2015年1月31日土曜日

仕事に熱中しても没入してはいけない理由とは

朝早くから、夜遅くまで自分の仕事に専念する。

日本人の働きぶりについては、かつての「エコノミックアニマル」からはじまり、「ワーカホリック」「過労死」最近では「ブラック企業」など「働き過ぎ」という視点で多く語られます。

多くの企業では、「早帰りの日」を制定せざるを得ず、しかも人事部はそれを守らせるのに苦労している現実を目の当たりにすると「勤勉さ」という民族的特性を超えて異様さを感じてしまいます。

アメリカと違って、日本では健康保険制度が広く普及しているので倒れるまで働いても大丈夫だし、さらには疾病、死亡保険も充実してあるから安心してとことん働ける、ということでもないと思うのですが、過剰な仕事への没入は健康面はもちろん、仕事の質においても大きなマイナスとなります。

それは、以下の理由からです。

1.変化は外で起きている
仕事に没入するほど、組織は村社会化し、外の変化に対して鈍感になります。でも、組織の未来を決めてしまう変化は、必ず組織の外で起こっているのです。クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」は多くの人に読まれているのに、企業において組織の外に目が向かないのは、没入し過ぎて感性が失われるからでしょう。

2.深掘りしても「こうすべき」という答えなんてなかった
真面目に仕事に没入すればするほど、自分の仕事の今や未来が見えなくなります。私は仕事に専念し、集中しても「こうすべき」という答えを自ら導き出すことは出来ませんでした。そうではなく、仕事を外から眺めたとき初めて「こうすべき」が見えてきたのです。

3.殻が厚くなる
仕事に専念、没入すると当然、専門性やスキルは上がります。仲間の中では、強みが増して優位な立場に立てますし尊敬される機会も増えます。つまり、内がより快適になるのです。「外に出る時間がない」という言葉が出るようになったら、それは言い訳であり、「外に出たくない」という本心があることに気づくべきです。

4.脳の疲れは身体の疲れと同じ
人は、肉体を酷使した疲れより、頭脳を酷使した疲れを軽視しがちです。しかし、脳科学では、脳が感じる疲労に違いがないことがわかっています。毎日ジョギングする人は居ても、毎日フルマラソンを走る人は居ないことを忘れてはいけません。
脳の疲れに麻痺してしまわないよう、普段と違う疲労が大切です。ちょっと普段と違う人に会ったり場所に行っただけで疲れを感じる、それは蓄積した疲労のせいであるようです。

このように、仕事への没入には良くない影響があります。
没入というバッドスパイラルに入らないセルフコントロールが肝要です。


外から眺める

2015年1月30日金曜日

ダブルスタンダードでいこう!

一般的にダブルスタンダード(二重規範)というと、不公平を生み出すものとして好ましくないと考えられます。

ところが、仕事にはダブルスタンダードが必要です。それは、二元論的に「良い」「悪い」で評価できるほど単純ではない複雑な状況に常に人は生きているからです。

では、仕事で大切な規範とは何でしょうか。私は以下のように考えます。

1.業績規範
 いくら稼いだのか、いくら儲けたのかという規範です。

しかし、注意したいのは「儲からない仕事」がダメなのじゃなく、「儲けを意識しない仕事」がダメということです。

なぜなら、仕事に対する価値尺度が無ければ仕事の質を高める具体性がありません。
プロフェッショナルは「儲けないこと」はあっても、決して自らを安売りしません。

さて、「儲けを意識する」のであれば、「儲けた人」が評価されるのと同様に「儲けなかった人」が評価されることになりますから、これはダブルスタンダードです。

2.理念規範
 何をするのか、どう成るのかという規範です。この規範は「仕事に向き合う意味づけ」です。

理念規範の注意点は、「会社が掲げる理念を実践するべし」という、会社至上主義を指すものではありません。

理念規範をもう少し具体的に説明すると「自分の人生」を仕事という視点から捉えたときに、そこに描く「ビジョン、目標、夢が存在している」ことです。

「ビジョン、目標、夢が存在している」ことは、ビジョン、目標、夢に向かって仕事が「出来ている」、「出来ていない」いずれも”有り”な状態ですから、こちらもダブルスタンダードです。

クレディセゾンの林野社長は仕事に向き合う姿勢に関して、「夢中になったことを仕事にするか、目の前の仕事に夢中になるか」という問いかけをされていますが、「ビジョン、目標、夢」との一致が見いだせなくても仕事に向き合うことの大切さは、「計画的偶発性理論(D.クランボルツ)」としてキャリアの重要な視点となっています。


ダブルスタンダードを使いこなし、常にプロフェッショナルとして、自らの価値を問い、ビジョン、目標、夢を持った人生を送る。

そのような仕事人でありたいものです。


ダブル!

2015年1月29日木曜日

組織の中で周囲を変えるために自分が変われたのか

組織には様々なタイミングで活動を振り返る時期があります。その中でも期末は一年の活動の総括を迎えるタイミングです。

この時期の振り返りは、次期の計画策定とも深く関わってきますから、本質的な課題を見つけることも必要になります。

本質的な課題とは、表面的な課題の背後に潜む根っこです。

この根っこを片付けないかぎり、あちこちから課題の芽が生えてきます。

大きな施策が打てない時に根っこを掘り返すと、影響が大きいのであまり得策でありませんから、期が変わる時に根っこが掘り返れるのです。

人事異動や組織変更が期初に集中するのにはそのような背景があります。

ところで、組織内人材の活躍における課題の根っこは普遍的でシンプルです。

それは、「周囲を変えるために自分が変われたのか」ということです。

「組織で仕事をする」とは「周囲と連携して高いパフォーマンスを発揮する」ことですから、自分だけがレベルを上げれば良いわけではありません。その代表例が、マネジャーです。

周囲がかわるために自分を変えることが出来たのか、出来なかったのか、それは組織で働く人、共通の問いかけなのです。


◯?☓?

2015年1月28日水曜日

プロジェクトマネジメントが得意な人の特徴

昨今の仕事は、決まった手順の仕事をするのではなく、目的の達成に向けて最適な手順を組み上げ遂行することが多くなっています。

ルーチンからプロジェクトへ仕事のスタイルが変わると、確実、正確、熟練といった能力だけでは仕事を乗り切る力が足りなくなります。

そこで、プロジェクトをマネジメントする人の特徴を上げてみます。

1.安定したメンタリティ・・・常に冷静なように見えるが実際は気分のムラが少ない
2.直感的能力・・・新しいスキルをすぐに感じ取る、ポイントを感じる
3.時間・空間を操作・・・ぎっちり忙しい中でもさらに仕事を詰め込む魔法が使える

まるで神様か魔法使いです。

これらの特徴には、そもそも人に備わっているものもありますが、多くは経験の中で培われたものです。

多くは後天的に獲得するスキルです。

しかし、経験を積んでも必ずプロジェクトマネジメントが上手に出来るわけではありません。

そこに残るのが「性格」です。

この「性格」とは、心理学で言われる5因子( Neuroticism、Extraversion、Openness to Experience、Agreeableness、Conscentiousness)のように抽象化された概念ではなく、二重螺旋のように行動と連鎖している外から見えない人の内側の世界のことです。

そこで最後の特徴は

4.滲みだす人柄・・・一様ではないその人らしさが常に溢れだしている

プロジェクトマネジメントだから、という立場で仕事をしているのではないようです。



連鎖する世界

2015年1月27日火曜日

演劇の力で講師力をパワーアップするセッションに参加して

企業では様々な研修が行われますが、いずれの研修においても講師の力量が常に問われます。研修には教育目標があり、終了後にどのような状態になっていて欲しいのか事前に計画されていますが、講師になると思惑通りに進まないものです。

そこで、経営学習研究所(MALL)で中原淳東京大学准教授が企画された、【演劇の力で「ひと味違う新人研修」を創る:音楽座ミュージカルが贈る講師力パワーアップセッション】に参加してきました。

以前、酒井穣さん(!)に講師をお願いして実施した社内研修でも演劇を取り入れたセッションがあり、「研修における演劇」に興味を持っていたこともありました。

結論として、講師力がパワーアップしたか、と言われると、実際に研修を実施する際にセッションで得られた気づきを活かし、参加者の行動が変わったことを確かめなければパワーアップしたとは言えませんので今後の自分に期待したいと思います。

そこで、キーワードとセッションを通じた気づきを上げておきます。番号付きがキーワード、→が気づきです。

1.研修のデリバリーは「サイエンス」と「アート」の中間(中原先生談)

 →なるほど、声で働きかけて相手を動かすには「アート」の要素が必要ですね。

2.「考えて動く」より「感じて動く」ほうが効率が良い(体感あり)

 →確かに「感じて動く」が生き物の基本かも。

3.体感型はすぐに忘れてしまうのでセッションを行う(Feelノートをつかって)

 →体感出来ることは記憶する必要がないものだからなのでしょうか?

4.殻をやぶる。まず自分から。(セッションの中心テーマ)

 →「相手の力を借りて」というのが大切!

5.他者を受け入れる(「生き方が良くない」と言われても・・・)

 →真意を問う、意味を生む「謙虚さ」、ですね。

6.相手を察する(息づかいを「感じる」)

 →「空気を読む」より「息づかいを感じる」ほうが主体性があると感じます。

7.誰も見ていない時にどうであるか(「言っているお前はどうなんだ!?」中原先生談)

 →はい。その通り。

8.根暗ながら明るく演じれる人(良い演者)

 →闘う人の特徴ではないか。

9.「演じる」とはありたい姿に向かっていくこと(心底、どうありたいのか)

 →「デザイン」とは夢を実現するプロセスである。「演じる」=「デザイン」?

10.心底気づくまで待つ(落ちこぼれ(と思われている人たち)でも必ず達成する!)

 →手を出さない勇気。出したくなる自分との戦い。負けるな、自分!

11.インプロ(即興)が上手く行く行かないは場の力(バノチカ!!)

 →逆に、誰にでも力を活かす場があるのだろう、きっと。

そして、このようなキーワード以上に体感ワークには強いインパクトがありましたが体感はなかなか伝えようがありませんので、メモとして残しておきます。(ワーク名は間違っているかもしれません)

体感ワークは、「水」(ペアでお互いが水になり揺する)、「ジャンプ」(ペアで相手の眼を見ながらジャンプ!ジャンプしながら「こんにちは!」)、「いいねー」(ペアで相手よりも大きく「いいねー」。身体も使えば大きな表現!)、「鏡」(ペアで相手の真似をして動く。息づかいを感じるのがコツ)、「ぺったんこ」(3人一組で、アンサーと接続詞と臼になり、何回接続詞とアンサーを繋げたかを他チームと競う)、「21」(チームで21まで声が被らないように数える)、「研修を作る」(すれ違って振り向いたところから始まる声を出さないインプロを使った研修を役割を決めて実際に実施する)、「感動のフィナーレ」(歌う、高い声で歌う、大きな声の高い声で歌う、ポーズする、ジャンプする、集まる、戻る、手を繋いでお辞儀する)でした。


セッションを企画された中原先生、経営学習研究所のみなさん、ファシリテーターのたまさん(藤田将範さん)ほか音楽座ミュージカルのみなさん、ワークショップの映像を撮影された柴田さん、そして、いっしょにワークをして頂いた参加者のみなさん、ありがとうございました!


根暗な二人?(笑)

2015年1月26日月曜日

根拠の無い自信が無責任となる場合とは

世の中には、何事にも臆病で一歩が踏み出せない人がいます。良く言えば慎重なのですが、何かにつけ慎重過ぎると仕事や会社によっては高い評価が得られません。

では、自身のある人が高い評価を得られるかというと必ずしもそうでもありません。

「この開発のリーダーを引き受けますか?」
「わかりました、まかせてください」
「達成の見込みはどうでしょうか」
「大丈夫です!」
「では、よろしくお願いします」

と、任せたはいいものの開発が途中で頓挫してしまう経験を多くのマネジャーは持っていると思います。

このような場合、開発を任せたマネジャーに責任があるのは当然ですが、引き受けた本人にも少なからず頓挫する原因があります。

ひとつは、仕事の意味づけが出来ていないことです。

自分にとって、会社にとってその仕事を達成したとき、達成出来なかったとき何が起こるのか、もう少し言うと、何を起こしたいのか目標が希薄な場合、その仕事が上手く行くのは奇跡的です。

もうひとつは、内省が進まないケースです。

開発チームは、ひとつの開発の中にある、多くの小さな挫折と克服から得られる学習を通して開発の最大の難関を越える力を獲得するものですが、内省が進まないと乗り越える力を得られません。

開発を例にとりましたが、未知の仕事において、仕事を成し遂げられる根拠はありません。ですから、それを引き受けて取り組もうとする姿勢はとても大切です。

しかし、目標や成果に対する意識が低く、内省が進まない場合、無責任な話となってしまうのです。


無責任

2015年1月25日日曜日

レジに見る小売店の会計スタイルとお客の我慢くらべ

今でこそ、百貨店でもたまに並ぶスタイルのレジがありますが、基本的には今でも、売り場で店員さんにお金やカードを渡すと、店員さんがキャッシャーまで持って行って精算し、お釣りやレシートをお客のところまで持ってきてくれます。お客様第一を信条とする百貨店ならではの会計スタイルでしょう。

それに対して、コンビニを始め多くの小売店の定番となっているのが、レジカウンターまで、お客が商品とお金を持って行って精算する方式です。少ない要員で効率的に販売をするためには、お客に全てを運ばせたほうが理に叶っています。また、当然ながら店舗運営が低コストになります。

そしてもっとお客にストレスをかけるのが番号札方式を含む行列式の精算でしょう。病院や携帯電話ショップがこれで、自分の順番が来るのをじっと待つ会計スタイルです。要するに、会計する能力が足りないことがすでに明らかになっている訳ですから、そのような店で買物をするには覚悟が必要です。

さて、売り場が混雑すると、それぞれのスタイルとお客の我慢が逆転し始めます。百貨店では、店員さんがつかまらなくなります。これはストレスフルな状況です。何故なら、商品を購入するという課題解決がとても困難になるからです。

つまり、百貨店のような会計スタイルは、満足から不満足への移行が急激かつ大きいのでしょう。それに比べて最初から覚悟をしている会計スタイルでは、10人待ちが20人待ちになっても不満足の度合いが上がっても「待つ」という解決方法は変わりません。

それらを考えると理想的な会計スタイルとは、顧客第一でありながら混雑をものともしないものです。

これを人の力で実現しようとすると店員を機動的に増やしたり減らしたりするしかありませんしとても難易度が高いですが、ITの技術では機動的に能力の増減を行う仕組みはすでに実現されています。足りないのは、対面の心地とリアルタイム性ですが人工知能の進化には目覚ましいものがありますから、近いうちに追いつくでしょう。

というのがリアルとウエブ間の競争の次のステージにあるように思えます。


この先

2015年1月24日土曜日

鳥の向かう先へ 知恵の正体とは?

ボイド(Boids)という人工知能のシミュレーションプログラムがあります。これは、鳥の群が飛行する様子をシミュレーションするものです。

クレイグ・レイノルズというアメリカのプログラマーが開発したプログラムは、単純な3つのルールで構成されています。

1.近づくがぶつからない
2.向き、速さを合わせる
3.群の中心に向かう

このプログラムの結果は、鳥の大群が大空でまるで群自体が生き物のように見える見事な動きを再現することが出来るのです。

一方で、渡り鳥の飛行はもう少し様子が違います。

私なりに考えるに1と2は同じですが、

3.ひとつの方向に向かう
4.空気抵抗を減らすように隊列を組む
5.先頭を交代し均等に体力を使う

と行動がより戦略的になるように思います。
これは、体力という限られた資源で「渡る」という難題に向き合う中で生まれる戦略であり、人間はそれを「知恵」と呼ぶのでしょう。

そして「知恵」の本質は頭の中でなく違うところにあるように思えます。それは環境と身体が生み出しているのでしょう。


知恵の所在

2015年1月23日金曜日

組織の「強さ」ってなんだ?

1月7日にNHKニュース おはよう日本で「“強い組織”作る秘けつは…」という特集があったようです。その内容がこちらに記載されています。

主旨としては、組織が団結、ヘッドスタート、現場を鍛え抜く、自主性を引き出すの4つのようですが、いかにもラグビーっぽい組織イメージです。

ローソンの玉塚社長がビジネスシーンとしてお話をされていますが、玉塚社長もラガーマンですから表現に偏りがあります。ユニクロでは経営スタイルが上手くマッチしていませんでしたから、組織運営の常道とは言えないでしょう。

そこで、色々な会社に接して自分が考える強い組織のイメージを列挙すると以下のようになります。

体育会型・・・特集されたような団結し鍛えまくる組織
戦国時代型・・・群雄割拠、凌ぎ合いの均衡で維持されている組織
しなやか型・・・ひとりひとりの守備範囲が広く修羅場で力を発揮する組織
天下泰平型・・・情勢に合わせて適切かつ刺激的なマネジメントを実践する組織
徹底内省型・・・なぜ、なぜ、なぜと内省を通じて本質を問い続ける組織
カリスマ信奉型・・・とにかくひたすらカリスマに従う組織
ブランディング型・・・ブランディングの徹底で隙のない組織

類型化というより、強い組織にラベルをつけただけなのですが、強さの源泉は明らかに異なっています。

さて、どの型がどの企業だかわかるでしょうか。


きらりん

2015年1月22日木曜日

フィールドワークしよう!

昨年お邪魔したフィールドワーク展から今年のご案内を頂きました。時間を作って是非、行きたいと思っているのですが、昨年の展示を観てフィールドワークにも本当に様々な種類があることを実感しました。

仕事の同僚も学生時代に多くのフィールドワークを経験していたようで、たまにそれらの話を聞くことがあります。見知らぬ場所で目的を持って行動することだけでも、どこか冒険の匂いが漂っているように思えて楽しめます。

マーケティングの仕事をしていると、フィールドワークをする機会も出てきますが、人と組織に関わるの仕事では、あまりその機会もありません。ヒアリングやインタビュー、研修など、多くの人に関わることは多いのですが、フィールドとは感じません。

そんな中でも、フィールドを感じる瞬間があるのが、お客様の業務スペース内の内部用の会議室に入れてもらった時です。とりあえず置き場所の無い本や資料や機材などが無造作に部屋の隅に積み重ねられた会議室からは、日常生活的な仕事の雰囲気が良く伝わってきます。

「あー、こんな感じで仕事をしているのかぁ」という感じです。

机の上に積み上がったものは、仕事で常に使うものでしょうが、そこからはみ出したものから何となく雰囲気が漂ってくるように感じるのです。

また、そういう場所で聞く話は、お客様用の会議室で聞く話よりも現実的で具体的な理解が進みます。

ですから、お客様を訪問した際に、「会議室が取れなかったので・・・」と聞くと、心のなかでニヤッと喜んでしまいます。


しろやぎさんからお葉書ついた♪

2015年1月21日水曜日

「やりがい・成長」という就活キーワードの裏側に潜むのは?

新卒採用の面接を行っていると、志望の動機として学生からよく聞く言葉があります。

もちろん回数などは数えていませんが、「やりがいのある仕事」、「自分が成長できる会社」というのがそれです。

いずれも言葉としてネガティブではないのですが、違和感を持ってしまいます。なぜなのか考えると以下のような点が頭に浮かびました。

1.当人がやりがいを持って学生生活を送っているように感じ取れない
2.当人の大学生活を通して成長が感じられない
3.会社や仕事の現実を見ようとしていない(真の関心が持てていない)

要するに、「自分はまだまだ子供なんです」というメッセージが言葉の背景に潜んでいるのでしょう。

しかし、自分にマッチした会社に入ると、魔法のように仕事にやりがいを感じたり、成長したりすることはありません。多くの新入社員は、巷で人気の第一志望の会社にやる気と夢と希望を持って就職できたとしても、入社直後からリアリティショックを受け、挫折し苦悩するのです。

学生時代によい経験を積んで1から3が充実していても、仕事を通して自分の弱さや出来ないことに向き合っているのですから、1から3のような状態では、やりがい、成長どころでは無いことは明らかです。

もちろん、人生の時間軸や目的で考えれば、新卒時の就活が上手くいかなくても大した問題ではありません。「やりがい」も「成長」も死ぬまでの間と考えれば、いつでも可能性があるものです。

そこで、もう少し考えてみたいのは、学生にそう言わせている社会的圧力です。

皆、同じリクルートスーツを着て、同じ人気企業に応募して、同じように、「やりがい」「成長」を掲げさせてしまう、この社会に内在する同調圧力って何なのでしょうか?

大学卒業は通過儀礼なのでしょうか。

一方で、「何なのでしょうか?」と問いかけている自分自身も社会の一員として圧力をかけているのですからそこに違和感を持っている自分がどう自分を変えているのでしょうか。

最近、はじめたことを振り返ると、留学生採用は変化の一つであるようです。同調する社会の外からの採用です。

自分を変えられても独力で出来ることは限られてしまいますから、社会と上手に連携して自分の変化を形にする方が現実的です。また、そのように自分が利用する外的足場を変えてしまえば、社会を同質化する共犯者にならずに済みそうです。

そして自分が属する社会をどう変えるのか。

「やりがいのある仕事」、「自分が成長できる会社」と言わない学生を「どうしましょう」から「こうしましょう」にするために、思いつくのは、子供よりも先に将来の職業を具体的に意識する親などの大人もセットにした働きかけです。

こちらはこちらでアイデアもあるので同質化に向かわない連携を模索しながら進めていきたいと思います。


いけてない人にならない、させない社会へ








2015年1月20日火曜日

出口でなくすべて入口 それが仕事かもしれない

アウトプットすることが仕事。そのような言い方をすることもありますが、プリンターのように何かを出力したら仕事が終わるのでしょうか。

日々、仕事に向き合うと終わりが無いことに気付かされます。これは、会社にとどまらず家庭においても同じでしょう。

飲み会においても、お開きで全てが終わるのではないことをフェイスブックは教えてくれました。余韻ではなく新たな関係の始まりです。

そう考えると、生きている限り仕事に出口はないとも思えてきます。

そもそも入口、出口というのは特定の通過点につけられた呼称です。

では、出口というのはどのような特定の通過点なのでしょうか。

かつて、男女が別れる時、女性は携帯電話を解約して関係を一切終わらせる傾向があると聞いたことがあります。これは、男女関係の終わりであり出口だと考えられますが、他人事化の儀式とも言えるでしょう。(ちなみに男性は思い出の品を取っておく傾向があるそうです。)

このように出口が「他人事化」する通過点であれば、入口は「自分事化」する通過点です。

多くの人は「他人事」で仕事をしようとする人に違和感を覚えます。
「だって、それが仕事じゃん!」
「他人事」の人に出会うと、どこからかそんな声が聞こえてきそうな気がします。

常に自分が入り込んで行くところ。

仕事にはそのように向き合いたいものです。


通過する


2015年1月19日月曜日

仕事と子育て

気持ち良い飲み会が終わり、気づけばあと10分で日が変わります。

そこで、今日のブログは、一点突破で「仕事と子育て」です。

自分は、極短期ながら、子育てをしながら仕事をした経験があります。
そのような状況になったのは自業自得ですし、迷惑を掛けた子供には本当に申し訳ないと思います。

当時の生活は、4時半起床、朝と夜とお弁当を作り掃除洗濯アイロン掛けをして出社、帰宅時に買い物をして・・・という生活でした。

この時、すでに子供は大きくなっていたので、ある程度の融通は効いたのですが、会社と自宅が近くなければ絶対に成立しなかった日々です。

その経験から考えるに、住職近接こそが、仕事と子育てを両立させるクリティカルポイントではないでしょうか。

もちろん、気合と、覚悟と根性でそのポイントを超えて居る方はいらっしゃると思いますが、普通の人が普通に暮らす最低限の要件であるように思えます。


HOME

2015年1月18日日曜日

タレントマネジメントシステムとテトリスの共通点と相違点

人と組織の適材適所を実現することは簡単ではありません。

何故なら、
1.人も組織も複雑である
2.人も組織も可塑性がある
3.人と組織はコヒーレント(相互干渉的)に影響しあう
だからです。

マッチングのわかりやすいイメージにテトリスというゲームがあります。

このゲームは、落下する図形を上手に回したり移動したりしてピタリを地面の凸凹と一致させ、地面が高くならないようにするものです。うまく一致しないと、図形が積み上がり画面一杯になるとゲームオーバーになります。

人と組織の適材適所をテトリスに例えると、地面が組織、落下する図形が人、地面と図形の凸凹の一致が適材適所の実現ということになります。

敢えて言い切ってしまえば、タレントマネジメントシステムが行いたいマッチングはこのようなわかりやすい結果です。

しかし、前述したように、実用的な適材適所の実現は簡単ではありません。

行為には「実用的行為」と「認知的行為」があると言われます。

人事の領域で説明すると、「実用的行為」とは、実際に異動や登用などの行為です。「認知的行為」とは、どの部署や仕事であれば一致する(高いパフォーマンスを発揮出来る)か試す行為です。

テトリスでは落ちてくる図形を、回したり移動したりすることを通じて地面に嵌めるのが「認知的行為」です。頭の中で回したり移動したりイメージするよりも実際の行為を通じて試行するほうが効率的で効果的であることが、テトリス上級者の動作分析からわかっています。

思考よりも試行、ということなのですが、人材に関しては、実際の試行は困難です。採用後の試用期間や配属前に色々な業務を経験させて適性を見るなど、試行は限定的です。そこで◯◯力みたい能力や要件を定め凸凹を作り出すことになりますが、これは、「認知的行為」というより、思考の領域になります。

そこで他のマッチング例として結婚メタファーを使って考えてみます。

結婚には様々なプロセスがありますが、古典的なモデルでは、出会い(恋愛・お見合い)→婚約→結婚となります。結婚が「実用的行為」とすると、婚約が出会いと結婚の間の「認知的行為」にあたると思います。おそらく、婚約は結婚というマッチングを上手く行うための重要なプロセスなのでしょう。

話を人事の領域に戻すと、やはり婚約にあたるプロセスが少ないことが適材適所の実現を困難にしているように思えます。

能力や要件の整理は、テトリスで言えば、図形が落ち始めるまえの状態であり、結婚で言えば出会いへの準備にあたります。この部分のシステム化は効果的です。

そして、テトリスで言えば、地形と図形が同じ画面に現れ、図形が地面に落ちるまでの間、結婚で言えば、出会いと結婚までの間、人事の領域で言えば、プランニングと発令までの間に行う「認知的行為」が適材適所実現の大きなポイントだと考えます。


ハマるか

2015年1月17日土曜日

「問いかけ」は言葉とともにあるのか 「意味づけ」とあわせて考えてみる

自分は何故この世に生まれて来たのだろうか。

多くの人が思春期などある一定の年齢になるとこのようなことを自問するようになると思います。

これは、自分を意味化する道程であり、無意味でないことを確認したいという欲求でしょう。おそらく、自分もやがては死ぬのだということを自覚すると同時に、生きる意味を見つけようとすることから問いかけが生まれるのではないでしょうか。

このような意味化に対して、禅宗で使われる「無心」の境地があるように思います。そこでは、生きることも「雲無心にして岫を出て、鳥飛ぶに倦んで還ることを知る」(「無心ということ」鈴木大拙著)という捉え方になるのでしょう。つまり、意図のないものです。

こうした宗教的な世界観、死生観は人の行為に大きな影響性を与えます。意味づけの違いが、行為の違いとして衝突や軋轢を生じるからです。

さて、意味づけをする際に行われる「問いかけ」ですが、言葉を持たない生き物にも「問いかけ」は存在するのでしょうか。その真偽を確かめることは出来ませんが、私達が「問いかけ」を行う際、自分自身であっても他者からであっても、言葉で問いかけを行っているように感じます。

言葉は、社会的調整の手段であり、個人の思考の道具ですが、人工物であることに間違いはありません。つまり人為的に準備される人にとって外的な存在です。

そして良質な言葉は、より高度な社会的調整を実現する手段であり、個人の思考を高める道具となります。

一方で、行為の中にも「問いかけ」は存在します。それは、学習として行為に組み込まれ、更新される条件分岐です。こちらは思考を伴わない、省エネで効率的な「問いかけ」です。

また、この「問いかけ」は、潜在意識、無意識、反射的、本能的など思考から分離されたものとして認知されるのが通常です。

「なぜ、そうしてしまったのか」、「どうしたら出来るようになるのだろうか」といった行為への「問いかけ」は、行為に内在する「問いかけ」の焦点化でもありますが、そもそもそれは思考から分離された存在、「無心」なるものであるが故に答えに至らないのだ、とも言えるでしょう。

こうして考えると、言葉とともにある「問いかけ」は、言葉の質の向上とともに「より良い問いかけ」に進化するものであり、行為とともにある「問いかけ」は、あるがままのものです。

そして、私達に出来ることは、言葉の質を高めることに限られるのです。

多くの本を読み、良い話をたくさん聞き、多様な人と対話し、いっぱい文章を書く。

「良い問いかけ」とともに自己革新を繰り返すプロフェッショナルのコンピテンシーはまさにそこにあると思います。


言葉とともに

2015年1月16日金曜日

人材の流出を防ぐツボとは

かつて日本型経営の特徴と言われていた年功序列は無くなり、終身雇用もリストラや早期退職制度によって形ばかりのものに近づきつつあると思います。

就業者の意識も、若年層を中心に変化が見られ、企業に対する忠誠心よりも、やりがいや働きやすさ、自分の成長と仕事や職場を天秤にかけるようになりました。

さらに、そこに転職エージェントが暗躍し、魑魅魍魎、混沌としたカオスの状況が生まれます。

サイバーエージェント藤田社長のブログが炎上したのも記憶に新しいですが、出来る人材には常に流出の可能性がつきまといます。

経営者にとっては悩ましい問題です。

この問題への対処としては大きく2つの考え方があります。

1.仕方ないものとしてコンティェンジェンシープラン(代替案)を準備しておく
2,なんとか流出を防ぐ手立てを考える

1に関して、良い手立てがないと2に主軸を置かざるを得なくなります。

では、流出を防ぐ手立てはあるのでしょうか。

決定打は無いにせよ、アプローチはあります。そのポイントは承認欲求の強さです。

承認欲求が弱い人には、活躍の場が必要です。本人が成長を実感できる仕事が無いと人材を引き止めることは出来ません。

承認欲求の強い人には、活躍を認め、処遇することが重要になります。経営陣の本意ではなくても、責任を問わない立場を与え高額な報酬を準備する、ようするに、「ありがとう」を形にして本人にとって心地よい期待を示すことがポイントとなります。

これは経営陣にとって結構ストレスが溜まる構造です。サイバーの藤田社長も大分、溜まったのでしょう。


何を優先するのか


2015年1月15日木曜日

考え抜くとは全身をつかうことなのか

働いている人に「考え抜くこと」という問いを自分の仕事に引き当てて答えてもらうと2種類のイメージに至りました。

ひとつは、考えを深めるイメージ。

より多く考える、深く考えるという感じです。

もうひとつは、考えて行動してその結果をまた考えるというイメージです。

経験学習サイクルを念頭に置くとわかりやすいのですが、そこには単に「考える」ことよりも「学ぶ、気づく」といった要素が強くあります。

「考え抜くこと」というシンプルな問いに対して、このような違いはどこから生じるのでしょうか。

ひとつは、「考え抜くこと」における主体性にあると思います。

「考えること」を通じて何を実現したいのかという目標、目的とそれに対するこだわり、執念です。主体性が希薄になるほど、「考えること」は内面化して身体性から分離し、「考えること」とは頭の中の世界での出来事となるのです。

さて、仕事を進めるうえでどちらのイメージを念頭に置くと良いのでしょうか。

例えば、新規事業の計画書は良く出来ているのだけど新規事業が生まれない、このようなケースで「考えること」と「実現したいこと」の間の深い溝が埋まらない背景にこのような主体性の欠如、身体性の省略があると思います。

仕事を進めるなかで状況が上手く進まない時に、考えなしの実行ありきでは状況の打開は困難ですが、「もっと計画立てて」「もっと綿密に計画して」など、思考偏重でも状況は打開できません。この悩みを抱えた組織は非常に多くあります。

そして、多くの人を見渡すに、「全身全霊を傾ける」という言葉のように、「考え抜く」というのは身体全体を使う行為であると気づいている人こそが状況を打開して仕事をやり遂げる人であるようです。


考え抜く主役は「頭」じゃない

2015年1月14日水曜日

高すぎてもいけない、低すぎてもいけない 適正な範囲とは

健康診断で血液検査を行うと各検査項目の結果について数値がフィードバックされます。その多くが、一定の範囲におさまっていればOK、はみ出すとNGというものです。

範囲が0からはじまる項目も少しありますが、低すぎると適正範囲からはみ出す項目が多いようです。

これらの数値は臨床の結果から導かれた、計測データと病気との関係性がその根拠となっているのでしょうが健康診断で見つかるのは、日常生活では気がつかない適正範囲外の数値です。

何らかの症状があって、その原因を確かめるために検査して出た結果と違い、数値から判定して「再検査」となると少なからずショックを受けると同時に違和感を持つのも事実でしょう。

例えばある項目が同じ数値だったとして、認知された事象ありきの数値データと、認知されず事象が起きていない状況での数値データに本質的な違いはあるのでしょうか。

数値は客観的な情報ですが、前者と後者で意味は明らかに情報の質が違っています。前者は裏付け、後者は可能性です。ズバッとボワンの違いですね。

さて、ボワンの時に「適正な範囲」という形で幅を広げると、ボワン度が高まりますから、前述の「再検査」の違和感のようになるのでしょう。

そしてこのボワン度を下げるために使われるのがズバッとした事例だったります。

「とある症例では、数値がこうなる」

この言い方では、実は「数値がこうなら、とある症例である」とは言っていませんが、こう言われてしまうと、なんだか再検査の前にもう、病気が確定したような暗い気持ちになります。再検査で「問題なし」と言われてもしばらくは鬱々とならざるを得ません。

もちろん、可能性なので、とある症例であることもあるわけですし・・・

要は、数値の使われる場面をよく理解して適正な範囲と向きあいましょう、ということです。


数値はNORMAL

2015年1月13日火曜日

国内生産への回帰が意味することは何だろう

この年末は、急激な円安が進むと同時に、年始になってパナソニックやシャープなどの電気メーカーを中心に、海外で生産していた製品を春から国内で製造が出てきました。

円安、7年ぶり120円台 追加緩和や強いドル背景に

パナソニック、国内生産に回帰へ 円安対策で

シャープ社長、円安受け「一部家電の国内生産検討」

円安で海外の生産を国内に移す動き

おそらくそれらの企業はここしばらくタイミングを図っていて、120円という円安が国内シフトへのスイッチだったのでしょう。

もちろんNHKのニュースで言われている通り、すべての製造業で起きている変化というわけではありません。むしろ、このところ業績不振が目立っていた企業の動きのように思えます。

それらの企業の議論はとても真剣に行われているでしょうし、その中から定めた戦略には確かな裏付け、自信があるのではないでしょうか。

「強みで戦い、弱みは略す」

今後の展開が楽しみです。

ところで、国内の産業が生産拠点を海外に移した背景は、決して人件費の安さだけではありません。産業構造の変化により急激に働き方が変わった、つまり、新たな産業が育つことで、これまでの産業の基盤を支える働き手が居なくなったことも大きな要因だったと思います。少なくとも自分が居た製造の現場では新たな現場の担い手となる若手は減る一方でした。

さて、国内に生産が回帰をし始めたといっても、産業構造がかつてのように戻ることはないでしょう。もちろん、人材の適材適所としてのバランスは良くなる可能性がありますがかつてのように国内市場、国内生産という構造ではなく、グローバル社会におけるカルマン渦のようなものであるようにも思えます。


ハート♡

2015年1月12日月曜日

ウェブ26年目の雑感

1989年、ティム・バーナーズ=リーがCERN(欧州原子核研究機構)にシステムの提案書を提出しました。それがWorld Wide Web(WWW)、ウェブの誕生であり、インターネットがそこから本格的に広がりました。

その後の25年、IT業界では主役が激しく入れ替わる激動の時代が続いています。

しかし、それはIT業界のみの変化に留まらず、日本の電機メーカー、特に家電メーカーがグローバルマーケットにおいてシェアを落とし、ガラパゴスと揶揄されるように進化の潮流から取り残された時期でもありました。

また、国内経済に目を落とせば時を同じくして1991年にバブル経済が崩壊、20年の停滞に突入するのですが、2015年に企業に入社する4年制大学卒の新入社員は、バブル経済崩壊後、1993年生まれ22歳が中心です。今日の若者が堅実なのは当然でしょうし、今後その傾向がより強くなるのでしょう。

高度成長の主役であった団塊世代の定年後再雇用が終わり、停滞もしくは後退時々成長といったまだら模様の経済状況を背景とした人が日本企業の中核を成せば、組織運営もこれまでとまったく異なるものになっていくはず。グローバル化や少子高齢化により外国籍の人が今まで以上に組織に増えてくれば尚更です。

さて、このウェブ誕生から25年経って、大学生のITスキルがどのように変化したのかと言うと、IT未経験の文系学生は、IT企業に就職してコマンドプロンプトが理解できないそうです。そもそもスマホ世代はキーボードがNGだとか。エクセルも使ったことが無い文系学生も居るようです。

表計算ソフトで言えば、マルチプラン、ロータス123、エクセル各バージョンとその進化をずっと見てきましたから「ITの進化がITスキルを進化させるとは限らない」というのも皮肉に感じてしまいます。

企業の事業を取り巻く環境は情報化とイノベーションにより加速度的に変化する一方で、企業の中の人は低いITスキルと堅実さが増す。

崩壊が見えているのに止められない、「カタストロフィーのジレンマ」なのかもしれません。

しかし、それは新たなチャンスです。


「これ、何台目?」「わからんわ」

2015年1月11日日曜日

様々なアンケートが答え難いのは何故だろう

世の中には様々な選択式のアンケートがあります。しかし、アンケートによっては、とても回答のし難いものがあります。その理由は2つです。

1.文言が理解できない
2.答えが思い浮かばない

質問が何を言っているのかわからない、これは、同じコンテクストを持った人であれば文章力の問題となりますが、異なるコンテクスト、たとえば異文化のもとではよく発生する問題です。質問文という限られた文章は多くの場合、その背景に前提や制約となっているコンテクストがありますから、それが共有されていなければ意味が通じない、もしくは誤って理解されてしまうのです。

答えが思い浮かばないというのは、もう少し複雑です。回答が「はい、いいえ」で答えるようなものであれば「該当しない」という選択肢を入れれば済むはずですが、質問に抽象性、概念性があると、「どの程度」というレベル感が生まれますからどう答えればよいのか判断に迷うのです。

それと質問文というのは考えている以上に質問を作成している人の日常に左右されます。つまり、その人が日常的に見ていたり、考えていたり、悩んでいる要素が入り込んでいるのです。たとえば、日常の行動を答えるアンケートなどはその傾向がよく現れます。一番答え易いのは質問文の作成者本人なのです。ですから、回答者はある意味、付き合わされる訳で、作成者の想定よりも高い負荷のもとにあります。

共有されない文脈のなかで作成者の日常にそって自分の答えを導く、それもフィット感の無い選択肢から。

これがアンケートに答え難い真因でしょう。


本日終了

2015年1月10日土曜日

仕事力と生命力 私たちは複雑さから生命力を感じている 

お掃除ロボット、ルンバはMITでロボットの研究を行っているロドニー・ブルックスの発想によって開発されたそうです。

その発想は至ってシンプルで数個のルールの組み合わせで部屋の掃除を実現しています。通常、私達は、眼で空間や物を認識し空間を把握し、思考から行為を生み出していると考えますから、ロボットにも同様な機能を実現したくなります。

ところがルンバは部屋の図面を持たなければ、空間を認識し、把握する知能もありません。しかし、掃除という「仕事」を見事にやってみせるのです。

たまにルンバを使っている人がツイッターやFBの投稿で、充電をしにホームベースに戻る途中で止まった姿を見て生き物のように表現しているのを見かけます。それらの投稿を見ると単なるお掃除ロボットではなく、生命的な存在としての感情の芽生えに気付かされます。

さて、1年前に聞いた小林康夫氏(哲学者 東京大学大学院総合文化研究科 教授)と池上高志氏(複雑系の科学者 東京大学大学院情報学環 教授)の対談の中で、凸凹の床の上でルンバが掃除を出来るようになったらルンバを生命と認めてよいのではないかという発言がありました。それは、暗に複雑さと生命の関係について言及するものです。

そして、昨日、自画持参がちゃトークでやがて清掃車がルンバに置き換わる日が来るのではないかという話が出ました。つまり、複雑さが更に増し、社会性を獲得する段階であり、ロボットと人間は社会的に対峙する関係となるのです。

実はこれは人間とロボットの間だけの話ではなく、人と人の間でも常に生じている問題でもあります。

例えば、仕事力(仕事を遂行する能力)の高低を言い換えれば複雑さへの適応状況です。ルンバが平らな床だけでなく、凸凹の床を掃除出来るようになるのと同様、決まった作業をこなすだけでなく、不定形のこと、想定外のこと、また、ゆらぎのある複雑な他者に応じて目的を果たすことが求められます。

生命力が複雑さと深く関わり、仕事力も複雑さに深く関わるとなると、仕事力と生命力に何らかの関係性を見い出せる可能性が生じます。

複雑さとは、まさに複雑であり、単純な視点や思考で固定できるものではありません。そして、生命力という人の複雑さの中で仕事力というのはごく一部でしかないように思えます。しかし、「仕事」とは人間の複雑さの表象である「社会」の中で重要な位置を占めていますから、生命力と仕事力の関係は重層的であり、入れ子的であると捉えたいですね。


凸凹の床でルンバは脱皮し、変態するだろう

2015年1月9日金曜日

「性格」についての補足

昨日は、性格と行動、人材要件とコンピテンシーを図解してみました。性格は骨格と似ていて行動の土台であり、じっくりと成長するものと考えたのですが、様々な調査、研究で、「性格」の重要性と、その可変性が述べられているようです。

以下、インデックスとして3つほど取り上げておきます。

企業が求めるのはスキルより「性格」:調査結果

学校の成績は、知能ではなく性格で決まる(研究結果)

望まなくとも、わたしたちの性格は常に変化する:研究結果

どうやら「性格」とは、とても奥深いもののようです。


3つ

2015年1月8日木曜日

性格と行動、人材要件とコンピテンシーを図解してみた

人と組織に関わる仕事の領域では、様々な言葉がいろんな意味で使われています。

ですから、わかったつもりの会話が実は全然通じていなかったなんてことも起こり得ます。

そこで言葉の意味だけでなく、使っているい文脈も共有したいと思い図解してみました。

共有したかったのは、性格と行動、人材要件とコンピテンシー、パーソナリティとパフォーマンスといった言葉とその文脈です。

まず、パーソナリティとパフォーマンスですが、パーソナリティは個としての有り様、パフォーマンスは社会や準拠集団における有り様と言えるでしょう。つまり、「存在」と「役割」ですね。

性格、人材要件というのは、人体で言えば土台にあたる骨格であり、折れると大変で無理が利きません。また骨格同様、ゆっくりと成長しますがある年齢に達すると成長が止まります。

一方、行動、コンピテンシーは、人体で言えば筋肉で、動くことで機能を実現します。しかも、鍛える(壊れる)とより強くなり、鍛えただけ強い力を発揮し続けます。

とは言っても、筋肉を支えるのは骨格ですから、骨格に沿って筋肉がつく、つまり、性格によって行動が、人材要件によってコンピテンシーが発揮されるのです。

性格と人材要件が一致していれば、行動もコンピテンシーを発揮し易くなります。しかし、鍛錬して筋肉をつけなければ力(コンピテンシー)を発揮できません。

逆に、コンピテンシーを発揮していても、性格と人材要件がマッチングしていないと、壊れる可能性を内在していることになります。



うまく伝わるかな?

2015年1月7日水曜日

時間は止まらない 当たり前だけど・・・

”ちょっと間が空いてしまい状況が変わっていた”

親しいお客様や取引先でもこのようなことは日常的です。

例えば、企画の要請があり、テーマを決めてプレゼンを行ったけど、要求事項と企画で目的が一致しないといった場合などは、「えー、この前と違うじゃん・・・」と思いたくなりますが、当然といえば当然のことなのだと思います。

人格的朝令暮改は勘弁して欲しいですが、様々な協議や検討を日々重ねる中で要求事項が変わることはむしろしっかりと考え取り組んでいる証なのです。

かといって、プロジェクトにおいて目的を「○○などを達成するらしい」と曖昧に定めることは出来ませんから、可変性のある部分を見越してスコープを決めることが上手なプロジェクトマネジメントのコツでしょう。

冒頭の例で言えば、企画書を数回作り直しながら相手の中で起きている動態変化に想いを馳せ、落とし所を見つけることが求められます。そこには観察力、推察力、判断力、企画力といった能力だけでなく、安定した寛容な精神力が必要です。

「怒らない、怒らない・・・と唱える」(笑)とか「瞑想をする」など、コーピングが大切ですね。他者に愚痴ったり当たったりツイットするのは止めたほうが良いでしょう。(反省)


人はそれぞれ、自分の時間を生きているのですから、他者の時間を止めることは基本的に出来ません。止めると犯罪になります。

それは誰でも知っていることです。
故に、久しぶりの再会で相手の中に変わらぬ笑顔、変わらぬ関係性など、変わらないものを見つけるとうれしくなるのかもしれません。
もちろんうれしい場合だけでもないでしょうけど。

1月も気づけばはや7日。2015年も一週間終わったことになります。


七草粥 (^^)b

2015年1月6日火曜日

人事施策と業績の関係性

ビールなどで有名なキリンの経営が不調であるというニュースが流れています。

キリン、なぜ凋落? 現実味帯びるサントリーとの経営統合、海外事業失敗が深刻化

こちらの記事には「暗黒の5年間」「組織改革失敗」「意思決定遅延」と組織運営上の課題が羅列されていました。

キリン、暗黒の5年間 “果敢”経営のサントリーが逆転、組織改革失敗で意思決定遅延

ところが、キリンといえば全社でコーチングを導入し、組織風土改革を強く推進している会社として有名でした。

もちろん、表面的に結び付けるものではないのでしょうが、経営戦略と連動した人事の戦略化が問われる中で、どのような全体像で経営と組織風土改革が描かれているのかとても興味深いです。

来るべき逆境に向合う筋肉質な組織が目指されているのだとすれば現状を必ずや打破できると思います。

そこで、ちょっと前になりますがこんな記事を見つけました。

社員の「やりたい感」が会社を変える

この記事では、
「目指すことは2つ。(1)社員一人ひとりが自ら考え行動する組織風土をつくる、(2)現場の意見が経営に迅速に生かせる仕組みをつくる――ことです。」
と述べられています。

イメージとしては「より良い組織を目指す」といったトーンで記事からはあまり危機感は感じられませんでした。

そして実際はどうなのか、人事施策が業績にどうよい影響を与えていくのか、、これからのキリンさんに注目しています。



ぼやける未来

2015年1月5日月曜日

反省大好き日本人? 反省するなら好きになろう!

正月は美味しいお節を食べて、お酒を飲んで、お餅を食べて、寝て、ちょこっと外出して・・・
こんな日々を一週間も過ごすと休み明けになんだかズボンがキツイように感じます。

間違いなく、休み前より太っていることでしょう。

少し、後ろめたい、そんな実感を持ちながら何気にTVを見ていると、スポーツジムA社やB社のCMがやらた目につきます。反省モードに入っている時は、普段、あまり気にも止めないCMであってもじっくりと見てしまいます。

似たような話で、昔からよく聞くのはペン習字の通信教育です。年末の慌ただしい中で年賀状を書き終え、正月にゆっくり届く年賀状を手にすると、「あー、来年はもっと上手な字で出したいな・・・」と思っているところに届く、新聞の折込チラシ。

思わず申し込んだものの、2、3回課題を提出したあとが続かない。もちろん、数%の人は、最後までやり遂げ、見事に上達することでしょうが、多くの人が挫折するそうです。

他には、大学受験シーズンが終わるとすぐに予備校のCMなどもそうですが、イベントの前よりも後にその類の広告が増えるのは、そのほうが宣伝効果が高いからなのだと思います。

確かに、「やっちまった」後のほうが、真剣に事に向き合い易いですし、それは、反省心があるからでしょう。

一方で、その動機が長続きし難いのも事実です。

むしろ、その道に長けている人は、「やっちまった」後の反省から生まれる動機はゼロで、恒常的に持続、継続する動機を持っているように思います。その動機こそ「好き」であることでしょう。

体を動かすことが好き、美しいボディラインを作ることが好き、きれいな字を書くことが好き、手紙や葉書を手書きで人に届けることが好き、勉強が好き、大学で学ぶことが好き・・・などなど、「◯◯すべき」ではなく「◯◯したい」。

反省するなら好きになることから始めたらどうでしょうか。


すき(月)になったひとー♪

2015年1月4日日曜日

リーダーシップ2.0とは 真のリーダーシップを考える

リーダーシップとは、集団や組織のリーダーがその役割を果たし存在価値を発揮することです。

さて、自分はリーダーシップ論の専門家ではありませんが、「リーダーなる」ことと「リーダーである」ことが違うことは、実際に組織の長になって気づきました。

まずは「リーダーのなる」ことを考えるに際して、わかりやすいのは「リーダーになりたい人」の場合です。一国一城の主になることが目標である、自分にも間違いなくその動機があった時期がありました。

自分に限らず、集団や組織の中には、必ずリーダーになりたい人が居ます。そういう人はリーダーに対して時に完璧な正義を振りかざして批判的、反抗的になります。それは、恐らく嫉妬心から生まれるものなのでしょう。この生霊系怨念は組織運営にとっては厄介な存在です。

また私見ですが、リーダーになりたい人の共通の特徴は、誰かを祀り上げることのように思えます。それは後ろ盾であったり、自分が祀り上げられたい意識の裏返しなのかもしれません。自らの内面で人を敬い奉るのと違って、他者にもそれを強いる傾向が強くあります。これが、組織内に派閥が生まれる原因かもしれません。

要は「リーダーになる」ということはリーダーという立場に就くことです。

一方、「リーダーである」人とはどんな人なのでしょうか。

以前、聞いた話ですが、ある大会社の人事部で賞与支給日の前日に給与計算システムのしょぼいバグのせいで一円単位の計算に誤差が発生してしまった時、夜を徹して手で計算をしたのはお子さんの居るお母さん社員の方達だったそうです。

また、JAXAの油井亀美也飛行士は宇宙飛行士の選抜試験の際に、抜群のリーダーシップを発揮したと紹介されています。

”そのとき、リーダーは別にいたが、油井はできること、できないことを切り分けて優先順位をつけ、『こうしたらどうですか?』とメンバーに工程案を提案した。その案に従ってチームが動き始めると、油井はさりげなく引き下がった。リーダーを立てて、フォロワの立場に戻ったのだ。” 宇宙飛行士界に見る、30代から「伸びる人」

フォロワシップという言葉で、リーダーにとって都合の良い話にすり替えられがちですが、一般的なフォロワとの違いは、その状況において間違いなくリーダーであることです。指示を待つのでなく、自らが先頭にたって集団や組織を統率し導いています。

それは時として冷徹な判断も含まれます。大きな目的と個人の欲求は直面する課題の前でコンフリクトすることが珍しくありません。そして、リーダーの判断は、大局的であり解決指向であることが求められるからです。

「リーダーである」とは、その状況に応じ、指示を待つのでなく、自らが先頭にたって大局的であり解決指向で集団や組織を統率し導く行為です。

リーダーシップ2.0とは、リーダーであることでなく、状況に応じてリーダーになることなのではないかと思います。


行為だよ

2015年1月3日土曜日

万能薬ならぬ万能のツボなんて仕事にも学びにもない

こうすればうまくいく、絶対に上手く行く! といった類のハウツーものが世の中には溢れかえっています。でも、世の中で上手く行っていないことが多いことを見ても、それらのハウツーが万能ではないことは明白でしょう。

しかし、何事にもツボはあるものです。それを知り、押さえることで力を発揮し、成長したり場合によっては化けたりすることができる要点です。

誰にとっても万能ではないけどそれぞれの個人に在るツボとは何なのでしょうか。

結論から考えると、ツボを押さえるとは、要するに自分の能力を活かす方法を見つけることなのでしょう。つまり、腹落ちと確信・自信が得られ再現可能な行動様式、それがツボであり、人の外側でなく内側にある固有のナレッジなのです。

昔から職人は親方の背中を見て技を覚えると言いますが、それは、親方のツボを伝授するのではなく親方の技能を通じて弟子が自らのツボを知るプロセスと考えられます。

また、ツボを知るためには、逆説的になりますが、自分の能力が活かせないことを知ること、自分にとってのツボでないことを知る必要があります。それは「失敗」です。

「失敗」はツボを知るプロセスが開く扉と言えるでしょう。

自ら挑み、失敗を通じて己のツボを見つけること。それが、仕事や学びの達人への道なのです。


2015年1月2日金曜日

「経験と手触り」から考える2015年のテーマとは

”他の個体について得られる情報と言えば概ね、自分の眼で見て確かめられるものに限られる”(「野生の知能」ルイーズ・パレット)

これは、言語を持たない動物の社会的知能が視覚から誘導されることを表現しています。そして、一方では霊長類を中心にその存在が確認されているミラーニューロンという脳の神経細胞の働きが他者の理解において重要な役割を果たしいると考えられるそうです。

専門家ではないので詳しくはわかりませんが、自分なりの理解としては、「人は言葉によるコミュニケーションが無くても視覚から入る情報から、その場所に居る他者の行動を自分の行動に置き換え頭の中で再生することで自分事化して理解している可能性がある」ということでしょう。

もし、そうであれば、「見る」ことと「頭の中で再生出来る」ことが他者理解を深める、ひいては社会的知能を高めるためのポイントとなりそうです。ただ、周囲を見て理解があっても、社会的知能が高いとは思えない事象(非協調的、非生産的、反社会的、破壊的、利己的、独善的な行為、行動)は多々ありますから、理解の広さ深さが次に問われることでしょう。

人は浅い理解でも隙間を埋めて行為、行動が起こせる能力を持っています。認知バイアスと呼ばれる錯誤もその一例だと考えます。但し、浅い理解から生じる行為、行動の結果は決して、幸せなゴールに至らないでしょう。

認知バイアスを超えて、理解の広め深める人も実際に居ます。それはひとつの資質であり、行動習慣です。

「己を知り、向き合う力」。得手不得手はあっても誰でも獲得できる能力「ベーススキル」です。

私達が他者への理解を深めるためには現場に身を置いて手触り感のある経験を積み、周囲を見る必要があります。仕事においてそれは「キャリア」と表現されるものです。

一方で、手触り感という狭い経験で事象の理解が出来たように思ってしまうことは錯覚ですから、己を知り謙虚さを持って学び続けることが肝要です。持続的学習、「ラーニング」です。

そして、それらの駆動力(エンジン、ドライバ)になるのは、希望、幸福、快楽といった高覚醒、正の誘因である「ポジティブネス」です。

ということで、2015年は公私ともに(と言っても分けようがありませんが・・・)
ベーススキル・・・己を知り、向き合う力をつける
キャリア・・・・・様々な現場にて多様な経験を積む
ラーニング・・・・持続的に学び続ける
ポジティブネス・・希望、幸福、快楽を持って
この4つをテーマに焦点をあて、取り組んでいきます。


焦点をあてて。

2015年1月1日木曜日

神社の様式に気づくこと

新年が明け、元気に正月を迎えられる幸せを噛み締めながら初詣に出掛けました。ここ数年お参りをしていた神田明神のエリアが、実は住まいに面した道路一本挟んで向かい側までで、住まいは門前仲町の富岡八幡宮のエリアだということが今更わかり、今年は富岡八幡宮にお参りをしました。

そこで気づいたことから神社の様式を考えてみます。

まず、今日気づいたことですが、古い御札やお守りをお納めする場所で、神主さんがお祓いをしてくれたのですが、他の神社で経験したことがなく新鮮でした。

ただ、違和感が少し残ったのは、お納めする場所の両側に設置されたアクリルのケースです。中には千円札がたくさん入っているのが見えました。そして、列に並びながら様子をみているとお納めする際に、そこにお金を入れていることがわかります。

お納めする場所にお礼のお賽銭を奉納することに違和感はないのですが、透明なアクリルケースと中に入った千円札の山からは、メッセージが感じ取れるからです。

それは、「ここにお賽銭を奉納してください、お賽銭は千円が主流です」というメッセージです。

そして、通常のお賽銭箱の「中が見えない、硬貨のほうが入れやすい」というこれまでの様式を大きく覆すものです。伝統の代表格である神社でも、時代とともに、少しづつ様式が変化しているのかもしれません。

さて神社の様式に関して、これ以外にも「七福神巡り」「パワースポット化」が気になっています。これらには、街歩きや神秘的なものに対する興味・関心の増加と相まって確実に参拝者を増やす効果があるようです。

透明のお賽銭箱もそうですが、とてもマーケティング的な変化ですね。
今後の神社の進化に注目です。


摂社・末社は昔から