2015年6月30日火曜日

言うことを聞かない人に言うことを聞かないまま楽しませる方法って?

女優の宮沢りえさんは、私たちの世代にはとても身近な存在です。「三井のリハウス」というCMで見た姿は記憶に残るものでした。

その後、様々な活躍で公私ともに脚光を浴び続けて来た宮沢りえさんは、最近、ヨルタモリという番組でタモリさんと一緒に様々なゲストと軽快なトークを繰り広げています。

その番組の中で、りえさんの言葉がとても印象的でした。

”言うことを聞かない人を、どう、言うことを聞かないままで楽しくさせるかっていうことを考えるじゃないですか”

この発言は、子育てをしている中で得た実感だと思われますが、マネジメントの本質と相通じるものありそうです。実際、りえさんも、この経験が芝居にとても役立ったと言ってました。

マネジメントとは「他者により目標を達成すること」であり、その核心には、自分とは異なる誰かの存在があります。それは、思い通りにはならない他者です。

さて、我が子と言えど、確立したひとつの尊い人格として、言うなりには中々なってくれません。

最近、立派に成長し父親になった息子から、「お父さんはなんで僕のことを昔あんなに厳しく叱ったの?」と聞かれ、どきっとしました。

言うことを聞かせようとしていた自分の姿が見えた気がしたからです。
当時、自分の意識では子供の人格を尊重していたつもりでしたが、それは勝手な思い込みだったのかもしれないと考えてしまいました。


音楽座ミュージカルのたまさんは、「他人の力を借りて殻を破ること」をワークを通じて教えてくれましたがりえさんの言葉も同じ印象です。

逆に、自分の力を振り回すことは「自分の殻に閉じこもること」でもありそうです。


果てしない空へ 出会いを求めて♪
・・・願いを込めて



2015年6月29日月曜日

人は変われるのか という問いの背景にあるもの

結論から言えば人は変わります。

それは、データからも、観察からも裏付けできます。
それなのになぜ、繰り返し「人は変われるのか」と問われるのでしょうか。

通常、多くの人は持続的な一貫性を持っていてます。

その一貫性は、 性格、習慣などと表現されますが、習慣に関してはビッグデータを活用し、行動の80%以上が習慣として予測可能であるとの研究結果もあり、私たちは自分が考えているよりもずっと習慣的(繰り返し)であるようです。

そして、人は残りわずかな可変性を手掛かりに、自分を変えているのです。

それを考えると、グーグルの20%ルールは、合理的な仕組みだった(もう、機能していないそうです)と言えるのでしょう。

さて、「人は変われるのか」という問いには、潜在的な方向性が潜んでいます。

つまり、社会的、組織的、家族的に望ましいと思われる方向です。

もう少し砕いて言うと、他者とのより良好な関係を築き貢献することです。

これは「変わる」ことに対して、価値基準に沿った限定性を与えるものです。

結果として多くの場合、「人は変われるのか」という問いは、シンプルに可能性の問題であるというより価値基準の衝突の問題であるのでしょう。


切られても伸びる



2015年6月28日日曜日

自己肯定感、効力感、有能感 微妙な違いを考えてみる

大学生の自己肯定感と生活習慣に関連があるという研究結果がありました。

食前の「いただきます」と自己肯定感に関連があるというのも面白い結果ですが、こんなブログもありました。

自己肯定感が低いんです、は、あいさつだと思っている

自分自身に対する自信の低さを「自己肯定感が低い」という合言葉で共有している学生の現状を捉えたエントリーですが、確かに自分を表現する言葉としてはあまり適切でないように思えます。

さて、肯定感に似た言葉で、効力感、有能感があります。

肯定感は自己の存在に関する感覚です。

効力感は、「結果予期」と「効力予期」から成る、達成に関する感覚です。

有能感は、自分が他者よりも優れた能力を持っていると思う感覚です。

これら3つには強い関係性がありますが、教える、育てる、役割を与える、といった関わり方をする場合には違いを考える必要があります。

経験から言えば、肯定感が低ければ承認してあげる必要があり、効力感が低ければ達成目標を小さく刻む必要があり、有能感が低ければ出来ることに焦点を当ててあげる必要があるようです。

逆に、肯定感が高ければ自主性にまかせ、効力感が高ければ期待を持って高い目標を促し、有能感が高ければ難易度が高い役割を担わせると良い結果を生むのですが、効力感と有能感に関しては、本人の感覚と実践能力にギャップがあるケースが少なくありませんから的確な観察とフィードバックが重要です。

その際、ギャップに気づき、自分を変えようとする人は良いのですが、往々にして謙虚さに欠けるので関わりが難しくなります。

そもそも、これらの感覚は幼少期からの他者の関わりによって育まれる部分が大きくあります。

「やる気」の40%が遺伝という研究結果もあるように、自己に関する感覚は環境に影響されています。

「私は何者か」と語る前に「私はどこから来たのか」を点検する必要があるのです。

冒頭の「いただきます」は、他者との関わりを示す基本的な言葉です。

「おはようございます」「いただきます」「よろしくお願いします」「ありがとうございました」

自己点検をする際には、まずは、こういった言葉を適切なタイミングで他者がしっかり認識できる形で使えているかチェックすることから、自身の肯定感、効力感、有能感の内省(「私はどこから来たのか」)をはじめると良いでしょう。


私はどこから来たのか

2015年6月27日土曜日

ロボット、AI、ものにも心? これから向き合わなくてはならないもの

ソニーが開発、販売したロボット犬AIBOのサポートが終わり、動かなくなったAIBOの修理を行う元ソニーの技術者や、集団葬儀を行う話などがネットに流れてきます。

ロボ犬・AIBOの集団葬儀 住職「ものにも心がある」

ものにも心はあるのでしょうか?

最近は生命を有さない「もの」の心を描く映画が数多くあります。

「A.I.」「Her」「トランセンデンス」などなど、よりリアルに「もの」の心を描写する映画を見ていると、共通しているのが、「もの」が心を持つことで自我や存在に対する問いと葛藤が生まれることです。

「鉄腕アトム」「ドラえもん」「ベイマックス」などアニメで描かれる擬人化したロボットは、割りと気軽にこの問いを乗り越えるのと対照的です。

そもそも、作品の主題は意図を持って描かれている訳ですから、人類共通の「よくわからないものに対する不安心理」とテクノロジーの未来を関連づけるのは現代の王道なのでしょう。

様々な「もの」に神が宿ると考える日本人にとって、「ものにも心がある」と受け止めることは比較的容易であるかもしれません。◯◯供養と呼ばれる行事も多くあります。

しかし、そういった、感謝や祈願を込めることと、思考の獲得による自我の目覚めは異なります。

では、私たちの自我はどこから来ているのでしょうか。

そのメカニズムもまだ解明途上ですから、ほんとうに「ものにも心がある」かどうか、確かめることは出来ないでしょう。

また、もし、有機体の本質がネットワークシステムだとしたら、鉄道網や交通信号システムはすでに「心」を持っていて、私たちとあまりに形態が違うので私たちには理解できないだけなのかもしれません。


心が見える?


2015年6月26日金曜日

プロジェクトマネジメントのツボは”やりきる人”

世の中には様々なプロジェクトがあります。

最近話題になっている、2020年東京オリンピックに向けた新国立競技場の建設もひとつのプロジェクトです。

しかし、どう見てもまともなマネジメントが機能しているとは思えません。

戦後、日本社会は成熟したはずでしたが、合理性のかけらも感じられません。どうしてしまったのでしょうか・・・個人的には、あのゴテゴテデザインは前時代的に感じてしまいます。

さて、様々なプロジェクトを通じてわかることは、プロジェクトは全て、その中心者の力量に掛かっているということです。

そして中心者とは、発想、管理、実務、支援の能力を備え、その中でいすれかの強みを発揮する人です。ですから、お互いに補完して全ての能力を発揮するのが最強のプロジェクトチームと言えるでしょう。

一方、プロジェクトを阻むのは、飽きっぽさ、執念の欠如、興味関心へのこだわりといった独善的な自己中心性であるようです。

特に危険なのが、アンカー意識の欠如です。

要は、言いっ放し、ですね。


支え合うから成り立つ世界

2015年6月25日木曜日

音楽座ミュージカル再び そして、リフレインが叫んでいる

数多いユーミンの曲に中でも「リフレインが叫んでいる」は懐かしい曲です。昭和が終わり平成が始まるタイミングに発表されたこの曲は、ある意味、昭和のリフレインだったとも言えるでしょう。

さて、今日は、年明け1月7日に参加した経営学習研究所、MALLのイベントに参加しましたが、講師力パワーアップセッションと名付けられた音楽座ミュージカルの研修デモをまさにリフレインの如く、再び味わう場となりました。

印象的なコンテンツにもう一度触れることが出来たので、いよいよ自社の研修に取り上げなくてはならないかな、と思いつつ、1月と比べ、今回の違いを考えたりしていました。

プレゼンの内容が同じであって、受け止め方が変わっているとしたら、
1.学習効果
2.自分の変化
この2つが考えられます。

あ、懐かしい、これ知ってる、この後は・・・と感じる部分は学習効果です。

一方で、このプレゼンの本質はどこにあるのだろうか?とか、プレゼンを見ている人の意識がどこにあるのだろうか、と少し俯瞰的に見ている姿は、学習効果もありますが、自分が変わったことによるものなのかもしれません。

それは身体性によって生まれる感覚や感情の開放感ではなく、実践の視点です。

実際、今日一番、印象に残ったのは、音楽座ミュージカルを研修に導入したインテリジェンスの武井さんが仰っていた、「やり方ではなくあり方に共感したので導入した」というお話でした。

 D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?
われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか

プレゼンで投影されたポール・ゴーギャンの言葉を「心・技・体」と展開する音楽座ミュージカルさん(たまさん)の発想もすごいのですが、自分はリフレクションのアプローチとして捉えたいと思った夜でした。


昭和が此処に


2015年6月24日水曜日

ポジティブ・フィードバックの功罪

病理現象を対象として発展した心理学に対するカウンターとして、ポジティブ心理学やフロー理論が広まってから20年近くが立ちました。

「私は褒められると伸びるタイプです」

と公言する若者も増え、「そうなのかなぁ・・・」と違和感を持ちながらも、目標管理制度では、拡張・達成・満足の拡張−形成理論を自然に前提としており、結局は良いとこ取りになっているようにも思えます。

さて、ポジティブ・フィードバックが唯一有効な関わりの手段であるかといえばそれは間違っているようです。

ポジティブ・フィードバックを多く受けて来た学生は、話をすると自信や効力感の高さが伝わって来ますが、それが、学びに対する主体性や高いキャリア意識に結びついているかと言えば自分の知る限りでは疑わしいと感じています。

もちろん、単にそう言う学生と出会っていないだけなのでしょうが、問題だと思うのは、社会人においても、この根拠の無い自信や効力感が本人の内省促進と自己革新において結構、厄介な存在になってくることです。

内省は、支援者が居たとしても、当人が気づき、意味づけを行うものですから、ポジティブな面だけでなく、ネガティブな面にもしっかりと目を向ける必要があります。

これは、当人が見つけるものです。周囲の人のフィードバックは、周囲の人がどう感じるのかであって、当人が感じていることではありません。

そして、当人が適切に内省を行えるようフィードバックを与えるのが周囲の関わりと考えれば、ポジティブなフィードバックだけでは片手落ちであることが明白でしょう。


なにを考える?

2015年6月23日火曜日

人と向き合って仕事をすることとPCに向き合って仕事をすることの違い

多くの時間を分析と結果の評価で過ごした昨日に比べ、今日は、人と向き合う一日でした。

昨日と今日を比べてみます。

楽しさ
人と仕事:なんと言っても他者とのコミュニケーションです。
PCで仕事:分析結果、係数が0.3上がった時です。

難しさ
人と仕事:その人の言わんとしていることの本質を理解することです。
PCで仕事:意味のある分析結果に辿りつき真実を見つけることです。

戸惑うこと
人と仕事:会話のきっかけをどう持つか、ですね。
PCで仕事:最適と思われる未経験の方法を習得することです。

身体のこと
人と仕事:消化が良くなります。
PCで仕事:何だか胃もたれがします。

疲労感
人と仕事:身体が疲れますがアイデアが湧きます。
PCで仕事:目が疲れ、アイデアが枯渇して頭が空っぽになります。

これらを眺めると、楽しさは「達成感」、難しさは「探求心」、戸惑いは「出会い」と共通点がありますが、身体、疲労感といった身体性に関しては大きく異なっています。

やはり人と向き合うということは身体を張ることであるようです。


外はどしゃぶり

2015年6月22日月曜日

データと言葉の狭間で過ごす日

言葉はあらゆるものを変化させ、概念形成を可能にし、データは創発する世界を記述する。

言葉の定義とデータ分析の結果を行ったり来たりしているとそんな印象を受けます。

データには曖昧さがありませんから、ちょっとした努力や工夫で出て来る結果は明確です。

一方、言葉は抽象度が高く概念性に優れますが事象を的確に伝えるには難儀します。

こーでもない、あーでもない。

「ことばをあたえる」ことは難しいことです。

そこでデータの方が絶対的に事実に近いのですが、どうしても言葉に合わせたくなります。

いや、ちがう。

そして、事実と真実の狭間を行ったり来たりするのです。


あしたの天気は?

2015年6月21日日曜日

自分を自分で点検しよう

新たな情報に接した際に、考え、感じ、欲すること。

本人の中でスムーズに沸き起こるこれらの思考、感情、欲求、その人らしさを表象するものです。

知覚は行為をより強化する方向に行われているという考え方がありますが、情報に接して最初に沸き起こる思考、感情、欲求は新たな行為を引き起こすのではなく、その人の顕在化している行為を強化する方向に沸き起こっている、というものです。

この考え方には納得性があります。

同じ情報に接した時に人の反応は異なります。事実は1つでも真実は人の数だけあるのです。

そしてその反応は異なる状況でも再現される傾向が極めて高いものです。

例えば、性格検査のようなアンケートに答える状況と、様々な仕事の場面であらわれる行動に一致が見られるのも思考が行動を強化する方向で生じていると考えれば不思議ではありません。

逆に捉えれば、「思考、感情、欲求は事実にバイアスをかけている」ということになります。

国語教師として教育に尽くした大村はまさんは
「一番先に浮かんだ言葉は使わないこと。だぶんそれは自分の癖だからいつも同じことを言っていることになる」(刈谷夏子著 「大村はま 優劣のかなたに 遺された60のことば」 より)
とおっしゃったそうですが、まさに、自分の持っているバイアスを理解されていたのだと思います。

そして、自分自身を点検するためには、最初に沸き起こった思考、感情、欲求を知覚する必要がありますが、それらによって強化される行為、「考えてしたこと」「感じてしたこと」「欲してしたこと」をセットにして点検することが大切なのです。


「自分」とは?

2015年6月20日土曜日

チック・コリアのSPAINを想う夜

「SPAIN」というチック・コリアの楽曲を初めて聞いたのは、1979年のLive Under The Skyという野外のJAZZコンサートで、ジャズ・ピアニストのチック・コリア自身が演奏したものでした。

元々、アランフェス協奏曲が大好きでしたから、イントロが始まっただけで毛が逆立ちました。

そして、アル・ディメオラ(ギター)、バーニー・ブルネル(ベース)、トニー・ウイリアムス(ドラム)と組んだカルテットの演奏は、スピード感と哀愁のあるメロディラインで強く引き込まれたのを今でも思い出します。

その後、ライブの録音がFMで放送されたので、それをテープに録音し何度も何度も聴き返していました。

このテープは、ディメオラが演奏を間違えたのもしっかり録音されており、それもご愛嬌でしたが、後日、この録音がCD化されているのを知り即、購入し、今ではディメオラの間違いを百回以上聴いたことになります。

また、歌詞がついたアル・ジャロウの唄も良く聴いていましたが、「SPAIN」は多くのミュージシャンにカバーされています。

久しぶりにライブでこの曲を聴いたいのもジャズ・バイオリンの寺井尚子さんのライブです。

寺井さんのパワフルなバイオリンは曲の持っているエネルギッシュな一面を見事に引き出していました。

今夜は、iTuneにストックされている各種SPAINに、Youtube検索でヒットしたSPAINを聴き比べる SPAIN Night です。


36年前かぁ・・・




2015年6月19日金曜日

キラキラしているけどフローではない目

チクセントミハイは、時間感覚が変化し、急速な学びが進む状態を「フロー」と表現し、フロー理論を打ち立てました。

リフレクション学のコルトハーヘン教授は、コア・リフレクションという、その人の内なるポテンシャルを引き出すリフレクションにおいて「フロー」の考えを取り入れていました。

そして、コア・リフレクションを支援する際には相手の目を見ることの大切さを語られました。

目を見て相手のコアに気づくのです。

リフレクションのスペシャルワークションを受けてから、相手の目を良く見るようになり、気づいたことがあります。

目の輝きが映し出すものはその人のコアに限らず、実に多様であることです。

ポジティブ、キラキラなのに、時間も変わらず、学びも起きていない、そんな目に宿るものは、フローではなく、「恐れ」なのかもしれません。


気づくこと

2015年6月18日木曜日

恐れ多くも、アカデミックとプラクティスの違いなんぞを考えて見る

こんなことをブログに書いたら叱られそう、というお題なのですが、アカデミックとプラクティスの違いを考えてみます。

とはいっても、私はアカデミックではないので東大中原准教授のブログ「「腰痛とは腰が痛い」的な「問題解決」していませんか?:問題解決に密かに潜むトートロジー!?」から「「問い」をたてる」という命題をお借りしてみます。

問題解決における問題設定の重要性、難しさを述べられているのですが、プラクティスにおける問題解決は、プロブレム・イシュー・サブジェクト・テーマのレイヤーで捉えています。

で、何が違うのかというと・・・よくわかりませんが、先日とあるプロジェクトの骨子を共有した際に「問い」の立て方が甘いととある教授から指摘を受けましたので、研究のアプローチとしては不十分なようです。

一方、その実践では、より深いレイヤーの課題に踏み込んでいますから問題解決のプロセスは進行していると言えるでしょう。

言葉は一緒だとしても、研究における「問い」においては質が、実践における「問い」においては進捗が潜んでいるのかもしれません。


提示と行為 どっちが気になる?

2015年6月17日水曜日

「会議の本質」と「会議の進め方」と「討議の運営」は異なるのだ

多くの人が集う会議の出来は、生産性に直結する重要な問題であることを以前にも触れましたが、一言で会議と言っても構成される要素は複数あります。

その中でも重要なのが
1.会議の本質
2.会議の進め方
3.討議の運営
です。

会議の本質とは言うまでもなく

「何のために設定された場」

です。

その会議の役割と成果の設定ですね。

会議の進め方のポイントは,

1.ゴール。会議の目的をきちんと伝える
2.要望。参加者に何をしてほしいのかを伝える。参加者のメリットも伝えられると集中度が高まる
3.進め方。議論をどのように進めるのかを伝える。参加者の意見をいつ聞くか伝える。

の3つ挙げることができます。

そして以下が「討議を運営」する際の評価ポイントです。

1.討議を始め、軌道に乗せる
2.挙手と発言を適切に扱う
3.ファシリテーターの言動と態度
4.教育目的の達成に向けた努力(育成視点が入る場合)
5.板書の計画
6.ラップアップ

「何のために、あるべき姿にむけて、具体的にどうやる」

会議を極める道は億が深いのです。


いちごいちえ

2015年6月16日火曜日

コーホート分析では追いつかない? 人の歴史を紐解くこと

今春、新入社した社員を交えたMTGで、17採用の話をしていて、ふと不思議に思いました。

15採用で入社した彼にとってみて、わずか2年の違いで起きている変化をどう感じていいるのでしょうか。

出生数などの人口動態情報に、年代ごとに起きている共通の出来事、例えば、リーマンショックや東日本大震災を加えて特定の世代におこる変化を把握、分析するコーホート分析という手法がありますが、15年入社と17年入社の違いはそれほど大きな違いでは無いはずです。

しかし、当事者にとってみれば、就活の時期の変化や就職市場の状況は大事です。

この20年で考えれば、産業における情報分野の発展や社会的事件、政治、教育の変化など生活に変化を及ぼす大きな出来事が断続的に、しかも多くの分野を跨ってありました。それを考えると10年単位では荒らすぎて1年単位で世代の背景が考察が必要な状況と言えます。

こうなると、もうコーホートというより個人の歴史を振り返り、紐解いたほうが手早く、正確であるようです。何故なら、最終的にはひとりひとりの理解が大切になっているからです。

ダイバーシティには「価値観の多様性」の側面がありますが、「人の歴史の多様性」も忘れてはならないようです。


世界にたったひとつの花

2015年6月15日月曜日

資格は解決策とは異なる という当たり前

世の中には様々な資格が溢れています。

中には、資格を持たなければ出来ないこともありますし、特に国のお墨付きとなると信頼の証とも受け止められます。

さて、身近のものでは、「運転免許証」がありますが、免許証を持っているからといって事故や違反を起こさないのかといえばそんなことはありません。

もっとバリューのある資格「博士」でも、小保方さんのようなトラブルもあります。

一方、資格を認定する側にも問題があります。「資格ビジネス」と呼ばれる認定行為から事業収益をあげるモデルです。

こちらにも問題が無いわけではありません。

記憶にあたらしいところでは「漢字検定」の問題がありました。

もちろん「資格」には素晴らしい面がたくさんあります。

「資格」を通じて新たに学び、「資格」をつかって新たに一歩を踏み出す、つまり「きっかけ」としての価値が大きいのです。

そう考えると、どんな「きっかけ」を与えられるのかが「資格」の本質と言えるかもしれません。


梅雨のお供

2015年6月14日日曜日

酒屋の息子はみた 商売の本質に触れることととは

大きな組織で仕事をする中で、どのような世界観を持って仕事に取り組んでいるかは非常に重要であるようです。

ある企業では、「経営者型人材」という表現をしていましたが、要は、経営者の視線を持って仕事に取り組むことが出来るか否かです。

採用場面で言い換えると商人の親の背中を見て育った「商人の息子」です。
どうやらそういう人材が企業で求められているようです。

では、商人の世界とはどのようなものかといえば、単純には「仕入れて売る」世界ですが、そこには大きなリスクが待っています。

それは「売れない」リスクです。

「仕入れたものが売れない」ことは在庫を抱えるリスクですし、「そもそも売れない」のであれば、即、事業存続のリスクをです。

また、それらのリスクの顕在化は生活の基盤を失う、もっとわかりやすく言えば「路頭に迷う」可能性を意味してます。

このリスクと向き合った経験は、仕事に核となる貴重な教訓を与えてくれます。

一方で、その経験を持たない人にとってみればイメージ上ことでしかありません。

さて、近所の酒屋さんは、親子代々で店を守っていますが、息子さんが取り組むプロモーションは「利き酒会の実施」から「利き歩きによる街興し」へステージアップしたようです。

お酒安売りの店が増える中、どうやって顧客の利用を増やすのか、顧客を増やしていくのか、常に考えての戦略なのでしょう。

しかし、彼等のビジネス(酒屋)が成り立たなくなったとき、彼等がどこに仕事の場を求めれば良いのでしょうか。職歴が酒屋であったとき、企業で仕事を経験したホワイトカラーのように中途採用を行う企業にとっての輝かしいキャリアとなるのでしょうか。

そうは思えません。前提条件は、採用とその後の組織社会化であり、+αの経験としてのものです。

一方、残念ながらその経験を切り抜くと跡継ぎを失った酒屋は店じまいをしなければなりません。

商人であった父からは商売の本質は「どんなにやってもあきない(商い)こと」と教わりました。

商売に真摯に向き合う姿勢と本質だけ切り抜き、多くの就活生にインプリメントできると良いのですが・・・


ガタゴト

グローバル化の本質を考えてみる


「女性活躍推進のグローバル・スタンダード」というテーマのセミナーに参加してグローバルとは何かを考える機会がありました。

グローバルに捉えると女性の活躍に関してはWEPsWorld Empowerment Standard)というスキームがあってグローバルに比較できる指標となっているとのことでした。

その本質からグローバル化を、「何を共有するかではなく何が共有できるのか」がポイントであることが見えてきます。

つまり、説明により理解を促すことではなく、事実として公知することしか無いのです。

では、何をすべきか。結構、クリアになる気がします。



クリアに

2015年6月12日金曜日

ナレッジベースシステムに出来上ったものは無い?

問い合わせのやり取りや膨大なファイル情報、マニュアルなどの情報をシステマチックに一元管理したい。

この手の要望を満たすシステムがナレッジベースシステムです。

ここしばらく、ナレッジベスシステムを探しているのですが、良い物がありません。

というより、やりたいことをどう実現出来るのかがわかりません。

グループウエアに準備された機能では単純すぎるし、Wikipediaみたいな仕組みでは、膨大なデータ処理や、メールで来る問い合わせとの連携が出来ません。

ナレッジベースシステムは、「ネットワークで運用される自由度の高い学習機能を持ったデータベースシステム」というのが今の自分のイメージなのですが「ネットワーク」「自由度」「学習機能」「データベース」を統合することは中々困難なようです。

実は、これはシステムに限った話ではありません。

「ネットワーク」「自由度」「学習機能」「データベース」を統合して仕事をすることは非常に高度で困難です。

外に大きく開いた人脈、創造性と具現化力、常に学び革新を続ける力、膨大な情報から瞬時に発見する力、これらを組織全体で発揮すると考えれば難しさがわかってきます。

どうやらあまり高いレベルでシステムの要件を考えないほうが良さそうです。


一元化

2015年6月11日木曜日

NO MUSIC, NO LIFE. そして「音楽」はどこへ

タワーレコードの袋に描かれた"NO MUSIC, NO LIFE."は、同社のHPを見ると1996年からだそうです。

今からおよそ20年前ですが、当時は日本レコード協会の統計によると、音楽ソフトの生産数が4.7億枚とピーク(1997年4.8億枚が最大)を迎えた絶頂期です。(2014年は半分以下になりました。)

1995年は日本のインターネット元年であり、音楽ソフトの生産数はインターネットの普及とともに減少に転じたと言えるでしょう。

最初は曲をデジタル化し違法コピーをインターネット上で共有することから始まりましたが、2003年にAppleが音楽配信サービスを始めることにより音楽ソフトの流通が枚からByteへ、加速しながら転換したのです。

今週に入ってAppleが定額配信の発表を行うと、LINEも同様のサービス開始を発表しました。

日本国内に目を向けると、有料配信も苦戦している実態があるようです。

さて、定額サービスになると課金は1処理というトランザクション単位ではなく、アカウント(契約)の有無で行われますから「何が聴かれた(買われた)のか」から「誰が聴いている(契約している)のか」に主語が変わります。

つまり、
"NO MUSIC, NO LIFE."から
"NO LIFE , NO MUSIC."
になるわけですね。

ソフトにおいてもモノ中心からヒト中心の社会へ。

「音楽」の行方は、未来の縮図なのかもしれません。

追記
これもヒト中心、ですね。


中心は?

2015年6月10日水曜日

「視点を変えると当事者意識が芽生える」 採用応募者が答えたあまりにも的確な一言

社員の主体性や当事者意識を考えない企業は皆無と言っても良いでしょう。

人的側面のマネジメントとは、メンバーがすべての仕事を自分事と捉え、ゴールを描き執念を持って取り組む状況を作り出すことです。

では、どうやって実現するのか。

マネジメントに関わる人は様々な取り組みを通じてこの課題と向き合い続けるのですが、「これでオッケー!」という方法論が巷に溢れる一方で、特効薬、万能薬は無いことを実は誰もが知っているのではないでしょうか。

さて、新卒採用面接で図らずしも応募者がこの問いに答えました。

こんなやり取りです。

面接官「当事者意識という言葉が多く出てくるけど、どうすれば当事者意識を持てると思いますか?」
応募者「視点をかえることで相手に興味が湧き当事者となってくれた経験がありました」

それまでの応答は普通だったのですが、この一言には後光がさしているように思えました。

実際、社内外で他者に新たな視点を与えることは仕事を進める上でとても重要なインシデントなのですが、そのことを理解してもらうこと自体、結構難しかったりします。

新たな視点を生み出す仕事をしていても、です。

「あー、年齢や経験に関係なく大切なことを自然に気づける人も居るんだなぁ」と改めて思った次第です。


梅雨の晴れ間!

2015年6月9日火曜日

「縦割りで情報が共有されない」と愚痴る前に考えて欲しいこと

以前、社内で「隣の席の人が何をしているのかわからない。」「情報共有がされていない。」といった声が良く出ていました。

そこで、情報共有を目的とした全体会議を設定したり、MVP制度で他者の仕事を褒賞する仕組みを導入したのですが、現在、それらは行っていません。

では、かつてより、他者の仕事状況がわからなくなったのか、情報共有が無くなったのかといえば、状況はまったく逆です。

フリーアドレスを導入していることもあり、自分の周囲の人は日々変化するのですが、周囲とのコミュニケーションが良好で、他者が何をしているかも、情報も良く共有されているようです。

つまり、解決策は会議や制度といった仕組みではなかったのです。

この事例は2つの仮説をもたらしてくれました。

1つは、「隣の人が・・・」「情報共有が・・・」という社員の本音は「自分の仕事領域を限定したい」にあるのではないか、という仮説です。

わかりにくい話ですが、「組織の縦割りを嘆く人は実は縦割りを望んでいる人である」ということです。但し、「快適空間を超えて組織に向き合っている人を除く」前提条件付きです。

2つめは、「自らの足で取りに行った情報と、ただ受け取った情報には違いがある」という仮説です。

この仮説は、トラフィモウ・アーメンダリッツ(2004)の400名の大学生にたいして、行ったと言われる(その論文が見つかりません)「人にしてあげた親切な行動」と、「人にしてもらった親切な行動」の比較調査の結果が35対1であったという研究を思い起こさせます。

これらの仮説が正しいとしたら、「縦割りで情報が共有されない」と感じたら、愚痴る前に自分の本心を見つめ、自ら情報を取りに一歩踏み出すべきである、となりますが如何なものでしょうか。


みんな花咲く

2015年6月8日月曜日

等級制度に込められた期待

多くの会社で等級制度を導入していることと思います。

等級要件が定めれら、その要件を満たすことで等級と連動する給与や職位が決まる仕組みです。

制度の運用は会社それぞれでしょうが、等級制度には、より上位の等級への通過点という期待が込められていると思います。

故に、ある段階で滞留したり、また、パフォーマンスが満たない場合に課題として捉えられるのでしょう。

多くのハイパフォーマーに共通するのは、自分のポジションよりも高い位置で仕事をすることですから、等級のハシゴは都合の良い仕組みです。

しかし、高所恐怖症の人にはあまり具合がよくありません。また、学習や成長に対してネガティブな誘因を持つ人にも同様です。

ゆえに、制度の背景から目を逸らさずに挑むことが必要なようです。


挑む


2015年6月7日日曜日

個性は手間?それとも価値?

先日行った飲み屋さんでは、明治時代の食器を使って料理を出してくれました。

小皿に描かれた鶴はよく見るとスリムなもの、首の短いものなど特徴があって、足元の草も描かれ方が異なります。

手作りゆえの違いなのでしょうが、その皿を前にすると、「俺はこれが好き」「いやこっちだ」と好き嫌いが現れるのは面白い現象です。

多様な個性は、複雑な反応を引き出すのです。

違いを見極めるためには手間が掛かりますが、違いが見つかる生まれる新たな状況。

それはショッピングでもランチのオーダーでも就活でも採用面接でも見られる日常的な出来事です。

多様性は新たな多様性を生みようですが、人はそれに本能的に価値を感じているように思えます。


個性的


2015年6月6日土曜日

感情のエレベーターを現場用にアレンジして使う

リフレクション学のコルトハーヘン先生は、感情のエレベーターを使って内省を深める方法を教えてくれました。

Doing(行為)の背景にある、Thinking(思考)、Feeling(感覚)、Wanting(欲求)を頭(思考)、心臓(感情)、お腹(欲求)の位置の上げ下げで自分と相手の位置を合わせたうえで相互のズレを知りリフレクションを行うというものです。

例えば叱責されたとき、相手は何を考え、何を感じ、どうしたかったのか。一方、自分は何を考え、何を感じ、どうしたかったのか。そのズレを見つめることがリフレクションになるのです。

では、これを現場で活かすにはどうしたら良いのでしょうか。

現在社内で行っているある活動において、やることが一杯だけど時間が足りない、という状況があります。

そこで、最初に行ったのが王道である、重要度と緊急度の整理です。

この整理では、一旦後回しにすることが決められます。

しかし、実際に活動を行っていくとまた迷いが生じてくるものです。

とくに、時間軸の要素を入れると、重要度と緊急度の関係は一層複雑になります。明日のために今日行うことと、来週のために今日行わなければならないことをどう整理するのか。

戦略を立てて整理する、というのが合理的なアプローチですが、人の心は合理的ではありません。また、やることが一杯あるときは、合理性よりも意欲や勇気のほうが大切です。

そこで使ったのが感情のエレベーター、現場バージョンです。

現場バージョンでは、これからの行為に対して、「やるべきこと、やるべきではないこと」という思考のフロアにたいして「ときめくこと、ときめかないこと」の感情のフロア、そして「したいこと、したくないこと」の欲求のフロアで構成しました。

この現場バージョンは模擬リフレクションであり、本来はそこから更に内省を深める入り口の段階なのですが、時間が足りないところにリフレクションで更に時間を使うことは得策ではありませんから「なぜ整理がつかないのか」への内省は促さす、ポジティブに欲し、感じ、考え、整理するプロセスを通じて、「一杯のやること」を恐れず、侮らずに向き合う力の内発を促すことにしたのです。

また、模擬リフレクションの実施通して、振り返りのタイミングでリフレクションが進みやすくなる期待もあります。

色々な意味で活動のこれからが楽しみです。


道の上の雲

 

2015年6月5日金曜日

情報としてのデータ どこから来てどこへ行くのか

世界が色々な意味で大きな転換期を迎えている今日、そのなかでも一番劇的な変化を見せているのはやはり「情報」の領域でしょう。

「情報」において激しく行き交うのがデジタル化された「データ」です。

「データ」は、もとは「基礎的な事実や資料を指す言葉」(wikipedia)とありますが、デジタル処理のための素材としての位置付けが日に日に増しています。

この先「データ」は何処に行くのでしょうか?


大昔にデータを洞窟の壁、木簡や 皮、そして紙に固定することで記録が生じ、それによって人は多くの知識を蓄積してきました。「知の集積」です。

また、コンピュータの出現によりデータを加工することで新たな意味を見つけ出すことも可能になりました。「知の発見」です

そして、ネットワークの出現によりデータは固形物から解き放たれ幅広くそして素早く流通するものに生まれ変わりました。「知の交換」です。

例えば、この「発見と交換」を先取りして大きく成長したのがセブンイレブンです。

また「知の交換」によりすべてのものがデータとしては等価となったことも大きな変化でした。コンビニの単品売り上げデータも個人の健康診断結果データもデータとしては同じです。つまり、物の価値と質の価値の分離が起きたのです。これは「知のコスト」が劇的に下がることを意味します。

一方で「知の交換」によって、知識は「静的なもの」から「動的なもの」に変わりました。固定的な概念、例えば、類型論が通用しなくなったのです。

「動的な知の生成」は情報技術の一層の進化によりリアルタイム化し、主役は「生成ルール」に変わりつつあります。これが「アルゴリズム」です。

現在、金融市場の主要なプレイヤーは人間ではありません。小さなアルゴリズムの膨大な集積によってミリ秒単位で取引が行われているのです。そして、このアルゴリズムの振る舞いを私たちは理解どころか知ることもできません。人の叡智を超えているからです。

2010年5月におきた「フラッシュ・クラッシュ」はその一例と言われます。

現在はアルゴリズムは人が作っていますが、これからはその役割を人工知能(AI)が請け負うことになるでしょう。

グーグルやIBMなど、IT先進企業が開発に力を入れている人工知能とは、「知の生成ルール」の生成ルール作りです。

アルゴリズムをAIが作り出すようになったら世の中はどうなるでしょうか。

おそらく、データもアルゴリズムも私たちから見えなくなる、全てが消失します。
今以上に、何が起きているのかもわからないまま、日々が営まれ、何が起きたかわからないままに、突然大きな影響を受ける、そんな世界です。

私たちに残るのは「私たちの日々」のゴール設定とデザインです。

見えないところで世界が動いている気持ち悪さをこえる「心地よさのデザイン」があることが、最終的に見て人間上位であることの表れだからです。

しかし、どこまでも人間にとって心地よい世界であり続けるか、というとそれには懐疑的な意見が多くあります。

特に、"Singularity"と呼ばれる技術的進化の特異点を迎えた後の社会において懸念されるのもこの点なのでしょう。


私たちの世界?

2015年6月4日木曜日

11次元を勝手に考えてみる

物理のM理論では11次元が必要とされるそうです。

私たちは世界を3次元+時間の4次元までは理解できますから、残りの7次元がどうなっているのか気になりますが、どうやらそれらは諸事情から観測できないそうです。

理論が正しければ、人間は世界を少ししか知覚出来ていないけど、特段不自由なく暮らしていると言えるのでしょう。

そう言えば、電気や磁力など目に見えないもので私たちの暮らしはどんどん進化しています。

知らないうちにより多くの次元の恩恵を授かって生活しているのかもしれません。
他には、電波、引力(重力)なども目には見えません。

また一方で、日常化すると目に見えなくなるものも増えていきます。

無くなって初めてわかること、です。
「親の愛」がそうですね。

身の回りで見えないもの、見えなくなったものを探してみるのも面白そうです。


たわわに実る

2015年6月3日水曜日

グローバル人材、女性の活躍 元をたどると・・・

「グローバル人材」について話をしていたところ、海外赴任における家族の問題に話が及びました。既婚者であれば、赴任と同時に家族も海外に行くか否か考えなければなりません。その場合、赴任者がグローバル人材であっても、家族がグローバル人材であるとは限りません。

以前、サッカー日本代表の監督に就任した外人監督やプロ野球選手で、やはり家族の問題で帰国された方が居ましたが同様の問題が企業人にも以前から、そしていまでも変わりありません。

企業もこの問題に対して様々な施策を行っているそうですが、万全ではないようです。

このように「就業者と仕事」の関係だけでは解決がつかない問題が他にもあります。

そのひとつが「女性の活躍」です。子供がいる女性が仕事で活躍しようとするとき子供のことを抜きにして仕事を捉えることはできません。

そして急激に進む「少子高齢化」も同様に無縁とは思えません。

つまり、「家族と仕事」の関係です。

最近では、休日に家族を職場に招待する企業もありますが、仕事が賃金のみで家族と繋がっている状況を変える必要があるのではないでしょうか。

「グローバル人材」から「グローバルファミリー」へ、「女性の活躍」から「家族の活躍」へテーマを変えると課題も変わってくるはずです。


実践者はすでに居ます

2015年6月2日火曜日

ネガティブな印象の実態 ほんとうにネガティブなものの正体は?

「なぜあの人はあの行動しかできないのか。」「あの人のあの言動は酷い。」「全然変わろうとしていない」「おまえなんか全然ダメだ!」

他者に対して持つネガティブ(否定的)な印象の原因を無意識にその他者の責に因るものとしていることが多くあります。

でもほんとうにそうなのでしょうか。


同じ出来事でも自分の体調次第でポジティブにもネガティブにも捉えられるものです。

例えば、壁にぶつかった時に、「今度こそ、越えるぞ!」とも「もう、ダメだ」とも感じることがありますが、よく、思い出してみると、気力が充実している時は前者、萎えている時は後者の意識が強く出ることがわかります。

このように、受け止め方と気分や体調は深く関わっていますから、ポジティブであってもネガティブであっても、その時に自分の状況を注意深く観察することは重要です。

気力、体調は極端には分単位でも変わるものですから、さっきまではネガだったのに今はポジみたいなことも無いわけではありません。

良いことがあったら急に目に広がる世界が色鮮やかになった、みたいな経験はきっと誰にでもあるでしょう。

薬やお酒の影響もありますし、ポジティブ、ネガティブな感情を持った人の伝播もあります。

こう考えると、ポジティブ、ネガティブは、自分自身をモニタリングするためのトリガーとして活用出来そうです。

そして、自分を正確にモニタリングすることは、感情のコントロールへの端緒です。

感情を自身で統制している状態は、儒教では中庸、EQでは心の知能指数が高い状態であり、一つ上のステージで仕事も人生を送れるようになると言われています。

ネガティブ、ポジティブな印象についてその正体を問い、他者を鏡に自分を観ることは、中庸、高EQへのはじまりなのでしょう。


寝顔が笑顔でポジティブいただきました!

2015年6月1日月曜日

コミュニケーション能力が高い人を自社説明会に呼び込むには

とある事業者が発行する「人事白書2015」とい冊子が届きました。

とてもボリュームのある調査結果で素晴らしい取り組みだと思います。

さて、早速ペラペラと見ていると、アンケートの中に「採用したい人材タイプ」と「その対策」があり、アンケート結果の1位は前者は「コミュニケーション能力が高い人」、後者は「自社説明会」とのことでした。

この2つの結果から、「自社説明会でコミュニケーション能力が高い人を採用する」と考えるのはおかしいので、「説明会で会社のアピールを一生懸命行って、参加者の中からコミュニケーション能力の高い人を採用したい」と考えるのが素直でしょう。

もう少し突っ込めば「コミュニケーション能力の高い人がたくさん来てくれるように魅力的な自社説明会を開催します!」かもしれません。

さて、こういった調査でなぜ「コミュニケーション能力が高い人」がいつも上位にあるのかというと、積極的な理由というよりも誰も否定しないからではないか個人的には考えています。

というのもビジネスにおけるコミュニケーションは対人能力の事だけでなく、状況打開や知性・知恵・創造性など、言動一致であることが重要だからです。

「コミュニケーション能力が高い人」とは対人能力を通じた知的、身体的行動面の実態を語っているのですね。

ただ、対人能力以外の能力に関しては、表現方法も観点も多岐に渡るため、意見が分散してしまう傾向があるのでしょう。


いよいよ6月