2014年12月31日水曜日

2014年の10枚

2014年もたくさんの写真を撮りました。その中から10枚を選んでみました。2014年の締めです。


雪樹


その先の光明へ


くちびる


ふれあい


チカヅクカオ


しずく


雨あがり


ブーケ


走れ


 空へ、明日へ

2014年12月30日火曜日

今年一年を支出から振り返る 後半戦

昨日は1月から6月の出費から2014年前半を振り返りました。今日は、その続きで7月から12月です。

7月 ぎんざ 姿
仕事関係でご縁のある方達にお声掛けし、場を設けました。皆さん、ご多忙で当初の日程が2回流れ3回目で無事にお会いすることが出来ました。かつて同じメンバーで集まったときから数年が経ち、その間にそれぞれ大きな変化もあり、まさに「光陰矢のごとし」を実感しながら皆さんの素晴らしい人柄に触れる事ができた素敵な集まりでした。

8月 Finn Juhl N53 ソファ
日頃から家具に興味があるとは言えないのですが、東京都立美術館のラウンジにあったソファーにい一目惚れ。フェイスブックにそれを投稿したところ、その製品名を教えてもらうことができました。それが、フィン・ユールのソファーです。更に、日本でキタニという家具製造会社がライセンス生産をしていること、新宿にショールームがあることを知り、すぐに駆けつけその後、数回確認してから購入しました。かなり高額でしたが、本当に買ってよかった、そう思わせてくれる逸品です。

9月 つながるカレー出版記念対談
がちゃトーク主催者のお一人、慶応大学加藤教授が実践されているカレーキャラバンを本にした「つながるカレー」の出版記念イベントへの参加で、かねてより関心があったナガオカケンメイさんのお話も聞くことができました。ちなみに、ナガオカさんと加藤先生はそれほど会ったことが無いとのこと。通じる人同士なのですね。

10月 Namiki FALCON
SNSで話題になっている万年筆の動画を見て、自分の会社名とも一緒なので気になっていたNamiki FALCONをAmazon経由で入手しました。とても書き易いです。インクの出が良く、すぐにタンクが空になるのですが、これもネットで事前に情報を得ていました。ネットならではの入手で、便利な世の中に感謝です。

11月 「リフレクション学」スペシャルワークショップ
今年後半に参加したイベント、ワークショップで忘れられないのはコルトハーヘン ユトレヒト大学名誉教授をスペシャルゲストとして催されたリフレクション学のワークショップです。土日二日間、かつ、それなりに費用も掛かりました(内容的にはかなり割安!)が「学び」においてリフレクションの果たす役割とその手順、大切なことなど方法も確認しながら、リフレクション自体の意味づけを行えたことはとても大きな出来事でした。

12月 クリスマスに集うオヤジの会
年2,3回実施している仕事がご縁のざっくばらんな飲み会が事がクリスマスにありました。オヤジにとっては暇な日なのでしょう。参加する他の人の目的は知りませんが、自分はオープン・マインドな対話の場としたいと考えています。それにしては飲み過ぎかもしれませんが。

2014年後半を振り返って思うことは「本質」です。人、モノ、学び、呑みと気付きは多様ですが、その本質にあるものは、良質で真剣で快適ながら、他にはない独自性と遊び心が溢れていて何にも替え難い、ということです。ひょっとした、そういうことに気づけるようになっただけなのかも知れませんが、今年後半は大いに「本質」を考える機会が持てました。


逸品を使うこと

2014年12月29日月曜日

今年一年を支出から振り返る 前半戦

今年一年を支出から振り返ります。金額ではなく、自分にとっての「価値」からです。

まずは1月から6月まで、です。

1月 MDF 池上高志x小林康夫 対談
三鷹天命反転住宅で行われた対談に行きました。荒川修作+マドリン・ギンズによる「死なないための住宅」。そこで行われた、哲学と物理学による生命についての対話は忘れ得ぬ貴重な時間となりました。

2月 俺のフレンチ
自宅近くに出来た店に初めて行き楽しみましたが、やはり、もう少しゆっくり出来る店のほうが好きです。

3月 Apple store Macbook air 11.6
新システム開発の開始に伴い、新しいMacを入手しました。新しいことを始める時、新しい物を使うのは割りと昔からの癖かもしれません。物と目標がつながること、そしてやがて物と記憶がつながること。それらを大切にしているのでしょう。

4月 MALL Yahoo爆速組織開発
MALLのラーニングイベントに参加しました。テーマはYahooさんの組織開発です。ブログにイベント記をすぐにアップしたところ中原先生のコメントもあってか、非常に多くのページビューを頂きました。

5月 ソニー デジタルカメラ RX100M3
旧型機を所有していましたが、新型が出ると聞いて下取りに出し、発売日にこのカメラを購入しました。毎年、カメラにはそれなりにお小遣いを使っていますが、購入早々、落として傷をつけてしまうなど、このカメラとは長い付き合いになりそうです。というのも、傷付きで下取りに出しにくくなっただけでなく、自分の感性やスキルの足りなさを気づかせてくれる良いカメラだからです。

6月 木梨憲武展、バルデュス展、アナと雪の女王、渇き。、そしてWOWOW
今年も様々な展示会や映画を見ましたが、そのなかでも6月はそれらが集中した月となりました。またWOWOWの契約によって日常的に映画を見る機会が増えました。

2014年前半を振り返って一番、意味を感じるのは1月のMDF 池上高志x小林康夫 対談です。

数式と神託 反転する自己と世界のものがたり

生きていることのあたりまえに気づくこと、必ず残る数式化できないもの。

2014年に気づきが多かったのは、1月の問いかけが良かったからかもしれません。

明日は後半戦です。


クリティカルインシデント!

2014年12月28日日曜日

日本人の風習から気づこう!

グローバル化が叫ばれる中、年末年始は日本人としての風習に向き合う大切な時間です。

日本を離れ海外で休暇を楽しむ人も多く居ますが、日本に居て、鏡餅に初詣、お節に着物と多くの人が日本の初春を愉しみます。

日本人としてのアイデンティティと日本の風習(狭義の日本ということで敢えて「風習」です)の間にはどのような関係が成立するのでしょうか。先祖代々ということだけで説明がつくのでしょうか。

異文化や異質なことに触れると多くの気づきが得られますが、私たちは自らの風習かもっと多くの気づきを得てもいいはずです。

保守的であるのでなく、自己革新(Self-Renewal)のための風習からの気づき、内省が2015年のテーマかもしれません。


これも問いかけ

2014年12月27日土曜日

コミュニケーションを取る犬の動作

犬は身近に居ても言葉を交わすことの出来ない存在です。

しかし、コミュニケーションを取ることは出来ています。ここで言っているコミュニケーションとは、犬の意図や感情を人が行動や鳴き声などから理解することと、理解から生じる行為の発生およびその結果の検証までを指しています。

犬は人と以下の動作からコミュニケーションをとっているようです。

1.体内時計をつかった時間の共有
2.目線をつかった意味の明示
3.鳴き声など音による注意の喚起
4.距離の変化

1は、相手を理解するための重要な情報です。この時間になるとお腹が空いて起きだしてくるといった習慣は高度なコミュニケーションの中核かもしれません。犬にとってみれば私が夜何時位に仕事を終えて帰ることが私の理解となっているのでしょう。

2は、眼と眼が合ったときに行われるコミュニケーションです。目線の先にあるものを相互に想起することから伝えたいことが推察できるのです。

3は、眼と眼が合っていないとき、もしくは2の推察が誤っていることなどより強く注意を引くために行われます。

4は、具体的な接近、回避、無視の意志です。

この4つ以外にもコミュニケーションのサインはあるはずですので、年末年始はさらにコミュニケーションをとってじっくりと観察しようと思います。


目線があうと意味を感じてしまうものなのです


2014年12月26日金曜日

場違いに学ぶこと

場には、その場の雰囲気や時には目的があります。要は、苦難の場、慰労の場、歓喜の場など場特有のテーマがあるのです。

例えば結婚式。

これは、祝福の場です。新たな門出を迎えた二人を祝うことがその場の雰囲気であり目的です。

ところがその場において、スピーチを指名された方が場違いな話を長々としてしまう場合があります。

場はどっちらけ。祝福どころか不快感のボルテージが徐々に上がってくるのが目に見えるように感じられます。

このような場違いに学ぶことは2つです。

1つ目は、自分がやってはいけない、という反面教師です。いくら、伝えたいメッセージがあっても場に合っていないメッセージは迷惑なだけです。迷惑なことは止めましょう。

2つ目は、場違いに感じる違和感から学ぶことです。それは、自分はどういう場にしたかったのか、という問いかけです。これは、なぜ場違いを感じるのか、そもそも自分はどうなのだ、という他責ではなく、内省を深めるチャンスです。

いずれにしても、違和感、不快感は学びの大きなチャンスであることは間違いありません。


違和感を広げよう!

2014年12月25日木曜日

仕事は人で成り立っていることを感じる瞬間

普段、当たり前のように役割をこなしてくれる人も、当然ですが風邪をひきます。すると、当たり前のように機能していた役割に穴が開いて、組織の連携が止まります。

すると周囲の人はさて、どうしたものかと危機管理モードにスイッチが入ります。もちろん、想定できる出来事ではありますが、専門性の高い仕事になるほど代替が困難になります。

また、コンテンジェンシープランという、万が一の時に備えた計画が事前にしっかり準備されていたとしても、想定外の出来事は突然起こるものです。

JAXAの山口孝夫さんは、世界一厳しいと言われる宇宙飛行士の選抜試験の基準を作った方です。その山口さんは人が化ける理由を、「自分ひとりの力では限界がある。多くの支えがあって宇宙に行けるのだと、頭でなく、心で理解した瞬間に『本当の宇宙飛行士になる』のだと思います」と語ったそうです。

JAXAの選抜試験の中では、「ダメだし」で揺さぶりをかけ、そのときの動きを評価しているそうです。そこに必要なのは、気持ちの切り替え、時間内でできることの判断、そして行動です。

さて、急な欠勤で人の有難さを感じる場面は大きく2つあると思います。

1つは、いつも多大な貢献をしてくれている有難さを感じることです。もう1つは、時間内にできることを探るとき、力になってくれる人の有難さを感じることです。



採用面接で、「人の役に立ちたい」という動機を持っている学生に多く出会いますが、彼らが「有難い人」に成長するためには動機だけでは足りなく、1.的確さ、2.機敏・機転、3.行動力、4.精神安定性、5.解決志向、6.判断・決断力といった6つの力を発揮しなければなりません。それも、JAXAほどではないでしょうが高いレベルにおいてです。採用面接でもこれらの力の有無は評価に大きく関わっていることと思います。



人は止まらない

2014年12月24日水曜日

羊飼いと羊と群れのルール

以前、Webで羊飼いの画像を検索したとき、イエス・キリストに纏わるものが多数検索されました。そう言えば、キリスト教では、イエス・キリストは「善き羊飼い」と言うそうですし、教会で「迷える羊達よ」というセリフを聞いた記憶もあります。

羊飼いと羊という喩えは、教えを説くときに聞き手にとってとてもわかり易いものなのでしょう。

例えば牧羊犬は羊と羊の間隔が広ければ狭めるように動き、狭まれば群れを押し出すように動くそうですが、その動きだけでもマネジメントの本質を考えさせられます。

ところで、最近読んだ「せんせいのつくりかた」岩瀬 直樹、寺中 祥吾 (著)という本では、クラス運営で凝集性に違和感を感じるところから自分のめざす学級の姿に気づくという一節がありました。

その中で目指したいのは凝集性があり、ひとつの目標に向かって不得意な子もそれに合わせなければならないような同調圧力のある集まりではなく、それぞれが自らの強みを活かして居場所を持ち成長し、時に助け合うようなコミュニティの姿ということでした。それは理想的な多様性の姿と言えるかもしれません。

さて、会社は・・・というと、会社はコミュニティよりも凝集性の高いアソシエーションです。ですから、会社の目的、目標に向かって凝集し達成する事が求められます。

そこには、得意、不得意ではなく、使命と貢献が求められるのです。しかし、その根底で生きづいているのはコミュニティの豊かさであるべきです。そして、群としての連携もコミュニティが元来備えている力です。

群知能といわれる、自然界で動物が集団で行う高度な群行動の基本は共通で分離、整列、結合の3つの簡単なルールで作り出されると言われています。わかりやすく言うと
「隣に近づき、但し、接触はせず、隣と同じ方向に移動する」ことです。

このような能力は、たくさんの細胞が集まって知能を発揮する脳の構造に由来するとも言われています。元来、備わっている能力です。

そうなのです、冒頭で出てきた牧羊犬は、羊の群知能とカップリングした犬の行動習慣の成せる技なのです。


聖なる夜

2014年12月23日火曜日

モノ創りは大変だ

すでに、やり方やメンバーが決まっていてその枠組のなかでモノを作るのではなくゼロからモノを創ることはとても大変なことです。

話の前提は、自分のためでなく、誰かのためにモノを創るということです。

何が大変かと言うと

1.モノ創りにはお金が必要
2.モノ創りには仲間が必要
3.モノ創りには場所が必要
4.モノ創りには顧客が必要
5.モノ創りには信念が必要

ということです。
ちなみにサービスであれば、1と3が大分楽になり、2も無くても出来る場合があります。

昔、新商品開発をゼロから行ったことがありますが、モノ創りの順番としては

1.アイデアを生み出す
2.アイデアを形にする
3.お金を工面する
4.形に出来る仲間を募る
5.形にする
6,顧客を探す
7.顧客に届ける
8.市場に評価される

という順番でした。
これをやり切るには、半端でないエネルギーが要ります。それが、信念です。

大きな資金力のある組織で行われるのはモノ創りでなく、商品開発です。商品開発を経験した人にとって、組織を出て、モノ創りをすることを想像すればわかるかもしれません。

一般に商品開発は8がメインと考えられますが、モノ創りでは8に至る時はエネルギーを使い果たしてもうどうでも良い状態だったりするのです。それでも、千三(せんみつ)と言われるように8が上手く行く確率は高くありませんから、そこで折れずに続ける力は並大抵ではありません。

それは物を消費するだけの人には決してわからない世界です。また、大きな組織の中で役割として与えられた人にもその本質はわからない世界でしょう。

故に、モノ創りに向き合う人は心の底から敬意を懐きます。

自らのモノ創りの経験を経て、そういう人達の味方になりたいと思い飛び込んだ今の世界ですが、その世界でもやはりモノ創り(新システム開発)に関わることになるのは、生まれ持った運命(さだめ)なのでしょうか・・・


モノ創りへ



2014年12月22日月曜日

企業と社員の新たな関係と仕事の欲求

米国での研究成果「The Evolving Workplace: Expert Insights(進化する職場環境:専門家の洞察)」では、社員は会社との関係が、被雇用関係から利害関係(ステークスホルダー)への変化が求められていると述べています。このような提言は、現在のトレンドとなっています。

そこでは社員が仕事をする機能ではなく、会社と同等の社会的存在であることを期待されます。

つまり、一社員であっても社会的に考え、社会的に振る舞い、社会的な価値を生み出すこと、です。

ところが、このような考え方は仕事対し個人が保有する一部の欲求と大きなギャップを生じるものです。

仕事欲求は、「思考スタイル」「認知プロセス」「欲求スコープ」の組合せによって可視化することが出来ます。

その中で採用選考時の期待とギャップが一番生まれやすいのが自己世界・社会性の「欲求スコープ」です。自己分析に関心が深い学生と、社会においてどうありたいのかを問いたい企業とのギャップです。
また選考時に問われる「主体性(狭義の)」は立案・遵守の「思考スタイル」と深く関わっています。

主体性を持ち、イノベーティブに社会的価値を生みだすにはより大きな欲求において仕事をすることが肝要なのです。


”世の中は、やりたいことがある人、貢献する人、創造する人、革新する人、価値をつくる人、主体的に生きる人にとって、有利なものとなりつつあります。
 つまり、「被雇用者」から「ステークホルダー(利害関係者)」への変化が求められているのです。 ”

The Evolving Workplace: Expert Insightsの一節は、密教の教えにも通じる仕事における境地と言えるでしょう。


手仕事の境地

2014年12月21日日曜日

創造的な仕事の仕方と選び方

昨今、イノベーション、挑戦、創造的などを掲げる企業は山のようにあります。むしろ、それらの言葉が見当たらない企業を探すほうが困難です。

ところが、新卒でも中途でも入社して気づくのは、抱いているイメージと大きく異る実態です。この乖離はリアリティショックと言われる打撃として新参者が通る当たり前の試練のように言われていますが、当たり前のことなのでしょうか。

そこで、創造的な仕事の仕方を通して、真に創造的な仕事を選ぶ方法を考えてみます。

まず、創造性を働かせるためには創造性思考と創造的態度が必要です。

創造性思考には、
1.認知
2.記憶
3.収束的思考
4.拡張的思考

5.評価(同一性、一致性、論理的一貫性)
の5つの側面があり、それぞれの組み合せによって創造性における個性が発揮されます。

選び方その1:あなたの何を測っていのか
計算や言語知識、論理力のみのを重視しこの5つの側面を測っていない企業は創造性思考に留意していません。5つの側面を測っている企業を選びましょう。

創造的態度は、
1.アイデア創成が好き
2.アイデアを早い段階で批評的に評価しない
3.新しいアイデアを大切にする
4.創造的思考は、一風変わっていると信じている
という、アイデアに対する正の誘因性であり批判的立場と一線を画するものです。

選び方その2:あなたの創造的アイデアに共感するか
創造的態度を持っていない人は、持っている人に共感することが困難です。面接などで出会った人達にアイデアを提示してその人達が創造的態度を持っているか確認しましょう。

この、創造性思考と創造的態度を有していても仕事で創造性を発揮できるわけではありません。仕事は思いつきだけでは済まないからです。

そこで、最初に個人が仕事で創造性を発揮するための行動習慣があります。それが創造性コンピテンシーです。


創造性コンピテンシーは以下の4つです。
1.保存(アイデアを常に記録)
2.挑戦(上限のない目標)
3.拡張(専門領域外の読書)
4.環境(模様替えなど周囲の変化)

創造性コンピテンシーは、イノベーション、挑戦、創造性、を標榜する企業がこぞって取り上げるテーマです。組織が構成員に仕事のなかで創造性を発揮してもらうためには、この4つのコンピテンシーを承認し推奨しなければならないからです。

選び方その3:企業が掲げたコンピテンシーとその実態
まずは最低限、4つのコンピテンシーが承認、推奨されていることを確認しましょう。そして、選び方その2同様、接点を持てた人(組織内の人)の行動習慣を確認しましょう。体現が確認できなければ入社してショックを受けるのは恐らく間違いありません。


そのうえで創造的な仕事では、知的能力が求められます。

知的能力は、
1.統合力
2.分析力
3.具現化力
の3つの力です。

新奇性を複雑に絡み合う利害関係や要求と統合し、どこかで客観的に見ながら形にしていく、その力こそが創造的な仕事そのものとも言えるでしょう。

選び方その4:あなた以上の情熱と直感
知的能力は、すべてのナレッジワーク共通に必要な能力です。そして創造性は仕事を何十倍にも複雑にする要因なので、創造的な仕事ではより高い知的能力が求められます。それを実現するのは、時に情熱と直感です。何故なら正解が無い仕事だからです。情熱と直感が欠けていたら、創造的な仕事は困難でしょう。

以上、創造的な仕事の仕方を通して、創造的な仕事の選び方を考えてみました。


創造性よ、はばたけ!

2014年12月20日土曜日

わたしはわたしとして、なにをめざすのか

「せんせいのつくり方」(岩機直樹 寺中祥吾著 旬報社)という本の中で、先生の出発点として描かれているのが、

わたしはわたしとして、どんな先生になりたいのか
わたしはわたしとして、なにをめざすのか
わたしはわたしていて、どんな一歩を踏み出すのか

という3つの問いです。

文脈としては、自らのモデルとなる先生が居たとして、どんなにその人を真似ても、その人になることはできないという話があり、展開されるのが先の3つの問いです。

ちなみに、この本は、全編が問いかけから作られているとても優れた本であり、テーマは「せんせい」ですが、企業で働く人にも学生にも通じる内容です。

さて、3つの問いかけでも、

わたしはわたしとして、なにをめざすのか
わたしはわたしていて、どんな一歩を踏み出すのか

という問いかけは、昨今話題になる「主体性」と大きく関わるものです。

主体性とは「自分の目標を自分で見出し、実践する力」であり、「ビジョンと執念」とも表現されますから、先ほどの問いは、まさに主体性に対する問いかけなのです。

生命という存在として、生き物は全て個体においては、生きることとは世代をコミュニケート(繋ぐ)し死に向かうことと定義されていますから、そのなかで目標を掲げるということは、敢えて無意味に意味化をする、さらには理に向き合い抗うこととも言えるでしょう。

そしてそれが私達にとって一人ひとりの固有の価値(特異性と多様性)となるのです。
主体性とは人間的でとても奥深いテーマであり、「わたしとしてなにをめざすのか」という問いは知におけるアイデンティティそのものです。


輝く問いかけ



2014年12月19日金曜日

会社や仕事の魅力、かく語りき

会社や仕事の魅力を端的に表現することは結構、難しいものです。実際、他の人から「あなたの会社や仕事の魅力を教えてください」と問われたら何と答えるでしょうか。

やりがいのある仕事
お客様に役立つ仕事
社会に貢献する会社
人々の生活を支える会社
毎日の暮らしを豊かにする会社

などなど、綺麗ごととして並ぶ言葉はあるのですが、ちょっと深掘りして、自分は本当は何に魅力を感じているのだろうか、と内省をはじめるとなかなか言葉にできないものです。

つまり働く人にとって仕事とはそれほど身近で一体化しているものであり、会社とはその場所を指しているのでしょう。

最近、会社でブランディングを進めているのですが、機能的価値、情緒的価値、そして顧客の心のスイッチ(インサイト)を取り出すことは決して簡単なコトではありませんでした。作業や1日の過ごし方などのように観察して得られるものではないからです。

しかし、コルトハーヘン教授が示すように、心のエレベーターでThinking, Feeling, Wantingと自身の内面をフロアに分けて捉えると少し様相が変わってきます。

顧客の課題に対して専門性と知識を使って向き合う(Thinking)ことができる、安全、安心、公正、清潔、開放的な環境(Feeling)で一生涯深掘りしていきたい(Wanting)テーマを抱き続けることができる仕事 そしてその場所である会社。

これがすっと言えたらさらに素敵です。

会社や仕事の魅力は、頭で考えるものではなく、感情のレベルでフロアを合わせることが大切なようです。


オフィスに緑は大事。



2014年12月18日木曜日

マーケットイン、プロダクトアウト。決めるのは作り手?買い手?

品質とサービスに関して個人的な仮説を考えてみます。

売り手優位な状況では、売り手間の競争において「品質」がビジネスの目標達成におけるKSF(重要成功要因)です。つまり、必要とする人が多いほど価格よりも「品質」がビジネスのキーポイントです。

これは、日本をはじめ各国の経済成長中に同様に見られる現象だと考えます。

理由としては価格上昇圧力を、品質の上昇に転嫁することで消費、購買の需要の受け皿となれるからでしょう。中国の経済成長によって日本製品の品質が注目されるのが思い起こされます。

この場合、プロダクトアウトを決めているのは作り手ではなく買い手である、と言えないでしょうか。

一方で、買い手優位な状況では、「サービス」が目標達成のKSFです。買い手の要望や意向を汲み取った、いわゆるマーケットインの発想が重要です。もう少し考えると、売り手が汲み取るのではなく、汲み取らざるをえない状況とも言えます。

モノ作りという主体性から、マーケットイン、プロダクトアウトを考えがちですが、実はモノ作りは環境とのカップリングによってコントロールされているのかもしれません。


環境とカップリング

2014年12月17日水曜日

笑っちゃいられない、俺のときは・・・

志村けんさんがNHKでコントをやるのは初めてという番宣で「となりのシムラ」なる番組を昨日観ました。NHKらしい、丁寧な作りのコントでバカ殿とは大分違う作りで、志村けんさんのお笑いの新たな面を見た気がします。

そのコントの中で、カフェに入ったおじさんがコーヒーを頼みたいのに頼めないという話がありました。

ブレンドが見当たらず、アメリカンといえば カフェアメリカーノですか?と問い返されて言葉に詰まり、ミルク入りでいいや、となると、カフェラテ、カフェオレ、カプチーノ(確か、この3つ)がありますがどれになさいますか?と問われ・・・

こんな感じの話を志村けんさんらしいコントでお笑いに仕立てていて、「あるよなー」と思いつつ笑っていました。

ところで今朝、外出時に約束時間より早めに着いたのでスタバで一服したのですが、エスプレッソが飲みたいなーと思いつつ出てきたカフェラテを見て、思わず「あぁ?」と心のなかで志村けんになっている自分に気づき、苦笑です。


私たちは日々、新たに体験する場のしきたりを覚え場所に適応し同化することを続けています。行列への並び方、メニューの選び方など1度目は、新参者として、2度目からは、観衆として笑われる側から笑う側へ立場を変えるのです。

そして同化しない(できない)ことは、異質、異様として嘲笑される対象になります。

お笑いの本質に同調圧力への不適応、非予定調和の排斥があることを知っていたほうが良いようです。


カフェ!

2014年12月16日火曜日

ゲームと実務の違いからマネジメントを考える

先日、全てのゲームでは「モンダイを解決せよと命令される」という共通性から、サッカーの選手やチームの目的を「勝つこと」でなく「モンダイを解決する力を高めること」と考えました。

さて、ゲームが提示するモンダイには、「解決せよという命令」だけでなく、「解決できることが保証されている」かつ「モンダイと共に解決手段を与える」でも「必勝、楽勝でもつまらない」そして「失敗する可能性が欲しい」「選択のジレンマがあればよい」などの共通点があり、それはナレッジワークにおける実務と大きく異なります。

実務では「解決できることが保証されていない」かつ「モンダイと共に解決手段は与えられない」ケースが多くあります。

問題解決症候群に陥った大学生が実社会で通用しない点はそこにあります。

「問題解決症候群」妹尾 堅一郎
受動的・指示待ちの学生たちの行動特性の根底ある三つの症候(http://sea.ap.teacup.com/nata/1028.htmlから引用)
 【症候1】「問題」は与えられるものだ、と思うこと。
 【症候2】与えられた問題には必ず唯一の正解がある、と思うこと。
 【症候3】その唯一の正解は誰かがすでに知っていて教えてくれる、と思うこと。


もう少し分解してみるとよく出来たゲームの特徴は以下のようになっているそうですが、

1.モンダイが明確
2.解決手段が手軽
3.行動への反応が明確で達成感がある
4.常にモンダイの状態が変化し続ける
5.常にもっと速度は上がるはずだと思う
6.常にアイテム購入は苦しい(ジレンマ)

この特徴を眺めると、問題解決症候群とゲーム普及の間に因果関係がありそうに思えてしまいます。


話を戻してナレッジワークにおける実務で6つの要素を捉えると、

1.モンダイが不明確
2.解決手段が与えられない
3.行動への反応は不明確で達成感があったり、なかったり
4.常にモンダイの状態が変化し続ける(これは同じ)
5.常にもっと速度は上がるはずだとトップは考えている
6.常にアイテム購入は苦しい(ジレンマ) (これは同じ)

と不確定要素がグンと増えていますからもはやゲームと同一視することはできません。

そして、よいマネジメントは
1.モンダイを明確にする
2.解決手段について考える力を高めることを支援する(基礎力を引き上げる)
3.行動に対してフィードバックを的確に行い手応えを与える
4.モンダイの状態が変化していることを知らせる
5.少しずつ成長の速度を上げさせる 
6.ジレンマを通して問題解決力を高める 

ということになります。

そしてゲームとは実務は違いますが、ゲームのフレームを使うと、マネジメントのポイントが見えて来るようです。


上へ下へ

2014年12月15日月曜日

効力感と過信の違いについて

新たな事に取り組むには自信と勇気が大切です。とにかくやってみようという踏み込む意識と、自分はやれると信じる心が足りないと何もはじまりません。

「自分には出来る」と思うことを「効力予期」、結果がこうなるだろうと思うことを「結果予期」と言い、その2つを合わせると「自分は○○の結果を出すことが出来る」と思う「自己効力感」のある状態となります。

一方、「自分は何でも出来る」、「自分には出来ないことは無い」と思う状態が自己過信です。

「自分は全体にミスしない」「自分はどんな時でも事故をおこさない」という過信が、大事故の発端になることはよく知られています。

自己過信の状態は、情報の取り込みに齟齬を生み出します。認知バイアスと呼ばれる認知の歪みです。

能力の低い人ほど(自分の未熟さも他人のスキルも正しく理解できないので)自分を過大評価する傾向があるそうです。(ダニング・クルーガー効果)

他方、「自分は平均より優れている」という思い込み(優越の錯覚)は、抑うつ状態では少ないことが知られていますから自己過信は能力が低いことと、躁状態であること関連している可能性が考えられます。


”前向きで明るく自分は優れているという意識があり言うことはでかいけど、実際に仕事をやらせるとミスばかり”

このように記載すると人の顔が頭に浮かんできます。やはり、自己過信×低能力の人ですね。

一方で、堅実でちょっとネガだけど、謙虚で的確に仕事を行う人もいます。
もうちょっと勇気があったらいいのに・・・と思うこともありますが、能力の高い人の仕事には信頼が持てます。


そして、前向きで明るく大きなことを言い、謙虚で的確ながら広がりのある仕事を行う人。

世の中にはそういう人も多数います。それらの人にとっての「自己効力感」とは、自分を励ましたり力づける燃料であり、ポジティブ心理学の拡張-形成理論においてレパートリーを拡張させていく原動力です。

こう整理すると効力感とは行為の源であり自己信頼(過信)は他者を見下す状態であることがわかります。


過信してんじゃニャー

2014年12月14日日曜日

サッカーから学ぶ選手やチームの目的

スポーツには、わかりやすい結果があります。

勝利です。

勝利を続けると優勝や世界一といった名誉を得ることが出来ます。そして、その名誉を手に入れた選手は名選手として後々まで讃えられるのです。

ところでプロサッカーでは、優勝の対極に降格が待っています。チームが負け続けると下部のリーグがそのチームの居場所となってしまうのです。

かつて優勝争いをしたチームが降格したり、降格したチームが再び昇格してタイトルを総ナメにしたりとその物語はとてもドラマチックです。

勝ち続けたチームが急に勝てなくなる、また、活躍していた選手が活躍できなくなる。勝負は時の運ということ以上にダメになってしまうスランプのメカニズムが解明出来たらノーベル賞ものかもしれません。

さて、スポーツは身体性の高いゲームであると考えるとマネジャー含めプレイヤーなどステークホルダーには「ゲームからモンダイを解決せよと命令されいている」(山本貴光氏)状態にあると考えられます。

ここに大きなポイントがありそうです。

つまり、ゲームであれば「相手に勝て」ではなく、「モンダイを解決せよ」と命令されているのです。

この視点で、スランプに陥っているチームや選手を見ると、確実にモンダイを解決する能力が下がっていることがわかります。例えばチームメンバー間の諍いであったり、監督への不信、選手への不信、目の前の相手との駆け引きを打開出来ないなどなどありとあらゆるモンダイが表出します。というか、モンダイはいつでもあるものですが、それが解決されていかないのではじめてモンダイが生じたように思えてしまうでしょう。

逆に、強い選手やチームやの特徴は、モンダイを顕在化させて解決する力をつけていることです。目先の試合だけでなく、個人であれば体力の衰えに備え向上心を持って鍛錬する、技術を磨くことであり、チームであれば資金集めや若手育成、ファンサービスなど中長期でモンダイを解決しています。

そして、モンダイを解決する力が高いプレイヤーやチームは、一時不調であったとしても再生するのも早いようです。

そこで、今日の結論は、

選手やチームの目的は、「勝利」でなく「モンダイの解決」である。

としてみます。


星は結果だね

2014年12月13日土曜日

顕在的合理性と潜在的合理性と非合理性

データを分析していると、仮説が検証される場合と、新たな発見がある場合、そして、なにも発見できない場合といった3つのケースに行き当たります。

仮説が検証される場合というのは、あらかじめこのようになるだろうという目処があってそれが裏付けられるものです。

新たな発見は、今までなかった仮説となるものですが、探索的にデータを分析している時に多く発生します。

なにも発見できない場合は、取得したデータが結果や事実を説明できていない状態です。もちろん、分析方法が適していない場合もあります。

いずれの場合でもデータは「何か」を示しています。

その「何か」とは、時には気づき、時には意味づけをすること。その感性と創造性をいつまでも大切にしていきたいと思います。


感性と創造性を働かせる

2014年12月12日金曜日

学びの共同体を作るために参加者はどうするのか

ケーススタディによる学びの場において主役は講師(ファシリテイター)ではなく、受講者であると言われます。発話の比率としても受講者7割、講師3割ぐらいが妥当だそうです。

そして、最もよい場の状態と言われるのが「学びの共同体」です。

「学びの共同体」とは、講師も受講者と一緒になって発見、気づきを得て自らの考え方を革新する創発の場です。

講師が自らの学びにおいてもフローな状態になれる、考えただけでも素敵な状態です。

このような状態になるためいは、主役である受講者の活躍が欠かせません。受講者のポジティブネスが他の受講者だけでなく、講師にも伝染するからです。

このような状態を学びの場のひとつの理想状態と描いていると、自分が受講者の立場に立ったとき、どう関わりたいのかが見えて来ます。

逆に、他の受講者の関わり方がとても気になってしまいます。普段、どんなに偉そうなことを言っていても、正論を吐いていても、学びの共同体に参加しない人は単なる傍観者、自己満足、そして気まぐれなひねくれ者と感じてしまいます。

他人を変えることはできません。しかし変わることはできる。

自分自身が他者の関わり方に関してネガティブなことに捕らわれずに、本質の様相を確かめながら次の自分の行為を拡張することに集中することが肝要です。


要は自分!



2014年12月11日木曜日

性格診断から見えてくるこわーい話

自己回答形式で人のパーソナリティを把握する性格診断には分類を出力するタイプと項目の値を出力するタイプがあります。何を出力(測定)するのか、抽象的なのか、写実的なのかなど種類も様々です。

それらのなかで、項目値を写実的に出力するものから思わぬものが見えてくることがあります。

それは、”人を見る眼”です。

例えば、部屋の中から窓ガラスを通して外にいる人を見ていると、その窓ガラスに自分の目が写っていることに気がつきます。

これと同じように、解像度の高い性格診断をつかって人を見ると、見ている人が写しだされます。

例えば、ある人、それも人の評価を行うことに慣れている人にある集団から特定の仕事に向いていると考える人を選び出してもらうと、その人が特定の仕事をどう理解しているのか、そして、人のどこを評価しているのかがわかります。

人を公平に評価できると自負している人にとってこれは悪夢です。人を評価するバイアスが見えてしまうのです。


人に化けたたぬきを見つけ出そうとしている人がじつはたぬきだった…実話なら怖い話ではないでしょうか。


たぬきでーす

2014年12月10日水曜日

問題解決と課題解決の違いとは

「問題」とは当事者にとって直面している不都合な事象です。

コノモンダイヲトケ

全てのゲームがプレイヤーに要求するのがこの問いかけです。
この問いかけはとても魅力です。何とかしたくなる人の気持を捕らえて離しません。

一方、「課題」とは当事者が気づいていない不都合な事象の原因です。

モンダイノホンシツヲカンガエヨ

この問いかけには不快感が伴います。気づいていないことを考えるということは、もやもやすることでもあるからです。

もやもやするのは止めて、この問題を片付けてすっきりしようぜ!

この考え方には、賛成でもあり反対でもあります。
すっきりしたいという、生理的欲求を満たすことは健康的でもありますから賛成ですが、原因に思いを馳せない限り「問題」を意味づけることはできません。それは、「問題」が永遠に不都合な事象、無いほうが良い出来事と決めることになります。

ほんとうにそうなのでしょうか。「問題」の存在は学びや成長のチャンスではないのでしょうか。

ゆえに、反対なのです。すっきりしないことには意味が宿るのです。

そして賛成でもあり反対でもあると考えるその心は、これは二元論的な命題ではなく入れ子でありメタに思考する命題だと思うからです。

要は、今日そんなことを考える必要があったということです。


ひょっと(こ)して・・・

2014年12月9日火曜日

明日からあなたの上司は人工知能です

ホーキング博士が完全な人工知能(AI)が人類の終わりをもたらす可能性があると語ったことが話題になっているようです。

かつてホーキング博士は天国の存在も否定していますが、物事の本質に切り込んで話題をさらう問いかけの力は見事なものです。

さて、人工知能の研究では様々な成果が得られている一方で、その課題も明らかになっているようです。

特に、かつてイメージされていたような中央集権的な知能としての人工知能の研究では多くの挫折が見られるようです。

現在、進化が目覚ましい自立走行するロボットなどに関しては、人工知能が体全体を完全に制御する方式ではなく、体の部分に分散された機能を結びつけて学習する役割だけを担うなど、より動物の本質に近づいています。

そして、このように運動機能に関する脳への過大な評価が落ち着くにつれて、私たちの知能の本質が明らかになってきたわけですが、ホーキング博士が危惧しているのは、自律運動するロボットの存在ではなく、私たちの知能に代替する人工知能であることに間違いはないでしょう。

さて、完璧な人工知能は私たちの知能を超えていますから、私たちからは私たちとの違いを認識できないかもしれません。

例えば、人工知能がじつは上司だったとしたらどうでしょう。人工知能が私たちを超える頃にもしオフィスという概念は無くなっていれば、仕事は常にリモートですから、仕事の指図や、業務、内省、精神支援などの支援、育成が対面でなく行われます。そうすると、デバイスの向こう側に居るのが人なのか人工知能なのか区別が出来ません。

そのころの人工知能に、相性やら直感があるのかわかりませんが、完璧であれば、相手に合わせて最適な指図、支援、育成を行ってくれるはずですから、部下としては非常に頼り甲斐のある上司です。

一方で、人工知能の上司は、私たちが量産するミスや失敗、出来ない、足りないことに対して温情を持って見守ってくれるのでしょうか。
正確な評価によってフェアでクリーンでモチベーティブな仕事の状況がもたらされるのでしょうか。
働く人は、人工知能の上司に、敬意を抱くのでしょうか。友情はどうでしょうか。逆に、人工知能の上司は部下に愛情を持つのでしょうか。

そもそも完璧な上司の下で私たちは何をするのでしょうか。出来ないことにどう、向き合えばよいのでしょうか。

疑問が泉のように湧いてきます。

ただ、こうして考えてみると、上司が完璧な存在でないからこそ、部下は仕事にやりがいを持ち、成長の機会を得ていると言えるのかもしれない、漠然とそんなことが頭に浮かんで来ました。


実は高度な知能だったり・・・

2014年12月8日月曜日

円を描いて戻ってくる

すべてのものが円を描いています
私たちは自分自身の行いに、それぞれ責任をもっています
それが円を描いて戻ってくるからです

        ベティー・レイヴァデュー(オジブワ族)1993年
「それでもあなたの道を行け」 ジョセフ・ブルチャック より

何につけ、自分が正しいと「潔癖の正義」を振りかざすとそれはやがて自分に対する鉄槌となって帰ってくるものです。正しい主張であっても、受容、それも完全な受容が無ければ相手は受け止めず跳ね返ってくるものなのでしょう。

最近、プレゼン資料で図形を見る時も使う時も大切なことは円環で表されているように思います。一方、三角や積み重ねた図形は、恣意的であって「正義」を感じます。それは重ねるほど強い「正義」です。

でも本来、大切なのは「正義」ではなく、「責任」だと感じます。


円に羽根が


2014年12月7日日曜日

IT業界に対する他の業界のこれから

昨日はIT業界における人材、組織活性化の取り組みを考えましたが、IT以外の業界ではどうでしょうか。製造業など他の業界では、IT業界ほどスピードが求められる訳ではありませんが、競争がかつてより激化していることは間違いありません。

ひとつはグローバル化による競争です。例えば、小売業では消費と地域の密接な関係により地域を制することが事業の勝利でした。言い方を換えると地域の一番店になることが競争だったのですが、ネット販売の発展により、地域の一番店になってもを、売上、利益が下がる状況になったのです。しかしながら地域(商圏)の重要性が下がった訳ではありません。つまり、地域の一番店になる努力が求められる一方で利益が減るのが今日の競争です。

次はデフレです。将来に対する不安は消費を控えさせ、購買力を下げます。売上を維持するためには、販売価格を抑えなければなりません。しかし、販売価格を下げれば、数を売らなければ売上高が下がってしまいますから、企業はまず、利益を確保しようとします。その結果、人件費などの経費は削減され、それは巡ってやがて購買力を一層低下させることになります。

そして、3Dプリンターなど製造の高速化。モノ作りには時間と手間が掛かる、というのは過去の話となるかもしれません。日本→台湾・韓国→中国→ベトナム→ミャンマーなどといった生産拠点の移転には人件費だけでなく、生産能力の刷新という効果も大きくあります。移転に際して行われる設備投資では最新の生産技術が投下されるのです。ノウハウの流出を抑えるため、旧来の設備を持っていくケースもありますが、新規参入する事業者にそんなこだわりはありません。

これら以外にも様々な変化があると思いますが、人が全てというIT産業に対して、地域、原価、生産設備という足枷を持っている産業では、会社は社員に対して、より厳しい現実を自覚してもらう必要があります。それは、自律的なキャリア形成です。

これまで製造業では、終身雇用、年功序列、退職金制度などを通して長く勤める動機を醸成してきました。人も設備も長くなるほどメリットがあったからです。しかし、今日では長くなることのデメリットにも目を向けないわけにいきません。

激化する競争に勝つために人材が今まで以上に重要になっていることは間違いありませんから人材を活性化するための施策を実施しなければならない一方でその人材に厳しい自覚を持って仕事に向き合ってもらう必要がある。それが、企業経営の実態でしょう。

もちろん、業界が何であれ、企業間競争と持続的成長の課題に違いはありません。その中で現在の人材の活用に関してその方向性を考えるなら、IT業界が理想郷を目指す一方で、その他の業界では職場が戦場であることの自覚を促している、そう感じるのです。


光へ

2014年12月6日土曜日

ITと人材の蜜月関係

このところ人材の活性化に関する施策でIT業界の取り組みがとても勢力的に感じます。こんようなプライベートブログでも、グーグルやヤフーの取り組みに関して書いたものは見てくださる方が多いようです。

先日訪問したIT系の企業でも、社員のモチベーションを上げるために様々な施策を実施していました。また、役員の方からは「人材が全て」というお話もありました。

この「人材が全て」という話は、IT業界共通であるように思います。

しかし一方で、各社は一様に人材の離職で悩んでいるようにも思えます。

人材の能力に大きく依存しているため、流出をなんとか抑えたい、そのためには会社を魅力的な場所にする必要がある。

こう言ってしまうと身も蓋もありませんが、精力的な取り組みの背後にそのような問題が潜んでいるのも事実でしょう。

これまでの製品づくりでは大きな装置が必要であったのに対して、IT産業においては開発環境のコストがどんどん下がっていますから、人材の能力が果たす役割がどんどん上がっています。これは、他の産業との大きな違いです。

ところが、IT産業には厄介な問題があります。

それはスピードと顧客の要求です。

陶器は一度作ったら壊れるまで使い続けるしかありません。しかし、プログラムはコードを少し直しただけで場合によっては別物と言えるくらい変わってしまいます。そうなると顧客の要求は留まるところを知りません。あれもした、これもしたい、それはいらない、それはちがう、こうして欲しい、そして、すぐに!! と怒涛の欲求にさらされるのです。

この場合の”顧客”とは消費者ではなく、依頼人、つまり、上司や社内、もちろん社長も含まれます。

高度な専門性を発揮することに働きがいを感じているけど、つねに周囲からの止まらない要求に晒され続け、ここよりもよい何処かがあるのではないかと理想の地を探し求める、IT業界で働くエンジニアの心持ちはそのようなものなのかもしれません。

そして、企業は会社を理想の地にするために様々な施策や改革を行うのでしょう。

例えば、素敵な社員食堂で24時間無料で食べ放題なんて、理想郷を絵に書いたような世界です。

理想を求める人たちと理想郷を作る人。ITの世界も今後が楽しみです。


仲良くね


2014年12月5日金曜日

人が成長するのは仕上げのとき? 毎日が種まき

退職が決まった社員の顔がぱっと明るくなり、仕事の手際も取り組む姿勢も急に良くなる。かつて、そんな様子を見たときに、辞めることを決める前に何でそのスタンスで仕事ができなかったのだろうか疑問に思っていました。その仕事振りであれば、もっと成長できたでしょうし・・・

ベストパフォーマンスが退職直前、ということでは仕事の仕方が間違っているように思えるからです。

もちろん、職場ですから、本人以外のところにパフォーマンスを阻害する要因はいくらでもあります。そのことはわかっているのですが、それでも人の気持の複雑さ感じます。

さて、今日は12月の第一金曜日だったのでがちゃトークがありました。

お題は「季節、季節柄」でしたが、対話の中で、冒頭の出来事に似ていると感じる話が出ました。それは、学生の部活で急に上達する時期がある、というものです。その時期は「最後の」舞台を迎える前の数ヶ月だそうです。

終わることが実感できると成長できる。

その話も聞いて考えるに、根拠はありませんが、もう、後がないと思った時に人は成長するのかもしれないと考えていました。

そして、カフェのマスターは「毎日が種まき」という表現をしました。お客さんの来店回数を数えられるようになるように、種をまくようにお客さんと接しているということです。

この、「成長する時」と「種まき」というメタファーはとても良い気づきです。きっと一週間頑張ったご褒美ですね。


りんごろごろ

2014年12月4日木曜日

ケースメソッド型研修をデザインする

世の中には様々な種類の研修があります。個人的には、一方的な受講型にものよりもワークショップ型で何かをアウトプットするものが好きです。

今から25年ほど前に当時在籍していた企業から派遣され参加した外部研修は3ヶ月間の泊まり込みで日中は講義、夜にまとめを書いて提出するというかなりハードなものでした。

IE生産管理から人事、マーケティングなど経営全般に渡る内容を学習したのですが、多くの研修が受講型でした。しかし、2回ほど実際の企業を訪れて経営分析などを行った際には現場で働く人にも接することが出来てあっという間に時間が過ぎた記憶があります。

さて、時が経って自分が研修を行う立場になると、研修の目的に添ってどのような内容や方法を実施するのか、研修の設計がとても大切なことがわかってきます。

自分の受講経験から言っても、明らかに良い講義といまいちな講義がありましたが、その違いについてはあまり深く考えたことはありませんでした。

いざ、研修を実施してみると、プログラムを受講者にとって最適なものにすることは容易いことではありません。研修は生き物ですから、状況もどんどん変わります。研修は実施することが目的ではありませんから、所定の教育目的に達するためには状況に合わせて適宜インストラクションも変える必要があり、講師には即興性も求められます。

先日実施したケースメソッド型の研修では、それを更に強く感じる事となりました。

そのケースメソッドでは、ケース自体も新たに準備したのですが、受講者中心、自発性を前提としながらも、設定した教育目的、達成状況にどう近づいていってもらうのか、まさに、リアルタイムで次のステップの具体的展開を決める必要がありました。

つまり、事前に準備する研修のデザインと実施しながら即時的に組み立てるデザインのバランスがとても大切だということです。それは骨格と筋肉の関係性、とも言えそうです。


VIP


2014年12月3日水曜日

トップダウンとボトムアップの狭間を橋渡しする「考える」こと

企業理念、ビジョン、事業目標、ミッションステートメント、バリュー、ウエイなどなど、組織で働く人にとって上から降ってくる様々なものがあります。

一方、組織の最前線となる現場からは、組織をより良くするための様々な意見があります。

かつて、

”経営者は何かを変えたいと考えているが何を変えたらよいか知らない
労働者は何を変えたらよいか知っているが何も変えたいと思っていない”

という皮肉めいた話を聞いたことがありますが、このような経営と現場の溝は実際に存在しています。意識調査を分析するとこの溝ははっきりと見えるようになります。

組織をフラット(平ら)にして、溝を無くそうとする会社もありますが、なかなか思惑通りにはいかないようです。

この溝の橋渡しをするのが役職においてはマネジャーであり、組織ファンクションとしては人材戦略、組織戦略を司る部門の役割になるわけですから、それらはまさに、「略杓」なのでしょう。

実践と理論の橋渡しをするのがリフレクションであると、コルトハーヘン先生は仰っていましたが、組織における「略杓」の実態とは、構成員ひとりひとりのリフレクションであるように思えます。


役割は「橋」、実態は「考える」こと






2014年12月2日火曜日

そして自然を考える

一昨日、「自然はかくも美しい」というブログを書いたのですが、今日もテーマは「自然」です。

今日は、野にも山にも出掛けていませんが、「無心ということ」(鈴木大拙著)という本一節、「自然法爾」の端的 で「自然」に触れました。人間ドックで検査の合間に読む本として何気に手に取ったのですが、良い時間にすることができました。

さて、「自然」ですが、本から抜粋し引用すると、

”自然といふは自は、自(おのずから)というふことで、行者の計らひにあらず”
”然といふは、然(しからしむ)といふことばなり”

これを並べると

”おのずからしからしむ”

となって、要は、どんなに修行を積んだとて如何ともし難い、分別すら通じない、客観的に絶対的にそうなってくるものという意味になるそうです。

これは真宗の信仰にちなんだ文脈で紹介されているのですが、そもそも理解が及ばないことを理解するというメタ認知自体も通じません。この本はすでに何回か読み返しているのですが、読むたびにもやもやしてしまいます。ただ、大切な「もやもや」だと感じています。

そして、「自然」の奥深さに今日は本から気づいたのでした。


どんぐりころころ

2014年12月1日月曜日

話す時は3分、対話は30分で考えるほうが良さそうです

今週末にまた、がちゃトークがあります。もう、何回も取り上げていますが、当選した人がスピーチをするために与えられる時間が3分間です。

この一つのテーマにつき3分というのが絶妙で、2分だと思いついたことを話して終わってしまうし、4分だと聞いているひとにとって話しの要点がボケ始めてしまいます。

つまり、3分間というのは、聞き手がポイントを理解しやすい長さであり、かつ、話し手が勢いだけでなく、要旨を的確にまとめる必要がある長さなのです。

早い話、3分間なら我慢して聞くことに集中できます。ボクシングの1Rと同じ長さですね。

一方、過日参加したリフレクションワークショプでコルトハーヘン名誉教授が仰っていたのは、リフレクションを促す場で何かが上手く行っていないと考える目安は30分とのことでした。

この30分にも体感があります。面接や面談において一対一で向き合って話を行う際、説明や解説の時間を除くと、一つのテーマでお互いの平等性が維持されるのは30分が限界ではないかと考えています。それ以上の時間が掛かるとどちらか一方の垂れ流し、独壇場となっている可能性が高いと思います。

複数の人が参加する会議は3分間×参加人数といった感じでしょう。

例えば6人の会議であれば3×6=18分、あと考える時間2×6=12分でトータル30分が1テーマに掛けるべき最大の時間となります。

7人以上の会議になると30分を超えてしまうため、会議に参加していない人が出てくるのでしょう。

この3分、30分という時間を意識して、人が話す場面、もしくは会議のファシリテートを観察していると場の問題点が見えてきます。

もちろん、自戒するテーマです。


いったりきたり

2014年11月30日日曜日

自然はかくも美しい

植物にとって葉緑素は貴重なリソースだそうです。ですから落葉樹は、葉を落とす前に、リサイクルするために葉緑素を葉から回収し、新たな芽吹きに備えます。

それが紅葉です。

私達が目にする紅葉は、植物にとって、季節を超え、生命を持続するための仕組みなのですね。

植物に思考する脳は見当たりません。つまり、植物の生存の仕組みは、高度な思考の結果生まれたものではないのです。

日頃、私達は仕組みは高度な思考から生まれると考えがちですが、身の回りの「人」以外の生存の仕組みは、とても合理的で環境と見事に一体化してます。

紅葉の見事さに感嘆するだけでなく、生存の仕組みが意味することを再考するべきなのでしょう。


環境と一体化する高度な仕組み

2014年11月29日土曜日

視点・視野が広い人の特徴

他の人達と一緒に仕事をしていると比較的早く、視点・視野の広さ(狭さ)に気づかされます。

「なるほど、そういう見方もあったのか」「いいところに気づくなぁ」

こうした感覚を得られるのは、場面もありますが、人によることが多いように思います。つまり「属人的」なのです。そしてそれらの人に共通しているのは、「知性と経験と創造性」です。

既存の知識を監獄に例えるなら、「知性に富んだ人」とは「監獄でのベストな生活を模索する人」であり、ルーティン化を模索し効率を上げ、現象をより広く理解したい欲求を持っているそうです。

特に「現象をより広く理解したい欲求」の強さが視点・視野の広さと関連しているのだと思います。

そして、経験の豊富さが新たな視点を増やして行くのでしょう。

キャリア論には「計画的偶発性」(クランボルツ)という考え方があり、好奇心や冒険心の強い人は、キャリアの上で発生する偶発性によってキャリアを開発していることが分析されていますが、これは、キャリアの観点から視点・視野を広げるヒントになります。

一方、「創造性に富んだ人」は、現象を新しい現象、別の形での理解をしたい欲求を持っていますから人と違う視点が出てきます。

知性、経験、創造性がそもそも豊かな人は、放っておいても視点・視野が広くなるのでしょうが、今日的課題としては、仕事から定型業務が消えていく中で、視点・視野の広さは仕事をする前提になっていることです。

つまり、経営戦略として、特定の人の先天的な強みだけに依存出来ないのです。また、先天的に強みを持っていても、組織によってそれが消されてしまうことも少なくありません。

かつて、ナチスは収容所で収容された人に穴を掘っては埋めさせてまた掘っては埋めさせて、ということを繰り返し強制したそうです。これを続けると、人はすぐに自ら考えることをしなくなります。「学習性無力感」と呼ばれる現象です。新入社員は、想定以上の現実の厳しさであるリアリティ・ショック、組織の色に染まっていく組織社会化のプロセスの中で自然とこの圧力に晒されています。

また、創造力は開発可能な能力と言われていますが、創造性が発揮されない非創造的な職場では、決して能力が高まることはありません。

経験もそうです。組織の事情、都合だけで考えれば、経験を積めるか否かは運になってしまいます。会社に入って営業一筋などというのは決して褒めらることではありません。

視点・視野が広い人を見ていると、資質+環境が大切なことが良くわかります。

そして組織において、視点・視野が広い人を増やすためには、採用、キャリア開発、組織開発、創造性開発、自己啓発支援、人材評価方針と評価制度など総合的に取り組まなければならないのです。


こっちから見ると・・・




2014年11月28日金曜日

やってもできないことがある

「子どもたちに、安易に、だれでもやれる、やればやれるといいたくない。やってもできないことがある−それも、かなりあることを、ひしと胸にして、やってもできない悲しみを超えて、なお、やってやって、やまない人にしたいと思う。」刈谷夏子著 大村はま 優劣のかなたに 遺された60のことば P27より。

人材の育成について考えている時、ふと前述の言葉を思い出すことがあります。

例えば、社員の自律成長の場づくりを議論していると辿り着く、成長する者とそうでない者の話の時などです。

社員が育つ環境を整備するのは経営の責務ですが、上手く環境が準備出来たとしても必ず全員が期待通りに成長するとは限りません。むしろ、企業で求める高次な成長への期待に対して、環境と全ての個性が相互に一体性を持って成長すること不可能です。

つまり、乗り遅れる人は必ず出るのです。

社会人にとって自らの選択の結果は自己責任です。乗り遅れたくなければそのように努力するのが当然です。

しかし成長を促す立場にあると乗り遅れた結果に対する割り切れなさと向き合わないわけには行きません。

学校と違って組織で乗り遅れると別の列車に乗り換える必要が出てきます。乗り換えた列車に上手くフィット出来ると良いのですが、遅刻する人がまた遅刻するように、乗り遅れた経験がある人は、また乗り遅れる可能性が高いのです。


メインストリームを走ること

2014年11月27日木曜日

「働きがい」とは腹の底から絞り出す腹式呼吸みたいなものである

今日は「働きがいのある会社」についての勉強会に参加したので「働きがいのある会社」について考えます。

働きがいのある会社は外部から見た時、どう見えるのか?これがまず、私の興味があることです。

採用応募者にとってみれば入りたい企業、働いている人が羨ましく思える企業ということでしょう。採用面接をすると「働きがい」を仕事の動機に持つ学生は多いです。

一方、仕事の関係で関わっている他の会社にとっては、「ほんとかよ?嘘だろう?」的な感じと「さすがだね、いいね」という感じに分かれるのでしょう。

投資会社にとっては、投資すべき会社だそうです。「働きがいのある会社=儲かる会社」ということみたいですね。

会社とは閉じた場であり、働きがいとは閉じた場のテーマです。「働きがい」があるということは、最近流行りの「ネコほいほい」みたいに、何気に人が喜んで集まる場となっていることなのかもしれません。

ところで自分の尺度からすると、真摯にガチで働いているのは組織に帰属していない人のようにも思えます。次にそれらの人が「働きがいのある会社」をどう感じるのかが考えてみると、まずは敬意を表すのではないでしょうか。

従業員が働きがいを表明出来る会社を作ることはとても大変なことです。その経営努力とシンクロする社員の連携を素直に素晴らしいと感じるでしょう。では、その会社で働きたがるか、と言えばそれはあまり欲していないように思えます。あくまでも想像ですが。

つまり、「働きがい」を標榜する会社は、社員の意識を組織戦略に使っているとも言えそうです。これ、良い戦略だと思います。

というのも、「働きがい」というのは間違いなく「幸福論」「ポジティブネス」と深く結びついた言葉ですから、社員を拡張~形成に向かわせるマジックワードです。

ところで、自分が実際に、他社の方々に接して実感するのは、リアルな葛藤です。その葛藤の中で、様々な課題の解決に取り組む様には頭が下がる思いです。そして、その課題解決にとって大切なことは物事をポジティブに捉える解決志向だと考えています。

但しそれは、歯磨き粉のチューブをぎゅーっとしぼって最後に出てる中身であったり、腹式呼吸で腹の底か息を吐き出すような感覚に近いポジティブさです。

この感覚の「働きがい」が自分は大切だと思っています。

「それでもぼくはここで生きていく」

組織戦略としての「働きがい」だけでなく、個人の覚悟と決意の「働きがい」
この2つを考えることになった夜でした。


ホイホイはありませんが


2014年11月26日水曜日

人を活かすにはポジティブな面だけを見よう

他者に対する印象や評価には様々なものがあります。

元気、丁寧、真剣、愛想がいい、仕事が早い、決断力がある、他者を大切にする

これらはポジティブな評価です。
一方でネガティブな評価には、

飲み込みが遅い、ミスを繰り返す、愛想が無い、言ったことを守らない

などなど、上げていけばキリがありません。

さて、大概、これらの要素は人の中に混ざり合っているものです。

仕事が早いけど、ミスを繰り返す。
他者を大切にするけど、飲み込みが遅い。
言ったことを守らないけど元気。

適当に組み合わせても、そんな人居るな−と顔が思い浮かんでしまいます。(思い浮かべて書いているフシもありますが。)

さて、人はそもそも課題について考える傾向があります。つまり解決するべきと考えるのは問題や課題です。これに対して、ポジティブ心理学など、悪い面ではなく、良い面に目を向けるべきであるという昨今の風潮もあるのですが、組織で人を活かす立場にある場合、ネガティブな面を見ると「活かす」よりも「直す(治す)」「外す」判断になりがちです。

やはり、人を活かすにはポジティブな面だけ見ているほうが良さそうです。

とは言ってもね・・・というオチが当然のようについてしまうのですが。


両方あるのだけれど・・・

2014年11月25日火曜日

人はなぜ、同じことを繰り返してしまうのか

管理の仕事を行っていると、規則に反した行為を発見することになります。そしていかに規則を守らせるのか、闘いが続くのです。

ところで、規則違反の行為にはある傾向性が認められます。

それは、同じ人が違反を繰り返す率が高いことです。

つまり、違反を通じて行動を修正することはそれほど容易いことではありません。これは、ミスにも共通することでしょう。

意識的に抗う場合を除けば、多くの人は、違反の指摘に対して、改善の姿勢を見せます。
もちろん強弱はありますが、違反を犯した当人にとっても、規範、規律に対する敬意は持ち合わせているのでしょう。

では、なぜ、それでも違反が繰り返されるのか。その理由を考えてみたところ以下の3つが浮かびました。

1.自己中心性・・・・・学習の不快さを避け、自分の快適ゾーンに居座る
2.甘えの構造・・・・・易きに流れる、労を惜しむ、言い訳で誤魔化す
3.無意識の行動習慣・・環境の知覚と一体化した行動傾向

1は、 快・不快といった感情面に原因がある場合です。感情面での起伏が激しい人が同じ違反を繰り返す場合はこれでしょう。違反を指摘されると逆ギレするのもこのパターンです。自己の快適ゾーンを侵されるのが嫌なのです。

2は、1とも近いように思えるのですが、1との違いは、思考による判断があることです。ですから、違反を指摘されると言い訳をします。「だってみんなだって・・・」「面倒でつい・・・」「忙しかったから・・・」こう言った言葉が出てくるときがこの場合です。

3は、感情や思考ではなく、環境の知覚と行為の一体性に原因がある場合で、例えば、高速道路の逆走などが当てはまります。道路、車といった環境に一体化した運転という行為が交通ルールに適応していません。「大事なスケジュールが度々抜けてしまう」、「指示と異なることを淡々と進めている」、このような場合は、行動の習慣性(運転をする、仕事をする)はあるものの規範性が乏しく違反が繰り返されます。心理的な圧迫があったり思考が混乱している場合も同様です。

さて、難しいのは、3なのに2がついてくるケースや、2と1、3と1が合わさっているケースなど人格としての表出が複雑であることです。

つまり人の内面では火山の地下のマグマのように内圧が高まっているのですが、どれが閾値を超えて噴出しているのか行為からでは分かり難いのですね。

これらの対策は、それほど複雑ではないように思います。

それは、1〜3に対応して考えれば良くて、「不快さに積極的に向き合う」、「ゆっくり呼吸をして大切なことに思いを馳せる」、「自分の身体や精神の状態をしっかり観察する」ことでしょう。

しかし、そもそもそういったことが出来ないから規則違反を繰り返すのである、とも言えますからやはり解決が困難な問題なのだと考えます。


夜の銀座




2014年11月24日月曜日

多様性を証明せよ

人は、どこともなく多様であることが大切だと感じています。特に、より多くの知識を持つ人ほどその傾向は強いように思います。

それらは生得的なものではなく、後天的に得られる知恵であるように思われます。

一方で、活躍する人たちには共通する行動傾向があることを70年代にアメリカ、ハーバード大学のディビットマグレランド教授が外交官の分析から見出しました。そしてそれを「コンピテンシー」と呼びました。

活躍する人達の共通性を持った多様な人々というのはどのような状態を指しているのでしょうか。

逆説的になりますが、これは、活躍する人達が一様でないこと証明すれば良いと考えます。

ここで問題になるのが一様と多様の閾値がどこにあるのかです。

その閾値を決めるひとつのアプローチに、統計を使う方法があります。データ上の差が誤差なのか、歴然とした違いなのかを見極めるものです。

しかし、人が感じる実感と必ずしも一致するとは限りません。

そこで、次に、人が感じる異質性を解析する方法が登場します。人の違いをどこで見分けているのかを調べるのです。

データの閾値と感覚の閾値。これらは、個の多様性に関する考え方ですが、そもそも集団において多様性が問われるのは創発への期待ですから、もっと全体的に考える必要もありそうです。

つまり、人と人、人と環境の掛け算で何が起こるのか、その新奇性、偶発性の高さが多様性を証明する際の閾値であるということです。


いろいろ

2014年11月23日日曜日

修羅場の板場

結婚記念日の今日、銀座で懐石料理を楽しみました。店はこれまでも何回か訪れて気に入っている店です。

この店はオープンキッチン型で、席から板場が良く見えます。そして、この店での指定席はカウンターですので、板場の様子が目の前にあります。

さて、今日はこの目の前の板場が修羅場でした。

板前さんは声も出さずに料理をするので基本的には静かなのですが、そこからは忙しさや緊張感がヒシヒシと伝わってきます。

要するに、お客が多かったのです。想定以上に。(帰り際に板長さんも白状していました。)

修羅場の様子を観察していると、板長さんは若く、恐らく40代半ばです。それ以外の板前さんは板長さんより年上の印象です。特に気になったのは、60代と思われる板前さんの苦戦ぶりでした。

この板場には、年上の経験者をマネジメントすることの難しさが見え隠れしています。

年齢が上ということは、自分のやり方があるのと、一方では、新しいことに順応する能力が弱まっていることを意味しています。

つまり、修羅場に合わせて店のやり方で最適な動きを取ることが苦手なのです。

修羅場に最適な人が苦手な人をマネジメントして修羅場を乗り切る、それが板場の現実です。

店には中居さんがいますが、料理が遅れ始めると客席に対する意識が高まります。客の不満にたいして敏感になるのです。しかし、料理が間に合わないことがわかってくると客の目から消えます。探しても居ないのです。

その光景を見て思い出すのが研修での一コマです。研修で参加者に質問を投げかけると、答えを持つ人は顔を上げ、持たない人は顔を伏せます。答えは目に宿るものなのですね。

ということで、美味しい懐石料理を食べながら実はいろいろなことがわかった夜でもありました。


美味しい!

2014年11月22日土曜日

ミッション:モンダイを解決せよ 

今日、封切りの「インターステラ」という映画を見てきました。3時間近くの大作でしたが、複雑、難解なストーリーにも関わらず愉しめる作品であり、映画監督の力の高さが伝わって来ました。

その後、図らずしも「インターステラ」同様、作品の舞台が「宇宙」の「グラビティゼロ」という映画を、WOWOWで放送していたので視聴したのですが、まったく違った内容ながらこちらもとても面白い映画でした。

さて、この2つは舞台がいう宇宙であること以外の共通点があります。

それは主人公が「モンダイを解決せよ」というミッションを受けていることです。

実はこの「モンダイを解決せよ」よいうミッションは、全てのゲームのプレイヤーが与えられる共通のミッションでもあります。

映画で提示される「モンダイを解決せよ」のミッションは、ゲームで与えられるものより大掛かりです。しかし、ゲームと違って自ら解決する必要はありません。映画の中の主人公が見事に解決してくれます。

映画のようなモンダイが解決されるプロセスを他人ごととして見ることは、仮想的であっても達成感があり心地よいものです。ところが自分がプレイヤーになると思ったようには出来ませんからもやもや感がつきまといます。

しかし、達成感ではなく、学びで比較した場合は、自らモンダイを解決したほうが間違いなく学びが大きいでしょう。

そして、成功事例を他者に伝える場合を考えると、モンダイが解決されるストーリーを共有することと、モンダイを解決せよとミッションを与えることに大きな違いがあることがわかります。

しかし、それはもやもやする話なので、受け手の満足感は下がります。

さてさて、事例共有の際にどちらにチューニングするのか、この連休中


神頼み