2015年10月31日土曜日

データとリアルの違い トゲトゲした刺激に覚醒するもの

昨晩は、寺井尚子さんのライブに行きました。

デジタル音源で聞くのと違い、バランスも悪いしノイズ(例えばハウリング)もあったりするのですが、空間に満たされるプレイヤーの奏でる音に圧倒され心が震える時間となりました。

「心が震える」というのも、単に演奏の良さを感じるだけでなく、気持ちがグッと持ち上げられる感覚です。

こうした違いは、例えば、人材アセスメントの結果データとリアルな面談でも近いものを感じていると思います。

結果データは取り扱うには収まりが良く、冷静に理解することが出来ますが、リアルな面談では、その人の出す空気感、言葉が時にはトゲトゲし伝わってきます。

こうしたトゲトゲ感は、理解を超えてモノ(者、物)の本質を伝えるように思えます。

逆に、リアルにおいてトゲトゲしていないモノ(者、物)からは本質が伝わりにくいのではないでしょうか。

例えば、ご当地キャラから本質は伝わりませんが、ふなっしーのようにトゲトゲした言葉が発せられるとあっという間に本質が伝わります。

昨日のブログにも書きましたが、自分に嘘をつき表面を取り繕う人からも本音は伝わりませんが、子供のような人からはあっという間のその人の本質が伝わります。

これは、知覚と刺激の関係性を物語るものだと思います。

そして、刺激が強いと知覚だけでなく、感情にも影響が及び「好き」「嫌い」が生じるのですね。逆に、データだけを見ていて「好き」「嫌い」が生じることは、ほぼ無いでしょう。

しかし、データにおいても、受け取り手の感情に強く関わるものがあります。

それは360度アセスメントのような、受け取り手に関する他者の評価です。

ところが、この手のデータからはトゲトゲは伝わりやすいのですが本質は伝わりにくいことが知られているます。

そこで、人がリアルにフィードバックすることが必要になってきます。

要するに、人を覚醒させるものは「人」である、ということのようです。


リアルが持つもの




人は自分に嘘はつけない

人には気が緩む習慣にポロっと本音が出る瞬間があります。

今日もそのような出来事がありました。

ある問いにおそらく何気に出た「そんなのバカバカしい」という応えを聞いたとき、ああ、本音が出たなと感じたのです。

それまで、頑張りたいと言う割に一向に兆しが見えない状況でしたから、そこに本音があると思えたのでしょう。

綺麗に言葉を並べていても相手の心を動かせない、そのような時、まずは自分に嘘をついていないか確かめるべきだと思います。

そして、自分に嘘をついてでもその場を取り繕おうとする行為は、おそらく、その人に染み付いている癖です。

その癖は、虚栄心や正義感の欠如といった気質となりその人の運命にも大きな影響を与えることになりますし、実際、そのようなケースを多く見ます。

”最後に振り返ると、あなたにもわかるはず。
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。
あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。”
マザー・テレサ

常に気をつけたいことです。


自分への正義を失うな





2015年10月29日木曜日

日本の国際競争力を考える日 ヒト中心の社会へ

世界経済フォーラムが"The Global Competitiveness Report 2014–2015”を発表しました。

そのレポートによると、日本の国際競争力は昨年の9位から6位に上昇したそうです。

調査項目は大きく分けてBasic requirements(政治、経済、インフラ、健康、教育など基礎的条件)、Efficiency enhancers(ビジネスを効率的に行うための環境など)、Innovation and sophistication factors(ビジネスの革新性や洗練度)の3つですが、Basic requirementsが25位、Efficiency enhancersが7位、Innovation and sophistication factorsが2位と、Basic requirementsが他の項目の足を引っ張っていることが良くわかります。

Basic requirementsをさらに詳細に見ると、Government budget balance, % GDP*が136位、さらにはGeneral government debt, % GDP*が143位でブービー賞です。

つまり、国の借金が最悪な訳です。

さて、人と組織に関する項目では、Quality of management schoolsの72位、Hiring and firing practicesの133位、Country capacity to attract talentの79位、Country capacity to attract talentの79位、Women in labor force, ratio to menの88位が目につきます。

この数字を見ると、マネジメント養成をする学校の質が低いために企業がマネジメント育成に力を入れざるを得ない(もしくは頭を抱えている)現状が見えて来ますし、制度的に硬直化している雇用関係、有能な人材を吸引できない国の器の狭さ、やはり男性中心の労働環境など、課題でもあり原因でもある状況がよくわかります。

要するに、質の高いマネジメントを育成する教育機関を作り、雇用に関する法令を大転換し、海外から人材をどんどん受け入れ、女性が中心の企業をいっぱい増やせば良いのですが、それらを阻むものに課題の本質が潜んでいるのでしょう。

一方、Local supplier quantity、Local supplier quality、Value chain breadthなどは1位ですから日本の国際競争力とはモノ中心の社会でありヒト中心ではないことが明白です。

その中で、Life expectancy, yearsが2位と、長寿化が進んでいますから、ヒト中心でない社会における高齢化の到来という、寒気のする状況が深刻化してるのですね。

やはり日本の国際競争力は先鋭化しており、生存可能領域が狭い(さらに先鋭化しても生存出来ない)ことは明白であるようです。


ヒト中心へ



2015年10月28日水曜日

記憶が人格を作る? コヒーレントな関係性

誰にも過去の出来事で、深く記憶に刻まれていることがあります。

そして、その記憶は様々な形で意味づけされ、「いま」において再生されます。

記憶は当人にとって都合のいいように書き換えられていることはよく知られています。

例えば、悲しみや辛い記憶はだんだん良い思い出のとなるとも言われています。

さて、記憶は単なる思い出なのでしょうか?

そうではないようです。

そこで、記憶はその時の自分を構成する一部であり、、意識が記憶をその状況に合わせて作り出しているといった「入れ子」の関係性が疑われます。

親との思い出が十数年経っていても鮮明に頭に浮かんでくるとき、そこに教訓が刻まれていることを考えると

生き様→書き換えられた記憶→環境をより高度に活かすため→新たな生き様

といったバリューチェーンで記憶と実践が続き、その人らしさを作り出す一因となっていくのです。

遥か昔の出来事で覚えていることは何ですか?その出来事とあなたの性格をどのように既定していますか?

仕事の記憶が性格づくりに一役買っていることをお忘れなく。


満月



2015年10月27日火曜日

Before and After ギャップの本質を問うこと

仕事帰りの途上で昔の写真を展示していました。

その写真の主題は第2次世界大戦であり、原爆や空襲の前後の都市の写真です。

空撮ですから、そこに住む人々の日常生活がどう変わったのかはわかりませんが、甚大かつ深刻なことが起きていただろうことが思い浮かばれます。

最近では、3.11東日本大震災やつい先日の豪雨による堤防の決壊など、それまでの暮らしぶりが一変してしまう状況を通じ、その前と後の変化とその本質を問うことは人生においてどのような意味を持つのでしょうか。

戦争であれば、戦争を起こさないという誓いや、平和への信念が刻まれることでしょうし、災害であれば、備えの大切さや自然の脅威が意味づけされるのだと思います。

もちろん、人によっては意味づけを行わない場合もあるでしょう。

ですが、一旦、意味づけをおこなう場合、前後のギャップは信念・信条といった価値基準の更新に関わるものとなるようです。

昔から多く見かけるダイエット広告のBefore and Afterや、最近良く見るスポーツジム広告のBefore and After、リノベーションでのBefore and After、「あのスターは今」といったBefore and Afterなど多くが見る人の価値基準に揺さぶりをかけてきます。

それくらいBefore and Afterのインパクトは大きいのです。

逆に、自己更新力の高い人は、自ら上手にBefore and Afterを創りだしているようです。

例えば、率先して新しい取り組みを始める、自ら越境し自己世界を変える、といった具合にです。

言い方を換えると「時間」という次元を上手く活用して「前後」を作り、それによって自らをリニューアルし続けることなのでしょう。

Before and Afterにおけるギャップを認知し、その本質を内省する。

生き方上手な人の共通点であるように思えます。





違いを見つめる目

2015年10月26日月曜日

教訓と仮説 どっちを仕事で活かす?

仕事を進めるといろいろと想定外の出来事に遭遇します。

というよりか、思惑通りには進まないのが世の常です。

こうした経験や知識の蓄積から生み出されるのが、教訓や仮説です。

教訓はどちらかというと、失敗などを繰り返しすことを避けるための知恵です。

一方、仮説とは再現することが期待される法則性の記述です。記述されるのは上手く行く法則性とは限りませんが、一般的には、好ましい結果を期待して描かれるものです。

さて、仮説で気をつけなくてはならないことは、数々の認知バイアスです。

例えば、アンカリングという特定の情報で全体を判断してしまう傾向、確証バイアスという自分の考えに一致するする情報ばかり探してしまう傾向、そして仮説適合バイアスというある仮説を証明するときにその仮説が正しいことを検証しようとするが反証がありえるか確かめない傾向が、自説を仮説に仕立てあげてしまいます。

教訓は個人の知恵として成立しますが、仮説は検証された後、理論として普遍化するものですから自説化しては旨くありません。

仮説は、つねに検証と反証を繰り返して鍛えられるものですから検証不足を指摘されたり、反証に晒されてムッとしているようでは仮説足り得ないことは明白です。

このように仮説が成立するためには十分な知性と態度が必要なのですので、仕事で活かすとしても、時間が掛かって面倒であったりモヤモヤしたりすることが避けられません。

ですから、実践行動や試行錯誤を志向するのであれば、思いつきやひらめきを大切に教訓を活かしたほうが良いのかもしれません。


どっち?



2015年10月25日日曜日

仕事や組織への向き不向き 統計を信じますか?

理屈として、仕事や組織に向いているのかいないのか、という議論があります。

「適性」という言葉があらわす世界観です。

ではそれをどうやって見分ければ良いのでしょうか?

人に任せれば好き嫌いが出てきます。

採用面接において、知らず知らずのうちに自分に気の合う人や、育ててみたいという動機を持てる人を選んでいることは事実として確かめられて居ます。

では、データを使うとどうなのでしょうか?

データは、人の実態のある一面を写したものです。

ですから、その人の可能性の全てを物語る事はできません。

データによる適性のアプローチを嫌う人は、そこを突いてきます。

「データが常に正しいとは限らない」

好き嫌いもだめ、データもだめ。

では、適性はどうやって見分けるのでしょうか?

実は、そのにはデータや統計に至る道筋が見えていません。

人を見分けることは、有史以来、脈々と続いてきた行いです。

そこに数々の問題や不幸があることもずっと知られてきました。

その中で新たな可能性として芽生えたのが、心理学や認知科学や統計学なのです。

つまり、それらのアプローチを否定することは、懐古主義以外の何者でもありません。

自分本位、頭脳中心主義、権威主義といった自分(人間)が世の中を作っている(いく)といった認知バイアスの中でも最強の思い上がりです。

大切なのは統計を信奉することではなく、「適性」の真因や本質を探求しようとする学びの態度なのです。

それは「適性という神」を探し続ける道です。


あそこへ

2015年10月24日土曜日

仲間を守り戦う性格、役割を全うするために力を尽くす性格、石橋を叩いて渡る性格 それらと徳目と

測定された性格特性を類型化するアプローチは古くから行われています。

類型化することで、人物を把握しやすくなる、といったメリットがあります。

一方で、類型化はラベリング効果というレッテル貼りになる危険性もあるので注意が必要です。

さて、メリットの面を活用すると、相性、仕事の進め方、組織の中における役割との適性、認知や学びのスタイルなどからコミュニケーションの改善やマネジメントのポイントとすることが出来ます。

例えば、「仲間を守り戦う性格」であれば、仲間の存在が重要ですし、自分が正しいと信じることのためであれば上司であっても厳しい進言をするなど置かた環境におけるモチベーション要素や、行動傾向が予測されます。

徳目で言えば「義」(利欲にとらわれず、なすべきことをすること)が強みの人物です。

また、「役割を全うするために力を尽くす性格」にとって、「役割」は非常に重要です。

その人の果たしたい役割が与えられていると、忠実に果たそうとしますが、そうでないと力を出せない性格特性と言えます。

徳目の「忠」(心の中に偽りがないこと、主君に専心尽くそうとする真心)が強い人物が近いでしょう。心の中に偽りがない=果たしたい役割が与えられている、という感じ。

「石橋を叩いて渡る性格」は、慎重であるということではなく、現実を直視し最も可能性の高い道筋を進もうとするので、「現実の有り様」を大切にします。

強引に結びつければ徳目の「礼」(人の踏み行なうべき道に従うこと)が強い人物といえるかもしれません。

何が言いたいのか、というと、類型化を行うと見えてくるパターンは先人達の知恵と何となく似てくるということです。


石橋





2015年10月23日金曜日

真の謙虚さとは本質に目が向くこと? 会話に潜む違和感の正体とは

人当たりが良く素直で、話をちゃんと聞く。
話の理解もしているし応答も早い。

一見、良いコミュニケーションが成立しているように感じられる場面ですが、何か足りない印象が拭えません。

素直に聞く姿勢、理解・共感、レスポンスの良さと言葉を並べるととても謙虚な印象が浮かぶのですが、実際受ける印象はやや表層的なものです。

「謙虚さ」というには違和感があります。

そこで考えたのですが、どうやら話を一度飲み込んで、その中に潜む本質を見ているのか、否かに違和感を感じているようです。

つまり、本質に踏み込んで物事を見つめる目が有ることに「謙虚さ」を感じている、ということになります。

とかくレスポンスの良さが賢さであるように考えられがちではありますが、レスポンスの良さと「謙虚さ」にはジレンマがあるのかもしれません。


レスポンスと本質



2015年10月22日木曜日

社員研修は上司が作ると良いのではないかと思う

会社で研修を実施するとき、その効果が問われることが多くあります。

とくに外部委託して費用を払う場合は費用対効果に厳しい目が向けられます。

 研修の効果に関しては以下の「カーク・パトリックの4段階評価」 が有名です。

レベル1: 「研修満足度」 参加者は満足できたか
レベル2: 「学習到達度」 学習レベルが目標に届いたか
レベル3: 「行動変容度」 周囲から観ても行動が変わったか
レベル4: 「成果達成度」 職場の業績向上に貢献しているか

費用対効果はレベル4で語られるべきものです。

しかしながら、実際に、研修を行って直接的に業績が向上することは少ないようです。

さて、研修の成果が実務に活かせるかは上司の理解度、推進する姿勢によることは確認されていますから、レベル4を実現するためには職場の上司の役割は重要です。

つまり、業績を向上させるための最適な研修を上司が熟知していれば良いのです。

そして、何事でもそうですが、研修も作った本人が一番良く内容を理解しているのですから、「上司が研修を作るべし」となります。

一方、そこにはジレンマも存在します。

外部の知恵をなぜ活かそうとするのか考えれば、内部では解決が困難だからです。

そのジレンマを越えるためには、上司は外部の知恵を越える学びをしなければなりません。

実際に、世の中には自ら意欲的に学び、外部の知恵を凌駕している上司(管理職や役員)の方が確実に居て、積極的に研修を企画、実施しているのですから、これからの上司には、職場の業績を向上させる研修を企画、制作、実施できることが必須条件となるのではないでしょうか。


自ら漕ぐ


2015年10月21日水曜日

仕事の進め方 反省のまえに気づくことを

「頑張ります」
「勉強になりました」

一見、前向きに見えるこれらの言葉が、場面によっては思考を止める「思考停止ワード」となることは多くの方が指摘されています。

例えば、「頑張る」とは具体的に何をすることなのか、それによって何がどう変わるのかを考えることがとても大切なのですが、「頑張ります」はそれらをうやむやにしてしまうマジックワードです。

「勉強になりました」も同じですが、すでに表現が過去形で、オワコン化しています。

さて、「思考停止ワード」と少し質が異なりますが、「反省します」にも似た効果があります。

「反省」とは、非を認め自らの因に責任をとる姿勢ですあり、結論が先にあります。

そしてこれは、他者との関係性の中でも、とくに「正邪」「上下」といった価値基準を確認する役割が大きいように思います。

しかし、事実を明らかにする場面において、価値基準は役立ちません。飛行機の信頼性向上のために、アメリカでは飛行機事故において、故意でない限り責任を問わないのが良い事例と言えるでしょう。

仕事の中で、なにが起きているのかしっかりと自分と周囲を観察し、構造から本質を見いだすことは新たな価値を生み出す源泉です。

もちろん、仕事の中で他者との関係性を優先させる時は「反省」が必要ですが、そこにはタイミングがあり、常に「反省」では、思考停止状態と変わらないと言えるでしょう。


価値を生むのが仕事







2015年10月20日火曜日

子供の「自信」が未来を開く 大人は?

以前、NHKでも放送された、菊池省三先生は、「ほめ言葉のシャワー」という実践を通じて子供の健全な発達を実現しています。

"「質問もできない」「人前に出ると話せない」「ひとまとまりの話を聞くことができない」「繰り返し練習することを嫌がる」といった状態の子どもにコミュニケーション力をつけ「話すこと」「聞くこと」の指導を徹底してきた" (Wikipediaより引用)

この実践を通じて、コミュニケーション力を身につけさせるのですが、要するに他者と自信をもって関われるようになるのだと思います。

さて、今朝の東京大学中原准教授のブログ、「誰も意見をいわない会議」はなぜ生まれるのか?:リーダーの「何気ない一言」と「学習された無気力」!? では、リーダーの発する言葉が学習性無気力を招くことをわかりやすく記述しています。

コミュニケーション力の無さと無気力の学習。

では、そもそも「発話の無さ」において、子どもと大人の違いがあるのでしょうか?

私は、他者の承認により自分らしさと自主性の芽生えからコミュニケーション力を獲得する子どもと、そもそもコミュニケーション力を備えているけど学習を通じて無気力となる大人という構図考えるのは少し無理がありそうに思います。

気力の有無が「発話」の多さに関わることに違和感は無いのですが、大人が一様に一定のコミュンケーション力を備えていると考えていないからです。

これは、人のパーソナリティ特性と向き合う仕事をしているためかもしれませんが、コミュニケーションを支える自己の確立、特に他者と関わる領域は、遺伝、育成環境なども関わり、思っている以上に人によって違いがあるからです。

ゆえに大切なことは、「発話の無さ」に関して短絡的な結論を導き出さず、自分が無気力を学習させている事も含め、様々な背景、可能性に目を向ける必要があるのだと思います。


石のように固まって・・・

2015年10月19日月曜日

時間管理が意味すること

私達は「時間」を主観的に捉えています。

楽しい時間は速くすぎ、辛い時間は長く感じます。

このような「主観的な時間」に対して、他者と共有する時間は「客観的な時間」です。

例えば、電車や飛行機の出発時間、会議の開始時間などは、複数の人の間で共有されています。

この「客観的な時間」とは、自分と他者の関係性に大きく影響を与えます。

わかり易い例をあげれば、待ち合わせ時間です。

待ち合わせの相手が「客観的な時間」を疎かにし、「主観的な時間」を過ごすことで遅刻すれば二人の関係性は当然悪化するでしょう。

要するに「時間管理」とは利他的な行為なのです。

また、「主観的な時間」が利己的であり、自分らしい時間の使い方であることに比べると、「時間管理」によって他者に役立つことは、価値提供であると言えます。

電車が時刻通りに来ることは、まさに「価値」ですし、「納期を守る」ことは仕事の「価値」です。

仕事を通じて価値を生み出そうとするのであれば、まず、時間の共有を意識し「客観的な時間」を過ごすことからはじめなければならないでしょう。


定刻 は価値

2015年10月18日日曜日

「経験の差」という不公平を越える方法

当たり前ですが、年齢が高くなればなるほど、人生経験、仕事経験などが増えていきます。

そして会社に入った若手社員は、必ずと言っていいほど、経験豊富な先輩社員から「経験話」の洗礼を受けることになります(ごめんなさい)

ここで言っている「経験話」とは、業務の進め方などの技能伝授とは異なり、生き様の語り、教訓、そして時には自慢、上からの目線と言った、直接的には業務能力の向上と無縁の話です。

さて、若手社員が何故洗礼を受けるのかといえば、経験の量に圧倒的に差がある、上下関係、学ぼうとする姿勢、そして性格的なものがあります。

おとなしくて人の話を聞く姿勢を持っている若手はこの洗礼を受けやすく、主たる被害者になりやすい人です。

もちろん、代理体験を通じての学び、気づきなど聞き手にとって役立つ要素もありますが、語り手に「聞き手がどのような状態になるために何を学ぶのか」という教育目的が無い場合、ほぼ、語り手の自己満足で終わると考えた方が良さそうです。

話し手にとってみれば、経験を外化することで「自分」の確認と確立が強化されます。

つまり、「経験話」は、経験を積んだ者にとっては有益であり、立場的にも「話し手」という有利なポジションを獲得しやすい仕組みを持っているのですね。

そして、この話し手と聞き手の不公平を越えるためには「経験の量」や「物語性」ではなく、経験の本質に焦点を当てる必要があります。

主体性を持った聞き手、ということです。

ただ、これでは不公平を越えるとは言い難いです。

そこでオススメは「これからのこと」に焦点をあてることです。

経験が少ない=可能性が大きい、のですから立場は一発逆転です。

もちとん、「なんとなくの可能性」では「実態のある経験の多さ」を逆転することが出来ないので、具体性、明確な意志などはやはり必要でしょう。


これまでよりこれからを




2015年10月17日土曜日

スギゴケとカメムシ 自然の持っている力を考える

社員研修で訪れた金沢は、北陸新幹線の開通もあって大変賑わっていました。

その賑わいもさることながら、兼六園で一面に見事に育っているスギゴケを見た時、自然の持っている力とは何なのか考えざるを得ませんでした。

というのも、私が家で密かにスギゴケを育てていて、その難しさを感じているからでしょう。

購入後にネットで調べると、「スギゴケを家で育てるのは難しい」と書いてありましたが、ちょっとでも感想すると、葉を閉じてしまう、とてもデリケートな植物です。

そのスギゴケが、燦々と太陽が当たる場所で、堂々と緑色の葉を広げている様子は圧巻でした。

さて、そもそもコケは根から水分や養分をしないため群生している必要があります。
ゆえに、水分と太陽光と空気を自然の環境から得なければなりません。

そして自然のメカニズムは上手にスギとやり取りしており、その結果が庭一面のスギゴケとなっているのです。

さて、今回の研修でもう一つ、自然のメカニズムを痛感したことがありました。

カメムシの大量発生です。部屋の中に侵入した多数のカメムシは、その部屋の人をいとも簡単にパニックに陥れました。

カメムシは、ここ数日の温かい陽気で大量発生した、という事でしたが、呼応する気象条件によってカメムシに劇的な変化が起きるという関係性は、作り物でない自然の力と、変化を起こそうとする人の作為的な力の間にある根源的な違いを感覚的に感じます。

スギゴケの群生も同様に、活性化しようとする取り組みと活性化している状態の背景にある仕組みには根源的な違いがあると直感します。

その違いは、是非、記述してみたいことの一つです。


触ると気持ち良い









2015年10月16日金曜日

火のない囲炉裏に対話は煙り立つのか?

趣向を凝らした宿にある囲炉裏は電熱器で温める方式でした。

囲炉裏は人が集まる場所であり、対話が生まれる場所でもあります。

炭火を含め、火は常に変化するのでただ見ているだけでも飽きませんが、電熱器に火はありません。

つまり、変化のない時間が生まれるのです。

そして対話の余白を埋めるため一人一人の発話量が増える気がします。

では、対話における余白とはどのような意味があるのでしょうか?

自分の内側に問いを起こしたり、他者の発言を噛み締めたりと対話を熟成させることに役立ていることは間違いないでしょう。

更には「話さなくて良い」という意識が気持ちを解放し、より深い対話へと誘っているのだと思います。

趣向を凝らした演出でも、その本質がデザイン出来ていないとちょっと残念なことになってしまう、そんなことを考えながら囲炉裏を囲んでいます。


パチパチ も想像するしかない・・・

2015年10月15日木曜日

教師という成長の劇薬

データ分析の世界にも「教師」がいます。

データ分析の目標(到達点)が明示されている場合は「教師あり」で、目標の明示がない場合が「教師なし」です。

例えば、判別分析では、分類のわかっているデータをその属性から分類の判別を行うものですが、分類のわかっている状態=教師あり、です。

一方、分類のわかっていないデータをその類似性などから分類していく分析が「教師なし」となります。

この教師あり、なしは、機械学習においても盛んに使われています。

さて、「教師」とはもともと人の日常における存在であり、前述の「教師」はメタファーです。

では、人の日常における「教師」とはどのような存在なのでしょうか?

例えば、子供は教わらなくても身の回りに在るものを使って遊びを生み出すことがあります。そこに「教師」はいません。こうした何もないところから「何か」を生み出す行為は人の進化にとってとても重要な能力です。

一方、学校において「教師」は、知識やスキルや社会への適応など、学習を効果的に促進する役割を果たします。

ゆえに、誰にでも「教師」の記憶が鮮明に残っているのでしょう。

さて、「教師」ももちろん人間です(いまのところ)から様々な個性を持っています。

その個性も、学習者にとっては「学ぶこと」になります。

実は、この学習によってその後ずっと続く学習者のパーソナリティ特性が形成されているとしたらどうでしょうか?

そこには当然、望ましいケース、望ましくないケースがあります。

ここで言う「教師」とは、学校の先生だけではありません。就職した会社の最初の上司でや、社長も学習をおこなう社員にとっては「教師」となります。

そして管理職の仕事振りに、仕事の流儀にとどまらず、怒り方、短気さなどまで、かつての上司の姿を彷彿とさせる様子を見ると、「教師」の罪深さも感じざるを得ません。

それで言うと、「教師」とは、自らを成長させてくれる尊敬の対象であるとともに、自分の行為の鏡として身を正すための存在なのだと考えるのです。


個性も「学ぶ」対象



2015年10月14日水曜日

組織に埋もれた才能を掘り起こすために必要なこと

すべての人はその人ならではの強みを持っています。

しかしながら、組織において強みが常に発揮されているとは限りません。

というのも、「強みを発揮する」という強みを持っている人は、放っておいても活躍の仕方や活躍の場を自ら見つけ出すことができる一方、その強みを持っていない人は、活躍の機会や環境に出会うことが強みの発揮にとって重要だからです。

そこで、組織において人材の活躍推進をする際に様々な働きかけが行われることになります。

縁の下の力持ちを日の当たる場所に引き出すこともその一つです。

しかし、2つ問題があります。

もともと浮かび上がっている人材ではないので、日の当たる場所で活躍し続けてもらうためには継続的な支援が必要になることと、縁の下を支える別の人が居ないと縁台が崩れてしまうことです。

要するに組織が構造体である以上、部分的に掘り起こすことはできないということです。

組織全体に配慮して掘り起こすか、掘り起こしても壊れない組織にするのか、悩むのはまず、そこからであるようです。


日の当たる場所

2015年10月13日火曜日

他者を説得するための「3つのD」ってほんと?

かつて、ある人は、
「他者を説得するためには3つのD、Data,Demand,Demonstrationの提示が効果的である」と言っていました。

「100人のお客様に聞いたところ75%がこの試作品を美味しいと評価し、販売が行われたら欲しいと感じたと、と答えました」

コカ・コーラとかペプシがCMでよくやりますが、この手の説得は、飲料に限らず行われています。

こうした、カテゴリー売上実績No1(◯◯調べ)とか、限定100個といった数字をつかった表現は説得のための第一歩とも言えます。

故に、賢い人は数字が使われた瞬間に冷静になるのですが、情熱的な人にとっての数字はポジティブ・フィードバックの効果があります。

Demandは、「口コミ」のように欲求の共鳴によって行為・行動を促します。

Demonstrationは、実演を通じて価値を伝える行為です。

さて、これらの「3つのD」は説得する側の立場で語られています。

一方、説得される側は、それほど合理的な根拠に基いて受容しているのではないことが知られています。

特にインターネットとスマホによるユビキタス社会の到来は、非合理的な選択を後押ししているようにも思えます。

様々な情報を「シェア」する行為は、他者を説得する目的がそれほど強くないはずですが、時に大きな説得効果を発揮します。

こうした無意識の説得行為の急拡大は、「説得のための3つのD」を古典に変えてしまったように感じられます。

この変化は、コミュニケーションの変化でもあります。

「発信→受容」の受動モデルから「共振→関与」の主体モデル、つまり自分が自分を説得しているのが今日の状況なのかもしれません。


足が・・・




2015年10月12日月曜日

人にうそはつけても自分にうそはつけない 鍛錬がもたらしてくれるものとは

負けることが悪いのではない。
なぜ負けたのかを真剣に考えることができるひとがやがて勝ち星をふやすことができる。
人にうそはつけても自分にはうそはつけない。
努力せず結果が悪いのは自分が予測できるはず。
悪い結果を落ち込むことなく、こなし切り替えることができるには自分で努力をしたという裏付けが支えになる。
「これだけやったのだから今回は運が悪かった。明日は絶対に負けないぞ。」
苦しいなかで日々の積みかさねの中から自信が生まれ、結果を出したときの達成感、充実感は何物にも代えがたい。
「心」は変わりやすい。しかし「心」がなければ体は動かない。

何回も大関候補になりながら、大怪我で幕下にまで陥落し、再び這い上がりついには大関になった琴風(現尾車親方)は自分の経験を通じて得たことをこのように語りました。

そこには、心と体の関係性が見事に描き出されています。

相撲という格闘技において「負け」とは身体的表象であり、体格や技能における優劣が大きく影響します。

ゆえに稽古など日頃の鍛錬によって、体格や技能の向上に取り組む必要があるのですが、鍛錬を怠けて負けた場合、それは、「心」の問題であり、逆にしっかりと鍛錬を行えば勝てるという「心」を獲得できるというものです。

上手く行かないことから目を逸らさず、しっかりと身体を鍛錬し、勝てる「心」を獲得すること。

もちろんビジネスにおいても同じことが言えるのだと思います。


勝てる「心」

2015年10月11日日曜日

私は大物? 似て非なる、「自己過大評価」「自信過剰」「自意識の強さ」

自分自身に対する理解において発生する齟齬にはいくつかの種類がありますが、正の誘発性で高覚醒(要するに本人にとってポジティブなもの)である代表的なものは「自己過大評価」「自信過剰」「自意識の強さ」があります。

「自己過大評価」とは、「自己評価」が「他者評価」よりも明確に高い状態です。評価の相違に焦点が当たります。

「自信過剰」は、社会的に妥当と考えられる「自信」のレベルを超えて強い自信を持っている状態であり、一般的根拠が乏しいながらも自分なら出来るという感覚でもあります。

「自意識過剰」は自分は常に注目されているという強い意識です。

この3つには組み合わせもあります。

全部揃うと自分は相当な「大物」であると理解することになります。

さて、自己への信頼はアイデンティティの確立にとってとても重要なことですから、自分自身に対する理解を否定をする必要はありません。

そして、他者の評価や社会一般の基準は、確立したアイデンティティを更新(自己モデルの更新)するための足場と考えたほうが良さそうです。

つまり、これら3つは自分を点検するための視点である、という考え方です。

確立と更新。

様々な認知バイアスは、そのために存在しているのかもしれません。


「どう見えているか」のまえに「どうあるのか」



2015年10月10日土曜日

「公正さ」は成長の糧 手段を問わないやり方は結局、成果を得られない

ゲームをプレイすることは、ルールの認める手段「ゲーム内部的手段」だけを使ってある特定の事態「前提的目標」を達成する試みであり、そのルールより効率的な手段を禁じ、非効率な手段を推す「構成的ルール」、そしてそうしたルールが受け入れられるのは、そのルールによってそうした活動が可能になるという、それだけの理由による「ゲーム内部的態度」。
 「キリギリスの哲学(The Grasshopper - Games, Life, and Utopia -)  Bernard Suits  著 川谷茂樹・山田貴裕 訳 P.37より引用

バブル崩壊後の日本企業で多く用いられた成果主義は実施数年後に見直せざるを得なくなりました。

実際の企業の声として「導入によって会社の文化が壊れた」という話を聞いたとき、成果主義の持つ問題 がとてもクリアになったことを記憶しています。

最近の東芝の事件にしても「成果」ありきの経営の問題点を浮かび上がらせているます。

また、国際社会においても、自国の利益という「成果」のためだけの行動が問題を生んでいることは明らかでしょう。

この「成果主義」の問題を考える時思い出すのか以下の論文です。

The Influence of Goal Orientation and Self-Regulation Tactics on Sales Performance  Vande Walle, D., Brown S.P., Cron, W.L., and Slocum, J.W. (1999)

A learning goal orientation had a positive relationship with sales performance. This relationship was fully mediated by 3 self-regulation tactics: goal setting, effort, and planning. In contrast, a performance goal orientation was unrelated to sales performance.
These results suggest that a focus on skill development, even for a veteran workforce, is likely to be associated with higher performance.
Management should seek evidence of a learning goal orientation when selecting new employees, while avoiding an excessive focus on performance goal orientation without a comparable skill-development focus.

意訳すると「営業成果と成果達成志向は関係が無く、学習達成志向が肯定的な相関を持つ。」というものです。

これは、「いくら売ること」ではなく「いくら売るにはどうすべきか考えて力を尽くすこと」としたほうがパフォーマンスが高かったという研究結果です。

この研究はとても示唆的です。

売るための「手段」「ルール」「態度」の達成が成果に直結することを解明したものだからです。

また、拡張形成理論によれば、達成を通じて人は成長していきますから、学習達成と成果は更なる拡張のステップとなります。

要は時が経てば立つほど営業成果に差が出る構造です。

つまり、手段は問わず成果を出そうとする行為よりも、「ゲームをプレイ」する行為のほうが多くのことを学ぶことが出来るのです。

さて、「ゲームをプレイすること」ではルールより効率的な手段が禁じられます。
そこに生じるのが「公正さ」への貢献です。

一方、成果達成主義は、「公正さ」がなおざりにされ様々な局面、場所で強い軋轢が生じます。

しかし、どんなに軋轢があったとしても、学習達成主義を成果達成主義に鞍替えするのが一番悪い選択であることは疑いようがありません。


学びの多い道を行け



2015年10月9日金曜日

体のメカニズムの不思議

研究によって自然の仕組みの一端が解明されるとその巧みさに強く驚かされます。

今日の驚きは「ゾウにがんが少ない理由を解明、米研究」です。

体が大きく寿命の長いゾウに腫瘍が少ない「謎」に気づき、それを解明しようとする「人の感性」もすごいことですが、高度な研究によってはじめて解明されるような仕組みをどのような経緯で獲得したのか興味は尽きません。

進化における自然淘汰では、腫瘍の形成を抑止する遺伝子のコピーを多く持った種のみが生き残れた、ということなのかもしれませんが、単なる生き残りではなく、種が繁栄するための多様性を同時に実現する力は、ゾウの命に内在する力なのでしょう。

弱みに勝った者のみが生き残り、多様性を実現した者のみが持続的に繁栄する。

端的に言うとそのようなことになりそうです。

以前、リフレクションのワークショップで、「リフレクションを行う際、課題に目が行きやすい」という指摘がありましたが、弱みに目が行くのは生存の本能だとしたら、「弱みよりも強み」などと安易に言わない方がよいのかもしれません。


生き物は常に弱みと闘っている

2015年10月8日木曜日

「時間」という都合のよいもの

私達は、「時間」の中を生きています。

というか、「時間」の中を生きている、と考えたほうが都合がよい世界を描き続けているといったほうが良さそうです。

例えば、飲み会にしても、時間が決まっていないと困るケースの方が多くあります。

また、電車も時間通りに来てくれると効率的に行動することができます。

しかし、一旦、機能的な日常を離れてしまうと「時間」は異質な存在になります。

「時間」を忘れて過ごすことは、誰にとっても強い幸せか、深い悲しみを感じている瞬間です。

「時間」をメタに捉えると、主観的な「時間」の存在に気づくことができます。

そして主観的な「時間」の存在は客観的な「時間」の意味を教えてくれでしょう。


時間

2015年10月7日水曜日

評価とは自分を投影すること? 認知バイアスのコントロールが大切なわけ

人に関するデータの分析、特に人物評価に関する分析を行うと多くの場合、結果が非常にくっきりと見えてきます。

「なるほど、こういうことか・・・」

データ分析は、とかく腹落ちしにくいものですが、この場合とても腹落ちが良いのです。

こうした人物評価が関わった分析結果を見ている時、対象のデータ群だけではなく、評価をした「その人」を見ていることが少なくありません。

人には数多くの認知バイアスがあり、無意識に色眼鏡をかけて人を見ていますから客観的、合理的、公正・公平に評価しているつもりでもバイアスの掛かった結果となってしまうのです。

グーグルはバイアス対策を社員教育で行っていますが、バイアスの存在を知ることは評価の第一歩と言えるでしょう。

そして、評価結果から自分のバイアスを知る「バイアスのメタ認知」がその次の一歩となります。

「メタ認知」は、自己革新の分岐点ですから、人物評価の実施とそこに投影されている自分に気づくことは、学びの大きなチャンスです。

他者の評価を鏡にして自分の姿を見て欲しい。

データ分析を行いながらそんな事も考えています。


影を見る





2015年10月6日火曜日

ノーベル賞の受賞にみる日本の強み

昨日に続き、本日も日本人のノーベル賞受賞に国内が湧いています。

”英教育誌が集計した、科学・経済分野のノーベル賞受賞者に関する国別ランキングで、日本が米英に次ぐ3位に格付けされた。”という記事も配信され、驚きと喜びが一層増します。

さて、受賞分野を見ると自然科学系で物理学賞11名、化学賞7名 生理学・医学賞3名、 合計21名、人文科学系で文学賞2名、平和賞1名、経済学賞0名、合計3名と自然科学系で多くの受賞者を生んでいることがわかります。

一方、人文科学、とくに経済学賞は0名と、前述の国別ランキングで1位になっているアメリカでは経済学賞が多いことに比べて対照的です。

またその結果からは、自然相手に地道な研究で成果を出す日本人と、功利的な人の営みを探求、解明するアメリカ人の違いが推察されます。

人の営みを研究する動機には、人種の多様性が高く、「人の営みを理解することが容易ではない国々」、といった事情も絡んでいます。

以心伝心、阿吽の呼吸が暮らしの中に埋め込まれている日本では、人よりも自然に目を向けるほうが気づきや発見が多いのかもしれません。

これは終身雇用制度においても議論されることですが、コミュケーションコストが低いことから生まれる成果、貢献については日本の強みとして再評価する必要がありそうです。


強いよ!


2015年10月5日月曜日

質問文の作成にみるプロの技 意図の存在に気づく

現在の社会にはアセスメント、アンケートなど質問文を読んで回答する機会が多くあります。

「質問文」とは、回答者の本音を引き出すためのツールですから、警戒感をもって嫌う人も一定数存在しますが、若い世代になるほど、それらに抵抗感が少ないように感じます。

ところで仕事柄、様々な質問文に出会いますし、自分で質問文を作ることもあります。

特に、質問文の中でも企業固有の価値観や仕事の状況を確認するための質問文は、汎用のものではフィット感が無いことが多く、オリジナルのものを準備することになります。

新たに準備するといっても多くの場合はゼロから作るわけではなく、一般的なナレッジとして蓄積されている測定尺度を用いたり、過去に作成した質問文を参考にしたりします。

その際に気づくのが良い質問文とそうでない質問文があることです。

良い質問文とは、具体的で分かりやすく(答えやすい)文として洗練されています。

一方、あまり良くない質問文は抽象的で意味が汲み取りにくく文も野暮ったいです。

さらに、質問文は、多くの場合単独でなく複数で構成されていますから全体で明らかにしたいこととの関係性も生まれてきます。

企業内で調査の担当者が作った質問文を見ると、ひとつひとつに魂を込めて作っているのはわかりますが、実は同じことを言い換えているだけのケースも少なくありません。念には念をいれて、という感じです。

逆に、究極の一問で「どストレート」に聞く質問もありますが、これは何を聞いているのか回答者がわかってしまうので防衛的姿勢から本音を引き出せない可能性が高くなります。

もちろん、そのような設計もありますから、それが悪いとは一概には言えませんが、「質問に回答する」という負荷を減らしながら取り出す情報を増やすために、バランスの取れた構成が望ましいと言えるでしょう。


先日質問文の作成において参考にした質問文はそのバランスがとれた良いものでした。

1つの項目を測定するために準備された4つの質問から均等に2つの意図が抽出できたからです。それも6つの全項目に渡ってです。

切ってよし、束ねてよし。煮ても焼いても美味しい質問文にプロの技を見たのでした。


光り輝く

2015年10月4日日曜日

学びはどう変わっていくのだろうか・・・

人工知能の進化の中でも最近目覚ましい成果を出しているのがDeep Learning(深層学習)です。

これは、高度な知能をアルゴリズムとしてコンピュータに与えるのではなく、「学び方」のアルゴリズムをコンピュータに与えるものです。

学習を繰り返すことで目の前のデータの本質を知るようになるとビッグデータの収集、解析は不要となります。

Deep Learningによって現在かなりの成果を出しているのが画像認識の分野です。

世の中にある無限の画像情報を集めて解析するのではなく、画像を認識するためには何を見分ければよいか自ら学ぶことによって、すでに人間よりも高い精度の画像認識を実現しているのです。

さて、計算論的神経科学では「大脳皮質はDeep learningと同じ構造を持ったベイジアンネットである」という考え方を持っているそうですが、その表現からも現在の人工知能は人間の学び方に近しいアルゴリズムであることがわかります。

そして、Deep Learningの次のステージでは、汎用人工知能が出現し、「学ぶこと」を理解するようになります。

その理解は高い可能性で私たちの理解を超越したものになるでしょう。

高度な学びが人間の専売特許ではなくなるどころか、超高度な学びが出現する。

そんな時代の到来が予言されていますが、それに向けて私たちの学びがどう変わっていくのでしょうか。

「学び」に向き合うときには常に考えたいテーマです。


超越するものの出現




2015年10月3日土曜日

会社の色に染まらない わるいこと?よいこと?

業務の仕方だけでなく、会社の流儀を身につけること。

新入社員が入社後に求められるのは、会社を中心とした世界観の獲得です。

これまで、当たり前と考えられていたこの前提は、最近変わってきているようです。

一つは、会社のやり方を強要することがパワハラになりかねない状況となっているからでしょう。

当初、過重労働、違法労働を強要する会社がブラック企業と言われましたが、最近では、労働において何らかのプレッシャーがかかることに対して過剰な反応があるように思わます。

そして一度過剰な反応が発信、共有されると、ネットワーク上で急激に広がる(炎上する)のは現在のトレンドと言えるでしょう。

若年層のストレス耐性が低下しているので今まで通りのやり方がより通用しなくなってきているようです。

さらには、若年層は個性の尊重、多様な価値観の存在が前提として育っていることも影響していると思われます。

そこで企業も、「枠があって当たり前、はめるのが当然」から「会社が大切にしていることに理解、共感を持って仕事に向き合って欲しい」とトーンが大きく変わってきました。

さて、法政大学長岡教授は「恋愛関係と嫉妬心」と評したパラレルキャリアを阻む組織内の潜在的意識ですが、例えば、夫婦の間に恋愛関係と嫉妬心が無くなったらどうなるでしょうか。

想像するのは簡単で、お互いの役割とルールを決めてその範囲で暮らすという非常にドライな関係性になります。

それは職場においては、「役割と責任」であり、成果を出せない人に対して組織は寛容さを失うのうです。

「稼ぎが悪くても(料理が作れなくても)愛があるから大丈夫」、ではなくなります。

仕事が出来る人にとっては何ら問題はありませんが、仕事が出来ない人にとっては厳しくなるだろうことは想像に難くありません。

これは仕事が出来ない新入社員にとってよい状況なのでしょうか、悪い状況なのでしょうか。

10年で一人前と言われた期間が3年となり、入社後の3年は育成期間であったのが2年になる。

社会が変化するスピードが早くなっている、人員が減って新人の即戦力化が求められているなどの理由だけでなく、関係性がドライになることも、育成期間の短期化に影を落としているのではないでしょうか・・・


どんぐりよ




2015年10月2日金曜日

「配置」は機能、感性? がちゃトークで気づく「配置」の裏側

第一金曜日の夜はがちゃトークの日です。

今日は、1時間以上遅れての参加となりましたが、参加メンバーはとてもゴージャスで時を忘れて対話が進みました。(自分が遅く行ったせいでいつもより終わりが長引いてしまったのかもしれません。)

さて、今日のテーマは「配置」でした。

家具の配置もあれば、人材の配置もあるといった感じで参照する範囲の広い言葉です。

参照する範囲が広い一方、「配置」の背景に潜むのは、機能的であるか、心地良いかのいづれかであるようです。(「両方」もあります)

例えば、「使いやすいように本棚を配置する」であったり「よく眠れるように布団や枕を配置する」といった感じです。

では、「配置」の対極にある言葉は何でしょうか?

「放置」と「空白」の2つが思い浮かびます。

明確な意図、意識を持たずに物や人を置いておく行為が「放置」です。
そして、何も置かない行為が「空白」です。

「配置」という言葉の奥にある機能と感性、裏側にあたる放置と空白。

これらは全て、人と物(人)の関係性の現れですからその人の信念や好き嫌い、癖が反映されていることは間違いなさそうです。


気づきがいっぱいです



2015年10月1日木曜日

職場における学びの共同体とは 経験から本質を絞り出す方法

3月末決算の会社では、9月30日で半期が終わり、10月1日より後半戦(下期)が始まります。

会社でも下期に向けて上期の振り返りと総括を担当ごとに行っていますが、期初に立てた目標の達成に向けて活動を振り返り、問題の並べ、本質課題に気づき、行為の選択肢を広げる、つまりしっかりとしたリフレクションをおこなう絶好のタイミングとなります。

さて、メンバーが実際の経験について振り返る様子を、行動、意識、感情、価値信念に区分けして見ていると、メンバーごとの振り返りの癖がわかります。

そして、同じ癖を持ったメンバーが集まっていると、頻発するのが「言い換え」です。

同じことを自分の経験で「言い換え」ているだけなので、強い共感はあるのですが、本質課題への気づきは生まれにくい状況です。

一方で、異なる癖の持ち主が集まった場合だと混沌としただけで終わる場合もありますから、状況に応じたリフレクションの促進が必要となります。

ポイントは、行動、意識、感情、価値信念の区分けだけでなく、過去、現在、未来とか、事実、仮説、期待など振り返りで語られている内容の位置づけを明確にし、異なる目線で問いを起こすことです。

その役割を果たせる人が居ると、振り返りは一気に深みを増します。

そしてさらに大切なのは、その場に集うメンバー全員がオープン、フラットな関係性を保ち、相互に学び合う「学びの共同体」です。

「本質」とは、メンバーそれぞれの問いを統合した場所にあるものだからです。

経験の振り返りが癖の殻を破っていたか、場はオープン、フラットで学びの共同体となっていたか、多様な問いを統合して「本質」に気づけたのか。

振り返りの後に必ず点検したい点です。


癖を超えて統合する