2014年9月30日火曜日

「予測」と「未来」の違いを考える

これから環境や社会、地域あるいは自分が勤める会社や子供がどうなっていくのか、それはとても関心を集めることです。

今時点よりも将来に向けて物事を語る際に「予測」という観点と「未来」という視座があります。

「予測」というのはひとつの見方としてこれから起きうることを限定する思考です。リンゴの実が木から落ちるとき、1秒後、2秒後、3秒後の状態を見通すことは「予測」です。

物理法則のように堅牢な計算式が無くても、私たちは周囲の環境と情報のやり取りをしながら次に備えています。

私たちの脳は何かを意識するよりも先に行動の準備を初めているそうですが、そこには何らかの形で「予測」が関わっていそうです。もう一歩踏み込んで考えると滑らかに行動するためには「予測」が必要であるということになります。

一方の「未来」には、予測不能で複雑、不確実な状況が前提となっていて、自分の中ではフィールド(領域)のようなイメージです。

なぜ、フィールドかというと、無限の可能性のなかでその人がイメージできる範囲が有限だからです。

それは「明るい未来」「未来に影を落とす」など、未来に関わる表現からも範囲性が感じられます。

行動を導く「予測」と先に広がる「未来」。

この2つを混同してしまうと悪いことしか起こらないような気がしたり、何とでもなるように感じてしまったり、何も出来ないように思ってしまったりするのではないでしょうか。


変わらない、変わる、わからない

2014年9月29日月曜日

嗚呼、キャンペーン!

巷には様々なキャンペーンがあります。特に、商品のキャンペーンでは安く買えたり、試供品を貰えたりすると何だか得をした気分になります。

安く買えるならまだしも、試供品とは言え使うか使わないかわからない物を貰うのもあまり気が進まないので、基本的には配っているものは受け取りません。

とはいってもそんなに頑なものではなく、渡し手が上手いと受け取っていたりします。

さて、今日、外出の折、大きな商業ビルでキャンペーンを行っていました。場所の大きさの割に落ち着いた感じのキャンペーンでしたので、何の商品かな?と近づいてみたところどうやらシャンプーのようです。

パッケージは、どこかで見たような朱赤の光沢。どう見ても女性ターゲットです。

最近のキャンペーンでは、キャンペーンギャルが試供品を渡す相手を良く見ていますから頭の毛が薄くなったおじさんに渡すこともないだろうと、まったく無関心でいたところ、突然、試供品の袋が目の前に差し出されるではないですか。

『え?これ、この赤いのくれるの?貰うの?』などと心の中で自問する余裕も無く渡されながら戸惑っていると、

「シャンプーの新製品キャンペーンをやっています。どうぞお使いになってください」と声が掛かりました。

『うーん、シャンプーといったって家ではマルセイユ石鹸で丸洗いだし・・・』とまた心の中でつぶやいていると追い打ちを掛けるトークで

「育毛に良い成分が入っているんですよ!」と。

あー、なるほど。ちゃんとキャンペーンの対象だったようです。っていうか、それって、育毛したほうが良いですよとも聞こえる。まじですか・・・と苦笑するしかありませんでした。

若くて健康的なキャンペーンギャルは屈託の無い笑顔で
「あちらでシャンプーの体験を行っています。是非、どうぞ!」とさらに畳み掛けて来ます。お笑いコントではありませんが、引きつった笑顔のままその場を去るのでした。

渡された試供品を持ち帰って見てみると、炭酸ガスの入ったスカルプケア商品でした。さっそく、試用したところとても気持ちよく今日の疲れが取れました。無添加なところもグッドです。取りあえず使い切ってみますが、おじさんの行動を科学してのキャンペーンだったらお見事です。(そんなわけないか・・・)


おじさん用?





2014年9月28日日曜日

あの会社で活躍した人がうちの会社で役に立たなかったのは何故?

会社という組織で仕事をしていると、様々な人材と出会うこととなります。そのなかでも特に、他の会社で仕事をした経験者の入社は印象に残るものです。

中には輝かしい経歴を持った人が居ます。

たとえば、全国的に事業を展開している会社でトップ営業だった人であったり、大企業で事業統括をしていた人などです。

しかしながら、経験者が新しい会社にフィットすることなかなか難しいことです。

卓越したパフォーマンスが知識や知恵やスキルから生まれているなら、新しい環境でもパフォーマンスを発揮できるはずです。

この事実は、パフォーマンスが思考から生まれているものではない可能性を暗示しています。

そして、企業という閉ざされた特異な環境とパフォーマンスは一体化したものと捉えることが正しい理解なのかもしれません。


着ぐるみと一体化

2014年9月27日土曜日

”手作り”に価値があるのはなぜだ?

様々な商品が”手作り”と表示されることで、何となく付加価値がついたり、場合によっては価格が高くなったりします。

百貨店で催される「手仕事展」も盛況のようですし、身近な食べ物では「手打ちそば」など”手作り”が好まれています。

思いつくまま付加価値がつく理由を考えてみると

1.不揃いならではの個性
2.生産能力の低さによる希少性
3.手の温もりを感じるクオリア
4.機械には出来ない丁寧さや表現の豊かさなど愛情の投下
5.ミラーニューロンが刺激されて感じる大変さ
6.より高価な消費を行ったことに対する理由づけもしくは満足感

などが上げられます。

もう少し抽象化してみると付加価値には
「選べる」、「独占できる」、「伝わる」、「共感する」、「納得する」といった要素が含まれているようです。

一方、手作業なのに付加価値が感じられないものの代表が「修理」です。「修理」は基本的に多くが手作業です。300円の部品を交換するのに技術料が6000円なんていうこともざらにありますが、とても高く感じてしまいます。

もちろん、値段にかえられない付加価値の高い修理もたくさんありますが、6300円の手作りのの陶器があったとして、300円が土など材料費、6000円が手間代などと考える人はあまり居ないのではないでしょうか。

”手作り”は商品作りにおける大切な視点を持っているようです。


2014年9月26日金曜日

パースとパース

写真を撮っていると立方体が傾いて見えます。これは遠近法と呼ばれる視覚効果のひとつでパースと呼ばれます。パースペクティブ(perspective)の省略形ですが、パースペクティブには「見方」という意味もあって要は人の話です。

日常生活の中でありきたりのことですが、絵画や写真のようにフレームで切り取ったり、平面に投影すると、急にパースが主張を始めます。

それは、何となく傾いていて気持ち悪かったり、とてもダイナミックな印象を受けたりする効果を持っています。

パースにはもうひとつ、parseという英単語があります。

このパースは、文法や構文の説明、分析といった意味です。プログラミングでデータを構造化する際に使われます。

パースペクティブのパースは、フレームによってその存在が浮かび上がってくるのに対して、もう一つのパースも、フレーム化することでデータが活かされる存在になるものです。

フレームによって、情報は意味を持ちます。写真のフレーム、データ処理のフレーム、そして思考のフレーム、組織のフレームなどなど。

英語で考えれば、この思索はまったくのナンセンスなのですが、飛躍して結びつけてみることも悪くはないようです。


見える、見える

2014年9月25日木曜日

演じることと素であることの違い

仕事の関係で、授業風景を撮影したDVD教材を見ています。教材ですから、登場する人は、それぞれ役割を与えられて演技をしています。

DVDを見ながら、「実際はこんな感じじゃないよなー」「わざとらしい」などとちょっとネガな印象も持つのですが、一方で、何を伝えたいのか明確で分かりやすいのも事実です。

「だって教材じゃん」で終わってしまうともったいないので、「演じること」と「素であること」の違いを考えてみます。

「素であること」の特徴は、なんといっても「実態」であることです。ですから、その人の癖や個性といった人柄が伝わります。

問題は、伝わったあとに生じる相性です。「演じ」ていても相性は多かれ少なかれあるのですが、「素で」合わない場合、関係性を維持発展させることは困難です。

「演じて」いるうえでの相性であれば、「本当はいいやつなんだよね」と気持ちの持っていきようもあるのですが、「素」だとそれができません。

それを考えると、「素」の相性が合わないとしても、「演じて」いてくれたほうが良い関係を作れる可能性があります。

で、冒頭のDVDに話が戻るのですが、教材の出演者の「演じる」ことの目的は、「わかりやすく何かを伝えること」でした。つまり相手が居て相手が主語であることが前提です。

一方、「素であること」とは「自分でいること」です。そこに相手の存在は必須ではありません。

要するに、「演じることと素であることの違い」とは、他者中心と自己中心の違いであると言えるのでしょう。

もちろん、どんなに「演じて」いても人柄は滲み出しますから違いを二元論的に捉えるべきことではありません。


私たちは舞台や映像を通して「演じること」の無限の可能性に触れています。それは人に取って他者との関係性が無限に開けたものであることを示しているのかもしれません。


ゴジラでしょ?

2014年9月24日水曜日

チャイナシンドロームが古くない・・・

WOWOWの契約をしてから、気になる映画を録画して見ています。おかげで民放の番組はまったく見なくなってしまったのですが、最近の映画だけでなく、昔の映画もあります。

そんな昔の映画の中で、まったく古さを感じないのが「チャイナシンドローム」です。

大事故になりかけた原子力発電所を見切り発車して大事故へ・・・、まとめてしまうとそんな話なのですが、映画の中の話とは思えないほどリアリティを感じます。

もう少し詳しく説明すると原子炉の溶接部に手抜き工事があるという、人為的な原因が事故の引き金として描かれています。一方、記憶に新しい、東日本大震災後の福島第一原発の事故は、天災が事故の引き金でした。

私が気になるのは、何が引き金かということでなく、事故が起きて、そしてまた事故の可能性が生まれる構造です。

この構造の重要ポイントは全て人の判断に依存しているので、「正常性バイアス」やら「確率の無視」やら「仮説適合バイアス」やら様々な認知バイアスがその判断に関わっていることは間違いないと思います。

一方で、この構造は、イノベーションの種でもあります。一度の失敗であきらめてはいけない、松下幸之助は『失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる』と述べたそうです。この言葉に説得力があるのも事実です。

但し、人命や後の世代の安全や健康に関わる失敗に対しては、認知バイアスの乗り越えて正しい判断がしたいものです。


古くない


2014年9月23日火曜日

清水ミチコの”発見”を「発見」してみる

清水ミチコ お楽しみ会2013 というライブ映像をTVで放送していました。清水ミチコさんは非常に多くのレパートリーで他人のモノマネをするだけでなく、モノマネの仕方に様々なバリエーションがあって、曲を作っている様子や楽曲の特徴などもあります。

これはモノマネをする人にとって共通の特徴かもしれませんが、分析力と再現力に優れていることは間違いないでしょう。

映像を見ていて印象に残ったのが清水さんが何回も口にする「発見」という言葉と、大竹しのぶさんとの対談のなかで発した「みつけた」という鋭く短い一言です。

そしてその「みつけた」という言葉には、「その人の特徴(クセ)」「真似るポイント」「笑いのツボ」を「みつけた」という意味が込められているように思いました。

何故なら、清水さんはみつけたことへの驚きはなく、猛獣が獲物を視野に捉えたときのようにとても冷静で用心深い印象を受けたからです。

そのように考えると、清水さんの「分析力」はその場その時に発揮されているのではなく、常日頃、分析を行っているそのなかで「肝心な何かをみつけた」ものであることがわかります。

平静時でも脳は一定の活動をしていてそれを「デフォルドモードネットワーク」と言うそうです。脳の様々な部位が同期するこの活動はまだ十分に解明されていないようですが、想像力を働かせると、”発見”のメカニズムにこのデフォルトモードネットワークが関わっているように思えます。

いずれにしても、”発見”は、たまたま見つける、非日常的なことでなく、発見を続ける日常のなかにあるということを清水ミチコさんの”発見”から「発見」しました。


みーつけたっ!

2014年9月22日月曜日

”常に考える”ということ・・・”考え無し”へのあと一歩

先般、創業者の山田明男さんが他界された未来工業では社員に対して”常に考える!”を求めています。

その求めは徹底していて、長時間労働や報連相といった日本企業の風物詩的な慣習を全て否定しています。未来工業は、これからの働き方を示している企業の一つであり、ずっと注目していますが、山田さんのDNAがこれからどのように発展していくのかとても楽しみです。

ところで、国語教育研究家の大村はまさん(1906-2005)は
”子どもに考えさせるということをした人が、いちばん教師としてすぐれている。”と仰っています。"考えるということを本気でさせた人"が一番えらい ということなのでが山田さんはまさにそれを体現され、そしてそれによって、すばらしい業績と組織が出来たのだと思います。

また、大村はまさんは”聞く力というのは智慧のはじまり”と述べていますが、山田さんが大切にされたのも”現場の声”です。

”聞くこと”は”考えること”の入り口なのです。

さて、”聞いた”あとの”考える”は多様ですが、簡単に整理すると「深める」「広める」「変える」の三種類になるでしょう。未来工業の”常に考える!”は、「よそと同じ物は作らん」ですから、「考える=変える」ことが強く意識されていることがわかります。

この「変える」、は”創造性”なのですが、脳科学の知見から考えると、”変えたい”という内発的モチベーションではなく、”変えなければ生き残れない”という危険察知に創造性の源があるのでしょう。

そして、もうひとつのキーワードは、”常に” です。

たくさんのアイデアを出す方法ブレインストーミングと類似したブレインライティングという手法があります。アイデアを紙に書き出していくのですが、アイデアが枯渇してきた後に絞り出したアイデア、つまりリストの最後のほうに良いものが多くあります。

そこにも脳の活動の不思議が潜んでいそうです。

それを個人的に解釈すると、”常に”とは考えて考えて、もう、これ以上は考えられなくなる一歩手前の状態を指しているのではないでしょうか。

ちょっとストイックな気もしますが、未来工業に残業がなかったり、上場企業として日本一休みが多いのには社員へのやさしさだけでなく、実はそうしなければ社員が持たないからだとしたらどうでしょうか。

つまりそのくらい考えているのではないかということを想像してみました。そこに悲壮感はありませんが要求水準は高いと思うのです。


厳しい生存競争を切実に感じ取り日頃から考えが無くなるまで”考え”抜くと勝ち抜ける。

それを合理的に行うのがこれからの企業であり、働き方になるのだと思います。


密談ちう


2014年9月21日日曜日

再開発によって賑わう街、廃れる街

東京の日本橋、京橋界隈では再開発が盛んに行われています。これまでの大きなビルの建築と異なるのはワンプロックの様々なビルを取り壊しての再開発であるところです。

2011・3・11震災後のビル強度に対する問題、景気、そして2020年東京オリンピックなどいくつかの大きな要因が重なっているようですが、見たことが無いスピードで見慣れたビルがどんどん消えて空が広がっていく様子には本当に驚かされます。

それともう一つ驚かされるのが、再開発後の周辺の活況振りです。

大型小売店を軸とした開発ではなく、魅力的なキラーコンテンツを揃えたショップ規模の専門店を編集しているので、店舗が独立した印象が強いのですが、デザイン通りに人が集まっているのではないでしょうか。

これまで、日本橋三越周辺は、休日や夜の人出が少なく、オフィス街の色彩が強かったのに、今や、銀座のように賑わっています。

おかげで、従来からあった店舗の休日ランチの値段が急に上がってしまうなど残念なこともあるのですが、街が活況だと楽しく感じられます。

しかし、ふと気になるのは街の賑わいの一方で、人出が減っている街があるだろうということです。どの街の人出が減っているのか聞いたことはありませんが、同じような繁華街であったり、地域の商店街であったり某かの場所に影響は出ているのでしょう。

働き方、地元、生活圏など、これからも時間とともに複雑にそして急速に変化していく環境のなかで大局観を失わないためには日々、感受性を鍛える必要がありそうです。


街が変わる

2014年9月20日土曜日

共通点が関係を繋ぐ

内集団バイアスと呼ばれる認知バイアスがあります。仲間意識というやつです。例えば、生年月日が一緒、出身地が一緒、学校が一緒、友人が一緒など、仲間意識が生まれるとその仲間を優遇する傾向が生まれるものです。

この認知バイアスには、社会的な関係性を良くするもしくは広げることに役立っています。

研修でチームビルディングに際して、メンバーの共通点からチームの名前を付けてもらう小技があるのですが、シンプルながらけっこう効果的です。

これは内集団バイアスを使ってチームの結束を高める手法です。

一方、倫理観に基づいた間違い探しは仲間外れを探す行為です。

手法の行使や行為には「何のため」という目的があるはずです。

恐らく内集団バイアスには関係性を良くしようとする目的が潜在的にあって創発される認知プロセスなのでしょう。


仲良く、ね

2014年9月19日金曜日

持ち家が創造性を奪う

日本では持ち家指向が高く総務省の統計では持ち家率は81.4%(平成24年)だそうです。

世界的に見るとアメリカは65%、ドイツは42%だそうです。ただ、この統計比較において、日本は60%だそうですので、国際比較は案外難しいのかもしれません。

しかし、ドイツのが低いことは確かなようです。来年にはついに新規国債の発行がゼロになるというとんでもなく羨ましい状況の背景にこの持ち家率の低さがあるのではないか、というのが今日のテーマです。

創造性を育む家庭環境としてMacKinnon(1962)は以下の要因を取り上げています。

1.両親の子供に対する絶大な尊重・信頼
2.両親の子供に対する自立期待
3.両親と子供の適度な距離感(愛情べったりでもなく、無関心でもない関係)
4.規律や戒律(善悪の判断基準や倫理観の養成)
5.引越し(創造性の高い家庭は、引越しが頻繁で、それが経験・視野の幅を広げる)
6.遺伝的特性(早期の芸術に対する関心や両親の芸術的能力の高さ)

特に、注目したいのは「5.引越し」です。
持ち家率が高まれば、当然、引越しは減ります。そうして、創造性が奪われるのです。

さらに、日本の特有の長時間労働がもたらす影響もありそうです。

さて、日本の企業がイノベーションに取り組むなら、創造性を育むためには、持ち家の補助制度ではなく、バンバン引越を伴う異動を行ったほうがよいのかもしれません。商社や金融など環境変化に強い企業の理由のひとつとも思えて来ました。


安住しないこと

2014年9月18日木曜日

これからの働き方を考える

これからの働き方について、見えている範囲でピックアップします。

■時間は価値ではない
 これまで、仕事において重要な指標となっていた労働時間や勤続年数といった「時間」による組織への貢献尺度が根本的に崩壊していくのは間違いないでしょう。これまでもスキルの低い人がダラダラ仕事をする方が労働時間が長くなる問題や、年功に守られた中高年や滞留人材のぶら下がり問題などがありましたが刻々と変化する環境へ企業の素早い適応が求められる中で時間による既得権が剥がれ落ちていく様であるように思います。

■被雇用者から利害関係者(ステークスホルダー)、共犯関係へ
 労働の尺度が時間でなくなると、どのような価値を提供するのかが直接問われるようになります。その際、価値を提供する側とされる側、貢献する側とされる側の関係性は主客一体となった場作りの当事者と捉えるべきでしょう。法政大学長岡教授は学生のインターンシップでこのような関係性を提言されています。

■グローバル化でルールが変わる
 キャメル山本さんが”こんなはずじゃなかったグローバル化(軒を貸して母屋を取られる日本企業)”と仰っていますが、変わるの日本のルールです。

■失われる単純作業
 株式会社BOLBOPのCEO酒井穣さんは三年以上前から警告されていますが、ビジネス・プロセス・アウトソーシング(BPO)の伸展により国内の仕事はどんどん海外に流出していきます。とくに単純作業に関しては、すでに終盤かもしれません。

■価値を生み出す、自ら貢献する人が有利
 米国でDELLとINTELがサポートしている研究で、専門家がこのように予測していますが、予測するまでもなく、環境変化に対峙している会社でこのようになっていない会社は生き残っていません。大企業は別です。

■場所にとらわれない
 株式会社ソフィアでは全社でリモートワークを展開中です。ネットワーク、クラウド、スマートの発展により、もはやリモートワークはデスクワークよりも有利です。

■企業のイノベーションを世界中のタレントが担う
 innocentive.comを見ると、NASAやP&Gがドメインの課題解決において社内リソースに拘っていないことがわかります。組織に属する者は、組織を良くするのは自分達のはずだ(既得権)という先入観を拭わなければなりません。

■公私が無くなる
 プロボノや慶應SDMの活動から見えてくるのは、志、能力、知識を備えた人の活動にワークライフバランスや公私といった小さな目的はありません。そこにあるのは大きな目的です。一時話題にのぼったノマドワークはそこが本質的に違います。

■女性の活躍と男性の子育て
 安倍政権の女性活躍推進ですが、女性活躍の本質は、”時間”の概念と同じく、働くことの意味の転換です。男性の育児も女性の手助けではないことに気づかなければなりません。

以上、「大局、変化、転換」が働き方を変えるキーワードのようです。


3つのキーワード


2014年9月17日水曜日

創造性にどっぷり嵌る


職場かこれからどのように進化するのか、について専門家の考察による研究がアメリカであります。”The Evolving Workplace: Expert Insights”

デルとインテルが旗ふりをしている研究のようですが、結論としては、職場環境の変化は急で、それに適応出来るか否かで大きく道が分かれるという考察です。

職場環境の変化は、イノベーションを起こす者にとって有利で、これまでのような時間で収入を得ている労働者にとって不利に働く、しかしこれは目新しい予測ではありません。

すでに日本でも時間外ゼロの議論がはじまっていますし、シンプルに企業の、そしてそこで働く人の生み出す価値という観点で考えれば、「時間」の持っている意味はとても曖昧です。

つまり、その製品やサービスに何時間掛けたのかではなく、その製品やサービスがどんな「こと」に役立つのかに対して利用者がお金を払うものの割合がどんどん増えているのです。

と、回りくどい話になっていますが、要は、イノベーションに至る創造性を如何に手に入れるかがこれからの企業の、そして個人の主たるテーマになるのです。

キーワードはいくつかあって、「学習ではなく学びへ」「考えるより作る」「教師からラボのメンターへ」など、これまで知性や知恵をベースとした認知からの転換を意味しています。

法政大学の長岡ゼミでは、カフェゼミなど、オープンな活動が行われていますが、そこではまさに現在進行形でこのような転換が進んでいる様子を見ることができます。

昔から創造性に関する研究は多く有りましたが、今、求められていることは、イノベーションのコストが下がった、要するにだれでもいつでもイノベーションがおこせる環境における創造性の発揮という、かつてない状況での創造性発揮の理解であるようです。


一目惚れ



2014年9月16日火曜日

グノシーを止めて考えること

最近はテレビでも宣伝している「グノシー」。スマホ時代の申し子として急成長しているようです。

SNSを利用していると、そのタイムラインを分析して、読者が興味を持ちそうなニュースを配信する。このコンセプトはSNSの資源を上手に使ったモデルです。

サービス開始当初、間違いなくSNSとスマホの組み合わせが開く新しい世界を見せてくれるアプリのひとつとして、すぐにメルマガの登録をし送られてくるニュースを楽しく見ていたのですがこの度、止めました。

グノシーは以前にも増してとても多様なニュースを配信していますし、アプリの出来も良いのですが、SNSのニュース性が変わり、読みたい記事から読ませたい記事が多くなったと感じたからです。(要は、グノシーのせいではありません)

つまり、SNSの特性を逆手にとった情報発信が増えたと思うのです。

たとえば、「ここから先は会員登録云々・・・」という記事ですが、個人的にはソーシャルネットワークの領域外にあります。友人知人の興味がそこにあることを知ることはソーシャルと感じられることなのですが、なんとなく送られてくるクローズ情報は侵略的に感じられます。(かなり大袈裟ですが)

やがて段々と届くメールを読まなくなりはじめると、毎日届くメールを止めたくなる。これは止むを得ないことでしょう。


ソーシャルとプロモーション、プライベートとパブリック。

何をもってそう感じるのか、日頃からよく注意していたいと思います。


下克上

2014年9月15日月曜日

私有という狭い縄張りがもたらす困難

今、開発に取り組んでいるシステムがあります。

ハードウエアはクラウド、ソフトウエアはオープンソース、しかも複数のソフトを組み合わせたイノベーティブなシステムです。

このシステムのコンセプトはまさに、デザインと創発です。

システムとして動くものを作るためにはデザインが必要です。残念ながら自分の力では足りない部分が多々、あるので様々な人の力を借りています。

ソフトウエアの関しても同様です。

しかしながら、このシステムが実現可能なことは無限です。無限である故に困難さは計り知れないのですが、その困難さの真因は、システムでもハードでもなく、実は人間にあります。

人には、複数の領域から新たな領域を拓くイノベーティブなタレントも居れば、一つの領域の狭い範囲に棲む人も居ます。そして、それらの人は、夢見る世界と現実に大きなギャップがあって、壁を乗り越えることが困難です。

まさに、その困難さが無限に挑む障壁になっているのです。

世界は無限ですが、有限にしたがるのは生き物の本質の一つなのかもしれません。ちょうど、飼い犬が散歩のときに一生懸命マーキングするのと一緒です。縄張りであったり、所有する世界を限定することで、解決のつかない不良設定問題を答えのある良設定問題に変える術なのでしょう。

しかしながら、大局的に捉えればそれば盤面のごく一部、局地戦でしかありません。

自分の世界を持ちたい、自分ならではの能力を発揮したい。

こうした、狭い縄張り意識がその人の限界です。


場を確かめる

2014年9月14日日曜日

紅型×デザイン 芹沢銈介に見るイノベーションの起こし方

型絵染の人間国宝、芹沢銈介の展示を観ました。事前に、NHKの放送を見ていたこともあり、感性と理性で味わうことができました。

作品をTVの画面で見るのと、実際に見るのには大きな違いがあります。特に、絵画や、生地など平面的なものではその違いを強く感じます。これは、液晶も平面であるため、液晶画面の質感が出てしますためではないでしょうか。一言でいうと、「カタログ」のように感じられます。

では、実際に観て何を感じたのかと言うと、「革新性」です。

細部に神が宿る緻密さと見事に全体を構成するデザイン力、そして、南国の華やかさが息づく紅型と文字の表象を取り込んだ表現の文化性は、これまで観たことの無い世界観と、それでいて圧倒的な存在感です。

さらに考えてみると、デザイン力と異文化と感受性の交差したことで作品が生まれたと考えることが出来ます。もともと高いデザインの力を持っていた芹沢が、沖縄の紅型との出会い、そして紅型に衝撃を受け絵染めを深めていく感受性、いずれが一つ欠けていても、作品はまったく違ったものになっていたことでしょう。(ひょっとしたら生まれていないかもしれません)


イノベーションは、ひとつのことを突き詰めて生まれるように見えても、じつは、複数の領域を究める交差点で創発することを改めて感じさせてくれる展示会でした。


リサ・ラーソンは女性に人気がありますね



2014年9月13日土曜日

リピートフルな世界

”人の行動の8割以上が習慣である”

有料放送WOWOWにはコマーシャルがありません。ですから、放送されるコンテンツの質が一般の放送に比べて良くわかります。

一日の放送全体を通して考えると、一般の放送が本屋の雑誌コーナーであるのに対して、WOWOWは写真集や小説のコーナーのような違いがあります。

この例えには2つの意味があります。

ひとつは、そのコンテンツの質の違いです。細かく宣伝が差し込まれ雑然とした世界と、コンテンツの力をストレートに感じることができる世界の違いです。

もうひとつの違いは更新される頻度です。雑誌コーナーの変化は目紛しく、内容がどんどん変わっていくのに対して、写真集や小説コーナーは大きく変わることは稀です。

これはWOWOWを見るようになってわかったことですが、同じコンテンツを何回も繰り返して放送しています。

実は、雑誌も一般のテレビ放送も主役であるCMは”繰り返し”ですから、一見、入れ替わっているように感じるだけで本当は繰り返しとです。複数の雑誌や番組で同じCMが流れていますから”繰り返し”は思っている以上に酷いかもしれません。(深夜に放送しているTV通販がその最たるものです)

さて、放送は”時間的”ですから、それをどう満たすのかがテレビ局の大きなテーマとなります。美術館が”空間的”であって、キュレーターが空間を演出するように時間を演出するのが放送であると言えるでしょう。

不可逆で有限な「時間」。
その資源を埋めて行く、リピートフルな世界。

私たちは2割弱の可能性で、私たちの世界を刷新するしかありません。


CMなし、だけど・・・

2014年9月12日金曜日

感受性は小さなひらめきか?

脳に中で、不確実性への適応とひらめきは同じ回路であるという調査結果がありますが、「こと」から意味を感じ取る特質である「感受性」も実はひらめきの一種ではないのか、というのが今日のひらめきです。

ひらめきは良く、直感と比べられて、直感は説明できるがひらめきは説明出来ないと言われます。

そうであれば、ひらめきは思考ではなく、知覚であり、アフォードした結果であるとも考えられます。

ただ、普通の知覚、アフォードとちょっと異なるのは、必ずしも即時性があるわけではないことです。「こと」に接した後、内面で知覚が熟成、もしくは混ざり合ってポロっと出てくる、そんな感じでしょうか。

では、なぜ、「感受性」がひらめきと関わっていると感じたのでしょうか。

もちろん、ひらめいたことなので上手く説明が出来ません。

しかし、感じ取ることとひらめく感じって無縁じゃないと思えるのです。

あえて、説明を試みると、写真を撮っていると、「あ、これだ」と思う瞬間があります。その瞬間は、感じているのですが、同時に頭の上で電球がぱっと点くとも言えます。

なので、感受性の実態は小さく日常的なひらめきのことかもしれないです。


感じる、ひらめく


2014年9月11日木曜日

「えー、そんなことやるんだ」から「あー、またやるんだ」の変節点

どんなに斬新なものでも繰り返すと飽きが来ます。

私のような飽きっぽい人間にとってみると、新鮮さを失うのはとても早いものです。

「飽きる」という状態を考えてみると2つの要素があって、ひとつは「新奇性」、そしてもうひとつが「気分性」です。

「新奇性」は頻度に関わるものです。人によって頻度の多少はありますが、基本的には、基準があって、「これだけ繰り返すとみんな飽きるよね」と共感できる変節ポイントがあります。「ブームが去る」瞬間です。

一方、「気分性」は頻度ではなく、性格によるものです。ですから、飽きずにやっているかと思うと突然、関心を失ったり、面倒くさがったりするなど一貫性がありません。ですから、共通の基準ではなく観察によって変節ポイントが見えてきます。「あの人そろそろ飽きてきたな」とわかる瞬間があるのです。

ところで「飽きる」ということは「アンラーニング(学習棄却)」とは違うのでしょうか?

定義で考えれば「アンラーニング」は、批判的思考であり、「ラーニング」とセットにある継続的成長の一環ですから、「飽きる」ことを「アンラーニング」と言ったら間違いなく叱られそうです。

しかし、新たな可能性探索の一環と捉えれば意外と両者にも共通点があるのかもしれません。
一方、決定的な違いは、「飽きる」のが知覚面での変節点であるのに対して、「アンラーニング」は意識面の変節点です。変節点に関しては、「卒業」など、ライフステージにおける変節点などもあります。

知覚と意識で比較すれば、知覚のほうがより本能的ですから、「アンラーニング」は「飽きる」能力を転用して行っているのかもしれません。

新たな興味を喚起する能力がどのようなメカニズムで生じているのか、それは、とても興味深いテーマです。


ビルの上の雲

2014年9月10日水曜日

危険察知の四象限

このところ危険察知能力について考えることが多いです。
その背景は、ひとつは意識と知覚を分離する必要があるのではないかとずっと考えていることです。心理学における”認知”がそれらを一体化した概念だと自分は理解しているのですが、人の主要な行動は意識よりも知覚、すなわち場(環境)と一体化(カップリング)して創発していると考えた方が様々な人の行動の説明がつくと考えています。

例えば、繰り返されるミス、マーケティングの失敗、研修の効果など、意識面で人の行動を理解しても解決がつかない問題が多々あります。それも極めて日常的な問題です。

さて、危険察知能力に関心があるもうひとつの背景は、脳科学者茂木健一郎さんの以下の話です。

”不確実性(危険察知)への適応とひらめきの脳回路は同じ場所をつかっている
The same system is used to recruit cognitive control in a stroop  task.
不確実であることが創造性の起源になっている” 

危険察知とひらめきが脳の中では同じ機能である、これはとても興味深い知見です。

この知見と知覚による理解を統合すると、人が場と一体化して知覚するなかで、自らを変えたり、場を変える根底に、脳が持っている不確実性(危険察知)への適応というキーワードが潜んでいる可能性が浮かんできました。

そして、人、場、危険察知を組み合わせて以下のマトリクスを作ってみました。
すると面白いことに各象限において具体的な人の顔が浮かんできます。

多くのイノベーターが「禅」に興味を持つことにも一致しますし、大企業では社員の人が皆、危機感を持って勤勉に働くけれどもイノベーションが生まれ難い状況なども説明できます。「会社は何を考えているんだ」「このままじゃダメだ(わたしはやらない)」と言い放っていたあの人は「批評者」の象限にきれいに収まります。採用面接で間違いなくNGなのは「漂流者」です。

次なる興味は、人や場への危険察知がどう変化するのか、です。

11月に「リフレクション学」に参加してリクレクション(内省)のすべてを学んできますが、個人的には危険察知(ひらめき)とリフレクションの関係性を紐解くのが今から楽しみです。


四象限の表

2014年9月9日火曜日

伝えられない人がなぜ伝わらないのかを気づくことは難しい

コミュニケーションで繰り返しエラーを起こす人の共通点は、表象的、つまり意識面で確認できるだと「自己限定性+自己中心性」です。

「自分はこう思った」、「忙しかった」、「時間が足りない」、「がんばった」、「情報が少ない」、「力不足」。

これらは、エラーを繰り返す人が原因を正当化する表現です。

そして、欠けているのが、エラーを解決しようとする思考です。

問題の本質を捉えて解決に取り組めば、どのような課題でも改善できるものですが、解決しようとする思考が欠けている場合は改善は困難です。

では何故、解決しようとする思考が足りないのでしょうか。

コミュニケーションにおけるエラーがなかなか改善されない(繰り返す)人を観察していると、コミュニケーションを通じてどんな目的のためにどのような関係性構築したいのか不明瞭な場合が多いようです。

つまり、問題の定義の仕方が悪いのです。

例えば、「納期が間に合わない」、「アウトプットが違っている」など表面的に問題を捉えてしまうと、そもそも実現したいことが何なのか、そのためにはコミュニケーションの何が間違っていて、何を直せば良いのかというに気づけません。

コミュニケーションを通じて伝えなくてはいけないのは「そもそも実現したいこと」なので、そこに気づくべきなのですが、多くの場合、コミュニケーションの問題と考えられてしまいます。

気づいて欲しいというその要求は水準が高いのかもしれません。


気づいたよ

2014年9月8日月曜日

茹で蛙のサイン!? なぜタイミングを外すのか

スポーツに限らず、ビジネスの場面ではタイミングが大切です。パフォーマンスを発揮する人は間違いなく、最適なタイミングを捉えていますが、パフォーマンスを発揮出来ない人は”好機を逸する”、すなわちタイミングを外しています。

そこで、「なぜタイミングを外すのか」について考えてみたいと思います。

まず、認知面(意識)で理解すると、タイミングを外す原因は
1.見落とす
2.後回し
3.決められない
と、注意力、謙虚さ、勤勉さ、ビジョン・価値観、執念・こだわり、意欲等の欠如に起因していると考えられます。つまり、個人の特質と態度に依るものです。

この立場を取ると、タイミングを掴めるか否かは多少の能力的側面はあるにせよ多くは本人の考え方次第です。

一方、認知外での理解では
1.知覚できない
2.アフォードしない
3.引き込まれない
と、状況や環境との関係においてタイミングを生じるトリガーが無いことになります。そのトリガーとは「不確実な状況」のことです。

この立場のポイントは、「不確実な状況」の知覚です。混乱、混沌、未経験は「不確実な状況」の知覚を妨げ、「学習」が知覚を促しますから、タイミングを掴めるか否かは「学習能力」の高低次第です。

但し、この場合の「学習能力」は環境との相互性(環境から受け取る、環境に働きかける能力)であって、記憶や計算をする力ではありません。

なぜタイミングを外すのか、この問題はどう捉えるかによって解決方法が大きく異なるようです。


ところで「不確実な状況の知覚」は組織の維持発展にとってとても重要なポイントだと考えています。大企業病についてのたとえ話「茹で蛙」とは、まさにこの学習能力の欠如を指していると思うからです。
たとえ話としては「当人の考え方が甘い」というニュアンスがありますが、マネジメント視点では「組織において必要な能力が足りていない状態」というより危機的な課題です。


朝焼け

2014年9月7日日曜日

目のつけどころとそのあとの対処

新しい考え方、方法、コンセプト、領域を拓く人にとって、後を追う二番煎じの存在はやはり気になるようです。

「つながるカレー」の出版記念イベントに参加して、ナガオカケンメイさんと加藤文俊さん、木村夫妻のカレーキャラバン隊(?)のトークを聞いて来ましたが、そのなかで一番、印象に残ったのが「もし、カレーキャラバンの真似をする人が出て来たらどうするの?」というナガオカさんの質問でした。

質問を聞いて最初に思ったのは、その領域のパイオニアであり、一番手である人にとって、真似をする人の出現は、やはり決して心地よいものではないということの再認識です。

確かに、経験を積み、愛着を持ち、時に苦労を重ねて作り上げたものが、人気が出て来たからといって真似されると、ビジネスに関わることであれば気持ちの問題だけでなく損失を被る話です。

一方で、生存にとって優位性の高い戦略が伝播することは自然の摂理です。ですから、真似されるということはそれだけインパクトがあるということなのでしょう。

良い戦略を真似するということは生存戦争を勝ち残って来た生き物にとって最も得意なことですから、真似することを防ぐことは容易ではありません。

事業戦略で考えれば目のつけどころと真似の阻止は常にパッケージで考えなければなりませんが、一方で、社会全体に対する貢献でとらえればよい目のつけどころを共有することのほうが価値的です。

クリエイター、コンセプター、パイオニアにとってそこは葛藤の生まれる場所のようです。


カレーが無料というのは真似を阻止する効果がある?

2014年9月6日土曜日

Quality of Work「決めないことを決めた」と聞いたとき

突然、すっかり忘れていた昔の記憶が蘇ることがあります。

「決めないことを決めた」という一言もそのひとつです。

この言葉、営業場面で顧客が発したものなのですが、すこし事情があって、新規先でしたが初対面ではなく、むしろお互いに良く知り合っている関係がありました。故に、本音として話してくれた言葉です。

これを聞いた時には、「社内事情があってきっと大変なんだろうな・・・」と受け止めた記憶があります。

さて、この言葉を数年経った今更思い出すということは、おそらく自分の中で言葉の意味が引っ掛かっているのだと思います。

仕事のアウトプットについて考えると、期限の内に、現状より質と収益性を高めてアウトプットすることが貢献度の高い仕事であると言えます。

ところが「決めない」ということはこの全てを放棄している、つまり、貢献しないことを意味しています。

常日頃、少なくとも自分にとっては「仕事をすること」の前提を根底から覆す言葉は何らかの気づきを与えてくれるはずです。

「決めること」が全てじゃないとか、そう言う人とは一緒に仕事はできないといった単純な理解ではない気づきが潜んでいるからこそ、今更思い出したのだと思うのです。さて、気づくのはいつでしょうか・・・


芽吹くときまで

2014年9月5日金曜日

今日はがちゃトークの日。お題は「マンネリ」

例年よりも早く秋の訪れを感じる9月となり、第一金曜日はがちゃトークの日です。大好きなアップルパイのある大好きなCafe KATYさんに12名が集まりました。

スピーチの当選は、加藤先生、長岡先生x2、あと私と昭和臭ぷんぷんでしたが、対話の中からもキーワードが沢山出てくる「マンネリ」を深く考える夜となりました。

メモからキーワードを拾うと

「倦怠感」
「セロトニン」
「カレー」「ひよこ豆」「バナナ」
「同じことを繰り返す」「特徴」
「お約束」
「慣れ」
「ぶれない」

そして、「贅沢なマンネリ」と「偉大なマンネリ」です。

キーワードを見ただけでは何だかわからないかもしれませんが、それは2時間の間に対話が広がっていることを示唆しているのかもしれません。

がちゃトークを象徴する1枚の写真を貼付けて今日のブログは店じまいです。




何を見ているのかな

2014年9月4日木曜日

「強み」ってどういうことだろう

あなたの「強み」は何ですか?

朝、壁に張り付くトカゲを見て思うことは、壁を縦横無尽に這える能力はトカゲの強みなのだろうということです。

素人考えですが、壁を這える能力はどんなことに役立つのか考えると

1.鳥に捕食されにくい…これはひょっとしたら違うかもしれない
2.餌に出会う確率が高まる…垂直面を利用することで餌となる虫に近い行動が可能

と、おそらく、餌との接触の可能性を増し、敵との接触の危険性を減らすことに役立っているのではないかと思います。

さて、トカゲの生態は憶測でしかありませんが、はっきりしていることは、今朝見たトカゲの能力は壁が無いと発揮出来ないことです。

当たり前のように思えますが、実は、「強み」というのは常に環境と身体、頭がカップリングした状態で発揮されるものです。

さらに突っ込んで考えれば、トカゲにとって壁とカップリングする能力は「生存」という目的に対して発揮される「強み」であり、「生存」という目的が無ければ「強み」とは言えないでしょう。

同様に「組織で発揮する強み」と言った場合、まずあるのが「組織の目的」のはずです。その「組織の目的」とは、「アリをつかまえる」「スズメから隠れる」といった具体的な行動に展開されていなければなりません。

つまり、「理念共感」→「目標一致」→「戦略理解」→「行動理解」 × 「固有の能力」がプラスの時にはじめて「固有の能力」=「強み」と言えるのでしょう。


朝から良いネタをありがと!!

2014年9月3日水曜日

拡張(ストレッチ)、挑戦(チャレンジ)、冒険(アドベンチャー)、さてどれ?

言葉遊びではないのですが、組織における拡張(ストレッチ)、挑戦(チャレンジ)、冒険(アドベンチャー)の違いを考えてみました。

拡張(ストレッチ)は、「学習」「ポジティブ心理」「目標管理制度」のなかでよく登場する言葉です。「今よりももう一歩踏み出してみよう」という文脈で使われていると思います。

挑戦(チャレンジ)は、「人材」に関して語られる場面でよく登場します。「我が社の社員には挑戦が足りない」「挑戦心のある学生を採用したい」といった表現ですが、何がしか未経験のことに主体的(目標を立て執念をもって)に取り組むという文脈です。

冒険(アドベンチャー)は、ディズニーランドや漫画の中ではよく出てきますが、私はあまり組織にかかわる話の中で聞いたことがありません。植村直己さんやチャールズ・リンドバーグのように冒険家として知られる人の行動は、どこか空想的で現実離れしています。

これらを整理すると、
拡張(ストレッチ)…現実的、隣接領域
挑戦(チャレンジ)…日常的、転換領域
冒険(アドベンチャー)…非日常的、飛躍領域
ということになります。

そして、もうひとつ大切な視点は、これらを実践する本人と、観察する周囲の人の関係性でしょう。

拡張(ストレッチ)があくまでも本人基準であるのに対して、挑戦(チャレンジ)は本人基準と観察者基準が曖昧です。本人が挑戦している意識でも、周囲の人にとって「それは挑戦じゃないよね」というケースがよくあります。「誰にとっての日常なのか」が不明瞭なのです。

冒険(アドベンチャー)は観察者基準が主です。ですから、多くの人が「非日常的で飛躍している」と感じられるものが該当し、認識のズレがあまりおきません。

こう考えると、3つの中で、挑戦(チャレンジ)は認識のズレを一番生み出しやすい言葉です。ですから、聞こえが良さから安易に使わない方がよいのではないでしょうか。

「挑戦する人を求む」と人材を募ったのに、採用した人材が入社後に「これはこうしたほうが・・・」「こんなことやってみましょう」と言った途端に浮いてしまう。そして担当者が「うちは、やっぱり失敗すると評価落ちるんだよね」とか平然と言ってしまう。唖然としますが、まさに「日常感覚」のズレです。さらに当たり前ですが、「日常」は人によって違うので「ある役員の挑戦」を担当者が上手く理解出来ていない場面にも良く出会います。

こんな繰り返しは断ち切りたいものです。


この花の咲き方は、3つのうちのどれ?

2014年9月2日火曜日

適材適所のスコープ

今の仕事では、銀行員や製造卸をやっていたころには使わなかった言葉がいくつもあります。

特に、コンサルティング会社やコンサルタントの人と仕事をすると新しい言葉が増えて行きます。

その中に「スコープ」という言葉があります。

そもそもプログラミングの領域で使われる「参照する範囲」という意味から来ているようですが、コンサルティングやソリューションでは「対象とする領域の範囲」といった意味で使われるようです。

この「便利」な言葉をつかって「適材適所」を考えると、地域、業種、職種、業務、職質などなど適所にも様々なスコープがあることがわかります。

一方、それによって、適材の考え方も変わって来ます。

例えば、職種のスコープで考えれば、サービス職、現業職、事務職など身体や頭の使い方がかなりはっきりと異なっており、適材の見分けも比較的し易いですが、業務のスコープで考えると、予算管理業務、データ分析業務、渉外業務などなど一人の人にとってどの業務が適切なのか見分けることが難しくなります。

職質(どのような質の職務なのか)で考えると、人の性向(得手不得手)との適性が見えてきますが、人の柔軟性と適応力が境界をとても曖昧なものにします。


狭いスコープ

2014年9月1日月曜日

スイッチを入れない?入らない?

何事にも「適度」がありますが、「適応」に関しても同じことが言えるようです。

たとえば、「不適応」と「過剰適応」。

前者は、具体的な事物や状況に適切に対応することが出来ないことを、後者は、対応の度が過ぎて事物や状況に左右されすぎることを意味します。

職場における「不適応」は「OA機器が操作出来ない」「仕事に慣れない」「上司や同僚と馴染めない」「組織風土を受け入れない」といった状態でしょう。

「過剰適応」でよく取り上げられるのは、就活生の行動です。採用選考におけるグループワークに対して、事前の学習を通じて担当者の指示よりも手際よくグループメンバーの役割を決めてしまったり、選考で海外留学が有効と聞くと、留学といえるのかわからないような短期間の海外ステイをおこなったりするものが代表です。(真剣なるがゆえ、ということを否定するものではありません。)

さて、「不適応」の場合、思考優位でとらえるなら、「適応スイッチ」を入れないのは本人の意識の問題です。そこには、価値観や選好が関わってきます。一方、環境とのカップリングでとらえると、当人にとってアフォードしない環境、「適応スイッチ」がはいらないという問題になります。

どちらでとらえるのが正しいということはなく、両方あるのだと思いのですが、当人に「適応スッチ」を入れたがっているのに入らないというケースは強いストレスを生み出します。また、「適応スイッチ」が入るのに入れたがらないケースは学習不安や固定的知能観と関係していそうです。

そして、”実際の環境とカップリングしないと「適応スイッチ」が入るのか、入らないのかわからない”という事実は、仕事におけるミスマッチやアンマッチが減らない根本的な課題なのかもしれません。


秋ですね