2014年2月28日金曜日

探るのはたのしい? 探るのはつらい?

膨大なデータの中から目的の物を探すことは困難です。データマイニングであれば、ざっと片付けてぱぱっと整理して、真因を探り出すことはひたすら楽しいのですが、砂浜に落ちたコンタクトレンズを探すことは愉快じゃありません。

しかも、同じアウトプットを作る必要があるとき、探すのはデータであり、かつ、そのデータを作成したプロセスです。これは、正直辛いことです。

楽しさと辛さを分けるのは、自分の思考スタイルを発揮することと、他者の思考スタイルをなぞることの違いです。

すこし勇気を出して例えると「習う」と「学ぶ」の違いとも言えるでしょう。

「辛い」ことには「辛い」だけの価値があり、「学ぶ」ことには「学ぶ」以上の意味があります。

だから「嫌がらず何でもいろいろ探ること」が今日のポイントです。


探すのです

2014年2月27日木曜日

会議で何かを生み出すために必要なこと

仕事をするなかで「会議」に費やす時間は決して少なくありません。しかしながら、「会議」を有効に行うのはなかなか難しいことです。

「会議」とは何か?

様々な定義があると思いますが、今回は、「集う」「過ごす」「散る」の3つの局面で考えてみたいと思います。

「集う」
「集う」という行動は、一人では成立しません。複数の人がある瞬間にある場所に存在するという、結構、高度な行動です。「集う」ことが乱れると「会議」の雲行きはおかしくなります。

「過ごす」
「集う」状態で一定の時間を維持することは集中力が求められます。たまに、身勝手な人が居て勝手に「会議」に出入りすることがありますが、学校であればADHD(注意欠陥多動性障害)ですね。

「散る」
時間通りにしっかりと目的を果たして会議を終えることは実は困難です。議題を消化出来なかったり、気づきやリフレクションの無い会議など、散れていない会議では、次の会議日程をきめてもだらだらするだけです。やはり桜ではありませんが、「散り際」が大切です。

多くの会議が議題や目的以前にこの3つの行動を整えるだけで良くなるように思います。逆を言えば、「集う」「過ごす」「散る」を揃えるためには、参加者の足並みと集中力としっかり終らせる覚悟を持って望む必要があって、本当は「会議」を行える状況というのは非常に少ないものなのだと考える次第です。

そして、実際の多くの状況では、「会議」ではなく「作業支援」、ナレッジワークの「実践」ではなく「練習」と呼ぶべきなのかもしれません。


集う・過ごす・そして散る

2014年2月26日水曜日

ローリングストーンズと松下幸之助 長く続くことの不思議

継続は力なり

非常に、説得力のある名言です。また、以下のような松下幸之助氏の言葉もあります。

失敗したところでやめてしまうから失敗になる。
成功するところまで続ければ、それは成功になる。


今日、コンサートを見て来たローリングストーンズは1962年4月に結成され、52年間も続いているすごく「継続」しているバンドです。ちなみに、自分は1962年3月生まれなので、ほぼ、自分の人生とストーンズの活動は同じ時間を経ていることになります。

ストーンズは最近流行のシニアマーケットを狙った再結成バンドではありません。メンバー交替はありましたが、ずっと現役を継続しています。そこに松下幸之助氏の精神を感じるのです。

バンドメンバーの個性やこれまでの「やんちゃぶり」を考えると続いている方が不思議な気もしますが、まさに、半世紀をトップグループで走り続ける、「成功」しているバンドと言えるでしょう。


走り続ける

2014年2月25日火曜日

いつはじめるの? 今でしょ、とはいかない原因を探る

正解の無い問題を解くときに、なにをもって正解とするか。決断力、即断即決など早く決めることを良しとする言葉がある一方、熟考、熟慮などじっくり念には念を入れてことを良しとする言葉もあります。

決断力を上げる方法があります。

例えば、単純な四則演算などを解いていると決断力があがるそうです。一昔前に流行った「脳トレ」というゲームアプリケーションがありましたが、その中に入っていた計算問題などには恐らく決断力を上げる効果があったのでしょう。

スピーディに答えを出す脳の回路を活性化しておくと、四則演算でなくても答えを出せるということであれば、答えを出せないときは脳の回路が活性化されていない可能性があります。

原因その1 リズムが悪い

脳の回路が活性化されていない背景を考えると、集中力低下、注意力散漫、眠気、疲労などなどが思いつきます。

原因その2 気質
原因その3 体調が悪い

一方で、脳の回路が活性化されていても決断できない場合があります。より慎重に見極めようとするケースです。リスクが大きいとリスクを最小にするために様々な可能性を精査する必要が出ますからすぐには決められません。

原因その4 リスクヘッジ

なぜ「今でしょ」とならないのか、自分のコンディションや自らの気質、思考を客観視してタイミングを外さないようにしましょう。


Fly Now!

2014年2月24日月曜日

「対話を取り入れる」ことから「対話を真ん中に据える」ことへ

会社で月曜日の朝にナレッジの共有を図る全体会議を行っています。その会議の発端は、朝礼の際に、長々と説法するスタイルに限界を感じ、参加者がもっと主体的に関われる場作りをずっと模索することにありました。

主体性をもって会議に参加するとは、どういうことだろうか。最初の疑問はそこです。「参加者皆に発話があってお互いに気づきを得る」という場のイメージはすぐに思い浮かぶのですが、どうしたらそのような場になるのかについては、なかなか思い浮かびません。

そこで、まず行ったのは、普段、みんなが口にする要望を実現することです。

自社においても、他社においても多くの職場で聞かれるのは、「他の人が何をしているかわからない」という声です。これは、かつては、縦割り組織の専売特許だったのですが、現在では仕事の多くがPCを使うものになったり、仕事そのものが複雑化することでフラットな組織においても日常化している問題です。

この日常化している問題を解決する場を作れば、みんなの要望が適うはずだから、きっと主体的をもって参加してくれるだろうと考えたのですが、実際はあまりうまく行きませんでした。

その理由として、組織には、連携を「正」とする圧力があり、組織構成員にとって「他の人が何をしているかわからない」というのは「頑張りました」と同じように「自分は出来る限りやっているのです、だからこれ以上はできません」という言い訳のサインなのではないかと考えました。

顕在化している要望を適えても、求めるイメージには至らない。

これは、大切な気づきでした。

次に行ったのは、強制的に発言させることです。常に、聞いている姿勢から、自らが話す機会を強制的に作ることで強引に場を変えようと目論んだのですが、これは、半ば自棄っぱちなアプローチです。思いの無い発言や、独り言の発話では当然、他人の心は動きません。

発話が大切なのではなく、発話に至るプロセスが大切なのではないか。

発話だけでは主体性を感じられないことから、話すという行為ではなく、「考える」「話す」「聴く」「考える」という行為の連鎖において創発される次の「話す」に、初めてその人の主体性が発現し、そして主体性が生まれると他人の心が動くとの仮説をもって現在行っているのが、「対話」の実現です。

目的にそって「対話」をデザインするのでなく、「対話」を目的としたデザインをする。

現在のデザインは、「対話」の導入となるテーマを呈示して「考える、整理する、対話する、考える、整理する、共有する」の1クルーを30分でまわして、最後にまとめてリフレクションというものですが、まだまだ、模索は続いています。

ところで、組織構成員、個々の主体性の発現が組織課題を解決するというのは空想です。組織課題を解決するために主体性が発揮されなければ組織課題を解決するどころか、利己主義の蔓延で組織はバラバラな状態になります。実際、主体性を高めると、初期の段階では離職率が高まりました。

参加者が主体的に関われる場と、自発的恊働の実現には、まだ遠い隔たりがあるようです。


デザインする

2014年2月23日日曜日

仕切る側と見る側の目線を考える

大きなコンサートに行くと、舞台に背を向けて客席に向き合う会場整理の方を多く見ることになります。普通、舞台から客席側を見ているのは、演奏者のみですから、なんとなく違和感を感じます。

それは、主催者としての立場を的確に遂行しているからでしょう。
「きっと舞台を見たいだろうに仕事に忠実で偉いなぁ」とたまに思ったりします。

ところで今日は東京マラソンがありました。ボランティアの方が沢山出て、コースの警備をされていました。

マラソンを見ながら気づいたのは、ボランティアの方たちの目線が、観客と同じになっていことが多かったことです。ランナーが通過する度に応援の声や拍手が送られるのですが、結構、一緒になって拍手をしていました。

この場合の観客整理は、イベントの統制というよりも、見る側の自主規制に近いのかもしれません。

かつて大学野球を見に行ったとき、応援団は試合に背を向けて観客を統制していました。もちろん、チアリーダーのように観客を盛り上げ一緒になって選手を応援する役割もいましたので全員が試合に背を向けている訳ではありませんが、チアリーダーも客席を意識してしっかり統制していました。

気づきをもとに、仕切る側と見る側の目線の比較で日頃の自分の目線を意識してみたいと思います。


目線が語る

2014年2月22日土曜日

本と電子ブックの違いを考えた

”読んだ本はなかなかふえない。読みたい本はどんどん増える”(「大村はま 優劣のかなたに」苅谷夏子著 P.125)大村はまさんがご指導された中学生が残した言葉だそうです。

本を読む習慣がある人は、読んだ本以上に、本がどんどん増えて行きます。また、一度読んだ本で気づきのあったものを処分するのは難しいことです。

最近では電子ブックという新しい形態での流通が増えていて、本を保管する場所という観点では魅力的なのですが、どうもその便利さを享受できないでいます。

なぜでしょう?

「大英博物館へ行けば本は好きなだけ読める。とはいえ、自分で所有して自分の書架に置くのと、借りて読むのではわけが違う。」(ギッシング『ヘンリー・ライクロフトの私記』(池央耿訳、光文社古典新訳文庫、2013/09) なぜなら書物とは、目にし、手にとることで記憶を蘇らせる装置だから。 山本貴光氏(@yakumoizuru )ツイットより

このツイットを見てハッとしました。

人は外的足場によって創発する存在です。人間は、脳の限られたリソース(資源)を外的環境に依存し開放することで、より高次な脳の活動を実現しています。コンピュータとネットワークの急速な進歩のなかで全文検索システム、そしてネット検索システムが発展したのはその良い実例です。

これは、「誰が何を知っているかを知っていること」であるトランザクティブ・メモリー(社会心理学者、ダニエル・ウェグナ―が唱えた組織学習に関する概念)の考え方とも相通じると考えます。

そして本は、人間が依存する外的環境の一つですが、「記憶」は「知識」だけでなく五感に拠るものであり、物理的な本は、視覚情報として「記憶を蘇らせる装置」です。そこが、電子ブックと決定的に異なります。

”読むひまもなくて、読めなくて、でもね、これは読みたい、って思っている本がいつも胸に少しずつある、少しでもある、そういう人はやっぱり、考える世界とか、高い世界、文化、そういう世界へ近いっていう気がするんです”(「大村はま 優劣のかなたに」より)

私たちは不自由な存在です。しかし多くの外的足場を持つことで特定の外部に対する依存を薄め、自立感を実現し自由を感じています。逆に、未熟な者、自立出来ていない人は、外的足場が足りていない、つまり、本を読んでいないことは自明の理と言えるでしょう。

本と電子ブックの違いを考えましたが、結論としては、新たな便利な外的環境を増やしながらも、多くの本を手に取り、五感で感じてることが大切だということでした。


記憶を蘇らせる

2014年2月21日金曜日

点と線と面と円(演)を描く

昨日のブログ「点と線 そして面と円(演) (MBOや360°フィードバックに想うこと)」のメタファーが気に入ったので描いて見ました。


今朝はソチオリンピックで浅田真央選手が素晴らしい演技に、朝から涙しましたが、考えようによっては、この「点と線と面と円(演)」を理解するのにフィギュアスケートはとてもわかり易いメタファーと言えるかもしれません。

それは、トリプルアクセルなどのジャンプそれぞれのエレメントが点であり、点と点を結ぶスケーティングやステップが線、リンク全面を使った滑走が面、そして見る人の気持ちを引き込み感性を揺さぶる演出が円(演)です。

競技が終った後から、TVやツイッターなど、公私を問わず様々な振り返りが続いています。それはまさに、円(演)のあとのまとめであり、Wrap up の競演です。

良いものを見せてもらいました。


氷上の競演

2014年2月20日木曜日

点と線 そして面と円(演) (MBOや360°フィードバックに想うこと)

一期一会と言いますが、出会い頭のような活動が組織にはよくあります。例えば、MBO(目標管理制度)などの人事イベントも、その時期になるとあわててシートを引っ張り出して来てできばえを記入して上司と面談をし、時期を過ぎるとしまい込んでめったに見ることはなくなる点の活動です。

点の活動を○○月間にようにすると線の活動になります。「水曜日は早帰りの日」から、「2月は早帰り月間」とすると時間に余裕がうまれてリズムが変わる気がします。

線の活動がクロスすると面の活動になります。空いた時間を使って仕事とは異なる繋がりをもったり、普段は接点のない部署の人達と交流することで世界は急激に広がります。

さて、そのような面の活動で何かを包むと、そこには円(演)の活動が生まれます。それは、目的に向かって織りなし連鎖する人の活動です。

円(演)の活動であっても、糸がほつれたり切れたりすると散けて点の活動に還ってしまいます。組織でもよくありますね。やっと纏まったとおもったらいつの間にか皆、個人プレイになっているとか・・・

MBOや360°フィードバックなどを実施してとても重要だと思うのは以下のような配列です。

1.まず点を打つ(打たなきゃ始まらない)
2.点が線になるようにリズムを作る(打ちっぱなしが許されるのはゴルフ練習だけ)
3.線が交差して面を作るように組み合わせる(平織り、綾織り、編み込み、いろいろある)
4.面の真ん中にコア(バリュー)を置き、包み込んで円(演)にする(分相応のものがよい)

線が弱いと織りなすときにぶちぶち切れますから要注意です。


朝日に吠える雪

2014年2月19日水曜日

仕事を陣取る4つの力

人には誰でも強みがあります。ですから、組織に帰属して仕事をする際にも強みを活かせれば貢献度が高まります。

組織をマネジメントする立場においては、ジグソーパズルのように個の強みを組み合わせることが出来れば組織力が高まるはずです。

しかしながら、「人」は場所が決まっているピースではなく、どんな場所にも嵌り、場所によって大局的な役割を生じる「碁石」のような存在と考えられます。ただし、「碁石」のように全てが同じ規格的な存在ではありません。各人には個性があり、役割を果たす上で強みが活かせると打ち手以上の貢献が生まれるのです。

一方で、役割を果たす強みが足りないと手詰まりを起こします。

では仕事における役割とは何でしょうか。碁盤を念頭に4つの角に例えて考えてみました。四方位でも良いかもしれません。

1.処理操作:器用に正確に素早く事物を取り扱う
2.企画連想:物事の発案、応用、転用をおこなう
3.対人疎通:人と通じ合う
4.全体俯瞰:自身の客体化も含めて事態を見通す

さて、全ての人はこれらの役割において強みをもっているのですが、強みの程度によっても置かれる場所が違って来ます。重要な局面や、挑戦的な局面では明らかに強みのある人材が陣取る必要があります。

あらゆる仕事には空間的行動と時間的行動が伴いますから、5W1Hの整理が生じます。その1例がスケジューリングですが、そこで必要なのは全体俯瞰です。つまり、全体俯瞰の強みを持った人材がその仕事を陣取ると期待以上の貢献が生まれますが、全体俯瞰が強くないひとには重要なスケジューリングを任せることが出来ません。

さらには、強みは伸ばすことができますし、弱みを克服することもできますから、マネジメントとは、そもそも固有の強みがあって、さらに刻々と変化する碁石で仕事の陣取りをするようなものかもしれません。


陣取る

2014年2月18日火曜日

3つの言質とは


「人の間で行われる、工夫を凝らした言説は、全部で、次の三種類になる、すなわち歴史的[叙述的]なもの、理論的[哲学的]なもの、政治的[現実的]なものである。」(プルタルコス「ホメロスについて」、『古代ホメロス論集』、内田次信訳、西洋古典叢書、京都大学学術出版会、2013/10)

山本貴光さん(@yakumoizuru)のツイットです。このツイットを読んでハッと気づいたことがあります。

研修でレゴを使い参加者の会社の未来を創ってもらうことがあるのですが、作品を類型化すると融合昇華型(理念志向)、自立統合型(戦略志向)、場面展開型(実務志向)の三種類に分けられます。それは言説の三種類とも通じる部分がありそうだと思ったのです。

考えれば、絵画においても、印象、抽象、写実といった分類がありますし、身近なところでは、プレゼン資料や報告書も三種類に分けられそうです。さらにはワークショップにもこの傾向があるように感じます。

話はレゴに戻りますが、グループでレゴの作品を創るとき、誰がリーダーになるかによって類型が分かれてきますから、仕事でも誰がリーダーになるかによってアウトプットは予測出来るのかもしれません。


What shall I draw?

2014年2月17日月曜日

適材適所の人を考える

仕事の熟達が進むと、余裕をもって仕事を進められるようになります。しかし、あまり余裕を持ち過ぎると周囲からは仕事を流しているように見えますし、そんな状態を見て人は適材適所とは考えないでしょう。

では適材適所がどんな状況かと言えば

1.フロー(忘我)な状態に没入する
2.その人材の個性が発揮される
3.人材の能力が向上する
4.周りの人に気づきを与える
5.感謝、賞賛、敬意を集める

ということではないでしょうか。

その人なりに一生懸命仕事を覚え、成果を出そうとする人を見て、周囲の人は適材適所を感じるように思います。

例えば、今年、NYヤンキースに入団した元楽天の田中投手。
試合への没入、固有の存在感、大記録の誕生、チームの活性と優勝、監督やチームメイトからの感謝、ファンからの賞賛などなど楽天においてはまさに適材適所であったと言えるでしょう。ヤンキースでも適材適所であることを是非、証明して欲しいものです。

一方、集中力に掛け、誰でも出来る作業に埋没し、向上感に薄く、周囲の人が首を傾げ、心配されたり不満を持たれたりする。これは、適材適所の極にある状態です。

それに比べ、一生懸命取り組み周囲はその真剣さを認めているけど、能力の向上がなかなか実感できない、それは適材に至る適所な状態です。

このように考えると、適所とは人材が適材に至る場所のことです。つまり、自分を磨くために自ら作る場所であって与えられたり、どこかに広がっている桃源郷ではなさそうです。


場を作り自らを育む

2014年2月16日日曜日

マニュアルを作ってみる

兎角、批判が集まるマニュアルありきの仕事の仕方ですが、困ったときに最初に探すのがマニュアルであることも事実です。

ちょうど、ある仕事で解説と活用のマニュアルを作る必要が出て来たので、どう作るのか整理してみます。

まず、マニュアルとは何でしょうか。Webの辞書で調べてみたところ

1 機械・道具・アプリケーションなどの使用説明書。取扱説明書。手引き書。
2 作業の手順などを体系的にまとめた冊子の類。
3 操作などが、手動式であること。「―車」

とありました。その中で今回作るのは、1と2に該当しそうです。

自分の理解を言語化すると、「特定のナレッジや仕組みを説明するための文章」ということになりました。そこで、「何を誰に何故説明するのか」と「説明をする文章の作り方」に分けて考えることにします。

まず、「何を誰に何故説明するのか」については、
「抽象的な言語」を「社外の人」に「理解、活用してもらう」ために説明することとします。そして、「言語」の抽出、「社外の人」のプロフィール作成、「理解、活用」の達成状況を定めることにします。


要素を並べる

2014年2月15日土曜日

大雪であらわれる3つのリーダーシップ

東京は、大雪から一週間経って、また、大雪に見舞われました。このような状況で発揮されるリーダーシップには3つのタイプがありそうです。以下、私見です。

1.冷静沈着型
まずは事態をしっかり見極めてその後の行動を決めるタイプです。他者に対する指示や命令は事態を掌握した後になりますから、人によっては対応が遅く感じます。

2.先手統制型
非常時を向かい受ける姿勢が強く、先手を打って事態をコントロールしようとするタイプです。傍目には、ちょっと意識が強すぎるように感じられるかもしれません。

3.連携組成型
事態の推移と同時にネットワークを強化して対応力を高めるタイプです。即応的に反応し、機転をきかせて対処するので、瞬発力はあるのですが、場当たり的な印象もあります。

リーダーシップとは、自分がどう行動するか主体的に決めることが出来ることですが、行動タイプはそれぞれです。そして、そこにそのようなフォロワーが居るかで非常事態の乗り切り方が決まって来るのでしょう。


この状況であなたはどう行動しますか?



2014年2月14日金曜日

思い込みに気づけるタイミングはどこにあるのか?

仕事をしていて、失敗するとき、思い込みがその原因となっていることが多くあります。

今日は、会議室の予約でした。

13時30分から16時30分まで予約した会議室でMTGを行っていたところ、14時30分過ぎに会議室に次の利用者が来ました。「16時30分まで取っています」と追い返してしまったのですが、その後、予約した日を間違っていると指摘を受けました。慌てて確かめたところ、14日で予約したつもりが13日で予約していて大変、迷惑を掛けてしまいました(ごめんなさい)。

会議室の利用はグループウエアで管理しており、利用前に確認した(つもり)ので余計に思い込みが増していたようです。

このような「思い込み」は、仕事ではミスを呼びます。「ちゃんと確認したのに・・・」というミスです。確認不足のうっかりミスとは違って、発見がやっかいです。「間違っているはずがない」と考えているからです。

一度、「こうだ」と思ってしまうと以後の行動はそれが前提となってしまうので早いタイミングで思い込みが排除出来ると助かります。

今日のケースにおいて何回、思い込みに気づくチャンスがあったのでしょうか。

1.会議室の予約時
2.MTG前に予約の確認を行ったとき
3.次の利用者の最初の訪問時

振り返ると3回もチャンスがあったことになります。
これを一般化すると、「直後、思い出したとき、指摘されたとき」と言えるでしょう。

タイミングを外さないことが肝要なようです。


タイミングを大切に

2014年2月13日木曜日

ネットの怖さを知るための、豪華3点セット

仕事でも遊びでもインターネットサービスを使わない日はありません。何気にサービスを使っていますが、私たちが考えている以上に、行動データをサービス提供者に与えています。

例えば、フェイスブックやツイッターにしても、読んでいるだけで投稿やツイットしていなくても何をどの順番でどのくらいの時間読んでいたか、すべてデータで残っています。アマゾンなどのECサイトではもっと情報を残しています。

世の中では、それをビッグデータと呼び、企業は事業戦略の一環として活用していますが、履歴データをしっかり眺めていると、ネットワークの向こうでどんな行動をとっているかがわかるようになるから不思議です。

一般的なデータ理解のプロセスは以下のようなものです。

1. オーソドックスにデータを見る
2. 基本的なパターンを認知する
3. イレギュラーなデータのパターンに出会う
4. なぜイレギュラーなパターンが発生するのか探る
5. パターン発生に関する仮説を持つ
6. 生の声を得て仮説が検証される
7. 様々なデータのパターンを類別し背景を推察できるようになる

このようにプロセスを整理すると、重要なポイントが浮かび上がって来ます。

それは、「イレギュラー、仮説、生の声」の豪華3点セットです。

他と同じようなデータであれば、膨大なデータに埋もれて目立つことはありません。ところが、ちょっと違う傾向になると異質性によってそれだけが浮き上がって見えるのです。

例えば、いつもはアマゾンで本を買っていたのに、あるときカメラを買ったとします。すると、それは、目立つ行動ですから、ネットの向こう側では「趣味が出来た」「子供が生まれた」などの仮説を持ちます。そこで、「レビューを書きませんか?」というお誘いが来て、「子供の写真を・・・」などと書き込んでしまうと「やっぱりね」となるわけです。

また、何らかの正しくない操作を行って、サービスのアカウントがロックされたとします。ユーザーは「自分は間違っていない!」と意気込んでサービスにクレーム紛いの電話をしたくなりますが、何をどうしてこうなった、と先方には全てわかっていますから気をつけないと「そそっかしいくせに他責な人である」という先方の仮説の実証を手助けしてしまうことになります。

「私はこんな人です」と、自己開示性の高い人にとってはあまり気にならないことですが、適度な自己開示を心掛ける人は、「普段と違う履歴を残さない」「生の声を届けない」ように配慮すべきでしょう。

変な操作をして、サービス提供会社に問い合わせるなんてもっての外。
要するに、正しく使わないとみんなばれていますよ、という怖いお話でした。


お見通しだいっ


2014年2月12日水曜日

今と未来という時間的なもの

山や石や建物などは、人によって態度を変えることはありません。というか、誰にとっても山は山、石は石、建物は建物です。これらは空間的に存在するものです。

一方で、動きは、空間的なものに時間的なものを加えます。

この時間的なものには、今と未来が存在していて、今に重きを置く人は「現実主義」、未来に重きを置く人は「未来志向」と言われます。

「現実主義」の人にとって「未来志向」の人は、地に足がついていないように思い易く、「未来志向」の人にとって「現実主義」の人は、夢が無いと思いがちです。

ところで、「自分の時間を生きている」という表現がありますが、それは自分の今と未来を統制していること、もう少し平たく言うと「未来志向」であれば、自ら未来を描き今を生きている状態を、「現実主義」であれば、毎日の暮らしの先に未来を展望することを言うのだと思います。

つまり、「今」だけでも「未来」だけでも片一方だけでは時間的ではありません。なぜならそれでは静止画だからです。

キャリアにおいても、学生の主体的な学びにおいても、大切な事は「自己統制」ですが、統制するのは空間的なものではなく、時間的なものでなくてはなりません。

就活であれば、大企業への帰属という空間的なものを手に入れるのではなく、学生が未来を描いて今を生きている事実や日々の活動が未来に拓けていることが重要だし、社会人においては仕事のなかで同じことが問われています。

以前、成長の方程式を以下のように定義しました。
Y = f( A - B )
Y 成長 f 夢中(努力) A 目標(効力感) B 現状

A(未来志向)、B(現実主義)どちらを先に考え易いのか、それは個性ですから、どちらでも構わないのですが、( A - B )が成立する事、それがまさに時間的であり、自立的に生きることの前提だと思うのです。


動きが空間に時間を与える

2014年2月11日火曜日

癖と向き合い世界を拡げる


一番先に浮かんだ言葉は使わないこと。たぶん、それは「自分の癖」だから、いつも同じ事を言っていることになる(「優劣のかなたに―大村はま60のことば」 苅谷 夏子著)

無くて七癖

人は、気づかなくても7つは癖があるということを言うことわざですが、口癖、考え方の癖、行動の癖、コミュニケーションの癖、それらは「性格」や「気質」として人の特徴を形成しています。

マネジメントによって、自分とは異なる他者に関わり、何らかの成長や気づきを与え同じ目的に向かって共に歩むには、様々な試行錯誤が必要です。

それは、他者の「社会脳」に働きかける事で、行動の変化を促すことが主となります。

例えば、社長がビジョンや方針を打ち出し、社員がそれに沿って活動すること。

この場合、「社長」が他者にとってどのような「社会的影響力」を持っているかが重要になってきます。それは、立場・役割であったり、人望であったり、信頼関係であったりしますが、多くの企業では、ビジョンや方針の浸透や実践に苦心しています。

また、個別の議論になると、指導や支援を通じて人材の育成や能力開発に取り組む際に、思ったような効果的な関与とならず、悩むことが多くあります。

「どうして、出来ないのだろう」「なぜ、わからないのか」と悩みながら手探りが続きますが、冒頭の大村はまさんの言葉にヒントを得て自分の癖と向き合うために以下のようにしたいと思います。

1.最初に頭に浮かんだこと、口に出る言葉、咄嗟の行動を書き留めておく
2.それを眺めて違う受け止め方、伝え方、動き方を考えてみる
3.大局観を持って打ち手を探る(「統率する」(思う通りにしようとする)のではなく、「共感する」(通じる範囲を少しでも広げる)ことを意識する)

3に関しては、囲碁の世界が参考になっています。相手があることでは、思い通りにならないのが当たり前。思い通りにならない局面に相対しながら目的に向かうことを意識しようと思います。


癖と向き合い世界を拡げる

2014年2月10日月曜日

社会性とアイデンティティを考える

相手に応じて行動が変わる。

社会性とはいたるところにある日常です。

一方で、我思う我。アイデンティティの本質です。

今宵は、そんなことを考えています。


ふたりで踊る

2014年2月9日日曜日

なぜ雪が降ると雪だるまが作られるのか

東京に大雪が降り、雪が積もりました。20年ぶりとか45年ぶりとかの大雪だそうで、大変ですが非日常にワクワクするのも事実です。

かなり雪が積もってから街を歩いてみると、道や公園に雪だるまがたくさん出現していました。

雪だるま作りは、明らかな「遊び」です。雪だるまを作る事以外に外的な報酬はありません。また、やがて晴れたり雨が降ったりしてしまえば雪だるまを作った努力は消え去るのみです。

さて、「雪が降る」ことによって「雪だるまを作る」という行為が創発したのですが、そこには考えたい2つの疑問があります。

1つ目は、なぜ「雪だるま」なのか、ということです。

人が人形を作る本質には、自分の投影としての人形と、他者(社会性)のメタファーとしての人形があると思います。雛人形のように、序列、階層、身分、職業などがある人形は他者(社会性)のメタファーでしょう。

一方で、自分の投影としての人形は、対話のパートナーです。それは「わしらは自分のなかのおしゃべりでわしらの世界を守っておる」(「気流の鳴る音」真木悠介)存在です。

さて、街に出現したした「雪だるま」は果たしてどちらでしょうか。個別に評価することも可能ですがその、その儚さや遊びの創発と捉えれば私は、自分の投影であると思います。また、そのバリエーションは典型、笑顔、アート、動物など多様です。

外的報酬の存在しない遊びにおいて、もっとも内的な「自分のなかのおしゃべり」が出現するのであれば、とても興味深いことです。

2つ目は、「雪」がなぜ行為を創発させるのか、ということです。

これに関しては、雪の多い地方で雪が降った場合と、雪の少ない地方で雪が降った場合で、おそらく違いがあると思われます。ちゃんと調査していないので間違っているかもしれませんが、雪の多い地方の方は、雪が降る度に雪が降りしきる中で雪だるまを作るとはなかなか思えません。

雪という材料と一面の雪景色という非日常的場面の出現によって、遊びが創発する仕組みを客観的に理解しようとすると、無意識の、より本能的なレベルに起点があるように思えて仕方ありません。それは、非日常の場面と材料を日常化すること、つまり、非日常を自分の世界に取り込み日常化するためであり、「行動すべし」というスイッチが入るという仮定です。

動物が、新しい環境に置かれると、盛んにいろいろ探ったり、匂いをつけたりしますが、まさに、あのようにアドレナリンが出て活動性があがるのと同じことが起きているのかもしれません。

以上の2つをまとめて考えて、大雪が降り、積もると非日常の場面と材料が出現し、人は、その非日常を自分の世界に取り込むために、自分の内面を投影してその場面に置いている、それが、数多くの「雪だるま」の出現である、という仮定に至りました。


わたしの世界へようこそ

2014年2月8日土曜日

51対49での勝利 囲碁とローテーション

先日、イベントで囲碁のプロ棋士、マイケル・レドモンド氏の話を聞いたのですが、そのなかで印象に残った言葉は、雑談ぽく話していた「51対49での勝利」の話でした。

囲碁は、陣取りゲームですから、最終的に1目でも相手を上回れば勝ちになります。相手にも取らせつつ、最後は最小差で勝つ、総取りの独占ゲームではなく、陣地を分かち合うところに囲碁の神髄があるのかもしれません。

実際に、ルールを習ってから初心者同士で小さい盤で碁を打ったのですが、ずーっと押されている中で相手が陣地を欲張って打った一手によって局面が一気に変わりました。それを見て、「どう取るか」よりも「どう取らせるのか」にツボがあるのかな、などと素人なりに考えていました。

さて、この「51対49」。実は、以前にとある企業の人事マネジャーからも聞いたことがあります。それは、ローテーション(異動)におけるマッチングの議論においてでした。

その、マネジャーの考えでは、100%の適材適所を実現することは現実的ではない。しかしながら、少しでも適材適所の実現率を上げたい。そして、意図した異動によって「51対49」、つまり51%が適材適所となっていれば評価出来るだろうということでした。

その時は非常に堅実な方だなと思いましたが、今、考えると、100%思い通り(計画通り)にしたいという自己中心的な狭い視野でなく、囲碁のように大局観を持って組織人事を考えていらしただと思います。

囲碁も人事の相手があっての事。相手の一手により次の一手がかわり、自分が思った通りには絶対に進まない共通性があることに気づいた次第です。


勝ち負けを見極めるのが難しいのも同じ

2014年2月7日金曜日

「選ぶ」を考えるx3 そして不自由な私

今日は、長岡教授、加藤教授の主催する自画持参:ガチャトークが、大好きなアップルパイのあるいつもの市ヶ谷のCafe Katyで開催されました。

本日のお題は「選ぶ」。

全部で3ラウンドと、いつもより少なめのラウンドでしたが、ラウンド間の対話が多かったように感じました。

お題のせいか、哲学的な対話になった気がするのですが、「言葉を選ぶ時に幸せを感じる」という表現には奥深い意味を感じた次第です。

その他、洋服を選ぶ、場所を選ぶ、お客様に選ばれる、選ぶことは良い事だけではないなどなど、今日を振り返ると、日常の経験を通して考えたことが抽象度を高めて行き交っていたことに気づきました。

具体的なことから要点を取り出して抽象化し、共有を通して自らの具体を掘り起こすこと。

今日は、お題によって場が作られた自画持参だったのかもしれません。

ちなみに、田中君に「今日、気持ち良さそうでしたね」と声を掛けてもらいましたが、それは、場に依存した私の不自由さの現れです。


言葉が場を作る 言葉を選ぶ

2014年2月6日木曜日

1年間の足跡 トップ5!

昨年の2月6日からブログを書きはじめて、ちょうど一年が経ちました。毎日書き続ける事を目標に、雨の日も晴れの日も、クリスマスも正月も、呑んだ日もイベントに参加した日も書き続けて365日が過ぎ、書き続けることもやれば出来るものであることを経験しました。

始めた理由は、素晴らしいブログを読んでいるうちに自分も書いてみたいと思ったことと、情報発信を身を持って体験することで、日々の仕事に得られることがあるのではないかと考えたからです。

Facebookへの投稿と違い、ブログは個の空間であり、ちゃんとした文章にしたいと思いました。、日々、テーマと文体を考えながら書き綴ったものの、毎日テーマを考え、きちっとした文章を書くことは思いのほか大変でした。どこかに、「えいっ!」と済ませてしまう部分が出てしまい、文章を書くということは私にとって、1年ぐらいで身につく感性や技能ではないようです。

ですので、これからも書き綴り精進したいと考えています。


さて、もしかしたら、優しい人や余裕のある人が目に止めてくれることがあるかもしれないとFacebookに自動リンクを貼ったのですが、それが功を奏したのか思ったより多くのページビューがありました。そこで、365本のうち、ページビューが多かったもの、上位5つのブログを一年の足跡として記してみます。


グーグルのオキシゲン・エイトと人望の研究
グーグルがマネジャーにもデータサイエンスを行って見つけた活躍のツボと山本七平氏の「人望の研究」に通じるところがあるのではないかと考察したものです。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
性格を取り扱う仕事の中でマザー・テレサの言葉は、全てを言い表していると感じます。

ミシュラン 2つ星の小樽 伊勢鮨さん
小樽に行ったときお邪魔した伊勢鮨さんはミシュラン2つ星でとても美味しかった。

30代のタレントマネジメント
ACADEMIC HACK! 「30代後半のキャリアを考える:激流、筏下りの先にあるもの」に参加した感想です。

概念構成力という能力におもうこと
概念を構成する能力を分解して考えました。




万の足跡!

2014年2月5日水曜日

性悪説を乗り越えるのは「他者への愛」

性善説と性悪説という二元対立の図式があります。

百科事典マイペディアの解説を転載すると、

性善説 【せいぜんせつ】

性悪説の対。孟子(もうし)が唱えた,人の本性は善なりとする説。人は生来,惻隠(そくいん)(あわれみ),羞悪(しゅうお)(不義をにくむ),辞譲(へりくだり),是非(正・不正の判断)の四端(徳に向かう根源的感情)をもっていて,これをよく養って拡充すれば四徳が成立して,天下国家を平安にすることができるという。
※本文は出典元の用語解説の一部を掲載しています。

性悪説 【せいあくせつ】

性善説の対。荀子(じゅんし)の倫理思想の根幹をなす,人間の本性は悪なりとする説。人の欲望は自然のままに放置すると社会を破滅させてしまう,ゆえに人の欲望は悪であり,これを礼によって整え,社会的秩序を維持せねばならないという。
※本文は出典元の用語解説の一部を掲載しています。

となります。

性悪説を取ると社会を維持するためには、人の欲望に歯止めをかける仕組みが必要になってきます。法や制度の多くは、社会を安定させるために設けられた仕組みです。

性善説であっても「過失」は有りうるし、また、利害対立の調整を行う上で法や制度が機能するのですが、性善説に立てば、細かいことを事前に決めなくても折り合いがつきそうです。

ところで、組織において人のマネジメントをされている方は、どちらのスタンスに立っているのかポリシーを明示されているのでしょうか。

例えば、ちょっと前に話題になった、バカッターと呼ばれるアルバイトの脱線行動。

性善説に立てば、事の重大性を理解すればそんな事はしなくなると考えるでしょう。一方、性悪説に立つと、自己顕示欲によって模倣者が次々と出現するので、強い懲罰により見せしめが必要だと考えるでしょう。

さて、なかなか組織に適応できない社員が居たとします。そのとき、性善説に立てば、障害はあってもやがては適応しパフォーマンスを発揮するはずであると思えます。性悪説にたつと、そもそも、その社員には裏があって組織に対して迷惑をかけても平気であると思えます。

このような二元対立的な議論が結構多いように思いますし、また、個人の中でも考え方が揺れる部分です。

組織を運営していると、いつかは成長(自己革新)して、組織の中心人物になってくれるだろうと思っていても、トラブルを繰り返す。とか、仲間として期待していたのに、冷ややかに批判して去っていく。など、性善説が性悪説にスイッチさせられる出来事が多くあります。

しかしながら性悪説は、猜疑心を高め不必要なストレスを与えます。高ストレスということは、常に多くのエネルギーをそこに割いて消耗しているということです。また、それは幸福度を下げる要因です。

どうすれば、性善説と性悪説の二元対立から解放されるのでしょうか。
ヒントはマザー・テレサの言葉です。

愛の反対は憎しみではなく、無関心  マザー・テレサ

マザーテレサのように利他性の高い偉人は、終始、性善説の立場にあるように思えますが、そこには性善説を超えた「他者への愛」が満ちています。

そして、性善説でも性悪説でも共通していることは、他者に関心があるということでしょう。共通性に着目すれば対立を超えられそうです。

そこで、性善説と性悪説の二元対立は「他者への愛」で乗り越える、としてみたいと思います。


愛す

2014年2月4日火曜日

データサイエンスの3つの基本とは

世の中、ビッグデータ流行りのなかでデータサイエンスへの関心が高まっています。先日、ある研修会社の方から聞いた話では、「データサイエンス」を扱った研修が大人気だそうで、企業からの引き合いがすごいのだとか。

ビッグデータに至る背景には、ムーアの法則というのがあって、
集積回路上のトランジスタ数は「18か月(=1.5年)ごとに倍になる」
という公式(Wikipediaより引用)があります。それに則ると10年で100倍、20年で10000倍になる、つまりそれだけ大量のデータが処理出来るようになって来たのであり、偶然ではなく、必然、もしくは予見された状況であると言えるでしょう。

これまでは、希少なデータだったので丁寧に取り扱っていたものが、データが膨大になると大胆に扱えるようになります。例えば、小さなライブハウスでコンサートを行うときは、来場者一人一人が「場」を構成する大切な存在ですが、東京ドームでのコンサートではもはや、個の存在は無視出来るくらい影響性が低くなります。

データの保管能力、処理能力が飛躍的に増大するの相まって、データの生成能力も飛躍的に増大しています。例えば、デジタルカメラの画素数が増えるようにセンサー技術が向上する、またはスマートフォンなどのスマート技術の普及でネットワークに接続したカメラやGPSの数がとんでもない事になる、全ての商品が単品管理でPOS情報になる、購買履歴が延々と蓄積される、SNSにせっせとニュースとして行動情報や感性情報を投稿する、こうして世の中にはデータが溢れる、ことになります。

それらの溢れるほどのデータを細かいことを気にせずに贅沢に使い倒すのが最近のデータサイエンスのトレンドとも言えますが、そこには3つの基本があります。

それは「眺める」「比べる」「探る」です。

「眺める」とは、データの全体像を理解することです。それは、「数」「質」「形」によって捉えられるものです。どのくらいの多さなのか、発生源はどこか、なめらかなのか尖っているのかなどまさに眺めて理解する姿です。

「比べる」とは、固有性を理解することです。固有であることがわかると、それは新たな視点の発見ですから、データサイエンスにおいて重要な役割を果たします。

「探る」はデータの背景にある法則や仮説を理解することです。法則や仮説は、アナロジー(類推)やアブダクション(仮説推論)など脳の偶有性と連鎖してイノベーションの源泉となります。

「木を見て森を見ず」ということわざがありますが、
データサイエンスとは、「森を観て林を診て木を視ること」と言い換える事ができるかもしれません。


そこには何かがある

2014年2月3日月曜日

「適材適所」を切り取らないで

人材マネジメントと言えば、必ず出てくるのが「適材適所」の実現です。これは、組織にとっても組織で働く人にとってもメリットがある状態ですから、目指さない手はありません。

もっとも、「適材適所」に関しては、なにも組織に限った話ではありません。社会のどこでも「場」があればそこに適った人が居るわけで、場と人のベストマッチングが「適材適所」であると言えるでしょう。

ところで、人材マネジメントで語られる「適材適所」は偶然の産物ではなく、意図的にデザインされた人材の配置を意味することが多いようです。また、従業員の意識調査を行うと、従業員から「適材適所」の要望が出てくることからもわかるように、実現はもはや人材マネジメントの責務と言えるかもしれません。

さて、組織に個人がうまく噛み合っている状態をデザインするにあたって、2つの勘案すべきことがあります。

ひとつは、場と人の適切な理解です。この際、わかり易いのは機能的理解です。例えば、バスケットボールであれば、ゴールが高い位置にあって相手と競いあう場と、背が高く運動神経が優れている人という理解ができます。また、営業マンであれば、お客様相手に提案、説得をする場と、コミュニケーションが上手で相手の心を掴む能力に長けている人という理解です。場の理解がシンプルであればあるほど、適う人の理解もシンプルになります。

さて、勘案すべきもうひとつの大切なことは「適材適所」を切り取らないことです。

「適材適所」を実現したい。(して欲しい。)

これが、切り取った例です。

切り取ってしまうと見えなくなるのが、組織においても人においても「何を成したいのか」「そのためには何が必要なのか」という本質的な目的と具体的なアウトプットイメージです。

そう、「適材適所」とは、現状とゴールのギャップを埋める戦略なのです。特に、ここ最近は、複雑化、流動化する状況のなかでシンプルな場と人の理解は現実的ではありません。

シンプルな理解が困難になれば、当然、選ぶ理解、捨てる理解が生まれてきます。そして、そのことに手をつけないでいると理解すべき場と人は溢れだし、もはや「適材適所」は幻想と化してしまうのです。

切り取った「適材適所」は、
「ここはどこ?わたしはだれ?」
と同意であるのに対して、
真の「適材適所」は、
「あなたは何をしたいのか、そのゴールの具体は何か。そのために場と個人をどうデザインするのか。そして何を非適材適所にするのか。」
という問いかけです。


適材適所


2014年2月2日日曜日

フィールドワーク展X じゅじゅじゅ

慶応義塾大学加藤文俊研究室主催のフィールドワーク展X じゅじゅじゅ を見に行きました。

三宅島あり、銀座あり、あざみ野ありと様々なフィールドでのワークと発表の準備が間に合わなかった人の反省文(笑)が展示されており、また、フィールドワーク展が10年の節目ということもあって、巨大な壁に10年の足跡が展示されています。

ちなみに、「じゅじゅじゅ」は、10年(じゅうねん)の「じゅ」と、昨年の「あまちゃん」の大ファンである加藤教授がドラマで登場する「じぇじぇじぇ」をもじって提案したそうです。学生から反発もあったそうですが、「それしかないでしょう!」とおしきってで決めたそうです。


全体を見て感じたことは、人を「観察すること」の多様性です。普段、何気に見ている人や人の活動とその結果を、視点を定めて観察することで切り出された風景や情報からは新たな意味が見いだされます。ゆえに、そこは視点と生み出される意味によって満たされた空間でした。

つぎに観察された人や物(アウトプット)のいきいきとした表情です。
会場に向かう電車で乗り合わせたカップルの女性は、スマホの画面で何かを見ながら笑っていました。ところが横浜に着いて電車から降りるときは思いっきり不機嫌な顔をしていたそうです。人にしろ物にしろ、決して良い表情ばかりではありません。しかし、展示されているものはみんな、いい顔しています。「場のチカラ」を引き出すってきっとそういうことなのでしょう。

最後に表現する個性です。観察したことを表現する方法には才能を感じます。表現方法=個の強みであることが、観察対象の意味を際立たせていると思います。もし、表現方法を固定してしまうとそこに合わせることに力がとられて「意味」が見え難くなるのではないでしょうか。

整理すると

どんな日常でも視点を持てば意味が生まれる
グッドプレイスは良い表情を引き出す→良い表情がなければグッドプレイスではない
強みで表現することの大切さ

そんなことに気づいたフィールドワーク展でした。


10年の壁

2014年2月1日土曜日

知らないところで起きていること

今日、2ヶ月に一度診察を受けるため病院に行ったところ、支払いがいつもの3倍ありました。しかし、診察自体はいつもとまったくかわらず、3分で終っていますから、何がいつもより増えたのかが分かりません。

そこで、会計の窓口で調べてもらったところ、医師が診療報酬に医学管理料等という項目をつけたのでその点数がこれまでよりも多くなったと説明がありました。また、なぜ今回医師がその管理料をつけたのかは分かりかねるようでした。

どちらかというと、「医師がつけたので私たちはわかりません」というニュアンスがびんびん伝わって来ます。
そこから医師のところに戻って確認する執念も無く、まあ、3倍といってもこれまではすごく安かったこともあり、すごすごと病院をあとにしました。

初再診・基本料が70点、投薬が68点、そして今回、初めて見た医学管理料等が270点ですから3倍になったわけです。

支払ってから3倍に増えたのは保険分なので、自費負担でない部分がもっと増えているのだな、と考えました。つまり、健康保険組合が支払ってくれる金額がいつもより多くなったわけで、それは、どちらかというと申し訳なく思います。定期的に通院する身としては、医療費を支払う以上に、助けてもらっているのです。

さて、なぜ今回から医学管理料等が増えたのか、そもそも医学管理料等とは何を指しているのか、そのことが知りたいのになぜ医療事務の方は点数のことしか教えてくれないのか、この増えた点数は保険組合にどう影響するのか、また、病院の経営や医師の給与にどう関わるのか、それらはどれも、そしてどこにも明示されていませんし、誰も説明してくれません。

恐らく問題意識を強く持って調べればいろいろわかるはずです。逆に調べないとなにもわからないままでしょう。

このようなことは世の中に溢れていると思います。

今回は、診療費と医師と健康保険ですが、それ以外にも電気と原発と放射能、税金と補助金と教育、食品と輸入と汚染、領土と政党と軍備などなど知らないところで起きていることは日々の生活と必ず繋がっているので知らないでは済まされないことです。


途切れず繋がるが見えるのは部分