2015年12月31日木曜日

2015年をリフレクション

今日は2015年の大晦日。

ということで、2015年をリフレクションしてみようと思います。

・行為
仕事・・・取締役、システム・ビジネスユニット担当役員として場と場所を創る、プロジェクトを進める、研究を行うなどなど
オフ・・・美味しいものを食べる、ステキなものを撮影する、読書する、出来るだけウォーキング・ジョギング、愛犬と散歩する、ライブ鑑賞で盛り上がる、ワークショップに参加する、ブログを続ける、ゴルフを楽しむなどなど

・何があったのか
動くだろうと思っていたものが動かない。
居るはずの人が病気で居ない。
戻ってきた人が新しい波を起こす。
AIが生み出す特異点について考える
生き物としてのヒトを見つめる。
その一方で続く変わらないこと。

・本質は何か、重要な点はどこにあったのか
未来は常に予測を超えて新しい。
人が集団として複雑に創発する。
脳は世界の中心ではなく環境と身体を繋ぐエージェントである。

・そして新たな行為の選択
Let's improvising, Now.(越境そして即興へ)
何か新しい場所で違うことをはじめるのも良いが、いま、この場所の全てにおいて快適ゾーンを超え即興(身体のパフォーマンス)することが選択される新たな行為です。


向かえ!





2015年12月30日水曜日

職場に増えるタコ? イカしてる職場? 社会性を考える 

イカには鏡像自己認識の能力があるという研究があります。

イカに鏡を見せるとそこに写っている自分を認識するのだそうです。

これは行動から推察するものですが、鏡に写った自分にそっと触れるイカの行動は、他のイカに対して見せない行動(距離をとって触れない)です。

この能力は、群れで生活するイカの社会性能力と言えるそうです。

一方、タコは群れずに暮らすのでこの能力がないそうです。そのかわり、図形を記憶する能力が高いそうです。

さて、この話を聞いてふと思い浮かんだのが、電車の中で化粧する人やモンスタークレイマーと呼ばれる人のことでした。

共通するのは、当人たちは「自分の行動が他者からどう見られている」と自己認識しているのかという疑問です。

右脳の角回という部分を刺激すると、体外離脱体験、すなわち幽体離脱するそうですが、自分と他者を分離し、他者の視点で自分を見る能力は、社会性を発揮するうえでとても重要です。

IQが代表する知的コンピテンスに対して、社会・集団の中で発揮される有能さである社会的コンピテンスのベースにあるのが自己認識能力でしょう。

一般的に幼少期に行われる躾は、「人間社会・集団の規範、規律や礼儀作法など慣習に合った立ち振る舞い(規範の内面化)ができるように、訓練すること」(wikipedia)ですが社会的コンピテンス開発の一環であることは間違いありません。

他方、出来事に執着した利己的な主張・行動からは、記憶力の良さが窺われます。

社会的コンピテンスの開発が足りないのか、自己認識能力が退化しているのかわかりませんが、電車の中で化粧をする人やモンスタークレイマーが増えているのだとしたら、社会からイカが減ってタコが増えていると言えるのかもしれません。

では、職場はどうでしょうか?

フィードバックを受けて自己刷新ができる人はイカ型、過去の出来事をいつまでも記憶し執着する人はタコ型と考えると職場の社会的コンピテンスレベルが見えてきそうです。


イカ系?タコ系?


2015年12月29日火曜日

システムの特徴から見える採用業務の本質

企業における各種業務はIT化進展の恩恵を受けて日々変化しています。人事の領域においても同様でしょう。

さて、採用業務に関してIT化が進んだのは応募者や選考フローなどの管理です。

では、就活支援ナビサイトや、その裏側で動いている応募者管理用データベースシステムにはどのような特徴があるのでしょうか。

ひとつはエントリー、選考プロセス、コミュニケーション、など各種情報の一元管理です。ESをいつ出したのか、その内容は何か、説明会に来たのか、マイページを開いているか、呼びかけに答えているかなど応募者と採用担当者をマッチングします。

それまでの紙やエクセルや電話と違って効率的に業務を進められます。

そしてもう1つの特徴は採用年度ごとの契約(システムのリリース)です。

要するに年度ごとに切り替わります。

この仕組は、業務系システムとデータウェアハウスの相違点から考えると興味深いものです。
業務系システムは、効率よく処理するトランザクション処理技術が重要です。一方、データウェアハウスは、意思決定支援をするものです。

業務系システムは、短期間を対象としデータが定期的に更新される(例えば年度ごと)のに対して、データウェアハウスは、長期間に渡りデータを恒常的に蓄積していきます。

また、前者はデータが業務別に利用されるのに対して、後者は統合的に利用されます。

統合的とは、他のデータを連携を取りながら活用されるということです。

このデータ蓄積や利用の状況と採用に関わるシステムの特徴を合わせて考えると、採用業務におけるIT化は業務系システムと考えることができます。

もちろん、採用選考時の意思決定はありますが、それは統合的なものというより業務内における意思決定と考えられます。

人事系のシステムでもタレントマネジメントシステムは、データウェアハウスの特徴が求められると思いますが、現状では業務管理的な要素が強いように思います。

つまり、データ集積、クリーニング、サンプリング、データマイニング、ナレッジ(アルゴリズム)化が強くありません。

この領域ではAI(人工知能)に対する期待が高まりますが、AIの進化は意思決定者を不要とし、根本的にパラダイムが変わってしまうでしょう。

AIが進化を遂げるにはもう少し時間が掛かりますからその前に、脱業務的にデータシステムを構築できるか、システム思考で仕事を組み立てられるかが競争優位性の核心かもしれません。


Blue Ocean?



2015年12月28日月曜日

ときめく職場は判断が早くて的確?

今日のタイトルはインスパイアネタです。

仕事納めの時期ですが、多くの職場では大掃除が行われたことと思います。

私の会社でも大掃除がありましたが、今年はロッカー整理で奮闘しているメンバーが多かったように思います。

さて、片付けといえば、最近、旬なのは近藤麻理恵さんの「人生がときめく片付けの魔法」です。

要らないものを捨てるのではなく、ときめくものを残すという発想は日本だけでなく、世界各地で支持されているようです。

その、近藤麻理恵さんの本を出版したサンマーク出版の担当者の机も片付けられたそうです。

そして、片付けによって、担当者の判断力が上がったらしいのですが、片付いた職場は判断が早く、的確になるのか考えみます。

まず、肯定的な考えとして、昨日も取り上げたバイアスの問題です。

人は判断を早くするために構造化を行い、バイアスもその一つであるという内容ですが、ときめくものを残して片付けるというのも構造化の一つと考えられます。

余計なものを無くすことで焦点化が迅速に行われ、結果として判断力が上がるのでしょう。

これは、判断力を上がるための良い示唆です。

無駄なものを無くす、Make it simple. は判断力のCSF(Critical Success Factor)と言えるでしょう。

一方、否定的な考えとしては、類推や創発の減少による隣接領域の縮小です。

要するに、片付けてしまうことで心地悪さの奥にある新たな意味の発見ができなくなるということです。

例えば、田原総一朗さんなど評論家や著作家の書斎は本が堆く積まれており、とても片付いているとは思えない空間です。

しかし、それは新たな発想を得るためには大切な場なのだと思います。

アハ体験は、カオスの中から生まれる創発であり、心地よさの快適ゾーンを越える有効な方法ですから心地悪さの減少は即ち、学びや成長の可能性が減ることでもあるでしょう。

ときめくことは良いことですが、学ぶ人にとっては心地悪さも同様に大切なものだと思います。

今日は、片付けから学びを考えてみました。


これは片付いている状態

2015年12月27日日曜日

バイアスフリーな意思決定を行おう

人間が環境を積極的に構造化することで、その後の計算負荷を減らそうとする A・クラーク


グーグル社は「無意識バイアスの理解」を社員教育の一環として行い、特に、人事部門においては、面接を構造化し応募者に等しく実施する、正しいデータを収集し意思決定を行う、1人が独自の判断で意志決定を行わないといった方法を実践しているそうです。

一瞬ごとに接している膨大な情報の中で、実際に処理できるわずかな情報をつかって高速に判断、行動するため人は情報にバイアス(歪み)をかけています。

そして認知バイアスが数多く見つかっている事実からも、人は生活のあらゆる場面において、少ない情報にバイアスをかけて意思決定を行っていることが伺われます。

同じ長さの線が異なって見えるといった錯視から、企業における男性の優位性など文化、因習を背景としたものなど、多種多様なバイアスで私たちの世界は作られているのですね。

さて、グーグル社が考えるように一般的に無意識バイアス、認知バイアスは好ましくないものと考えられることが多いようです。

特に人材をマネジメントする役割においては、非効率や不公平、不公正などを生み出し組織を停滞、混乱させてしまいます。

また、こうしたバイアスは「気づき」の中にも存在すると思われます。

「あ、だからこうすればいいんだ」「じゃあ、こうしよう」

このような、スピーディに行為へ直結する「気づき」は、バイアスそのものである可能性もあるでしょう。

日本人はグローバル社会において致命的に判断、決断がおそいという話をグーグル社の人事責任者の講演で聞いたことがあります。

大切なのは、スピーディでバイアスフリーな意思決定です。


冬の日




2015年12月26日土曜日

組織が変わるための三点セット

集団は、サブシステムを連結させて、つねにゆらぎを消そうとするから、旧構造はかなり長い間生き残る E・ヤンツ 1980

新しく出来た会社では、様々な仕事の仕方が手探り状態にあります。

見積り作成、納品、請求手続き、勤怠管理、経費精算、営業日報、休暇申請などなど、社内外とのやりとりにおいて組織を構成するメンバーの習慣として業務がルーチン化するには時間を要しますが、一方で、一度出来上がってしまった各ルーチンを変えるには大きなエネルギーを要します。

なぜなら、各ルーチンは独立したものでなく、相互に連結しているからです。

よくあるのが、「これを変えるならあれも変えなくてはならないけどあれは変えられないので結局、これを変えられない」ケースです。

特に、ルーチンがシステムとして構築されてしまうと、新たなルーチンを加えたり、これまでのルーチンを無くしたりすることも困難になります。

実際、手間が掛かっているから止めようとしても、止められない業務はどんな会社でも多く見られます。

例えば、採用の仕組みや人材要件を変えようとすると、今までと何が違うのか、これまでのものは無駄にできない、やるなら全部を変えなくてはダメだなど、まさにゆらぎを打ち消す圧力がわんさか出てきます。

一方、業務の基幹を担うシステム更新も同様ですが、調査、要件定義、設計、開発、運用、改修と全社をあげた取り組みにおいてシステムの再構築が行われるのは、ITが素早く進歩しているからです。

さて、様々な実践の中で気づくのは、ゆらぎを打ち消すのは「連結」と「手続き」と「意識」の三点セットであるということです。

倒産の危機など強い外圧無しに会社を変えようとするのであれば、この三つをステークホルダーが制御する必要があります。

新たな「連結」(とくに組織外との)を生み出すこと、先進の「手続き」を導入すること、「意識」を含め自己刷新(変容)すること。

この三つは、組織の変化・成長において常にチェックしなければなりません。


三点セット


2015年12月25日金曜日

越境と遊び 恐らく2016年も続くキーワード

混迷する社会における希望は「学び」と「成長」であると思います。

教育機関における個人主義と、企業における組織主義のコンテクスト(文脈)のなかで「学び」と「成長」は異なっているように思いますが、その違いを乗り越えた取組みが新たな世界を創発するのだと思います。

つまり、「越境」です。

異なるコンテクストを乗り越える中で見えてくるのは乗り越えること自体にモチベートされるメンタリティではないでしょうか。

これは、「遊び」と同義です。

「で、どうなの?」、「それって何の役に立つの?」

こうした、問う相手に責任を押し付けるストーリーではなく、自らが内省を通じて気づきと、新たな一歩踏み出す実践において、「遊び」の感覚は必要不可欠だと思います。


さて、私たちの個性は、考えているほど内面にではなく、個々の外面によって与えられているものなのかもしれません。

自身の身体性を発揮し、コンフォートゾーン(快適空間)のコンテクストを超えて越境する一方で、越境すること自体に気づきと意味を見出す遊びの大切さ。

2016年もテーマは継続します。


越境と遊び

2015年12月24日木曜日

タレントマネジメントを考える

企業の人事部門においてタレントマネジメント(およびそれに類すること)が議論されない日は無いのではないかと思います。

それくらいタレントマネジンントは身近で日常的です。

ところが、実際に人事の方とタレントマネジメントについて議論をはじめると多くの場合、議論の前提を揃えることに時間を要します。

特に、システムの構築や導入がテーマである場合と次世代マネジャー、後継者育成がテーマである場合では議論の質が全く異なります。

経営戦略、組織戦略、人材戦略の観点からは、あるべき姿から今、何を行うのかに焦点が当てられるのですが、最初にあるべき姿で社内の共通理解(コンセンサス)を作ることが困難です。(コンセンサス作りが早い会社はその後がスムーズなようです)

一方、システムの構築においては、データとして何を入れるのか、どのくらいの容量になるのか、どうやってデータを取り出して何に活用できるのかなどデータの仕様や要件が重要です。それらが決まらなければシステムが構築できないので仕方ありません。

さらに、人事の企画や現場においてタレントを「なぜ、開発したいのか」、「何を開発するのか」、「どうやって開発するのか」、「どのように管理するのか」は各企業、さらには現場ごとにも異なっています。もはやタレントマネジメントは「創発するもの」です。

私が考えるタレントマネジメントの定義は、

組織の能力を高めるためにタレントを開発すること

と至ってシンプルなのですがその実践は組織の文脈に中でとても複雑なようです。


ぶー




2015年12月23日水曜日

成長の反対は? 現実に目を向ける

社会が複雑化し予測困難な状況になるほど、働く人にとって「学習」が大切になります。

せっかく身につけたスキルが役に立たなくなる、そんな身につけた技能や業務知識が陳腐化するスピードが早くなる一方で、新しい技能や知識を学ぶ圧力は増す一方です。

キャリアアップ、キャリアチェンジの増加もこの状況を加速させます。

要するに、学習によって日々、成長することが求められているのです。

では、成長とは無限なのでしょうか。

学びを支援する人は、基本的に成長に限界はないとの立場をとるように思えます。
YDK(やればできる子)もその一例でしょう。

しかし、現実に目を向けると、成長に限界はあります。

時系列で考えれば、停滞や衰退が起こることを避けて通ることはできません。

そしてそれは、介護のような高齢化の問題ではなく、成長過程に常に潜んでいる現実です。

このように学習や成長が個人中心に語られる場合、成長の限界や退化といった現実は行き場の無い解決困難な問題になりがちです。


個々の働く人がどれほど学習し発達するかは、働く人(個々人)ではなく、どれほど組織(全体)が変化できるかにかかっている。(ホルツマン 2000)


一方、ホルツマンのこの指摘はとても重要です。組織が変化できない状況は役割や連携の仕方などを変えることで解決可能だからです。新たな役割を人が学習し成長することで組織が変化するのです。

「成長」を考える際は、個人の成長にフォーカスするだけでなく、組織の変化にフォーカスすることが大事ですね。


光明を



2015年12月22日火曜日

仕事で遊ぶのか、遊びを仕事にするのか

人が組織で働くということには、経済的側面と文化的側面があります。

生活を成り立たせる収入を得る側面と、社会の一員として存在する側面です。

しかし、実際は、それらの側面から得られる満足感や達成感が人を組織に吸引する力でしょう。

仕事にやりがいはあるのか、仲間や組織ブランドは誇れるか、消費を支える給与か、など組織で働くには説明がつけられる判断基準が必要です。

その説明とは他者でけでなく自分を説得するものにもなります。

とは言え、説明のつかないこともあります。

それは「遊び」です。

遊びは、その活動そのものに内在する報酬を求める以外に、どんな動機によっても動機づけられない。(M・J・エリス 2000)

つまり、金銭や仲間や社会的ラベルではモチベートされないのが「遊び」です。

仕事に「遊び」の要素が含まれると、経済的側面、文化的側面、だけでなく遊び的側面も組織で働く意味を持ちます。

このように考えると、仕事に遊びの要素を持ち込むことは出来ても、遊びを仕事にすることは矛盾が生まれます。

動機が変わった瞬間にそれは遊びではありません。
なぜなら、遊びの動機は内在する報酬だけだからという定義だからです。

一方、仕事の報酬は仕事である、という人が居ますが、遊びの側面が加わることで私にはこの表現がとても身近に感じられます。

仕事のなかでどれだけ遊びがあるか。

時にチェックする必要がありそうです。


翼をください

インブロを味わう

ジャズの世界でインブロ(即興)というと基本的な進行の決め事はあるものの、プレイヤーがその場の音や他者の演奏に合わせてインスピレーションでパフォーマンスっすることを指します。

でも、じつは仕事とほインブロの連続です。

朝、社員の顔色が冴えない、挨拶がない。

逆に元気ややる気がみなぎっている。

それに合わせて周囲は自らの行動を調節しています。

では、インブロとはそもそも何でしょうか?

予測していない創造的な手法でこれまでにないプロセスを開くこと、という定義はありますが、大胆に言ってしまえば、プロの最大の遊びだと思います。

つまり、遊ばなくても価値を生む人が遊ぶことそれ自体に価値があるのです。

遊びから創発するもの。

そこに新たな価値を見出すことがインブロの本質でしょう。

その大切さに想いを馳せながら、一方で、大円団に涙する自分が居ます。心地良いのです。


僕たちはカタルシスでない世界を目指せるのでしょうか?


ああ、締め後・・・


2015年12月20日日曜日

AIは創発のパートナーになれるだろうか

AIの技術的進歩が私たちの未来を変えようとしています。

そもそも人間は、容量の少ない短期記憶を記憶を脳の外に置く、つまり、メモをとったり、録音したり、撮影したりすることでカバーしてきました。

そしてムーアの法則で有名な回路の高集積化、大規模化とネットワーク技術の進歩などによってユビキタス社会が実現しました。

そして、今、AIが行おうとしているのは、外部記憶装置を超えた人との関わりです。

莫大な情報の蓄積と自己成長を遂げるアルゴリズムの生み出す人工知能がこれからの私たちの近未来の新たなパートナーです。

指先に情報があるのはすでに当たり前ですが、次に来るのは情報から価値を生み出す知恵が指先に宿るか否かです。

そこで考えたいのは指先に生み出される知恵です。

要するに、人間とAIが創発のパートナーシップを結べるのか、が気になるのです。

人間よりも早く解を出し、事物を最適化にとっては最強のパートナーであることは間違いありませんが、時にはゆっくりと回り道を選び時間をかけて相互に気づきと発見がある関係性を築けるのでしょうか。

人間よりも高度な知性としてではなく、対等な対話の相手としてAIが知能を獲得してほしい。

そんな想いがどうしても湧き出してしまいます。


ゆっくりと歩く




2015年12月19日土曜日

お坊さん便とクリスマス 新たな記述とは

昨日、インターネット上に「アマゾンお坊さん便 僧侶から登録希望殺到も仏教界は批判的」と言うニュースが流れました。

そこでアマゾンで検索してみると、「[お坊さん便] 法事法要手配チケット (移動なし) ¥35,000.-」といったページが出てきました。どうやら僧侶手配のチケットであるようです。

さて、そのページには以下のような記載がありました。

通常3~5週間以内に発送します。 在庫状況について
クリスマス後のお届け予定です。今すぐ贈り物が必要ですか?Eメールまたは印刷タイプのAmazonギフト券がお勧めです。

アマゾンにしてみれば他の商品と何ら変わることがない表示なのでしょうが仏教の行事である法事とキリスト教の行事であるクリスマスが並んでいることにはどうも違和感があります。

ところで、クリスマスが近づいた街では、クリスマスを冠したイベントが多く開催されています。

日比谷公園でも「Tokyo Christmas Market 2015」というイベントが多くの人出で盛り上がっていました。

そこで日本にはキリスト教徒がどのくらい居るのか気になったのですが、こちらの記事ででは2006年頃までは0.44%と言われていたと記載されています。

私たちはキリスト教徒ではありませんが、日比谷公園でのイベントを楽しんで来ましたから、イベントはキリスト教徒でなくても楽しめることは明らかです。


宗教研究に関してはまったくの素人ですが、多くの信仰には、人はどこから来たのか 人とは何者か 人はどこへ行くのか が記述されているように思います。

宗教に纏わる行事はこの記述に沿って執り行われるのでしょうが、日本においては、イベントはもはや異なる文脈におかれていると考えたほうが良いのかもしれません。

私はどこから来たのか 私は何者か 私はどこへ行くのか

その新たな記述について考える一日です。


大賑わい


2015年12月18日金曜日

気づきの背景にある広さ 広い海へ出てみよう

今日、たまたま観ていたTV番組に「さかなクン」が出ていました。

魚に関する深い知識だけでなく、魚の生態を通じて、いじめの問題で行った呼びかけ「広い海に出てみよう」(朝日新聞2006年12月6日)の話を聞き、人の気づきがどこから来るのか考えてみたくなりました。

いじめは魚の世界にもある。それは狭い水槽に閉じ込められた魚である。そして広い海に出た魚にいじめはない。

こうしたことから気づきを得て発信する姿勢にはとても好感が持てます。

さて、気づきの背景には局所化、先鋭化しない広い視野や経験があると思います。

例えば、仕事でも、目の前の仕事で良しとしている人は間違いやミスに気づけません。

こう考えると、気づきとは広い視点との間に生じる違和感である、言えるでしょう。


広い場所へ

2015年12月17日木曜日

コンピテンシーモデルはどこで間違ったのか

一時ほどではありませんが、人事の世界において「コンピテンシーモデル」は、支持を受けている考え方です。

成果を出す人が共通に持っている行動様式であり、それを身につけることが成果を出すことにつながる、という論理的なモデルです。

ところが、コンサルティングファームの力を借りて導入した会社から思った通りの結果にならないという声が良く聞こえてきます。

なぜ成果を出す人の行動様式を身につけても成果が出ないのでしょうか。

以下の理由があるようです。

1.コンピテンシーは企業、さらには組織固有に存在する
2.分解された要素は全体を成すものではない
3.段階的成長が真実であるか疑わしい

1に関しては、一般化されたコンピテンシーには、「もっともらしさ」と「他社と一緒の安心感」がありますが、中途採用において他社のハイパフォーマーが自社のハイパフォーマーとは言えない現実に直面すれば、成果を期待するには若干無理があることがすぐにわかります。

2に関しては、タイヤとボディとエンジンがあれば車になるわけではないのと同じで、要素となる意識や行動を状況に合わせて的確に組み合わせて能力発揮することが重要なのであって、還元主義的な理解は現実に則しません。

そして3ですが、人は段階的に能力を獲得し成長するという考え方がベースにありますが、それは動的な人の変化を捉えているというより、組織は能力発揮レベルの異なる人たちで構成されている実態の静的な理解である可能性が高いというものです。

簡単に言ってしまえば、ハイパフォーマーはもともとハイパフォーマーのコンピテンシーを発揮している、ということです。勿論、経験から学ぶことで一層、発揮する力を高めているのですが、段階を経て無かった能力を身につける感覚には違和感があります。

赤ちゃんがハイハイから立ち歩きに変わった時、それまでの学習、例えば勾配で転がるリスクがゼロリセットされます。ハイハイで経験した危険な坂を歩いてコケるのです。

この発揮能力が、身体性と環境に大きく関わるものであり、段階的な学習はではない、という視点に立つと、計画性偶発性理論やキャリアチェンジしてもパフォーマンスを発揮する人の「なぜ?」がとても易しく理解できます。

実はこの、身体性と環境と発揮能力の関係性こそが「適材適所」だと考えます。

例えば、体操の選手にとって、大きな身体(高い身長や重い体重)は能力発揮において不利に働きます。一時、外国の体操選手が成長を止める薬を飲んでいるという噂がありましたが、成長が「適材適所」にとってデメリットになる事実は間違いなく存在します。

さて、組織には、さまざまな立場、役割、貢献がありますから、多様な「適材適所」が存在します。組織はとても自由度が高いのです。

そして、ここに「コンピテンシー」の矛盾が生じるのです。

自由度の高い組織における多様な能力発揮と、コンピテンシーの定義と発達の画一性。

複雑な実態を単純化することで得られることと、複雑なものを複雑なまま受容する重要性においてコンピテンシーの議論は迷走しているのでしょう。


身体性と環境が能力を生む



2015年12月16日水曜日

大団円というアンハッピー

物事の締めに向かって大いに盛り上がり、スッキリする結末にいたる。

TVでは、時代劇や戦隊物、漫画では少年マンガ系、スポーツでは好調時の日本代表や好調時の錦織、羽生などが、それらに該当します。

つまり、大団円とは、絶対的な主役が繰り広げるストーリーのゴールです。

12月の自画持参で長岡先生が示唆された、アリストテレスの演劇観である「カタルシス」がこれに該当します。

カタルシスは「悲劇が観客の心に怖れ(ポボス)と憐れみ(エレオス)の感情を呼び起こすことで精神を浄化する効果」(wikipedia)ですが、それまでの悲劇が一転することで得られる仮想的効力感は人に元気や勇気を与えます。

一方で、Life is a little death and a little birth.  and so on, so on…と日は巡り、人生おいての結末は1回しかありませんから現実的には浄化されない日常が日々続いていくことになります。

つまり、物語の中で得られるカタルシスには賞味期限があって、日常生活で疲れた時のビタミン剤的な役割であるようです。

そして、ビタミン剤がイベント的であるのに対して人生はログ的(時間・空間的記述)です。

であれば、カタルシスで蓄積したストレスを浄化することよりも、日々繰り返されるストーリーを意味づけし自らの成長に役立てているほうが組織、人相互に高い幸福感を得られるのではないでしょうか。


春に備えて


2015年12月15日火曜日

会話のようで会話でない 思考が言葉を生む メタ思考が言葉を変える

会話をしているとき「あ、通じてない・・・」と感じることが結構あります。

それは仕事場面でもそうだし、買い物でお店の人と話をしているときでもそうです。

仕事場面でよくあるのが、議論がかみ合わないケースです。

長時間を一緒に過ごす職場では、お互いのスタイルや癖を良く知り合っていますからコミュニケーションコストが低く、通常の会話がかみ合わないことは稀です。

しかし、議論となると話は別です。異なる考え方、意見を出しあい、お互いに自説を修正しながらあらたな考え方を生み出す過程において、相互に修正が進まない時ほど疲労が募ることはありません。

一方、買い物で初対面のお店の人とは一期一会ですから普通の会話がかみ合いません。

商品のことを尋ねて、最初は受け応えも良かったのにだんだん話の筋がずれてくる、例えば、店の人の愚痴などはその最たる例です。

『あのー、別にそんな話は聞きたくないですが・・・』といった心の声とは裏腹に、「そうですね、大変ですね〜」と付き合うのは楽しい時もありますが、大概疲れるものです。

職場においても、お店においても会話がかみ合わないケースで共通するのは、メタ思考が足りないことでしょう。

つまり、話の文脈が見えていない状態で、言葉のやり取りだけが続いている状況です。

特に、発話者の文脈でなく、職場であれば、これまでの流れと議論の文脈、お店であれば、なぜ来店したのか、何を探しているのか、というお客の行動の文脈が見えていないがゆえに、自説や会話を修正出来ないのだと思います。

かみ合わないケースで最もわかりやすのがかなりお酒が入ったときの会話ですね。

時を忘れるほど状況が見えなくなっているときは、物事をメタに考えることはなかなか困難です。(酔拳みたいな人も居ますが・・・)
お酒が入っていないのにメタ思考が進まない場合は対策が必要です。

さて、かみ合わないときの対処ですが、職場では板書が有効です。

議論の全体像を見ながら思考する方法です。

一方、お店では、付き合ってずれた会話を続けるのも良いですが、お店の人から離れてしまえばゆっくりと商品を見て廻ることができます。


かみ 飛行機


2015年12月14日月曜日

「採用」で探しているのは「小さな適合」かもしれない

採用は、企業にとって重要な活動です。

シンプルに言えば、「組織の外部から内側の一員として人を迎い入れいる活動」ですが、誰でも良いというわけではありません。

それは、「組織の求めに叶った人材」なのですが、組織とは人の集まりですから、採用とは組織そのものを作る活動なのです。

つまり、「どういう組織を作りたいのか」と「採用活動」は同じ意味をもつことになります。

例えば、面接官が自分にとって心地よい組織を望んでいれば自分と似た人材や、自分が好む人材(育ててみたい、手となり足となり動いてくれるといった)に良い評価を与えますし、社内で活躍している人と同様な人材を望んでいれば、似ている点を探して評価します。

もっとも、比較出来るのは面接官が身近で知っている人ですから、日頃の仕事が評価に反映されるようです。

これは、組織という人の集まりが最適化を進めるのには好都合です。

さて、人はユニークな存在です。

組織の中でも唯一無二の存在です。ですから、しっかり見極めていても、実際に人材が組織に嵌っている(見込みも含めて)のはごく一部でしょう。

人はそれだけ個性的で柔軟で、成長し変化しますから、ちょっとした適合を手がかりに組織は人を迎い入れ、そして人で組織は思いもよらぬ成長を遂げるのだと思います。


人が集まる場所



2015年12月13日日曜日

今と未来を支える人への研修で大切なことを考える

研修には研修内での教育目的と目指すゴール(姿)があります。

何を学ぶのか、学んだ結果どのような状態になるのか、具体的かつ詳細に記述することが求められます。

それは、マニュアル的に「ならねばならぬ」場合もありますが、現実に生じるギャップを可視化するために大切なことです。抽象的、曖昧なゴールだと何が出来て何が出来なかったのかもわかりません。

さて、知識を受け取ることと仕事で知識を活かすことは違います。

特に今までにない、新たに出現する問題、課題を解決するために知識を活かして能力を高度に発揮することと、知識を知ることには大きな断絶があります。

そして今、企業の未来のために求められるのは前例のない仕事への挑戦です。

仕事で知識を活かすためには複雑な状況で複数の能力を組み合わせて能力を発揮することが求められます。

複雑な状況とは、組織の目的、目標に関わる事業環境、組織状況だけでなく、当人およびステークホルダーの個性も含まれます。ここに人材の強み、弱みとコミュニケーションの問題が大きく浮かび上がってきます。

個性の観点からいうと学びはマンツーマンが望ましいのでしょうが、学習における個人主義的バイアスは「生きた組織」「学習する組織」「情熱あふれる組織」の実現にとってマイナスの効果となってしまいます。

”個々の働く人がどれほど学習し発達するかは、働く人(個々人)ではなく、どれほど組織(全体)が変化できるかにかかっている。” ロイス・ホルツマン 2008

「共創する学びが組織を成長させる」という主張であり、とても納得できます。

どうやら、企業の今と未来を担う人に向けた研修で大切なのは、「研修で参加者個人に何を与えるか」よりも「研修のパフォーマンスと仕事のパフォーマンスをつなぐデザイン」であるようです。


輝く未来へ飛び立つ準備




2015年12月12日土曜日

師走に「確率」を考える

師走の風物詩といえば、「宝くじ」があります。

日本では古くは江戸時代などにおいて神社の修復費用を集めるなどの目的で富籤(とみくじ)が発行されていた。” (wikipedia より)そうですが、一等にあたる確率は1000万分の1です。(1ユニットに当たりが1枚。1ユニットは1000万枚)

1000万分の1という確率は、雷に撃たれる確率と等しいそうですから、冷静に考えれば、当たることを考えるのはあまり現実的な思考ではありません。

ところが誰でも宝くじを買ったことがある人は、「当たったら家を買って・・・」など様々に想像を働かせます(もちろん私も)

これは、「過剰推測」と言う認知バイアスのひとつです。

宝くじは、収益金が発売元都道府県などの貴重な収入なりますし、当選金目当てではない人も多く居ると思いますから社会の健全な仕組みですが、当選確率、認知バイアスの観点からは異なる社会の構造も見えて来ます。

さて、「確率」は一見、科学的根拠のようですが、前提によっては事実を正しく反映したものとは言えません。

例えば、東京でたぬきに出会う確率は0.001%だそうですが、都区部と多摩地域の確率は同じではありません。

さらに、このことを考える「ベイズ確率」と一般的な「頻度確率」は「確率」という言葉を使いながら前提の考え方が異なっているのです。

ということで、いま「確率」に関して考えているのは、
1,宝くじは今年も買わない
2,設計中の判別モデルにベイズ確率を導入してみる
の2つを師走に行うことです。


銀杏八幡神社に銀杏がある確率は100%







2015年12月11日金曜日

渾身? 背水? プレゼンテーションの魂を思い出す

会社の要職を引き受けて頂いている大先輩が若手を対象としたプレゼンテーション研修を行ってくれました。

今日はその最終回で、プレゼンテーションを受ける立場として参加しました。

若手のプレゼンテーションを見て、それぞれの個性を感じ取りながら、自分のプレゼンテーション経験を思い起こしていました。

さて、今の仕事でプレゼンテーションは欠かせないスキルですが、前の仕事では、現地現物だったのでプレゼンテーションを行う機会はほとんどありませんでした。

しかし、新商品開発の助成金申請で行ったプレゼンテーションは数多くのプレゼンテーションを経験した今でも忘れることができない手応えのあるプレゼンテーションです。

その助成金は、区の産業振興策だったのですが、区内の多くの事業者から応募を受け付け、書類選考のあとプレゼンテーションによって交付先を決定する方式でした。

事業計画など、いくつかの書類と、新商品のサンプルを持って4〜5人を相手に一人でプレゼンテーションを行ったのですが、助成金の有無は新商品開発ができるかどうかの鍵だったので、熱く真剣に語りかけ、質疑に応答しましたが、そこには「上手に話そう」とぁ「あれを言わなくては」みたいな雑念が湧き上がる余裕もありませんでした。

詰まる所、プレゼンテーションにおいては話したいこと、話し方、ストーリー、投影(配布)資料など、大切な要素は様々あれど、やらなければならない状況に勝るものはないようです。

簡単ではありましたが自分自身でマーケティング調査を行い、設計図とモックアップを作り、試作品を製作してもらい、事業計画を書くことまでしたら、新商品の全てが語れますし、逆に、それを全力で語りきらなければ自分に嘘をついているようなものです。

やらなければならない状況(背水)で全力を出し切る(渾身)、そしてそのために準備するモノ、コトを定める。

採用面接の二次に行っているプレゼンテーションを受けていると学生の作る投影資料や話し方が上手いことに気づきますが、「背水」「渾身」を感じることはなく、雑念だらけの印象が残ることがあります。

プレゼンテーションは準備からでなく、実演から、つまり逆から考えるとシンプルです。


輝く

2015年12月10日木曜日

アイデンティティは「閉じた世界」か 他者を拒む壁に気づく

パーソナリティは、遺伝要因、安定的な生育環境、きっかけとなる小さな適合、周囲との関係性、獲得されるアイデンティティによって一貫性を生じることが研究されています。

実際は、これらの主たる事情が絡み合って一貫性を生じるのでしょう。

さて、人は成長に連れ、アイデンティティを形成し、確立していきます。

しかし、アイデンティティは時として、自分と他者を分け隔てする壁にもなります。

そして「自分は他者と違う」という意識が結果として自分の殻に閉じこもることになるのです。

一方で、大人になってもアイデンティティが確立していないことは、社会的な活動において多くの場合は負に働きます。

無けれな無いで問題だし、有れば有ったで頑さを生む。

アイデンティティは負の側面に気が付かないでいると割りと厄介です。

一番良いのは、アイデンティティを確立し、さらに自分の閉じた世界を開く力を持つことです。

それは、「自己モデルの更新」や「学びほぐし」によって新たな自分を発見することであり、いつでも閉じた世界を開くことに喜びやワクワク感を持てるか、がポイントとなっているようです。


ワクワクする?

2015年12月9日水曜日

ゲームは薬? ストレスはエネルギー? 美人姉妹の本質とは

面白い記事がありました。


この記事に興味が湧くのは、心理学でよく研究の対象とされる「双子」が対極的な道を進んでいること、美人双子姉妹という俗っぽさ、世の中で一般的に言われている「ゲームの悪影響」「ストレスの悪影響」を真っ向から否定しゲームとストレスを肯定していることです。

つまり、とてもトラディショナルでオーソドックな人が、通説を真っ向から否定する(姉妹の非対称性と秩序の破壊)存在であることです。

要するにスキャンダル的なのですね。

もちろん、それは私の受け止め方なのですが、「対称性の破れ」、「カタストロフィー」とくれば、何かが生まれる「創発」の予感がします。

さて、妹の主張である「ゲームは救いをもたらす薬」として電車に乗ると、非常に多くの人が救いを求めている様子に出くわします。

また、ゲーム開発会社は、製薬業界と競っていることになります。

私たちが支払っている社会保障費の一部は薬代になるのですが、ゲーム代も薬代だとしたら、現代は薬で成り立つ社会と言えるのかもしれません。

他方、姉の主張は、「ストレスによる人生の問い直しと満足な生き方」ですが、これには思い当たる節がいくつかあります。大きなストレスはそれまで気づかなかったこと、やろうとしなかったことへ自分を強烈に追い立ててくれたからです。ただ、それも波状でないと身が持ちませんが・・・

このように考えが進むと、双子姉妹の考えは『創発」というより、視点の転換であることに気づきます。

要するに「ゆらぎ」ですね。

このゆらぎが北京の蝶の羽ばたきとなるのかウォッチングしていきたいと思います。


開かれている

2015年12月8日火曜日

変わる生活、変わる仕事 人はどう変わった?

問屋街に住んでいた子供の頃、楽しみは、自営していた親の会社の出荷でした。

当時、荷物を地方に送る際は、車に積んで、貨物電車の集荷場まで持っていくのが当たり前でしたからその車に乗せてもらえるのがとても嬉しかったのです。

その後、荷物は集荷してくれるものになり、集荷場自体が無くなってしまいました。

このようなことは枚挙にいとまがありません。

さて、生活を取り巻く利便性が向上するなかで、どのような仕事でもサービス化が止まりません。

それは、提供する際も、利用する際もです。

サービスをスマートに使いながら、仕事における提供価値を考える姿は今日、仕事の仕方の標準と言えます。

ところで、仕事をするのはまだ「人」ですが、人の本質がどう変わってきたのかを可視化が困難です。

そこでインタビューなどを通して、変節点を探るのですが、それはとても面白い作業となります。

まだまだ結論には至りませんが、「人」はかなり早い時期に根本の変化を終えている可能性も見えてきました。

やはり「人」は奥深い存在です。



昔とかわらない

2015年12月7日月曜日

自信のない子は”居心地のいい場所から出る”ことが大切

静かな朝礼、発言のない会議など、人が集まっているにも関わらず静けさが不気味なことがあります。

なんでもっと自ら発言しないのだろう?と時にファシリテーションしながら、時に観察しながら考えたりするのですが、BSNHKで放送した、「奇跡のレッスン〜世界の最強コーチと子どもたち〜「バスケットボール編」で元NBAで最も小柄な選手として活躍したマグジー・ボーグスさんの話を見てハッと気づきました。

自信の無さとコンフォートゾーンの関係性です。

番組の図式としては、
(A)
正しい知識をもたない
  ↓
自信が持てない子ども
  ↓
声がでない
  ↓
コーチがコミュニケーションが無いいつも同じことをミスする、忘れるとフラストレーションをぶつける
  ↓
子どもたちは余計自信を失う
  ↓
「だるい」「辞めたい」と愚痴る

というこれまでの流れを
(B)
正しい知識をあたえる(子どもに正しい知識を身に着けて欲しいと思っているのだから同じことを繰り返してもフラストレーションにはならない)
  ↓
正しいマインドセットを与える
  ↓
個性を引き出す
  ↓
マキシマイズ(可能性を最大限に引き出す)
  ↓
一人ひとりが活躍して輝く

と見事に6日間で変えるものです。

兎角、部下が自信を持てないことに対しては「なぜやろうとしないのか」と不満を持ちたくなりますが、まず考えるべきはその理由と原因の解決方法です。

子どもと違って大人は「振りをする」ことに長けていますから、外圧を掛ければ表面的な発言は生まれます。

ゆえに、本当に”快適ゾーン”を出るためのチャレンジをしているかはしっかりと見る必要がありそうです。

また、難しいテーマや細かな作業、多くの仕事などによる不快さが”快適ゾーン”から踏み出せない足枷となっていることもありますが、いずれにしても、様々な事情で「自信の無さ」と「心地のいい場所」は一体となって考えるものなのでしょうか。


居心地がいい


2015年12月6日日曜日

何のために働くのか 2015年バージョン

人は何のために働くのでしょうか。

生活、やりがい、成長、社会への貢献などなど、働く動機は様々です。

また、「働く」とは「傍を楽にする」が語源であるという説があるそうですが、利他的な行為が基本であるとすれば、人は社会を支えるために働いていることになります。

実際、会社員であれば、毎月受け取る給与明細には、税金や年金や保険料が、決して少なくない金額で形状されています。

今更ではありますが、本人の動機云々は別として、社会の一員として果すべき義務が課せられていて、働くことはその義務を果すことでもあるのです。

一方で、どう働くか、なにを仕事にするかは自由に選択できる権利があります。

義務の履行と権利の執行は、多少のタイミングのズレがあっても全体として一生の間にバランスが取れていないと社会の存立が危うくなります。

現在の日本社会は、少子高齢化により働く世代の減少、社会保障費の増加、国庫の財政悪化など社会の存立にとって大きな課題があります。働くことへのプレッシャーが高まる構造です。

さらに、野村総合研究所がイギリスのオックスフォード大学の研究者と共同で行った研究では、”10年から20年後には、今、日本で働いている人の49%の職業が、機械や人工知能によって代替することが可能だ”という結果に至ったそうです。

要するに、義務はより重く、権利はより狭くなる、というのが今から将来に向かって見えている「働く」景色です。

利己的な動機を持つ人にとっては、悲劇かもしれません。日本を捨てて海外へ移住しようとする人も増えるでしょう。

一方、利他的な動機を持つ人にとっては、目の前に可能性が広がるのではないでしょうか。それらの人は、自分の権利を行使出来る範囲で、より多くの義務を果すことにやりがいや意欲を持つので、機械や人工知能を最大限活用し、新たなイノベーションを起こす主役となります。

実際、すでにそのように活動を変えている人も居ます。

2015年は何のために働くのか、の分岐点に到達した年なのかもしれません。


分岐する




2015年12月5日土曜日

Communityの活性に必要なのはinside communicationではなくOutside connectionだ!

「企業組織の活性化にはコミュニケーションの改善が必要である」、と言われることが多いように感じます。

つまり組織を構成するメンバーが相互のやり取りを積極的かつ豊富にすることが組織の活性化であるという考え方です。

しかし、様々な組織や集まりを実際に、あるいはデータから見ていて気がつくことがあります。

それは、組織の活性化においてもっとも大切なことは何か、ということです。

個人的な感想としては、組織内部のコミュニケーション改善では限界があると思います。

例えば、共有や討議の場を増やしてもそれによって組織が抱え込んでいるコミュニティが活性化することはありませんでした。

ここで、組織とコミュニティを分けたのは、組織は「社会的機能としての価値提供を目的とした集団」、コミュニティは「集まった人達の居場所」という意味なのですが、むしろ、組織外に居た人がコミュニティに加わるほうが活性化しました。

ところが、新参者が無条件にコミュニティを活性化させるのか、というとそうでもありません。

活性化させる人とそうでない人がいます。

その違いを考えると、異質なネットワークを持っている新参者がコミュニティを活性化させることに気づきました。

そういうひとは外向的で積極的だから・・・ということもあるのでしょうが、コミュニティと直接関係ない人との繋がりがコミュニティの基盤を強め、機能にまで良い影響を与えているようなのです。

この視点で様々な組織、集団を見ていると、コミュニティは内部のコミュニケーションではなく、外部との異質で多様な繋がりで活性化することが確認できます。

逆に、外部との異質で多様な繋がりが断たれるとコミュニティは明らかに活力を失います。

これは、新参者を通じて気づいたことですが、新参者に限った話ではありません。

コミュニティの活性にとって大切なのは外部の異質なネットワークとの疎通であり、組織活性のキーマンは内と外を疎通させる人であるようです。

逆に、内弁慶な組織は何をやっても盛り上がらない、ということですね。


盛り上がってる?




2015年12月4日金曜日

がちゃトークで「演じる」を考える

本日は12月の第一土曜日ということで、がちゃトークの日でした。

初めての方も含め最後には11名と賑やかなトークが繰り広げられた中で取り上げられたのは、「演じる」という動詞です。

自画持参のがちゃトークで動詞をテーマにするのは珍しいことでもあります。

さて、この「演じる」は、とても奥が深いテーマだと感じました。

「演じる」とは何か?

場(例えばSNS)と「演じる」ことの関係性は?

オーディエンス(観客)の正体?

今年面白かった「演じる」は?

などなど、いつものトークテーマと同様に切り口が多様ではあるのですが、「演じる」は理解、解釈、実践、共感など人の価値観に根ざしているものであることも対話の中から見えてきました。

ダイアログで出現した、意識、意図、積極的、ギャップ、緊張感、安心感、古典、カタルシス、異化、洗脳といったキーワードからは、「演じる」という行為の背景にある「思考・感情・欲求」の複雑さも感じられます。(ゆえにこのテーマは、時間制限のあるワークショップ向きではないのかもしれません)

要するに、「演じる」ことは、とても個性的です。

一方で、人はなぜ「演じる」、もしくは「演じる」と感じるのでしょうか。

芸を覚える動物はいますが、人間以外で自らが理解しながら「演じる」生き物は居るのでしょうか。

AI(人工知能)は「演じる」ことが出来るのでしょうか。

「演じる」はもっと考えてみたいテーマになりました。


演じている?



2015年12月3日木曜日

幅の広い一日を考える

仕事をするなかで、目の前の事にしか視野が無い場合があります。

特にデータの分析や検証を行っている日はPCの画面で一日が終わる感じです。

今日は、進めていた調査が終わり、データの解析を始めたので視野の幅が狭い一日となるはずでした。

ところが、データクリーニング、F値に有意水準、信頼性係数にt検、分散分析を延々と繰り返し解を見つけながら、一方で、会社の成り立ちを回顧し、未来に向けて「成長の源泉」「課題」なども論述する時間があり、また、出張で不在の担当者に代わってリマインドメールを配信したりと奇妙な一日だったと思います。

それぞれの仕事は、パラレルでなくシリアルに進行しており、マルチタスクではなかったためなんだか夢をみていたような感覚です。

つまり、シーンに連続性が無く分断しているにも関わらず一日として成り立っているのです。

睡眠中に夢を見ている時は紛れも無くシーンが事実として認知されますが、目が覚めればそれらは泡沫のごとく消えさります。

他方、現実における出来事は、夢のように街まりがなくても事実が明日の足場となります。

もっとやりたいことがたくさんあったのですが、これ以上幅を広げてしまうと霧散してしまう、今日は、そんなカオスの縁にある一日だったのかもしれません。


幅広い


2015年12月2日水曜日

プロの仕事はフィードフォワードが大事

「フィードバック」はよく聞く言葉ですが、「フィードフォワード」というのはあまり聞きません。

最近人気のラグビーだと「スローフォワード」というルール違反がありますが、「フィードフォワード」とは、層構造で連鎖する状態は、なんとなく似ているとも言えます。

事前の状態を受けて先に繋げることですから、結果を受けて修正するのと違い、

さて、仕事で何か問題が起きた時、リカバリーに動くのは「フィードバック」的であるのに対して、依頼したことを一歩も二歩も先に進める動きは「フィードフォワード」的です。

「こうしたらもっと良くなる」「こうすれば楽に解決できる」

これは、事象からあるべき未来を予見し、意味を生み出す「創発的」行為です。

こうした創発がおこるのは、「フィードフォワード」の場合であり、プロの仕事には必ず「フィードフォワード」があるようです。

逆に、常に「フィードバック」を受けなければならないのは、修正、改善が必要な状態であるとも言えるでしょう。

もちろん、襟を正すうえで「フィードバック」重要なのですが、それだけではダメです。

意味のある前進。

それがプロの仕事だと思います。


前へ

2015年12月1日火曜日

大人の学びは職場で起こる? learning communityとしての職場

「アンドラゴジー」という概念があります。概念化の立役者であるマルコム・ノウルズ(Malcolm S. Knowles)は概念を以下の4つの理論で説明しています。

 1. 成人は自分たちが学ぶことについてその計画と評価に直接関わる必要がある(自己概念と学習への動機付け)。
 2. (失敗も含めた)経験が学習活動の基盤を提供してくれる(経験)。
 3. 成人は、自分たちの職業や暮らしに直接重要と思われるようなテーマについて学ぶことに最も興味を示す(学習へのレディネス)。
 4. 成人の学習は、学習内容中心型ではなく、問題中心型である(学習への方向付け)。
(wikipediaより)

要するに、職場は成人にとって絶好の学習の場であるということですね。

大人の学習条件とは、主体性を保証すること、現実の問題を扱うこと、発話を伴うこと(高木・竹内 2006)という研究もありますから、主体性を持って仕事に望めば学びが溢れているのです。

何せ、大概、肝心なことは自分で学ばなくてはなりませんし、仕事をすればするほど失敗もするし、一日の多くを使っているし、問題を解決するのは結構楽しいものです。

一方、職場はある種のコミュニティでもあります。

職場は地縁、血縁による共同体とは異なりますが、経済的側面のみならず、文化的側面においても居場所が生まれることで、コミュニティと化す訳です。

さて、コミュニティというと、learning community(学びの共同体)が思い起こされます。異なる背景を持ちながらも学び合う関係性です。

この場合、コミュニティ内での平等な立場と互報性が前提となります。

「教えてクレクレ君」や「なんでもシェアね子さん」や「ほっとおいてくれ男」などがひしめいている職場では難しいと思いますが、上司部下も含め相互に教え合う、フィードバックしあう、支援しあう職場では、経済的側面、文化的側面、学習的側面の混在したコミュニティが成立します。

こうしてみると、やはり主体的な協働意欲が職場の成長を支える根幹なのでしょうね。


互報

2015年11月30日月曜日

思考と行動 因果の構造化に潜む罠

仕事で問題が発生したとき、最初にその仕事を担当した人の責任が問われるのは仕方がありません。

例えば、杭偽装問題。

初期に会社が行った会見では、担当者がいい加減な印象の人である旨の発言がありました。その後、データ偽装問題はその一人だけの問題でないことがわかると、個人に責任を負わせる発言は聞かれなくなりましたが、様々な冤罪が同様の構図で起きていることを考えると安易な責任追及は深刻な問題であることがわかります。(もちろん、データ偽装を行った当事者を擁護するものではありません)

私たちの行動は、意識よりも早く準備されているという30年前の研究結果があります。行動する準備が整って初めて意識が生まれるというのです。

その論理で考えると仕事のミスもデータ偽装も無意識の行動習慣と品質基準や社会的規範が適合していない事実の顕在化でしかありません。

因果で捉えたくなる背景には「基本的な帰属の誤り」という認知バイアスがあります。英語で、Fundamental Attribution Errorですが、状況よりも性格(態度)に原因を求める傾向です。

このことを知らずに問題解決を図ろうとすると、責任追及や処罰によって幕引きが図られ、結果として再発を繰り返すことになります。

また、Fundamental Attributionに因を帰する傾向を持つ人は、より精神論の傾斜して、相対的に技能を軽視する場合が多いようです。それにより課題は複合化し、解の領域が無くなるのです。(不良設定問題化)

思考が先か、行動が先か。

結果を変えるためには、常に問わなくてはならないことです。


不良?


2015年11月29日日曜日

個人の「したい」を止めると「できない」組織になる理由

「挑戦」を理念に掲げている組織であっても、個人の「したい」を結果的に止めてしまう企業は多くあります。

止めてしまう理由は、
1.前例や慣習の存在
2.周囲や決済者の不同意
3.職務の範囲
などです。

要するに組織の中で「受け入れること」と「挑むこと」は相反するのです。

真のハイパフォーマーは、能力、性格などを使って「受け入れること」と「挑むこと」を振り子のように行ったり来たりする形で両方を実現するのですが、そこまで力をつけていない人材、特に若手人材は、「止められた経験」を通じて無力感を学習しますから、次からは「挑まない」傾向を強めてしまいます。

しかも、学習は個人に留まらず、目撃者にも波及します。

このように組織というネットワークの中に起こる新たな挑戦は、初期条件や摂動として予測不能な変化の種になるため、それを「止める」ということは、「秩序の維持」という根本ルールが強化されるメッセージです。

かつてニューヨーク市では凶悪な犯罪を減らすために、交通違反など小さな違反の検挙に力を入れて成果を出しました。有名な「窓割れ理論」です。

ニューヨーク市では、治安の回復に役立ちましたが、杭が出ない会社となってしまうのも原理は同じです。

ガラパゴス化した閉ざされた秩序が大局の変化についていけないことは、すでのこの20年で実証されているのですから、個人の「したい」を止めないことが現代組織の根本ルールであるべきでしょう。


もうどうにも止まらない

2015年11月28日土曜日

仕事のマニュアルを作ってわかる知の所在

新人や未経験者が新しい仕事を覚える上でマニュアルは力強い味方です。

先輩や前任者、上司などから懇切丁寧に業務手順の指導を受けられれば良いのですが、忙しさが邪魔をします。

また、人によって仕事の進め方の流儀や、教え方が違っていて混乱することもあります。

それらに対してマニュアルは、いつでも開くことが出来、人のゆらぎや不条理に付き合う必要がありません。

極度のマニュアル依存に対する危惧や問題意識はよく聞かれますが、間違いの無い、効率的な仕事を行うためにマニュアルはとても効果的なメソッドであると言えるでしょう。

さて、一方でマニュアルを作ることは容易ではありません。なぜなら自己流の仕事を文章化するのではなく、組織の暗黙知を形式知に変えることだからです。

そこで最初に取り組まなくてはならないのはマニュアル化する仕事に関わるステークホルダーの特定です。

仕事とは、バリューチェーン化する協働を指していますから部分だけを見たのでは不十分です。

次に、必要なのが仕事の全体を見ている人と実際に仕事を推進している人の特定です。

形式知化されるのは、主に仕事の定義と作法と連鎖なのですが、特定されたキーマンが全てを知っていることは小規模な企業や組織を除き、稀です。

こうした事実を踏まえるとマニュアル作りは知の探索でもあると言えるでしょう。


知を探る



2015年11月27日金曜日

要は、「自分達を越える」には「環境」と「他者の力」が必要だってことだ

自分を変えることは思っているほど簡単ではありません。

ゴルフのスイングで、本人の意識では相当打ち方を変えて振っているようでも、録画して見返してみるとあまり違いがわからなかったりするように、頭のなかで思い描いていることと現実には乖離があります。

そこで、明確にスイングを変えるためには、「ゴルフ練習場」で「プロのレッスン」を受ける必要が出てきます。

学びの場において、学びの師によってスイングは変えることが出来るのですね。

さて、自分一人でもそうなのですから、「自分達」によって構成される組織も同様な問題を抱えています。

組織の内部の人には大きな変化と捉えていても、外から見たら何が違うのかよくわからないものです。

そこで、組織を変えるためには、組織も学びの場に行き、学びの師の力を借りることが必要ではないか、という思いが頭を過ぎります。

しかし、多く場合、学びの師を招き入れることはあっても、組織全体が学びの場に出向くことはないでしょう。

つまり、組織は自分達の現場に囚われた存在なのです。

例外があるとすれば、強い外圧、逆風などに会社が晒される場合です。自分達の現場が学びの場そのものになるケースですね。

組織の変革を考える人にとって、組織が大きくなればなるほど「自分達を越える」ための「環境」と「他者の力」を整えることには困難が伴うものであるようです。


越える




2015年11月26日木曜日

三角形でモノゴトを考える 中心にあるバリューや本質はなに?

昨年来、会社全体で取り組んできたブランディング活動では、ブランドアイデンティティ(独自性の高い提供価値)を表出するために、「提供できる機能的価値」、「核となる情緒的価値」、「インサイト(心のスイッチ)」という3つの視座にたって会社を、仕事を振り返りました。

このように3つの視座を使って提供価値や仕事の仕方を定義する手法は一般的に行われるもののようです。

例えば、先日話を聞いたtakram design engineering ではBTCトライアングル(Business Technology Creative)、スターバックスではPCB(Partner Customer Business)など、各社それぞれ工夫があります。

三脚もそうですが、位置を固定するためには少なくとも3点が必要であり、効率的ですから、「3」は良いフレームです。

さて、セルフブランディングもこの方法で整理すると、アイデンティティが見えてきます。

「何が出来るのか」、「どういう存在か」、「何をしたいのか」です。

採用面接でも、この3つを聞き出せてば人となりや志望動機がはっきりと見えてきます。逆にこの3つに答えられない人を理解することは困難です。

また、リフレクションでは表出した行動の背後にある本質を、「なにを考え」「なにを感じ」「なにを欲して」いたのかによって探りだします。

モノゴトを考えるとき「なぜ」を繰り返すのも良い方法ですが、三角形で考えることも癖にするとよいと思います。


バリューは?本質は?

2015年11月25日水曜日

言葉は要らない 次の日に考えたこと

昨晩は、文章も打てないくらい飲み過ぎでした。

素敵な人たちとの時間はあっと言う間に過ぎていくものです。

さて、タクシーをつかまえて帰ったのですが、多くの空車がある割に止まらないし、行き先を聞いて乗せなかったりと、銀座の深夜タクシー運転手はかなり殺伐としているようです。

確かに、終電間際になれば、狙い目の長距離の客が増えるのでしょう。

乗れたタクシーの運転手には「かわいそうだから」とかたいそう恩を売られてしまいましたが、2020年に自動運転が普及しはじめたらタクシー運転手はどんな仕事をしているのでしょうか。

現在のタクシーの運転には、「運転技術」と「接遇」と「勤勉さ」と「商売勘」が必要なのだとしたら、「運転技術」は要らなくなりますから「接遇」「勤勉さ」「商売勘」で働くことになるのでしょう。

自動運転に加え、さらに自動配車も実現していれば、「接遇」だけが残されたコンピテンシーになります。

必要なコンピテンシーがシンプルになると適、不適がはっきりすることは明らかですから、乗客にとってはいつでも心地よく利用できる環境が整う一方で、タクシー運転手には多くの「学び」が待っているのかもしれません。


何か起こる?

2015年11月24日火曜日

ルールを守らせるために必要なこと 注意をせずに残業を減らす方法?

自宅の近くにある区の総合体育館には、ゴルフ練習場があります。

といっても、インドアで打席からネットまで5mくらいの狭い練習場です。

その狭さゆえに、一度打った球を打席の前に出て拾う人があとを断ちませんでした。

各打席には、口説いくらい「打席の前に出て球を拾わないでください」と書いてあるのですが、ルールを守らない人には効果がまったくありません。

打球はあらゆる方向の飛ぶ可能性があるので、前に出られると危ないし、気も散ります。直接、その人に注意すれば良いのでしょうが、言い難いものです。

ところが最近、その練習場に行った際に、打席の前に出て球を拾う人が居なくなっていました。

なぜかと言うと、拾う球が無くなったからです。

どうしてそうなったのか、というと係員の人が、ルールを守るよう注意をする代わりに自らがT字型の道具で、一定時間ごとに球を掃き出すようになったのです。

そもそも禁止事項ですから、球を拾っていた人も文句は言えませんし、結果としてルールが守られる状況が作り出されたわけです。

他者にルールを守らせることは簡単ではありません。口頭注意や罰則などを厳しくしても効果が出ないこともしばしばあります。

会社において思いつくこのような場面は「残業」です。

各社の人事や総務では残業を減らすためにノー残業デーを設定したり、社内放送で告知したり、改善が進まない職場に対して改善指導が行われてたりしているようですが、なかなか苦労されている話をよく聞きます。

そこで、ゴルフ練習場の対策を当てはめてみることはできないものでしょうか。

例えば、清掃です。

毎日、夜に清掃が入り、そのために、机や椅子なども片付けなければならないとしたら書類を出して、PCで仕事、どころではないでしょう。

昔、床清掃で掃除業者が入った日は仕事が出来なかったことをよく覚えていますが、掃除業者の仕事は職場環境を良くしてくれるものですから、文句を言う筋合いはありません。

職場は綺麗になるし、残業は減って効率的に仕事が進むようになるし、一石二鳥ですね。

まあ、普通に考えて毎日清掃だとコストがとても高くなりそうですが、そこをうまくバランスをとってサービス提供(例えばロボット清掃とか)すれば、ビジネスチャンスだと思うのですが、如何なものでしょうか。


リトルプリンス




2015年11月23日月曜日

無意識が支配する採用選考面接での評価 無意識を科学し組織を変える採用を

採用選考において面接官は応募者の何を評価しているのでしょうか?

多くの企業では、採用時に面接を実施しています。

面接によって、応募者が採用するにふさわしい人材か否かを判断するためです。

さて、判断において何を見極めるか、事前に決めている場合があります。「目線合わせ」といわれるものです。

目的は、面接官が複数であっても、均質な評価を行うことです。

では、こうした意識的な取り組みはどのくらい効果があるのでしょうか。

実は人の評価には多くの「無意識」が関わっています。

自然界において、それが合っていようが間違っていようが素早い判断が出来ることは生存にとって有利です。危害を与える気が無くても人が近づくと鳥が逃げるように反射的に物事を判断するうえで「意識」は非効率ですから、「無意識」による判断はより本能的であるのでしょう。

こうした「無意識」の判断は、「初頭効果」「親近効果」など様々な認知バイアスとして確認されています。

一方、これら「無意識」の判断は、意識していないがゆえにその存在をヒアリングやインタビュー、アンケートで確認することは不可能です。

しかしながら、評価結果と評価結果を適切に説明できるデータ群を利用すると「無意識」が見えてきます。

こうした評価結果の違いを分析する上では、統計学の検定という手法が便利です。(統計学は前提条件をもった考え方なのでその前提にたって、ではありますが)

そして、「無意識」の判断から見えてくるものを、私は面接官の「仕事バイアス」と読んでいます。

つまり、日頃の仕事で行っている判断、その中でも特に自問している課題が無意識に投影されているのです。

例えば、選考面接における「無意識」を科学したところ、営業担当であれば、見極めには積極的に人に明るく関われているか、であり、キャリアクライシスを迎えている30代であれば、見極めには自分は熱意を持って仕事に向きあえているか、であり、マネジメントの職位であれば、見極めには自分はしっかりと組織を動かせているか、といった課題意識が「無意識」の判断に関わっていました。

これらの「無意識」は、現状での生存においては有利な判断ですから否定するものではないのですが、組織にとって「採用活動」が果すべき重要な役割、「未来に備えて組織を変えるひとつの手段」足り得なくなります。

要するにそのままでは現状強化が続いていくのです。


組織の姿を変えていくには、今までと少しづつ異なる領域を広げていく必要があります。

そのためには、見える化によりコントロール不能な「無意識」の評価の存在を知り、二元論的な人材像(今までに居ない人材、といった)を廃し、短中長期で戦略的に人材開発と従業員のキャリア両方を立体的に構造化したポートフォリオが必要です。

人材戦略は、経営戦略の元にありますから、ある面接官とある応募者の一期一会である選考での「評価」という偶然性を必然性に変えるためには、ビジネス、ストラテジー、サイエンスのBSSトライアングルによって「選考評価」をデザインすると良いでしょう。

ちなみに、グーグルは社員教育に無意識バイアスへの対策を組み込んでいます。


見極め






2015年11月22日日曜日

新卒採用はこれからどうなるのか

企業の採用活動と学生の就職活動の間でコンフリクトが激しくなっています。学業と就職活動、企業が求める人材と学生の実像、採用後入社と早期離職、内定出しと内定辞退、選考・面接対策とオワハラなど、枚挙にいとまがありません。

さて、来年に向けての採用側キーワードを挙げると

・毎年かわる経団連の指針
・インターンシップによる早期選考
・入社後の活躍、育成を意識して学生と向き合う採用活動
・就活生の多様性に応じた多様な選考
・学歴フィルター

があります。

一方、学生側では、

・キャリア教育の矛盾(自立?帰属?)
・就活支援のサービス化

といったより学生の主体性を失わせる流れも気になります。

これらの問題の背後にあるのが不透明さ、複雑さを増す企業経営です。変化の先取り、変化への適応が必要なことは疑いありませんが、どのような変化を起こせばよいのか、起こるのか、はその場にならないとわかりません。

つまり、このような環境下では企業が人材に求める「成長」や「変革」の具体的な定義は困難です。

採用を取り巻く複雑性はコントロールすることはできません。
また、単純化、ルール化することもできません。

ですから、選考側も応募側も上手く行った他社、他者の活動事例を真似ても、上手く行く保証はまったくないのです。例年通りの採用活動は、たとえ前回良かったとしても来年も上手く行く保証はなさそうです。

故に、新卒採用は答えのない領域に独自の解をより深く探求、実践し経験学習サイクルを回し続けることになるでしょう。


ベイマックスを見ながら





2015年11月21日土曜日

大切なものは目に見えない 決断を外部化する指導力

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの"Le Petit Prince"には、有名な ”on ne voit bien qu'avec le cœur. L'essentiel est invisible pour les yeux.”という一節があります。

直訳すると「心でよく見ること。モノの本質は目では見ることができない」という意味になると思いますが、「大切なものは目に見えない」という翻訳がよく知られています。

さて、NHK BSで放送していてる『最強コーチが導く 飛躍の言葉』でスペインテニス協会の育成部門の総責任者ダビッド・サンズ・リバスさんの指導を取り上げた「自分で考える連続が決断力を生む」という放送回で、面白い指導法を見ました。

テニスコートの自陣を、レッド、オレンジ、グリーンと分けて、それぞれの対処(攻める、繋ぐなど)を決めるのですが、練習において、相手が打った球がどこのエリアに該当するか、声に出すという指導です。

この指導法についてダビッド・サンズ・リバスさんは以下のように説明していました(番組の字幕より)

”声に出して考えを外部化するれば決断が正しかったかどうか客観的に分かります
もし決断と行動が間違っていたら考えられる理由は2つ
技術がともなっていないか
判断を間違えたかのどちらかです”

テニスをプレイする日本の子供を見て、決断力に問題があると気づいたダビッド・サンズ・リバスさんは、決断力をつけるための指導を行う上で、外からは見えないプレイヤーの決断を見えるようにしたわけです。

合理的、効果的、そしてとても実践的な方法だと思いました。

「モノの本質は見えない。そしてそれを外部化することで道を開く」

ところで、これもまた成長における「本質」であるようです。


青空文庫 「あのときの王子くん」より引用




2015年11月20日金曜日

ストーリーに潜むパフォーマンスの種 芽吹きは意外と早いかも

仕事で発揮する能力は、いつ身につけているのでしょうか。

入社後でしょうか。入社前でしょうか。

それを知るには、昨日のイベント「越境する思考」でも語られていたように、統計学ではなく、文化人類学的なアプローチから見えてくる真実がひつようです。

マルコム・ノウルズ(Malcolm S. Knowles)が理論化した成人教育における主要な概念、「アンドラゴジー」では以下の4つのにまとめています。

 1. 成人は自分たちが学ぶことについてその計画と評価に直接関わる必要がある(自己概念と学習への動機付け)。
 2. (失敗も含めた)経験が学習活動の基盤を提供してくれる(経験)。
 3. 成人は、自分たちの職業や暮らしに直接重要と思われるようなテーマについて学ぶことに最も興味を示す(学習へのレディネス)。
 4. 成人の学習は、学習内容中心型ではなく、問題中心型である(学習への方向付け)。

こうした大人の学びとパフォーマンスの発揮とは、持ち得た能力が成長し花が咲き、実が
成るものであると言えます。

そこで気になるのが、
では、芽吹いたのはいつか?
ということです。

文化人類学のアプローチによるハイパフォーマーのストーリーからは、芽吹きはかなり早いと思われることです。

これは、性格特性の一貫性はパフォーマンスに大きく関わっていることを指し示しています。

そして、それ故に芽吹きはかなり早いと考えられるのです。


実り



2015年11月19日木曜日

越境する思考 越境の作法ってなに?

今日は、takram design engineeringの佐々木康裕さんによる「越境する思考」という話を聞いてきました。

テーマは「境界のない世界の最先端の考え方」です。

生き物は、境界によって内と外を作り出す存在です。その一番わかりやすい例が、細胞です。

細胞は、細胞膜によって内と外を分け、多様で複雑ながら、カオスの 縁を作り出して秩序を保っているという話を以前に読んだことがありますが、境界による秩序の出現は、社会を見渡すとあらゆるところに存在します。

敷地、も境界ですし、国境もそうです。

さて、人の成長にとって、境界というと快適ゾーンの話が思い起こされます。快適さが維持される範囲で、思考、行動することですが、成長のためには、快適ゾーンを越えて、モノゴトに挑む(拡張ゾーン)ことが大切であるとされています。

法政大学長岡研究室では、ゼミ生が身を持って越境していますが、身の回りを見ても、越境には学びや成長への内発動機が強く関わっているように感じます。

そんなこんなで、越境という重要なキーワードがあったので今日のセミナーに参加したのですが、佐々木さんは、大手商社→経産省→イリノイ大学院→takramと実際の越境と、現在の仕事では、デザインの越境に向き合わてれいるとのことでした。

デザインには以下のレイヤーがあり、私たちが普段触れるのは上から2つ程度だそうです。

感覚に訴える佇まいのデザイン Sensory Design
情報・コンテンツのデザイン Information Design
全体ストラクチャーのデザイン Structure Design
サービスのデザイン Service Design
戦略のデザイン Strategy Design

さて、佐々木さんが考える越境の作法は

1.ほんとうのことを探る genuineness
2.雑食する eat everything
3.複雑さを受け入れる embrace complex 

でした。

そこに重要なのが、一般論、他人の決めた境界を常に疑うことである「懐疑的知性」と解を生むための「限定的合理性」など抽象と具象を行き来する話は気づきというより、世の中の先端の流れを再確認させてもらえるものとなりました。

その他にも身体性能動的認知とか外的な足場など心地よいキーワードやデザイン思考の限界性なども聞くことができた楽しいイベントでした。


越境



2015年11月18日水曜日

汎用サイズが視野を狭める A3、A4の罠にハマるな

今日のビジネスシーンで取り扱われるドキュメントサイズはほぼ一定です。

A版と呼ばれる国際規格の用紙サイズは、19世紀末ドイツの物理学者オズワルドによって提案されたドイツの規格だそうです。面積が1平方メートルの「ルート長方形」をA0としました。

「縦:横=1:√2」で半分にしても常に相似形になります。

A3を2つに折るとA4になり、裁断ロスを出しません。

A版に対してB版という日本固有の用紙サイズもありますが、現在ではあまり使われなくなってきているように感じます。

さて、WYSIWYG(What You See Is What You Get〜見たままが得られる)環境などが一般化し、コピーやプリンター、そしてパソコンによるDTP(デスクトップパブリッシング)が普及するなかで知らず知らずに用紙のサイズでモノを考えるようになっていきます。

企画書はパワーポイントで、もその一例です。

エクセルのようなスプレッドシートは大きさの制約が少ないのですが、PC画面、印刷時のことを考えて作業することが多くなります。

一方、「優れたリーダーは「ホワイトボード」の前に立つ!? : 考えを外化し、共同注意を集める」に見るように、多くの人の注意を集めるためにはホワイトボードの大きさが必要でA3、A4では小さすぎます。

A3、A4はとてもプライベートな大きさなのです。

ゆえに大きなフレームで仕事をしたいと考えた時は、用紙サイズに囚われないことが大切です。

それによって、全体の構造や情報の関係性、空白域の存在などが見えて来るからです。

規格品には便利さがありますが、規格を破ることで気づくことはたくさんあります。

例えば、人の履歴。

流通している履歴書はA4が多いですが、その規格に合わせてどれだけ自分の存在を記述できるのでしょうか?

人生はメモではありません。大きさの制限を取り払うと豊かな人生の営みが記述できるはずです。

規格にあわせないこと、それは視野を簡単に広げる方法です。


豊かな視野







2015年11月17日火曜日

組織活動の表と裏 表裏一体、でも微妙な関係

多くの仕事では進める上でワークする人とワークさせる人がいます。ワークする人が表だとしたら、ワークさせる人は裏にあたります。

さて、ワークさせる人は、役割によってサポートとファシリテートがあります。

サポートは意を受けて動くことを主とする役割です。

一方、ファシリテートは行動を引き出すことを主とする役割です。

一見すると、2つの役割は大きく異なりますが、サポート、ファシリテートともに表を機能させるためには、組織が上手く機能するイメージを持つ必要があります。

そうなると、主導権はどちらにあるのでしょうか?

それは言うまでものなく表です。

表の役割の多くは、組織の外と戦うことですから、主体的な課題解決が求められます。そこには責任と最終的な判断が必要だからです。

表に十分な破壊力があれば、裏はサポートでよく、無ければファシリテートによって力を引き出す。

裏に必要なのは状況に応じて関わり方を変える賢さですね。

さて、適性で考えるとやはり表向きと裏向きがあります。

裏にも主体性があることを前提(受け身はNG)としていますが、自分が前で戦いたい、もしくは前に立たないと気がすまない人は、なんやかんやと自然に表に出てきますから、本来、裏向きではないのかもしれません。

これは、プレイングとマネジメントの関係にも当てはまると思います。


微妙な関係









2015年11月16日月曜日

成長するハイパフォーマーは一段上の仕事をする では、経営者は?

組織の大小に関わらず、組織で活躍している人を見つけるのは難しくありません。

活躍している人は自然と目立つ存在であり、多くの人が知っているからです。

さて、活躍の仕方は千差万別ですが、経験則として活躍している人の中には、仕事への適正(適性+知識・経験)が高く能力発揮している人と、どのような環境でも経験から学びながら成長し続ける人が居るようです。

成長を続けるハイパフォーマーの特徴は、常に仕事の視座、思考、判断が自分の役割の1段上にあることです。

そのような人に対して周囲は、意図的に足を引っ張らない限りは、自然と上位の仕事、難しい仕事を任せたくなりますから、その経験がさらに人材を成長させることになります。

「上位の視点で仕事ができる」→「目立つ」→「まかせる」→「課題を解決する」→「さらに目立つ」→「成長が加速する」というスパイラルです。

年功序列や官僚的組織機構であるとこうしたスパイラルを生む経験が与えられることは稀ですが、実力本位の組織であれば、まず、目の前の機会を活かすことが成長への扉を開くことになります。

活躍している人も最初から活躍できるわけではありませんから、偶然訪れる最初の機会にどう向き合っていたのかがその後の能力発揮に大きな影響を与えるのですね。

例えば、バスケットボールでは、子供の時に他者よりもちょっとだけ背が高かったことで生じるわずかな有利さがその後の明確な上手下手の違いになるのと似ています。

さて、営利企業であれば組織におけるキャリアは、経営者が最上位になります。経営者は誰もが知っている目立つ、活躍することが宿命となっている存在です。

経営者にも、ハマり型と成長型がありますが、成長型経営者はどのような視座で仕事に向き合っているのでしょうか。

数多くの成長型経営者の中でも際立っているのが株式会社セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長鈴木敏文氏です。

大分前になりますが、前職ですでに大企業の社長であった鈴木氏に商品の売り込みで手紙を送ったことがあります。

バイヤーであれば無視するような手紙(実際、その後無視でした)にもしっかり目を通し、部下に確認を指示する態度には深い感銘を受けたことをいまでもしっかりと覚えています。


経営者にとっての一段上の視座とは何か?

その問いには、「できる成長型経営者は常に初心に立ち返る」という明快な答えがあるようです。


視座





2015年11月15日日曜日

フィードバックが大切なのではなく、メタフィードバックが大切なのだと思う

仕事をするうえでフィードバックは行うにしても、もらうにしても大事です。

フィードバックは意識や行動を高める(高次に引き上げる)ために必須だからです。

ところで私達はそもそもフィードバックシステムによって出来ているようです。

例えば自律神経などは分かりやすいフィードバックシステムの実例です(「単純な脳、複雑な「私」 池谷裕二著より)

実は、すでに私たちの意識や行動は、フィードバックの賜物なのです。

では、私たちが仕事の中で必要としているフィードバックとは何なのでしょうか。

それは、すでに出来上がっているフィードバックループを棄却し新たなフィードバックループを構築することに役立つものでしょう。

つまり、本質はフィードバックによって浮き上がる「自分の壁」を越えることなのです。

ポジティブフィードバック(承認)にしてもネガティブフィードバック(ダメ出し)にしても受け取った瞬間の感情が「自分の壁」です。

「何も感じない」ことも壁です。

その壁を自分だけで破ることは困難です。そこで、他人の力を借りる必要が生まれるのです。

そして、私たちは新たなフィードバックループを獲得出来たかどうかは、フィードバックがないとわかりません。

つまり、他人の力は、新たなフィードバックループの獲得と獲得の確認の両方に欠かせないものです。

自分の壁に気づくフィードバック、壁を越える(自分の意識や行動を変える)フィードバック、壁を越えたことを確認するフィードバックによるメタフィードバックこそが私たちが必要とするフィードバックであり、大切なのだと考えます。


私たちは自分の壁を他者の力で越える存在



2015年11月14日土曜日

採用で会社を変える、採用が会社を変える

企業を取り巻く環境が複雑化、困難化しています。しかもその変化は急激です。

この変化に対応するために、人材に対する期待が当然のように高まっています。正解の無い課題に取り組むことが出来るのは「人」だけです。

さて、今日のように成熟した社会で特に求められるのが、0から1を生み出す人材、組織を変革する人材です。それらの人材は企業に新たな価値をもたらしてくれます。

そこで、その取り組みとして、採用を通じて今までとは異なる人材を採用しようとする機運が高まっているように思います。今までに無い価値を生み出すためには、今まで居ない人材が必要である、という分かりやすい理由からです。

一方で何故今までそのような人材が居なかったのか、という疑問が湧いてきます。

その理由の一つが「適合性」です。人は自分の力を発揮しやすい場所に自然と集まる傾向があります。それは、自ら選ぶ行為と組織の人によって選ばれる行為によって生じます。

こうして、組織と人材は適性によって相互に風土を醸成する共犯者になるのです。

適合という蜜月の関係性にとって、異質な人材は自然と淘汰される存在です。

では組織から異質な人材が消えていく中で、新たな異質な人材の採用で組織は変わらないのかというと、希望はあります。

人は自らの環境を変えることが出来る生き物です。

採用に先立って異質な人材が活躍できる場作りを行うことができるのです。

つまり、異質な人材を採用するために組織を変革するわけです。

そしてその際のポイントは、「組織の中の自分が変わること」なのだと考えます。


「自分」が変わる








2015年11月13日金曜日

未来をどうやって予測する? デルファイ法にみる可能性の収束しかた

変えられない過去に対して、未来における可能性は無限です。

といっても、ちょっと先の未来である「隣接可能領域」はある程度予測することが可能です。

つまり、大きな災害などがなければ、明日は今日の延長にあるのです。

これは、今日を良く知る者は明日も良く知るはずである、という思考を生みます。

ですから、株の相場であったり、サッカーの解説者であったり、人々はその道の専門家が予測する未来に確からしさを感じるのです。

このアプローチを使った未来予測の手法にデルファイ法があります。

専門家にアンケートを実施し、結果のフィードバックとそこからの予測を繰り返すことで無限の可能性を収束し、確からしい予測を立てる方法です。

この方法には2つのポイントがあります。

ひとつは、専門家が対象であることです。それは、先にも述べましたが、専門家は今日を良く知る存在です。

2つめはフィードバックを繰り返し、予測を収束するフィードバックループです。多数決ではなく、情報を構造化し焦点化すること繰り返すのです。

正確な未来を知るという正解のない問いに向き合うために、より確からしい情報を丹念に蒸留するわけですが、重要なことは、「答えを出す」ことです。

「答えを出さない問い」すなわち「不良設定問題」を解のある問題「良設定問題」に変えるためには、適切な条件を与えることが必要です。つまり、条件の与え方により解が生まれるのです。

真実を問う姿勢と解を出すための態度。デルファイ法に学ぶ大切なことです。


絵になっている・・・

2015年11月12日木曜日

生産性を落とすもの サボタージュ?更新プログラム?マルチタスク?

先週、「CIAのスパイマニュアルに学ぶ「会社をダメにする11の行動様式」」というブログがネット上で話題になりました。

注意深さ、大人数会議、厳格な規律、蒸し返し議論、会議を増やす、承認を増やす、言葉尻にこだわるなどなど、一見、仕事をしているように見えて実は組織活動の足を引っ張る行動が列挙されています。

これは、第二次世界大戦の時にCIAが敵国内で活動するスパイのために作ったマニュアルだそうです。

このマニュアルは逆に組織の改善点とも言えます。

会議を減らし、権限を委任し、言葉尻にこだわらず、マイクロマネジメントを配し、過去に縛られた議論は行わない、とマネジメントが決めて行動すれば生産性があがる、つまり、皆が早く帰れる構造になるわけです。

さて、これ以外にも身の回りで生産性を下げていると思われるものにITや仕事のマルチタスク化があります。

ITはある面では生産性をあげるのですが、延々と終わらない毎月のWindows更新プログラムを目の前にしていると、安全に情報を取り扱うことが如何に生産性を落とすのか実感できます。

先日行われた米中首脳会談でも、サイバー攻撃問題が大きく取り上げられましたが、国家の存亡に関わるほど影響性があることがわかります。

もうひとつの仕事のマルチタスク化ですが、最近の研究では、人の脳はマルチタスク向けに出来ていないことが確認されているようです。

これは、マトリクス型組織が上手く機能しないことにも通じているように思います。

そして、かつでは分担していた仕事がIT(ここでもIT!)の進化によって一人の仕事になっています。顧客を訪問し、パワポで企画書を作り、見積もりを作って、SFAに情報を登録し・・・などなど。

つまり、ここにも生産性の下げ圧力が高まっているのです。


なぜ、生産性が上がらない(残業が減らない)、と従業者の仕事ぶりを批判する前に、日頃の当たり前の見直す必要があるのではないでしょうか。


さぼってんじゃねーよ!?