2015年4月30日木曜日

マネジャーについてくる手放す不安と影の声

マネジャーに成る鍵は「プレイヤーから生まれ変わること」と言われますが、生まれ変わることを躊躇わせる状況があるのも事実です。

思いつくままに書き出してみると
1.部下のスキルが足りず手を出してしまう
2.部下の意欲がたりないので仕事に隙間が生まれる
3.部下がプレイヤーとして期待する
4.同僚や上司が生まれ変わらずプレイヤーとして扱われる
5 .顧客がプレイヤーとして期待する
となります。

1と2は、顧客を含め仕事を手放す不安の背景です。

3と4と5は、プレイヤーに押しとどめようとする影の声です。影でなく明からさまなことのほうが多いようにも思えますが・・・

何が言いたいのかといえば、生まれ変わる戦いは獅子の子落としだけでなく、四面楚歌でもあるということです。


咲こう!



2015年4月29日水曜日

組織と人、身体と脳と環境 外から内へ、そして内と外と

組織について考えるとき、組織を構成する人の行動を目を向けずにはいられません。

人の行動を理解するためには意識や意欲や志向に目を向けずにはいられません。

人の意識や意欲や志向を理解するためには思考に目を向けずにはいられません。

人の思考を理解するためには気質や能力に目を向けずにはいられません。

人の気質や能力を理解するためには脳の働きや発達過程に目を向けずにはいられません。

人の脳の働きや発達過程を理解するためには脳と環境の関係に目を向けずにはいられません。

脳と環境の関係を理解するためには脳と身体の関係に目を向けずにはいられません。

脳と身体の関係を理解するためには生命について目を向けずにはいられません。

生命について理解を進めるためには生命的な働きについて目を向けずにはいられません。

生命的な働きについて理解を進めるためにはマッシブデータに目を向けずにはいられません。

マッシブデータについて理解を進めるためには地球に目を向けずにはいられません。

地球について理解を進めるためには宇宙に目を向けずにはいられません。

宇宙について理解を進めるためには時間や次元に目を向けずにはいられません。


外から内へ進むとやがて外に向かいます。
私達は渡したの外だけでなく、内にも宇宙を宿しているのでしょう。


宇宙へ


2015年4月28日火曜日

ケースメソッドから気づく会議における「学びの共同体」

 MBAでよく用いられるケースメソッドは、

1.ケースを読む
2.自分で理解分析し自説を構築する
3.グループ討議で自説の言語化を行う
4.全体討議で他者の説に触れ自説を問い返す
5.自分の考え方を固める

というプロセスを利用して思考を鍛えますが、それによって身につく思考は日常の仕事で活かせるものです。

討議にケースを使うのは、実例だと利害関係が生じたり、配慮に欠ける可能性が生じることと、より客観的に状況を理解し考えられる教育的効果の高さを狙ってのものです。

現実的なテーマになればなるほど視野は狭まり反省や後悔などネガな感情が類推(思考の応用)を難しくしますが、ケースメソッドの目的には、この場合はこういう考え方もあるのではないか、こう考えてみたらどうだろうかといった思考の広がりを身につけることがあります。もちろん、広がりだけでなく、他者との交換、衝突、葛藤を通じて思考の強さを身につけます。

しかし、ケースメソッドには、思考の促しだけでなく、促しを生む場の持ち方という大切なテーマがあります。

それが「学びの共同体」です。

自ら考えるだけでなく他者の考えを通すことで相互に学ぶ場を作るという考え方は、人が集まって討議するいかなる場でも大切なテーマです。

日常的に行われる社内会議も同様です。

一人が話し、多数が聞く、という場では学びが生まれません。レクチャーとして知識などを伝授する場合は良いとしても、「討議を通じてそれぞれが自分の次の行為を自ら選択する」場合は、参加者それぞれに学びが大切です。

討議の前後で、行為の選択肢が増え、より可能性の高い行為を選択、実践出来るようになっていれば場の力が大きかったことがわかります。

その力自体は、本人の内部にあるものですが、場の力を借りて引き出せるようになるのでしょう。


会議の中で思考の広がりや強さを身に付ける効果は薄いかもしれませんが、私は、会議を参加者の内に潜む力を引き出す(エンカレッジ、エンパワー)場にすることを大事にしたいと考えています。


あげあげ

2015年4月27日月曜日

組織で花咲くために考えること 「ランの花」仮説

”おそらく私は間違った質問をしていたのだろう。性格の何%が生まれ持ったもので、何%が育ちのせいなのかという問いよりも、生まれ持ったの気質は環境や自由意志とどのように影響しあうのかという問いの方が重要なのかもしれない。気質とは、どの程度逃れらない運命なのか” (「内向型人材の時代」 スーザン・ケイン著より)

本の中に20の質問があり、それによって内向型、外向型の見分けが出来るようになっていますが私は◯×がちょうど10個づつと、なんとも中途半端な結果で「どっちなんかい?」と思わずひとりつっこみしてしまいました。(科学的な性格診断ではないそうです)

さて、本の中で、内向型人間は環境からより強く影響を受けるが、適切な状況では見事な花を咲かせる「ランの花」のような存在であるとの記述があります。

デヴィッド・ドブスによる「ランの花」仮説だそうです。

タンポポのようなたくましさはありませんが、花としての美しさや咲き続ける力はタンポポをはるかに凌ぎます。

確かに、会社にある胡蝶蘭は、3年前の引越しで頂いた花ですが、窓際で今年も綺麗に花をつけました。一方、我が家にあるミニ蘭の鉢は葉はあるものの、花はまったくつけそうにありません。

ランの花は置かれた場所と世話をする人によって運命が決まってしまいますが、人は自ら環境を選んだり、変えることが出来るはずですが、「自ら場を選ぶ」ことは「たくましさ」の一環と言えるかもしれませんから「ランの花」のメタファーはかなり的を射ていると言えるのでしょう。

組織においても自ら切り開き活躍する人材と、活躍のためには良い条件を与えられる必要がある人材がいます。

多様化、複雑化し予測することが困難な社会環境において、状況を打開する人材への期待が高まっている流れに待ったをかける「内向型人材の時代」ですが、良い条件と引き換えに圧倒的な強みが求められていることを忘れてはいけません。語られているのは、咲かせるのが難しい普通のタンポポ、ではありません。

風をつかむタンポポ、室内の日当たりの良い窓際で咲き続けるラン。

考えさせられる「ランの花」仮説です。


窓際のランの花


タンポポはこんなところでも・・・

2015年4月26日日曜日

ワークライフバランスに必要なのは制度ではなく期待・希望だと思う

人だけでなく動物を見ていてると、足取りの軽さ重さが良くわかります。

我が家の愛犬は、バナナが大好きなのですが、以下のように少しゲーム的にあげ方を工夫しています。

1.手からはあげない
2.欲しがってもすぐにはあげない
3.数回に分ける
4.サプライズを演出する

1に関しては、必ず食事用の器に入れてあげるようにしています。2に関しては躾のつもりです。そして、重要なのは3と4です。まだ次があるのでは、という期待に対して成果が伴うのですが、成果が常にあるわけではなく、数回に1回、具体的には約5回に1回と20%程度の確率で期待が叶うようにしています。それも、彼が一旦、食器から離れて見えなくなったときに食器に入れています。

これは、意地悪ではなく、もう高齢でボールにも興味を持たなくなった愛犬に少しでも元気でいてもらうための工夫です。

脳の中の快楽回路は、20%くらいの確率に対して一番活性化するという研究結果を参考にしたものです。

この方法でバナナをあげていて面白いことに気づきました。それは、彼の足取りです。

欲しがる時は興奮が入っているのですが、貰えるタイミングになると彼の行動は知的になります。

まず、欲しがる時は私にアタックしてくるのですが、貰えるタイミングになると、彼の集中は食器に向かいます。

そして、食器にバナナが入っていないことを確認すると、食器から離れ部屋を歩きそして戻ってきます。バナナを貰いながらその行動を何回か繰り返し、もう、奇跡が起きないことを知るとおとなしく定位置に戻るのです。

しかし、あきらめきれないときは、食器にスローに、そしき間近になるとクイックに向かいます。その様子を見ていると、彼の時間が一様でないことが推察されます。

期待が彼の行動を俊敏にしているのですが、私は彼が俊敏になることで時間をより多く使えるようになっているのだと気がつきました。

「急いで用事を片せば残りの時間を多く使える」ということです。

流れとしては、期待→俊敏さ→時間増 です。

この気づきをワークライフバランスに置き換えると、時間を配分するというワークとライフの二元論的、敵対的な捉え方でなく、時間を増やすという課題解決へのアプローチが見えて来ます。

さらに良い点は、ワークもライフも期待や希望があればそれぞれが時間を増やせるのです。そして増えた時間は何に使ってもよい時間です。

もちろん、考え方だけで全てが解決することはありません。
しかし、時間を有限なものとして奪い合うよりも遥かに解決の光明が見えると考えます。

足取りが軽くなる期待や希望をワークにもライフにも持つこと。

まずはワークとライフの足取りの軽さからチェックしてみましょう。


足取り軽く


2015年4月25日土曜日

人は知らず知らずのうちに「出来る人」を物差しにしている

経験の浅い新人が最初、仕事が出来ないことを誰も不思議に思いません。

一方で、新人にも関わらず仕事が出来ることは賞賛されます。

逆に、経験年数が長いにも限らず仕事が出来ない人に対しては冷たい目線が向けられます。

では、人は仕事が出来る、出来ないという判断はどのように測られているのでしょうか。

ヒントは子育てにありそうです。

例えば、物事の理解力がついてきた子供に対して親が言う「そんなことも出来ないの?」という一言です。

この一言には「そんな」という尺度と「出来る」という判定が含まれます。

「そんな」には、1.一般的に 2.特定の人に 3.自分に  4.想像の人に の誰かに無意識のうちに比べていることを示しています。そして、比べた人は「出来ている人」です。

「仕事が出来ない人」は自ら工夫しながら「出来る人」になるのですが、残念ながら全ての人が出来るようにならないのも事実です。

しかし、全ての人にとって「仕事が出来る人」とは物差しであり光明です。自分が出来ないことを「見える化」してくれるからです。「見える化」は「出来る化」への第一歩です。

物差しになる「出来る人」をたくさん見つけることは人生を豊かにするひとつの方法であると思います。


いよいよ紫陽花のとき

2015年4月24日金曜日

組織を活き活きさせるマネジャーの躍動

ピラミッド型組織、フラットな組織など組織にはいろいろな構造がありますが、大雑把に捉えると組織は市場や顧客と日々直接のやり取りで忙殺される現場の最前線と、組織の頂点に位置し、人・物・金・情報の資源を遣り繰りして組織の目的実現に勤しむ経営と、その間を飛び回るマネジャーによる動きの異なる三層で活動をしています。

野球チームの組織では、選手とGM(ゼネラル・マネージャー)と監督・コーチ陣の三層でそれぞれの機能、役割が明快です。

「名選手、名監督にあらず」という言葉がありますが、選手と監督の動きが異なることは明白です。

営業職では、コンピテンシー(活躍のための行動習慣)が直線的なので、優秀な営業マンが良いリーダーになる確率はかなり高いのですが、マネジャーとなるとはやり話が違うようです。

なぜなら、マネジャーは経営の機能も実現しなけばならないからです。

自らがバットを振るのでなく、誰にバットを振らせるのか、ボールを投げさせるのか決め試合を勝つことが仕事です。グランドに送り出す選手を育てる必要もあります。

ところが、選手が選手の延長で監督を行ってしまうと、自分を同じように投げたり打ったりすることをとかの選手に求めてしまいます。また、選手と一緒に何故、打てないのか、どうしたら打てるのかと悩み始めるので勝つために何をするのかというもっとも重要な視点が疎かになりがちです。

産業組織でもこのような状況はよく見られます。

そして、そのような状況の行き着く先は、先行きの不透明さです。

功労賞的登用が行われる組織の停滞はそこに大きな原因があります。

経営のハンドリングが企業間競争の勝ち負けへの影響性が大きくなればなるほど、マネジャーの専門性と活動性は重要です。

業況が芳しくない場合、マネジャーの見直しは最優先課題ですが、年功色を残す日本の組織では思うように進んでいません。

一方、活力があり、活き活きとした組織では、マネジャーの代謝が頻繁に起こっています。マネジャー層が常に躍動する環境を整えているのです。


躍動しなきゃね




2015年4月23日木曜日

ファシリテートで大切なのは発話のコントロールと余白

会議を上手く進めると参加した人のみならず波及して多くの人がハッピーになれます。

逆に会議の運営を失敗するとその影響は甚大です。

では、会議や討議や対話など多くの人が集う場の運営のポイントは何でしょうか。

いろいろな説があるのでしょうが、私は運営者が何を話すかよりも発話の量と会話の間に余白を作ることだと考えています。

もちろん、自分の考えを分かりやすく噛み砕いて伝えることも大切ですが、一番伝わるのは1分〜3分程度の短い発信です。話が長くなればなるほど伝播率は間違いなく下がります。10分間、話を聞いて「さあ、どう思いますか?」と参加者に振ったところで、参加者は何をどう返すのかわかりません。そして、質問の意図を聞き直すことになるのです。

さて、発話の量をコントロールしたとして、次に大切なのは、「聞く」、「考える」、「発言する」、「皆で確認する」というリズムを参加者に作ることです。

そして「考える」「確認する」ためには、余白の時間が必要です。

人の思考は、残念ながら情報が多くなるほど混乱しがちですから、流通する情報の量をコントーロールしながら参加者の頭を最もよいコンディションで働かせることが運営者の仕事であると言えるでしょう。


まるまると


2015年4月22日水曜日

シンパシー(共感)というよりシンクロニティ(共時)

一緒にいる相手の気持ちに心が動かされるシンパシーと、離れていても同じことを考えたり行ったりしているシンクロニティ。

いづれも日々の生活や仕事の中で感じるものであり、また、大切だと思うものでもあります。

私にとってシンパシーは掘り起こす感覚に近いのですが、シンクロニティは驚く感覚を覚えることが多いようです。

ただ、同じように考え行動することを他者に強いることには違和感を覚えます。企業が定める行動規範や理念においても、強制になった瞬間に息苦しいものになります。

自律的、自発的な思考や行動のなかでのシンクロニティは想定外ゆえに驚きがあるのでしょう。

ところで今日はどうやらこの子の体調とシンクロニティが起きているようです。


うー・・・

2015年4月21日火曜日

なるほど!ザ・アイティ

先日、他界された愛川欽也さんと言えば、なるほどザ・ワールドの司会が記憶に強く残っています。

レポーターが世界各地を訪れて現地から出すクイズは、日本では知ることの出来ない世界を知ることが出来る楽しい時間でした。

愛川欽也さんのご冥福をお祈り申し上げます。


さて、仕事はやってみないとわからないものですが、その中でも、実際に向き合ってみてITに関する仕事はHRの仕事と大分異なっているように思えます。

何が違うのかというと、まず「ゆらぎ」の無さです。

仕事の結果はとてもクリアで、上手く行くと人の力では実現出来ない大きな効果が得られます。しかし、モジュールを組み合わせると複雑さは倍加して予測不能性が高まり、直感がとても大切になってきます。

コンピュータは決して、ルール以外の解釈をしませんから、アウトプットがおかしいときは、人の操作がおかしいわけです。

直感とは、実は、人がどこでミスを犯すのかを感づくことです。

ですから、インターネット上に置かれたFAQはとても的確で仕事の大きな手助けとなります。

一方、人に関する仕事、例えば、マネジメントなどもインターネット上に非常多くの「こうすべし」という情報がありますが、それによって直面する問題が解決することはまずありません。

また、上手いアプローチを見つけたとしても、効果はゆっくりと少しづつしか出ません。

そして、人が何故ミスを犯すのか考え抜くことが大切になります。

ITでバージョンが変わるということは、パラダイムの変化であり世界が変わることを意味しますが、HRでバージョンで変わっても世界は変わりません。コンセプトや視点が変わったに過ぎないからです。

ITの飛躍的な進化に比べてHRの進化がとても遅いのは明らかです。課題の解決に長い時間が掛かる、と言い換えて良いかもしれません。


しずく

2015年4月20日月曜日

自己申告制度ってみんな使っている?

人事制度の中に「自己申告制度」と呼ばれる制度があります。

自らの異動を宣言する制度です。

当然、制度の狙いとは別の問題が発生します。

まず、逃避型申告です。

今の職場が嫌なので別天地を求めて申告するケースです。

このような申告を人事はすんなりと受け入れることは出来ませんから見極めが必要になります。

次に、憧れ型申告です。

入社以降、ずっと営業担当だけど、商品企画は何だか華やかで花形っぽく見えるから異動を申告するといったケースです。

これは受け入れいる部門にとって結構困る話です。仕事の本質ではなく、イメージで配属されてしまうと、実際の仕事の大変さや仕事のミスマッチでどんどん元気を無くしていくからです。

そもそも自己申告制度は、意欲やモラル、やる気を喚起するための制度ですが、キャリアのビジョンが無い状態でおこなうと逆の効果となりかねません。

そして策略型申告があります。

部門の優秀人材を流失させたくない部門長が人材を囲い込み、異動による人材開発を妨げることは珍しくありません。人事の打診に対して、様々な理由をつけてNoと言い張ります。

そこで、人事がこっそり煽って本人に申告させるケースです。

多くの自己申告制度は、前述の囲い込みを避ける目的で、部門長を経ず利用できるように設計されていますから、それを逆手に取って申告制度を活用するのです。

これら、逃避型、憧れ型、策略型以外の自己申告が、挑戦型申告ということになります。

充実した日々の快適ゾーンから、ストレッチゾーンへの壁を越える決意と覚悟による申告です。制度の主旨にあたる申告ですが、この際、充実しているか否かに関しては周囲の評判も気になるところです。

また、充実度合いと仕事へのコミットメントは相関しますから、コミットメントを棄却することにも強い抵抗感が生まれることでしょう。

本当はコミットメントの強い人にこそ、これまでの仕事を棄却して新たな仕事から学んで欲しいというジレンマが内在している制度であることは見落せません。

その上、さらに成長や向上の欲求が強くなるともはや組織に留まることなく仕事を棄却し、学びますから、挑戦型申告は微妙なバランスで成立していると考えられます。

どうやら自己申告制度の設計と実践のギャップは避け難いようです。


ハナスジが通ったハナミズキ





2015年4月19日日曜日

「世界を止めるため」におしゃべりを止める

子どもと接するおとなはみな、たえまなく世界を描写する教師であり、その子が描写されたとおりに世界を知覚できるようになるまで、その役目を果たしつづける。

いったんこのような「世界」のあり方が確立されると、われわれはそれを死ぬ日までくりかえし再生しつづける。たえまないことばの流れによって。

わしらは自分のなかのおしゃべりでわしらの世界を守っておるのだ。

だから自然に教えられた世界以外の世界を見ようなぞという選択の余地はなくなっちまうんだ。(ヤキ族ドン・ファンの話として 「気流の鳴る音−交響するコミューン 真木悠介」 より)

以前にブログ、「世界を止める」大切さを鳩から学んでみる で鳩が歩く際に首を振るのは、世界を動かないものとして見る技であるという研究結果に触れました。

今日、実際に鳩の歩く様を撮影することができたので改めて確認すると、見事に頭の位置を固定しています。身体を中心に見ると首を振っていますが、頭を中心に見ると、身体が頭を追って動いている様子がわかります。

そして、鳩が地上を歩いて餌を探す際は、視点を止めて対象を見極め、それに身体がついていくと考えるほうが自然です。

こうして「見る」という行為を中心に据えると身体の動きがより従属的な位置づけにあると理解できます。

以前は、私たちが世界を止める技として「知的探索、心身の越境、創発」などを挙げましたが、鳩の映像をみているとどうも違っているように思えてきます。

それら「自分の世界以外の存在」という考え方がすでに、「自分のなかのおしゃべり」の一部だからです。

「世界の止め方」とはもっとシンプルで、「無心」になって、単に「自分のなかのおしゃべり」を止めるだけで良いのかもしれません。

ところが「無心」は奥が深いものです。

無極の両体が照らし合って、その間に影像なき、これを無心というのである。「無心ということ 鈴木大拙」

極楽が良くて、地獄が悪いという「学匠沙汰」は「無心」でない証だそうですから、「自分のなかのおしゃべり」はまさに「無心」でない状態と言えるのでしょう。

「世界を止める」ために「無心」に至る。

これが今日の気づきです。(鳩の映像から話がだいぶ飛躍しました)

video

スローモーション

2015年4月18日土曜日

上野というカオスが持つ場の力

土曜日の昼に上野公園界隈を歩くと、混沌としてながらも不思議なバランスが保たれていることに気づきます。

最初に知るのは、まず集まる人の多様性です。

動物園に行く人、美術館に行く人、コンサートに行く人、散歩をする人、大道芸を見る人、大道芸をする人、観光をする人、大学に行く人、カフェでくつろぐ人、買い物をする人、食べ物を受け取る人などなど様々な目的をもった、修学旅行の学生、外人、家族連れ、若い人、年配者などなど多様な人々が上野の山に集まってきます。

それらの人々は、お互いに境界を持って一線を画しているのですが、移動する導線は複雑に交差しています。

大きな範囲で考えれば洗濯機の中の洗濯物のように入り乱れているのですが、パンツと靴下がくっついて1つになることが無いように独立性は保たれているのです。

そこに存在する世界は偶然で、夜になれば消えますが、朝が来ればまた世界が訪れます。

ちょっと考えると不思議なことです。

しばらく経ってから上野に来れば同様な世界がそこにあることでしょう。
自分は間違いなくその世界の一部であるけれど、一方で自分が居なくてもそこに世界は有る。

なんだか哲学的な感じです。

上野というカオスには、その非常に強い混沌さによって何らかの気づきを与えてくれる場の力があるようです。


ああ、上野駅


2015年4月17日金曜日

結果を大切にする人は難しいことをわかりやすく話す

むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに
書くこと

作家井上ひさしさんの有名な文学観です。

この言葉が多くの人に共感や感銘を与えるのは、他者に何かを伝えることの難しさを誰もが感じているからでしょう。

仕事においても、意図を正しく相手に届けることは容易でありません。

多くの場合は、聞く人の状況、条件、性格などによって話の意図が変わってしまいます。

特に、「難しいこと」を伝えることは大変です。

しかし、「難しいことを分かりやすく話す」人も多く居ます。それらの人に共通しているのは、「伝えること」ではなく、「伝わった後のこと」に重きを置いていることだと思います。

受け止めてもらうことを大切にする、結果志向の姿勢です。
この姿勢は、文学や井上ひさしさんに限らず、多様で混沌としたディスカッションのラップアップや、娘が将来社会人になったときのための執筆など身の回りの多くのコトから感じ取れます。

誰かのメッセージにわかりやすさを感じたらそこに息づいているものなのでしょう。


一方で、「難しいことを難しく話す」人は、
1.  自分の思考を話すことによって整理する
2.  自分「を」話す
ことのいずれかに重きがあるのでしょう。

2の自分「を」話すことの中には、喜怒哀楽などぶしつけに感情を表すことも含まれます。

「あの人、気難しいね」

こうなってしまうと難しいことを伝えるまえに、すでに難しい感じです。

さて、今日のブログは書きながら自戒することのやたら多いテーマでした。


わかりやすく、ね。






2015年4月16日木曜日

足りない時間を上手く使うためには時間が必要、というジレンマ

やることはたくさんあるのに、うまく終わらせる算段がつかない。

多くの職場で新人が直面する課題です。

先輩から見れば、計画を立てて仕事を進めることを覚えて欲しい段階です。

しかし、その新人に対して、どうすれば出来るようになると思うか聞いてみると、「計画を立てるためにはしっかりと考えなければならない」と言います。

そこで「しっかり考えるためには何が必要ですか?」と聞くと、「時間と知識と経験」と答えが返ってきました。

知識を得るためも経験を積むためにも時間必要ですから、つまり、新人はたくさん時間が必要だと言っているのです。

では、これに対して先輩はどう支援を行えば良いのでしょうか。

「自分で計画を立ててもらうことは当面諦め、手取り足取り仕事を覚えてもらう」というのも「あり」です。新人の希望通り、たくさん時間を与えるのです。

しかし、先輩の期待は「早く自律して仕事をすること」にありますから、「手取り足取り」や「時間を掛けて」は本望ではありません。そもそも、そんなに高度な仕事ではありません。

それでは他にどのような支援があるのでしょうか。

寝る間も惜しんで働かせることで時間を増やす方法もありますが、これをやるとブラック企業になります。

となると他の選択肢が必要です。

これは先輩に与えらえた課題です。
さて、先輩たちはどう解決するのでしょうか。


どうするぅ?

2015年4月15日水曜日

似て非なる「意識の高さ」と「自意識の高さ」

たった一文字違うだけなのに全く違うことは世の中に多くありますが、そのひとつが「意識の高さ」と「自意識の高さ」です。

「意識の高さ」とは
1.高い目標・・・・・他に人より高く大きく遠い目標を持っている
2.高い責任感・・・・より大きな責任を負うことに意欲的
3.自責思考・・・・・自らに責任があると考える
4.他者への接近・・・他者との葛藤を回避せず近づく
などの傾向より感じとられる人の印象です。

一方、「自意識の高さ」とは
1.目立つ目標・・・・他の人から見栄えのする目標を持っている
2.強い上昇志向・・・より高い社会的地位に就くことに意欲的
3.論理志向・・・・・自分に責任が無いことの論理展開が上手い
4.他者への見下し・・葛藤ではなく優位性で他者に関わる
などの傾向より感じとられる人の印象です。

例えばメジャーリーグのイチローやサッカーのカズなどは「意識の高いスポーツ選手」でしょう。

「意識の高い人」は逆境でも自らの責任に言及します。

カズは張本氏の引退勧告のような発言に
「もっと活躍しろと言われてるんだなと思いました。『これなら引退しなくていいよと言わせてみろ』と(張本氏に)言われてるんだな」と発言したそうです。自分の責任と捉えていることに注目しました。

一方、政治家のなかには「自意識の高さ」を感じる人が少なくありません。つい最近話題になったあの方や「粛々と」を多発する政治家達がそうです。

また、論理展開が困難になったり、優位性が失せると突如として精神崩壊(脅す、喚く、泣き出す)するのも共通です。もちろん政治家だけではありません。

考えるに「意識の高さ」は成長的知能観(賢さは獲得できるもの)、「自意識の高さ」は固定的知能観(知能は実体的なもの)に根ざしているのかもしれません。

一緒に仕事をするなら、もちろん「意識の高さ」を持った人が良いですね。
なぜなら、その人の姿を見ることで自らも成長できるからです。


ホンモノは?

2015年4月14日火曜日

採用人材像がフィットしない理由とは

”こんな人材が欲しい”

人材採用を行う者には必ずこの人材に関するニーズがあります。

そこで人材像を言語によって定義し、採用可否の見極めを行うのですが、実際の採用活動の中で定義された人材像にフィットする人とはなかなか出会えません。

この状態はミスマッチと呼ばれます。

では、なぜミスマッチが起こるのでしょうか。

その前に、人材像についてもう少し掘り下げる必要があります。

人材像に関しては、経歴、経験、スキルといった具体的にこれまでの蓄積に関して描かれるものと、性格、潜在能力、動機、意欲といった抽象的ながら将来の活動を予感し描かれるものがあります。

前者におけるミスマッチは、主に需給バランスに拠ります。

一方、後者におけるミスマッチは、言語化の難しさと人を認知するプロセスのバイアス(偏り)が大きく関わっています。

言語化の難しさは、言語としてのわかりやすい表現は、偶有性があり環境と一体化しホリスティックな存在である「人」との間にある多くの情報を縮約によって消失させることです。

「仕事のできるやつ」「元気のいいやつ」

このような言語から具体的な見極めを行うことは困難です。

「社長が好む人材」といった言語も同様です。

認知バイアスでは、自分に似ている人に持つ親近感、もしくは正反対の人に持つ好奇心など無意識の見極め(第一印象)やハロー効果、近接効果など判断にポジ・ネガな動機を形成する心理特性が、人材の見極めにズレを生み、のちに「あれ?」となるのです。

こうして言語から定義した人材と実際に見極めた人材の間に生じるミスマッチは解消されることはありません。

もやもやしながら向き合っていくしかないのです。

しかし、ミスマッチの幅を狭めることは可能です。

その方法のひとつは見極めに関するリフレクションを行うことです。

見極めの際に使った人材を語る言語と見極めた後に語られる人材を評価する言語のギャップから見えてくる本質を意味化することで次の見極めの選択肢が広がります。

企業において採用と育成が分断するとこのリフレクションは行えません。これは仕組みとしてとても重大な欠陥があると言っても過言ではないでしょう。

また、採用と育成を連動させるといっても、オートメーション化したのは意味がありません。必要なのは、採用、育成という行為の連鎖ではなく、それぞれの行為の本質から見えるギャップを意味化しフィードバックして行為の本質を変化させることだからです。


人も像もぶれる

2015年4月13日月曜日

「会員制まとめ買い」と「カジュアル路線」は好みの問題?

大塚家具で親子の経営方針が衝突し、ニュースになりました。上場企業における同族経営の問題など、普段は潜在化している様々な問題も表面化していますが、注目したいのは経営スタンスに対する社員の意識です。

創業者である父親は、会員制のまとめ買いにより事業成長を目指しているのに対して、娘は今の時流にあったカジュアルな販売方式を模索しているように思えます。

経営スタンスに限れば、「戦略の違い」です。

wikipediaには「戦略とは、一般的には特定の目標を達成するために、長期的視野と複合思考で力や資源を総合的に運用する技術・科学である」とオーバーに記載されていますが、大辞林 第三版の解説、「長期的・全体的展望に立った闘争の準備・計画・運用の方法。戦略の具体的遂行である戦術とは区別される。」に則れば社会のトレンドに対する情報収集と状況判断において二者間にははっきりとした相違が見られます。

こうした異なる展望に対し、マスコミの取材で「二人の主張の違いは好き嫌いの問題」「どちらも大して変わらない」と答えたとされる社員の声が紹介されていました。

この考え方はある一面では間違っていません。未来は予測出来ないのですから結果としてどちらがに軍配が上がるのかは「神のみぞ知る」ことです。どっちでも良いことです。

しかし、一方では深刻な問題を抱えていると思います。社員、一人ひとりが未来に対するビジョンを持たずして何を実現しようとしているでしょうか。

貨幣には欲求の二重の不一致(物々交換ではお互いに所有物を交換したいと思わないと取引が成立しない)を解消する機能がありますが、小売店は、貨幣のその機能を最大化する社会的な機構であるとも言えます。

要は、作り手と買い手を無限に媒介することが小売店の社会的な存在意義であるはずです。

そして、作り手、買い手どちらか一方の欲求を満たしていない小売店が衰退していくのでしょう。

買い手の欲求を満たすために争う経営者親子、そして、それを好みの問題と公言してしまう社員。

本当はそんな社員はマスコミの作り上げた虚像で実在しないのかもしれませんが、発言が事実だとしたら、大塚家具のいばらの道はまだまだ続きそうです。


花道

2015年4月12日日曜日

Googleに見る技術と人の折り合い点

この数日、グーグルが取得した特許が話題になっています。

ひとつは、「故人を“再生”できる…「性格」ダウンロード技術、グーグルが特許」です。

ロボットに性格を植え付ける技術だそうですが、亡くなった人の性格をクラウドに置いて機材にダウンロードする方法のようです。

この話は映画「マトリクス」でエージェント・スミスが、色んな人(といってもバーチャルなのですが)に次から次へと憑依する(乗っ取る)シーンを思い起こさえます。

例えば、出先の物産展にロボットなどの端末があったら、そこに性格をダウンロードして故人と一緒に買い物を楽しむ、なんてことが現実になるのでしょう。

「性格」は、異なる場面において予測可能な行動の傾向性であり外からは見えにくい人の内面情報ですので様々な日常場面での行動の傾向性をデータにして、内面情報をロジックにすることは想定出来ます。

そしてGoogleはすべてのものをデータにしようとしているので、この特許も現実味を帯びています。

もうひとつは、「グーグル、「ネタバレ回避システム」の特許を取得 « WIRED.jp」です。

ソーシャル・ネットワーク上でTV番組や本、映画など話題共有に際し、ネタバレを回避することが特許として承認されたらしいのですが、感動を伝えたい人と、ワクワクしていたい人相互のコミュニケーションでの葛藤をシステムが制御する仕組みには先行にどこか不安も感じます。

いずれにしても、グーグルが「性格」や「葛藤」など、人の内面に深く踏み込んでいることは間違いないでしょう。

一方、グーグルは、自社のマネジャーの要諦として掲げるオキシゲンエイト、採用基準における学歴、学力からの転換などでも、「人格」や「態度」に言及しています。

そしてそこにフォーカスすればするほど、技術の矛先は「人の内面」に向かうでしょう。

「人の内面」という普遍的なテーマと交差しながら先鋭化するグーグルの技術は、倫理観や社会の規範に対し更に強い圧力を掛けていくことは間違いありません。

2045年問題と呼ばれる技術的特異点(シンギュラリティ)により、人は死生観などにおいても大きな転換を迎えると言われていますが、それよりも先に社会や企業や国家に試練が訪れるのではないでしょうか。


人の内面へ

2015年4月11日土曜日

人が会社を変え、会社が人を変える実感

2006年に会社を変えようと役員で考え、それから様々な取り組みをしています。

それから、様々な機会を捕らえて、他社を真似た褒める文化の導入や人事制度の変更など多くのことにチャレンジしています。

もちろん、社内にもお客様にも我々の思いが伝わらないことは多々あり試行錯誤の連続ですが、9年経って、会社が大きく変わった実感があります。

他社文化の真似などはまったく上手く行かなかったのですが、大きな転機になったのが採用方針の変更です。

以前の方針では、スキル、知識、過去の実績を中心とした経験者のスペック採用を行っていましたが、現在の方針は会社にとって本当に必要な人材像をとことん考えて妥協をしない採用をすることです。

本当に必要な人材とは、機能ではなく、自分を成長させようとしている人材でした。

つまり、ストックで勝負する人材でなく、ショートでも勝負する人材です。

わかりやすいのは新卒採用、そもそも、ストックが無い人材の採用です。
もちろん、採用は新卒だけに留まりませんが、一方で頑なだったのは、色々な人脈から会社に興味を持ってくれるその道の経験者です。

この採用方針の変更で採用した人が会社を変えています。

会社がどう変わったのかというと、仕事の本質に向き合って目標に挑もうとする価値軸が実感出来るようになりました。イメージが具体化し始めているのです。それを支えているのは個々のリーダーシップへの挑戦でしょう。

結局、人が会社を変えるのです。

そして、会社はその挑戦の環境を準備することで、個々の挑戦を引き出そうとしています。

もちろん、挑戦に臆病な人もいますが、少しづつ変わっているようです。会社も人を変えています。

私たちの物語はまだプロローグなのかもしれませんが、この実感を経験として、人も会社もさらに変わっていく、そんな筋書きを描き続けたいと思います。


ここから

2015年4月10日金曜日

仕事を覚えるのに座学はいらない!? 

斬新な人事施策で有名な、サイバーエージェントの曽山さんがご自身のブログ(もちろんAmeba)で2015年度の新卒研修で座学をゼロにしたと公表されていました。

「わかっていたつもりだったけど、できていないことがわかった」

ビジネスマナーにしても、ファシリテーションにしても行ってみる体験によって、本番で使える知識が身につけられることは、重要な視点です。

例えば、経験者と若手が混在する社内の会議で、核心を問う経験者と条件と手段に目がいく若手の断絶があります。

会議の中で今後のアクションを想定し対象をリストアップする場合、経験者が思い浮かべるのは「課題のリスト」であるのに対して、若手が考えるのは「行動のリスト」です。

「課題のリスト」には「私は対象をなぜ選び、どう向き合い、何ができ、どのようにアクションするのか」という問いが含まれています。

一方「行動のリスト」は「どの相手にアクションを起こすのか」、TODOの羅列です。

TODOを羅列したのみで出来ないこと。

それが、「わかっていたつもりだったけど、できていないこと」です。

なぜ出来なかったのか、それは座学からは生まれにくい「問い」でしょう。経験者が「課題のリスト」を思い浮かべるのは、経験があるからです。

大学生の「わかったつもりだった」経験の薄さが新人研修から座学を無くしていくのかもしれません。


リアルで気づく


2015年4月9日木曜日

徹底的に人でないもの について考える

人工知能の話題が盛り上がっていますが、コンピュータはそもそも人を模して作ったものではありません。

コンピュータのはじまりは織物機械です。

織物機械がパターンを読み込む機能が計算に利用されたのですが、読み込んだパターンによって異なる計算を実行する、つまり、プログラミングの概念は人が苦手とする正確な計算を行うために開発されました。

それから百数十年が経ち、今日では、単に計算とは言えない複雑な概念を制御するに至りました。

交通期間も金融もコミュニケーションもコンピュータが深く関わり社会を成立させています。

そして、私達はコンピュータが破壊される事を恐れるようになりました。人為的でないもの、例えば、太陽フレアもです。

最近、開発を行ったシステムは、複数のまったく異なるプログラムを統合したものですが、先鋭化する機能をつないでいるのも関わらず正確に動作する様は、神秘的で生命的なものです。

それは、コンピュータが具現化している世界なのですが、全く異なる場に居るそれぞれの人の間である意図を正確、迅速に受け渡します。あまりに、早いので、もはやそこにコンピュータが居ることを意識しなくなるのです。

また、不具合が起こる原因は構造では理解し難いものです。要は、実際に動かしみないとわからないのです。

大掛かりな仕組みなのに見えない、また、動かしてみないとわからない。すでに、身体の一部となっているコンピュータの実態は不可解です。


右左




2015年4月8日水曜日

本を棚に並べてわかることがある

本を棚に並べるとき何がおこり何に気づけるのでしょうか。

オフィスのレイアウト変更にともない、本棚の移動がありました。一旦、ダンボール箱に収納した本を再び棚に戻しながら考えていました。

まず、本の大きさは制約条件です。

それぞれ異なる棚の大きさに合わせて本を収納します。色々な大きさがあるので思ったように棚を使えません。

次に、本の内容です。本の分類やテーマによって位置を決めます。

これは、前提条件です。例えば、うちの会社であれば、心理学や統計学、人と組織、人事、リーダーシップ、マネジメント、学習と育成、研修などなど、おそらくこのような場面で本を探す必要が出るだろうという前提のもとに収納場所を決めていきます。

並べながら思ったのは、「本を本棚に並べる行為には自分の中のプライオリティ(優先度)やマインドシェア(気になること)が投影されている」という最初の仮説です。

今日の配置で言うと、棚の上から、「経営・人事・組織」「リーダーシップ・マネジメント」「分析・統計」「心理学全般」「心理測定・社会調査」「教育」「諸々の蔵書」「マーケティング」「辞書・辞典・白書」といった感じでした。

実践的な課題解決とその裏付けとなる方法論までが、日々の視野にあり、蔵書以下は、使わないけど保管だけしている印象です。

本は並べるものでなく、読むものですから、綺麗に収納する必要はありません。

田原総一朗さんの書斎をテレビで見たことがありますが、至る所に本が積み上がっていて本棚に整理しているようには見えませんでした。もちろん、立派な本棚もあるに違いありません。

実は自分のロッカーにも結構な量の本が入っているのですが、そこは結構グチャグチャで自分だけがわかる世界です。本の内容も、小説やら複雑系やら脳科学やらグラフィックやらとカオス(混沌)な空間です。並べても出し入れが激しいので場所が定まりません。

一方、本の多さは知識の豊富さをアフォードします。テレビで大学教授などがインタビューを受ける時、立派な本棚といっぱいの本を背景にしていることが非常に多いです。また、オフィスのよく見える場所に、大きな本棚とステキな本を並べている会社もたくさんあります。それらからはメッセージが見え隠れします。

そこで浮かんだ2つ目の仮説は、「本を本棚に並べる行為は自己顕示であり、並べない本は知能の一部である」というものです。脳の中に本棚があるわけではないので、本が並んでいないほうが、より知能的な状況であるように思えるからです。

「本」は様々な気づきを与えてくれます。


頭のなかのカオス

2015年4月7日火曜日

人は勝手に意味を見つけ出してしまう (*_*) それなのに意味づけが大切なのはなぜ?

2つの点が並んでいるとそれを目と認知してしまう。

こういった能力を人は生まれながらに持っているそうです。例えば、赤ちゃんは誰に習わなくても顔を認識し、凝視します。

人だけでなく、動物は動くもので目と思われるものがある存在に気を引かれるのでしょう。特に、自分に対して向けられた目はとても気になるものであることが、飼い犬を見ていてもよくわかります。

そして、最初に述べたように、目では無いものまで目と誤認する段階に至っては、意味の無いものから意味を見つけ出そうとする傾向がそもそも人には備わっていると考えてみたくなります。

というのも、心理学で使われるロールシャッハ・テストなど、人が意味を生み出すプロセスに注目する動きは世の中にはいくらでもあるからです。

一方で、リフレクションを通して意味づけすることの大切さがあります。

それは、新たな行為の可能性を広げる意味づけであり、無意識でなく、意識的に行う意味づけです。

未来を開く意味づけと言ってもよいでしょう。

しかし、そもそも持っている意味を見つけ出す能力を意識的に使うのは案外難しいものです。

考えなくてはならないからです。

脳は疲れないという人もいますが、思考を重ねる、深める作業はもやもやするし、集中力が必要ですから、楽なことではありません。面白いと感じること以外は。

ですから、まずは面白いと感じるとことから意味を意識的に見つけることをはじめましょう。

そして、面白いと思えないことでも意味を見つけられるようになった時に、自らの能力を使いこなしていると言えるのです。


面白く思わない人もいるよね

2015年4月6日月曜日

シェーン、カムバック! 再入社制度がニュースになっていた

一度、退職した会社に社員が再入社する。

実際の話を聞いたのは、もうだいぶ前のことになります。話を聞かせて頂いた会社(一部上場の大企業)では、特に、制度は設けていませんでしたが、戻ってくる人材は暖かく迎え入れていると聞いて、結構驚いた記憶があります。

その会社で再入社をする人には共通性の特徴があるらしく、組織に馴染んで仕事をするのが割りと苦手なスペシャリストとのことでした。

スキルは非常に高いながら、会社から離れても新しい環境に適応できず、また戻ってくるのだそうです。でも、その会社では問題ないとのことで、いい会社だなぁと感心しました。

その後、別の会社の方からは、自ら再入社制度を作り、自分がその制度利用の第一号になってしまったという、とんでもなく面白い話を、まさにそのライブな状況のなかで拝見させて頂いたので、私にとって再入社制度は、かなり気になる人事制度のひとつです。

さて、大リーグやプロ野球など、スポーツの世界では「カムバック」が表彰される対象です。多くは、怪我や困難を乗り越えて立派な成績を残した選手を称えるものです。

また、映画でも「カムバック」はドラマティックで感動を呼ぶシナリオの定番と言えるでしょう。

産休から復帰する社員も「カムバック」です。出産という大きなドラマを越えて職場に戻る姿にはやはり感動があります。ガンなどの病気を乗り越えて復帰する社員も素敵な「カムバック」です。


かつて、電車も車も無かった時代には、一度長旅に出てしまえば再び戻って来る保障はまったくありませんから「はなむけ」をもって今生の別れを行ったそうです。

これまで会社で社員の退職時に行われた送別会は、決して戻ることのない大昔の長旅に近い感覚だったのかもしれません。

しかし、再入社制度が一般的になると、戻ったときどのくらい成長しているのか、貢献が増えるのかに注目が集まり、期待が高まるのでしょう。

実際、今日、ヤフーで流れていたニュースではそのことが話の中心でした。

<再入社制度>「カムバック」でもっと貢献

キャリア開発や、転職に関する研究にくらべ、再入社や復帰に関する研究はどのくらい進んでいるのかわかりませんが、越境経験によって当人と組織にもたらされる効果は決して小さくなさそうです。先ほどの第一号さんなど、再入社以降のご活躍には凄まじいものがあります。

もちろん、「カムバック=活躍」という単純な図式での理解は避けなければなりません。「活躍」は、人と組織の関係性の一面です。

ですから、ポジ・ネガ含め「カムバック」が組織にどのようにインパクトを与えるのか科学すると面白そうです。個人的には「ネットワーク」にヒントがあるように思います。


はなむけ(笑)

2015年4月5日日曜日

組織で働くということ

先日、と常見陽平さんがご自身のブログで、フリーランスの卒業を宣言されていました。素直に「嬉しい。実に嬉しい。」と表現されているのが印象的です。

多くの組織人にとって組織から離れて自分の力だけで仕事をすることに、どこか憧れがあるものと思います。

また、組織に属することが不向きだと考える人にとって、フリーで生活が成り立つことは重要です。

組織、特にここで指している経済的側面と文化的側面を兼ね備えた「産業組織」では、「その組織に属して何を行うのか・行いたいのか」「仕事の結果としてどの程度の報酬を得られるのか」が常に問われることになります。

この2つの問いかけは、ある時に「組織に属し、報酬を得るためには何をしなければならないのか」と統合されたうえで問いの方向が逆転されます。
生活のために自分の時間を犠牲にして組織で働く。

これが、逆転した問いの典型的な思考であり、それは「権利と義務」の考え方です。この契約の概念を中心に捉えると、組織には、労使関係、雇用・非雇用、正規・非正規、ミッションとコミットメント、社畜・ブラック、など対立関係が強まります。

しかし、「その組織に属して何を行うのか・行いたいのか」との視座であれば、対立関係ではなく、相補・補完、創発、レバレッジ、キャリア開発、発達・成長のWin-WIn関係が見えてきます。

面白法人カヤックが採用活動の一環として、同社を退職した元社員と応募者を引き合わせています。対立関係による緊張感からは考えられない取り組みですが、Win-Win関係からは当然とも言えるでしょう。

また、カヤックが大切にしているのは、「何をするかでなく誰とするか」だそうですが、こちらも組織の本質を突いています。
なぜなら、「組織」は、目的によって人が集まった場所のことであり、人格はありません。「組織で働く」ということは、結局、「誰と働くのか」なのです。

では、カヤックだけが本質を捉えた良い組織なのかといえばそんなことはありません。カヤックは表現がとても上手であるとは思いますが、組織の本質はどこでも同じです。

問いの方向を逆転させる人、「会社はどう考えてくれるのか」を口にする人、自分のスキルアップだけが気になる人などは、知らず知らずのうちに対立関係を強化して自分の立場を正当化しているだけであることに気づくべきでしょう。

「誰と働くのか」がイメージ出来ない人にとって、「組織で働く」ことは常に緊張感が伴う不条理なことです。

一方、これまでお会いした組織で活躍するひとは、必ず「あの人と一緒に仕事がしたい」とイメージしています。

私の結論として、組織で働くということは、一緒に働きたい経営者、師匠、先輩、取引先の方などを組織の中で見つけることです。働くことに辛さや不条理を感じるなら、仕事の向き不向きや将来への損得を考えるのでなく、一緒に働く人を作ることです。そして、もっと一緒に働きたい人が他の組織に居るのであれば、その時に組織を出てそこに行けば良いのでしょう。

もし、誰とも一緒に働きたくないのであれば、組織に属するべきではありません。


桜のつぎは、ハナミズキ。バンザーイ








2015年4月4日土曜日

器に不釣合いな大きな存在

地下鉄、水天宮前駅の改札横には小さな水槽があります。良く手入れされており、四季折々に、内装の品が変わるので割りと気になる水槽です。

さて、以前は水槽の住人は、小さな熱帯魚だったのですが、最近、引っ越しがあったようで今の住人は超ビッグです。

水槽で錦鯉を飼うのが普通なのかどうかは知りませんが、どう見ても、水槽の大きさに比べて錦鯉が大きすぎるように見えます。

しかも、一匹ではありません。

そして、器の大きさとそこに居る生命の間にバランスを感じていることにふと気がつきます。

この大きさのバランスは、水槽と魚のように目に見えるものもあれば、組織と人のように目に見えないものもあります。役割と能力のバランスなどです。

大きさは、主に目で測るものですが、「生存」においては重要な概念だと思われます。測っているのは、リスクであり、同時にチャンスなのでしょう。

「大きさとはリスクとチャンスの別称である」と言えるかもしれません。

人間が2つの大きさを測る能力を使いまわして、目に見えないものからもリスクとチャンスを読み取る能力を獲得したのだとしたら小さな水槽の中の大きな錦鯉は「問い」なのでしょう。



桜と錦鯉 って何だか変だぞ

2015年4月3日金曜日

がちゃ じゃないトークの日

第一金曜日、がちゃトークでCafe Katyさんへ向かいました。

今日は、参加も少なく、最初はKatyさんのマスターと差しでしたが、そのうち、馴染みの二人が参加して、合計4名となりました。

結局、がちゃは行いませんでしたが、それよりも深い対話が進んだと思います。

話は、先生のことから始まり、三人目が来てからは自転車・自転車泥棒、四人目が来てからは採用面接に関することなど、集う人によりテーマが変わり、話の角度も変わる展開で、これまでのがちゃトークとは異なった進行となりました。

テーマから偶然性が消えると、自然と必然性、つまり参加者の視点中心となりますが、それによって対話の深度が増すことにも興味が湧きます。

さて、来月はどうなるのか楽しみです。



ワインまで飲んじゃった。。。

2015年4月2日木曜日

オフィスで猫を飼う方法はないものだろうか・・・

約4年前に現在のオフィスに引っ越してた時から、職場環境作りに色々な挑戦をしています。

引っ越した当初のコンセプトは、ペーパーレスとフリーアドレス。

もちろん、自分の発案というわけではなく、当時の社員が知恵を絞って考えました。

新しく越したオフィスはそれまでのオフィスと違って、建物も新しく、日当たりも景色も良いのでそれだけでも環境は良くなったのですが、オフィスをもっとリラックスした創造性の高い場にするためには足りないものがありました。

それは、「自然さ」です。

まず、引っ越しお祝いに頂いた観葉植物がとても役に立ちました。(ありがとうございました!)また、お祝いに頂いた胡蝶蘭の2鉢は毎日、水やりを欠かさない役員のおかげで今でも綺麗に咲いています。すごいですね。

つぎに、環境音が必要でした。そこで、サラウンドのセットを準備して屋久島の音を流しています。さらにBGMを掛けて軽快な雰囲気を醸し出しています。

そして、この春、新しい社員を迎えるにあたって、座席を増やす必要が出たことから、レイアウト変更を行いました。

これまで、揃えてに配置されていた机を椅子の背中があたらないようにずらしたことで、オフィス内に動きが出ました。また、凸凹に緑を配置し、オフィスの壁面にあった観葉植物を内側に配置できました。

そして、バランスボールの購入です。

椅子の代わりにバランスボールをつかって、身体を動かしながら仕事をすることで、健康増進に役立ちます。

実際に今日一日、バランスボールを使ってみましたが、これまでのオフィスワークでなかなか感じることのできないインナーマッスルの動きや、身体感覚が鋭くなって姿勢が悪いと気づけるなど、健康への効果はかなりありそうです。

あと、残っているのが匂いと手触りですが、その2つを満たしてくれるのが「猫」だと思うわけです。アロマオイルやお香など、「良い匂い」もありますが、動物の匂いはより人の本能に働きかける気がします。(それだけに強い反対もあるでしょう。)つまり、生命の本質をオフィスに漂わせたいのです。

「犬」も候補ですが、室内だけでは運動不足になりますから、都心のオフィス向きではないでしょう。

とはいっても、食事やトイレはどうするか、猫嫌い、猫アレルギーの人は居ないのか、夜間休日はどうするの?などなど多くの問題もあります。それらを考えるとあまり現実的でないようにも思えます。

しかし、機会があったら「猫」の居る職場に是非、挑戦してみたいですね。


にゃー

2015年4月1日水曜日

新人受け入れの設定に明け暮れる1日に考える

4月1日、新入社員は先日のうちに入社式を終えて今日から早速仕事です。

しかし、仕事ができる環境を整えるのはそんなに簡単ではありません。なぜなら、PCどころか、事務所に入ることすら個人認証のセキュリティがあるためです。

大切な情報を外部から保護する仕組みが、新入社員という新参者を迎い入れる上では逆に大きな障壁になるのです。

とは言っても、早急に仕事ができる環境を整える必要があります。

担当も居るのですが、他の仕事も立て込んでいる状況もあり、今日は朝からそちらの作業を行っていました。

さらには、レイアウトの変更、携帯の機種変更と、どうしたものかと言うくらいやることが多くあります。

企業が新入社員の受け入れに掛ける事務コストってきっと膨大なのだと思います。


飛び散った・・・