2014年10月31日金曜日

専門家のリフレクションを考える

明日のセミナーの宿題の一つが「専門家にとってリフレクションはなぜ重要なのか」です。そこで、考えた結果が下の図です。

いずれも専門家の可能性を広げるために重要であると考えられます。


もう一つが、「効果的な学習や、専門性開発とはどのようなものか。またリフレクションはその中でどのような役割を果たしている/果たし得るか」です。

学習や、専門性開発をパワーアップするためには、具体的な体験の中で得られる気づきをを内面で熟成させて確信に変えることだと経験的にも思います。その中で、リフレクションは、気づきを熟成させる役割であり、最初の問いのように、確信を揺さぶって可能性を広げる役割を果たしているのだと思います。

さて、明日、どんな気づきが待っているのでしょうか。楽しみです。


それではおやすみなさい。

2014年10月30日木曜日

集団のマネジメントと戦略のリーダー

牧羊犬の動きを衛星で観測し、羊を追い込む牧羊犬の動きの数理モデルをストロンボムらウプサラ大学の研究者グループが作成したところ、牧羊犬はシンプルな2つのルールで行動していることが推察できたそうです。

その2つのとは
”バラバラになる羊を集めることと、群れが密集したら羊たちを前へと押し出すこと”
だそうです。(前述リンク先より)

「マネジメント」の言語的由来には、”携えて導く”という説もあるように、マネジャーには、多様な人材を纏めて、目的を達成することが求められています。

そこで、その概念で捉えれば、牧羊犬は立派にマネジメントを行っていることになります。

しかし、そのマネジメントが2つのルールで行えるとしたら、これは大きな驚きです。

世の中にはマネジメントに関して方法論、考え方が溢れていますがすべて泡と化してしまうかもしれません。

新任マネジャーが学ぶことは2つだけで済みます。

”バラバラになるメンバーを集めることと、群れが密集したらメンバーたちを前へと押し出すこと”

さて、”人間の”マネジャーがメンバーを押し出す場所は、羊が移動する場所よりも困難で複雑です。そのため、知恵を使って押し出す場所を細かく決めながら、目的地に至る、ジョブショップ問題のような状態にありますから、最適解に至るための戦略が必要になります。

これが、リーダーシップの本質だと思います。もう少し簡単に言えば、自律的に目的地(目標)を定めそこに至る行動です。

これを先ほどの定義と組み合わせるとマネジャーの行動原則は、

自律的に目的地(目標)を定める
バラバラになるメンバーを集める
群れが密集したらメンバーたちを目的地(目標)へ押し出す

の3つで済むことになります。


マネジメント、なう。

2014年10月29日水曜日

物事の価値を知る方法

世の中にある、様々なものの価値を測ることは困難です。それは、価値とは相対的なものであり、かつ変化するものだからです。

たとえば、金やダイヤモンドでは、その物質的特性と市場での希少性が価値の源泉となりますが、相場の変動を見てもわかるようにその価値は絶対的なものではありません。

さて、「あなたが勤めている会社の価値を教えてください。」と聞かれると答えるのが難しいですが、「あなたが勤めている会社にあなたの子供を入社させたいですか。」と聞かれると答えを導きやすくなります。そして、そこで導かれる答えはあなたにとっての会社の価値を指しています。

これに近い話で、製造メーカーに勤めながら、自社商品を買わない人の話があります。

また、『自分だったらこれは買わないな』と思いながら顧客に提案している営業も間違いなく居ます。

こう考えると、物事の価値を測る(定量化する)ことは困難でも、価値があるかどうかを見極めることは可能なことがわかります。(それも、かなりシンプルに)

ものづくりに関わる人は、どうしても作ったものに対して価値を高く見積もる傾向がありますから、作り手と買い手が異なる場合は、そのギャップを知らないと悲劇が待っています。

今日、思いついた個人研修用プログラムを社員に対して実施し、終了後に1万円払ってプログラムを受けたいか確認したところ、1万円だとちょっと・・・とのことでした。
ということは、プログラムをこのままでは売り出さないほうが良さそうです。


価値それぞれ

2014年10月28日火曜日

自分のパワーバンドを知ろう!

オートバイに乗ったことがある人は、パワーバンドという言葉を聞いたことがあるとおもいます。

車にもあるのですが、オートバイでははっきりと体感出来る、エンジンの力が最も発揮される回転域のことを言います。

このパワーバンドが狭くて急激なエンジンほど、ピーキーと表現され、扱い難い反面、後ろから蹴っ飛ばされたような強烈な加速感を感じる事ができます。

パワーバンドを使うと、速く走行できるので、オートバイではパワーバンドをコントロールすることが上手なライダーの必須条件となります。

実はパワーバンドは、人にもあります。
心技体のバランスがとれ、最も効率があがる領域です。

自分の能力を最高に発揮するためには、自分のパワーバンドを知らなければなりません。

「フロー」という忘我の境地は、このパワーバンドのひとつの状態とも考えられるでしょう。経験を通して、「フロー」の状態を身につけることはパワーバンドをコントロールするひとつの方法ですが、オートバイのエンジンと違って心技体の3つの波が作り出すパワーバンドはひとつではありません。

たとえば、座禅や瞑想、ヨガなどは静かなパワーバンドでしょう。

そして、仕事では、他者との協働によって発揮されるパワーバンドがあります。

この協働におけるパワーバンドのポイントは、「他者からみた自分」と「客体視した自分(我思う我)」の交差する場所です。

他者からみた能力、人柄と自分自身で評価する能力と人柄が重なり合う場所は、集団においても、個人にとっても力が発揮できる場所ですから、そこを使い切ることが協働の強力な推進力となるのです。

この協働におけるパワーバンドを知る方法はいくつかありますが、360度フィードバックとパーソナリティアセスメントを組み合わせる方法は再現性が高く、安定的に質を測ることが出来るので気に入っています。

但し、尺度で測定されるものは認知バイアスが掛かる(特に他者観察)ので気をつけなければなりません。ミスリードを生じます。


パワー!!!

2014年10月27日月曜日

異端者による葛藤が創造性を高めるのだ

いつも同じメンバーの中に違う人が入るとその集団は活性化します。

新入社員によって職場が活性化するのもその一例です。

この活性化にはメカニズムがあって、いつもと異なる考えや行動で集団の中に葛藤が生じると集団の創造性が高まるのだそうです。

アメリカでの研究では、このメカニズムは文化を超えて見られるそうです。大切なことは「議論や論争が許される環境のに身を置くことで創造性が高まることが確認された」(J Nemeth 2004)ことでしょう。

多様性や脱予定調和が大切だと感じたり、組織の中に2:6:2の法則と呼ばれる分離が自然と起こり葛藤が生じるのは、組織・集団として創造性を失わないための合理的な仕組みなのかもしれません。



葛藤が大事

2014年10月26日日曜日

ミラーレス一眼などを買うときに気をつけたいこと

最近では、スマホで写真を撮る人が多く、カメラを使う人はあまり多くないかもしれません。多くのカメラメーカーも低価格コンパクトデジカメの製造販売から撤退してしまいました。

その一方で、昔のカメラでフィルムにあたる撮像素子の大きなものは、物理的にスマホには入りませんから、撮影装置としてスマホと差別化し生き残るとおもいます。

撮像素子が大きい方が、画素数が増やせる、もう少し突っ込んで言うと、画素を極小化せずに画素数を増やせるメリットがあります。簡単に言えば、大きい窓のほうが光がたくさん入るので細かく区切っても十分な光量が得られるとのです。

ですかが、今、カメラメーカーが力を入れているのがミラーレス一眼やコンパクトデジカメでも撮像素子が大きい、高級タイプと呼ばれるものです。

さて、どんなカメラを使おうと写真は必ず目を通してみます。ですから、写真の出来にこだわるのは、目にどう映るかということから考えなければならないのです。

というのも、目は人が五感で取り入れる情報の大多数の取り扱いを担っています。たとえば、料理は80%、目で美味しさを味わうそうです。(目を瞑ると、何の料理か当てられなくなります。)

つまり、美味しそうに撮れるカメラは、実際に人に美味しさを感じさせているわけです。
逆も真ですね。

とここまでくればカメラを買うときに気をつけることが見えてきます。ずばり「目」以外で感じるべき感覚をどれだけ写し込めるか、です。

例をあげると
美味しさ(味覚、嗅覚)
雄大さ(嗅覚、聴覚)
かわいらしさ(嗅覚、触覚)
スピード感(触覚、聴覚)
などです。

写真がこういった感覚を目に感じさせてしまえばカメラの勝ちです。
そのためにはより広い情報の領域(質感)が大切になってきます。そうすると、大きな撮像素子、大きなレンズが有利になってくるわけです。

逆に言うと、撮像素子が大きくても、レンズが大きくても、質感を写せないカメラは駄目です。撮影のレスポンスが悪い、色目がおかしい、ノイジー、色がくすむなど質感を損なっているカメラは買ってはいけない典型です。


お花と


2014年10月25日土曜日

今日のAmazon vs 百貨店

日頃、ネットで買い物を済ませてしまうことが増えている今日此の頃ですが、今回は、百貨店で商品を購入しました。

購入したのは羽毛布団です。
といっても高級品ではありません。

さて、購入に至った経緯は諸々あるのですが、購入に際し、比較したのはネットと店頭でした。

今更ですが、ネットは情報が豊富ですから、必要な情報を見つけ出すリテラシーが必要です。また、購入に際してリスクを検討する必要があります。商品がちゃんと届くか、間違っていたら返品が出来るか、商品は想定通りのものかなどなど、不安になりはじめたらキリがありません。

そこで、あまり博打をせず、つい買い慣れたサイトで購入してしまうのですが、その代表がAmazonです。でも、よく考えると、Amazonはいつも赤字です。そこが不安にならないのもまた不思議です。

ところで、Amazonでも羽毛布団を売っているということを知り、結構、驚きました。なぜなら、知り合いに羽毛布団をAmazonで買ったことを話している姿を想像すると何だか変な気がします。押し売りとか、騙されて高額な布団を契約させられた、というほうが予定調和的です。

そのような偏見のせいか、Amazonでみる商品はあまりピンときませんでした。

そこで、別件もあって行った百貨店の寝具コーナーでお値ごろ品を見つけて購入したのですが、店員さんに聴ける、商品に触れる、触って比較できる、持ち帰れるという、百貨店ならではの価値に改めて気づいた次第です。

ということで本日は、百貨店の”勝ち”でした。


良くも悪くも、店員と相対しなけばならないのが百貨店です。一方、Amazonではツールを操作して自分で処理をします。だから安い、とか、何でもある、となるのでしょう。そこには日々、予想を超える進化があります。

でも、Amazonを使うことで物質的充実はあったとしても”成長”は無いように思います。一方、百貨店では、感じの良い店員、悪い店員との出会いがあり、それら他者と共謀して商品を購入するという行為があります。それらは、”成長”につながる行為だと思います。


2014年10月24日金曜日

MBO面談で「マネジメント」を考える

「異質な他者とともに目的地を目指す」
組織におけるマネジメントを簡単に表現するとそんな感じです。

今日は、半期の MBO面談でした。会社では、役員と全員が面談を行います。今度、会社でリリースする新たな適性検査の結果、全員で行う360度アセスメントの結果を持ち込み、一人 30分の予定でみっちりと面談を行いました。

その面談を行いながら自らのマネジメントを内省していたのですが、考えていたのは

複雑さに向きあう
もしくは
複雑さが向きあう

ということです。

「複雑さに向き合う」とは社員一人一人の個性、多様性の話です。マネジメントにおいて個性に向き合うことは大切なテーマです。

「複雑さが向き合う」とは、多様な社員とともに事業の目的達成に挑むことです。事業目的の共有、達成に向けた規律・規範、集団の統率がテーマとなります。

個性を尊重したマネジメントと、個性は既定である目的志向のマネジメントは大きく異なると考えます。そして、グローバルスタンダードは後者です。

これは、テーマを定めれば自ずと答えが出るものですから、どっちつかずなのは、「複雑さに揺らいでいる」ことなのでしょう。


複雑さ それで?




2014年10月23日木曜日

きれいな理論はいらない

同志社大学文化情報学部村上征勝教授は日本における統計解析の祖と言われる林知己夫博士の弟子にあたる方です。

昨日、会社の講演の締めにお言葉を頂きました。(ありがとうございます)

その中で、林知己夫博士の言葉をご披露下さいました。
それは以下の2つです。
(書き留めた わけではないので、一字一句、正確に合っていないかもしれません)

”きれいな理論はいらない”
”結論が出るようにデータは作らなければならない”

林知己夫博士は、データサイエンスの先駆けとして、データから事実を読み解くことに力を注がれ、数多くの成果を残されています。

その博士が常に語られたのが、理論の美しさでなく現実を適切に理解することが大切であること、そして、人為的なものであるデータは結論が導かれるように付けなさいということだそうです。

ちょっと古いですが、”もう、なにも言えねえ”って感じです。

ビッグデータの時代になって、データは理論よりも現実にその主たるフィールドを移しました。素晴らしい先見性です。
もうひとつの結論が出るようにデータを作ること、これはなんでもデータ化するという昨今の考え方と異なるように思えます。しかし、データ化の目的性において深い示唆を感ぜざるを得ません。


物にデータを付ける


2014年10月22日水曜日

進化と成長の違い

今日のブログはごくシンプルです。

進化と成長は違う、ということです。

何が違うかと言えば、進化とは、個力の話。つまり、個人にとって出来ないことが出来るようになることです。

一方、成長とは、自分の環境と連携して(共犯関係)個力の 壁を越えることです。

という整理だけで、今日のブログは〆たいと思います。



何を為すのか

2014年10月21日火曜日

野性犬ドールのように成長したい

アニマルプラネットというNHK BSで放送している番組があります。この番組、動物の生態を知ることが出来る素晴らしい番組です。

この番組でインドの森林に生きる野性犬ドールの生態を見る機会がありました。

飼育され、ペット化した動物と違って、野性に生きる動物は実に逞しく、賢い存在です。

一方で、野性犬という犬ですから、仕草、表情に愛犬と同じようなところもあって「犬」という存在を改めて感じることが出来ました。

さて、この野性犬ドール、群れを作って生き延びるのですが、群れの大きさが生存確率と相関しています。群れの中でも戦力となる大人の多さがポイントです。

この、群れを作って生き延びる戦略ですが、「彼らの餌となる鹿を効果的に捕まえる」、「敵であるトラや 象から確実に逃げる」、「他のドールの群れとの縄張り(!)争いに勝つ」という3つの目的を持っているようです。生存の核心を為す重要戦略であることがわかります。

番組で取り上げられていた群れは、メスのリーダーが中心となった大人が2頭の小さい群れでした。他の6頭は子供ですから、戦力として力不足です。やがて大人のオスがトラにやられて死んでしまい、リーダーが新たなオスの兄弟を迎い入れるのですが、その兄弟が群れの中にいたオスの子供を群れから追い出してしまったり、リーダーのみならず、リーダーの娘にも求愛したりと、かなり波乱万丈(でもきっと日常茶飯事)ながら、しっかりと生き延びていく様子が映像に収められていました。

生き延びるための狡猾なリーダーの思考(緊急度と重要度の高いポイントで決断する)は見事な限りですが、もうひとつ感心したのは明確な「成長」の 姿です。

それは、身体的成長ではなく、「群れで狩る、戦う、欺く」という連携によって、身体的能力を拡張し、自分たちよりも強い敵にも安定的に勝つ、組織的能力の成長です。

この集団的活動を行ううえで、彼らは重火器やPCを装備するわけではありません。つまり、ツールなど何も使わないのです。

私たちは、高度なコミュニケーションによる複雑な社会性に実現と強力な道具の開発、装備により今日の繁栄を築いてきました。一方、今日の社会では、個の成長実感が得られ難くなっています。もし、ドールが重火器を使いこなして敵を蹴散らすことができたら、成長の実感はきっと感じ難くなることでしょう。

私たち、一人一人が確実に成長する近道は、まず、PCやツールを全部捨てることなのかもしれません。


進化かもしれないけど、成長ではない

2014年10月20日月曜日

縄張りという占有に思うこと

昨日、出身大学の大掛かりな同窓会イベント(と呼んでいいのでしょうか)があり、会場に行きました。慣れ親しんだ校舎の周りには多くの出店が並び、好天にも恵まれて、多くの来場者で賑わっていました。

伝統的なイベントは、めったに参加しない人から見ると新鮮です。聞くと行くは大違いです。

さて、これもいつものイベントの風景だと思いますが、飲食が出来る席は、各年度の同窓会や部活OBのために旗が立っています。そうやって普段、疎遠になっていても、一年に一度、そこに行けばかつての仲間に会えるというとても素敵なことだなと感じました。(自分とは別世界ですが。)

一方で、その風景を見て思い出したのが、幼稚園や小学校などの運動会もしくは花見、花火大会などで見られる場所取りでした。

今年、芝生にスプレーで花火の場所取りをしていることが社会問題化しましたし、運動会の場所取りでは、大変な思いをしている親がたくさん居ることでしょう。

その場所でなければ得られないベネフィットがあります。イベントにおける「良い場所」とは、よく見える、楽しめる、快適であるといったベネフィットが盛り込まれています。

これが商業ベースのイベントになると、席料として反映されることになります。S席が24,000円でB席が8,000円みたいな価格格差は普通のこととして受け入れられています。

一方で、無料スペースになると話が違ってきます。そのベネフィットを得るためには早起きして場所取りをするなど、金額の差を労務で提供しなくてはなりません。

これら場所取りは言い方をかえると「縄張り」となります。

「縄張り」とは他者を排斥し領域を占有することですから、排斥された者にとってあまり気分の良いことではありません。国家間の紛争の多くは領土問題です。一方で排斥し占有するためには相応のコストが掛かります。

この問題の発端は、限られた少ないスペースに多くの人が集まることにあります。

各種のイベントで来場者数はKPIとして掲げられていますから、できるだけ多くのひとに来てもらうこと=縄張り問題が発生することはイベント成功の証とも言えるのでしょう。

ですから、私が半日の立ち食い、立ち飲みで貧血になり疲労困憊となったことはイベント成功の証であるわけです。(「私」を「国」に置き換えると・・・ですが・・・)

純粋にイベントの成功を祝いながら、これからも考え続けるよい問いかけをもらうことが出来ました。


しめ縄も縄張りの一種です



2014年10月19日日曜日

他罰性と優越感と要求水準のコラボレーション

多くの組織では、規範として他罰性を戒めています。とくに、チームワークが重要な仕事においては、他罰性が高いことは、連携の輪を見出し、仕事がうまく進まない元凶となる性向と理解されています。

一方、何か問題が生じたときにその原因を他者のせいにしたり、役割が果たせていない人に厳しく接する傾向に対して、原因の所在を自分に置き、自らを責める傾向が内罰性です。

このように、外罰性と内罰性は相対する傾向性ですが、外罰性と正の相関があるのが優越感です。

優越感自体は、外罰性と異なる概念なのですが、人格的には同時に出現する傾向が多く見られます。

自分は優れていると思うので問題が起きたとき責任を転嫁し易い、これが相関のストーリーですが性格項目で因果を考えると人物像が固定化され、ステレオタイプ的に人を認知するようになるのであまりストーリー化しないほうが良いでしょう。

内罰性と正の相関があるのは劣等感です。

さて、この他罰性、内罰性と要求水準の高さは別物です。要求水準とは、仕事の遂行レベルに対して持つ価値基準ですから、知的能力がベースとなっています。

つい他者(自分)を責めてしまう性向と、自分は優れている(劣っている)と思い易い性向と価値基準による評価の高低は対人関係上の混乱を巻き起こすので気をつけなければなりません。


すっきりと。

2014年10月18日土曜日

記憶を引き出すインデックス

パソコンに溜まったデータを整理するのは案外面倒なものです。データを保存した時と、その後で、データの価値が変わってしまうからです。

データを保存した時点での価値がその後も不変もしくは、向上していれば、データは保存しただけ価値が増えて行くことになります。

一方、価値が下がっている場合は、保存することでコストを浪費していることになります。ハードディスクなどデータストレージの費用がどんどん安くなっていますが、管理などの手間を考えるとコストが掛かっていることに違いはありません。

やっかいなのは、あの時役に立った、大切だったという思いがあること、つまり過去のデータには記憶を引き出すインデックス機能があることです。

これは、保存するときには無くて、その後に生じる価値です。

そしてこのインデックス機能は、知識の実態であり、知性や知恵を生む土壌になります。
また、インデックスが思いもしない引き出しを開けると新たな価値が創造される場合もごく稀にあります。

データが溜まれば溜まるほど、引き出すことが困難になりますから、インデックス機能はとても重要でデータ自体の価値とのパラドクスが生まれます。

そのパラドクスから脱出するためには、記憶が無価値となるべく、学びのステージを革新していかなければならないのでしょう。


ある朝の風景





2014年10月17日金曜日

パターンから読み解く

人間には不思議な能力があります。

私が不思議だと思うのはパターン認識です。

例えば、グラフの形。

折れ線、円形、レーダーチャートなどギザギザを表したり、配分であったり、囲われた矩形であったりとその形から、何か意味を読み解く力です。

グラフの背景には数字があるのでもちろん意味があるのですが、その数字が作り出す新たな造形から固有の意味を読み出そうとするわけですが、これは、おそらく、物の形から意味を類推する脳の働きを流用したものです。

この、ものの形に意味を見つける能力は人を見分けたり、危険を察知したり、逆にチャンスを予感したりすることに役立っています。

つまり、生存という基本的な戦略の一環であるのです。

このパターン認識の力は、とても強力です。定量的理解を越え、瞬間的な理解を生み出します。少ない情報から大きな意味を見つける能力は、人類繁栄の本質かもしれません。

一方で、このパターン認識、実は認知バイアスの塊です。○2つの下にーを引くと顔に見えてしまうやつです。本来は顔でないものに顔を見たり、場合によっては人格を感じたりしてしまいます。要は、大いなる勘違いです。

パターン認識には、上手に使えば大きな果実が、下手に使うと奈落の落とし穴が待っているのです。


意味を感じちゃうのねー

2014年10月16日木曜日

自由という苦痛

ルールや仕組みに縛られることなく、物事を見て、触れ、考え、思ったように行動できる。「自由」が描く世界には無限の可能性が開けているように思えます。

一方、「選択」に限っていうと、”選択肢が多すぎると人は選択できなくなる”という研究結果もあります。コロンビア大学ビジネススクールのシーナ・アイエンガー教授によると、選択肢が多すぎると以下の3つの悪影響があるそうです。

1.選択を遅らせる
2.最悪の決断をしてしまうことがある
3.自分の選択に満足できないことがある

さて、日本国憲法第22条第1項では、基本的人権として「職業選択の自由」が定められています。

これは実に皮肉な例です。

無限の可能性があるのに、現実として選択が出来ない。

さらに「自由」には本来的に枠組みがありませんから、選択肢以外からも選択出来ることを意味しています。そして、選択肢Aと選択肢Bがあった時、A、BからではなくCを選ぶ主体性が大切だと言われるのが日本の現状です。

選択が出来ないという苦痛は、学びの原動力ですからそこから多いに学べば良いのでしょうが、学ぶベースを持たない人にとっては単なる苦痛でしかありません。

自分がまったく興味を持たないものをずらっと並べられて、さあ、どれがいい?と聞かれて苦痛を感じることは珍しくないことです。

そしてそれは、学びがない限りはずっと続くのでしょう。


自由とは挑むこと




2014年10月15日水曜日

ストーリーテリングによる組織学習は有効か有害か

組織構成員の組織社会化を促進するうえでラーニングヒストリーを行うストーリーテリングは効果的なメソッドです。

組織が持つ価値観や考え方を経験の浅い構成員に伝えるラーニングヒストリーのひとつの方法がストーリーテリングですが、これは、フォーマルな場、アンフォーマルな場で行われます。

「なるほど、そういう事だったのか!」と聞き手が思えばしめたもの。そこでは、密かに学習が進んでいるのです。

つまり、自分もそのように考えれば意味不明な風習が理解出来るのだと。

この学習には組織に取って問題が潜んでいます。組織の紐帯を強化することと、同時に組織が新たに学ぶ機会を失うことです。

この問題を回避するためには、ストーリテリングが良い問いかけになっていなければなりません。

「こんな場面であなたはどう考えますか?」


「私たちはこう考え、こうして来た。そしてこれからもこうするのだ。」
ストーリーを語る際にこうなってしまうとストーリーテリングは有害なのかもしれません。


ストーリーを疑え!

2014年10月14日火曜日

考えるスピードって、それですでに負けているのかもしれない

一昔前まではサッカーでブラジル代表と日本代表が対戦することは夢のような話でした。最近では、その夢のような話が現実となる機会が増えています。一方で、夢が現実になるとそれはとても厳しいものでもあるようです。

今日の日本対ブラジルの親善試合でも、ブラジルは容赦なく、日本代表から4点を奪って撃破しました。それもたった一人に4点取られて。

試合をTVで観戦していて気がついたのですが、細かいプレーでの信じ難いミスです。日本でトップクラスの選手がおかすにしてはちょっと驚くようなプレーですが、ブラジルはそのミスから滑らかに動き出して得点を取っていました。

それにくらべてブラジルのプレー、特に得点にいたるプレーはあまりに滑らかです。

少し、言い方をかえてみると、日本のプレーは関節の動きひとつをみても意識的で少し無理な動かし方をしていて自分のバランスをとることも難しそうですが、ブラジルのプレーは関節の動く方向に自然に動いていきバランスも素晴らしいです。

これは、日本の選手のバランスが悪いのではなく、イメージが強すぎるためのように思えます。そこで強い相手よりもさらに強く身体をコントロールするという意識が逆に身体の持っている素晴らしい感覚運動統合システムを奪っているのだと考えてみた次第です。

さて、何でそんなことを思ったのかと言えば、アナウンサーが「もっと考えるスピードを上げなくてはいけませんね」と語ったからです。

思考によって脳が疲れると実際に身体が疲れたように感じるそうです。ひょっとしたら考えない勇気も必要なのかもしれなません。


台風のあとの静けさ

2014年10月13日月曜日

台風に見る予測精度の向上と未来の展望

二週連続で台風が列島を襲っています。毎度、被害が無いことを祈るばかりですが、予測の精度を見ていると、気象情報という複雑系の現象を予測しようとする取り組みが着実に成果を上げている実感があります。

但し、特に精度が上がっているのは特に、台風が近づく24時間以内のようにも思えます。

調べてみると、台風19号の発生が10月3日、ニュースで連休中に列島に近づく予測が出たのが7日(これは、18号の影響で遅れたのかもしれません)そして、上陸が13日でした。

週末までは900hPaの超大型ということでしたから、この3日間でも予測は細かく変わっています。

一方で、いつ台風が発生してもおかしくないという状態からいつ発生するかという予測はあまり聞いたことがありません。

おそらく、そのような予測も行われているのでしょうが、興味があるのはむしろそちらのうほうです。

複雑な気象条件の中から台風が生まれることは誰でも知っていますが、現在の私たちにはその芽を摘むことは出来ません。また、幸運にも台風を起こすことも出来ません。

これもきっと研究が進んでいることでしょう。科学の進歩とともに予測精度の向上から更に一歩踏み込んだ時代が来るようにも思えますが、いつの日か台風の発生の制御が出来るようになるかもしれないと思うのは人間の思い上がりなのでしょうか。


雨だって気にしない

2014年10月12日日曜日

夢語る集落

新潟県の小千谷市若栃集落は新潟県中越地震で甚大な被害を受けました。しかし、その後の復興の取り組みが同様な問題を抱える地域から注目されています。

掲げる理念が素敵です。

 1.超進化し、夢語る暮らし。
 2.人に暖かく寄り添う暮らし。
 3.自然と共にある、種まく暮らし。

地震の後は、将来の夢を語ることしか出来なかった。そして、その夢を一つずつ実現して、今日に至っているのだそうです。

若栃集落における実際の活動に触れたことがないので残念ながら具体的なことはわかりませんが、シンプルながら思考や行動のイメージが湧く理念っていいなぁと思わせてくれます。

一方で、この理念は、被災後の状況によって具体化しているとも言えるでしょう。

集落で出来ることを理念として掲げる、理念が実現されることで力が湧き出し人が集う。

この理念は人々にとって終わりの無い道標であるように思えます。


かぼちゃの季節





2014年10月11日土曜日

個人情報の値段

先日、ある会社で大規模な個人情報の漏えいがあり、そのお詫びとして漏えいした情報の対象者に500円の補償を行ったとのニュースが流れました。

情報漏えい時の対応、お知らせに記載された内容がさらに非難を呼びました。知り合いのお宅にもお詫びの通知が届いたそうですが、そもそも個人情報を登録していないので会社に問い合わせたところ、その会社が勝手に収集した情報を漏えいしたということがわかったそうですから、漏えいだけでなく問題の根はとても深いもののようです。

さて、500円という金額は個人情報の値段として相応しいものでしょうか。

今日、ショップで1万円の買い物をしたのですが、その際に、会員登録すると商品代金の10%+αの割引がありました。つまり、私の個人情報を1000円で買ったことになります。

また、私の住んでいる地域では、住民票の写しを受け取る手数料が300円掛かります。これは、個人情報を取り出す原価と考えられます。庶民にとって最も身近なコスト感覚です。

商売で考えると、原価300円のものを500円で売れば200円儲かります。原価率60%です。悪い商売ではありません。

では、ショップはなぜ、さらにコストを掛けているのでしょうか。

それは「顧客候補」と「実際の顧客」の差でしょう。顧客候補は、今後、商品を買うか買わないかわかりません。そして多くの場合は買いません。

一方、「実際の顧客」は商品を買ってくれます。そしてさらに商品を買ってくれる可能性が極めて高くなります。ですから、プレミアムをつけてでも顧客情報を入手することは大きなメリットとなります。

そのように考えると、500円の補償というのは、契約書などで損害賠償として「購入金額の上限まで補償する」と記載するのと同じで、極めて会社の立場に立った金額設定と言えそうです。

この500円は以前に発生した同様の情報漏えいの事例に倣ったものということのようですが、その後の経緯、対応を見るともっと計算があったように思えてしまいます。

「人の気持ち」の問題とは別に、ビジネスでは情報をコストとプロフィットで考えます。しかし、「人の気持ち」という大きな経営資源に気づかない経営は早晩、行き詰まるのではないでしょうか。


相手は生身の人間です

2014年10月10日金曜日

人間の好奇心と報酬の関係を考える

「人間の好奇心には範囲がある」という内容のコラムの翻訳がありした。原文はこちらのようです。情報の中毒性をドーパミン神経系の関係性から捉えると、

”脳細胞は、「すでに知っている事柄」について、さらなる情報を求めるよう調整されている。要するに、脳細胞は常に、自らの「予測誤差信号」(prediction-error signal)、すなわち予測と実際に生じるものとの差を縮小しようとするのだ。”そうです(同引用)。

この示唆はとても興味深いものです。

いつものように(?)この示唆と頭の中で結びついたのが「外発的モチベーションが、創造性を阻害する」Shalley & Perry-Smith(2001)実証研究の結果です。

「すでに知っている事柄」と「外発的モチベーション」がオーバーラップすることによって「新たな事柄」への扉が閉じられるとしたらどうでしょうか。

企業という環境が提供する、報酬、社会的立場、評価といった「外発的モチベーション」は、好奇心の範囲を狭め、脳はさらなる情報を中毒のように求めるようになる。言い換えると、社員は社内の出来事や情報により深くはまり込んでいき、企業の外で起きている事に対し、好奇心を失う。

これってとても興味深い仮説ではないでしょうか?


好奇心の所在





2014年10月9日木曜日

思考を停止させるマジックワードと魔法の解除

思考停止に関する情報を整理していて「マジックワード」という表現に出会いました。

「マジックワード」を辞書で調べると、”宣伝や説得などに効果のある言葉。殺し文句”という解説が出て来ますから、マジックワードで思考を停止させるというのは、説得の一種であると考えられるのかもしれません。個人的にはスクールカースト同様、ちょっと使い方に違和感があります。

いずれにしても思考を停止させる言葉があります。それは、当人が発する言葉もありますし、周囲の人(親や管理者など)が発する場合もあります。

「すっきりともやもやが無くなってもいけないし、もやもやしっぱなしでもいけない」と東大中原先生は難しいことをおっしゃっていますが、どうやら当人がマジックワードを発しようが、周囲が発しようが、自分が思考停止状態にあるか否かをセルフモニタリングすることが大切なようです。

新たな「もの」や「こと」を起こそうとする創造的態度において、外発的動機(報酬、評価)が強い阻害要因となることが確認されていますが、恐らく、マジックワードの正体はこの外発的動機です。

自ら思考停止させてしまうマジックワードは外発的ではないのでは、とも思いますが、「勉強になった」「頑張った」「刺激を受けた」などのワードは外的な基準を参照した完結型自己評価であると位置づければ外発的動機と言えないでもありません(ちょっと強引です)。要は、持続的な主体性の欠如ですね。

さて、魔法にかからないようにするにはどうすればいいのでしょうか。

その方法ですが、「で、どうなんだろう」「だからどうするのか」と自らへの問いを連鎖させ、思考と行動のステージを上げることがマジックを防ぐ唯一の手段だと考えます。ステージが上がらないと中原先生が言うところの”便秘状態”です。

このマジックワード、組織の文化、風土にも根ざしています。”暗黒の共通言語”ですね。
この魔法を解くことが目下の関心事です。(結構この”マジックワード”という言葉が気に入っているようです・・・)


マジック!





2014年10月8日水曜日

イノベーションはアートだ!!と思う

ノーベル物理学賞が発表され、日本人(日本生まれ、と表現したほうがいいのかな?)3名が青色LEDの発明により同賞を受賞しました。

ナショナリズム的に、日本人が受賞して良かったという気持ちも実際はありますが、そんな事よりも、LEDがこれから果たすであろう、地球環境への貢献の大きさを考えると、やはりものすごいイノベーションです。

ノーベル賞が発表されると発明者の才能と努力だけでなく、必ず、発明に至ったストーリーも発表されます。そして、そこには漏れなく、苦労と困難が連続しています。

今回、受賞された中村教授は、発明もさることながら、発明後に会社と裁判で係争したことでも知られています。(受賞後も、まだ色々と言っていらっしゃるようですから、性格的には執念深く、それが発明にはプラスだったのかもしれません。)

さて、多くのイノベーターが過去に不遇の時代を過ごしているという点では、芸術家の状況に近いのかもしれません。

以前、聞いた話で真偽のほどは知りませんが、”芸術家が生き延びるためには3人の支援者が居れば良い”のだそうです。もちろん、最低限の生活、という前提はあるようですが。

そこで、私が感じるイノベーションとアートの共通点は、才能、執念、好きなことなど、個にフォーカスしつつも、一方では支援者が居るということです。

もちろん、居ないケースもあるのではないかと思いますが、イノベーションやアートは、個の閉じた世界ではなく、社会に開かれた「もの」や「こと」ですから、繋がりが少ないとしても、必ず何かしら社会的な関係が存在することと、もっとシンプルに考えれば、誰かが食べさせてくれなければ、生きていけません。ゆえに支援者が必要です。

研究者の場合、それは、大学や企業などの法人格であることが多いでしょう。

企業に限ればイノベーションはアートに比べると実利的で当たればうんと儲かるので投資をしますが、アートと違うのは日本では経団連に要請で安倍政権が特許法の改正を目論んでいるように発明者をあまり大切にしているように思えないことでしょうか。(現在の企業の社会貢献の大きさを考えるに止むを得ないとも思えます)

イノベーションにしてもアートにしても、未来に与えるインパクトは非常に大きいものですが、それらを支援する大局的な循環構造を誰もが納得する形で構築するのは容易ではありません。


青色の月



2014年10月7日火曜日

学び取って行動するうえで大切とおもわれること

一般的に意識と行動には乖離があります。言語化し、記述したものは、状況に依存せず、時間も超越することが出来ますが、私たちの行動は、状況、時間に適応していますから、乖離するのは当然と言えば当然です。

逆に、乖離させない、有言実行、言動一致となるために大切と思われることを取り上げてみたいと思います。

最初に言動一致にプラスに働くと思われること4つです。

1.生存不安…回避を許さず、状況への適応を最優先にする
2.快楽性の追求…ポジティブな心理、フローな状態に至る
3.良い問いかけ…内省を深めて挑戦することを周囲が支援する
4.メタ学習、経験学習…謙虚さを持って巨視的に学ぶ

次に、マイナスに働くと思われること3つです。

5.意識的障壁…知的能力の低さ、抵抗感、余裕の無さといった受容の困難さ
6.行為的障壁…頭でっかち、機敏性の無さ、体力不足・病気といった身体性の不足
7.脳科学的障壁…好奇心のパラドックスなど認知バイアスや脳自体の疲労感、機能低下

要するに、心と身体と環境の関係性が一定の条件で揃った時に意識と行動が一体化する、つまり創発するのでしょう。


生き物は条件を使って創発する




2014年10月6日月曜日

三分間勝負!

”三分間待つのだぞ”

レトルトカレーの先駆け、大塚食品工業のボンカレーが発売された当初、CMで流されたこのフレーズは今でも鮮明に覚えています。

当時、三分間は誰でもがじっと我慢できる最長の時間として考えられたのでしょうが、なかなか絶妙な間隔です。

さて、対話をデザインしたがちゃトークでは、トークに当選すると引き当てられたお題で三分間語らなければなりません。

三分間語るために準備出来る時間は二分間。三分間の話を準備するにはちょっと短いこの時間設定がまた絶妙で、初めてトークする人にとっては、二分を過ぎたあとの一分間はネタが切れてとても苦しい時間になります。ちょうどボクシングでラウンドの残り一分が苦しい時間であるの似ているのかもしれません。

この「初めて」という部分はある示唆を持っています。

「初めて」話すとき、十分な準備が無く、集中力が持続できるのがおおよそ最大三分であるのことを逆の立場で考えると、「初めて」の話を聞く時も三分間が集中して聞けるひとつの時間的目安です。

人の話を聞いている人を観察していると、じっと聞いているようでも、、どこかで音がし
たりすると、すぐそちらに目を向る状態はすでに集中を欠いている状態です。

研修などで導入を失敗するのもこのパターンが多いようです。講師のしゃべりすぎというやつですね。よいレスポンスを引き出せない時は、まず、聞き手の集中力を削いでいないか確かめる必要があるようです。

また、自分の個人的な印象としては、キーボードを叩いたり、ペンを走らせてメモをひたすらとっているのも話には集中していないように感じます。

ところで、今日は下期のスタートで全体ミーティングがありました。自分が話す場面もあったので、三分間で話し切ろうと、iPhoneでタイマーをセットしたものの、いい気になって話している途中でタイマーが鳴ってしまいました。

話す時間以上に、話すことを考える時間があるときは話を短くするためのさらに高い集中力が必要なようです。


後ろで錦織が優勝していても、集中!

2014年10月5日日曜日

後知恵バイアスが気になります

生じた出来事に対して「そうなると思った」と後付けする傾向を、後知恵バイアスと言います。

「だから言ったでしょ!?」

よく、お母さんが子供の向かってそう言っていることを聞きます。先日も、道を歩いていたら、自転車に乗り始めたばかりと思われる子供がうまくコントロール出来ずに道に飛び出しそうになったとき、付き添っていたお母さんがそう言うのを聞いてふと思ったのがこの「後知恵バイアス」です。

何か起きたとき、つい後から「そうなると思った」と考えるのには2つの意味があると思います。

ひとつは、自分の正当性を表明する自己中心性です。先ほどの自転車の件で言えば、お母さんの言うこと、という文脈が言葉の背後に隠れています。

もうひとつは、予測の可能性です。将来は見通せるものであるという確信があります。

さて、お母さんの言うこと聞いていればこれからも必ず大丈夫ということはありませんから、認知バイアスのひとつ、ということなのでしょう。

シュレーディンガーの猫という量子力学の問題点を突く思考実験がありますが、事象が顕在化する前の状態では確率的に重なり合っている、確率的な大小はあっても、ともに起こりうる可能性がある状態を私たちは上手く理解できません。複雑、不確実なものは五感で知覚できないからでしょう。

そもそも知覚とは、不確実なものを確実にするプロセスです。

私たちの脳は、理解できないこと放置することが嫌いですからこの後知恵バイアスが使われているのかもしれません。


寝てる?起きてる?




2014年10月4日土曜日

がちゃトークのお題は「値打ち」

昨日は、デザインされたダイアローグ、がちゃトークの日でした。

いつものよう大好きな市ヶ谷のサードプレイス、Cafe Katyさんでのトークですが、お題は「値打ち」でした。

参加者の話では、落語ではよく出てくる言葉だそうですが、日頃はあまり使わない言葉です。

「値打ち」とおなじく「打ち」が入った言葉では、「手打ち」「真打ち」「頭打ち」「焼き打ち」などがあります。

それらの言葉はいずれもある特定の領域で使われる言葉です。

普段、使い慣れない言葉でトークをするとなると、やはり知りたくなるのはその意味。意味を知らずして、トーク、対話をしてみるのも一興ではありますが、何だか釈然としません。こうして自然と学びがはじまるのもがちゃトークならではです。

もちろん、テーマ決めで学べるワードを掘り起こせる人が居ることも大切です。

ダイアローグのデザインには、奥が深いようです。


おいで、おいで



2014年10月3日金曜日

Wikipediaと問題解決症候群について

Wikipediaは、学生にとって好まれる情報ソースですが、教育者は懐疑的だそうです。そこで調べたところ99.7%、情報は正しいかったそうです。

こんな調査結果が出ていると、池谷裕二さん(@yuji_ikegaya)のツイッターで知りました。

何か調べ事がしたい時、Googleで検索して、Wikipediaのページを見る。

これは、学生に限らず、インターネットをよく使う人にとって一般的な行動パターンになっているように思います。

かくいう私も、Wikipediaから恩恵をたくさん受けている身であり、先日は感謝の気持ちから寄付もしました。

さて、「誰が何を知っているかを知っていること」であるトランザクティブ・メモリー(社会心理学者、ダニエル・ウェグナ―が唱えた組織学習に関する概念)という組織における学習についての考え方がありますが、その考え方を当てはめると、Wikipediaはインターネットにおけるトランザクティブ・メモリーであると言えそうです。

つまり、ネットを使う人の多くは「Wikipediaが何を知っているか知っている」のです。

さらには、全情報領域の83.8%をカバーしているとなると「何を」でなく、「何でも」になってきます。

The overall completeness of drug information in Wikipedia was 83.8±1.5% (p<0.001). 前述の調査結果より。

知識を独占したい人に取ってはあまり愉快な存在ではないかもしれませんが、学習への貢献はかなり高いものであると言えるでしょう。

ところで、「誰が何を知っているか知っている」に対して「誰かが答えを知っていると思っている」のがこれまでも何回か取り上げている「問題解決症候群」(妹尾)です。

この2つの文章、部分は異なりますが、構文は非常に似ています。
異なるのは、
「誰が」→「誰かが」
「何を」→「答えを」
「知っているか」→「知っていると」
「知っている」→「思っている」
です。

違いは小さく見えますが「問題解決症候群」は学習回避傾向ですから、組織学習とは対極にあります。

そこでWikipediaに置き換えてみると、「Wikipediaが何を知っているか知っている」が「Wikipediaが答えを知っていると思っている」となった瞬間に、学習の要素が大きく阻害されるものと思われます。

このちょっとした違いは、学習の主体者と、他者への依存者(学習の回避)を分岐する重要なポイントです。

Wikipediaに限らず、ネットに出ている情報を鵜呑みにしたり、それを自らの答えとしてしてしまう、そんな場面は仕事の中でもよく見かけます。

そういうときは「本当にそうなの?」とか「他に手はない?」などと聞き返しますが、学習回避の癖がついてしまった人はなかなかその癖をなおす事が出来ないようです。


似ているけど違う”かも”


2014年10月2日木曜日

仕組み・システム、プロセス、風土・文化を思考スタイルと認知プロセスで考える

切れ味鋭い論客、ぐるなび田中潤さんの最近のブログから興味深い話題を取り上げます。

「仕組み・システム」から入るグローバル化……

とある研究会で話されたグローバル化に取り組む際の3つのテーマと日本企業がグローバル化の取り組みに失敗する理由を、とてもわかりやすく説明、解明されています。

さて、3つのテーマ、(1)仕組み・システム、(2)プロセス、(3)風土・文化を認知プロセスと思考スタイルの二軸で考えてみます。

ここでの認知プロセスは、創発的⇔意図的の一対です。
そして、思考スタイルは、立案型⇔遵守型の一対です。

この二軸で考えると(1)仕組み・システムは、意図的&立案型に位置づきます。「効果、効率を狙って構築」(仕組化)したものが仕組みやシステムです。

一方で、(3)風土・文化は、創発的&遵守型です。「矛盾や曖昧な状況も受け入れる」(適応)ものです。

そして(2)プロセスは、(1)と(3)の中間だと思います。
不確かな場面でも意図がある(貢献)、また、作るばかりでなく、効果、効率をあげるために受け入れる(規律)、という要素が同時に内在されています(統制)。

やはり、グローバル化において大切なことは、仕組みを作ることよりも、仕組みが無くても不測の事態に意図をもって動ける組織を作ることのようです。


散逸構造




2014年10月1日水曜日

既視感と予知夢 これは予知夢なのだろうか? 

あ、このシーンどこかで見たことがある。

既視感(デジャブー)といわれる経験は多くの人が持っているようです。

様々な説明が試みられているようですが、認知バイアスの解説では、「記憶錯誤」、要するに思い違いであるとばっさり切り捨てられてしまいます。

さて、既視感ではないのですが、夢で見たことが現実になる「予知夢」というものがあります。

既視感が覚醒時であるのと異なり、夢は寝ている間に見ているものですからあまりはっきりと覚えていないことも多いものですが、印象に残る夢は結構、目覚めても覚えているものです。

特に、なんであの人が夢に出てくるんだろう?と不思議に思える人の出現などは、目覚めたあとも思い巡らせるためか記憶に残ります。

そんな折り、本当に夢の中のあの人と偶然会ってしまいました。
すると「夢で見たのはこのことをきっと予知していたんだ」と理由付けしたなります。

既視感と違って、予知夢には記憶がありますから、「記憶錯誤」ではありません。「虚偽記憶」である可能性もあるのですが、「夢で会った」ということと「実際に会った」ということを結びつけて考えたがることに予知夢の実態があるのでしょう。


夢の中へ