2014年7月31日木曜日

嫌な場所を学びの場所に変えること

夏休みになり、早朝の公園でラジオ体操がおこなわれていますが、自分の記憶の中ではラジオ体操は越境の場でした。というのは、小学校で越境入学(といってもとなりの学区)していたのですが、ラジオ体操やお祭りは地域コミュニティ(町内会)の主催なのでそちらへの参加です。

どちらがホームでどちらがアウェーかわかりませんが、「顔見知りが居ない」ということでは、ラジオ体操やお祭りの方です。お祭りなどは小学校の友達が居るほうに参加することもありましたが、他の町内会では常に新参者であり、いづれにしても居場所の無さが記憶に残っています。

さて、「越境」を考える際に、承認の有無は居心地と大きく関わってきます。それも、「許可」ではなく、「歓迎」の意を含む承認があると居心地が大きく変わってきます。その典型が「おもてなし」です。「おもてなし」ではさらに、主客一体において、主人とお客には対等な関係が発生し新たなる異邦人であっても居心地は良い状態です。

そこでふと疑問に思ったのが、リフレクティブエージェント(イネーブラ)として「Boundary crossing(越境)」を考える場合、居心地をどのレベルの設定すると効果的なのか(=居心地のデザイン)ということです。

異質な体験や日常に触れることで、自分の状態や状況についての気づきを得るためには、「顔見知りが居ない場所」という非日常、かつ、「適度な承認」が必要だと考えます。何となく自らの越境をデザイン出来そうです。

しかし、「適度な承認」は抽象的なもので、実際は時や状況によっても異なるものでしょう。イベントへの「申込み→参加受付」というプロセスであっても、「許可」による承認の代表的な例ととらえることもできます。(イベントが「越境」かというと微妙な気もします)ウエルカムメッセージが届くと「歓迎」ですね。

何だか、承認自体、受け止めかたがゆらぎそうです。そういうデザインだというならそれでも良い気もしますが、自分のイメージの中ではそれはゴールに向けてのプロセスというより、手順(算段)と映ってしまいます。

一方で、「気づく」という創発的行為を中心に考えるのであれば、居心地のレベルなど考える必要は無いのかもしれません。

であれば大切なことは、自らの日常に埋もれないことと、非日常を早くやり過ごしたい嫌な場所ではなく自らの足場とする(何かに気づく)ことで学びの場に変えることなのでしょう。

本日のまとめとしては、居心地は越境のデザインとは関係なく、非日常を足場とすることを意識しようということです。


ラジオ体操のお立ち台♪

2014年7月30日水曜日

戦略デザインが通じない組織に対する戦略

現場に複雑性や不確実性があると、予測不能な問題を逐次解決するためには現場にイニシアティブが必要です。しかし、このような現場依存ではモグラ叩きが横行して、本質的解決がつかなくなるのも事実です。

一方、日本型組織では、そもそも暗黙の前提を基礎とした集団行動が得意ですが、これは、曖昧な状況下では自己主張を避け(規範)、明確な状況下(裁量)では自己主張するという日本人の特質もあって、現場に権限委譲を行うと、身勝手な正論を生みがちです。

現場力の必然性が根本的な解決を一層阻害するというなんとも皮肉な話ですが、事業経営全般が、環境の変化に対して機敏にかつ高次に適応するためには、経営トップによる戦略デザインが欠かせません。

そこで出てくるのが「戦略デザインが通じない(通じ難い)組織に対する戦略(組織内戦略)」の重要性です。

組織内戦略といえば、これまでの日本企業では「根回し」「人脈」が代表的なものですが、ロジカルシンキング、シックスシグマ、バランススコアカードなど「学習と実践」によって思考方法や手法を習得して現場力と戦略デザインと両立させているのがエクセレントカンパニーの特徴です。

しかしながら「学習と実践」には対象となる人材には、学びに対する正の誘発性、学習内容を理解、咀嚼するための頭の良さとリーダーシップが必要になりますから採用、育成、登用の戦略がクリティカルポイントとなります。

逆を考えれば、採用、育成、登用における戦略目標は、本質課題の定義と解決を行う人材のリスト作成です。

ただ、現実的には、この人材リストを作成することはなかなか困難です。高レベルな人材が市場にはそれほど多くないからです。

したがって、次の戦略としては「現場の正論」を封印するためのバリュー、ウエイの浸透と活用があげられます。バリュー、ウエイは「現場の正論」だけでなく、「権力者の暴走」や「個人の好き嫌い」を防ぐうえでも効果があるのですが、バリューやウエイが本質課題の定義と解決を行うものではないことに留意しなければなりません。むしろ、本質課題の定義と解決においてバリューやウエイは常に見直しの対象です。

さて、バリュー、ウエイの活用を行う気が無い組織はどうすれば良いでしょうか。最後の戦略が必要です。

最後の戦略は、人事制度です。評価に組み込んで施策に強制力を持たせる戦略ですが、制度運用になってしまうと戦略性は無くなってしまいます。ヤフーの1on1などは制度を戦略活用している良い事例でしょう。この戦略、「組織をより機能させるプロセス」としては有効ですが、やはり本質課題の定義と解決のための戦略デザインではありません。

以上をまとめると戦略デザインが通じない組織に対する戦略は
1.本質課題の定義、解決が出来る人材リストを作成するための採用、育成、登用
2.バリュー、ウエイの浸透と活用
3.人事評価による強制力の発揮
となります。


自分で持ってきた・・・わけないよね

2014年7月29日火曜日

私たちは環境を通して自己理解をし、自己理解を通して環境を評価している

パーソナリティ診断のデータを分析すると様々な発見がありますが、特に気づきが多いのが時系列分析です。

パーソナリティとは、一貫した行動の傾向性を指していますから、短期間に大きく変動するものではないのですが、短い間隔でも相当量のデータを蓄積すると振動が見えてきます。

その振動は、一見、個人の中の揺らぎのように見えますが、実はその時の環境との関係が反映されているようです。

人が置かれた環境から影響を受けることは当たり前とも思われますが、確たる自己があって、外的環境の影響を受けるというよりも、環境と一体化し、環境の変化に連れて自己の評価を微調整しているように思えるのです。

前者を実証するためには環境の要因を特定、変数化し、説明変数として分析すれば良さそうですが、後者であればそもそも、パーソナリティと環境は二元論的な関係ではなく、重層的で場合によっては入れ子の関係も包含しますから、モデル化とシミュレーションが実証のアプローチに向いているはずです。

一般的に、何故かパーソナリティを静的(固定化)なものととらえたがる傾向があります。特にパーソナリティ診断ではα係数の高さ(診断項目の変わりにくさ)が指標になったりしますが、人の実態の本質は適応的であり動的なものです。

では、動的(変動化)なものとして、細かい振動を分析すると何が見えてくるのでしょうか。

それは、人と環境との間に常に発生しているフィードバックの質であり、採用、異動・配属や登用における成長やメンタル面への影響についての効果性を測定することに役立つでしょう。

これは、パーソナリティ診断が、ある瞬間をとらえた「人物評価」になってしまっている現状によりもはるかに希望的です。


頭を冷やさなきゃ眠れない・・・

2014年7月28日月曜日

「現場での集団ゲーム」に必要なもの Open or die ?

キャメルヤマモトさんは、伝統的日本企業と欧米型グローバル企業の比較の中で、グローバル企業では、まず、集団の思考として「これがルール」だというトップダウンの戦略デザインありきであるのに対して、日本企業では、集団の行動、「現場での集団ゲーム」ありきであると述べていらっしゃいました。

これはとても良くわかる話で、例えば職務分析を行うことがとても大変なのも日本企業の特徴ではないかと思います。現場主義という言葉もあるように、実際に社外の人間として組織に関わったとき、現場に行かないと見えてこないことがとても多いです。

もちろん、日本企業の特徴が強みになる場面もたくさんあるのでしょうが「現場での集団ゲーム」とは何なのか、もう少し具体的にしてみると以下のように言えるかもしれません。

  • ルールよりも親玉好き・・・「俺はさぁ~」「まぁ、あの人が言うんだから」
  • デザインではなく試行好き・・・「やってみたら?」「とりあえずやってみよう」
  • 戦略ではなく手触り感・・・「前はどうだったの?」「俺のときはこうだった」
結果として、人物本位で変革より改善が進みやすい組織となるのでしょう。

また、それらは中途採用で入社した人が不思議な流儀で苦労したり、外部から招聘されたトップと現場に軋轢が生じたりするといった、「新参者」に対する障壁の一部であるようです。

このような「現場での集団ゲーム」で必要なことは、根回し(事前共有)と気遣い(事なかれ)です。

要は、皆が進めている固有のゲームをちゃぶ台返しのごとくひっくり返すのはタブーなので、事前に合意を取って、ささくれ立たないよう模様替えしなければならないのです。



実際、ひどくささくれ立ってしまった組織は救いようがありませんから「現場での集団ゲーム」を甘く見てはいけません。

この「皆が進めている固有のゲーム」というところがミソで、その雰囲気を尊重する親玉やらメンバーが好かれるのですが、「皆が進めている」=ハイコンテクスト(相互の共通性が高く、もろもろ疎通しやすい状況)=閉鎖的です。

Open or die ? と問われれば Die じゃないかと思うのですが、いかがなものでしょうか。


日本的

2014年7月27日日曜日

経営もマネジメントも企業ごとにまるで違う

先日、大きな書店に行きましたが、経営やマネジメントに関する書籍のコーナーを眺めるとそれらについて記述した本がたくさん並んでいました。本のタイトルも内容も様々ですが、基本的には、現在、企業の経営やマネジメントに関わる人々に向けたものです。

それらの本を手っ取り早く表現すると「手引書」です。悩み多き経営職や管理職に解決策を示唆するものですが、個人的に疑問に思うのはこれだけ様々なノウハウが蓄積している一方で、現場での課題は減るどころか増えているのではないかと思うことです。

もちろん、環境は日々刻々と変化していますから課題は決して解決し終わることはないのでしょうが、出版される本が増えているのであれば、本に対する需要が増えているということですから、課題の量はさらに増えているということになります。

さて、「どんな課題でもこれ一発で見事解決!」となれば良いのでしょうがそうならないのは、現場は料理と違ってレシピ化出来ないことを残念ながら裏付ける結果となっていると思います。

キャメル・山本氏によると、欧米企業では、基本的に集団の思考として戦略デザイン「これがルールだ」があって、それに基づき集団の行動や個人の思考が定まるそうです。一方、日本ではまず、集団的行動があってそれに個人が参画し、思考し、ルール化すると整理されていましたが、欧米流のデザイン指向と日本流の現場指向だけでも位相が異なるだけでなく、実際に料理を作る手順に至っては道具、経験、味覚云々などなどある意味全てが異なると言っても過言ではないでしょう。

要は、現場では、定型化されたデザインやこれまでの経験では解決出来ない全てが新しくて複雑な課題が日々生じているということです。ですから、本からは課題解決に取り組む勇気だけをもらい、実践はデザインするにしても、現場に寄り添うにしても自分で考え自律的に解決しなければならないということです。


似ているというだけで別物です

2014年7月26日土曜日

ほんとにビックリ!ホヤの生態。 と上級管理職の伸び止まり

若手社員の成長を話し合っているとき、ふと、上級管理職の話しが出ることがあります。あくまでも印象の話だとおもうのですが、上級管理職になるとそれまでの成長が止まってしまうというのです。

事実だとしたらなぜ、そのようなことが起こるのでしょうか。

組織において、上級管理職になるということは、上位数%のポジションに就いたことになります。組織の中でさらに上を目指すとなると、取締役の席しかありません。サイバーエージェントはCA8という取締役の交代制を実施していますが普通の企業では取締役の席は定期的に空きません。また、組織の若返りを進める企業では役職定年制を設けていますから、組織上位へのキャリアでなく、セカンドキャリアを考えなければなりません。

このように、ピラミッド構造の組織形態や人事制度が上級管理職の成長を止めている可能性は無いのでしょうか。

例えば、会社に入社して仕事に熟達した30代半ばでは管理職への移行する人とそうでない人の間に生まれる差や、職能の固定化と呼ばれる停滞にも組織形態や人事制度の影響がありそうですから、外的環境は人の成長に深く関わっていそうです。

さて、海産動物であるホヤは、成長過程で変態しますが、その変態の中で恐るべき変化を見せるそうです。それは、遊泳幼生のときにあった脳(本当は神経節)はホヤが変態して岩に固着すると無くなってしまうのだそうです。海の中を遊泳しているときは、小さいながら必要であった脳が、岩にくっつくようになると不要になるというホヤの事実は個人的には、とても示唆深い話です。

以前、某金融の育成担当者と話をしたとき、優秀な人材が入社して15年経つと他の会社で働けないようになってしまうと嘆いていましたが、どうも「某かへの固着」と「成長の喪失」には関係があるように感じてしまいます。


成長するもの

2014年7月25日金曜日

ギスギスしない職場を作るには

職場は、閉じた場において持続的に同じメンバー構成で仕事を遂行する特異な状況です。流動性はあるものの、基本的には日常化する場所ですから、その日常がギスギスすると精神的に良くないばかりか、仕事の効率や能率などパフォーマンスにも悪い影響を及ぼします。

企業経営者の仕事とは、ミッションの実現に向けた経営資源の編集と場作りですから、職場の実態は経営責任です。

ということで、組織開発やら組織改革やらアクティブラーニング研修やらES調査やらいろいろと取り組ませるわけですが、簡単にギスギスがワイワイに変わることはありません。

さて、ギスギスしている職場を2つにわけると
・ミッションがギスギスしている職場
・人がギスギスしている職場
でしょう。
もちろん、合わせ技もあります。(合わせ技の方が多いかも)

で、解決策となると、コミュニケーションの改善とマネジメントの改善がよく取り上げられます。

チームスポーツで負けが込むが、チーム内がゴタゴタして勝てないと、選手が緊急ミーティングを持ったり監督がクビになったりするアレです。

しかし残念ながらそれで急にチームが勝ち始めた事例をあまり知りません。

むしろ、サッカーJリーグなどでは、
連敗→監督交代→降格→主力の流出→若手の台頭→チームの活性→昇格→勢い余って優勝
などということが珍しくありません。

このようなケースで、事実を見つめればメンバーの代謝が一番効果的だったとも言えるでしょう。

「職場環境」と言いますが、社会性という観点でみると、人と人の関係性=環境であって、その関係性が生み出す複雑さ(この場合はギスギス)は、人と人の関係性が刷新されない限り変わらないものなのかもしれません。

であれば、組織構成員が大幅に入れ替わるか、組織構成員が自らを変えたいと真摯に思うか否かにかかってくるのです。逆に、構成員が自らは変わろうとしなければどんな取り組みを行っても徒労に終ることでしょう。そもそもコミュニケーションは原因でなく関係性が生み出す結果とも考えられます。

個人的にはこの考え方には納得感があります。というのも、以前、職場コミュニケーション研修を会社全体で受けたのですが、それによって職場のギスギスが無くなることは有りませんでした。

むしろ、役員一同が「まず自らが変わろう」とお互いに誓い合うことで職場は変わり始めました。するとギスギスしていた社員は自ら退職をし始め、新卒を中心に新入社員が増えて来ると職場は一気に変わったのです。もちろん、以前からの社員も居ますが、それらは、「自らを変えた」社員です。

様々な企業の人材要件に「謙虚さ」という言葉がよく出て来ますが、私は「謙虚さ」とは人の言うことを聞き入れる態度ではなく、「自らを変える」ことに気づき実践する行動を指していると考えています。それは、このような経験に根ざしています。

やや、結論的に言うと、ギスギスしない職場を作るには、そこで働く人たちの自己革新の実践が必須だと思うのです。但し、ミッションがギスギスな件は、経営責任ですね。


複雑さを生んでいるのは環境

2014年7月24日木曜日

あの子が内定を承諾した理由 ”性格が似ているほうがわかり合える”

飼い犬は飼い主と良く似ているという人がいますが、出勤途中、見かける多くの犬の散歩を通じて、この話があながちでまかせとも言えないように思います。もちろん、人と犬の話ですから、容姿にしても同じ部分はあり得ませんから、どう考えても見ている側の先入観念であると考えるのが自然でしょう。

しかしながら、信憑性を感じてしまうのは何故でしょうか。

ひとつは、近接する動物同士は仲間であると脳が判断している可能性があります。例えば、駅などでも人が集まっていたり、話し合っていると知り合い同士かなとまず考え、その後、否定する情報が得られるまで続きます。人と犬も然りです。

これは恐らく、人の脳に瞬間的に集団内の関係性を把握する能力があるからでしょう。

そして関係性があるかもしれないと思いつくと無意識のうちにさらにそれを確認する過程のなかで共通点を見つけ出して似ていると感じるのかもしれません。

それとは別に、自分の雰囲気と似ている犬を積極的に選んでいる可能性もあります。鏡のある日常において、自分の容姿はおそらく一生のなかで一番長く見ている容姿だと思いますので、慣れ親しんだ容姿に近い犬を選んだとしても不思議はありません。

いずれにしても「似ている」ということは社会性にとって重要な要素であるようです。例えば、お互いを深く知り合うまでは、パーソナリティデータが似ている者同士のほうが、素早く相互理解が進みます。波長が合うというやつです。実際に採用活動をしているとよく実感しますし、一歩、踏み込んで内定承諾を引き出す際にこの類似性は切り札として有効であることも実証しています。

ところで、マネジメントとはパーソナリティの類似性の壁を超え、お互いが似ていない多様性のもとで相互理解を行う役割であるも言えるかもしれません。


似てる?

2014年7月23日水曜日

人は「ワクワク、ハラハラ」という不確実性から危険を察知すると快楽を得ようと挑むらしい!

以前、山本貴光さんがゲームのデザインについて以下のように話をされたのを聞いたことがあります。

1.モンダイが明確であること
2.プレイヤーが何かしたくなるようにしむける
3.試行錯誤が楽しめる(ゲームらしさの部分)
4.必勝法が存在しない(正解がわかったら作業)
5.遊ぶたびに違う状況がうまれる(何回やっても面白い)
6.最後まで決着がわからずハラハラする
7.しかし解決に向けて手応えが感じられる
8.それまでの結果が累積して行く(達成感をいっそう感じられる)
9.未解決感がいつも残っている(プレイヤーが嵌る)

もう少し、補足すると1の前に 0.モンダイを定める があるはずです。
これを問題の「見える化」と問題解決の「出来る化」としてとらえ直してみると

「見える化の前段階」
  問題が生みだされる
「見える化」
  問題が明確
  解決手段が明確
「出来る化の前段階」
  手段を行使したくなる
「出来る化」
  手段を行使する
  試行錯誤する
  小さく達成する
「見える化の前段階」
  新たな問題が発生
…以下繰り返し
となります。
そして、以下の要素は上記の「見える化」「出来る化」の連鎖をメタ化(小さな目的を大きな目的にスパイラルアップ)するデザインでしょう。
「見える化-出来る化のメタ化」
  最後まで決着がわからずハラハラ
  しかし解決に向けて手応えが感じられる
  それまでの結果が累積していく
  未解決感がいつも残っている

さて、先日参加したPlayful Summer Fes 2014.で盛り上がった出版話をこれに当てはめてみると、出版話が持ち上がり出版企画を通すところまでが「見える化-出来る化」の1サイクルと考えられます。そして対談、アンカンファレンス、構成、デザイン、出版へと各サイクルが連鎖しながら、一方では、「学びの未来」というメタテーマへの接続があり、先日のPSFも大きな目的へ向かう一環と考えると納得出来ます。

そこで、もう一歩踏み込んでこの「見える化-出来る化」の連鎖とメタ化を創発する背景を考えて見たいのですが、その際のキーワードはPSFで聞かれた「ワクワク、ハラハラ」やPlayful Lerningのエピローグで中原先生が述べられている「プレイフル、リスキー」でしょう。

脳科学者の茂木健一郎さんは
”不確実性(危険察知)への適応とひらめきの脳回路は同じ場所をつかっている
The same system is used to recruit cognitive control in a stroop  task
不確実であることが創造性の起源になっている”
話されていますが、脳はもともとハラハラ・リスキーの不確実性に、ワクワク・プレイフルの快楽を見いだすというケンブリッジ大学 ウォルフラム・シュルツらの研究結果もあるようです。

それらの仮説で考えると、初期の報酬(成功体験)が無くても「見える化」「出来る化」「メタ化」が上手くデザインされていれば小さな目的の達成から大きな目的の達成に向けて自律的に行為が創発されることになります。これはとても希望的な理解です。

ただ、実際には人によってポジティブフィードバックの強い人とネガティヴフィードバックの強い人が居て、さらに、自律性は高いけど人に影響を受けにくい人、その逆の人、中間で揺らぐ人などパーソナリティ特性(知覚・認知と行動の傾向性)もあるので創発される行為はずっと複雑に見えます。つまり、行為の創発においては、パーソナリティ特性(とくに行動予測に関する)の要素もデザインする必要があり、組織や集団内であれば組み合わせ、チーム編成も大切な要素です。


撃ち落とされたインベーダー(^^;



2014年7月22日火曜日

会議において質問と詰問の差を生む原因を考える

会議に参加するには出来るだけ有意義な時間にしたいと思うのは誰でも同じだと思います。会議には様々な目的がありますが、同じ目的に沿って人が集まることに違いはないでしょう。

さて、会議の場で最適なコミュニケーションは、普段のコミュニケーションと異なると考えています。

コミュニケーションには、
1対1のもの、1対多もしくは多対多のものがあり、また、瞬時的なもの持続的なものがあります。なかにはDNAによる世代継承自体、コミュニケーションの一種であるというとらえ方もあるようです。

会議の場は、そんなに長い時間かける話ではありませんから、どんなに長い会議だとしても瞬時的なコミュニケーションの交差が中心となります。さらに、効率が問われることからもわかるように、目的を達成する使命があります。

コミュニケーションが目的的になると2つの意味で質問が詰問になりがちです。

ひとつは、会議の目的を達成しようとする使命感、もうひとつは、知りたいことに答えて欲しいという個人的な要請です。

正解の無い議論を行う会議ほどストレスが溜まるのが良い例ですが、会議を開いて解決しようとする大きな目的を振りかざして詰問するのは、当人の要請である小さな目的にとらわれているからに過ぎないケースが実際は多いでしょう。質問に答えないと詰問にかわるのがこのパターンです。

しかし一方で、会議に参加している者は、目的達成に向けて課題を共有し解決に向けて参画する義務があるはずです。課題意識、参画意識の薄い者が会議に参加していては良いチームワークを発揮できません。

このような、課題意識、参画意識の薄さがどこから来るのかといえば、多くの場合、反抗的態度というより、認知の問題ではないかと思います。要は目的が「見えない」のです。「見えない」とコミュニケーションは成立せず、社会性が阻害されるので、参加度合いは著しく低くなり、会議が機能しなくなるでしょう。

手を尽くしても「見えない人」も一定割合いますが、その場合はアサインの間違いです。それ以外の人の場合、本当は「見える」はずです。

ですから、会議において「見える化」をすることが大切な訳です。逆に、課題の「見える化」をしたドキュメントの準備なしに議論を始めるのは無謀です。要は、正しい準備なしに抽象的な課題感で会議を行うと質問が詰問になりやすいのでしょう。

以上をまとめると、質問が詰問になるのは、
1.質問者が小さな目的を隠し持っている
2.参加者の選定間違い
3.主宰者、提案者が課題の「見える化」を怠けている
という原因があるようです。


見ればわかる。それが「見える化」


2014年7月21日月曜日

「ありのままで」と言うけれど、「ありのまま」は認知できない


人間は言葉を使ってコミュニケーションを行いますが、言葉を持たないサルや類人猿は、相手の行動や表情を通して社会性を実現しています。言葉は客観的事実である「もの」や主観的理解である「こと」を伝達するための道具ですが、言葉が無くても「社会」が構成出来ることは明白です。

さて、「社会脳」を研究するイギリスの人類学者ロビン・ダンバーは大脳皮質と残りの脳の部分の大きさの比率が、社会グループの大きさと連関していることを発見しました。その仮説に基づくと人間の社会グループの大きさは150人だそうです。

「社会脳」という言葉自体、「瞬間的に変化する社会的ルールに対応して、適切に行動を切り替える脳の働きである」という働きに目を向けるものもあれば、高次な社会性を実現する部位に注目するものもあり、指し示している意味は曖昧ですが、私たちの社会の構造と脳の間に関係があることは間違いありません。

ところが私たちの脳は、ものごとを「ありのまま」に認知してくれません。

良く知られるのは、以下のような様々な認知の歪みや人の能力として知られる力です。

錯視・・・視覚の錯覚
カクテルパーティー効果・・・選択的に音声を聞き分けること
ハロー効果・・・一部の特徴について良い(悪い)印象を受けると、それに引きずられて他の印象を決めてしまうこと
寛大化傾向・・・相手から嫌われたくないため、好ましい点はより強調され、好ましくない点はそれほどでもないと寛大になること
近接効果・・・最近起こった出来事の印象に影響を受ける
対比者誤差・・・自分の強みの部分は見方が厳しくなってしまうこと
論理的錯誤・・・個人的経験の一般化、先入観や論理的推論から犯す誤り
中心化傾向・・・よく分からないとき一般的なものとして理解しようとすること

パーソナリティバイアス・・・相手への好き嫌いなどの感情が入ってしまうこと

生き物は、基本的に自分の目で見て確かめられる情報を起点に行為を創発しますが、社会性は、「視覚によって誘導される、情動に基づいた行為を基礎としている」(「野生の知能」ルイーズ・バレット著)ので「ありのまま」の認知ではなく、「自分特有の視点」の認知のうえの成り立っていることを忘れてはいけません。

「ありのまま」を「もの」としての実態と捉えるのか、認知の歪みも含んだ「こと」としての実態として捉えるのか、考え方は分かれるものと思いますが、他者の理解において仮説を持つ場合、「こと」としての主観的理解は誤りであると言えるでしょう。


どっちが高い?


2014年7月20日日曜日

「Playful Learning」制作秘話を聞いた

以下、昨日聞いた秘話です。

「Playful Learning」の出版は1%のワクワクと99%のハラハラでした。
上田先生の活動の記録を出版すべきだという中原先生提案から動き始めた話なのですが、最初は何を出版するのかわからなかったので、「プレイフルカンパニー」のタイトルでビジネス書として社内に出版企画を通しました。
つぎに上田先生と、中原中原先生の対談を三日間通しで行ったのですがが脱線につぐ脱線の連続で録音テープばかりが増えました。そこでは、園部さんの文字起こしがものすごく速く救世主となってくれました。
8月になって、上田先生はプロトタイプリファインでいこうと言っていましたが、それは、作っては壊し作っては壊しということで、でもこれは「本」ですよと・・・
また、本に載せる写真が欲しいということで、撮影のための30名くらいのワークショップを企画し、スケジュールの空いている12月に実施しようなったのですが、なんと100名になってしまったのも予想外で、ワークショップ前がどうなるのかと、ハラハラの極地でした。
不安の張本人は上田先生です。 例えばワークショップ当日に来ないのです。どうも、買い物をしていたようです。
金井先生は救世主だったがのですが、中原先生から「ちゃんと丁寧なメールを送りなさい」と指導があり、少しのメールに一時間も掛けたものです。

さて、アンカンファレンスは大盛況で終ったのせすが、そのあと迷走が始まりました。
盛り上がりのパワーにやられてしまったのです。そして、アンの本を出すべきでは?など、イベントのパワーが強すぎてどんな本にしていいのか皆がかわらなくなってしまったのです。
もともとアンカンファレンスのルポを書くつもりではあったのですが、イベントレポート中心の本にすべきだという話になり、タイトル案も「これからのラーニングデザイン」などなど二転三転、当初企画で通した「カンパニー」などはどこにも無くなり、いつ、社内に報告すべきか悩んだものです。タイトルは販売時、書店の棚に関わるのでとても大切です。

このあと、8月まで迷走したのですが、次の救世主、中原先生が「12月に出版イベントやるのでそれまでに上田先生、作るんですよ!」と言っていただけたところから出版に向けエンジンが掛かりました。内容も当初のラーニングのコンセプト+イベントのことにまとまったのですが、今度は中原先生から強烈なカットカットの指示が来て、ページ数が足りなくなるのでひそかに戻したり、上田先生は「これどう?」と言って来たりと色々あったのですが、一番追い込まれたのはアンカンファレンスの様子が文字で伝わらず、文章の限界を感じたことです。鍼に助けてもらっていました。ところが、三宅さんと岩田さんによるレイアウト、デザインの力でそれらが全て伝わりました。全部文字に書こうとしないでよかったといことに気づくことができました。


こうして出版にこぎつけたのですが、改めて振り返るとハラハラとワクワクが紙一重なのかもしれません。


続編はあるの?


学びの未来へ


言うことなし

2014年7月19日土曜日

1%のワクワクと99%のハラハラでは予測と取引きは通用しないけど成り立つのは何故だろう

今日はPlayful Summer Fes 2014. に参加しました。テーマは”プレイフルな学びの未来をつくる”です。

会場は多くの参加者がありましたが、登壇者(Playful ×○○の○○をプレゼンされた方)も、即興(インプロ)を行う人たちからはじまって、コミュニティ、オフィス、イノベーションなどのデザインに関わる人々、学生、エディター、ディレクターにライダー、デザイナー、大学の先生などなど、実に多様なフィールドでPlayfulを実践されている様子を聞かせて頂きました。

頭もぼーっとしており、座席がスクール形式だったこともあって、ほぼ聞くことに徹した3時間となりましたので、傍観している印象が強かったのですが、参加している方々の様子から共通性を感じとっていました。

その共通性を端的に表していたのが三省堂・石戸谷さんとライター・井上さんのプレゼンで語られた「1%のワクワクと99%のハラハラ」という表現であり、上田ゼミ、GirlsBand
の「本気で楽しむ」「他者と協同」「まずやってみる」というアプローチです。

というのも、おそらく参加していた人のほとんどがそれらに違和感を持っていないように感じられたからです。もちろん、内面はわからないのであくまでも私が受けた印象ですが、「意味わかんない」とか「どうやれば良いのかわからなくて不安」といった空気感はありませんでした。なぜなら、参加者の行動がある程度予測出来たからです。「ここで盛り上がるだろう」とか「帯に何かを書くだろう」などの予測は外れませんでした。

そこに予定調和的な”他者合わせ”は無いのですが、参加者の前提は調和しているのかもしれません。故に”上手く行くだろう”という予感が当たるのでしょう。

つまり、長岡先生がまとめられたように、Playful Learningでは、当事者一人一人に関して予測や取引きは通用しないものの、何かが生まれる予感があります。

「難しいテーマになると「やってやろう!」とワクワク感が先に立つ」「自分の業務の納期、品質を厳守しつつ、他のメンバーの支援を積極的にしている」「いつも何かワクワクしていないと気が済まない」といったアンケート結果と、パーソナリティに関するデータにははっきりと相関が表れます。

経験も知識もスタイルも似た者同士ではないのに成り立つ世界がある、ということを気づけたのが今日の収穫です。(経験も知識もスタイルも似ているのに成り立たない世界がある・・・というのも頭を過りました)


学びいろいろ

2014年7月18日金曜日

単純な説明のほうがいい?

私たちは、物事はできるだけシンプルな構造で説明すべきであるという暗黙の前提を持っています。

それは「オッカムの剃刀」と言われる考え方に代表されるそうです。

「オッカムの剃刀」は
「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」とする指針。
です。

心理学では、ロイド・モーガンが提唱した「低次の心的な能力によって説明可能なことは、高次の心的な能力によって解釈してはならない」というモーガンの公準が近しい考え方ですが、このような考え方の背景には少なからずパーソナリティが関係しているように思います。

というのも、シンプルな構造を好むのは性格特性のうちのひとつだからです。

このような性格特性をもつ人の共通点は、
1.猜疑心があり自分で確かめないと気が済まない
2.自分の言葉で理解したがる
3.見たものを語ること、表現することを好む
などです。

もう少し端的に言うと「要するにどうなんだ」と結論から聞きたがり、そして、多く語る人です。また、ちょっと説明が長くなるといらいらしはじめるのも特徴です。

もちろん、この手の人のみが単純な説明を好むわけではありません。時間的制約やせっかちさから、複雑な説明を嫌う場合もあります。

ただ、単純な説明には落とし穴があることを忘れてはいけません。それは短絡さによる落とし穴とその短絡さを適応することの落とし穴です。

例えば、市場で何が起きているのかを単純化(キーワード化)するとき、単純化した本人が正しく理解していることが前提となりますが、複雑な市場を全て理解していることは不可能です。ですから、理解の前提段階ですでに間違っています。そして、それによって市場を捉えようとすることによって更に間違います。

単純な説明から導かれた各種戦略がなかなか結果に結びつかないのも落とし穴によるものでしょう。

このように単純な説明には二重の落とし穴が常に待ち構えているのです。


複雑なんです

お客様扱いでいく? 人が受け止められる範囲を考える

とあるインターンシップの企画を作成するにあたり、テーマとしたのは「仕事の本当を知り、未来をデザインする」というものです。ただ、このテーマが対象者である学生に受け止められるかはちょっと疑問もあります。日頃、あまり考えていないレベルで思考を強制することは、当人にとって苦痛ですから、人によっては「詰め込み」「やりすぎ」に見えてしまうのかもしれません。

しかし、E.シャインが言うように、組織社会化における学習には強制力と苦痛が伴うものです。その本質には、学習不安と生存不安があり、学習棄却することによる苦痛を生存不安が上回らなければ学習は進みません。

実は、テーマとした「仕事の本当を知る」とは、インターンシップ=組織社会化の端緒と考えたのものでした。

さて、学生にいずれ訪れる強制力の伴う学習を前倒しすることは回避すべきことなのでしょうか。個人的には「回避=お客様扱い」と見えてしまいます。そして、この「お客様扱い」という目線は、扱われる側にとって主体性の弱い人には心地よいですが、主体性の強い人には心地の悪いものだと思います。

つまり、学生が受け止められる範囲を前提にしてしまった瞬間に学生が自ら主体性を育む機会を失っているのではないかと考えるのですが如何なものでしょう。


リサ・ラーセンの猫みたい

2014年7月16日水曜日

嗚呼、『なんだ、みんな同じじゃないか』

自分が20代だった頃、両親を乗せて車を運転しているとき、カーステレオで好きな音楽を掛けていると決まって、親に「みんな同じに聞こえる」と言われ面白くない思いをした記憶があります。

「みんな同じに聞こえる」という言葉には、
1.そもそもつまらない曲だ
2.さらに曲の違いがわからない
3.だからもっとつまらない曲だ
4.そんなつまらないものを好んでいるやつの気が知れない
5.と思っているのだから聞くのをやめて欲しい
というニュアンスが潜んでいることは想像に難く有りません。
そんな親が好んでいたのは八代亜紀やら何やらでした。

さて、それから30年あまり経ちましたが、BSでサカナクションのライブを見ながらふと「みんな同じに聞こえるね」と口にしてしまい、愕然としています。

一方、1968年のロックンロール・サーカスの映像で、ザ・ローリングストーンズやらジョン・レノンが画面に登場するとどこかほっとしている気もします。

感じるままにあるべきでしょうか。それとも感性をリニューアルするべきでしょうか。

もう少し、身近なテーマとしては、iPhoneの中からビートルズを削除して、サカナクションとSEKAINO OWARIを入れてみようかとちょっと考えている次第です。
あ、クリープハイプはちょっと無理かも・・・


感性を疑え!

2014年7月15日火曜日

がちゃメモをじっと眺める

月一回、第一金曜日に市ヶ谷のCafe Katyさんで開催される自画持参のがちゃトークに参加させて頂くようになり、大分経ちました。がちゃトークでは、他者のお題で3分間のスピーチをする(かもしれない)ので、お題が引かれてから2分間であれや、これやと考えなければなりません。自分は2分間で考えながら、折り紙の裏にメモをとっています。

メモは捨てずに、ペンケースに溜めていたのですが、結構な量になってきたので、今日、改めて全部出してみたのが下の写真です。

文脈を失ったメモを見返すと何だか滑稽です。

貸しを作る、期待する、交換の形態、結果の予期・・・何でしょね?このときのお題は。
選ばれるというのは受身なようだけど他者の自立に役立っている状態・・・これはきっと、「自由とは依存すること」と同じ回のものかもしれませんが、なんだかこの日は格言おじさんだったみたいです。
土曜日曜の仕事ははじめるまでが大変・・・これは日常感があって好きなメモです。
ボチるのはつらい・・・気が小さいだけじゃん
カフェ オープン 純喫茶 クローズ・・・この時のテーマは思い出し易い。

これらのメモを意味が通じるように若干手を入れて並べてみると

” 土曜日曜の仕事ははじめるまでが大変だし、やはりボチるのはつらい。そこでコーヒーを飲みに出るのだが、そこでもカフェか純喫茶か選ばなければならない。
カフェはオープンで純喫茶はクローズだ。だがよく考えてみると選ばれるというのは受身のようだけど他者の自立に役立っている状態だ。であれば、カフェと純喫茶は僕の自立の装置だ。そう、自由とは依存することなのだ。
一方で、貸しを作る気はなくても自らの選択で何かを期待するようでは自由とは言えない。選択とは単なる交換の形態であって結果の予期は自我の投影だからだ。”

ということでメモも配列にすればアンニュイなストーリーになるようです。


がちゃメモ

2014年7月14日月曜日

本を読んでツルツルをシワシワにする

最近、プログラミングやら何やらでちょっと本を読めていません。

”読んだ本はなかなかふえない。読みたい本はどんどん増える”(「大村はま 優劣のかなたに」苅谷夏子著 P.125)大村はまさんがご指導された中学生が残した言葉だそうですが、とても素敵な発言です。

一方、自分は「積ん読」(読みたい本)もなかなか進まなくなっていますからかなりのピンチです。

何故ピンチかというと、物事の見方や考え方がとても独善的になっていくのが実感できます。読書という手段は、他者の理解や思考をトレースすることで脳みそのしわが増えるように自らを深めていくので、読書をしないと、すぐに表面ツルツルになってしまうようです。

見た目も中身もツルツルでは洒落にもなりません。(見た目も中身もシワシワ、というのもちょっと表現的にはよくありませんが・・・)

シワシワの良いところは見えているよりも表面積が大きいことです。空気清浄機のフィルターも折り畳んで表面積を増やしているように、表面積が大きくなると、様々なことを感じ取る力が高まります、

ということで、読書します。どうせなら眉間に皺が寄るような難しい本を読もうと思います。


「測る」本



2014年7月13日日曜日

ポリシーを決めるのは誰? 常態化する「問い返し」

様々な判断を行う際に、その根底にあるのがポリシー、方針です。とくに、組織においては、ポリシーは組織行動を規定する要となります。ところが、ポリシーとは再帰的かつ、重層構造を持っています。

例えば、人事ポリシーは、経営戦略からブレイクダウンされますが、ポリシーに基づいて人事戦略が構築され、採用や育成の活動につなげます。

一方で、採用や育成の活動で必要な具体性を、人事ポリシー、更には経営方針に「問い返し」を行います。

「具体的に何を求めているのですか?」

組織における権限委譲を考えれば、それは現場で決めて良いことになります。

ところが、事業環境の流動性と複雑性が増したことでポリシーも状況に応じて変化することが当たり前になりましたから、上位のポリシーがあったとしても、複雑で予測不能な状況に応じた判断を現場が行わなければならなくなりました。

つまり、ポリシーを具体的に定義する過程において、ポリシー自体が再帰的に書き換えられる必要が生じています。

それが前述した「問い返し」の実態です。

かつては、「それを考えるのが君の仕事だよ」と言うのが上司の仕事でしたが、上司にとっても手に余る「問い返し」を部下に押し付けるのは無責任です。

しかしながら上司がさらに上役に対して「問い返し」を行えるのでしょうか。

多くのケースでは、上司を巻き込んで、現場が一体となって「問い」に向き合うことになっているようです。このようなケースで、打ち合わせを行うと、困惑と躊躇いと自問が渦巻いています。

中にはトップを巻き込んで再定義に取り組む会社もありますが、それは的確でかつとても恵まれた状況だと言えるのかもしれません。


Not Rule, But Policy!

2014年7月12日土曜日

未来をかえる3つのインパクト

心理学の交流分析は、「過去と他人は変えられない。変えられるのは自分と未来である」という考え方でよく取り上げられます。もう、50年以上の歴史を持ち、考え方の構造もかなり複雑になっているようです。

未来が変えられるかどうか、に関しては議論が残ると思いますが、未来が不確定であることは疑う余地がありません。

さて、未来が不確定なのは、3つのインパクトがあるからです。

1つめはイノベーション。真のイノベーションは予測不能です。
2つめはカタストロフィー。災害は忘れた頃にやってくるもの。これも予測困難です。
そして3つめは、コヒーレンス。生物と環境の相互干渉性です。意図の有無と関係なく、生物は常に環境を足場としながら自律的に活動しますが、生命活動によって環境が変わります。この相互干渉のインパクトは前の2つに比べれば小さいものですが、日々、変化が連続することで思いもよらないインパクトとなっていきます。

この3つのインパクトがそれぞれ独立しながら、また、連動しながら未来を変えるインパクトになっているのです。


未来がかわる

ステークスホルダーにあるのは権利か責任か

最近、システム開発の仕事に投入する時間が多いのですが、改めて開発に関わる人の多さに辟易とします。システム開発会社の方はもちろんですが、デザイン、インフラの方に加えて、ご支援を頂くコンサルの方、そしてサービスを契約して頂けるお客様と利用者の方とここまではまだ多くて当然なのですが、状況を混沌とさせるのが、社内の関係者の複雑さです。

それぞれが良くしたいと考えてのことなので有り難い限りなのですが、ちょっと気になるのが、関わるひとがそれぞれの立場で発した言葉にどのような責任を果たしているのだろうか、ということです。

例えば、今年も多くの企業で6月に株主総会がありましたが、いくつかの総会では株主から厳しい質問があったと聞きます。「会社は誰のものか」という主張はあってよいと思いますが、一方で、株主はどう、責任を果たしているのかという疑問も頭を過ります。

もちろん、自己責任で出資をしているので、責任を果たしていることには間違いが無いのですが、マネージメント・バイアウトで上場を廃止する企業などを見ていると、責任意識よりも権利意識が強いように感じてしまいます。(だからと言って経営陣が常に責任を果たしているのかも疑問ですが・・・)

さて、話が変わってしまいましたが、システム開発に関しては、手を動かさない人の意見は事態を悪化させる一因です。優秀なプロジェクトマネジャーはそれを知っているのでPJの立ち上げ時には出来るだけ多くのステークスホルダーを集めコミュニケーションを良くしながらも、いざプロジェクトが稼働すると関係者を絞っていくのでしょう。

ちなにみ、システム開発に関する責任とは、納期通り要件通りアウトプットであり、それは開発に関わる(口を出す)人、全てが負っている責任です。


手が出せないけど口は・・・

2014年7月10日木曜日

確かめずにはいられない人

10年ほど、パーソナリティをテーマにデータと人を見比べているといろいろとわかることがあります。例えば言葉の背景です。

人は様々な行為にもっともな理由をつけます。

その理由づけが、下手な人もいれば、上手な人も居ます。下手な人は話をすると本人も気づいていない癖を正当化していることがすぐわかりますが、上手な人の話は何重にも理屈で巻き上げているうえに大概、弁が立つのでなかなか本意が見抜けません。

しかし、多くの場合は過信と不信の間で理由づけがされているようです。

過信と不信の間で揺れているのが、例えば、やたらと難癖をつけてくる人。他者の行っていることのダメな理由を並べ立てる人のことですが、この手の人は、つねに不安感があるので自分で確かめないと気が済みません。人に任せるのが苦手だったり報告が無いと声を荒げるか、他者を拘束したがります。

また、不摂生な割に、健康不安を持っているので行きつけの病院があり、他者の健康に結構敏感でなのも共通しています。気分に波がある、気分屋で、しっかりと仕事を仕上げるかと思えば、気が乗らないと仕事を放り出すことも共通項かもしれません。

一方で、自分のダメな理由を語らない、もしくは語っているのに自分を変えようとする努力が見えない人はほぼ、間違いなく過信ですし、逆に、自分のダメな理由ばかり並べて「ありのまま」と言ってしまう人は極度の不信です。

言葉による理由というベールを剥ぐと、実は、案外シンプルな原理なのかもしれません。


都心の雑草


2014年7月9日水曜日

テキストマイニングをやってみましょう!

会話、書き込み、つぶやき、執筆などなど、身の回りには言葉が溢れています。その言葉を分析の対象とする「テキストマイニング」は、かつては高級車が買えるほどの高額なソフトウエアを購入しなければ実施できませんでしたが、今日では手軽に行うことが出来るようになりました。

テキストマイニングを行うには、分析をするデータとツールが必要になりますが、かつては、鍬しかなかったところに耕耘機が導入されたようなものですから広い土地があれば面白いように耕すことができます。

さて手順としては、
1.データの準備(食材を揃える)
2.ツールのセットアップ(まな板と包丁)
3.以下、ツールにてデータクリーニング(食材を洗う)
4.形態素解析(食材を(文を単語に)切り刻む)
5.語と語の関係性を見つける(煮たり焼いたり調理する)
6.プロフィールや時間、地域などのデータと関連づけて分析する(皿に盛りつけ食卓に出す)
7.分析結果から気づき、発見する(料理を美味しく食す)
以上、7つです。わかり易いよう( )の中で、料理に例えてみました。

さて、データは自分で揃えるとして、ツールはKH Coderというフリーソフトがあります。使い勝手も良いので、是非、チャレンジして欲しいツールです。

このツールで出来るのは手順の5までになります。ですから、6と7は自分の力で成し遂げる必要があります。テキストマイニングにおいて、肝心なのは7ですが、5までが手軽に出来るのはとても素晴らしいことです。なぜなら自分で食べる分には、煮たり焼いたりできればOKだからです。

データサイエンス、ビッグデータ分析というとなんだか頭の良い専門家が高額なツールで難解なコマンドを駆使して行うように考えがちですが、テキストマイニングは実は、とても身近に触れることができるデータサイエンスです。


盛って食す

2014年7月8日火曜日

お願い、簡単に批評しないで!(笑)

未経験のプログラミングを手探りで進めている今日この頃。日々の進歩が嬉しくもあり、なかなか進まないイライラも達成感を得るためのプロローグだったりします。

だんだん見える形になって来ると、見栄えも気になり、ちょっと人に見せびらかしたくもなるのですが、苦労して作っている分、思い入れも深くなります。

そんなとき、ここがどうだとか、そこがこうだとか、意見をくれる人が居ます。意見を求めてもいないのに、です。

そもそも、出来としてはまだまだ半ば。不出来なことはわかっています。しかし、初めてのことで苦労しているのです。そして思いは深いのです。

だから一言、”すごい!”と言ってくれれば良いのです。

ただ、苦労や思い入れの多さとアウトプットの出来は必ずしも比例するものではありません。指摘はごもっともなのです。ゆえに、折れること無く、皆、さらに精進するする訳です。

ということで、もっと努力します。はい。


実はとても深いのです


2014年7月7日月曜日

雨が降り、人と接してわかること

自分では正しいと思っていても、独りよがりな正しさになっていることがあります。度を超した「完璧な正義」が時として反社会的であるように大局を見失った正義心には気をつけたいものです。

最近あった2つの出来事です。

雨降る朝、傘を差して歩いていると真っ正面から小柄な男性が歩いて来ます。男性は、傘の前を下げて正面から顔が見えない状態でまっすぐ来ます。狭い道なので少しは避けてくれるかなとも思いましたが、少しも道を譲ることも歩を緩めることもなく、すれ違いざまにすこし接触してしまいました。それでもその男性は振り返ることも無く突進していきました。ここで思い起こしたのは、仕事で我が道が正しいと頑に突き進んでいるときの自分の姿でした。端から見たらきっと同じように見えるのではないかなと感じたのです。

そしてもうひとつは素敵な出来事です。これも雨の日ですが、地下鉄の階段を降りて通路を歩いていると、すれ違った女子高生が肩を叩きました。けっこうしっかり叩かれたので、ちょっとびっくりして振り返るとニコニコしながらこっちを見ています。あれ?どこかで会ったことがあるのかな?との考えが瞬間的に頭を過ったのですが、間髪をおかず、その女子高生は自分が歩いて来た通路のほうを指して、「落としましたよ」と相変わらずニコニコしながら話しかけてきます。よく見ると、折り畳み傘の袋を落としたようです。ハッとしている間に、その学生は小走りに袋に駆け寄ると、それを拾い上げて持って来てくれました。そこにあったのは、完璧な正義ではなく、やさしく強い正義でした。

前を見ずに突進する小柄な頑固おじさんではなく、ニコニコ笑顔で周囲に触れていくこと。

雨の日に傘を使うと普段と違う人との接触がありますが、それは、大切なことを思い出させてくれるためなのかもしれません。


雨が教えてくれること



2014年7月6日日曜日

内定時期というトランシジョンをMALLする午後

経営学習研究所(MALL)の田中理事主宰のsMALLに本日参加しました。テーマは「内定時期というトランシジョン」です。田中さんらしい、テーマ、課題感の的確さだけでなく、詰め込み過ぎ感、スピード感、そして酩酊感を満喫する時間となりました。

長岡先生が元ゼミ生との絡みでお話されたことは、これからの大学のあるべき姿を的確に表現されているのではないかとも感じられ、詰め込まれた文脈はとても複雑で創発的でした。

折角ですので、速報的に記事にしてみると・・・

グランドルール
就職活動、採用活動に関することを扱う時に絶対に避けるべき2つの事項
 ひとごと感覚での批判
 自分の頃をベースにした語り

問題提起
 採用、教育現場の視点から

御社に内定を板田けらとしたら卒業までの間にないをもっと身に付けておけばいいか教えてください
かつては内定者の拘束に否定だったが最近は教育が必要だと考える
大学と社会の関係性が変わった
 大学が入口から出口へ
 段差が広がった

内定時期の持つ2面性
辞退の阻止
マインドチェンジ
チームビルディン
などなど

もはや諸々を一体化してデザインする必要がある!

結構、就職活動は人を育てている
では、大学生かつ全体をどうデザインするか
問題解決症候群などをどうするのか・・・
 教室パラダイム→社会パラダイム
 更には、内定が取れない学生はどうするの?→これは置いておきましょう(今日はテーマから外す)

続いて立教大学助教授舘野さんからアカテミックの視点で

大学から企業へのとトランシジョン
3つの視点
 研究の視点
  企業・大学におけるこれまでの研究の視点
   組織適応、学生生活など拡張
   大学教育の質保証
  両者の思惑の「拡張」と「接合点」
  大学時代の「異質な他者」
 研究者の視点
  採用、選抜、新規参入社の組織適応・能力形成
  前後が無い
 大学教育側の視点
  地位・属性データの使用
  意識・行動データの使用
  大学教育の効果検証
   キャリアの見通し、大学生活の過ごし方、主体性、人間関係
   大学(同質性高い) キャップ 社会(多様性高まる)

 同質性の高い大学生活
 キャリアにおける多様なネットワークの重要性

豊かな人間関係を重視した人、多様なネットワークを持っていた人は組織社会化において正の効果

立教大学経営学部BLP Business Leadership Program
SA Student Assistant (学生だけど教員みたいな役割)

企業は早めに接点を創りたい
大学は予備校化を避けたい
両者の矛盾した思惑が創発のタネとなる?

内定時期をどうデザインするか?

企業の視点
 NOVARESE の高橋さん
 「内定」という感動を一生ものにする
  ブライダルの会社だそうです。
  採用が最優先事項 全社員で採用する→サイバーエージェントさんの考えと似ている?
  エントリー数万人! 凄い!
  募集総合職50名 専門職20名
  内定出しは毎年変えているが、位置づけは「選考の最後にある一大イベント」
  何故なら→ブライダルの仕事 感動の瞬間を創り上げる 人生の中で感動的に記念に残る日にしたい
 具体的には・・・そりゃ感動するでしょ!って感じ。
 内定者研修
  ウォークラリー 地図を渡してポイントを目指していく
  自分たちで勝手に気づいてくれる→理想的!
 感動を与える企業ならでは かな

 ホッピービバレッジ
  新卒で会社を変えていく→うん、納得
  学生気分から社会人意識へ BCPE PE prospected employee
  PEBC BootCampトレーニング 研修という言葉は受け身にさせる→確かに
  ベストな選択は無い。選択をベストにするそれが人生→はい。
  守破離→そこに繋がるのですね
  人材教育4本柱…1万時間、10年、トレーニング、一人一人を見つめたマネジメント
 →ポリシーがしっかりしていると理解が速いです!
 Q)なぜ、内定時期行うのか
 A)間にあわない 守破離の守は何なのかを内定時期にやらないと間に合わない 

次に大学側
 大学キャリアセンターからの視点
 理科大 渡辺さん
 
 大学の特徴は・・・留年に厳しい 学食の張り紙 混雑時勉強、PCの利用はお控えください
 学生と一口に言ってもいろいろ。
 キャリア意識、方向性、ビジョン の高低 横軸
 学習意欲 自立性 アクション 高低 縦軸
 で整理すると学生の違いがわかる

 ところで、キャリアセンターとしての知見では、
 内定を受けてしばらくの後、学生の発言 「こんな自分で通用するのでしょうか?」
  背景→社会に出るのが怖くなった
     →なぜ、この優秀な学生が怖くなるのか

社会に出るイメージ
 大学→社会、教室→職場、子供→大人、幼稚→成熟などなど
 社会人基礎力にある「前に踏み出す力」で想起するのは・・・
  バンジージージャンプ
  それは通過儀礼(イニシエ ーション)であり、移行期であり、試練。
  ・・・でも人生の放送事故は怖い

周りの仲間の助け
 大人の仲間に迎い入れる
自分で決めた感 が大切
 周りの大人は後だしじゃんけんで批判しない

明星大学教育センター 高橋さん
 高校生が入学前の時からサポート(前後も含めて)
 3年次授業に置ける学生の様子
  かなりの学生が履修
  学生の変化 受け身から積極性、とくに対人関係 振返りシートの内容が深まる
  インターンシップに行きたいと行ったのギャップが大きい
  行ったこと行かなかったこのギャップが大きい
 学ぶ態勢が整っていく
 他者との関わりへに抵抗感減
 振返りシートの内容深まり、言語化、具体的記述へ

内定時期にやりたいこと、やったこと

学生時代から社会人へのトランシジョンは変節点として多くの視点、課題が存在する
しかし、通過儀礼的にある年齢

内定をもらった学生の希望は「がつがつしないでゆったり」←学生生活前半前のめりがあるから? 

学生時代の今しかできことをやる
自信がついて行動が促進された
社会に出るイメージがついてやるべきことが明確に
貢献出来るか不安

内定時期の行動
就職準備行動
大学生かつ充実行動
就職鰹堂の影響を受けているしこの事故の齟齬し方が英気用を与える

内定時期とは?
進路決定後のおまけではない
デザインフォローの有効な時期

学生の視点
内定時期に何をなやみどう行動したか
 A社、B社、C社から内定をもらった、その後の話。 
 A社 内定を辞退した理由→懇親会とタクシーチケット
 就活の軸は①20代で活躍できる、②社会への影響力が大きい、③一緒に働きたいと思う人がたくさんいる⇒しかし、動機の同質化に不安
 B社・C社カンパニー感での人材争奪戦

どこで働くか 4年生の過ごし方をどうするか

入社前 圧倒的な成長をしたい
入社後 世の中の不を会社のリソースを使ってビジネスで解決したい
変化があった。

Q)何故、スタンダードじゃなくなったのか? 就活で変わったの?
A)就活は通過点でしかなかった

Q)周りの人との違い
A)自身が周りに流されたくないタイプ

長岡先生、学生目線

大学時代にやること
 多くの人はビジネスに行くのだから

 ビジネスに行ったら出来ないこと⇒長岡ゼミ

と、とても書ききれない内容が詰まっていました。ふぅー。この件は、引き続き考えていきます。


がおー、ですわ。


2014年7月5日土曜日

「らしさ」にみる違和感の本質

採用面接で応募者に会社選びのポイントを聞くと「自分らしく働ける会社」とよく表現します。「自分らしさ」を大切にしたいという気持ちは理解できるのですが、なんだかそれを聞いてポジティブに受け止められません。

そもそも「らしさ」って何でしょうか?

昨日の自画持参では「カフェらしさ」についてがちゃトークを行いました。スピーチを聞いて対話を行うなかで、何に「カフェらしさ」を感じるのかは多様であることがわかりました。それは、イメージであったり、造作であったり、メインの商品であったり、価値観であったりしますが、一方でそれが、何となく共有されていることにも気づきます。

まとめるてみると「らしさ」とは、
”多様で特定することができないけどそれぞれが暗黙的に共有されていること”
と言えそうです。

さて最初にもどって、「自分らしく働ける会社」という表現を、この「らしさ」に則して定義してみると
”自分の様々な面を、言わずとも皆が共有したうえで働ける会社”
ということになりますから、当然「おいおい・・・」となります。

ところで、がちゃトークの中で、「常連」という言葉が出て来ましたが、カフェとは店主や他の客が自分のことを理解、承認してくれる、「自分らしく居られる場所」なのかもしれません。

そして、常連になるためには、店に通い続ける努力が必要なように、相手の理解、承認に向けて努力し実践するのはまず本人です。

結局、努力への覚悟と実践なしに「らしさ」と言ってしまうと空虚な印象を与えてしまうのでしょう。


暗黙的に共有されていること

2014年7月4日金曜日

「マイノリティ・リポート」だったり「PSYCHO-PASS」だったり

近未来の社会を描いた映画やアニメなどの中には、「人の内面」にフォーカスしたものがあります。代表的なものが「マイノリティ・リポート」や「PSYCHO-PASS」です。

「マイノリティ・リポート」は、2054年頃、「PSYCHO-PASS」は、2112年頃という設定のようですので、50年後、100年後の社会を想像している物語です。

前者は、「予言者」の予知能力によって、後者は、計測技術によってと方法は異なりますが、共通しているのは未然に犯罪を防ぐシステムが社会に出現していることです。

確かに、社会から反社会的行為が無くなれば暮らしやすくなるとは思いますので、能力や技術の進歩がその方向に進んで行くと考えることは自然です。

実際、人材に関する議論において「人の内面」を測って行動を科学するアプローチはこの10年間でかなり認知されるようになりました。当然、違和感を持つ人もまだまだ多いと思いますし、これまでの経験で知見を積んだ人たちにとっては受け入れ難い面もあることと思います。

一方で、想像した以上に進歩したのがGoogleを代表とする情報のデータ化です。POSやクレジットカード、電子マネーの普及により、お金や商品の流れがデータ化された一方で、スマートフォンの普及によって、私たちの日々の行動や思考のプロセスもどんどんデータ化されています。

このままで行けば、データ化された情報によって人の行動が予期され、管理されていく状況を空想と言えなくなることは間違いありません。

しかしながら、人は外的環境を足場にして行為、行動を創発しますから、データ化の進展が本当に行動の予期に繋がるのか疑わしいのも事実です。マクロに考えれば、データ化が進んでも大災害は防げないように、大局的な事象は時事変化する要因が複雑に関係しているため超革新的なイノベーションが無い限り確実な予期は不可能です。

但し、科学実験のように条件(環境)を固定する、もしくは、ある程度、固定化された環境の下ではデータ化は予期のために有用です。


喫煙に対する社会の目が冷たくなり、喫煙者が減っており、喫煙者のマナーがより厳しく監視されているにも関わらずマナーが改善されない状況を目の当たりにすると条例や仕組みを強化してよりシステマチックに対処してほしくなりますが、非喫煙者の中にもマナーに関して同じ傾向性を持った人は必ず居ますから、例え人の内面が正確に測れたとしてもそれで手を打たれてしまったら多くの人が困ります。

やはり、基本的には「罪を憎んで人を憎まず」(行動で評価し、人の内面で評価しない)の精神を忘れてはいけないのでしょう。


だめよー、だめ、だめ

2014年7月3日木曜日

言語化するということ

テキストマイニングの技術が一般化して、日常に溢れる大量の文字情報から、「言葉」を見つけることが簡単に出来るようになりました。

wikipediaによると言葉とは「人間が話す・書くなどの行為をする事によって情報伝達手段となりうる、意味があるものの総称」であり、言語とは「コミュニケーションのための記号の体系」ですから、「言語化」とは「言葉」という意味をコミュニケーションのために体系化する行為を指していることがわかります。

さて、テキストマイニングで見つけた「言葉」の意味を体系化してコミュニケーションを行うためには多くの意味を正確に内在しメタファーとして機能する新たな「言葉」を見つけなければなりません。つまり、体系化によって抽象度を高め、一方で、コミュニケーションが成立するための共有性が確保されなければならないのです。

さらに、慶應大学加藤教授はFacebookで
”「言語化」は、実践のためのことばだ。「言語化がむずかしい」「まだ言語化できていない」のように、言い訳するためのことばではない。難しいことを承知の上で、ことばをあたえる努力をするのだ。ことばにできないことが、たくさんあることを思い知るために。”
と発言されているように、「言語化」には行為、行動を創発することが求められています。

整理すると「言語化」とは
1.言葉を体系化して抽象度が高い言葉を与える
2.共有され、流通する状況を達成する
3.行為、行動を創発するゆらぎを内在させる
ことです。

前述の加藤教授は「ことばにできないこと」という呈示をされていますが、テキストマイニングは、その一つの解決策に過ぎませんから、そもそもの話では、
0.言葉になっていない意味をみつけて言葉にする
必要があります。

流れにすると言語化の全体像は以下のようになります。

意味の発見⇒言葉化⇒体系化(言語化)⇒共有・流通化⇒行為・行動化

意味を見つけて行為・行動を創発することは「自律」であり、「自分の時間を生きている」という池上高志氏の生命の定義に該当するわけですが、共有・流通によって生命を伝播する機能が生じることに注目したいと思います。

このように、言語化のメリットは伝達可能な少ない情報で高度なコミュニケーションが実現し行為、行動を創発することが可能になることとです。また、伝達可能な情報は、データ処理が可能なことを示唆していますから、数えたり、比較したりすることで可視化出来ることも大きなメリットのひとつでしょう。


言語化なう

2014年7月2日水曜日

大学生という器に大学生本人は何を入れれば良いのだろうか

社会人への相転移を控えた大学生は、入学から卒業までの4年間に様々な経験を積んでいます。勉強、運動、サークル、アルバイト、趣味、留学などなど、限られた時間の箱の中は人それぞれ、色とりどりの経験で一杯です。

さて、採用面接では、その器を面接官の前で社会人の器にひっくり返して経験のお披露目をするわけですが、最近では、その経験も面接受けしそうな部分だけを決まったように並べられます。その過剰適応は怖くなるほどで面接中にちょっと物足りなそう顔つきをすると、表情を読んで面接官が聞きたいだろうことを話しはじめたり、何故か謝ったり、泣き出したりします。

18歳から22歳の4年間で大学生という器に詰めたものは一杯あるはずですが、器をかえると輝きが無いのは詰めたものが違っているか、器が間違っていたかのいずれかではないかと考えてしまいたくなりますが、如何なものでしょうか。

大学生という器の実態は何なのか、大学生という器に何を詰めるのか、この夏に考えていきたいテーマです。


はみ出すことは素晴らしい!

2014年7月1日火曜日

多くの人と仕事をするときに他罰にならない方法

社内外の多くの人と関わりながら仕事を進めることは大きなストレスがかかります。思ったように進まない、決まらない、責任逃れが起きる、コミュニケーションがズレるなどなどストレスの原因も多岐に渡ります。

特にストレスを感じるのが、非協調的な姿勢です。例えば、「こうしたい」とか「こうするべき」とか一見、積極的な関与に見えて、実はそれを実現するために、他者がどう動くのかとか、自分は具体的に何をすれば良いのかということへの思慮が足りないといった、恊働の基本が足りていないケースも非協調的な姿勢に該当します。

積極的に見えるのは自分の関心や興味のあることだけで、他の人がどう動いているのか、とか、次にどう動けば良いのかといった視点がありませんから、要するに、気分屋、飽きっぽい奴、単なる言いたがり、お調子者でしかありません。実際、こういう人からは自分から、他者に動きを聞いて自分がどう支援すれば良いかという行動は見られません。

こういう人と仕事を進めると、ついつい他罰になってしまいます。しかし、そこで他罰になっていたら自分も非協調的な一人で終ってしまいます。そうならないためにはどうしたら良いのでしょうか。

そこで多くの人と協働する力のある人を見ていると、それらの人には以下のような5つの共通点があることがわかります。

1.目的や予定をぶらさない
思ったように進まなくなると、まず、予定を変えたり、妥協したくなるところですが、目的や予定を変えないためにどうすれなよいのか、ということを常に考えています。

2.見通しと段取りを重要視する
今、どうなっているのか、それはどんな状況なのかを把握し、判断に備えています。

3.日々確認を怠らない
前述のプロセスを確認するメッシュが細かく、習慣化されています。

4.笑顔のコミュニケーション
他のメンバーに厳しい要請も出しますが、感情的にならず、基本、笑顔で対応します。また、他のメンバーに対して常に、自分がどう支援すればよいのかを問います。

5.自身の仕事は高レベル
自分の担っている役割を的確に理解しそれを実現する仕事は、速くて緻密で精度が高いです。

他罰にならない方法というのは、これらの共通点と自分の行動照らし合わせてチェックすることです。

行き当たりばったりになっていないか、見通しを立てて段取りしているか、日々の確認を疎かにしていないか、不機嫌な感情が顔や態度に出ていないか、中途半端な仕事になっていないか、これらをチェックすれと、他者を責めるより先に自分がやることが見えて来ます。

さて、蟻の研究では、優秀な蟻だけでなく、出来の悪い蟻がいる群のほうが、捕食確率が上がるそうです。ですから、協働する能力の高い人をみて落ち込む必要は無いのでしょう。ただ、蟻の研究でも、出来の悪い蟻が居ると食料を見つける確率が上がるものの、見つけた食料を効率的に運ぶのは優秀な蟻だそうですから、協働する能力を獲得することは大きな成長と言えるでしょう。

そして、他者と恊働するということは、まさにこういった学びの宝庫であるようです。


自分を写すもの