2013年11月30日土曜日

運動神経とフォームの関係性

足の速さは、生まれつきのタレントです。ウサイン・ボルトが昔は「足が遅かった」などと言う事はありません。

このように、運動神経が先天的なものである一方、後天的に運動能力を高めることが可能です。それは、トレーニングによって筋力をつけたり、筋力を効率的に運動に変える方法を身につけることです。

例えば、サッカー日本代表の本田選手は足の遅さを走るフォームを矯正することでカバーしたそうです。そして普段、私は試合を観ていて本田選手の足が遅いと感じる事はありません。

「科学的な矯正と鍛錬によって人並みの能力を獲得することができる」

この事実は人に勇気を与えます。
しかし、気をつけなくてはいけないのは、「人並み」であって、「ずば抜けた能力」ではありません。先天的なギフトを得ている人が「科学的な矯正と鍛錬」を行った場合に肩を並べる事はできないでしょう。

これは、「科学的な矯正と鍛錬」に偏った科学万能主義、精神主義に対する警鐘を意味します。

また、運動能力に限らず、学習能力、仕事能力、経営能力、対人能力など、行為において課題を遂行する場面に共通する「事実」です。

思考には限界がありません。ゴルフの練習しているとき、頭の中では、「右手はこうして」「頭はこの位置で」などなど、身体の部分を中央集権的にコントロールしているつもりになっていますが、本人が意識しているほど身体の動きは変わっていません。疲れて筋力が落ちたり、集中が切れて雑になったりしたことに、身体は勝手に柔軟に対応しているのです。ですから、「科学的な理論」と「地道な鍛錬」を身につけながらも、「自分の身体性」を信じて過剰に「意識」に依存しないことが肝要だと思います。

ところで、人並み、人以上という向上心が無く、諦め(自己否定)や自己限定、見下し、怠け癖があると、どんなに「先天的なギフト」があったとしても「身体性」は発揮できません。このような、意欲、謙虚さなど、気質と捉えられる要因も「自分に向き合う能力」と考えたほうが良いかもしれません。


ギフトを活かす

2013年11月29日金曜日

ゴングショーとナインボックス 〜 A Story of a camphor tree and a goat (楠と山羊の物語り)〜

ある企業のフォーラムで、楠木建一橋大学教授と八木洋介株式会社LIXILグループ執行役副社長の話を昼を挟んで聞きました。

楠木先生の話は、「戦略ストーリーを創るセンス」というテーマ、八木執行役副社長の話は「日本企業のグローバル化と人事の課題」というテーマでした。

話はそれぞれに詳細まで非常に示唆深く面白かったのですが、2つの話を違いと一致が特に興味深かったです。


話の中で出てきたキーワードを用いると、

「ゴングショー」対「9BOX」

です。
どちらも次期経営リーダー育成に関わるメソッドです。

「ゴングショー」は、自発的な事業提案により経営センスのある人材を浮かび上がらせるイベントで、定義困難な「経営センス」を見抜くために行います。

一方、「9BOX」はそもそもGEの仕組みですが、パフォマンスとバリューの2軸を高中低分割し組み合わせてマトリクス化するものです。そして、その「高・高」のボックスに入る人材をどんどんストレッチ登用して経営人材に育てて行きます。

この2つ、「次期経営人材育成」という大きな目的は同じなのですが、アプローチがまったく異なります。「ゴングショー」は、ショーというだけあって可能性の匂いを嗅ぎ分ける場のようですが、「9BOX」は、例えば、果物の選別機のように機能的に振るい分ける仕組みです。

もちろん、この下手な例えはそれぞれの実態を正確に反映したもではありませんが、違いを感じる真因は、脳の中の「意味を感じる場所」と「自分や状況を客観視する場所」の違いであるように考えています。

もう少しわかり易くと整理すると、「物語り好きの日本人」、「客観データ好きの欧米人」と比較される「真理と科学」の「認知における選好の違い」が、次期経営人材の発掘と育成で「ゴングショー」対「9BOX」となってあらわれているのかもしれません。

八木執行役員は「グローバル化において一番の課題は、日本企業のグローバル化である」と述べていましたが、ポイントが日本人的選好だとすると、そもそも解決可能なのでしょうか?

もちろんそこには光明が見出せます。

エピジェネティクス(社会的環境がもたらす生物学的反応)は変化する」という研究結果は、環境によって人が変わることを科学的に示唆していますから、八木執行役副社長の取り組み、GEというグローバル企業に近い環境をLIXILに構築することは「日本企業をグローバル化する」課題をいづれ解決するであろうことを予見させます。


ところで、個人的には、いずれのアプローチであっても浮かび上がる人材は実は一緒なのではないか、という疑問が浮かんでいます。
それを確かめる方法はないものでしょうか。


行き先はいっしょです


2013年11月28日木曜日

「伝える」と「伝わる」の違いに気づく式

むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに
書くこと

作家の井上ひさしさんの文学観です。

実際に文章を書いてみると、非常に高度なことであることが良くわかりました。一方、このような視点で批評することは簡単です。

「なんだか難しくてよくわからないんだよね・・・」
「もう少し、上手く言えないの?」
「話はわかるけど面白くないなぁ」
「で、何が言いたいの?」

こんな感じです。
では、どうすれば良いのか考えて見ます。

まずは、「伝える」という視点から、達人の知恵を考えます。

池上彰さんは「わかりやすく<伝える>技術」(講談社現代新書)という本のなかで、
1.聞き手に「地図」を
2.内容の「見える化」
3.話の「柱と枝」作り
と、3つのポイントを明示しています。

次にPREP法というプレゼンテーションにおけるノウハウです。
P point:話のポイント
R reason:その理由
E example:納得を促す引用
P point:ダメ押し

他にSDS法というのもありますが、話の理解促進を図るには構成が大切であることは間違いないでしょう。

しかし、構成だけで深さや愉しさや真面目さが伝わるのでしょうか。

本を読んだり、人の話を聞くうえで、私なりのキーワードを上げてみると、要点、実感、共感、発見、情熱、疑問、反論、類推、以上7つが思い浮かびました。このうち、「むずかしいことをやさしく」伝える知恵は、主に「要点」に関わっています。

一方、他の6つのキーワードは「伝わる」ものと「気づく」ものです。

深さや愉しさや真面目さはまさに「伝わる」ものであり、それによって「気づく」ことが真のゴールではないでしょうか。

目的や論点、および論拠の明確さだけでなく、日頃の研鑽や言動、姿勢、思考の深さ、他尊、敬意、感謝、関わりなどから「伝わる」その人の内面が「深さや愉しさや真面目さ」となって読み手や聞き手の内面に良質な問いを呼び起こすのでしょう。

以上の話を式にすると

「伝える」構成+「伝わる」内面=受け手の内面でうまれる「問いかけ」
if(良い「問いかけ」)
 {「気づき」}
elseif(愚問)
 {「思考停止」}

となりました。


内面が伝わる

2013年11月27日水曜日

トイレの神様に教わる6つのコト

トイレの話です。

会社のトイレはフロアにひとつ。同じフロアの会社ももちろん、来客も社員も同じトイレを使います。ごく普通のオフィスのトイレです。

トイレの手洗い場には、ペーパーが備えてあって手を洗った後に自由に使えるようになっています。ペーパーにはケースがあって詰め替えて使うのですが、使い切ってそのままということがよくありました。

当時は社長という立場でしたから、それを見てどのように社員に伝えようかと考えたのですが、ふと、実験をしてみたくなりました。というのも、この手のことは躾と捉えると、習慣になるまでやらせる忍耐が必要になります。また、「他者を変えるには、自分が変わらなくてならない」ことのわかりやすい実験もしてみたかったので、誰にも何も言わずに自分で無くなりそうだったら補充してストックも置くようにしてみました。

トイレというのは多くの人は行き交うパブリックスペースです。誰かが何かをしていると意外に見ているひとが多い場所でもあります。案の定、そのようにして、何度か他の人に補充しているシーンを目撃されているうちに、自分が補充をしなくても誰かが補充をしてくれるようになってきました。留めに、このエピソードを(実験の件は抜きに)口コミしてみたところ、今では、自分が補充することはほぼ皆無です。

ただ、利用者全員がそのような変化をしたとは思えません。調査していませんが、フリーライダーや無関心の人は多いようです。(印象としては、役職が高いほうが無関心で変化し難いように感じます)

一方、最近、目についているのが個室のロールペーパー。使い切った芯がそのままであったり、新しいペーパーの包装を外したのが丸めて置いてあるなどの状況が散見されます。同じように実験で、苦言も言わずに黙々と補充、整理しているのですが、個室ではその行いを誰も見ていません。そのような状態でも行為が伝染するのか、現在観察中です。

同じようなことは仕事場面でも多くあります。以下にトイレの神様から教わった事を列挙すると、
1.「実は人目につく」という場所では、自らの行為の変化が他者の行為の変化を促す(良くも悪くも)
2.一方、そのような場合でも結局変化しないフリーライダーも多い
3.しかし、少しの者が変化するだけでその場の良い環境は維持される
4.人目につきにくい奥深い場所での自らの変化が他者に伝わるかはまだ謎である

1に関しては、執務室のように常に多くの人が居る場所では困難さを感じています。一人のちょっとした行為ではその他の大勢の行為によって掻き消されてしまうからでしょう。集団化による「無視」ですね。その場合いっしょに変化してくれる「仲間」が居ると状況が大きく変わりますから、真の「仲間」とは「話しが合う人」「役立つ人」ではなく、「一緒に変化する人」だとつくづく実感します。ですので、トイレの神様に教わったことをもう2つ追加します。

5.一緒に自ら変化するのが真の仲間だ
6.目に見えない仲間が必ず居る!


実は人目につく、そんな場所で自ら変わること

2013年11月26日火曜日

ミッション 「x」を最大化セヨ

「研修の効果、成長の状況を測定セヨ」という問題が与えられた時、真の問題はどこにあるのでしょうか。効果の上がるメソッドやアプローチ、プロセスを確立することでしょうか、それとも、成果のレベルを高めることでしょうか。

ゲーミフィケーションの考え方を用いれば「x」を最大化するということが目的になります。例えば、スーパーマリオでは、ゲーム画面の右端に到達すること、数値で表現すれば、x座標を最大化することだそうです。

メソッド・アプローチ・プロセスが座標軸であるとすれば、最強のメソッド・アプローチ・プロセスを見つけることが「x」の最大化です。これは、育成という観点では大きな成果です。最大効果を発揮する育成方法は、様々な場面でもその効果が期待出来るからです。

一方で、成果のレベルが座標軸であれば、事業にとって直接的に大きな貢献を意味します。投資対効果、もしくは費用対効果という観点では、要するに「いくら儲かったのか」がわかることが大切です。

シミュレーション訓練を例に考えてみます。

仮想現実(VR)の技術を使って、飛行訓練や航海訓練を積む事により、実地訓練を行うよりも高い学習効果を得る事が出来るそうです。その場合、飛行や航行の安全、ひいては人命の安全が実現します。この場合、VRという技術が方法における「x」です。そして人命の安全確保がもうひとつの「x」です。

それらを考えると習熟のための方法の最大化と成果の最大化の両立した場所が「x」を最大化する場所であることがわかります。

どうやら、より大きな領域に強い影響を与える方法と身近で具体的な成果の両立が「真の問題」のようです。


月に向かって・・・

2013年11月25日月曜日

パフォーマンスに向けた他人の変え方

組織を運営していると、パフォーマンスを高めさせるために「あいつはどうしたら変わるのだろうか」と思うことが多く有ります。違う角度から語ると「あいつはなぜ変わらないのだろうか」と思索することが多くなります。

一方で、「ほめ言葉のシャワー」で有名な菊池省三先生や「奇跡の教室」のエチ先生など、教育において大きな成長を促している実践者が多くいらっしゃいます。もちろん、職場でも他者を成長させる実践者は多く存在することと思いますが、実践者のアプローチには何らかの共通性や本質性が隠されているように思えてなりません。

さて、菊池省三先生は、以前の講演で同じ学校のとなりの学級の先生に関して少し言及されていました。とても真面目に貢献心強く学級に向き合っていらっしゃったにも関わらず、卒業前の生徒の感想文には、クラスが辛く、早く卒業したいという記述があったそうです。一方で、菊池先生の生徒は、自信と希望が伺える内容だったそうです。

このエピソードにはとても深い示唆があると考えています。

まずは、「変わるケースと変わらないケースがある」ということ。これは、関わる者にとっての希望と絶望が同居していることを意味します。

次に、「生徒に響くものと響かないものがある」ということ。これは、楽器が共鳴して音を鳴らすようなものでしょう。自らの波長と相手の持っている波長が合うと響き、合わないと響かないということであり、自らが鳴れば必ず響くという絶対性ではなくて、響きあう相互性が大切であることがわかります。

また、社会人になると、響いていないのに表面的に響いたような偽装もあるので実感として困難さが増しているのではないか?とも思えます。

経験として、「本心では共感していないよな・・・」との印象がある場合、後々、その人物が変わったと感じることはまずありません。

結局、他人を変えるには、自分自身を変える、および自分の関わり方を変えれば良いのですが、「相互性」という深い謎がそこには横たわっています。



バッタ、バッタ とはいきませぬ

2013年11月24日日曜日

想定内の予想外

仕事において予想外の出来事が起きます。それは、混乱と葛藤と軋轢を生み出して、乗り切れる人がハイパフォーマーとなる一方で、乗り切れない人は能力不足の烙印を押されてしまいます。

外で食事をした時のことです。会席料理だったので、コースを選ぶと出てくる料理は自動的に決まります。そして予想外の出来事がおきたのはカウンターに座り料理を美味しく食べている時でした。

新しく来店したお客さんのオーダーを仲居さんが板場の料理人達に手順通り伝えます。
「すみれ2名様、うち1名様、魚貝NGです」
この瞬間、黙々と休まず手際良く、自分の持ち場を動かしていた料理人たちの動きが一斉に止まりました。

「すみれ」というのは会席料理のコース名です。
そのコースは、刺身、焼き魚といった魚中心のコースでした。
料理人の動きを止めたのは、魚中心のコースでありながら魚貝NGという伝達に戸惑ったことであろうことは想像に難く有りません。

その後、料理人たちはさっと集まると少し話し合いをして持ち場に戻りました。具体的にどのような対応をしたのかはわかりませんが、仲居さんが私からオーダーを取ったときの会話を思い起こすと、次のような一節がありました。

「アレルギーなどで食べられない食材はありませんか?」

これは、料理を提供するうえで、とても大切かつ丁寧な対応です。仲居さんもしっかりと教育を受けているのでしょう。質問はとても自然でした。

この仲居さんの問いに対して「魚貝類が駄目なんです」とお客さんが応えることに違和感はありません。つまり、想定内の応答です。一方で、料理人たちの反応は、それが予想外であったことを窺わせます。

要するに「予想外なのだけど、じつは想定内の出来事」です。


仕事を振り返ると予想外の出来事の多くは想定されるものであったことに気づかされます。それは、「まさか起こらないだろう」とか「恐らくあり得ないだろう」といった自分にとって都合のよい思い込みから起きているように思います。福島での原発事故も本質はそれらと同じであるように思います。

起こりうる全ての可能性に対して対応を決めておく事は現実的でありません。茂木健一郎さんは「世界は予測出来ないことがたくさんあり、脳はうまい形でルールを変えて不確実性に向き合っている」と指摘されましたが、即時に対応が必要なことの場合は、可能な限り予測と対応を行う必要があります。社会性が求められる複雑な場面においては経験の数が予測と対応を強化しますが、想定可能なことは「まさか」「おそらく」「多分」「きっと」といった先入観を捨てたほうが良さそうです。


予想外だけど想定内でしょ?

2013年11月23日土曜日

タソガレノザギン

あなたは誰ですか?

「誰そ彼」と問う人で溢れる銀座の街角に立ち

時の消失点を見つめる

もうすぐここにも師走が訪れる


黄昏

2013年11月22日金曜日

要するに効力感と社会性なのだ

十人十色、ヒトソレゾレ、世の中には誰一人として同じ”ヒト”はいません。”ヒト”とは唯一無二の存在です。ところが、”ヒト”に接するとき、私たちは頭の中にある過去の人材データベースを駆使して、「こんな人だろう」という類推を行います。

ですから、”ヒト”をタイプ分けして理解することは比較的易しいことです。

ところが、タイプ分けをすると違和感も多く感じてしまいます。ひとつは、タイプ分けすることによってそぎ落とされてしまうディテールのほうが、その”ヒト”らしさであったりするからです。

また、もうひとつの問題は「社会性」です。

社会性とは、他の人の存在により行動が変わることですから、”ヒト”は他者を客観的に見ているときと、関わったときでは行動が変わります。そもそも人間は極めて社会性が高い生き物ですから、一度、型に当てはめてしまっても、他の人の存在によって型が変わることは容易にあるわけです。

とはいえ、私たちが何気に嗅ぎ分けているタイプ分けにも何らかの本質があります。例えば、リクルート出身の方には同じ「匂い」を感じます。それは、「周囲に合わせる」というよりも「自分を貫く」といった印象でしょうか。言葉にしてしまうとちょっとニュアンスが違ってしまう気もするのですが、新規事業に取り組まれている方で元気、シンプル、行動、自分といったインデックスが付きそうな方は、リクルート出身者である確率がかなり高いと思います。

ところでタイプ分けを合理的に行うツールは数多くありますが、面白いのはそれらのツールは開発された組織や地域(国)、時代などの背景に強く影響を受けていることです。ですから、ツールは目的に沿って特徴を理解して選択しないと、せっかくタイプが表出されても使えないものになってしまいます。

さて、様々なデータを総合的に解析すると「効力感」と「社会性」の縮約されました。
この2つの要素をさらに高中低と3分割すると、3×3で9個の組み合わせが出来ます。そこで、この9セルに名前をつけてみました。(下図参照)
当たり前ですが、それぞれのセルに良い、悪いはありません。あくまでもデータを操作して見えた”ヒト”の一面です。

効力感-「外界の事柄に対し、自分が何らかの働きかけをすることが可能であるという感覚」(Wikipediaより)の高中低、社会性-「外界の影響受けて行動が変わりやすい傾向」の高中低を自己評価、他者評価をして、自分や他者のセルを決めたとき、下記の9セルは自分や他者の理解に役立っているでしょうか?

それぞれの特徴もちょっと書いてみると

サポート:他者の動きをさらによくするために動くが時にはおせっかいでもある
フォロー:他者の動きを察して適度に関わってくれるが先手を打つことはない
ドリフト:状況に乗るのが上手いが出来ることしかやろうとしない
デザイン:課題をもって解決に動くが解決の可能性を過大に見積もることがある
バランス:中庸で誰とも連携が上手いが、裏で醒めているところがあり冷静冷ややか
フロート:作業を終わらせるのが得意だが新しいことには手をつけない
ファイト:事に熱く向きあって行動するが誰と衝突しても平気
マイペース:自分のリズム、間合いで事を進められるが周囲に気兼ねしない
ミスト:ゆらぎない自分の世界を持っているがそこから踏み出さない

となりました。如何でしょうか。

ちなにみ「能力」という観点は入っていませんのでパフォーマンスは予測できません。



社会性は「そもそも高い」なかでの高低です


2013年11月21日木曜日

キャリアの棚卸しという私有意識

スガシカオさんの歌、Progressに以下のような一節があります。

”ぼくが歩いてきた日々と道のりを
ほんとはジブンっていうらしい”

「キャリア」を考える際には、これまでの仕事や自分らしさを振り返ること。私のなかでの「キャリアの棚卸し」とはそんなイメージです。

そういえば自分事ですが、いろいろな経験を積む事が出来ました。全てを棚卸ししようとするとこれまでの蓄積と同じ時間が掛かってしまいますから大分端折った棚卸しであり、おそらく、クリティカルな出来事中心にストーリー化されるのだと思います。それは、絵コンテであったり、写真集であったり、記述であったりするでしょう。

ところで、そのコンテンツ=”ジブン”なのでしょうか?

私たちは直接取得した経験の他に、代理経験などによっても経験を蓄積します。それらの連鎖を考えると、どうも”ジブン”の範囲があやしくなってきます。極論を言えば、”ジブン”は世界の一部で有るが故に、世界とは切り離せないもの、世界=”ジブン”とも言えるのではないでしょうか。

「世界は俺の物だ!」みたいな誇大妄想ではなく、環境と連鎖することで初めてそこに”ジブン”が出現するはずです。であれば、切り取ったコンテンツ=”ジブン”と認知することはとても限定的で特殊な、他者に関わらせない”ジブン”です。

かつて「世界でたったひとつの花」という歌がありましたが、これも同じコンテクストです。世界から切り取った”ジブン”とは私的所有の実態なのです。

ワークショップのファシリテートや組織運営を行うと、思い通りに動かないメンバーに困ったり苛立ったりしますが、そんな”ジブン”を俯瞰すると自らの私有意識に気づきます。もう少し言い方をかえるとそれは支配欲求なのでしょう。また、支配欲求とは異なりますが写真も私有意識の象徴です。

私にとって「キャリア」も「ファシリテート」も「マネジメント」も「写真」も私有という、切り取った”ジブン”に気づくサインであるようです。


切り取った”ジブン”

2013年11月20日水曜日

組み合わせという偶有性

ワークショップでたまたま一緒になった、仕事でプロジェクトにアサインされた、上司として部下を持つことになったなどなど、他人といっしょに何かすることは日常的です。

「他人と一緒に行うこと」には共通するものがあります。

それは”モクテキ”です。

「集まる」ということは何がしかの”モクテキ”がそこにあるのですが、集まっている人の真の”モクテキ”が同じかというとそうではありません。嫌々集っている人も居れば、個人的な”モクテキ”のために集まる人もいます。会社では事業”モクテキ”のために集まっているはずですが、マネジャーは、”モクテキ”を共有するのにいつも多くの時間を掛け、そして苦労しています。

一方、”モクテキ”を果たすために集まった人たちは次第に役割を決めはじめます。つまりみんなの”モクテキ”をそれぞれの”モクテキ”に分割するのです。それぞれの”モクテキ”が個人レベルまで分解されると個人に問われるのはその”モクテキ”を果たすのに最適であるかどうかです。そして、多くの場合、おそらく最適であろう人に”モクテキ”が託されるのですが、気がつくと大きな”モクテキ”に遅々として向かっていないことに気がついたり、思った以上に”モクテキ”に向かっていたり、そして新たな”モクテキ”が生まれたりといろいろな場面に遭遇することになります。

他人と一緒に行うことによって生まれる組み合わせとその結果に潜む偶有性は気づきや学びの宝庫です。


組み合わせはアート

2013年11月19日火曜日

考える力

目の前に問題や課題があったときに、その真因や解決策などを思索します。このように「複雑な記述や出来事、事象などを理解、整理すること」が仕事において求められる「考える力」です。

例えば、「文章を読んで意見を表出する」場合、まず文章を理解し、つぎにその理解と自分の知見を照らし合わせて類似点、相違点を明確にしそれらに対する立場を形成するプロセスが必要になります。これらの一連を通して「考える力」と表現しますが、もちろん、これは「考える力」の1パターンでしかありません。

「考える力」とは、このように行動に至る前の様々な知覚、認知、操作、出力の組み合わせなのですが、他者が期待する「考える力」とは、どのようなアウトプットを出せるかを意味しています。

例えば、エントリーシートの作成で良く問題になる「コピペ(コピー&ペースト)」。
「出来のよいお手本をそのまま使う」「手間を省くために同じ文章を使い回す」ことは、その人なりに考えがあってのことでしょうが、ほとんどの人がそれによって「考える力」が高いとは評価しません。オリジナリティの希薄なアウトプットは、他者に「考えた」印象を与えないのです。

また、文章や他者の理解だけでも「考える力」とは言えないでしょう。「それで君はどう思うの?」と聞かれてしまったら、それはアウトプットが期待に届いていない証です。

オリジナリティは足りているか、考えないことを習慣にしていないか、「どう思うの?」と聞き返されていないか、常に自分自身のアウトプットをモニタリングすることが肝要です。


実が熟して落ちるように考える





2013年11月18日月曜日

Hey Jude を大合唱

今日は11年ぶりの来日となったポール・マッカートニーが東京ドームでコンサートです。

MCで日本語を無理に喋らなくても良いのに・・・と思いながらもそのサービス精神には感服です。楽曲は、ビートルズ、ウイングス、ソロとそれぞれの時代の代表作を惜しげもなく、これでもか、これでもかという感じでパワフルに歌い上げる姿は、とても71歳とは思えないスタミナでした。

やはり、圧巻はHey Judeをドーム全体で大合唱したことでしょう。それがやりたくてチケットを取ったので大満足です。

それ以外には、Blackbird、Eleanor Rigby、Back in the U.S.S.R.、Golden Slumbersなどなど歌詞を覚えていないのに唄えてしまうのが不思議です。

思春期の思い出はいつになっても宝物なのですね。


携帯での写真撮影はOK。双眼鏡と組み合わせて奇跡の一枚

2013年11月17日日曜日

組織の活性と脳の活動

組織の活性が議論されるとき、施策や待遇、マネジメントの問題などが多く多く取り上げられるように感じます。その際の真の議論は「組織を良くする自発性」だと考えています。つまり、なにが悪い、かにが悪いといった意見から、こうしてみよう、そうしようといった意見へ如何に転換出来るかに本質があると思うのです。というのも、組織の活性を良くする為に様々な施策を実施しますが、どうも根本的な解決に至っていないと思うのです。もちろん、効果的な施策はありますが、それはむしろ、消極的な社員を積極的な社員に活性化するというよりは、積極的な社員をより積極的にする施策であったり、消極的な社員の消極性を解消するために環境を良くする施策であるように思います。

実は、組織の活性化には事業の活性化が最も効果的であることはわかっていて、事業の活性化のための組織の活性化は思ったように進まないものです。

事業が活性化するということはやらなければならない仕事がたくさんある事と仕事をしたことで達成(成功)があることを意味します。一方、事業が不活性な状況では、仕事を自ら作り出す必要が出てくるののですが、そこには達成は約束されていません。失敗の可能性が出てくると、途端に消極的な社員は二の足を踏むようになります。そして、積極的な社員との格差が一気に広がるのです。受け身ではなく主体性をもって自ら仕事をすることというのは、消極的な社員にとって、リスクです。これは、成長的知能観と固定的知能観として捉えられる価値要素とも深く関わっているように思います。

固定的知能観(entity theory of  intelligence)では知能は実体的なものであり、例え新しい知識は獲得できたとしても、頭の良さ(知能)そのものは変わらない、賢さは生来きまっているものなのだ、故に賢い人物だと思われたい、他人の目から自分がどう映るかを気にして自分を賢く見せようとする (looking smart)、失敗してこいつは馬鹿だと思われることを恐れるあまり、新しい課題には積極的にチャレンジしないのです。

ところで、脳の活動には安静時でもデフォルドモードネットワークという活性がそもそもあってそのなかの選択的活動が「意識」となるそうです。そして、脳の活性が高い人は新たな刺激による更なる脳の活性を嫌い、脳の活性の低い人は新たな刺激による脳の活性と好むという説があります。その説に則れば、固定的知能観と成長的知能観は、安静時の脳の活動状況に関わっている可能性も考えられます。

飛躍がありますが、以上から想像するに、安静時の脳の活性が低い人が多い組織は組織活性が高く、脳の活性が高い人が多い組織は組織活性が低いのかもしれません。

事業の活性化を以外に、組織の活性を高めるためには、衛生要因(方針、監督、対人関係、労働条件、給与待遇、福利厚生)の改善よりも活性の高い人材を増やすことが最も効果的であるということは以前の大規模調査分析によって表出された結論でした。そしてそれらが脳の活動に起因しているのだとすると、社員ひとりひとりの活動を高めるには、社員の平等を前提とした全体施策では効果が限定的、局所的であり、一人一人の脳の活動にあわせた仕事のデザインが必須のようです。そして事業の観点においては、事業戦略上の重要性、貢献性によって不平等な制度と運用の実践、傾斜したマネジメントの実施を意味しています。


静かだから刺激が欲しくなる

2013年11月16日土曜日

美しいボケとは

焦点がボケる、ボケとツッコミ、そして歳をとってボケると、クリアでない、的確でないなどなど「ボケ」という言葉はあまり良い印象がないようです。

しかしながら、写真の世界には「美しいボケ」というものがあります。

それは、写真のピントの合っていない背景や前景の部分が溶けるように混ざり合うものです。背景や前景が滑らかにとろけると、主題であるピントの合っている部分へ視点が集中するだけでなく、とろけるテクスチャーによって主題が一層引き立つのです。

「写真は引き算」と言われます。写したいもの以外が写り込んでしまうと気が散るようなうるさい感じになってしまいますから、まずはフレームワークを工夫して写るものを減らします。そして背景や前景を綺麗にボカすと主題が一層ひきたつ写真になるのです。


とけあう美しい背景

2013年11月15日金曜日

組織の元気を奪うもの

好調な組織はさらに好調に、不調な組織はさらに不調になる傾向があります。その理由は、組織にとって、活力を生む構造と活力を奪う構造を理解するとわかってきます。

組織にとって活力を生む構造は、団結・規律といった「組織力」、愛着、成長、共感といった「コミットメント」、事業への期待である「信念」の連鎖から生まれます。NPOで考えるとわかり易いのですが、収益構造が弱く、組織構成員へ利益の再配分が困難ななかでも組織として強い活性を持つのは、事業に対する信念であり、仲間との共感、自分の成長などへのコミットメント、そして、リーダーシップの発揮による団結・規律が連鎖するからです。

一方、組織の活力を奪う構造は、過労、放置による「不満」です。上司の能力、評価や給与、自律感(裁量)などの立場的要求も、「不満」ほどではありませんが、活力を奪う要因です。

不調な組織では、
1.事業においても、キャリアにおいても先行きの見通しが立たない
2.他責、自己中心的な発言が目立つ
3.無力感の横溢
といった傾向が目立ってきます。

一方で、
4.マネジャーも稼ぐためにプレイングの比率が極端に高まる
5.業績の挽回にむけて達成圧力が高まることで過剰労働が引き起こされる
傾向が強まります。

つまり、活力を生む構造が減衰し、活力を奪う構造が増強されることで不調がさらに進むのです。

好調な組織はその逆ですね。

昨今の社会的ハイパフォーマーは、組織に対して「個人」ではなく「分人」として参画しています。会社の要職にあったり、事業家として新規事業の立ち上げでめちゃくちゃ忙しいのに、一方でNPOの活動に参加しているケースなどは決して珍しいものではありません。それを、個人の性向として捉えるのでなく、高い経済成長が望めない環境の中、組織にとって、組織の活力を生む構造をデザインすることが重要になっていることの現れだと考えています。



吸い取られないで

2013年11月14日木曜日

多様性、一体性、そして社会性

予々、「プロフェッショナリズムと自発的恊働意欲」を個人のテーマとして、色々見たり、考えたり、決めたり、学んだり、学び直したりしているのですが、それを比喩する面白い表現に出会いました。

それは、”ニギリメシトモチ”という表現なのですが、米粒ひとつひとつが形をしっかりと残して体をなす”ニギリメシ”と米粒の形無く体をなす”モチ”の違いをもって、集団の特徴を表したものです。

ところがこの話にはもっと面白い展開があって、じつは”ニギリメシ”では、米粒一粒一粒が互いに繋がる為の強さが必要なのだそうです。そう、プロフェッショナルが恊働するためには自発性と意欲が必要であることを”ニギリメシ”が教えてくれるのです。これはスティーブ・ジョブズのイメージするチームワークとも通じると思いました。

では、そのような強さが無い場合、集団がどのように維持されるのかというと”スッと入れる”感覚が大切なのだそうです。相性、組み合わせ、共感といった感性的な繋がりで組織を維持、発展させるケースが思い浮かびます。

これらは、社会性という観点で考えられそうです。社会性とは「人は、誰がその場にいるかによって、行動を変える」(「拡張する脳」藤井直敬著 )ことですから、プロフェッショナルは他のプロフェッショナルが居ると、目的に向けて相互に貢献を始めますが、非プロフェッショナル同士もしくは一方が非プロフェッショナルな場合は、共通点探し、共感探しからはじまって全体が同調していくのでしょう。

組織の中にあって予定調和に陥らない、同調圧力に屈しない為には、組織をプロフェッショナルの集まり、すなわち”ニギリメシ”にする必要がありそうです。


バラバラが集まるために

2013年11月13日水曜日

データ分析という思考の表れ

データをツールを使うとデータを操作することができます。しかしながらAというデータからBというデータに変換したり、AとBの関係性をあらわすCというデータを生み出したりという行為自体は、データ分析とは言えないと考えます。

なぜならば、データ分析とは、「データの分析」ではなく、「データを用いた分析」だからです。

例えば、「データを用いない分析」を考えればよくわかると思いますが、分析とは対象となる事象を分解したり視点を変えたりしながら理解すること、つまり、自らの認知を疑い正しく物を見ようとする姿勢と事象を理解するという思考だからです。

そこに、それらの理解を助ける「データ」が登場します。それが「データ分析」です。いや、「データ分析」とはそういうものだ考えています。

ですから、データを操作、加工するまえに対象となる事象を見つめる必要があります。そして、「データを用いない分析」と「データを用いた分析」の矛盾やジレンマのなかに新たな思考の道が開かれるのだと思います。

「データを用いない分析」において発揮される、人それぞれの感性や知見と、「データを用いた分析」において表出される分析結果(もちろん正しい手法で)という客観的事実の相互作用において、「データ分析」の多様な世界が創発するのでしょう。


見方を変える

2013年11月12日火曜日

社会のモンダイ→ゲーム←デザイン

今日は東京大学藤本先生の「社会のモンダイを遊びに変えるゲームデザインの考え方」というメディア創造ワークショップ特別公開セッションに参加させて頂きました。このようなセッションが公開だなんてうれしい限りです。

セッションはゲスト講師として山本貴光さんを迎え、非常に面白い内容でした。

セッションの内容は、
1.ゲームについて
2.社会のモンダイ
3.社会のモンダイをゲームにする
という流れででした。

まず、将棋やチェスやスーパーマリオやら数多くのゲームの共通性探しからはじまり、

”プレイヤーはゲームからモンダイを解決せよ命令される” 

という種明かしの後に、ゲームとは「モンダイ」への挑戦、そして、ゲームに関わるプレイヤーと制作者の立場の違い、制作者の苦しみが語られました。

ゲームが提示するモンダイには、「解決できることが保証されている」かつ「モンダイと共に解決手段を与える」でも「必勝、楽勝でもつまらない」そして「失敗する可能性が欲しい」「選択のジレンマがあればよい」などなど共通点があるそうです。

それらをクッキークリッカーという実際のゲームを通して
1.モンダイが明確
2.解決手段が手軽
3.行動への反応が明確で達成感がある
4.常にモンダイの状態が変化し続ける
5.常にもっと速度は上がるはずだと思う
6.常にアイテム購入は苦しい(ジレンマ)
といった特徴を具体的に理解することができ、事前学習(といってもゲームを楽しんだわけですが)で自然と引き込まれた理由が実はデザインされたものであるがよくわかりました。

当初のモンダイから真のモンダイ、モンダイの二重性に至るところから、社会のモンダイに話が展開します。

”社会のモンダイを考えることは人々の幸福について考える事になる”

この視点はとても大切です。

そしてゲームのデザインとしては、

モンダイが明確であること
プレイヤーが何かしたくなるようにしむける
試行錯誤が楽しめる(ゲームらしさの部分)
必勝法が存在しない(正解がわかったら作業)
遊ぶたびに違う状況がうまれる(何回やっても面白い)
最後まで決着がわからずハラハラする
しかし解決に向けて手応えが感じられる
それまでの結果が累積して行く(達成感をいっそう感じられる)
未解決感がいつも残っている(プレイヤーが嵌る)

というポイントの紹介で山本さんのセッションは終わり後半の対話、質疑のセッションに入りました。

ゲームのデザインは書籍で紹介されている脳科学の知見などからも納得性が高いです。ゲームと実社会を短絡してはいけませんが、仕事でも熱中している仕事は、前述のポイントが数多く存在していますから多くの気づきを得ることができました。

個人的には今、このタイミングでゲーミフィケーションに触れ、ちょっと流れが来ている感じです。


東大駒場ははじめて


2013年11月11日月曜日

競合しあう行動のコレクション

採用すべき人材像や社員の行動規範などを検討していると、よく、”こちらを立てればあちらが立たず”、のようなことになります。例えば、「しっくりと本質を見極めて判断する」と「とにかく勇気をもってやってみる」という行動様式が「行動規範の2番目と3番目」みたいに同時に記述されることがあります。

『行動規範
全部足したらスーパーマン
だけど私は只の人』

みたいな事なのでしょうか。

理解のある方は、ちゃんと「場面に応じて使い分けるもの」と考えられていることと思います。状況に応じて自律的、主体的に適切な行動をとることが大切であると。

ところが、実際の私たちの行動はもっと複雑です。なぜなら、「使い分ける」というより、もっと反応的に様々な種類の行動のコレクションの相互作用の結果として行為が創発されているからです。しかも、その複雑性は一貫性を伴っています。心理学的にはそれを「特性」と呼びますが、「異なる状況下でも予測可能な傾向性」があることを生物は本能的に知っています。

例えば、我が家族のジャックラッセルは、私がどのような動きを見せると「おやつ」が貰えるか知っていて、ちょっとした動きに強く反応します。また、違った動きを見せると彼は、おねだりをあきらめます。それは、彼が高度な知能を働かせた結果ではなく、私の動きと彼の行動のコレクションが「なめらかに」連動しているからです。しかしながら、彼には彼独特の一貫性があるので、私も彼を予測することが出来るし、行為に「おねだり」と「あきらめ」といったバリエーションが生まれるのです。

彼にとって私は外的環境で、私にとっては彼が外的環境ですが、外的環境により新たな行動のコレクションが自律的に生成される(この場合は「おねだり」と「可愛がり」)のはとても面白いことです。そして、それを外部から観察すると「学習があった」と評価するのでしょう。(「行動のコレクション」をもっと基本的なブロックに細分化したほうが良いかもしれません)

採用すべき人材像や社員の行動規範において重要なポイントは、車で言えば「走る」「止まる」「曲がる」といった基本的な行動のコレクションだけでなく、それらが相互作用して表出される行為(例えば「安全に目的地に到達する」)の強固な一貫性と、一方で、外的環境との間に生まれるなめらかななめらかな可塑性(「悪路ではスピードを落とす」、「他者の事故から学ぶ」)のバランスであるようですが、それらは「意図して使い分けるもの」というより「外的環境を利用して(複雑な反応として)引き出しているもの」と考えたほうが良さそうです。


「強固な一貫性」は事実、分析、評価の脱色の精神に、「なめらかな可塑性」は意味、発見、学びの彩色の精神に通じると感じるのは飛躍しすぎでしょうか・・・


彼によって私が変わる









2013年11月10日日曜日

きゅっとなった心や身体がぶわーっと、ときほぐれる曲

眠れない時やリラックスしたい時に聴くと気分が緩やかになる曲があります。もちろん、合う合わないは個人的なもです、TVで森山良子さんが紹介してくれた曲もあります。

エイジング~かけがえのない時を重ねて(AGELESS BEAUTYより)
・・・出だしのシンセサイザーのストリングスが秀逸。個人的には即効性が高い曲です。

交響曲第2番ホ短調 Op.27 - 第3楽章(ラフマニノフ: 交響曲第2番ホ短調 Op.27より)
・・・この手の曲ではラフマニノフはピアノ協奏曲が有名ですがこちらも素敵です。

ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op. 18: II. Adagio sostenuto(ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番より)
・・・前述の通り、有名な曲です。

Adagio For Strings, Op. 11(Best Classics 100より)
・・・映画「プラトーン」など、映画、映像でよく使われる曲ですね。

Our Love Is Easy(メロディ・ガルドー)
・・・森山良子さん推奨。ゆったりと愛が漂います。

Slow(Rumer)
・・・時間が3倍ぐらいゆっくりとする印象の曲です。

Invocation(カーペンターズ)
・・・名曲の多いカーペンターズでもあまり取り上げられない曲だと思いますが、個人的には一番好きだったりします。

Brazilia(Chick Corea)
・・・チックコリアの叙情的な旋律で安らぎます。ビブラフォンとピアノのユニゾンや掛け合いとストリングスによる音の厚みがもう、完璧!

夏色の服〜黒のクレール (reprise) [Instrumental](大貫妙子 Clicheより)
・・・曲としては「風の道」がベストなのですが、とける曲としてはこちらのほうが良い感じです。とくにアルバム最後の曲につながると、あー、今日も一日が終ったなぁと実感です。

FIND THE WAY(中島美嘉)
・・・この曲も出だしのストリングスが素敵で好きな曲です。

ジムノペディ第一番(Satie)
・・・単音が明瞭で綺麗な旋律の曲です。ピアノ以外何も無い部屋にぽつんと一人でいるような心地です。

Adagio. Sehr Feierlich Und Sehr Langsam(Bruckner: Symphony #7 In E Majorより)
・・・スケール感があって障害物のないとても広い場所に居る気分を味わえます。

Our Father(Sacred Treasures V: From a Russian Cathedralより)
・・・カテドラル音楽はどれもゆったりとしますが、その中でもこの曲はほぐれます。

Atom Heart Mother (ピンク・フロイド)
・・・ドラマチックな展開のプログレッシブロック。交響曲っぽくリズムが複雑に変わります。前述のブルックナーの交響曲第7番が北欧やイングランドの自然な広い大地をイメージさせるのと異なり、この曲は、昭和の路地裏に居たかと思うと成層圏に飛んでいたりと場面が転換します。しかし、そのどこもが心地良い場所、といった印象です。


まだまだいろいろあります。


ときほどけるパターンがありそう





2013年11月9日土曜日

「創造性」を探してみる

「創造性」という言葉をevernoteのクリップで検索してみました。

”彼は、社内の創造性を高めてイノベーションを起こそうとはしない。”
−”彼”とは、アマゾンのCEO、ジェフ・ベゾスを指しています。

”授業時間中の利用だけでなく、授業時間外での学生の自発的な学習を促し、創造性の育成に適した魅力あるスペースを実現します。”
−PBL(Project-Based Learning)に関する記述です。

”講義や暗記など伝統的な手法は賛同を得られず、若者の創造性ややる気を奪うとして否定されている。”
−「厳しい教師が優れた成果を上げるのはなぜか」より。

”我々は35年間にわたり、モチベーションが創造性にどう影響するかを調査してきた。多岐にわたる人々(子ども、大学生、プロの芸術家、知識労働者)を対象とした研究から明らかになったのは、人々は強い内発的動機を持った時に、より創造性を発揮するということだ。”
−「情熱が才能を開花させる」より。

”腹の立つ相手に皮肉や嫌味をうまく使うというのは、頭が切れて創造性の高い人たちが定期的に使っている方法だが、確かに創造性が増し、問題の解決になることもあるようだ。”
−「感情に関しての10の興味深い科学的事実」より。

”不確実であることが創造性の起源になっている”
−茂木 健一郎 「The contingent brain」より。

”より創造性に優れた者は、鬱状態や精神の病に陥りやすいという説で、精神の病に苦しんだ女流詩人からその名をとられた。”
−「シルヴィア・プラス効果」についての説明より

”未来ではイノベーションが極めて重要になる。そのためには、多くの人と結びつくことが必要だ。カギになるのは、オンラインで築かれる世界規模のコミュニティを指す「ビッグアイデア・クラウド」、同じ志を持つ仲間を意味する「ポッセ」、そして情緒面で安らぎを得るための「自己再生のコミュニティ」。この3 種の人的ネットワークが、創造性を発揮する源となる。”
−『ワーク・シフト』が提示する、これからの働き方「3つのシフト」のうちのひとつ。

などなど・・・

前後の文脈を無視していますから、まとめての解釈は禁物ですが、眺めているだけでも想像力が働きます。休みの日の「言葉鑑賞」でした。


想像を、創造を、止めるな!




2013年11月8日金曜日

ライン的適性、セル的適性の分岐点

製造には、ライン生産方式とセル生産方式があります。

ライン生産方式は、持ち場を決めて極力作業を単純化し、ひとつの作業の効率を徹底的にあげる生産方式で、大量生産に向く一方、作業の単純化、機能化が進み「労働の疎外」といった問題にも至ります。

一方、消費者の多様なニーズを受け止めて、同じものを大量に作るのではなく、色々なものを必要なだけ作る生産方式としてセル生産方式があります。セル生産方式では、一人もしくは少人数にチームで製品の組み立てを完了するので、複雑な工程の理解や様々な技能の熟練が求められます。

このようなラインとセルの違いは、製造現場に限らず、組織のあらゆる場面に存在します。例えば、役割で機能化している組織においては、縦割りのライン化が進みますし、一人のひとが様々な仕事を兼任するような小規模な組織では、メンバーの多能化が求められます。

さて、多能化するために必要な力のひとつとして「統合的に捉える力」があります。心理的には「メタ認知」といわれる能力です。

例えば、営業場面において、顧客から要望や相談があったとき、「コピー用紙が欲しい」「会議室を借りたい」といった単純な依頼に対しては物流やスケジュール管理を効率的に行えば良いことになります。ところが、「カタログを作りたい」「セミナーを開催したい」という相談になると、「なぜ」「なにを」「どんな」という観点で依頼を理解する力が必要になります。

この「なぜ」「なにを」「どんな」を推察したり考えたいする力が「統合的に捉える力」であって、本質的には自らの認知バイアススキーマを更新することが求められるのです。これは、個人的にはコルブの経験学習サイクル「能動的実験→具体的経験→熟慮による観察→抽象的概念化(→能動的実験)・・・」にも関わっていると考えていて、経験を通じて獲得されるものであり、個人差が大きくあると認識しています。したがって、その個人差の散らばりの中の「ある閾値」が、「統合的に捉える力」が高いか低いかの分岐点だと考えます。

ちなみにWikipediaではメタ認知能力を以下のように記述しています。

現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力を言う。 自分の認知行動を正しく知る上で必要な心理的能力。

Knowledge Monitoring Ability(能力を監視する知識)
Knowing about knowing(知っているということを知っていること)
Cognition about cognition(認知していることの認知)
Understanding what I understand(自分の理解していることを理解すること)
と定義されている。

ここまで定義してしまうと理解が難しくなりますが、要は、「経験を通じて成長する速さ」で測定できる力だと言えるでしょう。


「経験を通じて成長する速さ」には前述の経験学習サイクルで言えば能動的実験(要はストレッチした行動)も大きく影響してきますから、そのことについてはまた別の機会に考えてみたいと思います。


世界を更新する

2013年11月7日木曜日

独善で憮然とせずに毅然として

昼食時、となりの席で料理を待っている会社員二人の会話が耳に入ります。

「・・・の人、人徳があるよね」
「そうですね・・・」

どうやら、何かの対応で取引先の人と打ち合わせを行った模様です。どんな仕事かはわかりませんが仕事柄、「人徳」という言葉だけ耳に入って来ました。

この”仕事柄”のアンテナは、ひとつはビジネス用として、もうひとつは自組織マネジメント用として立っています。要するに「問う側」と「問われる側」であるということです。

「問う側」は比較的わかり易く、事実確認、分析、評価で行えます。

「・・・人徳があるよね」
 事実確認:どんな行為があったのか
 分析:その行為は他者の行為や意識にどのような影響を与えたのか
 評価:その影響は「人徳」足るものか

「そうですね・・・」
 うん、それは人徳だね。

一方「問われる側」としては主に他者からの直接、間接のフィードバックと内省を通じた自問です。例えば山本七平「人間集団における人望の研究」では、朱子の「近思録」から人望に通じる「九徳」を紹介しています。

1.寛にして栗(寛大だが、しまりがある)
2.柔にして立(柔和だが、事の処理が出来る)
3.愿にして恭(まじめだが、ていねいで、つっけんどんでない)
4.乱にして敬(事を治める能力があるが、慎み深い)
5.擾にして毅(おとなしいが、内が強い)
6.直にして温(正直・率直だが温和)
7.簡にして廉(大まかだが、しっかりしている)
8.剛にして塞(剛健だが、うちも充実)
9.彊にして義(強勇だが、義しい)

このような視点から自らの行為を振返ったとき、謙虚にならざるを得ません。TPOに応じて九徳があったのか、不徳ではなかったのか、問いかけは自然と深くなります。

例えば「組織マネジメント」とは、価値観も個性も異なるメンバーを時には褒め、時には叱咤激励しながら事業目的に向かって共に歩むことですが、その道程で「出来て当然」「なぜ出来ない」「意欲がない」「意識が低い」などなど、メンバーに課題を列挙しがちです。朝、まさにそんな感じでした。つまりいきなり「リーダーの行動」を求めてしまったのですが、皆がリーダーの組織ってあるんだっけ?
独善で憮然としていては人徳どころではありません。

かといって、受身なこと=フォロワーではありませんから、まさに、どこまでが「寛」でどこから「栗」なのか(他の八つも同様に)、ゼロ、イチではなく、なめらかでしなやかでありながら、かつ毅然とした軸を備えていることが理想だと思います。

昼の出来事からこんなことを考えた午後でした。

あれ?ところで昼、何食べたんだっけ?


自己発電

2013年11月6日水曜日

マルチリーディング 4つの面白さ

”読んだ本はなかなかふえない。読みたい本はどんどんふえる”
「大村ハマ 優劣のかなたに」苅谷夏子著より

一冊の本をしっかり読み切ること、これはとても価値のあることだと思います。ところが、冒頭の一文のように読みたい本がどんどんふえてしまい、ついには、複数の本を同時並行で読むようになって気がついたことがあります。

1.本は全て違う
それはそうです。当たり前です。しかし、「本」という括りで一緒にしてしまうことがあります。パラパラ捲るもの、考えさせられるもの、棚に並べるもの、アマゾンで買うものなどなど、その形状や抽象的な言語で考えてしまうと、いつの間にか「本」として考えてしまいます。それは、人間が一人一人、皆、違うのと同じことなのですが、「人間てさぁ」みたいな横暴かつ乱暴な話をいつの間にかしていたりします。

さて、同時並行して読むと、読み易い本、読み難い本、解り易い本、解り難い本、考えさせられる本、考えが広がらない本、また読みたくなる本、二度と開かない本などなど、本の個性の違いが際立ちます。

2.多様な視点が新たな視点となる
ある本では、社会の仕組みをどう高めていくのか論じています。一方、違う本では、社会を捉える枠組みの前提を変えることが論じられます。さらに違う本では、社会そのものも無であると説きます。論じるもの自体が消えて行く感覚であったり、消え去られずに強いリアリティが実感されたりするのは不思議なものです。この不思議さが意図したものでないとき、脳のなかであれとこれを結びつけてそれにしているのかも知れません。

3.終わりがなくなる
「読了してスッキリ感」が無くなります。つまり、一冊読み終わっても他の本はまだ途中なのでまだ読み終わっていない中途半端さが続きます。あー気持ち悪い。しかし、メリットも感じています。それは読み終わる事が目的でなく、この本とどう付き合うかを決めることが目的にかわったことです。次に読む一冊の本を決める判断よりも、この本を仲間に入れる事を決める判断のほうがずっと楽です。

4.解らなくても読める
「読んでもよくわからないけどなんだか大事そう」と感じることがあります。この「なんだか」に捕われていると先に進めなくなりがちですが、「よくわからないけど大事そう」なら、とりあえず大事にすることを決めれば大事そうなことが「なんだか」わからなくても読みすすめることができます。

そんなこんなで現在の仲間は10冊です。これ以外に、仕事に関して読んでいる本や読みたい本があります。

「読んだ本がなかなかふえない。読んでいる本はどんどんふえる」
それは素敵なことです。


終わらない



2013年11月5日火曜日

サギだ!

食品偽装がニュースを賑わせるなか、ついに毎年おせちを購入している百貨店でも「誤表示」があったようです。

そろそろ自分も声を上げたほうがいいかもしれない、ということではなく、今日のテーマは「サギ」、つまり「シロサギ」です。

都心では、皇居のお堀で見かけたことがあるのですが、今日は、出勤途中の中央区八丁堀界隈の電線に停まっているシロサギを見かけました。その白さは、遠目にも美しく輝きます。また、そのスリムな身体と細く長い足で優雅な佇まいを見せます。

都心の、水辺でも無い場所にシロサギが居るのも不思議で、何かの遣いのようにも感じられます。

様々な生き物と共生できる環境とするために自分に出来ることを考える朝になりました。


空の青、朝の陽に、佇むシロサギ


シロサギは水辺に立つ鳥です
電線の上ではバランスをとるのが難しそうです


あれれ、足の向きが違っちゃった


よっこいしょっと



2013年11月4日月曜日

銀座一丁目スダ美容室でタイムスリップ

1932年に竣工した「銀座アパート」(現:奥野ビル)。

”それから間もなく一人の女性が入居し美容室を開業します。開戦、終戦、戦後の復興を経験し、昭和六〇年代に廃業。その後は住居として利用し、二〇〇九年百歳を迎えた直後に逝去されました。”

”奥野ビル3階の薄暗い廊下には、「スダ美容室」という小さな看板が掲げられていました。しゃれたデザインで、往時の雰囲気をそれとなく伝えるものでした。しかし、少なくともここ十年ほどは、周囲を見渡しても美容室らしきものは見あたりません。だぶんこのフロアのどこかで開業していた美容室が店を閉め、看板だけが残されたのでしょう。”

銀座奥野ビル三〇六号室プロジェクトより

中央区まるごとミュージアム2013が開催された本日、奥野ビル三〇六号室が開放されました。奥野ビルは銀座一丁目という好立地に立つ戦前の古いビルです。昨今のビルに比べると、部屋は狭く、天井も低く、部屋にはトイレも風呂もないビルですが、建築当時の趣を残しながら、今でも機能している建物です。多くは画廊やアートギャラリーで、不思議な空気が満ちています。今日は、部屋の開放に合わせて部屋では美容師さんが希望者の髪をカットしていて往時の美容室の様子を垣間見ることができました。


看板はもう、無いのでしょう


ビルの三階へ


廊下を見渡すとタイムスリップしたような気持ちになります


美容師さんがカット。鏡は昔のままです


どんどん崩落していく壁紙と壁への投影は素敵です


古びた窓枠の硝子越しに”いま”があります


このビルはあと何年ここに残るのでしょうか・・・

2013年11月3日日曜日

イドウについて語る×2

毎月第一金曜日は長岡先生、加藤先生主催のカフェトーク、自画持参です。そして一昨日はまさに11月最初の金曜日。そう、がちゃトークです。

加藤先生は釜石ということで今回も欠席されましたが、Cafe Katyの中村さんも参加して7名での開催となりました。

がちゃトークのシステムは、スピーカーが抽選ですから、7名ということは、1回のトークで当たる確率は1/7です。一度トークをした人も抜けずに居残りますから、2回目のトークの確率も1/7。4回のトークをしましたから、4回全部当たる確率は(1/7)×(1/7)×(1/7)×(1/7)となります。さすがにそれはありませんが、たまに2回トークすることがあって、一昨日はその確率が1/49ということになります。

さて、私は10月の自画持参でも、2回トークしていたのですが、なんと今回も2回トーク。前回は確か10名くらいの参加だった記憶がありますから、(1/100)×(1/49)ということで1/4900、およそ5000回に1回、0.02%程度の確率であったことになります。

一方、トークしない確率は、10名の参加であれば、9/10。トークが4回あると1回もトークしない確率は6561/10000、およそ6割5分です。例えば15回連続でトークしない確率はおおよそ0.15%。こちらもかなりの確率です。長岡先生の3年間無当選記録は、昨日、マー君の無敗記録が止まる前にすでに終っていましたが、こう考えると、がちゃトークにはドラマがありますね。

でも、もっともドラマチックなのは、人との出会いでしょう。今回は2名の方が新たに参加されましたが、このような出会いは確率で語れません。自画持参に参加する人の傾向があるのかも知れませんが、昨日参加した別のイベントでの対話とは大分様相が異なる対話になります。「誰がトークするかわからない。それは自分かもしれない」「人のトークを聴く」という設定が、対話においても、語りすぎない、もしくは、黙らないといった対話のよい流れを生み出しているように思います。

気負わない新たな人との出会い、同じことについてを自分が考え、聞いて、話す。もしくは、聞いて、考えて、話す。色々なイベントでの対話経験がありますが、語りたい人、語らない人、思考停止が必ずありますから、開催規模も含めてファシリテーションが不要ながちゃトークは秀逸なコミュンケーションのデザインだと実感します。

今回のテーマは、「イドウ」。草柳先生が提案された「引っ越し」から広がったテーマですが、カタカナなところがミソでした。漢字にすると、移動でも異動でもOKです。今、考えると「異同」も”有り”でしたね。異動権、キャリア権といった専門的な領域の話になったり、移動の最中に空を見上げるといった感性の領域になったりと、語る以上に聴く、考えるも愉しい時間です。


夜空に浮かぶ白い雲



2013年11月2日土曜日

福祉でなく、スポーツとして見ること パラリンピックを考える

今日は、いつもお邪魔している経営学習研究所、MALLのイベントでした。

テーマは
「パラリンピックと日本人 僕らは何をしなければならないか!」
です。

日本パラリンピックスキーチーム監督の荒井秀樹さん、ノルディックスキー選手の久保恒造さん、会場を提供されたライフネット生命の名物会長、出口 治明さんのお話を聞き、考え、対話を行いました。

荒井さんのお話からはパラリンピックに参加するチームや選手のこれまでと現状について知らなかったことを知る良い機会になりました。これまでも多くの講演やプレゼンを行われたご様子で、非常に濃い内容でした。なかでも、選手と子どもとのふれ合いで、子どもから選手に届けられた手紙の紹介で感極まっている様子にはじーんと来る物があります。

久保さんのお話は選手として非常に心に響きました。怪我をされてから、スポーツによって自分を取り戻し、そして高い目標に向き合う姿勢は久保さんはもちろんのこと、スポーツの素晴らしさを改めて感じさせてくれた次第です。

そんな久保さんの望みは、「福祉でなく、スポーツとして見て欲しい」ということです。それは、障害の対する意識からではなく、純粋な願いです。

”失ったものを数えるな
今あるものを最大限に生かせ”
フリードリッヒ・グッドマン博士

パラリンピックの精神であるこの言葉は、スポーツとして見るときのキーワードでしょう。今あるもので世界の頂点を競う久保選手と選手達を全力で支えていらっしゃる荒井監督のご活躍がとても楽しみです。

さて、競技を取り巻く環境が、諸外国と比べても大きく遅れている現状も知る事が出来ました。それは、世界で闘ううえでは大きなビハインドとも言えそうです。

ライフネット生命の出口会長は、お人柄そのものの、とてもピュアな疑問と解決するための仕組みの必要性を投げかけておられましたが、問題の根底には、富の配分の問題があると思います。例えば、企業が活動をサポートするということは、企業の有限な資源の配分を変えることを意味します。ゆえに配分を行ううえでCSRだったり、広告効果といった目的が生まれるのだと思います。社会的な制度化も目的作りありきだと言えるでしょう。

企業や社会における目的は、その優先順位がコロコロ変わります。赤字になれば、広告費が削られ、スポーツ活動からも撤退します。これは、社会でも一緒で、財源が無ければ事業が削減されます。社会や企業が発展していて、余剰な収益が発生する状況下では、未来に対しても配分出来ますが、一旦、逆回転に陥ると、配分が維持出来なくなりますから、パラリンピックの活動を入れ替わり支援できるような仕組みが出来ないものでしょうか。

僕らがまず出来ることは
「活動を知り、興味をもって、他者に伝えること」
なのだと思います。

社会的にも階層化が進み、富の偏在化が進む日本において、富の再配分を行うためには社会制度の整備よりも、ソーシャルネットワーク上でのつながりが有効であるように思います。「誰かが」もですが、「誰でも、いつでも」支援する可能性がある状態ですね。

”今あるものを最大限に生かせ”
企業経営にも個人のキャリアビジョンにも通じる大切な問いかけです。
出来ない事、足りない事を嘆くのではなく、今を最大限に生かす努力をする人達が目の前に居ることを気づかせてくれた土曜の昼下がりでした。

荒井さん、久保さん、出口さん、MALL理事の田中さん、皆さん、ありがとうございました。


パラリンピックで繋がろう

2013年11月1日金曜日

「人のいろいろ」から思い起こす

かつて、自分が銀行員の新卒あたりだった頃、身近にいた先輩、後輩を今、思い返してみると個性も能力も出身大学もそれまでの家庭環境も全て異なる人たちであったことが思い起こされます。特徴を簡単に述べると以下の通りです。

Aさん : 2年上の先輩。ハイパフォーマー。顧客とのやり取りに長け数字を稼いでいた。親も銀行員だった。
Bさん : 1年上の先輩。とても真面目で一生懸命。後輩にもやさしく謙虚な人柄。親はサラリーマン。
自分 : 朝一で出勤するなど仕事に対する姿勢はあったが自分の考えを主張して役席とぶつかることも多かった。実家が商売を行っていたせいか、数字を稼ぐより顧客の立場に自分を投影しがち。
Cさん : 1年下の後輩。物怖じせず、受け答えも行動も仕事もマイペース。
Dさん : 2年下の後輩。すこしおどおどした感じ。痛風になってしまい、あまり動けず。

当時、銀行の支店の仕事といえば、預金、為替、融資、渉外(外回り)があって、ローテーションでそれらの仕事を経験していましたから、Dさんは別として、同じような経験を皆、持っていたことになります。

こうして思い起こすと、いくつかの視点で人と仕事の関係性が感じられます。

1.親の職業・・・以外に根深いものだと感じました。
2.性格・・・向いていない仕事、というのはありそうでした。
3.学力・・・当時の仕事では無関係でしたね。

1.に関しては、特に、「銀行員」という職業への代理経験が影響していそうです。これは、体験レベルではなく、親という他者の体験を通して自分の自信や効力感に繋がって、的確な判断や行動を誘発しているのでしょう。

2.に関しては、仕事で成果を出すために有利な行動習慣があります。性格はその基盤ですから、1.を抜きにしてよーいどん、でスタートした場合先んじたり躓いたりする原因になります。そして、有利な行動習慣は仕事の特性と組織風土と密接に絡み合っていますから短絡的な結びつけは出来ません。例えば、自分が居た職場では、支店長が良く替わりましたが、その度に、各人に強く影響が出ていました。

3.の学力に関しては、勉強の成績とは無関係であったものの、実は、「学び方」は大いに関係あったと思います。「こうすればいい」とか「あれは駄目だろ!」みたいな事をすばやく気づき、修正するのは「学び方」にあります。ただ、成果に繋がるのは、それら実践知が積み重なって初めてあったように思います。また、実践知の中には、倫理性という課題があったことも忘れるわけにはいきません。先輩や後輩のことではありませんが、とにかく成果を出すために規程(銀行の法律)を遵守せず、大事(おおごと)になったこともありました。


仕事におけるナレッジワークの比率が高まるにつれ学生が就職前に仕事の代理経験を積むことが困難になってきています。身体を動かす要素は他者に伝わりやすいですが、ナレッジワークの内容は、理解出来たとしても代理経験として自分が活かすまでには至らないでしょう。したがって、学生にとっても企業にとっても採用、就職は不透明、ゼロスタートになっているのだと思います。



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