2015年3月31日火曜日

結論と理解の狭間にある死の谷

以前、茂木健一郎さんがパネルディスカッションの後の質問に、「強度が違う」と怒り、嘆いていたことがあります。

集う人には、同じ強度で場を作って欲しい。

この気持ちはとても共感します。

例えば、様々な事例を通してその背景にある考え方を伝えようとプレゼンを行っているのに、事例のひとつの要素に執着されてしまう。

伝え方の拙さもあるのですが、残念な場面の一コマです。

この状況は、ゴールとして設定している話の結論の延長に議論や対話があるのでなく、話の前提の「理解」が合っていないことに原因がありそうです。

つまり、どんなにプレゼンを丁寧におこなってもダメなわけです。

前提には、1.上級、中級といった知識・経験・思考のレベル感2.性格特性(思考の癖)、3.場に対する思惑、4.レイアウト、5.時間管理があります。

人づくりの要素と場所づくりの要素ですね。

そして、前提の理解における人づくりの要素が無い場合におこるのが狭間への滑落事故です。

特に前提の理解が合っているという幻想が、滑落事故を引き起こします。思考の癖という落とし穴もあります。

また、前提の理解を揃えるのは誰なのかということもあります。これは、場に集う者、相互が意識すべきことだと思うのですが、実際は一方通行となることが多い様です。

ところで、タイトルで「死の谷」と表現したのは、なかなかこの谷を這い上がるのは難儀だなーと思うからです。

ちなみに、私が狭間に落ちたときは、自分の結論を捨てることを試しています。
それが正しいのかはわかりません。


もうぼろぼろ

2015年3月30日月曜日

幽体離脱で人は学ぶ?

先日、お邪魔したMALL(経営学習研究所)の異業種越境型「リーダーシップ研修」のお話で最初と最後に中原先生が紹介されたのが、研修の2階建の構造です。

1階部分は、地域問題解決「プロジェクト」の側面、2階部分はリーダーシップ開発「研修」の側面です。

しかも、1、2階は吹き抜け構造になっていて1階で行われているプロジェクトを俯瞰し、チームの状態をリフレクションしながら次世代リーダーとして必要なことを相互にフィードバックしていたそうです。

2階のメンバーはフィールドワーカーと呼ばれ、実はリーダーシップ研修を通じて一番成長した、という声もありました。

この話を聞いてすぐ思い出したのが、「プレイフル・ラーニング」(上田信行×中原淳著)に出てくるネオミュージアムでした。

本の中で紹介されているネオミュージアムは、学びを広げるステージとして建築された展示事のミュージアムだそうです。

3階建で1階が経験のレベル、2階がそれを上から眺められる省察のレベル、3階は1、2階と切り離し、キッチン、ダイニングがあるプライベートな研究室としてセオリーを考える意味づけのレベルとなっているらしく、階層構造で学びを広げた異業種越境型「リーダーシップ研修」の構造とよく似ています。


さて、「自分を客観的に観る」能力のなかでよく知られているのが幽体離脱という現象です。これは、右脳の角回という部分を刺激すると現れるそうです。自分が自分の体を抜けだして高い位置から自分を見下ろす感覚は、自分と他者は異なるのだという認知を超えた、自分は何者なのか?と自分が自分自身に外側から向けるまなざしです。

自分を鏡に映せば、姿を見ることはできますが、幽体離脱との違いは、自分から意識も抜け出している感覚でしょう。他人の自分がそこに居る感じですね。

「あそこに寝ている私は・・・」という知覚です。

人にこの能力が備わっているということは、きっと生存するうえで役立つ力なのでしょう。人以外に生き物にこの能力が備わっているかはわかりません。

そして、内省(リフレクション)にも似た感覚があるように思います。

ポジティブな自分、ネガティブな自分から離れて自身を客観視し統制したり意味づけしたりする。

幽体離脱のようにふわふわ宙に浮かぶ訳ではありませんが、階下の自分を別の自分が眺めている、ひとりネオミュージアムみたいな感じですね。

2階建、3階建が学びを広げるのであれば、幽体離脱は学びの仕組みなのかもしれません。


反転首都高

2015年3月29日日曜日

これからのキーワードは2つのフローかもしれない

人のパフォーマンスを考える際に忘れることができないのが、M.チクセントミハイの提唱する「フロー理論」です。

フロー理論では、人が目標の実現に向け、高い集中力と没入感のもので自己統制が行われ喜びと時間感覚の変化が現れる状態が出現するわけですが、確かに、日々の仕事の中で『あと20分あるからこれを済ませてしまおう』と思って始めたことが、ふと気がついたら時間をだいぶ超えていたということが少なくありません。

そもそも「脳の中では時間は幅を持っている」らしいので、脳の状態によって時間が変わることは当たり前なのでしょう。

さらには「生命とは時間の別称」(『原生計算と存在論的観測』郡司ペギオ-幸夫)とも 言われますから、生物は脳の中で生み出される自らの時間を生きている存在であり、フロー理論は「生命とは」という問いとの向き合いなのかもしれません。

さて、もうひとつ重要なフローとは、マッシブデータフロー(Massive Data Flow)です。それは、高度なテクノロジーの進化によって膨大でリアルタイムのデータ変化を科学として研究することです。そのひとつが人工知能研究です。

つまり、生命と知能の関係性、生物と技術の関係性をそれぞれ別の方向から探るアプローチだと思うのです。

2つのフローに注目です。


2つの道の行く先には何が待っている?

2015年3月28日土曜日

問題解決の幻想とは

脳科学者の茂木健一郎さんが、フランスで起きた飛行機事故に関して、「セキュリティにおける、鍵のジレンマ」という投稿をされていました。

セキュリティのために鍵をかければよいという発想には落とし穴があって、例えば、家庭内で起きる子供の虐待なども、鍵によって外部から見えなくなってしまうといった指摘です。

今回の事故では、副操縦士の行動が問題視されていますが、セキュリティシステムに大きな欠陥があったことは間違いないでしょう。コックピットを外から開かなくしたことによって生まれた落とし穴です。

これらの落とし穴の特徴は、「問題の解決があらたな問題を生む」という命題にあることです。

この命題に沿えば、問題は常に存在することになります。逆に、鍵によってセキュリティ問題が解決するという思考が間違っています。

茂木さんはこの「鍵」のメタファーはAI(人工知能)にも通じると展開されています。

一方、東大池上高志教授は、テクノロジーは指数関数的な増殖によって特異点を迎え2045年には人の生き方を変えるという仮説を紹介してくれました。

そして、テクノロジーの発展は問題を無くすわけではないことを暗示しているのだろう、そんな事をぼんやり考えています。


爆発だ!




2015年3月27日金曜日

「できない」が続くと反省や言い訳が上手くなる

上手な目標設定はちょっと背伸びするとできるところに目標を置くことだと言われています。いきなり高い目標を掲げて粉砕するのでなく、拡張→達成→自信→さらに拡張と、次第に目標を高めながら大きな目標を達成する力を身につけます。

ところが、最初の拡張の前提にも「自信」が必要です。

効力感、計画的有能感といった、経験がないことでも自分には出来るかもしれないという感覚です。

それらの感覚が弱かったり、極端に臆病だったりすると、1段目を登ることができません。

ところが、絶えず変化する周囲の環境は、常に人に挑みと学びを求めます。行動エントロピーが大きい場(乱雑な状態)であれば、挑みと学びは取るに足らないことですが、行動エントロピーが小さい場(統制された状態)だと、求められる挑みと学びのハードルは非常に高くなります。混雑した地下鉄を乗り継ぐのと、居心地のよいオフィスで高度な課題解決に取り組むことの違いです。

この状態では、E.シャインが論じたように学習不安と生存不安が秤にかけられて、生存不安が大きい場合のみに学習が進むとも考えられます。

この生存不安には、生き死にだけでなく、自らの本質への「問い」も含まれるのでしょう。「このままでよいのか」「そういう自分はどうなんだ」という問いが学びの原動力になるからです。

さて、今日のテーマは組織の中にいるある程度の「1段目が登れない人」です。

これを越えないと先の展望が開けない階段なのですが、当人にとっては、それは登れない壁です。しかし、周囲は常に越えることを要求しますから、常に越えられないことへの反省や理由への言及を繰り返すことになります。

そして、繰り返すうちに、「口先は達者だけど成長が無い人材」が出来上がってしまいます。特徴としては、猛省と低い自己評価、そして、できないことの責任を環境に転化することです。

周囲の人にしてみれば、あれだけ反省しているのになぜ変われないのだろう?、どうして勇気をもってとりあえずやってみようといわないのだろう?と不思議に思えます。

その場合の「反省」はスキルであって「内省」ではないので挑みも学びも無いのでしょう。

また、環境への責任転嫁も、逃げ道が無くなってくるととんでもなく飛躍した転嫁をしたりします。

例えば、やりたいことがあるわけでもないのに、「入社して3年経ったから・・・」とか、文脈がおかしく聞いていて「はぁ?」と目が点になってしまいます。

では、そういう出来上がってしまった人材にどう向き合うと良いのでしょうか。

ハードなアプローチとソフトなアプローチがあります。

まず、いずれのアプローチでも大切なことは、見た目の反省や言い訳をさせないことです。させるだけ、反省と言い訳のスキルレベルが上がってしまいます。

ハードなアプローチでは、リアルな生存不安を出現させることでしょう。シャインの説では学習不安を越えてもらうにはそれしかありません。
会社の中でしっかりとした生存原理を明示し、水面下では溺れる状態になっていることです。

ソフトなアプローチでは、適性を見極め強みを活かせる場において当人が登れる1段目に向かわせるものです。「活かせる場があれば」という前提はありますが、多様な人材を活用する うえでは「適材適所」は重要なコンセプトです。いかなる人材であっても強みはあるという信念と、それを見出す能力が必要です。

人材活用、人材開発の立場からは、前者は他責傾向(変わるのは当人と自己責任)、後者は自己革新傾向(他者を変えるにはまず自分が変わる)と言えるかもしれません。

実際は、ハード、ソフトのハイブリッドです。


川の流れるがごとく緩やかに・・・でも沈んだら生存できない


2015年3月26日木曜日

ESは短いほうがいい?長いほうがいい? 「嫌就活論」を考えた

16採用といわれる2016年4月に新卒で入社する人材の採用活動が本格化しています。経団連では選考時期を8月にしようと採用憲章を発表していますが、採用憲章とは無関係な会社も数多くあり、複雑かつ多様な選考が進んでいるのが現状でしょう。

一部に、協定と無関係な会社の活動を「協定破り」と指摘する訳のわからない報道があり、どこまでステレオタイプ、太いものには巻かれろ、同調圧力・・・なのか呆れてしまいますが、同様の議論がES(エントリーシート)にあると思います。

三幸製菓さんが「日本一短いエントリーシート」というセンセーショナルな発表をされてから、ESに関する報道が目に付きます。中には、「ESが学生に負担」「ESが学生の時間を奪う」といった表現があるのでそのことについて少し考えてみます。

三幸製菓の杉浦さんにお話では、何が必要なのか突き詰めたらメールアドレスだけになった、という話で学生の負担を減らすとか時間を掛けさせないことが主目的ではありませんでした。ですから、逆に「日本一長いエントリーシート」と言われるライフネット生命さんの考えもしっかりとご理解されていらっしゃいました。

「何かが何かを奪っている」という同様な思考には、「携帯電話の通信料が消費者の購買力を奪っている」ものがあります。商品が売れなくなったのは携帯電話が普及したからだ、というものです。

時間や購買力など有限なリソースを主体に考えれば、それらの考え方に間違いはありません。有限なものは配分するしかないからです。

しかし、リソースの有限性は、制約条件であって目的ではないはずです。

何を行うためにそこにリソースを割り当てるのか。

就活において学生は「内定を獲得するためES作成に時間を配分する」ということになりますが、企業は自社の採用活動において内定を出すことが目的ではありません。企業の目線で考えれば、入社した社員が事業を通じて、企業の目的を遂げることが採用の目的であり、価値創造の一環なのです。

三幸製菓さんの事例で言えば、三幸製菓さんの目指す企業価値の実現において、ES以外の事項が重要であると判断されたのでしょう。「日本一エントリーシートが短い」からといって「日本一内定が出やすい」わけではありません。そして、応募者はES作成に掛ける情熱以上のものを選考で見極められるのです。

一方、学生はESが楽になったらその時間を何に配分するのでしょうか?
企業研究?他の企業訪問?勉強?ゼミでの研究?ボランティア?NPO?サークル?バイト?携帯ゲーム?映画鑑賞?
選択肢はたくさんあります。その中で何に配分するかがまさにその学生の自律(志向と主体性)した姿です。「学生のどのような自律が好ましいのか」という議論自体がすでに主体性を損ねる見下した考え方に思えて仕方がないのです。

要は、「ESは悪者」「協定破り」といった「嫌就活論」は不毛だなぁと考える次第です。

もちろん、学生本人が、ESにアンチテーゼを持つことはまったく不毛ではありません。とても大切な事です。だって、それが自律だから。

不毛なのはあくまでも「外野の大人」の話です。


就活生に開運を!

2015年3月25日水曜日

異業種越境型「リーダーシップ研修」の本当を聞き、対話した

次世代リーダーの育成を動かす2つのドライバ

 昨晩は、MALLのイベントは、異業種越境型「リーダーシップ研修」について大手企業5社が北海道の美瑛町で行った取り組みを、裏側も含めて関係者から直接聞き出すことができるというとても刺激的な場でした。

 プロジェクトの核心は、「リーダーシップとは何か」、ではなく、「リーダーシップ開発をどう行うのか」に向き合う未踏の領域に挑んだプロジェクトの紹介です。

 一方、プロジェクトの出発点がヤフー本間さんの神戸大学院MBAでのご経験であったことは、このプロジェクトが頭で考えた企画ではなく、本質に根ざした骨太の骨格をもっていることを理解するうえでとても重要なポイントであったと思います。

 そのご経験は一言でいえば、「鼻っ柱を圧し折られる」ことから生まれた気づきです。その経験を通して、外部事業者が提供するリーダーシップ研修に対する違和感、そして、プロジェクトの発案、実施に至ったプロセスは、常に自己革新とリーダーシップ開発の実践という2つの強力なドライバにより推し進められていたように感じます。
 

UI、UXの本質にある問い
 
 企業というバックグラウンドが異なり、動機も様々である多様な人材に対して、何を体感してもらうのか。これは、システム開発で向き合う課題と少し似ていました。

 システム開発ではUI (User Interface)、UX (User Experience)にて、ユーザーに向けた機能と使用感を設計しますが、「ツールの配置」と「体験をデザインする」という視座に類似性を感じたのです。

 一方、システム開発との大きな違いは即興性でしょう。農協のヒアリングで発生した参加者の目が白くなってしまう爆弾発言問題に対して即座に「ツールの配置」と「体験のデザイン」を変える機動性は、本プロジェクトならではのものでしょう。それは、「研修のデリバリー」という発生した問題への対処術をはるかに超えた、事務局のリーダーシップそのものが問われ現れた場面です。

 このように研修を準備する側も研修に臨む側も「研修のプログラム」と「体験のデザイン」を通して向き合っていたのは「問い」であったのではないでしょうか。

 参加者にとっては異業種越境チームでまるで制約の無い状況下の地域活性に向き合うことから生まれる自らのリーダーシップへの「問い」、ファシリテーターやフィールドワーカーは体験を通じて参加者に問いが起きているのか、問いをおこすデザインになっているのだろうかという「問い」です。


「問いのデザイン」を実感
 
 ダイアローグの時間にフィールドワーカーを務められたアサヒビールの門永さんに、その後の参加者、事務局、美瑛の方の状況をお聞きしました。そして、美瑛の方も含めすべての方において、リーダーシップに正の方向で変容が生まれているようでした。

 一方で、プロジェクトの成果がそのまま美瑛の施策に生かされることはなかったようです。これは、行政の時間軸、町長の権限などにも理由があるそうです。(追記:本間さんの意図もそこではなく、長い時間の先におこる変化への期待にあるようです)

 この事実はプロジェクトが「答え」をデザインしたものでないことの表れでしょう。しかし、本間さんが起こした「問い」を起点により広く、多くの「問い」が生まれ、それが、ステークスホルダー全体のリーダーシップを開発したことは間違いありません。イベントのすべてのセッションを終えて、個人的にはリーダーシップ開発における「問いのデザイン」を強く実感した次第です。

 最後に、少し気になったのは、「デザインの先鋭化」に関してです。今回の課題を踏まえて、次回に向けて多くの改善が加えられるそうです。なんとなく、リーダーシップにおいてキーとなる「問い」がより明確に起きるようなデザインが施されるのではないかと気になりました。


土壇場で見える本質

2015年3月24日火曜日

会議の時間 盛り上がっている?

多くの人が集まって時間を費やす「会議」は、組織活動において特異であり重要な場です。会議しか行わない会社は無いでしょうし、会議を行わない会社も珍しいでしょうから、多くの会社にとって会議を効果的、効率的に運営することに少なからず関心があることと思います。

会議の運営に関しては、会議中だけでなく事前の準備、事後の整理が大切になります。

しかし、一般的な社内会議などでは、事前は会議のタイトルと日時設定、会議室の確保、参加者の日程調整が主となってしまい、準備が充分と言えずに会議に突入してしまうことがあります。

すると、参加者の認識を合わせるために、何のために集まるのか、何を議論するのか、何を達成するのか、何を終わらせ何を始めるのかなど、そこから会議を始めねばなりません。

議長が多くを語りたい場合もあるでしょうが、参加者にとって「他者の話を一方的に聞く」行為はとても飽きやすいものですから、会議についてのガイダンスは、最低10分以内、できれば5分以内に終わらせる必要があります。

事後の整理とは、会議時間中に検討された内容をラップアップし、意味づけすることです。

さて、会議において主要テーマを検討する際に盛り上がる会議とまったく盛り上がらない会議があります。

盛り上がらない会議の特徴は、終わり時間が気になる、眠くなる、もやもやしっぱなし、と参加者が飽きてしまうことに尽きるでしょう。

その原因は、「運営下手」、「参加者の特性」、「テーマの質」の3つだと思います。

「運営下手」は、冒頭で取り上げたような、事前の不準備や長すぎる説明、演説です。

「参加者の特性」は、受身な人が会議の3割を超えてくると会議自体が不燃モードに突入します。

そして、「テーマの質」とは、「掘り起こせる体感知の有無」です。掘り起こせるものがない、聞くしかない状況ではどんなに頑張っても他人事なので、拘束され感と飽きが来ます。

もう少し丁寧に言い換えると、「なるほど」、「ハッとする」といったアハ体験やアフォーダンスがなく、シナプス(脳の神経細胞)が発火しないので会議では、いくら参加者が前向きに意識を集中しようとしてもフローな状態には入れません。

ところで、不思議なもので、この3つの要素には正の相関があるように思えます。

つまり、テーマの質が良い会議は運営も上手で参加者もそもそも謙虚で前向きである一方、テーマの質が悪い会議は運営が下手で参加者も受け身であることが多いように感じるのです。

気のせいでしょうか・・・


盛り上がってきた


2015年3月23日月曜日

エクスペリエンスの真価は問いのデザインにあり! 

雑誌 WIRED vol.15  W×D ワイアード・バイ・デザインで、日本版編集長 若林 恵さんのコラム「見えない世界を見る方法」が秀逸です。

デザイン論の本質に言及したものですが、UXを出発点にした「体験」とデザインの関係性は、現状をわかりやすく表現しています。

“ユーザー・エクスペリエンス、すなわち「体験」がデザインの対象になったおかげで、それこそ働き方からコミュニケーションまで、ありとあらゆる行動が「デザイン」されるようになった。”記事(P13)より抜粋

もう、大分前のことになりますが、2001年に販売されたWindowsXPでは、エクスペリエンス(経験・体験)が商品のコアコンセプトでした。そして、昨年4月に延長サポートが終了するまで、13年の長き間、PCユーザーにエクスペリエンスを届け続けたのです。

PCの性能が劇的に進化する中で、メジャーなOSの1バージョンがこれほど長続きするのは珍しいことでしょう。

もちろん、その間に、ITの領域を超えてエクスペリエンスは進化しています。
今日、「経験学習」が組織における学びの主役を成すのもエクスペリエンスの潮流の一端かもしれません。

さて、コラムの中では重要な視点がもうひとつ指摘されています。

“「答え=ソリューション」ではなく、「問い」の重要性に思い至らせてくれる・・・中略・・・「問いのデザイン」とでも言おうか。”同記事より

つまり、エクスペリエンスの本質は、「問い」にある、という視点です。

これは、「なぜリフレクションが大切なのか」と同じことを言っているように思います。

私が言い換えると、

体験・経験において重要なのは「問いのデザイン=リフレクション」である

ということになります。

とてもすっきりするコラムでした。


あたりまえを疑え!


2015年3月22日日曜日

趣味で無ければなんだろな 私的写真のある生活

FBに写真をアップすることが多いせいか、「写真が趣味なんですね」と声を掛けられることが多くあります。

その場では、「はい」と答えるものの、心の中では「趣味なのかな?」と自問していたりします。

というのも、何を差し置いても「写真」というわけでもないのですが、かといっていつもカメラを持ち歩いることもあり、自分として趣味か否かと迷う部分もあるからです。

趣味=自由時間における習慣、ということで言えば他者から見れば間違いなく趣味に見えるものでしょうが、自身が迷うのは、写真を撮ることは昼ごはんを食べるよなところもあって、生活の一部、日常的な行為だからです。

昼ごはんが趣味とは言い難いでしょう?

とはいっても、記録として撮るというよりは、何かを発見したら、自分の絵作りを決めて撮影しているところもあるので、「ちょっとこだわりのある日常」といった感じでしょうか。

さて、レンズを通して被写体を写しながらガラスに反射した自分が映り込んでしまうのが写真である、と荒木経惟さんが仰るように、写真には自分が写っていますから、写真に関してFBを頂けることはとても光栄です。


いい感じ。


2015年3月21日土曜日

地形と特性 リーダーシップを考える

赤ちゃんは言葉を「脳の中」ではなく、外的な環境と一体化することで獲得している、というデブ・ロイの研究結果には多くの示唆があります。

環境と一体化するというのは、赤ちゃんが学習するのと同様、環境も学習をしている、ということです。

赤ちゃんが言葉を口にした瞬間に、親が会話を調整する様は、まさに親の学習です。

デブ・ロイの分析では、人だけでなく、家も言葉を獲得するうえで重要な装置となっていることが可視化できるそうです。

それは、家のレイアウトに、その場所における特定の言葉の発言頻度を重ねると、言葉の地形が現れる、というものです。

例えば、「水」という言葉は台所で山になる訳です。

デブ・ロイの研究は、「言葉の獲得」ですが、リーダーシップの獲得にも同様なことが言えるでしょう。

リーダー候補の人は、周囲の人が期待するリーダーシップに至るまで周囲から様々なフィードバックを受けます。そして、リーダーシップを発揮した瞬間に、リーダーとして認知されるのです。

また、リーダーシップが発揮される場所にも間違いなく濃淡があります。解決したい問題がある場所などはその最たる例です。

「水」と台所の関係より、概念性は高まりますが、基本的には同様な仕組みだと考えられます。

一方、言語能力の高さ、低さといった固有の特性が言葉の獲得の速さに影響しているのと同様に、リーダーシップにおいても潜在的な特性が獲得のし易さに関わっています。

リーダーシップの開発、リーダーの育成において、ポテンシャルと環境の両面が注目されていることは改めて言うまでもありません。

つまり、リーダーシップにおいて、地形と特性のマッチングは概念性が高い故に複雑かつ予測が困難です。しかし、生存可能領域(ミスマッチによる影響の深刻さ)はとてもシビアでマッチングの実現は非常に切実です。

こうした、人の能力にかかわる地形と特性とマッチングの可視化については、引き続き研究していきたいと思います。


顔のような地形

2015年3月20日金曜日

街にはたくさんの物と多くの人が居るのに「発見」が無いのはなぜだろう?

街には、物も人も溢れています。
しかし、日々の暮らしの中で「発見!を実感すること」は数少ない出来事です。

環境に適応することによって細かな違いや変化を見逃す習慣が身についてしまうのでしょうか。

ひょっとしたら慣れによって存在や違いや変化がノイズとなって一定の閾値を下回り、無意識に見つけられなくなってしまうのかもしれません。

むしろ、存在や変化や違いから目を逸らす癖をつけていると思われる節もあります。

結局、私たちは多かれ少なかれ欠損した世界とつながっていることになります。

そこに様々な不都合が生まれる一方で、多様性や少々の変化があっても社会が崩壊しないロバスト性が生まれていることも事実でしょう。

要は、「目をつぶる」ことで成り立つ社会の安定です。

民主主義では、人の数が閾値となっていますが、情報主義では、疎通の臨界点が閾値です。SNS上で見られる「炎上」「祭り」がまさに臨界現象ですね。

また、現代社会は、こうした多くの◯◯主義か持っている固有の周期と閾値の混合で成り立っていることは特に注目が必要です。

ところで、個人のレベルで考えれば「目を開く」ことは「発見」の核心である、と言えるでしょう。

仏教の「開眼」とは、仏像や仏画に魂を講じ入れることですが、「目を開く」ことと「魂が宿る」ことを同じ文脈で捉えていることには、示唆があります。リフレクションの大家、コルトハーヘン教授もフローな状態は目に宿ると述べていました。

逆に、「目をつぶる」、「周囲をノイズと化す」といった「発見」のない状態は「魂が入っていない」ことと同じ文脈なのでしょう。

魂を込めて発見をするのか、目を閉ざして安定を生むのか、自分の状態を客観的に知り、コントロールしながら切り替えることができると良いのかもしれません。

さて、今日の午後は目を開いて何を見ましょうか。


臨界点!

2015年3月19日木曜日

未来をデザインするのは誰だ、誰だ、誰だー

今日受け取ったハガキに、「プロの未来をデザインする」というコピーがありました。

とても格好いいコピーですね。

プロ、未来、デザイン、いずれも現代社会において重要なキーワードです。

そこで、「未来をデザインする」という表現について考えてみます。

「デザインとは夢を実現するプロセスである」という定義が好きなのでその言葉を組み合わせてみると、「未来の夢を実現するためのプロセスを構築する」といった意味に取れます。

そうすると「未来」と「夢」が時系列的にはちょっと被る印象になりますが、「未来」は「夢」よりも広い空間を描き出しますから「様々な可能性を秘めた将来の中から夢として描く目標を実現するためのプロセスを構築する」とするとより具体的かもしれません。

もっとぶっちゃけて表現すれば、私にとっては「この先、何が起こるかわからないけど、今、目標やビジョンの実現に向けて出来ることを並べきってみよう!」という感じです。

また、コピーの冒頭には「プロの」がひとこと付いていますから、目標やビジョンがクリアで具体的なものであることは間違いないでしょう。

ただ、「プロ」とは、そもそも目標やビジョンを持ちその達成に執念を持って邁進する人ですから、「プロは未来をデザインする」という方が私個人としてはフィットします。

この「の」と「は」の違いから気づくのは、たった1文字に込められている、「主語となるのが誰なのか」という問いです。

組織における仕事の中には様々な議論がありますが、「主語は誰なのか」は、議論における究極の問いのひとつだと思います。それは、物事を自分事とする主体性の核心であったり、他者の主体性の芽を摘む呪いであったりと活動の背後に潜む本質課題を内在しているからです。

つまり今日、問われているのは、

「私は未来(の夢やビジョン)をデザインしているのか?」

についてですね。


白い翼の・・・

2015年3月18日水曜日

「神のアルゴリズム」に想いをはせて

データ分析を行っていて苦労するのは、その分析結果をどうやって理解しやすい表現で伝えるか、ということです。

ある人材データの分析事例で、同じ集団に存在する2つ群を見分ける分析を行ったところ、複雑な分析結果となりましたが、見分けの誤差は4%弱とかなりの判別を行うことができました。

ところが、なぜそのようになるのかを伝えることができません。

もちろん、分析に詳しい人には、データをどのような手順と手法と基準で分析したのか伝えれば結果を理解してもらえますが、結果を知りたいのは大概、やりたいことは明確だけど分析には詳しくない人です。


分析結果を比較的わかりやすく伝えることのできる、相関や因果に関わる係数であれば、数字の大小で表現できるのですが、複数のサンプルの相対的な距離の表現には苦労します。

一般的に行われるのは、マップやツリー構造による表現です。

これらの表現の特徴は、「縮約」によって理解を促していることです。

しかし、「縮約」によって多くの情報が消されていますから、その状態から元のデータに復元することは不可能です。

つまり、理解は出来るけど、「大体」のなので、4%の誤差の実際には至らないのです。

4%の誤差では、まだまったくその領域に達していませんが、分析可能なデータと、分析する機材の性能が飛躍的に高くなる一方で生じるのが、人の叡智では理解し得ないアルゴリズムの出現です。

神のアルゴリズムとは、アルゴリズムとして人が理解できないけど事象を再現できるもの、そんな風に表現できるかもしれません。

そして、私たちはこれからも、どんどん理解できないものを受け入れなければならなくなっていくのでしょう。


神の領域

2015年3月17日火曜日

本当は、・・・話の2つの影とは

人前に立って上手に司会するひとが「本当は、人前が苦手なんです」という。
リーダーシップを発揮して多くの人を率先するひとが「本当は、人が苦手です」という。

この「本当は、・・・」話に最近、結構良く出会います。

そうなのかなぁ、と感じつつも穿った見方をするのでなく、なぜ「本当は、・・・」という話をするのか考えてみると、「謙遜さ」と「話法」の2つのケースがあるように思います。

「謙虚さ」は、本人の中に「こうしたい」という欲求があって、そこにまだまだ至らない自分を表して「本当は、・・・」と表現するもので、そういう人には、言葉にはしないけど心から尊敬する師が居て、その人の水準を目指す中で、他者から見た強みでも、当人には弱みとして表現されているのだと推察します。

「話法」は、場の空気を素早く読んで、素早く共感を得る技術ですね。この技術を駆使する人は、「笑いネタ」的に、素早くさっと「本当は、・・・」話を差し込みます。「あの人も私と一緒」と多くの人に同時に身近に感じてもらうためには、アイコンタクトよりも言葉のほうが適しているでしょうから効果的なテクニックですね。

今日の発見は「本当は・・・」話に潜む2つの影 でした。


謙虚さと受けの良さ

2015年3月16日月曜日

勘所をおさえるのに必要なこと

人の話をちゃんと聞いているようでも肝心な部分を聞き間違えてしまった、そんな経験は誰にでもあると思います。

伝えたいことと聞いていることが異なるのは、ある意味当然のことかもしれません。
むしろ、なぜ、伝えたいことと聞いていることが一致するのでしょうか。

また、問題が起きた時、いち早く原因を見抜く人や、人付き合いで相手の心を素早く掴める人が居ます。

それら、勘所を抑えることが得意な人は、他の人と何が違うのでしょうか。

思いつくままに列挙してみると、
1.文脈で理解
2.構造や仕組みで思考
3.共通言語の利用
4 .図形や文書を活用
5.的確な発信
という特徴がありそうです。

要は、コミュニケーションにしても、問題事象にしても出会い頭の出来事ではなく、事前に流れと背景を察したり、学習しています。さらに、クリティカルなポイントのキーワードや図形を上手く使ってタイミング良く発信するので「勘所が良い人」と周囲に映るのでしょう。


ほっこり

2015年3月15日日曜日

羽生名人は自分のわからない方向に一手を打つ

将棋の羽生名人は、対局の中で次の一手を悩んだ時、先の展開が読めない手を打つそうです。

つまり、その先に何が起こるかより見えない方向を選ぶことによって、最終的に相手に勝つのです。

池上教授は、羽生名人から直接その話を聞いたことと、「生命とはちょっと先の未来を考え選択が多様化するプロセス(行動エントロピーを最大化する方向)を選んでいる」という説を紹介してくれましたが、勝つことと、一番確からしさの無い選択肢の関係性はとても興味深いことです。

例えば、企業における多くの判断は、一番確からしい選択肢が選ばれます。

ところが、それが必ず「勝ち」に繋がるとも限らないこともよく知られています。

羽生名人の打ち手を考えると、先が読める手を打とうとすることに疑問を持たなければならないことに気づかされます。


壁に「目」あり

2015年3月14日土曜日

人工知能の未来を考える

昨晩は、「人工知能の未来」というテーマで東大教授池上高志さんの お話を聞きました。
AI(人工知能)が人類の脅威になるとホーキング博士が発言してから、AIの周辺が何かと騒がしいので、とてもタイムリーな話題でした。

池上さんの話は、これまで、本の出版記念、慶應SDMでの幸福に関すつシンポジウム、三鷹天命反転住宅での対談と都合、3回聞いているのですが、それらの話題も出てきてその場の話より大きな展開で楽しみました。

話は以下のように構成されていました。

Exponential Growth & Singularity 指数関数的増殖と特異点
Exponential Technology 指数関数的なテクノロジーの進化
Machine Learning 機械学習による神のアルゴリズム
Natural Intelligence 自然知性と生命

ナンノコッチャ?って感じですが、わかりやすくまとめると、「爆発的に増えることで発散してしまう現象が生物では昔から確認されているが、今、テクノロジーにおいて 同じことが起きている。そして、2045年になると、テクノロジーは人の理解を超えると予測されており、「生命」の意味が変わる(どうなるかはわからない)」ということです。

自分の理解をピケティ風に表現すると、

t > s > h

こんな感じです。

tはtechnology、sはsocial、hはhumanです。

つまり、人の進化より、社会の進化が、社会の進化よりもテクノロジーの進化が大きく、人には予測できない事態が必ず到来するというものです。

もう少し、身近な話にすると、技術はどんどん進化して、仕事も変わらざるを得ないけど、人だけがなかなか変われない、しかし、それもいつか臨界点が来るという問題です。

ホーキング博士はそれをリスクと捉えていますが、池上さんは、自然知性を例に、新しい何かが見えて来ると感じられているようでした。

自然知性の例は、今週話題になった線虫によるガンの早期発見のニュースでした。

線虫の細胞構造は完全に解明されているにも関わらず、人間が開発できない精度でガンを検出することができる自然知性を備えています。

これが、「生命」とは何かを示している可能性がある、そもそも、グーグルにしても、ロボット犬にしても、徹底的に非生命的なものを研究、開発した結果、なんだか「生命」に似たものが見えてきた、それが何を意味するのか・・・

とても深いお話を聞くことが出来ました。


その日はすぐ近くにある





2015年3月13日金曜日

カタツムリ型成長とカブトムシ型成長

4月に入り、新入社員が会社に来るようになると、社会人としての成長が始まります。

「組織社会化」として、だんだん会社の色に染まっていく中でも、その成長の姿は一様でないようです。

「あいつ、学生の時は尖っていたのに、社会人になったら丸くなったな」

「いちご白書をもう一度」という歌には、

“就職が決まって髪を切ってきた時
もう若くないさと君にいいわけしたね“

という歌詞が出てきますが、今時の社会人は丸くなるだけでなく、しっかりと自分の強みを刺し貫く「尖り」が必要です。

そこで、改めて、新入社員が入社前後でどう変わるのか考えてみると、ある意味不器用に自分を貫くタイプと、器用に自分を変えるタイプがあるようです。

自分を貫くタイプをここでは「カブトムシ型」と呼びますが、自分のツノを変えることができません。ですから、入社直後はツノが邪魔になる時もあるのですが、やがてそれが武器になるので、周囲は多少の衝突があってもじっと我慢が必要です。また時に衝突で折れてしまうこともあります。ツノは脱皮しながら立派になっていくのです。

一方、自分を変えるタイプは「カタツムリ型」で必要に応じてツノを隠したり出したりすることができます。ですから、周囲にとってみると、最初は上手に環境に適応し周囲も良い評価ができます。でも、いつツノを出すのかは本人次第で、出てくるのは柔らかいツノです。

新入社員の特徴を理解し、個性を大切にして、成長を見守りたいですね。


桜咲け!

2015年3月12日木曜日

場作りは管理職の大切な仕事 というけれど・・・

自ら火中の栗を拾うのか、火中の栗を拾える人を育てるのか。

これは管理職が日常的に出会う「問い」です。

解決を要する重要な問題事象が起きた時、その事象には2つの意味が生じていると思います。

一つは、「問題を解決せよ」という意味で、もう一つは「問題の解決を経験せよ」という意味です。

問題事象の解決に主体的に関わる人は、問題が解決されるプロセスを通じて問題解決力を身につける機会を得ます。これは、次の新たな問題の出現に対応する力を築くとても重要な経験からの学びです。

「要は◯◯だったのだ」「次はこうしよう」

この経験の積み重ねが問題解決力の向上につながるのです。

ところが、重要な事象は解決が優先されます。

「とにかく、今回は急ぎ問題を解決しよう」

多くの場面ではこのように判断が行われるでしょう。そして、問題解決力の優れた人物、すなわちマネジャー自らが問題解決の陣頭に立つことになるのです。

しかし、重要な事象からは課題の本質がはっきりと読み解けますから、本質的な問題解決力を身につける絶好の機会でもあります。

背水の陣か、千載一遇のチャンスか。

場作りとは悩ましいものです。


前へ!

2015年3月11日水曜日

3月11日に振り返ること

東日本大震災から4年経ちました。

東京で暮らす中で震災からの復興をあまり体感していませんが、流れる映像や、人の話を聞くにまだまだ難問が山積みとなっているようです。

震災で亡くなられた方、被害を受けられた方、今も被害で苦しむ方、皆様に心よりお悔やみとお見舞い申し上げます。

また、復興にご尽力されている方々に心から敬意を表するとともに、深く感謝申し上げます。



震災当日を振り返ると、あの場に居たメンバーの半分は会社を去っていきました。中には、震災の影響でご家族が不調となられ退職したメンバーもいました。

首都圏での倒壊、火災被害の情報は無かったため、会社を早く閉め、社員に徒歩で帰宅するよう指示を出したのは、当日の地震だけでなく、将来起きるであろう、首都圏を直撃する地震の際の避難や帰宅をどうするのか考える目的もあったのですが、社員の何名かが、会社周辺に留まっているとの連絡が通信が回復しはじめると入り、驚いたことを今でも鮮明に覚えています。

もちろん、正解はありませんし、それぞれの判断は尊重すべきものですが、合理的な判断というより、性格が行動表出した可能性を今でも否定できません。そして、そのメンバーはすでに会社に居ません。

自分自身を含め、様々な場面で正しい判断を行っているつもりでも、外から見れば、その人らしい判断であり、よく言えば一貫性、悪く言えば偏向した判断を常々行っているのです。

2015年3月10日火曜日

「発見」のある仕事をするのか、日常の仕事から「発見」をするのか

多くの会社にとって3月はなんだかんだでバタバタと慌ただしく忙しい年度末の月間です。

さて、年度末は、一年間の活動を締め括る大切な時期であるとともに、次の一年のプロローグでもあります。

そして、一年の活動が円滑に始められるか否かはこの時期に掛かっていると言っても言い過ぎではないでしょう。

来期の準備を進めるなかで事業を客観的に把握することは基本であり大切なことですが、それだけではプロローグとしてまったく物足りません。

そこには「発見」が無いからです。

「発見」は次の行動の手掛かりです。「発見」のない行動は、単なる行動の連鎖であり、作業の連続です。

では、「発見」とな何なのでしょうか。

私は何かを「見つける」ことだけでは足りなくて、それによってワクワクしたりドキドキしたりするコトやモノを「見つける」ことが「発見」だと考えています。

ただ、仕事が常に「発見」に満ち溢れているかと言うとそんなことはありません。多くの仕事には機能性、合理性、効率性が求められていますから、残念ながらワクワク、ドキドキの要素が転がっているわけではありません。

ゆえに仕事からワクワク、ドキドキの要素を見つけ出すだけでなく、日常の仕事の中に自ら生み出すことが「発見」の本質です。

しかし、人材の育成は「発見」の連続ですね。


キラキラを見つける

2015年3月9日月曜日

現代版日本的経営 その三つの特徴とは

ジェイムズ・アベグレンは著書『日本の経営』(1958年)のなかで当時の日本企業の経営の特徴として以下の3つを挙げました。

・終身雇用
・年功序列
・企業別組合

これを以下のように現代版日本的経営として書き換えてみたいと思います。

・持株会社化
・現場主義
・企業内大学

嘗て日本的経営が、持続的な成長に向けて人材を組織に取り込み、その組織で仕事人生を全うしてもらうこと=安定した労働力の安定的な確保に力を注いでいたのに対して、今日の日本的経営では、持続可能な成長に向けて事業を戦略化する一方で、現場には複雑化、困難化、予測不能化する社会システムに適応できる主体性、自律性を求めています。

さて、MITメディアラボ所長の伊藤穰一さんは、複雑化する世界に向かうべき9つの原則を以下のようの述べています。

1. 強さではなくしなやかさを持つこと。つまり、失敗に抵抗しようとするのではなく、失敗を認め、受け入れた上で、そこから跳ね上がっていくこと。
2.「押す」のではなく「引く」こと。資源を中央に集めてコントロールするのではなく、必要に応じてネットワークから引き出すこと。
3. 安全に焦点を当てるのではなく、リスクを取ること。
4. モノではなく、システムに焦点を合わせること。
5. 地図ではなく、よいコンパスを持つこと。
6. 理論ではなく、実践に基づくこと。なぜそれが機能するのかわからないときもあるが、大事なのは、理論を知っていることではなく、それが機能するということだ。
7. 服従ではなく、反抗すること。人に言われたことをしても、ノーベル賞は取れない。多くの学校は服従について教えるが、われわれは反抗を賞賛するべきだ。
8. 専門家ではなく、クラウド(人々)に向かうこと。
9. 教育ではなく、学習に焦点を当てること。

この9つの原則を参考にして考えるに、日本企業では、組織が安定はしているが硬直化した状態から事業環境の変化に対して起動的に柔軟に動ける状態への転換を行い、経営と現場の間に生じる溝を学習により橋渡ししようとしている姿が目に浮かびます。

日本人の時間に正確で勤勉な国民性に根ざした現場力を活かしつつ、事業を戦略化し、現場との連動性、即時性を高めることが出来れば、日本的経営による新局面が迎えられる、個人的にはそんな可能性を感じています。

安定よりも革新に向けてリスクを取ろうとする意識も徐々にではありますが、経営でも現場でも確実に増えていると感じます。

そして、企業内大学間のハブとして大学が機能しているようにも見えることも、かつて「企業別組合」で企業ごとに分断された状態とは大きく異なります。
ネットワーク型の学びの実現は、現代版日本的経営の重要なイネーブラーとなるはずです。

組織が戦略的な構造になり、現場の活動は自律的に戦略との連動性が高まり、外部に開いたネットワーク型の学びにより組織内に次々に創発が起こる。

私が描く現代版日本的経営は未来志向です。


3つの特徴

2015年3月8日日曜日

オフィスだってフィールドだ!

”私たちの主体も、私たちの認知も、私たちの社会関係も、個人を取り巻く外界の道具立てがないと成立しない” デザインド・リアリティ−集合的達成の心理学− 有元典文×岡部大介著

人は外的足場によって創発する存在です。人間は、脳の限られたリソース(資源)を外的環境に依存し開放することで、より高次な脳の活動を実現しています。脳と身体と環境は相互に影響し合い変化する関係なのです。

知覚と行動が一体化して創発的に複雑な行為を生じているということは、知覚が変われば行動が変わることを意味しています。

では、オフィスが移転することによって仕事の質は変わるのでしょうか?

経験を振り返ると、変わることもあるし、変わらないこともあるという、なんとも中途半端な結果です。

そして、変わらないことの多くは、仕事の起点を「変わらないもの」に置いているケースです。

交流分析では”過去と他人は変えることが出来ない”という言い方をしますが、「昔どうだった(自分はどんなに酷い扱いを受けたことか)」「会社はどう考えてくれるのか、どうしたいのか(他人事化)」など、「過去と他人」から仕事を語る人は、どんなに”外界の道具立て”が変わったとしても、仕事の質は変わりません。

観察対象としてではなく、主体として存在するフィールドにおいて、私たちがフィールドとともに変わろうとするとき、変わらないモノを減らす工夫が必要です。また、変わらないモノが刷新されるフィールドの中で成立しなくなる様相から目を逸らすことも出来ません。

オフィスからフィールドに出るだけでなく、オフィスこそ主体たるフィールドとして向き合うことが出来ると、仕事も組織も会社も常にイノベーティブになるのではないでしょうか。


完璧にブロック

2015年3月7日土曜日

3月は”コレクション”でがちゃトーク。 ”コレクション”を讃えよう!?

第一金曜日は、Cafe Katyでハートランドビールを飲みながらがちゃトークです。このところ同じ面子になることが多いですが、毎回変わるテーマと、「がちゃ」の神様の気まぐれが楽しめます。

昨晩選ばれたテーマは「コレクション」です。

「コレクション」の「なぜ?」であったり、「自慢ネタ」「おどろき」などなど、対話しながら頭のなかで思い描いていたのは、

生物的側面
ゲーム的側面(達成感と射幸心)
社会的側面(自己投影と社会的意義)

の「コレクション」の3つの側面でした。

動物が将来の消費に備えて食べ物を集める行動はよく知られています。また、植物も未来に向けて太陽の光を集めます。季節変動を超えて種を維持、保存するための活動の1つとして「集める」行為が自発するのです。

この行為は、生き抜くための行為ですから誰かに自慢するようなものではありません。

対話の中で主に想定されていたのはもっとマニアックで嗜好的な「コレクション」でした。

ジグソーパズルのピースを嵌めるようにモノを集める行為は、「コンプリート」と呼ばれるゴールを目指します。そこにあるのは「達成感」です。達成によって脳内に放出されるアドレナリン、ドーパミンなどによって行為が強化され習慣化するのでしょう。

ゲームでは、ゴールと課題と達成手段が同時に提示されますが、商業的に演出された「コレクション」はこのデザインを徹底して行い、射幸心を煽っています。

「コレクション」のドライバーは人の内面なので他者からは理解し難いコレクションが多くあることも説明がつきます。

さて、社会的側面は、個人のコレクション行為が社会にとってどのような意味を持っているのかということです。

コレクションのドライバーは人の内面にあると述べましたが、行為は他者から観察できます。ミニカーを集める、切手を集める、自分だけのバイクを仕上げる、カエルグッズを集めるなどなど、コレクションを通じて「人となり」が社会に投影されますから、それによって、新たな社会性が生み出されるのです。

自画持参主催の加藤教授は、カエルグッズをコレクションされているそうですが、自ら積極的に集めている訳ではなく周囲の人がお土産などでカエルグッズを持ち寄ってくれるとのことでした。しかも、カエルグッズ・コレクションを通じて、同じくカエルグッズをコレクションしている東大教授と親交が生まれたそうです。
これなどは、カエルグッズ・コレクションに投影された人となりが、社会的な関係性を生み出している実例だと感じます。

そして、コレクションは、世の中にある様々なモノの拡散、棄損滅失を防ぎ、価値を保存する効果があります。美術館などを見れば一目瞭然です。

すべてをまとめると、人にとってのコレクションとは、「生存のために食料を集めるという生物が本来持っている本能を転用して、生存目的以外のパーソナルな行為が達成感という快楽を生み出す脳の機能との組み合わせによって強化された結果であり、その結果を通じて社会に投影された多様な個性が社会に新たな多様な価値や現象を生み出す仕組み」と言えるのかもしれません。

だとしたら、コレクションは「社会を活性化する仕組み」なのですね。

考え、対話し、内省し、意味化する。

今月も、がちゃトークの皆さんに感謝です。


我が家にひとつだけのカエル




2015年3月6日金曜日

組織の地図とキャリアの地図 地図で仕事を理解できる?

企画や渉外など仕事に内在するタスクの関係性を多変量解析で地図にすると似たタスク、似ていないタスクが可視化されて面白いアウトプットになります。

この
タスクの関係性 × 部門におけるタスクのバランスとボリューム
で見えてくるのが部門の仕事の質です。

そして部門の仕事の質の関係性を可視化すると、組織における仕事マップができます。

一方で、仕事には役割によって階層化される側面もあります。

新入社員、主任、係長、課長、部長と職位が上がるにつれて主要タスクが変化するからです。職位でなくても、スタッフ、リーダー、マネジャーと役割によっても主要タスクが変わります。

「川下りから山登りへ」などと言われる、キャリアにおけるパラダイムが変化する断絶モデルです。

タスクの関係性 × 職位・役割におけるタスクのバランスとボリューム
で見えてくるのが、職位・役割における仕事の質です。

仕事はこうして立体的な構造になっているのですね。

しかも、日本に地震が、温暖化では海面が上昇するように、この仕事をとりまく立体的な構造はつねに変化を伴います。

昨日までは、住み心地の良い場所が、水没して住めなくなるようなものです。

ですから、変化する立体的な構造の中で変化し続けるのが仕事ということになります。

さらに例えて言うならば「仕事とはサーフィンのようなもの」ですね。

仕事は大まかには地形として地図で理解することができますが、実際は、リアルタイムに変化するので、仕事に向き合うには適応、先読み、スキル、意欲・目標と、プロアクティブ、リアクティブな実践と学びが必要です。


揺れる構造

2015年3月5日木曜日

三人寄れば知恵と役割

仕事でトラブルが発生した時など、人の凝集性がぐっと上がる瞬間があります。そのような時に、集まる人数が二人と三人ではどのような違いがあるのでしょうか。

二人のときは、相互に意見を交換してより妥当と思われる案を採択、調整する形が多いですが、三人集まると議論が複雑になってきます。明らかに予測不能性が高まるからです。

『この人は何を言うのだろう?』

お互いに対等な立場で議論が出来れば気遣う必要もありませんが、「自称三人目」は、無理に発言しなくても済むポジションです。

そうなると残る二人は、その人を参加させるか、無視するか決めなくてはなりません。つまり、考えることが増えるのです。

1対1の駆け引きよりも1対2の駆け引きが難しいのは、「考えることが増える」「想定外の意見が出る可能性が高まる」ためでしょう。

それは、知恵の源泉であるとともに、複雑さをコントロールして議論を一本化する役割の出現でもあります。それがファシリテーターやリーダーシップです。

「君はどう思う?」
「なるほど、そういう考えもあるね」
「では、君は?」
「それでは、こうしたらどうだろう」

意見を引き出す、皆に提案する、そういったことを繰り返す役割は、自己組織化により発生するものです。

ワークショップでグループを作った時など、誰がどの立ち位置を取るのか見ていると、その後のプロセスにこの役割が非常に重要な意味を持っていることがわかります。初期状態の重要性と予測不能性、まさに複雑系です。

こうした経験を学習すると、人が集まった時にまず、役割を決めておくほうが良いだろうことは想像に難くありません。実際、多くの組織では「役割ありき」です。さらに複雑さをコントロールするために、最終的な裁量である「決定権」をその役割に与えます。

しかし、役割とは、本質的には自己組織化により創発するものであるという原理を忘れると、独善的な立場で権力を行使したり、組織運営を行き詰まらせてしまったりすることになってしまいます。


猫?犬?

2015年3月4日水曜日

「問いを立てる」ことで起こる行き違い

時節柄、就活ネタが多くなってしまうのですが、今日のテーマは「問いを立てること」です。

ロート製薬のエントリー受付に関すつ記事で、「往復はがき」という手法も珍しいですが、”「大事な問いを立てる」ことからのスタート”というメッセージはとても良いと感じました。

ロート製薬、「往復はがき」で新卒エントリー受付

さて、「問いを立てる」といって私が思い出すのは、パネルディズカッションやセミナーなどでの質問タイムの惨さです。

以前、茂木健一郎さん、池上高志さん、宮島達男さん、植田工さんのパネルの後の質問コーナーで茂木さんが質問者に大激怒したことがありました。パネルはアートや教育を横断して、「自分のオリジン」「必殺技」に言及するものだったのですが、最初の質問を行った人は、教育の方法論に関して「答え」を期待する問いを立てたのです。

後日、茂木さんは、”噴火の原因だけど、私には、理想の「質問」というものがある。それは、たとえば、コンサートの後の拍手やブラボーくらい、それまでの会話と同じ「強度」を持ったものであってほしい、ということかもしれない。それで、初めて、今まで同じ場を共有していたということが確かめられる”と述べていますが、思い起こすに、投げかけられた質問は、素晴らしいコンサートの後、演奏者に「ところで私はどんな楽曲を聴けば良いのでしょうか」といった類の問いを立てたわけです。

このような行き違いは非常に多くあります。

採用担当者の介在価値を提起した講演のあとに、面接官のトレーニングに関するハウツーの問いを立てる。
幸福に関するパネルの文脈に関わらず、自分の悩み事についての問いを立てる。
模擬面接のフィードバックの後に、声は大きい方が良いのでしょうかと問いを立てる。

茂木さん風に言えば「強度」に共鳴のない問いを立てることは、相手を脱力させる以外の何物でもありません。

もっとも、非日常的な「強度」に接した時にいきなり共鳴するのも無理な話かもしれません。例えばロート製薬のエントリーに関する社内の議論は熱いものだったでしょうが、その議論に参加していない学生がいきなり「問いを立てる」ことを求められても当惑するだろうことは想像に難くありません。

もちろん、「強度」に応えて「問いを立てる」学生も必ずいますし、そういう学生と会ってみたいと採用担当者であれば思うことでしょう。

「問いを立てる」際には、場の共有であり、共演(時にインプロヴァイゼーション)関係であり企みの共犯者なんだという自覚が無いと行き違いは避けがたいでしょう。


場を写す問いを立てる

2015年3月3日火曜日

流布されるネガティブな発信の背景は? (思考の)記述のススメ

マーケティングにはディマーケテングという、商品を売らないようにするマーケティングがあります。これは、自社商品に対するマーケティングの一環ですが、他者や他人がこれを行うと営業妨害行為になります。

最近よく「ディスる」という言葉を見かけますが、これも批判の域を超えて他者に対してダメージを与えている場合があります。

インターネット上の「ディスる」行為はデータとして残りますから、行為の関係性や連鎖を興味深く見ることができます。アマゾンや価格.comのレビュー、ブログのコメント、ツイッターなどが「ディスる」場所です。

多くの人が一斉に「ディスる」と「炎上」となります。

一方で、一部の人が「ディスる」(逆に、その他多くの人は好評価)場合も見かけられますが、そのようなケースで発言者の他の発言やプロフィールを見ると、1.他の発言が無く、プロフィールも不詳 2.他にも同様な発言 と分類できそうです。

1に関しては「ステハン」と呼ばれるものなど、自らの考えを主張するというより、なんらかの意図を持った発言、もしくは自分の素性を明かしたくない場合の発言です。風説の流布か本音なのか見分けることは困難です。

2にはいつでもどこでも「ディスる」人です。

発言や書き込み、アンケートの回答には本人は気づきにくい一貫性や傾向性があって、いろいろ考えて発信しているようでも並べてみると結構、同じトーンになっているものです。

「なんだか最近、悩み事が多いみたいですね」

突然そう言われて「え?」と当惑したことがありますが、実は、私のブログを読んでそう感じたそうです。

考え事は多くしていますが、もやもやした感が悩み事として他者に伝わるのだと気づいたのはその時でした。一方で、悩み事が考え事の背景にあるのかもしれない、と気になったのも事実です。

本人は偏見なく正当に主張しているつもりでもいつもつい「ディスっちゃう」、というケースは少なくないでしょう。

さて、さまざまな発信がありますが、会話と違い、記述は、時を超え不変ですから自分の思考の偏りに気づくにはうってつけの方法だと思います。


微妙に傾いています






2015年3月2日月曜日

「人と組織」をインフォグラフィックで表現してみる

経営における「人と組織」とは”部分”です。

しかし、「人と組織」にフォーカスするとそこにはとても広い世界が広がり、さらにいくつものテーマに分岐していきます。

それを言葉で説明するのは結構大変です。

そこで、インフォグラフィックにしてみようと思います。


こんな感じ








2015年3月1日日曜日

万能という幻想を超えて強み弱みという個性を愛そう

趣味で写真を良く撮りますが、全てのシーンをカバー出来るカメラがありません。

「写真を撮る」という大まかな目的であれば1台で済むのでしょうが、目的を持った撮影においては、帯に短し襷に長し的なことになりがちです。

例えば私の場合、芸術的で印象の強い写真を撮りたい時は、大口径の明るいレンズと重量のあるしっかりとしたカメラを使います。しかし、そのカメラを旅行に持って行くには勇気が必要です。そこで、撮影旅行でない限り、写りの素晴らしさよりも持ち運びのし易い小型のカメラとレンズを持参することになります。

その小型のカメラにも得手不得手があって、色が綺麗、動きに強い、望遠レンズが小さく軽く値段が易い、などなど、旅行の目的、場所と何を撮るのかで適性が異なります。

なぜ、そのようになるのかと言えば、写真の構成要素がが多く、仕様を決める際の自由度が高いからです。さらに構成要素の何を大切にするのか、また保有する技術は何なのかによってカメラごとの強み、弱みが決まってきます。

わかりやすい大きさや重さから、撮影の質、写真の質というわかりにくい要素までこだわればこだわるほど機材選びは多岐に渡り、自然と機材が増えてしまいます。

どこかに万能のカメラがあるという幻想を超えて、徐々に増えていく個性を愛していこう、そう思うのです。

(え?自分の愚かさを正当化しているだけ?・・・はい、そうです)


白いカメラに替えたのは
何か訳でもあるのでしょうか?