2015年5月31日日曜日

飲食店のOJT 客の前でやる? やらない?

今日は、目の前で繰り広げられるOJTを味わうことについての気づきです。

日曜日の夕飯を韓国料理の店で外食をしました。
店員にはまだ未経験の新人が居て、店長もしくはマネジャーと思しき人が指導をしていました。

店は空いていたので、あまり忙しくもなく、教える時間があったのでしょう。

面白かったので聞き耳を立てていましたが、新人は留学生なのか、どうも言葉も今ひとつ理解できていないようです。

例えば「割り箸」をお願いしたのですが、わからないようでした。

さて、指導をする中に、昼と夜の「間」の取り方の話がありました。

教えていることは、「夜はゆっくりと」でしたので、注文を聞いたり、食べ終わった食器を下げるタイミングが、昼と夜は違うことを理解、実践させたいことが推察されます。

確かに、昼のランチは時間に追われているのでテキパキとして欲しいし、夜のディナーはゆったりと食べたいものですから、接客の中でも大切なツボのひとつなのだと思います。

他にも店舗において、新人が指導をうけている姿をたまにみますが、今日の出来事を通じて、手順を教えているものと、仕事のツボを教えているものがあることに気づきました。

手順は決めごとの伝達、ツボは価値の上げ方です。

「お客様が入店したら、席へ案内し、メニューを渡し、オーダーをとって、料理を運び、食べ終わったら食器を下げてお茶をだす」のが手順で、「昼はテキパキ、夜はゆっくり」がツボですね。

こうした目の前で繰り広げられるOJTは、その店の運営のツボを知る手がかりになりますから、是非、見せて欲しいものです。

しかし残念ながら、本当にツボをおさえている店では、お客様の前でOJTはやらないと思います。


ツボをおさえる

2015年5月30日土曜日

混作と単作にみる「何をするのか」(行為)と「何のためにやるのか」(原点)の違い

家庭菜園を行っている同僚は、とても上手に色々な作物を育てているようです。以前、頂いたことがありますが、とても片手間とは思えない出来に大変驚きました。

さて、耕作地で複数の作物を栽培することを「混作」と言います。一方で、稲だけを栽培することを「単作」と言います。

この農作物を栽培するアプローチは、おそらく全く異なるものでしょう。

同僚から聞いた話でも、混作にはそれぞれの作物に合わせて工夫が必要だそうです。逆に、その工夫が無ければ収穫は出来ないようです。

単作であれば、より多い収穫に向けた工夫があるのでしょう。

こうした「何をするのか」という行為や実践 方法の違いに注目するだけでなく、「何のためにやるのか」という行為の原点に目を向けるとその人の思いが見えてきます。

たとえば、同僚は、「家族皆で色々な美味しい野菜を食べたい」という家族愛であったり、「色々な野菜を育ててみたい」という挑戦意欲が心にあるのかもしれません。

単作の専業農家であれば、「多くの人に自分の美味しい作物を届けたい」や「たくさん儲けたい」という欲求など、色々考えられるでしょう。

仕事をしていると、「何をするのか」に目が向きがちな人が多いように感じます。特に、業務力の高い若手は「何のためにやるのか」を意識すると行為の意味づけも選択肢も大きく変わってきますから、行為が山積みになっていたり、逆に何をすればいいのか迷うときは「何のために」と内省することが効果的です。


何のため?

2015年5月29日金曜日

「ミスの真の原因を考える」 ということは何を気づかせてくれるのか

何かにつけ、人がやることにはミスが起こります。ミスを出さないようにと思っていてもミスが出てきます。

「ミスを出さないためには、何もしない方が良い」という一見、本末転倒ではあっても、実は本当に見える意見もあるでしょう。

さて、ミスには直接的原因と本質的原因があります。

例えば運転中に起きた交通事故の直接的原因は、ハンドル操作やよそ見といったことですが、本質的原因には、運転者のおかれた状況が関わっています。

仕事においても何かミスをした張本人よりもその背景にある状況を見ないと判断を誤ることになります。

この背景にある状況は裁判では「情状」といわれます。

一方、こうして背景にある状況に目を向けると、そこに自分がどう関わっているのかが見えてきます。

任せた仕事でミスが生まれた場合、任せ方に目を向けないわけにいきません。

そして、忘れてならないのは状況に関わらずともミスは発生してきます。その場合、関わっていないことがミスの原因になるのです。

先ほどの「ミスを出さないためには、何もしないほうが良い」というのはこの視点を欠いた意見であることがわかります。

起きたミスは自分 事であれ、他人事であれ、自分が状況にどう関わっていたのかを、どう関わらなかったのかを気づかせてくれる機会です。


モノクロームな街

2015年5月28日木曜日

交差点を斜めに横断する、しない 行為の背景にあるルールと態度

車の来ない小さな交差点で、対角の方向に進みたい時、横断歩道に沿って2段階で横断するでしょうか。それとも交差点を突っ切って最短距離で横断するでしょうか。

人によって答えは異なると思いますが、その違いを考えるのも面白いものです。

最短距離を行く人は、効率優先、目的志向と言えます。

一方、2段階に横断する人は、規範優先、ルール志向です。

違いを表出するためにはルールが前提で、この場合は交通ルールが該当します。

そしてルールを受け入れるか否かは態度に関わる問題です。

見方を変えると、行為を引き出しているのはルールと態度であると言えます。

この命題は、交差点でなく、日常の仕事でもあてはまります。

どんな手段でも良いから結果を出す人と、ルールをしっかり守る人の違いです。

しかし実際にはもう少し複雑で、引き出される行為は、ルールを守りながら目的を果たそうとする、ルールは守るけど目的志向ではない、ルールを守らず自分だけの目的を果たそうとする、ルールを守らず大きな目的を果たそうとするなどなど、ルールと態度の掛け合わせに留まらず視野の大きさ、外向き・内向き、独善・利他といった認知スタイル、気質の影響を受けます。

ルールと態度は観察可能であるのに対して、認知スタイル、気質は内面にあり直接的に観察することは困難です。

引き出された行為から推察する以外に無いのです。

「いっしょに仕事をしてみるとその人のことがよく分かる。」

よく聞く話ですが、「ワーク」でも「プレイ」でも一緒にしないとわからない、とも言えるのでしょう。


行為の背後

2015年5月27日水曜日

居酒屋のバリュー・プロポジションとは

ちょこっとコンサルをかじったような仕事をしている人はデューデリとか、フィージビリティ、ディスクリプションとかいった普段あまり聞き慣れないカタカナの共通言語を多く使いたがります。

その中にバリュー・プロポジションという言葉があります。

これは、ビジネスモデルにおいて何を大切にしているのか定義をするものです。

大きくは、カスタマーオリエンテッド(顧客志向)、プロダクトオリエンテッド(製品志向)、プロセスオリエンテッド(手順志向)の3つと言われますが、「御社の売りは何ですか?」と問われた時に、

「うちは顧客の要望にどこまでもついていきます」なのか
「うちは最先端で他社に無い製品を提供します」なのか
「うちは徹底的な合理化で最適なCP(コストパフォーマンス)を提供します」と答えるのかの違いです。

さて、居酒屋で考えるとそのお店の特徴が良くわかります。

例えば、他店にはないメニュー、サービスを提供するのであれば、プロダクトオリエンテッドだし、焼き鳥はタイで作って輸入してお店では温めるといった低価格を売りにするのであればプロセスオリエンテッドだし、おもてなしを最大の売りにするのであればカスタマーオリエンテッド、ということになります。

ただ、実際には、これら3つの分類は、どのような居酒屋においても必要な要素であり、その強弱によって他店との差別性が生まれる、つまり、顧客の記憶に残り、選択の際の優先順位を上げる要因となるわけです。

これまでの経験で語れば、カスタマーオリエンテッドは「目配り」、プロダクトオリエンテッドは「感性」、プロセスオリエンテッドは「要領」が強く関わっているようい思えます。

一方、これらには排他的な要素が内在しているため店の違いを認知、表象しやすいのでしょう。

個人的には酔っぱらった時にプロセスオリエンテッドな居酒屋はちょっと醒める感覚がありますから心ゆくまで呑みたいときには遠慮したいのですが、価格はリーズナブルなのでたくさん呑めるといったパラドクスも存在します。

まあ、呑みながらお店のバリュー・プロポジションを考えるのも如何なものかと思いますので、そのお店の売りを最大限楽しむ姿勢がポジティブであり幸福感のある呑み方なのでしょう。


プロダクトオリエンテッド


2015年5月26日火曜日

言語が果たす大きな役割 言葉を変えれば心も変わる

とても興味深い研究結果が発表されています。

Two Languages, Two Minds
pdfはこちら

同じ状況を英語とドイツ語の2つの言語で語ると言語の持つ構造的特性から異なる状況が見えてくるというものです。

英語が行為を主に語る構造を持つのに対して、ドイツ語は目的と行為が語られる構造を持つそうです。

この記事を読んで、真っ先に思うのが日本語はどうなのか、中国語や韓国語はどうなのか、ということです。

そこで社内のmultilingualに話を聞いてみたところ、日本語には情緒的でやられたらやり返すといった反応的ではない世界観ないのではないか、という答えを貰いました。

生き物は、環境を足場として高い能力を発揮します。

そして、言語は、人が自ら構築した足場ですが、その言語という足場を使って世界を描く能力を発揮しているのです。

石を積んで作ったピラミッドの頂上と木で組んだ櫓の上から見る景色が異なるように、極めて日常的に使っている言語によって私たちの能力は発揮されているのかもしれません。


どう見える?

2015年5月25日月曜日

予告上手は本編上手? 期待を失望に変えないために必要なこと

映画やTV番組の予告編はとても上手に出来ています。本編に対する期待を盛り上げるべく、最も印象的なシーンを前後の文脈から切り離して繋げることで、ストーリーにも映像にも「もっと見たい」欲求を掻き立てるものが一般的であるように思います。

本では帯に書かれた短文もそうですが、最近では、本屋の店員さんが手書きをしたPOPも来店者の興味を惹きつける演出として定着しました。これも、一種の予告と言えるでしょう。

さて、仕事の場面における予告のひとつに「アジェンダ」があります。

打ち合わせの際に、打ち合わせる内容を提示する予告です。

この予告には以下の3つの効果があります。

1.レディネスを作る
2.話の地図を見せる
3.ゴールを定め目指す

1.レディネスを作る
「これから何が始まるのかわからない」というのでは、参加者は不安になり、「何をするのか」知ろうとストレスを高めます。新入生にとっての初めての登校のような心理状態です。

2.話の地図を見せる
打ち合わせは、基本的に直列で話が繋がります。皆が聖徳太子のように並列で話ができる能力を持てば別でしょうが、コミュニケーションは通常、シングルタスクですから、脱線し、元の線路に戻れなければ迷子になるしかありません。

3.ゴールを定め目指す
そして、その行く先に何があるのか、何を得るのか、そこに参加者の意識と知恵と勇気を結集することで困難な道程も越えることが出来るのです。

さて、中には期待を大きく裏切る予告編があります。

予告に比べ、本編がまったくダメだとそこに待っているのは大きな失望です。

アジェンダも同様で、本編を偽ったアジェンダはとても罪が重いものです。

要は、アジェンダは本編を的確に反映したものであり、さらには、本編をいかに素晴らしい状態で準備出来ているのかに掛かってくるのです。それは、シナリオであり、演出であり、問いかけであり、信念を持ったデザインです。打合せ自体がインプロ(即興)的であったとしてもデザインが重要です。

デザインが無く準備不足の打合せに、取ってつけたアジェンダは最悪の組み合わせと言えるでしょう。


予告

2015年5月24日日曜日

仕事のプロフェッショナルには、経験が大事なのか、理論が大事なのか

日本で仕事のプロフェッショナルというと、実務経験にまず目が行くように思います。

NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも、実務経験を通じて鍛錬する人物が基本的に描かれているように思えます。

また、理系を除き、「博士号」の取得者を企業が積極的に採用しているという話も聞きません。

実態は知らないのですが、むしろ大学院は出たものの就職難・・・という話すらたまに聞くことがあります。

一方、米国では、専門家は「博士号」などの学歴を保有しているケースが多いそうです。

これから少子高齢化が進展すると、大学は社会人教育に軸足を移さざるを得なくなるのでしょうが、専門教育とキャリアと職務上の実績の関係性は気になるところです。

ということで折をみてそれらを調べて見ようと思います。


右足から?左足から?

2015年5月23日土曜日

テクノロジーに乗り遅れた結果、何が待っていたのか

1984年、大学を卒業して銀行に就職しました。

80年代と言えば、一人ひとりがコンピュータを使えるようになった時代です。

NECがパーソナルコンピュータ、PC-9801をTVCMで放映し、appleがMacintoshシリーズの販売を開始していました。

当時の銀行といえば、コンピュータをいち早く導入した業界として、期待に胸を膨らませていたものの、配属された支店では、コンピュータどころか電卓もNGでそろばんを使うように言われのに驚きと失望を感じたことを思い出します。

一方、その後金融はバブル景気と崩壊を迎え、現在では、小さなアルゴリズムの膨大な集積がビジネスを支配しています。

80年代は、融資の可否は最後は経営者を見て決めるものと言われましたが、今日の融資は最初も最後も経営数値からアルゴリズムによって判断されます。

経営資源の1つである「金」は、テクノロジーに乗り遅れ、破綻し、そしてテクノロジーの世界となりました。

では、経営資源である「人」はどうでしょうか。

例えば採用現場で多く使われている診断ツールは1950年代の心理学に基いて1980年代に開発されたツールです。つまり、まだ、そろばんを使っているのです。

人事制度も然り、です。

「金」と同じ道を辿るのだとすると、このあと、過剰に盛り上がって、破綻し、テクノロジーにとって変わられるのかもしれません。

そして、おそらくそのテクノロジーと考えられるのは「人工知能」でしょう。

つまり、「人工知能」の指示により人が働く社会の到来です。

行動を測定する機器を携帯し、取得されたライフログを提出することで採用も、評価も、育成も人工知能によって行われる、そうなるのはそれほど先のことでは無いでしょう。

また、その状況において人は何が起きているのか理解することが出来なくなっているはずです。今日の金融と同じで小さなアルゴリズムの集積が見せる協働は人の知恵を超えているからです。


理解不能な状況へ

2015年5月22日金曜日

思考や感情は伝播する だから会議は恐ろしい

動物には、ミラーニューロンがあって、社会が作られます。

これは、他者の感覚や感情を受け取る能力で、それによって、危険察知、機会到来、喜び、悲しみ、怒りなど、ある個体が持った知覚や情動を他の個体に迅速、正確に伝播することが出来るのです。

一方、これは厄介な面も持っていて、個の問題を他が共有してしまうことにもなります。

例えば会議において、不機嫌な一人の存在は会議全体の雰囲気を悪くします。

つまり、不機嫌な感情に知らずのうちに影響されているのです。

狭い空間になるほどこれは顕著になります。

これによって会議の議論は、先鋭化し極端な方向に進んでしまったり、一方で、停滞、沈滞した空気に支配されてしまったりするのです。

この空気を打ち破れるのは参加者の強い信念や信条といった意志によるのですが、構成メンバーに上下関係があると打開は困難になります。

要は、会議のリーダーはそのことを自覚して場を作らなければならない、ということです。

プレイヤーとして一人で戦う場面であれば、どう悩もうとも、どう感じようとも構いませんが、群の中に居る場合は自らの思考や情動をコントロール出来なければなりません。

資質として場を作ることに長けている人もいますが、そうでなければ知性によって思考や情動をコントロールするスキルが必要となりますから、気づき、学べることが重要になるのでしょう。


感じる?

2015年5月21日木曜日

顧客は顧客、自分は自分 という立て分けはおかしいと思う

先日、「ストーリーとしての競争戦略」で有名な一橋大学教授、楠木建氏が、「僕は社外取締役や監査役についてはやらないようにしています。〜中略〜「取締り」とか「監査」という仕事が僕にはどうも向いていない」と発言されたそうです。

それに対してホリエモンが「まあ、関わらず好き勝手いっている方が突っ込まれないので楽だよね。」と応えたようです

組織に関わる仕事では、実は提供しているサービスと、自組織の運営に大きなギャップを抱えている場合が少なくありません。楠木氏の場合は、事業に関わっていません。

なぜそれが成り立つのかと言えば、書籍と同じで、良質な視点は夢と希望と気づきをもたらすからでしょう。

しかし、夢や希望や気づきを言葉だけで与えられる人は極僅かです。

一方に、夢や希望や気づきを求めている人達がいます。それらの人達は大概、事業環境からの要請として同じ解決したいテーマを持っています。

こうしてマーケットとトレンドが生まれるのでしょう。

さて、そうしたマーケットやトレンドを見つけアプローチする際に忘れてはならないのが「言葉」ではなく、「体感」だと思います。

「体感」がなく「言葉」を飾るには高度な演出力、表現力が必要ですが、「体感」から生まれる素朴な「言葉」は相手に期待や勇気を与えることが出来るからです。

夢見て敗れた時は大きな失望が待っていますが、勇気を持って挑み敗れたときには次への意欲と小さな自信の芽生えという大きな財産を手に入れることができます。

総じてそれらを「自分事化」というのでしょう。


自分の足で

2015年5月20日水曜日

大学生のアルバイト経験はトランシジョンにどう関係するのか

サービス業を中心とした多くの企業で、アルバイトの戦力化が進んでいます。一方で、採用面接においてアルバイト経験が学生の経験としてあまり魅力的に映らないのも事実でしょう。学生から社会人への移行期(トランシジョン)にある、学業と非学業(アルバイト、サークル、レジャー、ボランティア、NPO活動など)で盛りだくさんの日常のなかでも、アルバイトが占めるウエイトは小さくありません。

そこで学生のアルバイト経験がトランシジョンにどう関係するのか考えて見ます。

戦力化が進む学生アルバイト

マーケットでの激しい競争に晒されるなかで、企業は、コストの削減と要員の確保、質の高いサービス提供という両立が困難な課題に同時に向き合っています。この解決策として、多くの企業で学生アルバイトを増やし、教育を通じてサービスの質を高める施策をとっています。
「コストと人数」が「質」よりも優先されることは想像に難くありません。

アルバイト経験を通じて「教化」される学生たち

アメリカでは50年代半ばに大手企業が社員に対して盛んに「教化」を行いました。新入社員を社会から孤立させ、理解させたいメッセージで取り囲むことによって「組織社会化」を強烈に推進していたのです。
手法自体はその後洗練され、個性や創造性にも重きを置いた「教育」へと進化しましたが、メッセージで取り囲んで社会化を促すことは現在でも盛んに行われています。
そして、学生はアルバイト教育においてかつて「教化」と呼ばれたアプローチの現代版に遭遇することになったのです。


良質なプラクティス

先進的な企業では、組織文化への取り込みにおいて、帰属(居場所化)、感化(心的受容)、フィードバック(浸透)、報酬(達成)を、高いレベルでの職務を実現させる目的でデザインし成果を出しています。
さらにはゲーミフィケーションのアプローチで、課題と解決のツールを同時に与え、課題解決時のステージアップや、他者(他店)と競わせることで自発性を誘発させながら、仕事に巻き込む一方で、仕事の動機とやりがいと快楽をもたらしていると分析できます。
これらの良質なプラクティスに対し、逆に「ブラックバイト」と呼ばれる悪質なプラクティスも存在しますが、今回、トランシジョンへの影響で考えたいのは良質なプラクティスに関してです。


盲従するシンパ

良質なプラクティスは、企業とアルバイトでWin-Winの関係性ですから、アルバイトのロイヤリティを高め、場合によってはその企業ブランドへ心酔したり、プライドを醸成し絆化が深く進むことも珍しくありません。
一方、企業は社員に対していかなるビジネスモデルでも通用する資質や思考を求める傾向が強いと思います。過度なシンパが社員になることへの否定的意見をよく聞きます。


トランシジョンへの影響

否定的になる理由は、先鋭化し視野が狭窄することへの課題意識でしょう。
現状否定も含め、より本質的な課題を自ら定義し、周囲を巻き込みながら解決するという、今日重要視されるビジネスパーソン像と過度な企業ブランドのシンパは対照的に映ります。

もう少し分かり易く言うと、採用面接の際にアルバイト経験とそのアルバイトへの愛着を熱く語る学生に対して、「そんなに好きならその会社に就職すれば良いのに・・・」と感じざるをえない一方、なぜその会社では面接が進まなかったのだろうか、という疑問からたどり答えです。

複雑で多様な経験が重要なのは、本質への気づきが異なる世界のギャップから得られるものであるからとも言えます。

学生の向き合い方

そこでトランジションを迎える学生に必要なことは、非アルバイトも含め複数の良質なプラクティスを経験することであると考えられます。たとえ良質であっても唯一のプラクティスに埋没せず、何度も越境するべきなのでしょう。

企業の向き合い方

良質なプラクティスで学生アルバイトを戦力化するだけでなく、職業意識醸成への働きかけが出来ると良いのかもしれません。


1・2・3

2015年5月19日火曜日

もっと考える?もう考えない? 「考えさせること」の働きかけ方

若手の社員と会議を行う際に、一番気をつけているのは「考えさせること」です。しかし、単に「考えろ」と問い詰めるのは最も避けるべき姿勢でしょう。

ちょっと考えればわかることですが、実は「考えること」よりも「考えないこと」のほうが数十倍難しいことです。

「瞑想する」「頭を空っぽにする」などに挑んだことがある人は、考えないようにすると余計に次々と考えが浮かんでしまう経験を必ずしています。

そこで、呼吸に神経を集中したり、思い浮かんだことを漫然と感じたりしながら、「考えないこと」を体得していくそうです。

多くの人は常に「何か」を「考えて」います。

では、「考えさせること」とは何を指しているのでしょうか。

私は、人それぞれが「考えていることを変えさせる」のではなく、
1.考えを深めさせる
2.考えを広げさせる
3.考えることを考えさせる
4.創発する
この4つをそれぞれの状態に応じて問いかけるようにしています。

しかし、どの問いかけがベストということはなく、フィットしていると思われる問いかけを行い、その反応により新たに問いかけます。

揺さぶりをかけて考えを一歩進めるための手伝いをする、といった感じでしょうか。

また、フレームワークを用いたティーチングの場面と相手の中の答えをじっと待つコーチングの場面を使い分けて積極的に働きかけるのですが、スキルを用いる際に重要なのが相手のパーソナリティです。

受容系が強い人に対しては言葉が染み入ることへの気持ちよさを持つことを戒めなければなりませんし、発信系が強い人に対しては発話の背景に対して問いかけなければなりません。

ネガティブ傾向、ポジティブ傾向への働きかけも相手に合わせた適切な自己統制が必要です。

それらを総合的に考えると「考えさせること」とは、知性と知恵と創造性を使った働きかけなのだと思います。


働きかける

2015年5月18日月曜日

多数決はなぜイノベーションを阻害するのか

大阪都構想が住民投票の結果、反対が過半数を超えました。

僅差だったので、年代別や地域別の結果にも大きな注目が集まっています。

年代別では、高齢者の反対が多く、地域別では、 市中心部以外で反対が多かったようです。

行政システムは地域住民の暮らしに直結する問題ですから、高い関心を集め、皆が参加する形で決定するプロセスは合理的です。

さて、多数決による決定が必ずしも最善の選択ではないことも事実です。

特に、イノベーションに関しては、最悪の選択となる可能性が高いと思います。

なぜなら、
1.ゆらぎを吸収してしまう
2.議論が二元論に陥りやすい
3.多数派化へのプロセスとして利害関係が強化される
ことによって、発案、統合、破壊(棄却)と創造が阻害されるからです。

これを防ぐためには、多数決の仕組みにイノベーションへの価値基準が盛り込まれている必要があります。

多数決の参加者がイノベーションを大切にしているという前提です。

複雑化、システム化された社会や組織においては、偏りのある意思決定を行うことは困難であり、ツルの一声で物事を決めるのは適しません。

ゆえに、イノベーションを総意として承認する方法をいかに内在させるかが大切になってくるのですね。


高次の多数決へ

2015年5月17日日曜日

ディズニーシーで「制服ディズニー」に遭遇した

「制服ディズニー」という言葉をある人から教えてもらったのは、つい先日、5月に入ってからでした。

その時は「へぇー、そうなんだ。ありそうだね。」と思ったのですが、今日、ディズニーシーに行き、アトラクションに並んでいるとき頻繁にそれらしき人達に遭遇したり、見かけたりしました。

ちなにみ「制服ディズニー」とは、大学生や専門学校生など、高校を既に卒業した人が高校時代の制服を来てディズニーランドやディズニーシーで遊ぶことを言うそうです。

また、一人ではなく、同性の友人と一緒に行っていることも特徴です。

女性が中心ですが、男性も合わせて同様な格好をするそうです。

確かに今日もいましたが、高校生の持っているやや幼い印象は無く、また、親子連れの多い日曜日に高校生の集団が修学旅行でもないのに制服を着て来園している様子にはやはり違和感があります。

ネットで調べると、当人達には「高校時代に出来なかったことをしたくなったから」という動機があるようですが、ディズニーランドのCMで制服を着た女子高生の演出をしていることも無縁ではないと思います。

つまり、企業の戦略に沿って描かれたストーリーに知らずのうちに同調している、それも、ストーリーの対象でない人達に伝播していると考えられるのです。

CMで女子高生の演出を行っているのは、少子化の影響かもしれません。

高校生にファンになってもらえると、大学、社会人になってもリピート率が上がるとか、きっと何らかの根拠があるのでしょう。

高校生に対して何らかのアプローチをしている企業には将来を見越した事業戦略が背後に潜んでいると考えるほうが自然です。

例えば、昔、マクドナルドが子供をファンにするために集中的にプロモーションを実施したのも、子供がやがて成長し親となって、というライフサイクルを見越しての物であると当時の社長が発言していました。

さて、CMを見て、制服とミニーマウスのカチューシャとディズニーシーの組み合わせが可愛いと感じた、大学生や専門学校生が、あまり抵抗無く卒業した過去の服装に戻ることには自由を感じますが、どこか不自然な印象も受けます。

というのも、服装の変化は成長の現れでもあるからです。

成長が見えにくくなったのか、成長が遅くなったのか、どちらなのでしょうか・・・


目の前に・・・

2015年5月16日土曜日

キャッシュレス社会が複雑さを促進する理由とは

クレジットカードや電子マネーなど、現金を持ち歩かなくても不便さを感じない社会になりました。

つい、カードを使いすぎて支払いの時が大変、ということもあるのですが購買履歴が残ることは便利です。

現金であれば、レシートや領収書が無いと購買の証明が困難ですが、カードであればレシートを捨ててしまっても、本人がいつ、何を買ったのかはっきりとわかります。

購買履歴は、販売店だけでなく、購入者にとっても大切な情報です。

貨幣の本質は「欲望の二重の一致」の困難を解決するもの(Jevous. 1875)とされますが、キャッシュレス化は機会損失(持ち合わせが無い)を低減するだけでなく、社会的な関係性の表出や再構築を促していることは疑いようがありません。

貨幣が持つ交換の手段としての役割でなく、その本質にある社会的な関係性を創発する仕組みとしての役割がキャッシュレス化によって強まるのではないでしょうか。

このように表面を覆う象徴を取り除くと、その本質がより強く現れる例は、貨幣だけではありません。SNSもそれまでの社会の表層にあった固定的な立場を取り除きその背景にある社会の本質に目を向けさせます。

見えている象徴(記号)があまりにも強いと本質が見えなくなる、とも言えるでしょう。

本質への旅は、物事に付いている記号を消すことからはじまるのです。


記号を消すこと

2015年5月15日金曜日

The Human Capital Report 2015 を読んで

World Economic Forumが公表したThe Human Capital Report 2015の国別のHuman Capitalにおいて対象となった124カ国中、1位はフィンランド、日本は5位という結果でした。

MEASURING HUMAN CAPITALのコンセプトは"learning and employment"(学びと雇用)、"demographics"(属性比較)、"distance to the ideal"(理想状態への距離)ですから、客観的事実を通じて、望ましい状態との乖離を詳細に見ることができます。

色々と先行きに関して不安な観測が多い日本ですが、指標を見る限り、評価できる点もたくさんあるということのようです。特に、65歳以上では1位、55-64歳が2位のスコアが15-24歳の21位というスコアをカバーしたようです。

日本の結果はHuman Capitalとしては高齢者が優位な社会であるという結果ですね(若者よ、どうする?)

また、Country Profilesで、国ごとのデータ、チャートがありますから日本とどこの国を比較するのかも面白いテーマです。

例えば、"learning and employment"、"distance to the ideal"であれば1位のフィンランドでしょうし、"demographics"であれば、日本同様高齢化社会のフランス(14位)あたりが良いかもしれません。

そこで実際にデータを見比べると、最初に面白いことに気づきます。

Education and workforce distributionのグラフで、諸外国にはある、primary,secondary,tertiaryという最終学歴の種別が日本では24歳以上のカテゴリーでありません。この種別は、international Standard Classification of Education(ISCED-97)を用いているようですが、日本に関しては該当するデータが入手出来なかったのでしょう。

専門家では無いのでこれ以上はわかりませんが、日本は一様に高学歴社会なので属性データとして意味が薄いのか、就労と学歴の関係が諸外国(欧米)ほど意味的ではないのか、興味深い部分です。


次に、日本の年代別人口のチャートを眺めると、少子高齢化、それも超少子化が目に付きます。高齢者人口はこの後、寿命の到来により急速に減ることが予測されますからそうなった時は今とまったく異なる社会が到来するのだろうと想像せずにはいられないチャートです。

そして、65歳以上でActive(労働力)が多いのも目立ちます。

生涯現役で居られるのか、生涯現役でなければ暮らせないのか、捉え方は人それぞれでしょうが日本では高齢者の就業は「すでにある事実」です。フィンランドもフランスも65歳以上のActiveは非常に少数です。

若年層の大幅な減少と高齢者の労働。

そう考えると、これからの日本における「学びと就労」は生命科学の進化、発展に掛かっていると言えるのかもしれません。

一方で、生命科学の恩恵により高齢者の気力、体力が若返って活躍できるようになると、新たな課題も顕在化するでしょう。

仕事において「経験」はパフォーマンスに関わるファクターですから元気な高齢者が優位に立つ可能性が高いと思います。

色々な会社に関わらせて頂く中で、中高年が元気な会社では若手の活力や自由闊達さがいまいち、といった傾向もありますから、今後、社会全体のなかで機会や役割を上手にシェアする必然性が強まってくるのではないでしょうか。


比較する




2015年5月14日木曜日

360度評価を使うなら反省よりも内省をしよう!

360度評価という手法が人事評価や人材育成の領域にあります。

この手法は、他者からみた自分の姿を他者のアセスメントと自身のアセスメントのギャップによって「見える化」するものです。

会社によって、それを人事評価に使ったり、登用の参考にしたり、キャリア開発や人材育成のツールにしたりしています。

また、アセスメント内容が、スキル寄りであれば、能力の高い人を浮かび上がらせることが出来ますし、コンピテンシー寄りであれば、高評価者の行動規範が見えて来ます。

この手法のもうひとつの特徴が360度という何となく公平で客観的に感じられる仕立てです。1対1では気遣い、相性や好き嫌いによって結果が大きく左右されますが、周囲の多くの人達をアセッサーとすることで「みんながそう思っているよ」となる訳です。

ところがそこには、反省を強制する意図が少なからず隠されています。

自分が考えている自分と違う自分の姿を見ることは少なからず人に衝撃を与えますから日頃、欠点に目が行きやすい人なら隠された意図が伝わりすぎてしまいます。ひたすら反省と自己嫌悪に陥るのです。

一方、他者の目が気にならない人にとって結果は何の意味も持ちません。良い出来事は自分のおかげ、悪い出来事は他者のせい、だからです。

この意図が効き過ぎたり、逆に効かなかったりするのは実は手法の問題でなく、内省への意識と、内省のトレーニングが不足しているからであると考えています。

そして内省を通じて自らに向き合う謙虚さと勇気が反省を促す他者の意図を跳ね返し、自分を成長させる気づきに出会えるのでしょう。


地球はいつだって360度


2015年5月13日水曜日

ラットの共感能力という思考の身勝手さ

<ラットに共感能力>「助けなきゃ」水責めに仲間が反応

昨日、上記のニュースが流れていました。多くの人が目にしたことと思います。

毎日新聞、マイナビニュース、神戸新聞NEXTと複数の媒体から配信されていましたが、それぞれ若干の表現に違いがあるものの内容は同じです。

さて、このニュースに「助けなきゃ」(毎日新聞)、「援助行動」「向社会的行動」(マイナビニュース)「見返りがないのに他者を助ける行動」(神戸新聞NEXT)など、実験結果に対し人の意識を用いて報じる姿勢に強い違和感を覚えます。

「ラットも人と同じように意識・思考し行動をとっている」という考え方は、人本位、人間中心の世界観を押し付けているものだと考えるからです。

実験結果について今後、メカニズムの解析が進むことを期待しますが、例えば、鳩の集団の中の一羽が飛び立つと、残りも一斉に飛び立つように、個体の行動が他の個体の行動を連鎖的に引き起こしたときにそこに「共感」があったとは言いません。

動物は一様に危険を察知したときに何がしかそれまでと異なる行動を見せます。それは、生存にとってプラスの効果を持っていますから種のなかで強化されていきます。

そして、他の個体の危険察知を自らの危険察知とすることで生存の確率は更に高くなります。つまり他者の行動を自らの知覚と一体化することで生存能力を高めているわけです。

この考え方には「共感」はありません。他者を含めた環境と身体性を適度に一体化させるために「脳」は閾値を持ったフィルターのように働いていると考えたほうが合理的です。

もちろんこれはひとつの考え方です。そこでこの考え方をラットの件を当てはめると、溺れるラットの危険が、そうでないラットの危険として知覚され、自らの危険を回避するための行動が結果として、溺れるラット助ける結果となるのです。

救うためでなく、自らが逃げるためにドアを開けたのかもしません。

さて、何が正解なのかは別として、このニュースを通じて問いたいのは安直に、人本位、人間中心、ひいては自分本位、自己中心の思考に陥ることの危険さです。

影響力のある複数の配信や、実験結果を自分にとって都合良く解釈しようとする人の出現によってさらに多くの人が疑問を持たずに受け入れてしまう状況とならないと良いと思うのですが・・・


彼等の知覚の実際を知ることは出来ない


2015年5月12日火曜日

「親」という存在の不条理

「ウオルト・ディズニーの約束」という映画を見て、「メリー・ポピンズ」が何を主題に描かれていたのか初めて知りました。(ネタバレ系ですので映画を見たい人はこの先読まない方が良いと思います。)

どこまでがフィクションなのかわかりませんが、映画の中で描かれていたのは、「メリー・ポピンズ」が作者、P.L.トラヴァースが父親に向けて描いた作品であるということです。

映画の中でウオルト・ディズニーがトラバースに問いかける言葉です。

「過去に支配されない人生を歩むべきでは?」

では、何に支配されているのかというと、ウオルトはこう言います。

「この物語はすべてあなたと お父さんのことだ」

これが映画の核心だと思いました。

「父に許すべき欠点など無い」というトラバースに対してウオルトは

「そうではない ヘレン・ゴフを許すのだ」
「罪の意識を抱いて生きるのはつらすぎる」

と語りかけます。

つまり、父親への情景、想いの背景に潜む、無意識の自責の念に気づき開放するべきであると。


自分を責め、次の一歩が踏み出せない人は考えているよりずっと多く世の中に居ると思います。それらの人に多く影響しているのが「親」の存在です。

人は、生まれてから自立するまで非常に多くの時間を親と過ごします。また、親と過ごせないということが社会の規範の中で影を落とします。好むと好まざるとに関わらず「親」との関係に強く影響を受けるのです。

どんなに不条理であっても「親」という存在が描写し続ける世界を「子供」は学び続けるのですね。

だからといって個人的には「理想の親」という安易な像を掲げる事には同意出来ません。世の中は複雑だからです。

しかし、どんな形であれ、「親」と「子」、「子」と「親」という関係について視座を持つことは人生を意味づけるうえで重要なことであるのは間違いないようです。


親子?わからん・・・


2015年5月11日月曜日

まずはバッターボックスに立とう

「トヨタでは過去、打席に立って1割しか打てないなら、ゼロ打数ゼロ安打が評価された。ヒットが打てなくてもバッターボックスに立った人が評価される会社にしたい」。

はじめて2兆円の営業利益を達成したトヨタの豊田社長が発したメッセージだそうです。

未来や挑戦を標榜する会社の多くで聞かれるのが、減点主義、ミスをすると浮かばれないという「実は」話です。

しかし、あのトヨタでもそうなんだ、というのは正直驚きでもあります。


人は問題に目が向きやすいそうです。出来ていることよりも、出来ていないことを先に見つけるのです。

リフレクションの大家、コルトハーヘン教授は人に内省を促すとまず課題を思い浮かべる傾向であることを指摘されていましたが、認知バイアスの一種なのかもしれません。

逆に、出来ていること、挑むことを評価するために価値観や主義・信条などが必要だと思われます。癖を乗り越える意識ですね。


信条


2015年5月10日日曜日

問われる、向き合う、個力で戦うときの3箇条とは

キャスト・アウェイ(トム・ハンクス)、ゼロ・グラビティ(サンドラ・ブロック)、オール・イズ・ロスト(ロバート・レッドフォード)

今日、一日のうちにこれらの映画を見ることになりました。

キャスト・アウェイは無人島でのサバイバル、ゼロ・グラビティは宇宙からの帰還、オール・イズ・ロストは船舶事故からの生還と、それらには「生き残る、それもたったひとりで絶望的な状況から」という共通のテーマ設定があります。

周囲に誰も居ない時どうやって戦えるのか。

これはある意味において究極の問いと言えるかもしれません。

それぞれの映画の中で、主役の人たちは、何度も挫けそうになりながらもギリギリのところで踏みとどまり、生き抜くことに力を注いでいる様子が描かれますが、「あきらめない姿勢」ほかいくつかポイントがありそうです。

その他のポイントもあわせて考えてみると、

1,最後はあきらめない姿勢を持っている
2.知恵を使い決断をする
3.冷静でパニックに陥らない

ことが大切であるようです。

サバイバルではありませんが、つい先日、一人で休日出勤中に急な対応が必要となり多くのことを決められた時間内で処理しなくてはならなくなりました。

そういう時に限って、泣きっ面に蜂で不急の電話が鳴ったりするものです。

その修羅場は何とか乗り切ったのですが、後から考えれば、「あきらめない、決断をする、慌てない」というのは行動の原則であったように思えます。

今日たまたま前述の映画を見ることになったことには大切な意味があったと考えています。

「経験を具体的に査察し、本質を考えること」です。

映画はフィクションですが、描かれるテーマからの類推を通じて経験を価値化することは面白く楽しいことでもあります。


戦いをあきらめない

2015年5月9日土曜日

顧客の課題についてレクチャーをして気づくこと

新年度を迎え、新入社員へ様々な研修が行われていることと思いますが、先日、自分も「顧客の課題について」というテーマでレクチャーを行いました。

テーマは新人研修計画作成の担当者から依頼を受けたものですが奥の深いテーマです。

どのような業界においても、顧客の課題に関する調査が数多く実施され、結果が公表されていますが、それを真に受けて、事業を展開しようとしても大概上手く行きません。

何故なのでしょうか?

私は、「客観的事実への幻想」があると考えています。

顧客が直接口にした言葉や、アンケート回答を集めた集計結果は、共通の知識にはなりますが、知識=課題の理解でないことは明白です。

しかし、知識を持っただけでわかったつもりになってしまう錯覚は日常的に起こります。

「顧客の課題」という知識があったとしても、それは「顧客の課題」ではないことを正しく知るべきです。

課題とは、「経験学習サイクル」(コルブ・1984)や「ALACTモデル」(コルトハーヘン)など、経験を省察する過程から生まれるものだと考えます。

そして、次の行動の選択肢や新たな解決策の表出をセットになって語られるものでしょう。

知識で語る「課題」では「真の課題」になっていないと言えるでしょう。

では、新入社員に伝えるべき「顧客の課題」とは何なのでしょうか。

「基礎知識」と「自分事化」がその第一歩だと思います。

もう少し噛み砕くと「掘り起こしの手伝い」です。
自分や身近な人の出来事を通じて、「顧客の課題」を自分事にする支援ですね。

とはいっても、上手に掘り起こせる新人もいれば、そうでない新人も居ますから、1回のレクチャー実施ではまったく不十分なテーマ設定です。

ですから、新人研修計画作成の担当者がどこまで課題化してテーマを定めているのかが問われなければなりません。


奥深い目つき




2015年5月8日金曜日

第2回 がちゃらナイト? 変わる場で変わること

今日は、一月ぶりの自画持参、BYOの日でした。

前回と今回、参加者は多少入れ替わりがあるものの、常連中心の小規模なBYOとなり、けっかとして「がちゃトーク」ではない、「がちゃらナイト」でした。

勝手に名づけてみたのですが、2つの意味があります。

ひとつは、「がちゃやらない、ナイト」。

もうひとつは「がちゃ、やらないとね」です。

後者に関しては、場において自らを規定するもの、「プロトコル」です。

「人数も集まったし、さあ、がちゃトークはじめなきゃね」的な何処と無く聞こえて来る心の声があります。

習慣化することで、無意識のうちに場を規定してしまう、そしてそのプロトコルに思考が束縛されていくのです。

自らのプロトコルに気づき、開放する。

実は、「プロトコル」は今日のダイアログ(対話)の中で出てきたキーワードのひとつでした。

なんだか暗示的です。


場の規定

2015年5月7日木曜日

人と技術の間にある組織

Cogito ergo sum” 〜我思う、ゆえに我あり〜

あまりにも有名なデカルトの命題ですが、人類は「人とは何か」と長いこと問い続けています。

一方、18世紀半ばの産業革命以降、技術の領域は飛躍的な進化を遂げ、1980年以降の情報革命を経て、指数関数的な増殖により、特異点に向かっていると考えられています。(Exponential Growth と Singularity)

この世代を超えて保存される「人」と短期間のうちに爆発的に進化を続ける「技術」の間に挟まれているのが今日の「組織」だと思います。

「人」と「技術」をつなぐだけでなく、「技術」の進む方向を定め、「人」の暮らしを変えることで、双方に影響を与え、その影響力の強さが「企業の価値」であり「躍動する組織」として社会から認知されるのです。

1972年にローマクラブが提言した「成長の限界」は、「人」の生活の基盤である「環境」の有限性に着目していましたが、技術の進化は「人」と「環境」の関係性も変えてしまうかもしません。いや、おそらく変えてしまうのでしょう。

その変化を触媒するのが「組織」ではないでしょうか。

ただし、「環境」の一部として存在する「組織」ではありません。地域コミュニティの崩壊はその一端であるように思えます。

ユビキタスの到来は、友人関係だけでなく、すでに家族関係をも変えてしまいました。この流れは止まりません。

そして、勝ち組と称される「組織」は、そこに介在している「組織」です。


間にある




2015年5月6日水曜日

日本でタレントマネジメントシステムが嵌まらない理由

人材に関する取り組みで日本は米国から10年遅れている、という話を聞いたことがあります。

「遅れている」という、その真偽はわかりませんが日本と米国のシステムが異なっていることは確かなようです。

オリックスの元会長、宮内さんが「働きに悪い正社員を解雇できる社会へ」と述べられていますが、「解雇」も日米では大きく異なります。

そして、おそらく「タレントマネジメントシステム」も異なっていると思われます。

米国ではPeopleSoft(現オラクル)など、長い歴史を持ち、企業のみならず様々な領域で人材管理システムが定着していますが、日本では様々な議論が現在も続いているようです。

日本でも当然、人材を管理する仕組みはありますが、先ほどの「解雇」の違いを見てもわかるとうに、雇用契約の思想が異なっている米国のシステムをそのまま持ってきても適応が困難であることは想像に難くありません。

次に、例外の多さもシステム思考を阻む大きな障壁です。

デファクトスタンダード(基準化)を志向する米国に対して、ローカライゼーション(固有の特色)を志向する日本では、例外処理がとても多くなります。

そしてそれは、システム化を困難にするのです。

「これが標準だ」と言っても「うちは違う。合わせてもらわないと困る」となる訳です。

そもそも、システム化の中核技術となるプログラミングは、特殊ではあっても「言語」ですから、例外処理の記述は面倒なものです。

逆に、ルール化されたものはとても記述し易いのです。

日本でタレントマネジメントシステムを嵌めるためには、例外処理を全て定義し、記述するか、ルールオリエンテッドに転換してほとんどの例外を無くす必要があるのでしょう。


ハート

2015年5月5日火曜日

自分の「ものさし」を変えること

ちょっと昔になりますが、バンダイさんの就活生向け映像を見せて頂いたことがあります。

それは「内定者が作った映像」であり「内定者が次の就活生に向けて作った」というだけで感激ものなのですが、その内容は感動に満ちたものでした。

テーマは「ものさし」。

想像するに、就活を通じて自分や応募企業を測る「ものさし」で多くのことに気づきがあったのだと思います。

それほど長くない映像でしたが、見終わったあと、感激して涙が止まりませんでした。

一方で、社会人になって仕事に慣れてくると自分の「ものさし」が見えなくなってきます。

「当たり前」になってしまうのです。

自分の「ものさし」に向き合うには、「修羅場、崖っぷち」と「内省」が必要です。

そして自分の「ものさし」を変えるためには「気づきの本質」と「快適ゾーンからの脱出」が必要です。

この連休中、ありがたいことに自分の「ものさし」に向き合う場面がありました。

次は、自分の「ものさし」を変えることに挑みたいと思います。


これも「ものさし」

2015年5月4日月曜日

働かない正社員を解雇できる社会ってなんだろう

新春の対談(「プレジデント」(2015年1月12日号)が企画したオリックス元会長の宮内義彦氏(現シニア・チェアマン)と田原総一朗氏)がその後も話題になっているようです。

現在はネットで公開されています。

宮内さんは雇用問題の既得権益者は「正規雇用者」であり、「解雇を規定する、つまり解雇できないことをやめる」と述べられたようです。

解雇に関して、厚生労働省のHPには以下のような記載があります。

”解雇の有効性 契約法
●解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合、権利を濫用したものとして無効となります。
●契約期間に定めのある労働者については、やむを得ない事由がある場合でなければ、契約期間が満了するまでの間において労働者を解雇することができません。裁判例によれば、契約の形式が有期労働契約であっても、期間の定めのない契約と実質的に異ならない状態に至っている契約である場合や、反復更新の実態、契約締結時の経緯等から雇用継続への合理的期待が認められる場合は、解雇に関する法理の類推適用等がされる場合があります。”

つまり、「働かない」「働きが悪い」という事由では、解雇権の濫用で会社側が負けるよ
、と言っている訳ですね。

確かに、宮内さんが築き上げた会社のように大きな企業になれば、「正規雇用者が既得権益」というイメージもよくわかります。

しかし、世の中に多くある中小企業において、「正規雇用者が既得権益」という印象はあまり感じられないと思います。特に、新進気鋭のベンチャー企業で働く人にとってみたら、何を言っているんだろう、と感じるのではないでしょうか。

というのも、会社そのものがいつ、どんな形で無くなるかわからないからです。既得権益どころの話ではありません。

そしてそれは、大企業とて同じであるということをバブル経済崩壊、リーマンショック後に多くの人が知ったはずです。

破綻した企業においては、解雇は「合理的かつ社会通念上相当」ですね。

さて、働かない正社員にとって組織が快適空間であるということは、生活に困らない給与が貰えるのでしょう。

ここにちょっと疑問が湧きます。

給与は働きに応じて決められているのでしょうか?

パフォーマンスと給与が連動していれば、働きが悪ければ給与が下がり、生活が成り立たなくなるはずです。

その方程式が成立していないということは、評価制度、給与制度を作る人か評価制度を運用する人の働きが悪いとも考えられます。

下手をすると、働かない正社員の連鎖が起きているのかもしれません。

働かない正社員を解雇できる社会とは「解雇が規定された社会」ではなく、「働かない同盟の解体が進む社会」なのでしょうか。


なんにもしないで浮いてるだけー


2015年5月3日日曜日

「不安心理」がカオスを生み出す

人も動物も不安を感じると行動の質が変化します。

例えば3つのFと呼ばれるFight、Flight、 Freezeにも「不安心理」が関わっていると思います。

Fightは好戦的になるケースです。犬が牙をむくように人も外罰性が高まります。それを外部でなく自らの内部に向けて原動力に変える人も居ます。内省を深めて活性を高めるのです。

Flightは逃避です。すたこらさっさとその場を逃げ出します。

Freezeは身動きがとれなくなる、停止状態です。

逆に、場に攻撃性や活性が高まっていたり、人が逃げ出したり、凍りついているときは「不安心理」が背後で大きく影響しているとも言えるでしょう。

例えば、就活も「不安心理」が背後で大きく関わっています。非常に多くの企業にエントリーしたり、他責傾向が出たり、途中で折れてしまい活動を止めたり、ビジョンなく大学院への進学を目指したりと、一人ひとりの変化は多様ながら、就活全体の行動傾向が大きく変わってきます。

「不安心理」という初期条件の変化にとても鋭敏なのです。

ですから、毎年同じことはなく、昨年の経験が今年も活かせる保証はまったくないのです。

内定を早く出す企業が増えたり、一部の企業が採用計画を増やしただけで様相はまったく変わってしまいます。

そして、社会の「情報化」「ネットワーク化」がさらに事態のカオス化を招いてきますから、晴れるか、土砂降りの雨かはその時になってみないとわからない予測困難性が増していると言えるでしょう。

この「不安心理」は就活生だけでなく、企業の側にも同様にあり、相互作用によって複雑系を構成しています。

しかし、かつて多くの企業において成果主義が失敗し、今日、評価制度の廃止に注目があつまるように、「不安心理」によってもたらせられる、ごく一部の「内省と活性化」効果への過度の期待を廃して、「不安心理」を取り除き、より発展的、前向きに「内省と活性化」を促す動きが今後強まるでしょう。

「不安心理」で覆われた職場はもはや過去の遺物なのです。

更に挑戦と安心はセットです。

今後、「ポジティブ心理」という初期条件の変化がどのようなカオスを生み出すのか注目です。


遺物崩壊

2015年5月2日土曜日

人事が歩む道

週間ダイヤモンドの特集、「人事部の掟」では、人事年表を作って人事部の役割の変化を解説しています。その年表をみていると環境の変化に合わせて人事が役割を変えてきている様子が見てとれます。

一方で、人事の挑戦が社会を変えたケースはあまり見つけることが出来ませんでした。

会社を変えようと取り組んでいる人事担当者をたくさん存じあげていますが、一方で「伏魔殿」のような人事部もあり、特集はそれら、旧来の人事部のイメージとして持ちだしているようです。

特集内容
【Part1】ニッポンの人事部“解体新書” なぜ理不尽がまかり通るのか
【Part2】あなたの給料・評価はこうして決まる 年収格差が生まれるメカニズム
【Part3】新・人事部の掟 旧来型人事をぶち壊せ

旧来の特徴は”理不尽”、”評価による格差”であり、これからは、それらが破壊され”活力を生み出す組織を創る”ことに力を入れていくと結んでいます。(”人事のぼやき”もありました)

一言で言い換えれば、自らのミッションを、”上意下達の権力中枢”から、”結果重視のイネーブラー”へシフトしていると言えるでしょう。その主な行為は”命令”から”問いかけ”に変わります。

経営学習研究所その他の様々なイベントの内容やセッションに参加している人事関係者と意見交換をするとその事を強く実感する一方で、参加者には共通の傾向性が感じられます。おそらく、異なる傾向性(旧来型)の人事関係者のシフトはこれからなのでしょう。


ぎょぎょぎょ


2015年5月1日金曜日

日本酒に感じる個性の見極め

最近、日本酒の味が少しだけ、わかるようになってきました。

というより、日本酒がやっと呑めるようになってきた、と言ったほうが良いでしょう。

といっても、弱いのでそれほど呑めないのですが、それぞれ個性があって多様な世界です。

日本酒通の人と一緒に呑むと、最近の味のトレンドとなぜ、そうなって来たのかを教えてもらえて多様性の背景に想いを馳せることができます。

特に、食べ物とお酒の相性から、トレンドが生まれるという話は示唆深いと感じました。

お酒は人が米と酵母から作りますが、食のトレンドとシンクロするという理解は、変化の源は常に自分たちの世界の外にあることの実証であると考えるからです。

個性を考える際に、その個性が生まれた背景に目を向けざるを得ません。

違うよね、だけでなく何で違うのかを考えることが大切です。


美味しい!