2016年1月31日日曜日

今働いている人、これから働く人にとって、前提となること

グローバルネットワークの発達、情報処理技術の高度化に伴う、グローバルコンペティションが企業経営のみならず、組織で働く人の日常に複雑さと予測不能な状況をもたらしています。

そして、組織構成員には、変化への適応や先んじて変化を生み出すために、常に学習とイノベーションへの取り組みが必要となるわけですが、競争優位性を獲得するためには仕事の効率化、最適化を避けて通れないので余剰な労働時間は減る一方です。

また、人の知性・知恵と創造性の間には相関が見られないことも忘れてはなりません。創造性は経験から生まれませんから、創造的な態度と能力の開発が必要です。

この、学び続け、新たな価値を生み出し続け、無駄を減らし続けることは組織の中の一部の人の価値観やミッションでなく全ての「働く」ことの前提となっていることを日々の仕事において強く実感します。

とは言ってもそんな万能の人って居るのでしょうか?
条件として考えると現実的な人とは思えなくなります。

しかし、上手くやっている人は居ます。

どんな人達でしょうか。

ヒントを探して、「おとなの学び」に関するよく知られた理論をすこし挙げてみます。

経験学習サイクル - コルブ
経験 → 省察 → 概念化 → 実践

成人学習理論 - ノウルズ
1. 自己概念と自立した学習への動機付けが必要である
2. 経験が学習活動の資源となる
3. 人生の発達段階に応じて学習への準備が形成される
 4. 学習内容中心ではなく、問題・課題中心である

大人の学習条件 - 高木・竹内
主体性を保証すること
現実の問題を扱うこと
発話を伴うこと

アンラーニング・組織学習 - ヘドバーグ
組織の中に沈滞する、内外環境に照らして不適切になってしまったパラダイムやルーチンを認識し、解除し、新たな学習を行うレディネス(学習姿勢)を確保すること


これら理論の共通点は、学びと実践の同時性です。

そういえば、上手くやっている人は

”働きながら学ぶ”ではなく”学びのある働き”をすること。

を実践しているように思えます。

場が異なると仕事と学びを切り離して考えがちですが、上手くやっている人達の内面では統合されていることに気づくからです。

採用面接において、アルバイト経験の中から学んだことを語る学生は多いのですが、学びのあるアルバイトをしている学生はからは魅力を感じます。

”学びのある働き”をする。

シンプルですが、大切な問いです。


学びと働きを生き物は分けない




2016年1月30日土曜日

成長の振れ幅=人望? 性格特性と成長の関係とは 

3日前に「そこで振り切れ! 成長の振れ幅と根っこの可動域」というブログを書きました。

理論と実践といった、振り子のように理解することが可能な概念を支える支点に関するものです。

可動域というその考え方をもう少し具体的にするのが「九徳」の考えです。

『近思録』で語られる人望では、次のような九つの徳目「九徳」を身につけることをその具体的な到達目標としています。

1.寛にして栗(寛大だが、しまりがある)
2.柔にして立(柔和だが、事の処理が出来る)
3.愿にして恭(まじめだが、ていねいで、つっけんどんでない)
4.乱にして敬(事を治める能力があるが、慎み深い)
5.擾にして毅(おとなしいが、内が強い)
6.直にして温(正直・率直だが温和)
7.簡にして廉(大まかだが、しっかりしている)
8.剛にして塞(剛健だが、うちも充実)
9.彊にして義(強勇だが、義しい)

これは、とても良い振り子の例です。
この例を参考に成長を現す振り子の条件を定義すると以下のようになります。

正義と悪、と言った対立概念ではなく、コンフリクトがあり一見相反するようにも見えるが一対として両立可能な概念で、さらに複数の対の概念が共存可能、かつ、それぞれの対は本人だけでなく、他者にメリットを生じるもの

例えば、プロジェクトマネジメントでは、段階的詳細化を行いつつも、大局を見失わないことが大事ですが、それが同時に出来るようになるとステイクホルダー全体に影響と貢献がもたらされますから、プロジェクトマネジメント能力の獲得は定義に照らして成長と言えます。


さて、人はゼロから振り子が動き始めるのでなく、どっちかに寄っています。
これが性格特性です。

例えば緻密性が高い人は、段階的詳細化側に振れている状態です。あとは、細かいことにとらわれずに大局を見る側に振れることが成長することです。

性格特性として持っている傾向性を振り子化し、利他性を発揮すること。

これが現実的な成長の仕方と言えるのではないでしょうか。


と→間←と






2016年1月29日金曜日

カラフルな世界でモノクロを問う 

昔、パーソナルカラーの講座で人の血には、黄系と青系があると教わりました。

そして肌色の皮膚は、その下を流れる血の色で黄味か青味を帯びるのでそれを理解することで、自分に合う色を選べるのだそうです。

ベースカラーと言い、イエロー・ベース、ブルー・ベースがあります。

わかりやすいのは、金色と銀色で、黄系にはゴールド、青系にはシルバーが合います。

ですから、金色と銀色の色紙を肌に合わせることでパーソナルカラーのベースカラーがわかるのですね。

さて、今晩は、モノクロ映画を観る集まりに参加しました。

パーソナルカラーが、人の外側を包む他者に向けた色だとしたら、色味がない世界は、自分をパーソナライズする色(あえて)だと感じます。色味のない世界は、その人の注意力と創造性を高め、まるで色を感じるような知覚を与えてくれる、ということです。

実はモノクロにも色があります。光の反射は色によって異なるので印象が変わって来ます。したがって、モノクロ時代のカメラのフィルターは、黄色やオレンジなどカラフルだったのです。

ライカはこの時期に何故、100万円もするモノクロカメラを発売したのでしょうか。

もちろん、解像という、カメラの大切なテーマもあるのですが、モノクロを受け入れる人の心があることは外せないでしょう。


知覚するもの

2016年1月28日木曜日

「社会性の低さ」という問題を考える

「社会性の低さ」とは、一見、何ら問題が無さそうに見えるのに

①組織社会化(組織に適応するプロセス)が進まない、組織に馴染めない
②上司や周囲からの指導や働きかけに効果が見られない
③こだわりや執着が強すぎて円滑に業務が遂行できない、思い込みが強すぎて要点を外す
④自分の正義を翳してルールに反抗する
⑤そもそもの認知に誤りがある
⑥やると言ったのにやらない、口先だけで行動が伴わない
⑦他人任せで問題意識、課題解決の意識がない
⑧気分で態度が豹変する

といった傾向が認められ、安定した社会的な関係の構築に難があることを指します。

このような「社会性の低さ」はストレス耐性の低さでは説明が出来ません。
「ストレス耐性」はストレッサー(ストレスの発生源)とストレスに対する強さの関係を表出しますが、上記のような行動傾向はストレッサーに関わらず性向として表出するものだからです。


さて、心理学的に捉えるなら、「社会性の低さ」は、個人が準拠すべき集団において、態度(価値基準、情動傾向、行動傾向)の形成が困難な状態と言えるでしょう。

所属している集団への準拠意識が低い場合(腰掛意識など)も、態度形成の対象ですが、二次的な課題です。

通常、「社会性」は集団に属することで身に着ける社会的スキルですが、「社会性が低い」人材は、社会的スキルの習得が困難であり、「学習困難者」と考えることも出来ます。

学習障害の8つの特徴である「話すこと、書くこと、読むこと、計算、推論、運動動作、行動調整、対人関係」の難しさをクリアしたうえで出現する「社会的スキルでの学習困難」は、動作レベルよりもより高次な能力の問題です。

価値基準の形成では、「自立した段階で適度な自我を保有すること」「学習と学習棄却が可能であること」の難しさが伴います。

情動傾向の制御では、「自己の感情をモニタリングできること」「感情をコントロールできる統制感があること」の難しさが伴います。

行動傾向の制御では、「行動を省略しない身体性があること」「行動の結果からフィードバックを受け取り内省すること」の難しさが伴います。

この問題を考えるに、「個人」のことだけでなく、就職などを通じて帰属する組織の「特殊性」を避けて通ることも出来ないのでしょう。



囚われている感じ

2016年1月27日水曜日

そこで振り切れ! 成長の振れ幅と根っこの可動域

人の成長には様々な表現があります。

「すくすく伸びる」「一皮むける」「一段登る」「熟練(熟達)する」「上手になる」

それらの多くは伸張系か脱皮・変態系であるように感じます。

ところで、個人的に成長を表現すると、「振り子の支点の可動域」となります。

なぜ、そのように感じるかというと、理論と実践、学びと行い、具象と抽象、チャンスとピンチ、そして無意識と意識と行き来するなかで振れ幅が広がる人とそうでない人の違いに成長の本質があるように思えるからです。

振れ幅の真ん中に人が居るわけですが、その人が 硬かったり錆びいてしまうと当然、振れなくなる、逆に、柔軟でしなやかにストレッチする人はどんどん振れ幅が広がり速度も増します。

つまり、振れ幅や振れる速さは成長の結果であって、真の成長は支点となる人の可動域の大きさなのではないか、と考える次第です。

要は人としての幅ですね、


凍りついてもいけません

2016年1月26日火曜日

「社会性」って何だろう

元兵庫県議の裁判の様子が伝わってきましたが、その内容は、あまりにも社会の常識とかけ離れたものでした。

弁護士の主張もあり、一概に嫌疑をかけるべきではありませんが、いずれにしても社会への適応に問題を持っていそうであると感じさせられます。

さて、人にとって社会的能力の獲得は成長と同義として捉えられることが少なくありません。

また、良き社会人として社会の一員であることは、個人の生活基盤を築くものです。

人は自分が属する集団において、その規範や慣習を体現する能力を持っていますが、社会が複雑かつ変化が速くなるにつれ、学習によって獲得しなければならない課題が増えています。

それは、単に知識を習得する学習ではなく、より多くの様々な人々と共存する術を経験から学ぶことです。

例えば、職場においては多様な働き方であったり、パワハラや差別など人権意識などでは、グローバル・スタンダードを学び、経験し、体現することが求められます。

「昔はパワハラが当たり前だった」は通用しないどころかすでに禁句といえるのかもしれません。

しかし、課題が増えることで格差が生じることも忘れてはなりません。

そして格差から生まれる問題と向き合うことも現代の「社会性」のひとつであるようです。


これにどう向き合う?

2016年1月25日月曜日

「自由」の阻害? リアクタンスの本当は何か

他者の関与によって自分の思い通りにならないとき、人は「自由」を阻害されたと意識し、ストレスを感じます。

それによって生じるのが反抗、リアクタンスです。

多くの人が、試験だし、勉強しなくちゃいけないと思っていても「勉強しなさい」と言われると反抗したくなる経験を持っていると思います。

さて、「自分で決めたい」と思っている「意識」に対して、実は、実際に決めているのは「無意識」であるとしたら「リアクタンス」とは何なのでしょうか。

「無意識」が行動をパターン化させ、驚くほど常同化させている、という研究結果もあります。(Barabasi 2010)

「ヒトには変化や自発性への強い願望があるが、現実の生活には強い規則性がある」(Barabasi 2010)「脳には妙なクセがある 池谷裕二著P251より引用

こうして考えると、「無意識」から生じた行動の後付けである「自由意志」と、その「自由意志」を阻害されることで感じる「リアクタンス」に何らかの関係性がありそうなことが見えてきます。

大胆な仮定は、コストを最小化すること、つまり、快適ゾーンから抜け出さないための安全装置です。 

例えば、心地よく勉強する(or 心地よくいるために勉強しない)ために、「勉強しなさい」という外部からの圧力を緩衝する役割です。

もし、そうであれば、リアクタンスを感じることは逆に自分の殻(快適ゾーン)を破るチャンスだと言えるでしょう。


ゆらゆら


2016年1月24日日曜日

裏方の闘い 人と楽器、最後に信頼されるのはどっち?

5年に一度、ポーランドのワルシャワで開かれるショパン国際ピアノ・コンクールの裏で繰り広げられるピアノメーカーと、調律師の姿をNHKが追いかけたドキュメントが放送されていました。

その放送を見て気づいたのは、ブランド認知されていなかった日本のピアノメーカーが、欧米のピアニストから信頼を得るために行ってきた数々の取り組みです。

ヤマハは、現地の教授や演奏家などにとにかく触ってもらうために尽力してきたそうです。

河合楽器製作所は、調律師の人が、演奏家の声を直接聞くために飲み物やバナナなどを準備したリラックスできる場所を設けていました。

このコンクールの注目度が非常に高いことは言うまでもありませんが、それゆえに、ピアノメーカーにとっても優勝者が弾いたピアノであることは大きな意味を持つようです。

2015年のコンクールでは、チョ・ソンジン(韓国)さんがスタインウェイのピアノで優勝を勝ち取りましたが、10人で争われるファイナルで、ファイナル前までは7人がヤマハであったのに対し、二人がスタンウェイを選び5対5、そして優勝も含め上位6位のうち4人がスタンウェイという形になりました。

ヤマハは30年かけて挑んでいるそうですが、実績やイメージを覆すのはやはり困難であるようです。

もちろん、スタンウェイの素晴らしさを演奏家は選んでいるのですが、最後は人間関係よりも楽器が選ばれるシーンを見て、この悔しさをヤマハは河合楽器製作所が次に何をやるべきかはっきり見えたように思います。

まず、使ってもらうためには人の力が必要であり、第一人者の最後の選択となるためには絶対的な品質が必要であるということですね。


本文とは無関係です


2016年1月23日土曜日

ラインとファンクション 組織編成のツボを考える

組織開発を行う際に、ラインとファンクションの設計は悩ましい問題です。

ラインは、仕事の流れを中心とした組織編成です。

それに対して、ファンクションは、仕事における機能を中心とした組織編成です。

実際には、ラインの中にはファンクションがあり、ファンクションも必ず連携するのでどちらを上位に位置したほうが組織がより機能するのかを決めることになります。

ラインにおける長所は、仕事の流れがスムーズになることですが、問題は、縦割りの弊害が予想されることです。

一方、ファンクションにおける長所は、機能の高度化に取り組みやすいことでしょうが、問題となるのは他のファンクションとの連携の不味さです。

いずれにしても組織全体が機能するうえで課題を内在しています。

さて、どのような組織構成が理想的であると言えるでしょうか。

諸説あると思いますが、私が考えるのは、組織構成自体が高い知能を持つ構成であることです。

つまり、速く動く、確実に処理するなど、その組織の生存戦略にとって最適な組織構成があり、それを軸に編成することが良いと考えます。

組織には、カスタマーオリエンテッド、プロダクトオリエンテッド、プロセスオリエンテッドといった中心戦略がありますが、カスタマーオリエンテッドであれば、目配り、気配りの出来る組織構成が高い組織知を発揮出来ます。具体的には、顧客と相性のよい担当者を選び長い時間を掛けて信頼を築きながら後方としっかりとした連携が取れることを第一に組織編成することです。


よい形がある

2016年1月22日金曜日

人を誘う知覚の正体 人はさらに好ましい知覚を得るために行動し意味を後付けする

「気づき」(Awareness) は人材開発において大きなテーマです。

「気づき」を得ることは学びの原点であるとも考えられるでしょう。

さて、「気づき」とは、正の誘発性をもった知覚とそれを意識化する認知プロセスである、と定義できるかもしれません。

なぜなら、すべての生き物には、刺激に対して近づこうとする誘発性が存在しています。

特に人間は、その刺激を事物として認識し、言語化することで、他者と交換したり、共有することが出来ます。

こうした、正の誘発性という行為から切り離された「気づき」は、認識し思考する対象となりますが、記述された「気づき」(記述から「気づく」のではなく)に違和感を感じることは少なくありません。

例えば、最近多い謝罪会見などもそのひとつです。

何かしら社会の規範に沿わない言動と社会の反応から「気づき」を得て新たな行動がうまれるのであればそのプロセス上の「謝罪」に違和感はないのですが、なんらかの事情によって記述された「気づき」には行為との不連続があり、それが違和感として映るのだと思います。

「気づき」を行為と切り離さない。

シンプルですが、大切なことだと考えます。


久しぶりにバイクに乗りたい



2016年1月21日木曜日

作業の時間? 思考の時間? 仕事の時間はどっち?

かつて製造の現場では人が多くの作業を行い製品を生み出していました。

そこで生産効率を向上させるために、作業測定が盛んに行われていました。

流れ作業では、左から流れてきた仕掛品を左手でとって右手でネジを嵌め、右手でとった電動ドライバーで締めて右に流す。

この一つ一つの作業をストップウォッチで計測し、電動ドライバーにネジがついていたら何秒短縮できるます。

そして、時間あたりの生産増加は生産効率の向上となります。

さて、ナレッジワークにおいても作業は存在します。

したがって、何に何分掛かっているのか測定することからも価値がありますが、思考している時間を測定することには二重の困難があります。

一つは、外から観測できないこと、もう一つは時間と思考には複雑性があることです。

要は、思考に時間を掛けるのがよいのか、掛けないことがよいのかは人や状況によって違ってきます。


「思考の時間」は、現在の労働基準法とあまり相性が良くありません。

また、残業やワークライフバランス、ブラック企業などの社会問題にもつながってきます。

一方で、未来工業の社是「常に考える」は、企業業績の原動力だけでなく、同社の「残業0」「労働時間の短さ日本一」とも深く関わっていますから「思考の時間」と「仕事の時間」は常に相性が悪いわけでもなさそうです。

思考が価値を生むということの組織全体コンセンサスに「思考の時間」と「仕事の時間」を考えるヒントが潜んでいそうです。


考えよう

2016年1月20日水曜日

ちょっとした違いに人は気づいてしまう

家で使っているハンディ掃除機は、サイクロン方式といった最先端でもお掃除ロボットでもなければ、コードレスですらありません。

紙パックを買って、ゴミが溜まったら中身をこぼさないように捨てる、そんなレガシー?な掃除機なのですが、モーターは常に強烈で吸引力が強く、さらに紙パックを替えたときの復活感がたまりません。

これは個人の好みの話ですが、こうしたちょっとした違いから満足や達成感を得るのが人間です。

小さな達成(Small Success)やふとした承認が満足感と自信と新たな挑戦に人を誘うのです。

この正の誘発性に対する負の誘発性もあります。

ちょっとしたことでやる気を失ったり、不安になったり、逃げ出したりすることは珍しいことではありません。

とくに、達成感や喜びの感情に乏しかったり、承認を拒絶する性格特性を保有する人はその傾向が強くなります。

正、負の誘発性があることは、生存にとって有利に働きます。

「アリとキリギリス」の寓話で考えると、食物を蓄えることへの達成感がアリの働きを支え、バイオリンを弾き歌うことへの満足感がキリギリスの行動習慣を作っています。逆に、アリは歌い踊ることに不安を感じ、キリギリスは働き続けることに批判的です。

昆虫にもアドレナリンがあるそうです。

こうした誘発性に向けて、生き物は「知覚」しています。それはまさに「生きる」行為であるのです。

人は「気づき」として「知覚」し理解によって「認知」するのですが、このちょっとした「気づき」が人のパーソナリティ特性の一貫性を生み出し、その人の運命にも影響を与えていることが、人生をかなり精緻かつ丁寧に棚卸しすることで見えてくるのは驚きであると同時に新たな気づきとなります。


水面の質感に気づく

2016年1月19日火曜日

価値を生むマネジメントやリーダーシップのフレームを考えよう!

ドラッカー、コッター、ミンツバーグ、シャインなどなどマネジメントやリーダーシップに関する理論や考え方はたくさんあります。

どの理論が一番良いのか、もしくは自社に一番向いているのはどれか、考えたり議論するの楽しかったり悩ましかったりしますが、仕事の現場で考えると、マネジメントやリーダーシップは理論の話ではありません。

つまり、理論は無くても組織にはマネジメントもリーダーシップも存在している、と言えます。

もちろん、さらに良いマネジメントやリーダーシップを求めて理論を学び、ヒントを得ることは大切です。

しかし、原点を考えれば、子どもの遊びでもリーダーシップは発揮されていますし、部活にはマネジメントがあります。

要するに、マネジメントやリーダーシップは、群と環境をつなぐ自然発生的で創造的な行為なのです。

したがって、各企業で行われているマネジメントやリーダーシップは必ずその組織や組織の置かれた環境から生じる必然性に立脚しているので各理論と比較するとギャップが見えてきます。

それを「足りない」と見るか「新たな知や価値を生むチャンス」と考えるかが、人材開発や組織開発に少なからず影響を与えているように思えます。

なかには理論に拘らない、という企業もありますが、私としては理論、それも型としてではなく触媒として理論を用いることが大切だと考える次第です。


ブームのない生き方



2016年1月18日月曜日

ココイチでカレーを! 「仕事のデザイン」をフラクタルで考える 

「仕事のデザイン」というとなんとなく格好いい感じがしますが、実際は「働く」うえで欠かすことのできない行為だと考えています。

例えば、「営業」において、初期接触から受注までのプロセスは意図的、意識的であり目標を達成するためのデザインが内包されています。

また、「ソフトウエアプログラム開発」においても、プロジェクトマネジメントだけでなく、コンサルティングなどの上流工程から保守・運用に至る全体を通して目的を達成する観点で、デザインが重要です。

さて、いきなり結論なのですが、「仕事のデザイン」において重要なのは詳細化された具体的な記述です。

「誤解やズレを生まない誰にでもわかる記述」という意味です。

というのも、新しい企画であっても、日常的な業務であっても、イメージで語られることが多く、その結果、問題や課題を見えなくしていくからです。

また、記述はただ細ければよいわけではなく、全体感、あるべき姿や目的、達成したい(された)状況を反映したフラクタル(部分と全体の自己相似)な状態でなければなりません。

ココイチの「廃棄カツ横流し事件」は良い例です。

異物混入した可能性のある商品は全て廃棄する→アルバイトの方がスーパーで売られているカツに違和感を持ち本社に連絡する

といった具合に、工場というスケールでも、個人でも食の安全に対する意識に相似性が感じられます。

一方、この反対の事件も多くあります。

宣伝ではやたら安全・安心をうたっているのに、実際は不衛生な工場で作った食品を売っていたケースもありました。

こうしたフラクタルな構造は、仕事の質を高め、価値を生みだしますから、それをデザインし、詳細に記述することを経営者は忘れてはならないならないと思います。


植物はフラクタルに出来ている



2016年1月17日日曜日

SMAP騒動に見る組織の期待と実績のジレンマ

このところSMAPの解散騒動が大きく報じられています。家での話題でも自然と出て来ます。日本経済や政治にとってとても大きな株価の下落よりもニュースとして扱われている印象すらあります。

さて、SMAPはデビュー当時、そもそもあまり期待も高くなく、3年間は泣かず飛ばすだったそうですが、その後の快進撃は誰もが知るところです。

その快進撃の立役者となったのが渦中の女性マネジャーだそうです。

その後、芸能事務所としては、嵐やその他の売れっ子アイドルが出現し事業において大成功を収めていますが、すごく冷静に捉えてしまえば事務所の主役の新旧交代劇の出来事と言えるのではないでしょうか。


一般的に、成長の良い子がさらに伸びるよりも、問題児がちゃんと出来るようになったほうが成長を実感されます。学年最下位の生徒が偏差値を40上げて慶應大学に入学した話は映画になりますが、毎日一生懸命勉強して、慶應大学に入学した話が映画になりません。

このように結果は、ズレが大きいほうが評価される傾向があります。

そこには主観的な期待が大きく関わっています。期待水準によって評価が変わるという認知バイアスです。

会社においても、問題児が結果を出すことの難易度が期待値となってその通りになるとより良い評価となることは珍しくありません。

ところが、期待の要素を外す(冷静に考える)と評価は大きく変わってきます。

例えば大企業においても、「挑戦」をうたった採用で入社直後に評価されるのは実は、そつなく仕事をこなす賢く使いやすい便利な部下です。

育てたい欲求は人を伸ばしますが、当事者でない人にとって育てたい欲求は個人的に想いでしかありません。

元NBA選手のマグシーさん(NHK「奇跡のコーチ」)は「自分と仲間を比較しない。仲間を生かせば自分も生きる」と語っていますが、渦中の人にとって、仲間であっても自分と他者をつい比較してしまうものです。そして、仲間との比較で「期待」と「実績」がどうであったのかを抜きに語ることはできないのです。

今回のケースで言えば、女性マネジャーや事務所の責任者がマグジーさんのようなベストなコーチになれるのかが問われています。

人と組織を考える身として、今回のSMAP解散騒動からは、「期待の持ち方のズレによる実績評価の歪み」に目を向けないわけにはいかないでしょう。

人は無意識に主観的に物を見て判断しています。その自己中心性に気づくことがSMAP解散騒動におけるチャンスなのかもしれません。


期待と実態





2016年1月16日土曜日

犬との散歩で気づくリーダーとしての主語

社会性の高い動物である犬は、人間との間にもコヒーレントな関係性を持つことが出来ます。

そして、多くの犬が家族であったり、良き友として人間と暮らしています。

さて、我が家の犬は老犬ですが私と一緒に暮らし始めたのは4年前からです。

最近は大分、よい感じで過ごすことが出来るようになりましたが、最初のうちは緊張感や恐怖感が相互にあって上手くいかないことも多々ありました。噛まれて出血したこともあります。

そんなことを思い出しながら散歩をしていて考えたのは、「リーダー」についてです。

犬を飼ううえで、上手な飼い主は犬の心理をよく理解し、最適な誘導を行う技術にも長けていますし、しっかりとした規律と序列を理解させ、常に「リーダー」として犬を従わせるそうです。

それに対して私と愛犬の関係性はグダグダです。

散歩していても、時に引っ張られたり、引っ張ったりと「どちらがリーダーなの?」ということもあります。

一緒に暮らし始めた頃は、躾が肝心!とばかりに強いリーダーとして振る舞おうとしていましたが長続きしませんでした。

指示を従順に守る犬にすることは出来なかったのです。

今では、犬の高齢も考え、コンフリクトを最小にするよう考えて散歩に行きます。

それは、犬の欲求を70%程度は満たしてあげることと、リード(引き綱)は引き合い(こっちにいくぞ、ゴルァ!vs オレはこっちにいくんだワン!)でなく、合図(いつまでも匂いを嗅いでいないでそろそろ行こうね)を送るために使うよう心掛けることです。

そのするようになって、一番大きな変化は自分の心の余裕なのかもしれません。

このような変化は、リーダーを、"I(私)とYou(おまえ)”で考えるのか”We(私達)"で考えるのかによって生じているようです。

最近の散歩は"We"ですが、犬が興奮しているときなどは、やはり、"I と You"(待て!)です。

余談ですが、オバマ大統領がアメリカ大統領選で戦った時は"Yes, We can."と"We"を使っていました。 Appleの製品はiPhoneとかiPadとか”I"が多いです。ジャニーズ事務所では社長がアイドルを"You"と呼ぶそうでですね。


では、「あなたは仕事の中で日頃どうなのか?」と自分に問いかけると、無意識に"I と You"、"We"の使い分けを行っているものの、意図して使ったときのほうが事が上手く行ったように思います。

ですから、来週からこれまで以上に使い分けを留意し、その違いを感じてみようと思います。


いっしょにしあわせ、いっしょでしあわせ。


2016年1月15日金曜日

建前? 心変わり? 場当たり? 4次元的言動変化の捉え方

「採用選考時は、海外どこでもOKと言っていたのに、入社2年目に海外転勤(アジア)を打診したら断ってきた。」
「御社に決めます、と内定承諾したのにその後に辞退」

時を経て人の考え方が変わることは珍しくありません。

あの時、あー言っていたのに・・・とぼやいても仕方がないこと、と悟ってしまえばそれまでかもしれませんが、すべての仕事は時間とともにあることを考えると、言動の変化を看過することは出来ません。

さて、このような変化がなぜ起きるのか考えてみました。

1.心理学的捉え方
人の「態度」で考えてみます。
「態度」とは「価値信念」「感情」「行動傾向」によって構成されます。
「よい・わるい」「すき・きらい」「する・しない」に分解するのですが、性悪説的な捉え方は、言葉が変わる人は「偽って申告してもよい」という価値信念を持っているという推定になります。

言動が変化する人は、若干の後ろめたさはあっても腹の中と言葉が一致していない腹黒い人です。

また、性善説的に捉えるなら、最初保有していた「態度」が状況や環境の応じて変化したと考えられるでしょう。「学習」の発生です。
実際の海外勤務の厳しさを社内で見聞きする代理体験などからの学びで「態度」が変わることは容易に推察されます。

このように、心理的には「偽装」もしくは「変容」が言動の変化である、と解釈されます。

2.動物行動学的な捉え方
動物の「態度」を人間のように理解することはできませんから、行動を中心にその要因を合理的に考えることとなります。
動物の行動に急激な変化があるのは、何かを認識したときです。例えば、食べ物とか、他の個体や動物との出現時などに観察できます。

その滑らかさや素早さからこうした行動は「認知からの行動」でなく、生存にとって「よいもの・わるいものを見分ける情報を入力するために行動している」と考えられています。

例えば、犬は「匂いを嗅ぐ」→「食べ物の匂いがしたらそちらに行動する」という認知モデルではなく、「食べ物・敵・仲間などを見分ける情報を探すために行動している」となります。確かに、犬の行動の素早さを、認知モデルで説明するのは困難です。

この考え方に基づくと、言動の変化は、より生存にとって安全かつ功利的な望ましい情報を得るために起きていることになります。

人間の場合、複雑な社会性を持っているので人が何を望ましいと見分けているのかは一様ではありませんが、言動の変化は情報を得る日常的行為の一環である、と解釈できます。

常に望ましい情報を探し続けるために言葉を使ったり行動しているのですから言動の変化は当たり前で、前述のような「問題」は組織ニーズと当人にとって欠くことのできない「よいもの・わるいもの」のアンマッチが顕在化したのだと考えられるでしょう。

要は、表面的な言葉(記述含む)に左右され、言動の背景、意識下にあり一貫性をもった個人の「行動原則」(常に何に向かっているのか)が十分理解できていないのです。



個人的には言動の変化を「偽装」、「変容」と捉えるのは批評的、他責的と感じますが、「行動原則」と捉えると、自分の理解は主体的に改善できることなので、後者のほうが「すき」です。


彼の「行動原則」は?


2016年1月14日木曜日

囲い込む? 勝ち馬に乗る? 会員登録というアナクロニズムに思う

最近、映画や公演などのチケットをネットで買うとき不便さを感じることが多くなりました。

ワークショップのチケット(有料、無料に関わらず)では、PeatixなどFacebookなどSNSのアカウントと連動した決済システムがあり、都度、会員登録をする必要はありません。

それに対して、映画や公演などに関しては、名前、住所、電話番号など、たった1回のために不必要に個人情報の登録を求められます。

ちょっと前まではサイトごとの会員登録をあまり不便だと感じたことは無かったのですが、便利なサービスを何回か使うと、それ以前の仕組みが時代遅れに感じるようになる。

人間とは、かくも簡単にベネフィット(便益)の水準を書き換えてしまう存在なのですね。

さて、一度便利な思いをしてしまうと、それまでのものを不便に感じる習性は、社会の構造を変える原動力でもあります。

そして変わる社会の中で取り残されるのが、以前の仕組みを使い続ける人たちです。

例えば、多くの企業では、導入されているシステム、特に従業員が直接利用するPCのOSやブラウザなどは最新のものではありません。システムの更新には莫大な費用や手間が負担となるためです。

社会全体としては、新旧システムが混在した状態は非効率です。

言語間の翻訳だけでなく、こうした非効率をAI(人工知能)が解消してくれると人々は常に最先端のベネフィットを享受できるようになると思います。

これは、システム全体を一気に更新するよりも上手いやり方ではないでしょうか。(すでに誰か取り組んでいそうですが・・・)


つなぐ



2016年1月13日水曜日

マルチ^2化する仕事とマネジメント 自己組織化する職場

様々な職種で仕事が複雑化するなかで働く人には多能工化が求められています。これまで分担して行っていた仕事を一人で行う場面が増えてきたのです。

これには、情報機器やネットワークの普及が大きく貢献しています。端末のスマート化、ネットワークのクラウド化はその象徴でしょう。

そして、多能工化だけでなく、マルチファンクション化も進行しているようです。

全体を分割し役割を決めて担う際に、同じ業務の複数のファンクションや別系統の業務のファンクションを受け持つ形です。

こちらは、現場の人員が現状維持もしくは次第に削減されていくけど仕事は減らない状況で起きている現象であるようです。

さて、こうした変化は人材のマネジメントにどのような影響を与えるのでしょうか。

まず、業務管理の面では、ひとりひとりの仕事実態が見えにくくなります。どの仕事のどの部分を今、行っているのか都度、確認が必要になります。

次に、育成が難しくなります。与える経験もその他業務の中の一つに埋もれてしまうので集中的な関与ができません。

マネジメントにおけるスタイルの違いも問題です。
そこで、複数の人間が一人をマネジメントする場合、必然的に連携が生まれます。

働く人もお互いの役割や強み弱みを補完するために連携が発生し、活発に交流するようになります。

この状況を、人をノードとして考えると、職場内のネットワークで疎通が増える、つまりカオス化する傾向と捉えられます。

職場内で進むひとつの仕事はネットワーク上で自然発火するように現れ消えていくのです。

疎通が増え過ぎると本当のカオス(パニック状態)になってしまうのですが、カオスの手前にある秩序の領域を維持する機能が自然と発生するのも不思議な話です。


おはよう、世界



2016年1月12日火曜日

適材適所はスタートであってゴールではない

「適材適所」は人と組織のマッチングに関して古くからの理想形です。

それは、人の保有する性格と能力が仕事に必要な姿勢や技能と一致する状態をイメージさせます。

しかし、実際に仕事を行ううえで、「適材適所」とは事前のマッチングはプロローグ(序章)でしかなく、ベイズの定理における事前確率に似ていると思います。

人のちょっとした優位性が仕事のおいても有利に働くことが予測されますが(例えば、人と話をするのが好きであれば、販売や接客では有利といったように)、実際に仕事で成果を出す確率とは異なります。

仕事場面において事後確率に影響を与える諸要因は、本人の学習能力や適応能力、上司や同僚や部下、顧客や競合他社など複雑です。

つまり、事前確率に対して、事後確率の予測は難易度が高いのです。

逆に、人は自分の周囲の環境に働きかけて自らの能力を高める力を持っていますから本人次第で活躍できる可能性を高めることが出来るのです。

脳科学の知見を利用して、ある学習塾では子どもの不得意な科目の学習を、ついてこれるレベルまで一旦下げて、自信をつけさせながら克服させる指導を行っているそうです。

その事例を鑑みるに、事前確率は可変であるとも考えられます。

ひょっとすると「適材適所」を静的なものと考える思考に頑なさが潜んでいるのかもしれません。


空へ

2016年1月11日月曜日

パラダイムシフトで陳腐化するスキル では残る価値は何?

それまでの常識が通用しなくなる時代に変化、パラダイムシフトは現代の産業におけるテーマであるとともに現実です。

例えば、映画の世界における特撮は、モーション・ピクチャー、ゴー・ピクチャー、コンピュータグラフィックスと中心技術が短期間にパラダイムシフトを起こしています。

人間は、情報の8割を視覚から得ている (五官による知覚の割合は、視覚器官 83%  聴覚 11%、臭覚 3.5%、触覚 1.5%、味覚 1.0%「産業教育機器システム便覧」)と言われますから、映像技術に関する技術へのニーズは大きく、革新のスピードがとても早いのでしょう。

人間は毎秒1100万バイトにも及ぶ情報を受け取っていますが、毎秒40バイトしか処理できません。

ところが、この40バイトを繋ぎ、隙間を埋めて作る私たちの世界のリアリティに対して、最新のCGでも多くの課題があるようです。

それだけ人間の感覚は鈍感なようで、敏感なのですね。

こいうした技術の転換は、人の保有するスキルを陳腐化させます。

実際、映画「ジュラシック・パーク」ではCGの登場でゴー・ピクチャーエンジニアの仕事は奪われたそうです。

しかし、彼は恐竜の生態研究をライフワークとしていたため、解雇されることはありませんでした。

つまり人材の価値としては、映像技術よりも差別性の高い専門知識とそれをさらに探求しようとする態度に価値があったことがわかります。

この例を考えるに、スキルに勝る価値とは、物事への深い造詣や本質の思索、こだわりであるようです。


モーション・キャプチャ的状況 って、これ誰?



2016年1月10日日曜日

人材育成はマネジメントの仕事 では企業業績とマネジメントの関係は?

事業環境が不透明になり、人材に対する期待が高まる中、マネジメントの仕事として注目されるのが人材育成です。

人材育成とは「組織が戦略を達成するため、あるいは、組織・事業を存続するために持っていてほしい従業員のスキル、能力を獲得させることであり、そのための学習を促進すること」(中原 2014)であり、言い換えると事業の 今日だけでなく、未来を支えることができる従業員を増やすことと言えるでしょう。

さて、マネジャーの評価の50%が業績で、50%人材育成という話を聞いていた企業に関する事業状況に関するニュースを目にしました。

そのグローバル企業では、日本の拠点を縮小し、アジアの他国に中心を移すそうです。

変化する経営環境に合わせた事業戦略の一環、と言ってしまえばそれまでですが、他にも全社コーチングを導入した企業の状況など、人材開発に関して先進的な取り組みを行っている企業の業績が必ず良いかと言えばそうでもないようです。

もちろん、人材育成はどちらかといえば即効的な経営施策ではありませんから、現状の業績が良くないことには直接関係がないのかもしれません。

しかし、経営方針における人材育成への積極性と業績の関係性は気になるところです。

個人的に感じるのは、ブランド力のある企業における人材育成施策は良い面が取り上げられ易い傾向があるのではないか、ということです。

つまり、事業に内在するIssue(本質課題)と分離した形でHow(人材育成施策)の部分が伝えられている、もしくは、IssueとHowが分断していることを情報の出し手も受け手もあまり気遣っていない可能性です。

企業業績に内在する課題と人材育成、とくに公表されにくいこととの関係は、とても気になる調べてみたいテーマです。


ダークサイド



2016年1月9日土曜日

未知なるものを探して 「遺伝資源」の取得ってなに?

Googleで「微生物 収集」と入れて検索をおこなう「ゲノム情報に基づいた未知微生物遺伝資源ライブラリーの構築」という検索結果が表示されます。

未発見の微生物や難培養微生物、それらの遺伝子等の「遺伝資源」を環境中から取得する技術を開発 することが目的らしいです。

さて、遺伝資源は固体の一生を超えて長い期間作用する「遺伝子段階コミュニケーション」(E・ヤンツ)であり、「世代を越えたコヒーレントな進化を可能とする」(同)一方で、生態系は「遺伝情報のポテンシャルに腐心する情報システム」(同)です。

このように「ゲノム情報に基づいた未知微生物遺伝資源ライブラリーの構築」は未知の情報システムを探すプロジェクトと理解してよいかもしれない

また、この情報システムでは「原則的に言って、学習能力は神経系や脳を必要としない」(同)という指摘は、学習を「勉強や経験を通じて行うもの」という私たちの思い込みを正してくれるものでしょう。


組織の中の人も「遺伝子コミュニケーション」を担う一員です。遺伝資源として、個人の情報を高度に収集、分類、解析することで人中心の組織が実現する可能性はあるのでしょうか。

人の能力発揮の複雑さやコラボレーションにより創発する新たな価値を考えるに、可能性は大きいと思います。


コミュニケーションが続く

2016年1月8日金曜日

仕事の中心、仕事の辺縁 変わる成長の仕方

技能の習熟に関して「成長の5段階モデル」というドレイファスの研究があります。

第1段階 初心者 レシピが必要
第2段階 中級者 全体像を見たがらない
第3段階 上級者 問題解決ができる
第4段階 熟練者 自己補正が可能
第5段階 達人  直感で動く

技能を習得は段階的に行われる、という考え方です。

技能は後天的に獲得するものですから、技術に高い習熟を必要とする職種に限らず、一般的な仕事においてもこういった段階的な成長という考え方は支持されるようです。

しかし、仕事の非定型化が増え、さらに複雑化、並列化することで段階的に成長することは難しくなっているのかもしれません。

今日、会社で若手社員と会議で、今季の営業活動の整理をしていたのですが、活動に中心と辺縁があるということに気づきました。

中心は経験や知識が集積されている領域です。一方、辺縁は中心に隣接する領域でありながら、経験や知識の集積が少ない領域です。

中心の領域では、活動のイメージが明確で結果も出やすいのに対し、辺縁の領域は、活動が何かと滞りがちで結果も相応です。

そして、中心の領域におけるマインドセットは「やりがい」「負けられない」であるのに対して、辺縁の領域のマインドセットは「勇気」「努力」です。

この2つのマインドセットを同時にもしくは短い時間で切り替えて行うとなるとそれ自体、相応のストレスがかかりますから、周囲の支援が必須となるのですね。

若手社員に段階的でなく、早期から熟練的意識が求められのは、こうした心理的な困難さをコントロールする必要があるからなのかもしれません。


一気に広く、高く






2016年1月7日木曜日

押さえどころが肝心 強いマネジメントを育てる極意?

企業管理職のマネジメント力に関して網羅性を持って測定を行い、パフォーマンスとの関係を分析してみると、マネジメントのツボが見えてきます。

もちろん、企業ごとに多少の違いはあるのですが、基本的に共通するのが、「ビジョン策定・目標設定」「決断力」「組織運営力」「説得力」「誠実さ」「ストレスコントロール」などです。

ゴールを描き、覚悟をもって大切な判断を行い、組織と人を動かし、重圧に負けない、それらがマネジメントのツボと言えそうです。

さて、逆説的になりますが、これらの力は、環境により身につくものです。

つまり、事業成果が求められる状況で組織を預かる役割を担うことで初めて身につくものです。

事業成果の達成や運営が困難な環境であればあるほど力がつく、つまり鍛錬によって血肉化される一方、困難さにより挫折する可能性も高くなりますから、その人の耐性に応じた環境に出会うことが理想的なのでしょうが、現実的はそんなに上手くマッチングすることはありません。

ですから、計画性を持ってマネジメント力をつけるためにはやり直しの効く環境で早いうちから鍛錬を積むことが望ましいです。

これはちょうどインターバルトレーニングに似たイメージで、高負荷と低負荷を繰り返すことで着実に力を伸ばせるのですが、実践には適切な支援、指導が必要です。

また、鍛錬の場は、現実の事業環境でもあるので経営陣にとってはバランス感覚も強く求められます。

要するに解の領域が無い、不良設定問題となるリスクを常に内在しているので、条件をしっかり定めて解のある状態にしなければなりません。


...zzzZZZ

2016年1月6日水曜日

「こだわり(執念)」を分解する 主体性の正体とは

東大副学長の吉見教授は「主体性」を「ビジョンとこだわり(執念)」と定義されていました。

「主体性」という言葉は今日、人材を語るうえでのキーワードです。

例えば、経済産業省が提唱する社会人基礎力の中でも、主体性は一番目に出てきます。

1)前に踏み出す力(アクション)
①主体性 ②働きかけ力 ③実行力
2)考え抜く力(シンキング)
①課題発見力 ②計画力 ③創造力
3)チームで働く力(チームワーク)
①発信力 ②傾聴力 ③柔軟性 ④状況把握力 ⑤規律性 ⑥ストレスコントロール力

また、「大人の学習条件」でも「主体性」は冒頭に位置します。
主体性を保証すること
現実の問題を扱うこと
発話を伴うこと
高木・竹内(2006)

慶應SFCの設立に尽力された授高橋潤二郎慶應大学名誉教授の語録にも出てきます。

「聖人君主じゃないんだから、怒ることはあるし、いらだつことはある。でも、俺は俺が怒ればお前たちが変わるなんて期待してないし、俺が怒ったからって変わるような奴(主体性がない奴)なら、ゼミから出てけ!」

さて、吉見教授の定義で個人的に気になるのは、「こだわり(執念)」の部分です。

「こだわり(執念)」とは具体的に何を指すのでしょうか。

例えば、事業計画など何らかの計画を立て、計画終了時に計画と結果のズレを検証すると実行期間中のブレが見えてきます。

その際、注目したいのがブレの中に決断がどのくらいあるかです。

主体性を持って計画を立てたのであればそこに決断があるはずです。したがって計画を変えるときには当初の決断よりも大きく強い決断が必要です。

しかし、状況や周囲からの影響によって計画がブレたのであれば、当初の主体性は疑わしいものとなります。

計画のための計画作り、ということです。結果オーライであったとしても看過できない事実です。

つまり、主体性として定義された「ビジョンとこだわり」で表現された「こだわり(執念)」には、安易に引き返せない重い決断と、その決断を継続し続ける態度が包含されているのだと考えます。

この時期、多くの企業では新年度に向け新たな計画が立案中であると思います。

主体性を持って計画を立てているのか、計画のブレを通じて検証することで本質が見えてくるのでしょう。


ブレじゃなくボケですが・・・



2016年1月5日火曜日

学びは自腹

気の利いたワークショップに参加すると領収書を出してくれます。

せっかくの気遣いですが、慶應丸の内シティキャンパスで高額な講座を履修したときも含め個人的には「学び」は全て自腹ですので、頂いた領収書は廃棄しています。(後日、丸の内シティキャンバスで他の講座を受講しようかと考え相談した時、自腹と聞いて担当の人の腰が引けたのには驚いた記憶があります)

さて、今日、帰宅後にTVでスターウォーズの特撮を行っているILM(インダストリアル・ライト・アンド・マジック)を取材した番組を観ていました。

その中で紹介された、エンバイロメント・スーパーバイザーの行弘進さんです。

行弘さんはハリーポッターなどで世界的な賞を何度も受賞されているそうです。

特に注目したエピソードは、まったく経験のない行弘さんが、スターウォーズの世界観に憧れ、高校卒業後、単身渡米しアメリカの映像会社の門戸と叩いたとき、無給どころか毎日20ドル払うからトイレ掃除でも何でもよいけど少しだけ映像に関わる仕事をさせて欲しいと申し出て、アメリカ人の度肝を抜いて仕事に就いた話です。

自腹どころの話ではありません。

また、自分に投資などという綺麗事でもありません。

この手のエピソードは恐らく、世の中でハイパフォーマーと言われる人に共通しているのではないでしょうか。

もちろん、同じことをして成果が出ずに憧れの世界を諦める人も沢山いることでしょう。

しかし、より良い条件を求めキャリアアップ、キャリアチェンジをするタイプには真似のできない真のモチベーションがそこにあるように思えます。

サイバーエージェントがITバブルの崩壊で苦境に立った時、キャリアや収入目的で入社した人は皆、会社を離れたそうです。

一方、会社に残る人が居て、その人達が今日の会社の成長・発展をもたらしたことは結果として明らかです。

今後有利だから、役に立つから、得だからという価値観を越えたところで行動する人が組織やさらには世の中を変える原動力になっているのでしょう。

番組を見ながらそれを考えていました。


現実?CG?

2016年1月4日月曜日

学びも、仕事も、年齢は関係ないでしょう?

「学びも、仕事も、年齢は関係ないでしょう?」101歳の報道写真家・笹本恒子さんの生きかた という記事がネット上で公開されています。

高齢化が進む日本社会では、介護の問題に加え、高齢者の学び、仕事も向き合わねばならないテーマです。

これらのテーマはこれまでもありましたが、人口構成比的に重要度が上がってきました。

さて、職場における積極的学習者、消極的学習者、学習拒否者の比率のように、高齢者においても学びや仕事への態度には当然、差があるでしょう。

笹本さんのように人生を積極的に捉える高齢者は、社会のあらゆる年代層によい影響を与えますからそのような人が一人でも増えると社会全体は活性化しますから、より良い高齢化社会の実現においては、消極的学習者を如何にモチベートするかがポイントとなる可能性が高いです。


「インターステラー」という映画では、宇宙で重力の影響によりわずか数分のうちに地球上では数十年も経っているというシーンがありますが、地球上では年齢は確実に予測できる未来です。

個人においても、あるべき姿をしっかり描いて向き合うことが幸福の源泉なのだと笹本さんは教えてくれているように思います。


年齢は関係ない(犬年齢15歳)

2016年1月3日日曜日

「聞く」ことに関する2つの記述 私たちはどう聞いているのか、なぜ聞いているのか

私たちの学習方法の85パーセントは聞くという行為であり、仕事の45%を聞くことに費やしているが、聞いた内容の25%しか理解できない。さらに憂慮すべきことに、ビジネスのプロフェッショナルたちのたった2パーセントしか、聞くトレーニングを公式に受けていない。 G・ロビス

仕事では、個人はチームと手をつなぐことで、初めて力を出せます。そこで大事なのは、相手がしゃべっていることをちゃんと聞くことです。そして、「聞いています」ということを、言葉ではなく、仕事ぶりで伝えていくこと。それが信頼につながっていくんです。そこまでには必ず時間がかかりますから、目に見える成果を早く出したくて、スタンドプレイに走る人もいる。でも、勝手に焦らないでほしいんです。話を聞ける人というのは、みんなの「教えたい」という気持ちを引き出しますから、自分だけでなく、チームを成長させます。 糸井重里

上の2つの記述の共通点は、「聞く」ことの大切さ、重要さに言及していることです。
まず面白いのが、アメリカ的表現と日本的表現の違いがとても良くわかります。

アメリカ的表現では数値が効果的に使われているのに対して、日本的表現には数値が使われていません。また、アメリカ的表現では論理性に目が向き、誰の論述かはそれほど気にならないのに対して、日本的表現では最後の「糸井重里」のクレジットによって一気に含蓄が生じるところも異なっています。(「あの糸井さんがそう言うなら・・・」)

どんなに正しいこと言っていても「誰が言っているのか」によって意味の重みが変わってしまうのは科学的ではありませんが、ドラッカー好きを見てもわかるように日本人が好む表現が後者であることは否めません。

表現的好みの問題は日本人にとって、グローバルスタンダード化における心の障壁かもしれません。

ところで、イルカは自ら保有する筋力よりも速く泳ぐそうです。
筋力から計算するより実際のほうが速い事実は、イルカは泳ぐ時に尾びれを柔軟に活かし強い揚力を得て加速するという研究により解明されましたが、「聞く」という行為は、イルカの尾びれのような働きをするように思えます。

つまり、人が目標に向かって推進するとき、自らの能力を使いながらも他者の力を得ることで一層加速することができるのであり、そのときの核心が「聞く」ことだと考えるのです。

ロビスの指摘によれば、仕事において私たちは、4つ聞いたうち、1つしか理解していませんから「聞く」スキルを高めることが必須です。そして、糸井さんの指摘によれば、理解したことを仕事ぶりで「伝える」ことで信頼を生み、チームとして成長するのです。

まとめると、仕事における「聞く」とは、「相手の言うことを集中して最後まで聞き反復することで理解を高め、仕事ぶりを通じて相手に「伝える」ことで、自分の能力以上の推進力を発揮する行為」と言えるでしょう。


聞く、聴く、効く、利く


2016年1月2日土曜日

デザインを疑え! 映像における情報リテラシーを高めよう

エジソンがキネトスコープを公開してから今年で123年、映像は生活と切り離せない時代になっています。

さて、映像には様々な形で編集が加えられています。

つまり、何がしかのデザインが送り手によって施されているのです。

施されるデザインには達成するための目的が背景に隠れているのですが、ストレートに言及せず、視聴者に気づかせる形のものが多くあります。

演出には作り手の描くストーリーに同調させる仕掛けがたくさん盛り込まれているので注意が必要です。

TVや映画を見て気持よく泣いたり笑ったり頷いたりすることは健康に良いのでしょうが、どのような内容であってもそこに心地悪さ、気持ち悪さを感じることを忘れてはいけません。

それはデザインされたプロセスに知らずのうちに同調してしまっている自分の感情、感性へのリフレクションだと思うからです。


映像における情報リテラシーとは、提供される情報へ反射的に同調、批評をするのでなくデザインに隠れている目的とさらには沸き起こる自分思考、感情、欲求に向き合うことと考えます。


隠れているものは?







2016年1月1日金曜日

お正月は日本酒で 杜氏のスキルと事業の行方

お正月に飲むお酒と言えば、風景的にはやはり日本酒が似合うと思います。

お節に日本酒、ですね。

さて、今日、初詣した富岡八幡宮の隣にある深川不動尊(こちらもお参りしました)の参道にあるお店では獺祭の酒粕で作った甘酒を提供しています。獺祭も呑め、なかなか盛況のようでした。

獺祭といえば、山口の旭酒造の科学的な酒造りが注目されてきました。

経営危機の際に杜氏に逃げられた、そもそも杜氏のブラックボックス的な酒造りに疑問も持っていたとうのがきっかけであったようですが、その後の評価の高さを鑑みるに、旭酒造においては職人だよりよりも科学的なアプローチによる酒造りのほうが成果が出る方法であったと言えるでしょう。

人事の領域でも「神」と呼ばれる人が居るそうです。例えば、大手銀行で異動を担当する人の頭の中のロジックは外からは計り知れません。

さて、職人技を、「特定の人の内部に宿る高度な知識やノウハウ」と定義したとき、人の素質や能力と鍛錬の度合いが重要であることがわかります。

そして、気になるのが「経営危機で逃げ出す杜氏」の気質です。

そもそも職人とは、組織でなく自分の腕にコミットメントする存在と考えたいのですが、組織の成果に貢献できない技能を職人技と呼べるのでしょうか。

つまり、その技能は職人技ではなく、ゆえに、科学的アプローチに敵わないのだと思います。

品質のばらつきも含め職人技には人の存在があります。

人が向き合う真摯な姿勢と謙虚さが職人技の価値であり、功利的な仕事にはその要素が欠けていいるのでしょう。


我が家はこれ