2015年8月31日月曜日

自己過大評価が起こる背景にあること

ダニング・クルーガー効果と呼ばれる認知バイアスに関する研究結果があります。

Unskilled and unaware of it: How difficulties in recognizing one's own incompetence lead to inflated self-assessments.
Kruger, Justin; Dunning, David

「自らの無能さを認識するのがとても困難な場合(スキルの無さや気づきが無いために)自己評価を高めてしまう傾向がある」というものです。

この認知バイアスは2つの意味でけっこう厄介です。

一つは、この認知バイアスによって正しい自己評価に基づく軌道修正を阻害することです。

例えば、客観的な他者評価の受容が困難になります。どんなに良いフィードバックでも、本人が受け入れる姿勢を持っていないと役に立ちません。

もう一つは、自己評価の内省が進まないかわりに、他者や環境に責任転嫁を始めることです。

自分の能力を活かせないのは、環境や自分を貶める他者が居るからだ、となるのです。

例えば、仕事でミスを繰り返したり、ルールが守れないことで任を解かれたにも関わらず、悪いのは会社や上司や周囲であると結論づけます。

この手の人が集まってしまうと組織の運営は大変困難になります。

ポジティブ・フィードバックであっても、ネガティブ・フィードバックであっても内省が進まず、ミスやルール破りのオンパレード。規律を正そうとすると今度は悪口の合唱が始まるからです。

自己評価が高めで、意識が高く前向きなので最初は周囲も期待を持つため、時に裏切られたようにも感じられ、その失望感がネガティブ・フィードバックを強める悪循環を招くのは個人にも組織にも不幸な事態です。


多くの会社で、優秀な人材の議論を行うと間違いなく「謙虚さ」が出てきます。

「無知の知」とは、ソクラテスの言葉として良く知られていますが、研究結果からもこれが裏付けられたと考えられるでしょう。


自己過大評価の傾向がある人は、仕事で壁や困難にぶつかった時に、自分の無能さを正面から見つめ、他者のフィードバックをまずフルアクセプト(完全なる受容)し、自分にとっての意味づけを行う力を持っているか自らに常に問う必要があるようです。


はーい、手を出してください







2015年8月30日日曜日

習慣作りは難しい? 習慣を作ってわかること

昨日、お邪魔したマインドフルネスのシンポジウムで話題に上っていたのが継続することの難しさです。

セミナーに参加した人のその後の結果発表がありましたが、7週間のチャレンジで終了報告が4割、サーベイ回答が3割強とのことでした。

お金を払ってセミナーに参加する人は学習者全体の10%と言われる積極的学習者ですが、それらの人にとっても、何かを継続して行い続けることは簡単とは言い難いようです。

継続して行う、つまり習慣化するのはなぜ、簡単ではないのでしょうか。

実は、ビッグデータなどの解析を通じて、人の行動の80%以上は習慣であることがわかっています。

つまり、私たちの日常とは習慣のことなのですね。

そして、習慣化で苦労するのは、この80%の既存の習慣に新たな習慣を加えることです。

パーソナリティの一貫性は、遺伝、発育段階、置かれた環境、強く刻まれた出来事、学習から得られる達成などにより形作られていると考えれていますから、大人にとっての新たな習慣化というパーソナリティの形成には、周囲の環境、きっかけの強さ、学びからの深い気づきが全てとなります。

大人になると可塑性の領域は狭くなるので新たな習慣化は一層厳しくなるのです。

グーグルではマインドフルネスを組織文化にしようと取り組み、ジーポーズという仲間作り、すぐ瞑想が出来る環境の整備を行ったそうですが、こうした周囲の環境作りは習慣作りの定番と言えるでしょう。

さて、このブログは毎日続いており、もう少しで連続1000日になりますから習慣化出来たと考えて良いでしょう。

この習慣のポイントは、周囲の環境では、WEBのブログサービスとフェースブックの存在、きっかけの強さでは、社長職のバトンタッチ、学びからの深い気づきは、日々の気づきを記すことでの蓄積となります。

一方、最近始めたウォーキングも今のところまだ続いていますが、こちらで気づいたのは、ブログの習慣化によって、「習慣を作る」というメタ学習が進んだのではないかということです。そして、そのメタ学習を使うことで、周囲の環境、きっかけの強さ、学びからの深い気づきがそれほど無くても、習慣作りを進めることが出来ているように思えます。


習慣化の先に見えるものは?

2015年8月29日土曜日

AIも瞑想をするのだろうか

今日の午後は、一般社団法人マインドフルリーダーシップインスティテュートさんの有料シンポジウムに参加してきました。

有料にも関わらず広い会場には多くの来場者があり、マインドフルネスに対する関心の強さを改めて知った次第です。

さて、シンポジウムの中ではアジアパシフィックの人材開発のヘッドとして活躍してきた元Googleのビョードル・フェーリクス・グジバチ氏から様々のリアルな話を聞くことが出来ました。

マインドフルネスとは、頭の回転が早く優れた人材が立ち止まるための時間であり、世界の先進的企業はWellbeing(福利厚生)に力を入れていて、それはストレス解消ではなくパフォーマンスを出すための安心領域をを作り出すためのものであるとの話が印象的でした。

また、ビョードル氏がマインドフルネスと出会ったきっかけは、合気道であったとの話も示唆的です。

スティーブ・ジョブズが愛読したと言われるオリゲン・ヘリゲルの「弓と禅」では、弓道の修行を通じて禅への入り口と記されていますから、「武道」は重要なキーワードです。

さて、まだまだシンポジウムの面白い話もあるのですが、Googleが力を入れているのはAI(Artificial Intelligence 人口知能)ですから、AIと瞑想で考えてみます。

AIがDeep Learning によって指数関数的進化を遂げる中で、やがてAIも瞑想を行うようになるのでしょうか。

つまり、AIにも立ち止まる時間が必要になるのでしょうか。

立ち止まる必要があるのは、人が混沌、不合理、葛藤のある存在だからです。

しかし金融取引の現状を見るに、AIからは混沌、葛藤は感じられません。また、その判断は時として人にとって不合理ですが、それは、単に人が理解できないだけです。

人と違ってAIには混沌、不合理、葛藤は現状、無さそうです。

強いて考えれば、無限ループといったアルゴリズム上のバグから脱出する際には瞑想が必要な気がします。

立ち止まって出口を見つけるために、ですね。

そして、それもメタに思考すれば、学習の一環なのだと思います。




瞑想中?


アロマリーディングを習得している妻に行ってもらった今日のアロマリーディングで引いたアロマは、
イランイラン(本質)
ジュニパー(ブロック)
マジョラム(いま)
フランキンセンス(未来)
ということで、アロマの意味を解くと私は「本来の情熱を直感がブロックしているものの穏やかで深い精神性に向かっている」ようです。

そして妻が引いてくれた一枚は
ゼラニウム(サポート)
ですから「バランスをとりなさい」が本日の啓示であるようです。

怖いくらい当たっています・・・




2015年8月28日金曜日

ほんとうに「賢い」のはどっち? 「賢さ」比べを考える

理化学研究所脳科学総合研究センター適応知性研究チーム・チームリーダーの藤井直敬氏は、自分たちで開発した慢性多電極記録手法、モーションキャプチャー、ビデオカメラを統合して「多次元生体情報記録手法(MDR)」を使って2頭のサルに間に生じる社会性を情報として記録、解析したところ、「我慢」が社会性の基本であることと、時にチャンスが来たと瞬間的に判断をして「我慢」をやめるのが「賢さ」であるという結論に至ったそうです。(「拡張する脳」藤井直敬著)

脳の活動と同時に行動も記録することで行為の背景にある真実を解明するアプローチには無限の可能性を感じます。

意識として認知される真実と背景にある事実の間には、統合的な構造化を阻害する大きな溝がありました。

それは、それらを同時に観察できなかったからです。特に内面の正確な情報化は困難で推察するしかありませんでした。

現在はまだ、実験という限られた環境ですが、今後、こういった技術が一般に普及すると、社会に大きな影響を与えることは間違いないでしょう。

さて、他者の「賢さ」を知るのは「より賢い」ことなのでしょうか。

例えば、ある人が第三者から
「あの人には気をつけた方がいい。いまはいい顔をしているけど、あなたのことを追い落すのは簡単だと考えているから。」
と助言を受けたとします。

この場合、ある人<あの人<第三者 の順番に「賢さ」が高いことになります。

しかし、ある人はあの人の、あの人は第三者の「賢さ」を知っていたとすると、ある人>あの人>第三者、の順番となります。

つまり、「知っている」だけではほんとうの「賢さ」は比較できないのです。

ゆえに、ほんとうに「賢い」のは「知恵、知性と行動で最大の成果を出した人」ということですね。


賢いのはどっち?

2015年8月27日木曜日

最善を尽くすより大きく儲けを出した方が偉い? 「勤勉さ」の背景にある欲求とは

グローバルで活躍する方から、日本人の仕事の姿勢には一緒に仕事をする外国人が一様に驚く、という話を聞いたことがあります。

一言で表すと「勤勉さ」ということなのでしょうが、その原動力はどこから来ているのでしょうか。

様々な会社の方と話をすると、「品質へのこだわり」は、現場に共通するキーワードとしてあがってきます。

一方で、利益へのこだわり、商人意識がもう少し欲しい・・・という話も同時に聞きます。

この2つの話だけを合わせると、利益よりも品質にこだわってしまう自分本位な性向があるのではないかと疑いたくなります。

しかし、現場の方と話をすると、自己満足のために仕事をしている人と出会うことは稀です。そして印象に残るのは「勤勉さ」です。

昔、父親から商売のいろはとして「より良い物をより安く」と教わったことがありますが、「品質へのこだわり」には現状を少しでも顧客にとって役に立つものに変えていきたいという欲求が潜んでいて、それが行動習慣として定着したのが「勤勉さ」として観察されているのでしょう。

一節によれば、江戸時代の日本人は勤勉というよりどちらかといえば大らかだったそうですから、「勤勉さ」の行動習慣は、明治以降の経済発展の過程で「勤勉さ」=「報われること」を学習し獲得した力であるのかもしれません。

マザー・テレサの有名な言葉に以下の一節があります。

 Give the world the best you have,
    and it may never be enough;
         Give the best you've got anyway

たとえ十分でないとしても、気にせずに持てる最善なものを世の中に与え続けること。

経済成長が止まり、厳しさが増す中では、金銭的豊かさにおいて「報われる」機会はかつてより少なくなっていることと思われますが、マザー・テレサが示されたように、社会的豊かさ、精神的豊かさにおいて「報われる」機会はまったく減っていません。

私達は、金銭的豊かさよりも社会的豊かさ、精神的豊かさにしっかりと目を向けるべきです。

国民性として獲得した「勤勉さ」の本質を見つめ、今後も「持てる最善のものを与え続ける」ことを忘れないようにしたいものです。


私の中の最善を世の中に



2015年8月26日水曜日

アクションの丸投げ、背負い投げで、マネジャーはなぜ「一本!」がとれないのか

問題に直面したとき、すぐ次のアクションを決めて部下に指示を出す。

これはマネジャーによる「アクションの丸投げ」です。

もう少しわかりやすくすると営業活動において、
「目標まであと◯◯足りないから、△△を顧客に売り込んでください」
という 指示です。

次になにをするのか、と何かをやる気満々のマネジャーが陥りやすいパターンで、部下は思考停止になって手足のように動くか、顧客のニーズとの不整合に悩み固まるかに分かれます。

こうした「アクションの丸投げ」が続くと、部下は無力感、無能感を学習していきますから当然、モチベーションも落ちるわけです。

「アクションの丸投げ」は、次になにをするのかという思考の習慣が十分に身についていない部下(マネジャーと同等の思考の習慣が身についていれば、「部下」ではないはずです)に対するマネジメントとしては不適切です。

マネジメントの要諦は、「自分とは異なる他者によって目的を達成すること」ですから、「部下」の目的達成行動を支援し、阻害する要因を取り除かなければなりません。

目標への差分を正確に明らかにし、成功、失敗の経験から教訓を取り出し共有して、戦略を共創して自発的なアクションを促す。また、そのプロセスを通じて思考の習慣を獲得、成熟させる。時に、自ら考える課題を与えることも大切ですが、それは、計画されたものでなくてはなりません。

出来て当たり前、やって当たり前、という前提で部下を振るい落とすことが目的でない限り、このように、思考のハザード、気持ちのハザードをマネジメントすることがマネジャーの仕事なのです。

マネジャーの「アクションの丸投げ」に似たものに「アクションの背負い投げ」があります。

「あとは俺がやっとくわ」
ですね。

マネジメントとして不適切であることは改めて言うまでもないでしょう。

「丸投げ」も「背負い投げ」もマネジメントとしては、見事「一本!」とは言えないのです。


他者に達成させる関わり




2015年8月25日火曜日

「軸」と「成長」 ほんとうにたいせつなものは?

誰が言い始めたのか知りませんが、採用面接を行っていると「軸」という言葉をよく聞きます。

「就活の軸」、「会社選びの軸」、「仕事の軸」という意味で「私の軸は・・・」といった感じで使われるようです。

いつの間にか聞く方も「どんな軸で活動をしているのですか?」とか聞いていますからなんだか会話がジクジクしていて始末に負えない感じです。

「軸」は「中核にあってぶれないもの」という意味で使われるのだと思いますが、面接の評価として「核(コア)が無い」とメモ書きするケースが多いことからも、使っている言葉の実態がなかなか確認できません。

同様に、「自分が成長できる環境」という表現も多く聞きます。

「最終的にはどんな仕事や職場に決めたいのですか?」
と質問すると多くの学生がこう答えます。

この「軸」や「成長」に関してですが、こう答えると良いというマニュアルや情報が出回っているのでしょうか?

もしくは、ちょっとカッコイイ言葉使いとして就活生に人気があるのでしょうか。

仕事をしている時の実感としては、自分の思考とは他者の思考や生き様に揺さぶられて修正、移動そして再構成されていくものであり、出来上がった感のある「自分の軸」などとは言い得ませんし、「成長」に関しては定義することすらなかなか難儀だなと感じていますから、「軸」や「成長」を聞くとまず単純に「すげーなぁ」と思ってしまいます。

ただ、そのあとに、あれ?となってしまい、ほんとうにたいせつなものは何なのだろう?と気になってしまう次第です。


「軸」だらけ


2015年8月24日月曜日

これからの日本の製造業の戦略を考えてみる

昔から気になっている事に関するブログ記事がありました。

政府は製造業に興味無し!?インダストリー4.0予算ゼロの実態

日本に製造業の多くは利益を最大化するために、生産設備に関して、国内に投資よりも、中国など人件費の安い海外への投資をこの数十年間行ってきました。

結果として、グローバルネットワークのバリューチェーンが構築されましたが、商品は均質化し、めまぐるしく主役が交代、退場する大競争時代となったわけです。

一方、「国」という枠組みにとって、自国の製造業が高い競争力を持つことや、有力産業を保護することは健全な維持、発展に欠かせません。

そこで、各国はグローバル化の恩恵を受けるべく市場開放に取り組む一方で、賢くの製造業の強化に取り組んでいるわけです。

考え方はシンプルで、設備、資金、情報、そして人材を積極的かつ効果的に投入することです。

ただ、これらの資源は有限であり、製造業以外にも課題が山積し、しかも、国が超借金大国である日本では、有効な手が打ち難い状況もあるのでしょう。

ただ、森元総理が新国立競技場建設問題で「国がたった2500億円出せなかったのかね」と発言したことを考えると、自ら借金を増やして打ち手を無くした原因が何となく見えてくる気がします。

さて、設備は古く、資金に余裕が無いとなれば、情報と人材で競争力を高めるべきである、という結論に至ります。(足りないからと言ってお金を刷ると違う問題が生じるからです。)

ただし、かつての戦争で犯してしまった勝利のために人材を消耗する道ではなく、人材の成長と幸福において、ですね。

米プリンストン大学の研究では年収が日本円に換算して770万(2008年)を超えると幸福感の間に比例関係が失くなるそうですから、拡張−形成理論、フロー理論といった成長と一体であるポジティブ心理や健康、安全安心、良い生活環境がポイントとなるのでしょう。

ただ、成長や変化を幸福と感じる人は働く人のうち20〜30%と言われますから、多様な成長、幸福のあり方を実現することが肝要です。

結局は、社員の成長(キャリアの成功)や幸福を考える会社が強くなる。

これは、Googleがビッグデータ分析の結果から導いた優秀なマネジメント像とも一致しています。


この道を行く

2015年8月23日日曜日

「理想とする本来の姿」と「不安」の狭間にある「まぼろし」

本来はこうしたい(して欲しい)のに、スキルが足りないから上手くいかない・・・

自分や他者に対してこのように考えることは少なくありません。

では、本当に足りないのはスキルなのでしょうか?

リフレクションの大家、コルトハーヘンさんが提唱するコア・リフレクションでは、「自分の中には最善のものがある」という考え方に立っています。

コア・リフレクションは、リフレクションを通じてその最善なもの、「コア・クオリティ」に気がつくことです。

コア・クオリティの例は、クリエイティブ、繊細、愛情豊か、信頼などで、分けることができず、既に備わっていて広く応用できるものです。

一方、コア・クオリティの対極にあげられるのがコンピテンシーで、分けられる、習得できる、領域特有といった特徴となります。
 
つまり、人が活躍する際の中核的な資質がコア・クオリティであり、コア・クオリティとスキルの連動が強い専門家を作ります。

活躍に関わる中核的な資質ですから、成功体験、その人の理想、そしてコア・クオリティに焦点を当てフロー(忘我)の状態を観察することで取り出すことが出来ます。

コア・リフレクションが行うのはこのプロセスです。
 
逆に、不安、自信がないといったときは、「スキルが足りない」のではなく、実は「コア・クオリティ」が発揮されていない状態なのです。

何か上手くいかないときは、「スキルの獲得によって上手くいくようになる」という「まぼろし」を追わず、自分のコア・クオリティを見つけましょう。


この子のコア・クオリティは「食べるのが好き」

2015年8月22日土曜日

マッチングの原点は縁結び? 出雲大社のマーケティングに想う「ご縁」への渇望

NHKが放送している「ブラタモリ」という番組で出雲大社が取り上げられていました。

自分はまったく知らなかったのですが出雲大社は江戸時代まで杵築大社という名前だったようです。

その後、全国に広報活動(プロモーション?)を行い、江戸から発信された情報が広まって出雲大社の名前とご利益が普及したのだそうです。

情報の力はすごいですね。

さて、名前を広める大きな力となったのが「縁結び」だそうです。

番組の情報では、それまで「縁結び」のご利益がある神社はなかったそうで、潜在的な市場の需要を見事に掘り起こし、今に至るまで出雲大社=縁結びの神様という図式を定着することに成功したのです。

そこで「縁結び」って何だろうと考えたのですが、「個々の異なる人生の文脈を交差、合流せる社会的な行為」と定義してみました。

社会的な関係において、交差→合流→変容へ段階を踏むのが「縁」です。交差しても合流しない場合は「縁が無かった」ことになります。

「縁」には合理的に理解、説明できない側面も多くあるため、神秘的、呪術的な風習を生み、さらには、慢性的に「縁」を望む人が多く居ることから縁結びの信仰が一気に広まったのでしょう。

「縁」は元々幅広い概念ですが、今日では、男女の間だけでなく、人と会社(仕事)の間にも使われています。

人と会社のマッチングと呼ばれる行為は、コーディネーター、コンサルタントといった肩書の人で行われたり、WebなどのITで行われるものなど多様です。

そういう観点では、「交差」する機会は増えているのかもしれませんが、ミスマッチはもとよりアンマッチが問題視されている現状を鑑みるに、合流→変容のプロセスに問題があることは明らかでしょう。

そもそも、「交差」を「縁」と捉えることが間違っています。
婚姻においても、仲人の果たす役割は「紹介」だけではありません。

どうやら時代が進歩しても、技術が進化しても、「縁結び」へのニーズが一向に減らなない理由がそこにありそうです。


交差する世界

2015年8月21日金曜日

間違いが世界を広げる ミスを無くす?ミスを活かす?

高い効率化が求められる現代社会においてミスは忌み嫌われる事態です。

ミスを減らす取り組みにはシックス・シグマなど非常に高精度な管理手法もありますが、多くの企業はそれよりも更に高い水準でミスを減らそうとしていることでしょう。

このようにあらゆる場面で嫌われるミスですが、そんなに悪いものと決めつけなくても良いのではないでしょうか。

さて、今日、組織変革の3段階モデルを確認しようと、グループ・ダイナミクスの始祖、LewinのWeb検索を行ったのですが、スペルを間違えてLevinで検索してしまいました。

そして検索結果から引き当てたのが Simon Asher Levin です。

空間生態学とか、複雑適応系とか、胸が騒いでたまらないことが紹介されており、そのままAmazonで著作をポチってしまいました。

こうした新たな知との遭遇は、紛れも無く凡ミスが生み出してくれたものです。

確かに、仕事で検索をしていて他のことに気を取られてしまうと、仕事の効率には悪影響です。

また、効率優先でWebが見れないようにしている企業も相当あるようです。(セキュリティなど他の問題もあります)

創造的態度の特徴は
①アイデア創成が好き
②アイデアを早い段階で批評的に評価しない
③新しいアイデアを大切にする
④創造的思考は、一風変わっていると信じている
の4つと言われますが、偶然のミスもひとつのアイデアだと捉えると、ミスも愛おしく思えてきます。

勿論、強い反論を頂くことになるのであまり公言はできませんが・・・


この状況をどう活かす?

2015年8月20日木曜日

タレントマネジメントと将棋の共通性 ツボは「捕獲」?

適材適所の配置、最適チームの編成、次期リーダー・幹部の育成・登用、採用による必要な能力の獲得など、バイネームで企業経営における人的資本の管理、強化を行うことおよび、その仕組み作りがタレントマネジメントですが、活動の中心となる戦略人事と現場の間には若干の葛藤が見られるようです。

よく言われるのが現場による「優秀な人材の囲い込み」です。

今日、大手の企業においても人員的な余裕は減っています。一方で、ITの進歩に伴い、一人が行う仕事の量は増え内容も多様化しています。

また、現場をとりまく環境は、流動化、不確実化、複雑化していて定型的な業務は減り、適応的、創造的な業務が増えています。

そのような状況のなかで現場にとってみれば「出来る人材を輩出する余裕なんてない」というのが本音です。

「出来る人材」が次々と現場の部門で育つ、もしくは異動してくれば良いのでしょが、その保証は無いからです。

一方、人事にしても、「今は困る」と言われてしまうとなかなか強引に現場の部門から人を抜くことはできません。

さて、現場と戦略人事の間であるもうひとつの葛藤が「特定の人材の推奨」です。

現場の管理者にとってみれば、自分の気に入った部下が出世するのであれば、喜んで部門から輩出しようとします。人材の推奨は、管理者自身の評価にも関わりますからなおさらです。結果、いつも決まった人材が推奨される傾向が強くなります。

しかし、推奨された人材が戦略人事の目的にとって適正か否か、人事が主体的に判断するための情報が現状では足りていないようです。

タレントマネジメントは人材の仲介ではありませんから情報不足ではん、事実把握→核心の可視化→戦略と共有→現場へのフィードバックという一連の戦略的マネジメントプロセスが回らないのですね。

こうした現場と戦略人事のやり取りは、それぞれの目的、目標を達成するための人材の能力(ポテンシャルも含めた)を巡った駆け引きです。

人材は将棋の「駒」と違い、能力や成長ポイントの見極めが困難ですが、自らの局面を有利に運ぶためには、「出来る人材」や「出来る人材に成る人材」を多く配置する、もしくは配置できる人材を「捕獲」することがポイントであることは言わずもがなです。

GEは9BOXという盤面をつかって人事施策を行ってきましたが、こうした人材ポートフォリオの運用においては、その盤面の良い場所に載せる人材を増やすことが戦略人事のタスクになるのです。


タレントが見える?

2015年8月19日水曜日

地図と順列を使ってデータメインのプレゼンテーションを突き刺す? ふかいことをゆかいに伝える

データを使ったプレゼンテーションは案外難しいものです。
数値自体は誰が見ても同じなのですが、その数値の持つ意味をなかなか聞き手に腹落ちさせることが出来ないからです。

「数字はわかるけど、で?」
「なんだかピンとこないなぁ」

表情からもそんな本音が伺えます。

そんな場面になると思い出すのが井上ひさしさんの文学観、

むずかしいことをやさしく ←最初のハードル
やさしいことをふかく   ←二番目のハードル
ふかいことをゆかいに   ←ボスキャラのハードル
ゆかいなことをまじめに  ←ラップアップ
書くこと

です。

さて、以前のブログでも書きましたが池上彰さんの伝える技術は、最初のハードルをクリアする有効な方法です。

次に、「やさしいことをふかくするため」にはどうすば良いのかと考えて思いつくのが、一橋大学教授楠木建氏が展開する「ストーリー」での共感作りです。

二番目のハードルがクリアできました。

問題はここからです。

深いテーマをユーモア、面白い言葉で包み込む。笑いは言葉、言葉で笑いを作っていく。

そんなプレゼンができれば数値の意味もストンと腹落ちすると思います。

ユーモア、面白い言葉で包み込むで思い出すのが、組織学習のUnlearningを「学習棄却」ではなく「学びほぐし」という言い回しです。また、美しい商業的なイラストでなく、下手な手描きの絵を使ったプレゼンにもユーモアと笑いがあります。(ここでやるとパクリで訴えられるかもしれないので止めますが・・・)

まとめると、データメインのプレゼンは、

1.相手に地図を渡し3つのポイントを作る
2.話の要素の順列を工夫して共感を生む
3.面白い言葉や下手なイラストを駆使してユーモアや笑いで包む
4.そして、それらをまじめにまとめる

ということになります。

逆に、Don't(やってはいけない)は

データを並べて全てを目一杯まじめに説明するプレゼンですね。


手作りのユーモア









2015年8月18日火曜日

保有している能力を仕事で発揮するキーワード 適性と成熟とは

人は、無限の可能性を秘めた存在です。

一方で、人は生き物として、環境や人など、周囲と密に関わることで能力を発揮します。

特に、人には他者によって自分の殻を破る力が備わっており、相互に高度に複雑に関わりあうことで飛躍的に能力を高めることができます。

音楽座ミュージカルさんの研修で行う「いいね」という簡単なワークでは、向かい合った同士が「いいね」を相手よりも大きな声で言い合うだけで、自分の殻とそれを破る体感を得ることができます。

逆にまったく何もない空間に何も持たずに一人ぽつんと置かれた場合を想像すると、出来ることがかなり限られてしまった自分が居るはずです。(ぞっとします)

さて、「環境を生かして能力を発揮する」、「人と関わって能力を発揮する」、「さらに能力を高める」仕方は個人によって異なります。

組織において仕事をする、ということは、特定の人との関わりが生じ、特定の環境に置かれるのですから、能力の発揮しやすさが生じることになります。

これが、「仕事への適性」です。

「仕事の 適性」とは、能力の発揮しやすさであって、発揮する能力ではありません。

そして、発揮する能力には「成熟」が必要です。

その「成熟」を促すのが、キャリアの多様性(苦労と鍛錬と成果)、知識習得(自己啓発、研修機会の活用)の充実度、経験学習の実践によるメタ 認知能力開発、自らの異化、そしてポジションよりも大きな権限をコントロールする仕事ぶり(経営への共感や貢献意識が必要)などです。

それぞれの要素が全て均等に必要ということではなく、「成熟」の仕方にも多様性があります。

また「成熟」にも「適性」がありますから、個人が「未成熟」の状態では多くを「適性」にから能力の発揮を期待することになります。


持てる能力を発揮!





2015年8月17日月曜日

ブランドを高める行動とは 虚像でない実像をつくるためのツボは6つ?

今日においてブランディングとは、企業だけが行う活動ではなく、セルフブランディングのように、個人の活動もその対象となっています。

それには、スマートフォンとSNSの普及が大きく貢献しています。

意識をしなくても発信した情報は世界をあっという間に駆け巡る(ことが可能となる)のです。

一方で、ネガティブな情報や、反応も瞬く間に広がります。容赦ない感じです。

そこで、上手にブランド力を高めている企業や個人の情報発信にどんな共通点があるのか考えてみました。

1.開放性が高く、良いところだけでない人間臭さを出している。
  良い面だけでなく、悪い面も示すことを両面呈示と言いますが、他者に認知してもらう際に自然と行っているよう(に見える)です。

2.目に見えない信頼に真摯に応えようとする姿勢がある。
  情報を受け取る他者は、何がしかの期待水準を持っています。まず、その期待を理解し、そして、公正さ、迅速さなどでレスポンスしています。

3.共感を生むストーリー化がうまい。
  発信する情報の要素の並べ方が上手で受け手が瞬時に腹落ち、共感しやすくなっています。一方、暗号的な凝った配列はあまり上手とは言えないようです。

4.自ら実践し体現している。
  情報は以外と独り歩きしないものなのでしょう。結局、体を張って表現している企業や人のブランド力が高まっていきます。

5.他者の内化、外化を支援して自走を育む。
  ちょっと難しい表現をしましたが、要するに、他者に良い影響を与えてその人のブランド力も向上させている企業や人が、自分のブランド力を高めているようです。

6.適切な対応で困難を乗り越え絆を深める。
  これ、最近多いと思います。思わぬ過剰反応や誤解からの炎上(仮面が剥がれたケースも含め)した際に、下手に争わず、「出直し」をする人は結果として他者との絆を深めています。

以上、発信する、姿勢を保つ、情報を並べる、体当たりする、啓発を起こす、いつでも出直すとツボを6つほど考えてみましたが、如何でしょうか。


光へ!



2015年8月16日日曜日

ファインダーと背面モニター Sightの違いがもたらすものとは

スマートフォンで写真を撮る機会が増え、カメラの販売が苦戦していると聞きます。

特に、モニターで被写体を確認しながら撮影するタイプの低価格のカメラは、スマートフォンと競合し、中には製造、販売から撤退するメーカーもあります。

スマートフォンも含め、カメラ(カメラ機能)とは、被写体にレンズを向けて、画像として記録するものですが、「何をどう記録するか」は撮影者の選択によります。

その、撮影者の選択を助けるのが、ファインダーや背面モニターになります。

ところで、添付写真を見てもわかるように、背面モニターを使って撮影をする時、モニターの周囲に視界があることがわかります。

一方、ファインダーは、視界が限定されます。

この違いを知っていると、ファインダーで撮影している人がなぜ、周囲に無神経なのかも少しは理解出来るでしょう。

周囲の眼も気にせずに事物に没入し自分の世界を創るのか、周辺にも意識をおきながら自分のフレームを創るのか。

なんだか仕事の進め方にも通じるところがありそうです。

さて、ファインダーを使って撮影する際に、覗いていない側の眼は閉じない方法もあります。これは、周囲の状況を確認する必要がある場合に効果的な方法です。

要は、写真も仕事も状況に応じて適切な視野を持つことが肝要なのですね。


画角の違いは置いておいて


2015年8月15日土曜日

センスの良し悪し? スキルと異なる能力をAIはどうやって学習するのだろうか

スキルは後天的に獲得される技能と呼ばれる能力です。

学習、訓練、実践を通じて獲得されます。

同じ仕事に活かすスキルであれば定型的な能力であり、他の仕事でも活かせるスキルであれば適応的な能力、そして新たな仕事を生み出すときに活かすのであれば創造的な能力が獲得されたと言えるのでしょう。

こうしたスキルの獲得と発揮は人によって異なります。

例えば、PCスキルのような基礎的なスキルにおいても違いが見られます。

勿論、当人の努力が大きく関わるのですが、「苦手意識の有無」や「センスの良し悪し」といった、学習前に保持している「感度」にも影響を受けているようです。

アリの中にはフェロモンを触覚で検出して行動を制御するそうですが、シミュレーションする際に、触覚の感度となる係数を下げたアリを入れいると、餌を発見する可能性が高まるそうです。

そもそも情報取得感度が低いため能力の獲得が困難である、という特性が偶然の発見の要因になっているのです。

こう考えると「センスの悪さ」は、実はとても大切なことなのかもしれません。

ソフトウエアのユーザーインターフェースもセンスの悪い人向けに考えるからこそ、使い勝手が向上しているのでしょう。

さて、Deep LearningによってArtificial Intelligence(AI、人工知能)はすごいスピードで学習を行っています。

その学習の中で、こうした一見、非ロジカルだけど、イノベーションにとってとても大切な事象の本質をどうやって学ぶのか、とても興味があります。

一見、出来の悪いAIが計画的に生み出され、それによってイノベーションが起きる、計画されたエラー。

いずれ、そんな局面が到来するのでしょうか・・・


センスが悪いAI?




2015年8月14日金曜日

好みで済ませる? 理想的なチームワークとリーダーの「あり方」

仕事を進める上でチームワークは大切です。

しかし、チームワークといっても一様ではないですね。

二元論ではないのですが、ここでは自分が感じた2つの類型とリーダーの役割を考えてみます。

その1.均質な能力が統率され足並みを揃えひとつの目的に向かって進むチーム

リーダーの役割は、能力が揃うように育てることと適切なルールで統率することです。
チームの状態としての目標は、メンバーが明確な要件に基づき均質なスキル、モチベーション、価値観、行動傾向を保有しミッションにコミットしている状態です。
その中でリーダーには一人一人との向き合いが生まれますが、至らないメンバーに対して「なぜ出来ない?」「どうしたら出来るのか」という外圧が強まる懸念があります。

その2.お互いの癖をカバーしてそれぞれのポテンシャルを発揮できるチーム

リーダーの役割は、カバーし合あう関係性を支援することと個の能力を尊重することです。
チームの状態としての目標は、 メンバーが共有された目標に向けて自律的に能力を発揮しながら学びの共同体として創発がおこる状態です。
しかし、お互いの衝突や葛藤による心的負荷を回避してしまう「単なる仲良しチーム」になってしまう懸念があります。

1はミッションが具体的かつ明確な場合に有効ではないでしょうか。

しかし、気をつけなくてはいけないのは、ミッションの具体性、明確さは市場において規定されるものであり、チーム内でのミッションの明確さではないことだと思います。

例えば、「新規開拓」というミッションがあったとしても、市場が明確に定義されていない場合、具体的なミッションとは言えません。

「俺が言うとおりにやれ!オラオラ!!」ってなことになって、メンバーは「ワケわかんねーし」みないなことを影で言っていたり・・・

であれば、リーダーが大切するのは、的確な定義とそれに沿った個の確実なレベルアップなのでしょう。

そして、的確な定義にはすごく高い収束系、発散系の両方の能力が必要です。ジョブズとか見ても、もう天才じゃなくて鬼才です・・・


2は不確実な状況、環境下で有効だと思います。

最初、言い訳や頑なさが多く学びのないメンバーをチームに入れないようにすればカバーし支援しあう関係性は構築できるようです。

しかし、そこから一段、ステップアップするのは簡単ではありません。

メンバーが相互に遠慮せず、疑問や懸念をぶつけて緊張感を高め、一方では、自らの癖に向き合って「自分が変わる」信念を築き実践することが出来れば、「プロフェッショナルチーム」への道が開けてきます。

そこで、リーダーが大切にするのは、自身が「九徳」を積むことかと考えます。

 1.寛にして栗(寛大だが、しまりがある)
 2.柔にして立(柔和だが、事の処理が出来る)
 3.愿にして恭(まじめだが、ていねいで、つっけんどんでない)
 4.乱にして敬(事を治める能力があるが、慎み深い)
 5.擾にして毅(おとなしいが、内が強い)
 6.直にして温(正直・率直だが温和)
 7.簡にして廉(大まかだが、しっかりしている)
 8.剛にして塞(剛健だが、うちも充実)
 9.彊にして義(強勇だが、義しい)

誰にでも欠点はあるものですが、多様なメンバーの癖に適応すると、全方位的になってしまうのでしょう・・・

的確な定義に向き合うことも、多様性に向き合うことは簡単ではありません。ふぅ〜。


リーダーの顔ってどんな顔?

2015年8月13日木曜日

行っていること、感じていること、信じていること 何を伝えるとよいだろうか

先日、安全保障関連法案の反対運動を行う学生団体に対して、国会議員が「戦争に行きたくないという自分中心、極端に利己的な考え」と批判を行い、問題になることがありました。

その報道に接して感じたことは、双方の主張がちょっとズレているような印象です。

他にも世の中で展開される様々な主張は、発信する側と受け取る側に微妙なズレが多く見られます。

「私はこう思って言ったのにあなたはこう言った。それはけしからん」
というものです。

こうしたズレは何故起きるのでしょうか。

さきほどの反対運動で言えば、学生団体においては、国会前のデモは「行っていること」であり、「戦争に行きたくない」という発言(真偽は知りません)は「感じていること」です。

さて、議論の中で、「良心的兵役拒否者」の話も出てきました。

「良心的兵役拒否者」とは自らの良心に基づく信念から兵役を拒否する人です。

この「良心的兵役拒否者」も「戦争に行きたくない」人ですが、国会議員が述べている学生団体のイメージとはちょっと異なって感じられます。

それは、「信じていること」が前面に出ているか否かでしょう。

もちろん、学生団体にもしっかりとした信念があることと思います。

しかし、国会議員が伝えたのは学生団体が「感じていること」であり、国会議員は自分の「信じていること」で学生団体を糾弾してしまったために多くの人にそのズレが違和感として伝わったのではないでしょうか。

また、「信じていること」は「感じていること」よりも上位であるという根拠の無い優越感も漂っているように感じます。

国会議員は、学生団体の「信じていること」と自分の「信じていること」を対峙させて伝えれば良かったのかもしれません。

ところで、信念は、自ら経験を通じて獲得したり、他者(親、地域性、本など)から継承して構築するものです。

しかし、最近、新卒の採用面接を行っていると、相手合わせで信念を培えていないように感じられてしまいます。社風とか雰囲気、つまり「感じること」だけを重視している学生が多いようです。

これも、ズレを感じることのひとつです。


行っていること 感じていること 信じていること






2015年8月12日水曜日

「問い」の立て方 自己効力感と自己本位性が織りなす世界

”愚問は頭を悪くする(大村はま)”

事象を考える際に「何を問う」かはとても重要です。

”思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから
 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから
 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから
 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから
 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから”

マザー・テレサはこう仰ったそうですが、思考の入り口にあるのが「問い」です。

そう、「問い」が悪いとよい運命を引寄せることが出来なくなるのです。

さて、個性の多様さにおいて、他者との違い、関係性を強く表出する性格特性が、自己効力感と自分本位性です。(以前のエントリーで「効力感と社会性」を取り上げましたが、社会性を構成するのが、自己本位性と他者への関与性です。)

自己効力感は、何回か取り上げていますが、「結果予期」(きっとうまくいく)と「効力予期」(自分にできる)という2つの将来予測について達成可能性を感じる傾向性です。

積極性や達成志向、課題志向そしてストレス耐性の背景には自己効力感が大きく関わっています。

一方、自己本位性とは読んで字の如く、自分の考えや欲求に固執する傾向です。

この2つの傾向性を理解するとその人の「問い」の立て方が下記マトリクスのようにわかってきます。

「問い」の立て方は、自己効力感は低くなるほどに拒否感が増し、自己本位性が高くなると目的よりも自己満足感、自己本位性が低くなると当人の目的を流してしまう、漂い感が増してきます。

このように「問い」の立て方には性格特性が影響していますから、自分の運命を拓くためには、自分や自分の状況をよく知り「問い」の立て方自体を「問う」必要があるようです。

なお、簡単な自己チェックは以下の質問でできます。

自己効力感:質問)本心では自分は何事もやればできると感じている
      回答)はい、どちらでもない、いいえ →高、中、低
自分本位性:質問)周囲に抗う、自分が正しいと思うことを主張している
      回答)はい、どちらでもない、いいえ →高、中、低




「問い」の立て方いろいろ





2015年8月11日火曜日

直近効果に気をつけろ! 認知バイアスをコントロールする方法

議論や討論にかぎらず対話や会話を行っている時、直前の出来事に自然と引き寄せられて話を展開していることがあります。

事実としてはそれほどクリティカルでもないのにとても大切な事と考えてしまう、それを「直近効果」と言います。

例えば、人事評価を行う際に、ごく最近、手柄を上げた人と、ミスを犯した人では、評価対象期間全体での実績に違いが無くても評価が変わってしまう、というものです。

ですから、評価者研修などを行う場合は必ず教わる認知バイアスの一つでもあります。

さて、人は、無意識のうちに「こと」の重要性を評価していますから、「直近効果」をコントロール出来ると、フェアで、より重要な判断が下せるようになるのです。

では、どうやってコントロールするかというと、時間があるのであれば間をとることが有効です。「一晩寝かせる」というやつですね。

睡眠中の脳の活動で、一度、評価の背景を整理して貰うことで、直近の「こと」ゆえに強く意識に焼き付いているものを剥がす効果が期待できます。「判断を一晩先送りする」と方法も分かりやすいです。

一方、時間が無い(その場で評価を下さなければならない)ときはどうすれば良いのでしょうか。

私は、2つの方法があると思います。

1つは、他者の受容(Full Acceptance)です。他者の力を借りて、自分の「直近バイアス」を越える方法です。受容→意味化によって、直近よりも更に新たな選択肢を得る方法です。

もう一つは、「直近バイアス」を日々、記録しておくことでメタ認知する力を身につけておくことです。自分の考えを客観視することが出来るようになります。また、メタ認知の力は、「作話力」も高めてしまうので記録を残し、見返すことは大切です。

「あの時はそう思ったのだけど・・・」

こうした不毛な評価や判断を減らすことは出来るのです。


メタだワン



2015年8月10日月曜日

女性の活躍を考える

大学時代、選択した白井厚教授の授業でメアリ・ウルストンクラフトの「女性の権利の擁護―政治および道徳問題の批判をこめて」を読む機会がありました。

200年も前の本でしたが、女性の自立を阻む男性の低俗な愛情といった指摘には驚きとともに深い感銘を受けたことを記憶しています。(訳者の白井尭子氏は白井教授の奥様だったのですね)

本は男性と女性の行動の原理が異なることについて記述されていたと記憶しますが、自分が本を読んだ時、30年後に、また本の内容を思い出すとは考えてもみませんでした。

本を思い出したのは、最近の「女性活躍」に関する議論によってです。

さて、今日の日本社会での「女性活躍」を単なる質の高い労働力の確保と考えるのは間違っています。

世界の目を向けると、全世界的な取り組みとして「国連グローバル・コンパクト」の枠組みでは、人権の保護の一環として、「女性活躍」が取り上げられており、その潮流は強くて早いものです。

その考え方は、グローバルかつ現実的です。

現在、企業の活動はグローバルネットワークに支えられていますが、バリューチェーンと呼ばれる、価値創造の連鎖のどこかで、人権が守られていなければ「アウト」というのがグローバル・コンパクトの中に記述されています。

つまり「女性活躍」とは、国際社会で日本企業がこれからも活動し続けるための条件となるのですね。

そこで問われているのは、ウルストンクラフトが言う、同一の行動の原理は当然の事として、さらにその結果の厳密な査定(デューデリジェンス)です。

女性と男性の管理職の比率もその対象です。

「男性も女性も制度は一緒です」では通用しないのですね。

これは、企業経営者や男性だけでなく、女性にとっても強い外圧となります。

意欲、動機の強い人だけが管理職として活躍すれば良いのではなく、今の仕事で組織を支えている人たちも管理職を展望する必然性が出てきたのです。

中国のように、共稼ぎが一般的で、女性も男性とキャリア意識が同じであれば問題ないのでしょうが、日本の現状はキャリア意識だけでなく、核家族化からはじまって雇用関係、育児環境など、就労を妨げる様々な社会的状況がありますから、何から手を付けるべきなのかも混沌としています。

人は環境を足場として能力を発揮しますから、本人と環境、相互の条件が整う必要があり、結局は両方同時に考えなければならないのだと思います。


女性がいない

2015年8月9日日曜日

我慢してる? 社会性の発揮に必要な賢さとは

「拡張する脳」藤井直敬著 の中に、面白い実験の結果が載っています。

力の差があるサルを二匹並べて餌を置き、餌を取る時の脳の働きから、サルに起きていることを確かめる実験です。

机の角に並んで座らせると、お互いの手が届く場所が生まれます。それは二匹のサルにとって社会性が発生する場所です。

基本、力のあるサルが社会性の生まれた場所の餌を取るのですが、力の無いサルは、利き腕でない左側に社会性がある場合、右腕に集中して左腕の意識を下げることで争いが起きることを未然に防いでいる、つまり、我慢していると思われることがわかったそうです。

力のあるサルの脳はいつもと変化がありません。

一方、力のないサルの利き腕の側に社会性がある場合、利き腕が側に社会性がある力のあるサルにの脳に変化が生じて、我慢が生じるのだそうです。

そして、力のないサルは、隙を見て餌を取ります。自分の弱みと相手の強みに組み合わせによって変化が起きるのはとても興味深いことです。

それらの状況から考察して、ほんとうの賢さとは、いつでも好きなことができる上位のサルではなく、我慢を適切のコントロールし、生き延びる下位のサルであると著者は述べているます。

この話に思い当たることが色々とあります。

例えば、「ほんとうの賢さ」はクリステンセンが展開した「イノベーションのジレンマ」にも通じていそうです。しかし、サルの世界と異なるのは、賢さの発揮によって力関係が逆転することでしょう。我慢の過程において学ぶことで賢さを成長させているのですね。

一方で、力がないにも関わらず我慢をコントロール出来ない人もいます。仕事的に言うと自己管理が出来ない、ということになります。

冒頭の実験になぞらえると、力がなく、賢さもない、となると残念ながら社会性が強く求められない場所でしか生き延びられない、ということになりそうです。

賢さを発揮、成長させるには、まず我慢できるか否か、なのかもしれません。


この暑さは我慢できない・・・37.7度の東京

2015年8月8日土曜日

自己申告 本当の意図がある場所は?

日本の多くの企業は自己申告の仕組みを導入しています。

自己申告の仕組みは、正社員化や異動を含む職種変更など、キャリアに関わる大きなものから、MBO(目標管理制度)における目標の申告など日常の業務に関わるものまで多岐に渡ります。

自己申告といっても、双方に思惑があって設計通りに機能しないことが多いようです。

そこには非合理的な意思決定があるためで、一方でそれを見抜く力も求められます。

どんなゲームが行われているのか理解と対処が必要となるのです。

それは思惑だけでなく、力関係、政治、そして相性、誤認、性格といった様々な要因における複雑なゲームです。

ゲーム理論で言えば、「戦略的意思決定」ですが、相性、誤認、性格に関しては非戦略的なので混沌としてしまうのでしょう。


それで言えば、自己申告通り本当に能力をもっているのかという問いは、どんなに力を持っていても、発揮できるか否かは本人次第なのですから雲を掴むような話なのかもしれません。


カオス



2015年8月7日金曜日

灼然の夏の日のがちゃトークナイト 素敵な夜に言葉はいらない? 

第一金曜の今日は、対話の場、がちゃトークです。

今日のがちゃトークは、久しぶりに生みの親の長岡先生と加藤先生が揃い踏みし、素敵な夜となりました。

対話のテーマは「共感」。

対話したのは
「共感」と「同調」の違い
「共感」を得るコツ
の2つです。

この対話を通して考えるのは、「何を対話するのか」ではなく「なぜ対話をするのか」ということでした。

「内省」には、Self-reflectionという「一人内省」がありますが、「対話」には、自分以外の他者が必要です。

対話によって他者の力を借りて自分を掘り起こすのです。

場に集う人は、確実に自分と異なる存在であり、それぞれに思考、信条、背景があります。

その全てが自分を掘り起こすスコップになるのでしょう。

そして掘り起こしているのは、自分の中の渇き、と言えるかもしれません。


「対話」は言葉でするものではない、ということに気づいた素敵な夜でした。


な、中村さんが写っていない・・・


2015年8月6日木曜日

AIが獲得し、人が失う力 AIの成長に人は勝てるのか

人工知能(Artificial Intelligence)がDeep Learningという学習方法を得て、ハードウエアの高性能化とともに爆発的に進化を進めています。

画像認識、音声認識という技術はすでに実用化され、さらにマルチモーダル認識(人間で言うところの五感)、自動運転などもう手の届くところまで来ています。

やがて感情認識、翻訳などが実現し、秘書もAIが行うようになると言われます。

この近年のAIの進化において、auto-encorderという技術によるブレークスルーが大きな役割を果たしているそうです。

AIが行っているのは、高速な演算ですが、どのような演算を行わせるかが重要です。

そして、auto-encorderが行う演算は、入力層と出力層が同じ、という一見、不思議な演算です。その内部で行われているのは、一度、入力を圧縮し、それを復元するもので、入力と出力が同じになるように圧縮された中間の情報は、入力の特徴を表象しているのです。

つまり、構造化された情報が統合、概念化されているわけです。

Deep Learningは、この「隠れ層」と呼ばれる部分を多くの学習を積むことで精度向上させていきますが、この学習の速度がとても早いのがAIの高速な進化の特徴です。また、その学習内容を人は理解することができません。

リフレクションのプロセスに例えれば、事前構造化(Pre-structuring)、経験の利用(Using experience)、構造化(Structuring)までが入力層、焦点化(Focusing)、
理論化(theory)が隠れ層ということになります。

人は、焦点化、理論化がつぎの行為の選択肢を導き出すために、言語化して理解できる状態にしなければなりません。また、そもそも入力をエンコードするための思考速度もAIに比べたら大きく劣ります。

そしてAIの「思考」はすごい速さで成長している一方で、人(日本)は「問題解決症候群」に代表される思考停止状態が危惧されているのです。

将来的に、AIに対する人のアドバンテージは、つまり、入力層<出力層となるような、価値化、パラダイム転換、イノベーション、人に対する高度なインターフェイスとなることが予測されますが、そのためには、自律し五感をフルに活用して情報を集め、それを統合(概念化)する力が必要です。

人はAIほど、多量、高速に処理はできませんから、質が高く差別性のある情報を独自性の高く統合すれば良いのだと考えます。

詰め込みや合理的思考(誰でも同じ答えになる)は、もはや大きなリスクである、と言えるのかもしれません。


背比べ


2015年8月5日水曜日

自分が変わるために何をしますか? パーソナリティに一貫性を与えると言われる5つのメカニズム

「パーソナリティ特性」とは、「異なる場面において予測可能な行動の傾向性」であり「外からは見えにくい人の内面情報」です。

その一貫性に関する仮説の代表的なものは以下の5つです。

1.生育した環境
2.遺伝
3.性格因子
4.状況への適応
5.自己同一性の確立

しかし、これらは独立した要素でありながら、相互に影響、干渉しながら一貫性を形成すると考えられています。

例えば、子供のモチベーションの40%は遺伝であるという研究がありますが、遺伝以外の要因も大きく関わっていることがわかります。

仮説は主に、発達過程、周囲の環境が果たす役割、キャリアやライフイベントなど様々な出来事に彩られる人生の道筋などによって理論化されていますが多くは一貫性の形成と対になって可変性についての言及がなされています。

要は、「変わらないところ」と「変わるところ」ですね。

例えば、「変わるところ」で言えば、レイオフが当たり前の欧米の企業のように、生存競争が厳しい状況では、形成されるパーソナリティは自律的になり、レイオフが珍しい日本では協調的になるといったことが挙げられます。

また、加齢とともに「変わらないところ」が増える(安定性が増す)ことも確認されていますが、可変性の減少は成長の鈍化と言えなくもありませんから「何によって自分は変わるのか、変われるのか」という問いは30代以降にとってとても重要なものです。


かわる、かわらない どっちの 「か」?

2015年8月4日火曜日

メタな世界 ジオ羊たちの沈黙

「学び」を学ぶ といった入れ子構造で物事を認知することを「メタ認知」と言います。

もう少し、定義らしくすると
”人間が自分自身を認識する場合において、自分の思考や行動そのものを対象として客観的に把握し認識すること”(Wikipedia)
となるそうです。

そんな、頭がぐるぐるしちゃいそうなメタ認知の世界ですが、分析の世界には"meta-analytic tequniqes"(メタ分析技法)というのがあります。

どんな分析かと言うと、多数の研究結果をまとめて研究をする、というものです。

例えば、「子供から大人までのパーソナリティ特性の変わり難さ」(W.Roberts F.FelVecchio 2000)では、152の研究と研究結果である3217の相関係数を使って研究を行っています。

目的の研究をゼロから行うとなると、それこそ0歳児から70歳過ぎの高齢者まで、データをたくさん集めて膨大な分析なければならず、気が遠くなる話です。ですから「メタ分析」を使うのはとても良いアイデアです。

研究成果を客観的に把握する研究。

メタな世界には大きな可能性が秘められてそうです。


ガラス瓶の中の苔テラリウムの上で羊は何を想うのだろう



2015年8月3日月曜日

成長を待っていたら間に合わない? 人材開発が直面する課題とは

最近、お客様と議論をしていてよく出てくる言葉に「人材プール」があります。

これは、組織において次のマネジャーや中核人材となる候補を増やす(貯める)ことを指したものです。

一方で、「課長にすらなれない40代の現実」のように、管理職のポストは減っていく方向にあります。

この2つの事実から見えてくるのは、ブールしたいのは数でなく質である、ということです。

一方で疑問が湧くのが、ポストが減っているのになぜ、候補を探さなければならないのでしょうか。

以下のような理由が考えられます。
1.退職リスクのマネジメント
2.より高次な人材へのニーズ

特に、2については、これまでより効果性の高い人材開発とセットで語られています。期待は従前とパラダイムの異なるパフォーマンスの発揮にあるのでしょう。

グローバル、ローカル、製造、情報サービス、金融、様々な側面において事業環境の変化は激しく、人材においても多様化、流動化が進む一方で、複雑で困難な事業推進への即応性のニーズが高まっていることが背景としてあるようです。

生産性の管理から、戦略人事への視点転換、そして価値創出人材の輩出へと人材開発が担うミッションは大きく変わっています。

取り組み事例としては「ヤフーとその仲間たちのすごい研修」(地域の課題解決を通したリーダーシップ開発研修)などがその典型でしょう。

それらを見ると、人材開発自体がパラダイムの異なる高次なパフォーマンスが求められている現場であると言えるのだと思います。


パラダイムシフト

2015年8月2日日曜日

出川さんのはじめてのお使いが教えてくれる質問のあり方

日本テレビで放送しているバラエティ番組、「世界の果てまでイッテQ!」で、”ご意見番出川のはじめてのおつかいinイギリス”というコーナーが放映されました。

英語を話せないタレント出川さんが英語圏の国で、与えられたミッションを達成するというものです。

バラエティですから、エンターテイメント性の演出で編集が行われていることは間違いありませんが、非常に少ない語彙で現地の人と会話をしようと試みる姿には真剣さが伺えます。

出川さんは、現地の人から言葉を引き出そうとする際に、"Come on!”とか"Say,say!"とか、命令調の英語を使ってしまいますがそれでも目的としていることを聞き出します。

一方、帰国子女で英語が堪能な河北麻衣子さんは、「世界遺産」の遺産(Heritage)という単語を知らず、イギリスの5つの世界遺産のうち1つしか聞き出せませんでした。

相手を気遣った通じる丁寧な言葉での質問よりも、自分の目的を遂げるための言葉が通じない質問のほうが達成志向である、と言えるのでしょうか。

この問いには、考えなければならない視点があります。

それは、質問に答えた人の善意です。

いみじくも番組の中で出川さんの質問に答えていた人が、バスに乗り遅れて怒り出すシーンが放送されていました。

”なんで私ばかりに質問するの?おかげでバスに乗り遅れてしまったじゃない!!”

まさに、善意が限界を超えた瞬間です。

「質問とは、相手に善意に支えられた行為である。」

達成志向でガンガン質問をぶつけることによってその人の目的は達成出来るかもしれませんが、それは相手に支えようとする多くの善意があるからなのですね。


支えらている事を忘れてはいけない

2015年8月1日土曜日

段取り出来る人、出来ない人の違い

仕事をする上で、段取り、算段が出来る人と出来ない人が居ます。

その違いは何でしょうか。

日頃の観察からの仮説は、仕事の領域の違いです。

例えば、問題、課題があった場合の動き方で、段取りが出来る人は問題、課題に対して誰に言われるとも無しに身体を動かします。一方、段取りが出来ない人は、身体を動かしません。

朝の行動に例えると
1.余裕を持って出社しボランタリーを発揮して仕事を行う
2.余裕を持って出社するが自分の仕事のみを行う
3.余裕を持って出社しまず周囲の人と関わる
4.ギリギリに出社し自分の仕事を広げる
の4パターンがあったとき、段取り力が高いのは、1、3、4、2の順番です。

1は、余裕をもって自分の仕事だけでなく自分が出来ることを考え行動しています。

2は、時間(余裕)があるにも関わらず、自分の事にしか意識が向いていない人で、段取りなど”Out of 眼中”です。

3は、まだ、余裕があり、必然性が高まれば段取りを行える可能性があり、また、実際に発揮出来るのでしょう。

4も望みは薄いですが段取り力を発揮する可能性があります。しかし、やはり段取りは上手でないようです。

企業の新卒採用活動もいよいよ佳境ですが、入社前に応募者のパターンが見極められると良いですね。


段取り力=使える度