすくなると話していましたが、それには、1〜3が一定のレベルに達していなければなりませんし、4,5も同様です。

要するに訓練が必要、なのですが、多くの人は「自分は聞いているし、考えているし、話している。何を今更そんなことを」とその必要性、重要性から目を背けているようです。

さらにビジネスシーンでは応答型のコミュニケーションが多くなり、人の話しを聞くのもそこそこに、「次に何を差し込もうか」とか「あの件、どうしようか」などと思い巡らす人が出てきて、結果、先ほどの9人の困った人々の行動習慣が生まれるように思います。

そして、それらの行動習慣を持つ人は、研修でのグループワークやグループディスカッションだけでなく、日頃の会議や連携の場面でも、聴き、考え、問い、組み、話す一連の行為がスムーズに出来ないのです。


熟成させましょう


2016年5月25日水曜日

変化はジワジワ起きている しかし変化がもたらす結果を事前に知ることは出来ない

大きな地震や火山の噴火など自然現象が「0」「1」でいきなり起こることはありません。

少しづつ歪が貯まっていたり、マグマが押し出されて上昇していたりと、直接目で確認することは困難であっても準備は少しづつ進んでいるのです。

「シュレーディンガーの猫」のように量子力学の考え方では「生きていながら死んでいる」、つまり「重なり合った状態」があるのですが、私たちの認識できる世界では開けてびっくりといった不連続はありません。

私たちの脳の中では常にデフォルトモードネットワークというゆらぎと思考を含む無意識と行動が常に起こっていて、ひらめきがあったとしても、それはそれらの産物であるという説もありますが、私にとっては自然で納得感の高い考え方です。

さて、毎年、あるカテゴリーの性格診断ビッグデータを扱っていますが、時間軸で比較すると変化が見えてきます。

今年もそのシーズンになったのですが、ここ数年のデータからははっきりとトレンドが見えてきました。

それは、小さな変化でもあるのですが、数年間の単位や、他のカテゴリーとの比較を行うと何がおきているのか豊かな仮説を持てるようになります。

データや仮説の詳細には触れませんが、恐らく、私たちが作り出した環境は意図を超えて私たちをじわじわ変えているのでしょう。

一方で、それによってこの先に何が起こるのかを知ることは出来ません。

私たちが生きている次元は充分に複雑です。

従って、Foresight、つまりいくつかのシナリオを描くことになりますが、そのシナリオは、私たちが何らかの手を打てるものになります。

もちろん、ノストラダムスの大予言やマヤ暦のように破滅のシナリオもありますが、困難なときほど意味志向、未来志向であることが大切であることも私たちは知っているのです。


このあと何がおきる?


2016年5月24日火曜日

世界の中心はどこですか? 「図」の表し方と問いかけの起こし方

日本で広く使われている世界地図は、外国の方にとって違和感が強いそうです。

それは、地図の中心に日本があって、イギリスやイタリア、またアメリカの東海岸問いった世界経済の中心が地図の周辺に配置されていることです。

図では、「自社」「自分」「自組織」ははっきりと、そして重要なことは真ん中に置くと読み手にわかり易く伝わり易いものになりますから、日本を中心に、しかも色を赤く目立つようにして配置すると、「私たちの日本は重要である」というメッセージが自然と伝わるわけですね。

私たち日本人が、世界の中で日本に重きを置くことは当然です。

一方で、他国の人にとってみれば潜在的なメッセージに違和感を持つわけです。

写真を撮る時、主題となる被写体を真ん中に配置する「日の丸構図」はあまり喜ばれません。視点が固定され、飽きやすいと言われています。

私たちの視点は常に変化を探し出す癖を持っている(一方で実は変化にとても鈍感)ので、変化が無い画像の変化の無い構図から重要性のメッセージは受けてれても、「ん?何だろう?」という問いかけが起きてこないのだと思います。

話を元に戻すと、日本が中心にある世界地図を見続けていると、世界が固定されてしまいます。アフリカの形もフィンランドの場所もあまり記憶に残らないことでしょう。

ところがグローバル化する社会で固定された世界観は大きなハンディキャップになります。世界への興味を失うことになるからです。

「重要である」ことを図で伝えることは、目的的なコミュニケーションにとって効果がありますが、常に問いかけを起こす工夫を忘れないようにしたいものです。


重要なこと



2016年5月23日月曜日

ナラティブ(物語り)で惹きつける 人の説得を考える

ナラティブ(物語り)には数多くの研究がありますが、簡潔に表現すると「ナラティブは矛盾や葛藤を内摂しながら状況の全体をまとめあげるという特徴をもつ理解・思考・コミュニケーションの形式」(川端、藤井 2013)です。

具体的に思い浮かべると確かに「物語り」には起承転結だけでなく、必ず様々な人間模様や業などが織り交ぜられます。それにもかかわらず1つのパッケージとして破綻せずに成立しているところはとても興味深い事実です。

ナラティブは「出来事を,意味に満ちたやり方で結びつける明確な時系列を持ち,一定の聴き手に対して,世界の存在や人々の経験についての洞察を提示するような言説」(Hinchman & Hinchman)であり、  
・時間性をもつ(chronological)  
・意味に満ちている(meaningful)  
・社会的に作られ共有される(social)
の3つの本質的な特徴(Elliot)を持っており、「始まり-中間-終わり」あるいは「過去-現在-未来」といった時間軸を持った言語的表現(川端、藤井 2013)によって、単に語り継がれる「物語り」としてだけでなく、シナリオ・プランニング( Foresight)として企業や自治体で未来への戦略策定にも使われています。

特に、時間軸だけでなく、「意味性と共有」もシナリオ・プランニングでは重要な要素です。

それは「意味性と共有」は人が説得されるプロセスでもあるからです。

この、ナラティブが人を説得する効果については研究結果もあって、
・既成概念を打ち破るようなナラティブであればあるほど、人は説得され易い
・ナラティブの世界に読み手を引き込むようなものであればあるほど人は説得され易い
・ナラティブの語り手が信頼できる語り手であるほど人は説得され易い
のだそうです。

したがって、人を説得する際は、信頼される誠実さ公正さ等を持って目新しく、魅力的にナラティブ型のコミュニケーションに気を遣うと良いようです。


語れ!

2016年5月22日日曜日

横綱相撲で優先すべきは品格か、勝ち星か

大相撲夏場所で横綱白鵬が12回目の全勝で優勝を遂げました。

その強さに改めて感心しますが、このところ、立会の変化やダメ押しで色々批判の声も多かったので、今日の一番で見せた粘り強く自分の身を投げ出して勝つ姿を見るとなんともなく安心します。

さて、解説の中で、白鵬でもやはりかつてのような速さや強さに陰りが出ていて力は落ちていること、そして有利に闘うために相手が迷い、色々と考えるなかで、変化を見せたりするのだろうという話が出ていました。

一方、観客や相撲の関係者にとっては、横綱には堂々と闘って勝って欲しいという願望がありますから、力の入った相撲を見せてくれると多くの人が満足します。

要するに横綱は「勝てば良い」、というものではないのでしょう。

しかし、勝たなければならないのも事実です。

堂々と負ける横綱も許されないのです。


こうした例は、相撲に限りません。

業界トップのリーダー企業が、ありえないディスカウントを行って、新規参入を妨害することは決してめずらしくありません。

形振り構わない姿勢は、時に、公正な商取引を妨害する行為として糾弾されますが、多くの場合は見逃されます。

これは、品格と勝ち星の不整合から生じる問題です。

ですから結局一番良いのは、品格と強さを備えた新たなリーダーが生まれてそれまでのリーダーにとって変わる、代謝が起きることでしょう。自然界の法則でもあります。

大事なのは、白鵬が変化を見せても相手が勝つことですし、リーダー企業が赤字覚悟でディスカウントしても太刀打ちできない力や内容をチャレンジ企業は培わなければならないということです。


勝てば良いのではない




2016年5月21日土曜日

自分らしさを出して良いとき、悪いとき

多様な人材で構成される社会のなかで、「自分らしさ」には大きな意味があります。

それは、他者との違いであり、「生命」はたったひとつであるという真理でもあります。

一方で、社会性においては「組織社会化」であったり、「社会的規範」に見られるように集団もしくは群として「自分らしさ」よりもルールが優先する場面が少なくありません。

では、会社において「自分らしさ」はどんな時にを出す必要があり、どんな時は控える必要があるのでしょうか。

以下のように考えます。

出す必要があるとき
・議論や対話で自説を述べる場面
・決断を行う場面
・信頼関係を築く場面

控える必要があるとき
・他者の説を聞く場面
・判断を行う場面
・信頼関係に基づいて連携を行う場面

これらは、具体的な場面で考えるとより分かり易くなります。

・議論や対話で自分の考え方を述べす、他者の説を聞く時にはうわの空な人
・他者の評価を好き嫌いで行う人
・集団での目的達成が大切な場面に自分のやり方や自分の望みを強制する人

これらの場面で取り上げた人の立ち位置は、自分にとっての心地よさ(快適ゾーン)です。そして、それが本来の目的に相反していることが見てとれます。

議論や対話の目的は、それらを通じて、新しい発見や視座を得てより価値的な思考と結論を得ることであり、評価を行う目的は、他者をしっかり見つめ自らを振り返りフェアな関係を作ることだからです。

自分の「小さな目的」よりも利他性のある「大きな目的」を目指す時は、「自分らしら」を出さないのではなく、上手にコントロールする必要があると言えるでしょう。


「自分らしさ」とはみ出すこと


2016年5月20日金曜日

インフォグラフィックと笑う犬 コミュニケーション戦略が向かう先

良いインフォグラフィックの要因は、「有用性」「強さ」「美しさ」だそうです。

「有用性」では「目的が達成できたのか」、「強さ」では「意味と整合性は十分か」、そして「美しさ」はストーリーに基づいた情報の正しいビジュアル表現が美的であるか、が問われているのですが、その背景にあるのは『コミュニケーション』です。

つまり、丁寧に表現すると、「コミュケーションを行う目的が達成できたのか」、「コミュニケーションしたい意味と整合性はとれているのか」、「正しく美しいコミュニケーションとなっているのか」と言い換えることができます。

このように、インフォグラフィックとは、コミュニケーションの一形態であり、時間や手間を掛けたことによって評価される「作品」なのではありません。

しかし、目的的である一方、合理性や科学的であるだけでなく、オリジナリティや美的価値など感性への訴求もとても重要な要素となっています。


さて、現代のコミュニケーションは、このように、目的的、合理的、科学的でコンパクトかつダイレクト、スピーディに伝わることと、一方で、他にはない固有性、潜在的で主観的な価値、といった精神性があることも求められています。

例えば、人間以外の動物は顔に表情筋がほとんどありませんから、顔の表情を使ったコミュニケーションは苦手です。

それは、餌を取り、敵から身を守る上で「表情」は必要ないどころか、むしろ、リスク要因であったためだそうですが、実際に犬と暮らしてみると、表情がとても豊かであることに気づかされます。

そして、表情を使って、より多くの果実を得ているのです。


少し飛躍して考えると、「リスクを避ける」ことから「チャンスを広げる」ことへの戦略転換が着実に進んでいるように思えます。

インフォグラフィックも、本質は「間違っていない」のではなく「豊かを生み出す」コミュニケーションです。

もっとも、「豊かさ」の定義は人によって違いますから、結果として多様なコミュニケーションが溢れることになるのでしょう。

心を揺さぶる合理性、とでも言えばよいのでしょうか、どうやら人間だけに限らず、世の中はしたたかに、そしてドラマティックになっていくようです。


メイクドラマ




2016年5月19日木曜日

支援が役立つのは支援を受ける側に主体性があるときだけ、と思える

ファシリテーションに課題がある人がいたとします。

その人へのフィードバックが効果的なのはどのタイミングでしょうか。

当人が問題や課題に気づいていないとき、効果は期待できません。

頭でわかっても気持ちは受けれる準備が出来ていない時の支援は効果的でないようです。

下手をするとイチャモンをつけているとか虐めているように写ってしまいまし、応答も表面的です。

逆に、一番効果があるのは、ファシリテーションによって成果を出すことが求められているけど上手くいっていない自覚がある時、もしくは、ファシリテーションの能力を高めたいと考えているときでしょう。

それも真剣に考えているときです。

藁にもすがるほどの気持ちが支援を活かせる状況を生んでいると言えますが、そのような瞬間は、主体性が強く発揮されている状態でもあります。

また、フィードバックにやたら謙虚な人もいますが、どれくらい効果があるのか疑問を感じます。実際の態度に変化があるかというと、それほどでもないからです。

つまり、受容性が高いこととフィードバックを活かせることはイコールでないのです。

それらから見えてくるのは、「目標と執念があるからフィードバックを活かす」、という事実です。

これは、ちょっと冷静になって見ていると『あ、今は、真剣に考えて支援を求めているんだな』とすぐわかることですから、タイミングを間違えない支援を心掛けたいものです。


やっぱり呑んでいるときはダメです








2016年5月18日水曜日

協力者と加担者 リーダーを支えるのはどっち?

インターネットで有名な「はだか踊り」という動画があります。

鳩山元首相という、問題のある方が取り上げたものでもあり、評価は分かれるコンテンツですが、社会運動においてリーダーよりも、それを支えるフォロワーの出現が重要であるという視点はとても分かり易く描かれた動画です。

さて、フォロワーが大切なことはわかるのですが、フォロワーとは協力者なのでしょうか。それとも加担者なのでしょうか。

協力者とは、共通の利害の一致をみる人です。

一方、加担者とは、共に責任を負う人です。

で、結論的に言えば、リーダーを支えるのは、加担者です。

つまり、リーダーがバカをやっていれば、本人もバカと言われてもやる人でしょう。

そのような観点で今日の企業を見ると、バカなリーダーに加担する人はとても少ないように思います。

多くの人は、リーダーに進言し、諌めることを善しとしているようです。

それは、リーダーがコケたら次のリーダーは自分だと考えているからかもしれません。

これは、組織の成長を支える大きな真実だと考えます。


加担してる?

2016年5月17日火曜日

負けるが勝ち 人材で勝つ極意とは?

かつて太平洋戦争の時、機動力の高い軽量の飛行機に精鋭のパイロットを乗せて戦った日本と、弾が当たっても簡単に落ちない厚い装甲で重いけど、馬力の出るエンジンでそれをカバーした米国との戦略の違いが後々の戦局に大きな影響を与えたという話を聞きました。

一人前のパイロットを育てる時間を考えた時、いかに戦闘でパイロットを失わないかが重要であることを導き出した結果だそうです。

さて、日本の物作りは海外からも高い評価を得ています。

壊れにくい製品は、様々な場面で大きな貢献を果たすので、高い国際競争力を保有することとなります。

そこで、今、ドイツを中心にインダストリー4.0という取り組みが行われています。

あらゆる機材をインターネットに接続することで、連携を行い、効率を高めようというものです。

また、製品の信頼性を高める研究や開発を行うよりも、IoTで故障を予測し連携する仕組みを作ってしまえば開発能力の高くない企業であっても十分に勝算があるという事業戦略もすでに実践され成果を出しています。

つまり、強みが無いからといっていつまでも負け組でいるわけではありません。

このように、強者が自らの強みに執着している間に勝負が逆転する状態は、HBSのクリステンセン教授が破壊的イノベーションとして分析されています。

そこで、企業は常にイノベーションを起こすべく様々な取り組みを行っているのですが、お金を掛けたからといって上手くいくわけでものないところが不思議です。

ひょっとして、もう少しすると戦略もAIが考えるようになるのかも知れませんが、現状で戦略を考えているのは「人」ですから「お金」でなく「人材」が勝負の決め手です。

グーグルの企業買収は大胆ですが、使った「お金」でなく、良い「人材」を確保していることが核心であると言えるでしょう。


今年、サッカーの英国プレミアリーグを制したレスターというチームは、昨年まで下位争いを行っていたチームです。

そのチームが、有名ではないけど有望な選手を効果的に集めてついには優勝するとは誰も思わなかったでしょう。

戦ったのは選手ですが、その選手を集めたスカウトと起用した監督の力はとても大きかったはずです。

そして今日、新卒採用でイノベーションを起こしている三幸製菓で中心者であった杉浦さんにとても有意義なお話を聞かせて頂き、その採用戦略の合理性と現実性には勝つ極意が潜んでいることを確認できました。

こうした様々な人材で勝る組織を見るに、

・人材を色眼鏡や評判で見ず時間をかけてじっくり見ている
・負けている現状に悲観せず事実を正しく分析する
・目先の勝利よりも本質から眼を離さず合理的な結論を導く

の3つが共通しているようです。

そして、それを実践するためには経営者や所有者の信念、信条が強く問われているのだと思います。


橋を架けること

2016年5月16日月曜日

異論と反論の違いにみる学びの方向性

Yes, and. で議論が創造的に展開すると、議論に参加する人は前向きに物事を考えられるようになります。ビジネスで挑戦が求められる時、積極的な姿勢は大きな勇気を与えます。

もちろん、常に前向きに考えることが大切なわけではありません。

では、異論や反論がどのように学びにつながるのでしょうか。

私にとって異論が役立つのは、思考を覚醒する時です。

眠れる思考にガツーンと一撃を喰らう感じが好きです。

または、呼吸が浅くなってじわじわと窒息しかけているときの肺に一気に空気が入り、頭がすっきりする感覚とも言えるでしょう。

自分の世界を上書きし続けると、知らないうちにその狭い視野や思考に沈んでしまうので、異論のある場所は酸素の濃い場所です。

一方、反論が役立つのは自分の有り様を見つめる時です。

そこから新しい視座や思考は生まれませんが、自分の物事の受け止め方を強く自覚することができます。

自分が変われるチャンスです。

異論は酸素吸入、反論はバーベル筋トレですね。


さて、このように考えると、まずは異論を異論として、反論を反論として対峙する持論があることが重要であることに気づきます。

つまり、存在感のある自分として生きていることですね。


目がキラキラ

2016年5月15日日曜日

「やれやれ」どうやらきみは好むと好まざると人工知能を”考え”なければならない

昨晩は、WOWOWで「エクスタント・インフィニティ」の最終回をみた。WOWOWが何を放送しようが僕は何も言う権利もない。

さて、今晩はNHKスペシャルで「天使か悪魔か  羽生善治 人工知能を探る」である。

どうやら、4年後の東京オリンピックどころか、今夏のリオデジャネイロオリンピックといった近い将来よりも2045年に来るシンギュラリティのほうが目を離せないようだ。

「やれやれ」

・・・

ツイッターで流れた「もしも村上春樹が算数の問題を作ったら。」というツイート風に今の気持ちを書いてみましたが、人工知能がディープラーニングによって人の直感や創造性までも学ぶ時代が来ました。

NHKスペシャルの冒頭でもレンブラントの絵を学んだ人工知能が新作を描いたことを取り上げていましたが、一方で、昨年、公開されたGoogleの人工知能が描いた絵はとても気持ち悪く不気味でした。

人工知能が描いた「レンブラントの新作」

【衝撃】Googleの人工知能が描いた絵が凄すぎる! 絵を見た人「ぎゃあああああ怖すぎる!!」「芸術的だ!!」

AI「アルファ碁」とプロ棋士の対戦で人工知能が暴走したように、私たちが知ることの出来ない学習結果が導き出す結果に私達は向き合わざるを得ないのでしょう。

冒頭のツイートも、実は、AIが作ったものなのかもしれません。むしろ、作家はAIでなくA人間であると誰が証明できるのでしょうか。


原理から結果は予測できない


2016年5月14日土曜日

嘘と誤魔化しは違う その社会的な意味とは?

この一週間、というよる金曜日は、タレントのベッキーさんと東京都知事舛添氏の自身の報道に関する説明(釈明)が相次ぎました。

13日の金曜日で仏滅という、なかなかゲン担ぎには向いていない日取りであったせいか、どちらもスッキリと終えられた印象がありません。

ベッキーさんに関しては、本人もそうですが矛先が相手に向かったりしていますし、舛添都知事に関しては酷い言い逃れに終始してしまいました。

さて、この二人を観て思うのは、嘘と誤魔化しの違いです。

私の中で、嘘とは聞いた相手が本当だと思うものです。したがって、嘘がバレない限り文脈は維持されます。

嘘がバレた場合は、真実が一気に変わり、関係性に大きな変化が生じます。

ある時は不信が芽生えますが、ある時は相手のやさしさや弱さを知るなど事実でなかったことの背後にある文脈によって関係性の変わり方は様々です。

一方で、誤魔化しとは相手が信じていないことを言いくるめるものです。

ですから、誰もがそんなハズはないだろうと考えているにも関わらず詭弁を繰り返す姿は不信をさらに増長させるものです。

家族の正月旅行で、部屋で仕事の話をしたからといって、それを「会議」と言い逃れする姿勢から、新たな良い関係性が生まれる可能性はゼロです。

ただ、コミュニケーションが事実に基づいていないという点では嘘も誤魔化しも一緒です。

つまり、嘘と誤魔化しは相手がどう受け止めるかに掛かっているのです。


社会的な関係性において事実をベースに行われているコミュニケーションは結構少ないと考えます。

むしろ、当事者それぞれが考えている真実や願望も含め行われるコミュニケーションが社会性の前提であり、嘘や誤魔化しは、それらが許される範囲について社会からフィードバックされる仕組みであるとも言えるのではないでしょうか。

そう考えれば、社会的立場が明確になればなるほど、強いフィードバックが起こることにも納得がいきます。


怒ってるにゃー

2016年5月13日金曜日

移行と壁が生まれるのは何故だろう

今日、社会の一員として生きていくうえで、様々な「移行」が待っています。

保育園に入園にはじまり、各学校への入学と卒業後、就業し、そのなかで立場役割が変わり、定年を迎えるといった感じです。

これらの移行は、人為的に整備された社会的な仕組みによって発生します。

つまり、人は自分達が生み出した壁を超える宿命を負っているわけです。

では、なぜこのような壁をわざわざ作るのでしょうか。

そのヒントは、社会や組織の発達状況にあるように思います。

社会や組織は成熟すると内在する課題を解決するために制度が整備されます。

課題は「みえる化」されることによって、ステイクスホルダーは課題を解決せよと命令されることになり、課題が解決される可能性が高くなります。

これは「ゲーム」と似ていますが、解決することによって得られるものに実態があることが異なるところでしょう。

一方で、課題が制度によって固定されることによって背景にある本質の課題は見えにくくなります。

例えば「社会人に成る」という課題が入社試験となり、ナビなど課題解決の手段が色々と揃ってきます。

本来の課題は、「社会の一員として義務を負い、権利を行使する覚悟とビジョンを持ち一歩踏み出すこと」です。

ところが、ESの書き方や面接の受け方、引いては人気企業から内定を受けるのが課題となってしまいがちです。

そして、課題のみえる化は、解決できない人たちも顕在化させ、そこには必ず問題が発生します。

課題をみえる化し、解決の可能性を高めることには、社会をより発展させることになるはずですが、一方で、より解決の難しい問題、「壁」を生み出すのです。


みえる?










ホスピタリティとオペレーション 適性か学習か

飛行機の客室乗務員と地上で搭乗手続きを行う人の仕事では仕事の質に大きな違いがあるようです。

前者は、登場者と一定の長い時間を過ごす必要がある仕事ですからホスピタリティが大切になりますし、後者は時間通りに飛行機を出発させる仕事ですので的確なオペレーションが求められます。

また、客室乗務員の方は、何らかのトラブルが発生したときには、仕事ぶりを一変させて対処することも求められるそうです。


さて、仕事の進めるうえで、向き不向きの影響は少なくありません。

自分がもてなすことが得意なのか、さばくことが得意なのか、もしくは場面に応じて切り替えることが得意なのか知っているとどのような仕事に向いているのか考えやすくなります。

一方で、自分がどういった仕事に就きたいのかという願望はまた別です。

不向きな仕事に就きたいと思う時は、それなりの覚悟と取組みが求められます。

そこで、誰でも仕事を選ぶ時は「好きな仕事」「嫌いな仕事」「向き」「不向き」のポートフォリオを持つ必要が出てきます。

対して人材を採用する側の企業では、「向いていてかつ好きな仕事」であるか否かが判断の基準となることが多いです。

「うちの会社で働いているイメージが湧くか」ということですね。

しかし、「見るからに」というケースはそれほど多くないので働く側にも雇う側にもグレーな迷いゾーンが増えます。

また、良いとおもっても実際に働いてみないことにはわからない部分も多くありますし、実際に適性より入社後の学習の成果が優ることも少なくありません。

こうなってくると「学べるか」「学べないか」が大切になります。

「仕事を通じてどれだけ自分の殻を破れるだろうか」です。

仕事を選ぶとき、もしくは、採用を考える場合は、イメージとイメージを変えるイメージにしっかりフォーカスできればミスマッチはぐっと減るでしょう。


雲一つない空だったのに???



2016年5月11日水曜日

人は資源か資本か命あるものか

「人材」に関わる業界や仕事では、「人」を扱う表現にこだわりがあります。

そもそも「人材」とは経営資源としての人を表した言葉です。

しかし、「材」という表現が「材料」みたいで好ましくないとして、「財」の字をあてる会社も少なくありません。

英語でも同様にHuman Resource(人的資源)という表現とHuman Capital(人的資本)があり、前者は人を、後者は人が保有する能力を指しているという指摘もあります。

叱られそうですが、現実的にはそこまで分けて使われていないようにも思います。

さて、先日、人財開発担当の方から、「Human はResourceでなくBeingだ」という言葉を聴き、なるほど、と関心したのですが、経営組織における人をどう表現したいのかは、裏を返せば、自分がどうありたいのか、どう扱って欲しいのかということでもあるでしょう。

人間以外に組織だった活動を行う種はたくさんありますが、それらを構成する個々が自分達が材なのか、財なのか、資源なのか、資本なのかと考えることはないでしょう。

つまり、生き物の組織だった活動と個々をどう定義するかということは別問題であることがわかります。

しかし、自己定義の仕方を変えることで人の組織活動におけるパフォーマンスが変わるのであれば、それはとても興味深いことです。

組織活動のパフォーマンスをどのように状況が異なっても正確に測ることができるのであれば是非、比較してみたいものです。


食材でなく食財?





2016年5月10日火曜日

生きろ、という死にかた 死なない、という生きかた

宮﨑駿監督の代表作、もののけ姫でアシタカはサンに「生きろ、そなたは美しい」というセリフがあります。

しかし、このセリフには、生きることと美しさという枠組みがあります。

では、生きることとは枠組みにそうことなのでしょうか?

そこにはとても違和感を感じます。

荒川修作とマドリン・ギンズ は「死なない家」として三鷹天命反転住宅を作りました。

そこには、枠にはまらないことから生まれる生命の息吹を感じます。

「生きる」という言葉には、「より良く生きる」とか「自分らしく生きる」という文脈が隠れていると感じるのですが、それは、ひたすら死に向かいながらそこから目を背けていると思います。

むしろ生命の本質は、死なないこと、死をみつめそこに抗う意志にあるのでしょう。

枠組みを疑う、抗う、囚われない生き方こそが生きるかたなのだと考えます。


こんな感じが面白い

2016年5月9日月曜日

「適材適所」を説明できますか? 期待的想像と今日的状況の狭間にあるもの

三人の社員A、B、Cがいたとします。

Aは、時間を掛けて丁寧な仕事をします。

Bは、無駄と思われることを徹底的に省いて仕事を仕上げます

Cは、素早く物事の本質に目が届き迅速に仕事を始めます。

BとCの共通点は、仕事が早いことです。

AとCの共通点は、仕事が仕上がりが良いことです。

AとBの共通点は、仕事を最初から最後までひとりでやり切ることです。

さて、ある仕事にこの中から一人を選ぶとしたとき、どのような視点で選べばよいのでしょうか。

「適材適所で選ぶこと」が正解のように思われますが、本当にそうなのでしょうか。

特定の業務スキルや能力、知識経験を別にして仕事への適性を考える時、時間が掛けられるのであればA、そうでなければBかC、仕上がりが重要ならばAかC、他の人と連携が難しければAかBといった選択に合理性があるように思えますが、実際の職場では、そのような合理性が考慮されることはあまり多くありません。

その理由は、仕事なのだから得意不得意ではなく出来るのが当然である、という自己責任と組織内競争ありきの考え方であったり、そんなに都合よく適材適所を実現できるほど人員に余裕がない状態であったり、仕事にどのような適性が求められているのか明らかになっていなかったりと多様です。

さらに、仕事が非定型化し複雑化することである瞬間だけでは適材適所の意味を成さなくなってきていることも忘れてはなりません。

このような今日的状況で、「適材適所とはどんなものである」と言えるのでしょうか。

「本人の特性が仕事にピタッと嵌って成果と成長が最大化すること」という期待は、あまりにも短絡的、非現実的な想像の産物であるように思えます。

なぜなら、組織で行われる仕事には、上司、同僚、部下、顧客などとの相性など運では片付けられない要因も大きく影響しているからです。

一方で、どんな仕事でも人が合わせるべきであるというのも暴論でしょう。

さらに不思議なのは、そのような状況にも関わらずピタッと嵌って成果出し成長する人材は必ず居ることです。それも決して極少数ではありません。

となると「適材適所」は「学び」抜きで語れなくなります。

つまり、「事前確率(証拠がない条件で、ある変数について知られていることを確率)」ではなく「事後確率(証拠を考慮に入れた条件での変数の条件付確率)」です。


結論として「適材適所」は、沢山の証拠を集めた上で、どのくらいの確率で実現できそうか検討するものである、ということになるのですが、「適材適所」という正解を期待している人には説得力が無さそうです。


適所







2016年5月8日日曜日

パーソナリティ特性は都度作られている

パーソナリティ特性とは、人の行動に一貫性をあたえ行動の予測を可能とする傾向性です。

そのような一貫性がどのようにして生じるのか、遺伝、一貫した生育環境、適応による強化、達成による自我の獲得、いくつかの移行期における選好などの視点から研究されていますが、どれもが決定的とは言えず、むしろそれらの内的、外的要因が複雑に入り組んで形成されているようです。

さて、パーソナリティ特性をコンピュータのプログラムのように、常に同じように再現する仕組みと考えることは出来ません。

外向的なパーソナリティ特性を持っていても状況によっては内向的な傾向を強く表わす場合もあります。

「窮鼠猫を噛む」といったように、普段は回避傾向の人が時に攻撃傾向になることは珍しありません。

スタンフォード監獄実験のように、役割によって行動が変わってしまうことが証明されいる実験結果もあります。

このとき、一貫しているのは、同一個人であるということだけです。

それでは、今までに無かったパーソナリティ傾向にいきなり変わったということでしょうか。

この考え方は、人の知能や性格を固定的にとらえる者にとって好都合ですが、実際は、そもそも複数のパーソナリティ特性が内在しており状況に応じて引き出された結果であると考えたほうが説得力があります。

例えば、外では穏やかだけど家では暴力的になるといったケースなども単純すれば、家の内と外という環境条件によって引き出されるパーソナリティ特性が違うと考えたほうが理解しやすいでしょう。

コンピューターのプログラムを生命とは言えない一方で、生命の振る舞いには、初期条件のゆらぎ、自己組織化による発展、カオスの縁における秩序への最適化という複雑系の概念が不可欠です。

そしてその考え方に沿えば、パーソナリティの一貫性とは、カオスの縁における秩序であり、それは、ゆらぎ、発展化、最適化のプロセスの最終局面において安定的と認められるものです。

ゆらぎ、自己組織化の条件が異なれば当然異なったパーソナリティ特性が観測される、そのように考えるのもそれほど突飛な発想ではないように思えます。

ここに、パーソナリティ特性の一貫性に関して、パーソナリティ特性のゆらぎ(前述の「ゆらぎ」とは異なります)というテーマが新たに生まれるのですが、「思考のゆらぎが発達に大きく影響している」(シーグラー)のと同様に、パーソナリティのゆらぎはある一定の条件下で成長に深く関わっているのではないでしょうか。

キャリアにおける様々な移行(社会人、管理職、転職など)、仕事の中での修羅場や土壇場、失敗の経験、結婚や子育てのライフイベントなどで人はメタ認知の獲得と実践の経験を通じて成長しますが、これはまさにパーソナリティがゆらぐ瞬間でもあるからです。


ゆらぐことと成長すること

2016年5月7日土曜日

アルバイトに雇いたいのはどんな人? 店の募集広告から考える

飲食店で食事をし、トレイに入ると結構な頻度でアルバイト募集の張り紙が目に入ります。

今日のお店では「元気にテキパキ動ける人」を募集しているようでした。

確かに、そのお店で働いている人の動きは元気でテキパキしていましたからとてもわかりやすい募集要項と言えるでしょう。

現在、多くの飲食店はアルバイトの力で運営されています。

したがってアルバイトがどのように働くかで店の売上や評価に影響がでます。

一方、サービスが均質化する中で、どのようなアルバイトにも同じような行動が求められているように思えます。

つまり、「元気でテキパキ動ける人」はほぼ共通の要件(飲食店のアルバイトでは)ではないかと考えてしまうわけです。

現在はアルバイトがなかなか集まりませんから、要件に沿った人だけを採用するのは困難です。したがって、教育によって行動習慣を身に着けてもらう取組みも盛んに行われています。

そこで次の要件、「何事にも前向きに取り組める人」が出てきます。要するに苦手なことでも一生懸命頑張って身につけようと努力する人です。

しかし、苦手なことを克服することは容易くありませんから。

そして、最後の要件は「シフトに穴を空けずに真面目に働く人」です。

どんな店にしたいか、という経営理念よりも、どうやって店を回そうか、という事業が成り立つ運営ありきの話になってくるわけです。


アルバイトが集まらない、定着しない、育たないと言われる状況のなかでアルバイト募集の張り紙を見ると、雇いたい人と雇える人のギャップとその店がどんな工夫をしているのかがつい気になってしまいます。


間を空けない人





2016年5月6日金曜日

笑う側と笑われる側 学ぶのはどっち?

夕飯時についているTVでモノマネの特番を放送していました。

そのまま観ていたのですが、かつてはアイドル、その後バラエティ番組の常連となって、ここ最近見かけなくなった芸能人が今回は、モノマネを披露する側で出演していたのが気になりました。

コメントする側からコメントされる側になったということですね。

さて、スポットライト→ひな壇→お笑いと立場を変えるなかで当人にはどのような学びがあるのでしょうか。

飾り立てられて多くの人に支えられる立場から、その他大勢になり、そして裸一貫で勝負する、それぞれの場でそれぞれの学びが必ずあるはずですが、個人の力量を一番思い知らされるのは裸一貫のときであるように思われます。

例えば、高校を優秀な成績で上位の大学に入学し、卒業、就職で大企業のなかの一員となり、仕事で活躍した後に独立して事業をはじめようとして実は企業の看板で勝負していたことに気づくという流れに近いかもしれませんが、個人の力で社会と対等に渡り合うことは簡単ではありません。

そして、社会の厳しさや自分の考えの甘さ、そして人の情けなどひとつひとつを身に沁みて学ぶのです。

これは実際に経験しないと学べないことです。

もちろん、すべての人がそのような経験を積むわけではありませんが、商品としての自分自身を新開発するプロセスは間違いなく人を成長させる仕組みであると言えるでしょう。

TV番組を観ながら、以前は好きでなかった前述の芸能人を今日は応援している自分に気がつきました。


頂へ!

2016年5月5日木曜日

行動習慣の違いがなぜストレッサーになるのか考える

「郷に入れば郷に従え」との諺がありますが、私たちに限らず生き物はちょっとした違いを敏感に捕ら、そこに意識を向ける特性を持っています。そして検出する違いは、動き、光、匂い、音、味、触感など多種多様です。

郷に従っていない状況は目立ちます。

例えば、行列があればそこに興味を持ちその理由を確かめようとしますが、これも、違いの検出による行為の発生です。

ところが、違いの検出だけでは、私達はストレスを感じていません。そこから行為をひきだすか否かのフィードバックが発生するだけです。

そして、考えてみるとストレスを感じるのは行為を自制するときや、違いが解消されないときであることがわかります。

社会的存在として葛藤が生じる瞬間です。

私達は社会が安定的であることに大きなメリットがあることを知っていますから、衝突の回避は社会を安定させる重要な戦略です。

さきほどの諺も衝突の回避を示唆するものです。

保育園建設の反対で開園を断念したのも衝突の回避ですね。

一方、不思議なもので、お互いが知り合うだけで配慮が生まれ葛藤は減ります。ということは、葛藤とは絶対的でなく相対的なのです。

要するに「なぜそのように行動するのか」、行動の背景が理解できない(しない)と違いに対する合理的な意味づけができないと不安心理も働いて葛藤が大きくなるのでしょう。

ということはストレスは自分の内面の問題と捉えることができます。

そしてそこには自分が行動習慣を変えること(例えば寛容さの発揮)へのストレスが少なからず影響しているように思えます。


鉄板です!



2016年5月4日水曜日

デザインルームから生まれる未来 踏みつけられる自我

カーデザイナー奥山清行氏がイタリアの有名デザイン工房、ピニンファリーナでデザインルームの指揮を執っていた2005年頃のNHKのドキュメントを再放送していました。

自動車ショーでお披露目するコンセプトカーの企画から完成に至るプロセスのうち、特にデザインから模型の作成に焦点を当てたものでしたが、見所は4人のデザイナーにデザインを競わせるところと、決定したデザインの実物大模型作成におけるデザイナーの迷いです。

さて、奥山氏がデザイン案を出させるために指名した4人は、経験豊富な実務家、建築出身の異能、一旗揚げようと気色ばむ若手、そして入社すぐの新人でした。

もう少し抽象的に表現すると、コンセプトカーのデザインを「経験」「融合」「自我」「未知」の4つの視点から取り組んだわけです。

その4つの視点を奥山氏が引き上げながら最終的に奥山氏と経営も含めて1つのデザインを決定するのですが、奥山氏は「自我」との対峙において初案、第2案ともにデザイン案を全否定しました。

その上でそのデザイナーに可能性を示唆し、新たなデザイン案を引く出すことの成功します。

10年後まで他社が真似できないカーデザインを目指すうえで役立ったのは、経験でも融合でも未知でもなく、自己主張、それも、踏まれた後に伸びてくる主張であったことはとても示唆深いと感じました。

スティーブ・ジョブズが一番嫌った2つの言葉は「ブランディング」と「マーケティング」だったそうです。

得意技や市場調査からは他社の追従を許さない新しいものは生まれないと考えていたのかもしれません。

そこには他者と異なる強烈な自己主張が必要なのでしょう。

ただし、自己主張が必要だからと言って自己満足の世界ではなく、何が10年後まで新しいのかを知る力と一体になって初めて価値を生むのである、ということを番組を見終えた後に考えていました。


文殊の知恵


2016年5月3日火曜日

GWに「成長」改めて考えてみる

「成長」とは何でしょうか?

ドラッガーは「成長とは、能力を修得するだけでなく、人間として大きくなることである。」「成長するには、ふさわしい組織でふさわしい仕事につかなければならない。基本は、得るべき所はどこかである。この問いに答えを出すには、自らがベストを尽くせるのはどのような環境かを知らなければならない。」「知識労働者というものは、自らが自らに課す要求に応じて成長する。」とメタ思考による実践に言及しています。

1970年代のドレイファス兄弟による人間の技能の習得・極める過程についての研究(技能ごとに評価するので、個人の生来持つ特性・才能ではない)では、初心者から達人へと技能レベルが上がるにつれ変化する特性のうち重要な3つ、・よりどころとする対象が、ルールから直感に移行する、・認識が、問題を一様な関連性を有する小部分の集合として認識するのではなく、ひとつの完全かつ無類の統一体として認識し、特定の小部分にのみ力を置くようになる、・問題から遊離して存在する観察者から、システム自身の一部としてそれに関与する存在へと変化する、とこちらもメタ思考と実践が鍵となっています。

これらは、「成長」を個体の肉体的変化を指すのではなく、知識や知恵の獲得と思考のメタ化である内面的変化と社会的活動である行動面での変化として知的・精神的・社会的・行為的成長が統合された概念を指しています。

言い換えると現状と目標の差分を埋めるための能力発揮と能力向上に関してより自ら具体的に高次な成長の定義を行い、客観的に環境と相互に達成が生じている状況が認められたとき、「成長」したと言えるのです。

例えば、子の親になることは、肉体的成熟の現れでもありますが、それによって親の有り難みを知り、子育てを通じて社会に新たな人格を育むことが「成長」です。

また、マネジャーになり、企業の目的や目標の体現を通じて社会に貢献すること、同時に次なる人材を育てること、も「成長」です。

新入社員が、企業の社会的活動における当事者(主体的な貢献者)となることも「成長」ですね。

子の親になることや、社員やマネジャーになることが「成長」ではなく、そこでメタ思考と高次で発展的な意味づけと実践が伴うことが「成長」なのでしょう。

視点を変えれば、人は、目標や目的ごとに多様な「成長」が可能である、つまり、「成長」とは無限に可能なもの、と言うことができます。


5次元ブラックホール?





2016年5月2日月曜日

自分を知らなければ傾聴はできない

マネジメントスキルでは必ず「傾聴」が大切だ、と説かれます。

では、「傾聴」とはなんぞや、と言われるとこんな事に気をつけましょう、ということになります。

・聞く姿勢になる (70%は非言語コミュニケーションで伝わる)
・ペーシング   相手の非言語表現に注意を払い、非言語表現で相手に合わせる。
・受けとめて聞く 
・話をさえぎらないで聞く 
・先入観を持たないで聞く 
・話の内容を評価しないで聞く 
・アドバイスせずに聞く
・相手の話の流れに沿って聞く
・課題を共有する意識を持って聞く (「同じ船」)
・深く聞く (それで? それから? それについてもっと聞かせて欲しい、等)
・自分の理解を確認する (相手の話しを自分の言葉で言い直す)

もう少し分かり易く言うと、「返事をするために聞くのでなく相手を理解するために聞くこと」です。

それは無意識にコミュニケーションの主導権を握ろうとする癖をコントロールする能力を身につけ、発揮することです。

ここで大切なのは、話下手な人は傾聴が上手だということでは無いことでしょう。

例え、発話が少なくても、主導権を握りたいという想いが少ない訳ではありません。

結局、自分を知る者こそが傾聴の力を持つ者である、ということになるのだと思います。


オ・レ!


2016年5月1日日曜日

近い将来、自ら鳥のように舞い、犬のように探すドローンがきっと被災者を救う

熊本で起きた地震は、東北大震災に匹敵する大きな揺れと被害をもたらしました。

今回の地震のように、道路や電気、水道などのライフラインが寸断されると私達の生活は途端に行き詰まってしまいます。

特に、今回の地震のように二次災害の危険が高い場合、人が被災地に入って活動を行うことは困難です。

さて、高度な文化的生活を享受しているうえで生活レベルを落とすことは大変なストレスとなります。

また、日頃ストレスが低い生活を送っていると、ストレス耐性が下がりますから、より大きな苦痛を感じます。

災害が起きて改めて気づくのは、あるべき支援の内容は人によってすべて異なっていることでしょう。

現状、それは不可能であり、ある程度の集団に対して一律な支援が行われることになります。

そこで、現在のAIやロボット技術の進歩を考えると、理想的な支援がそれほど遠くない日に実現しそうに思えます。

例えば自動車の自動運転が実現したらつぎは自動飛行でしょうから、ドローンは自立飛行するようになります。

また四足歩行のロボットも開発が急ピッチですから、空から状況を把握し、物資を運ぶだけでなく、地上においても捜索など人の支援を行うものと思われます。

このようなビジョンを実現するために必要なことは、実験的な取組みを阻害せず、奨励する態度でしょう。

もちろん、不完全な技術にはリスクも想定されますが、リスクを越えるスピードでテクノロジーが進歩すれば問題や課題は解決されるはずです。

テクノロジーは万能ではありませんが、特異点をむかえるまでは私達の力によって日々進化させることが出来るものです。

その先がどうなっていくのかはわかりませんが、災害救助を早急に終え、地域復興を迅速に進める現実的なイメージが確実に増しているように思います。


災害は忘れた頃にやってくる