2013年9月30日月曜日

屋上ラプソディ

東京のビルはどんどん新しく、高くなっていますが、屋上に出られるビルはあまり多くありません。しかし、昔ながらの多くのデパートは、屋上に出ることができます。今では見下ろされることも多い場所ですが、それでも空が広がります。


ビルの内側からは見えないでしょ?


広い空に浮き雲が漂う


真っ白な椅子は黙々と行列


さあ、背比べと空を突く


レトロさを映す煙突に煙は無い


ここでは笑顔が基本です

2013年9月29日日曜日

パーソナルスペース考

セミナーや研修などで見知らぬ人が集まるとき、3人掛け長机の両側から人が座って行きます。逆に、席がたくさん空いているのにすぐ隣に知らない人が座ったらどうでしょうか。あまり、いい気持ちはしないと思います。

これは、心理学では「パーソナルスペース」と呼ばれる、心的負担を感じる他者との物理的な距離から生じる現象であると考えられます。もちろん、真ん中より端のほうが動きやすいという合理的な判断によるものとも言えそうですが、何人来るかわからない場所で出来るだけ詰めた方が良いとも言えますから、やはり、まず、自身の負担を軽くすることが優先されていると考える方が自然でしょう。

さて、人間以外にもパーソナルスペースはあるのでしょうか?

自分の知る限り、身近な場所で列をなす動物はあまり多くありませんが、鳥は電線に一定の間隔で並びます。彼等にもパーソナルスペースがあるのでしょうか?

ツグミなど大群で飛ぶ鳥は「隣に近づき、但し、接触はせず、隣と同じ方向に移動する」という非常にシンプルな3つのルールで空をまるで群がひとつの生き物のように飛び交います。これは、「群知能」と呼ばれる行動です。ひょっとしたら、電線に止まっているときもこのような群知能が働いてるのかもしれません。「羽を伸ばしたときの接触しない距離で近づいて同じ方向を向く」、そんな群知能です。

人間は、群知能を発揮する為には学習が必要ですから、パーソナルスペースと群知能はどうやら違いそうです。恐らく、他者との距離は「個」であるときと、「群(組織)」であるとき両方のモードがあって、「個」のときは危険回避による自己防衛、「群(組織)」のときは群知能発揮のための行動ルールの表象なのでしょう。

そして、他者との距離を測る脳の機能は一つで、それを危険回避と機会創出で使い回しているのだとすると、社会適応性の高い人は、このモードを場面に合わせて切り替えることが可能で、適応性の低い人は、場面に合わせた切り替えが出来ない、とも考えられそうです。

このテーマ、以外に重要な気がしてきました。


まあ、大体、ですけどね

2013年9月28日土曜日

指示待ちと暴走を産む背景

今日は、テストの立ち会いを一日行いました。その中で感じたことです。

まず、テストの対象者は外国人です。国もバリエーションに富んでいます。日本に来てしばらく経っているので日本の社会規範にある程度は順応しているようです。

さて、テストの実施にあたって、指示を出しますが、ここで2つの変化があります。
一つは、対象者の適応。もう一つは、監督者の適応です。

対象者の適応とは、指示に合わせる行動に先読みが入って来ます。「こうすれば良いのだ」という理解が、対象者の行動を規律的に変化させます。最初は、割と勝手な行動を見せている人も次第に統制が取れて来ます。

すると起きるのが監督者の適応です。対象者に統制が取れてくると、監督者はその統制のツボを押さえはじめます。具体的に何が起きるのかといえば、同じ内容で回しているのに1回目よりも2回目、2回目よりも3回目のほうが、掛かる時間が短縮されるのです。これは、監督者にとっては報酬ですから、より強いモチベーションがそこに生まれます。

さて、対象者の適応によって生じるのが、問題行動です。ようするにズルをし始めるのです。「楽をする」「抗う」などの行動を、目が届かないところで取るようになるのです。例えば、立って監督している時と、座って監督している時で行動が変わります。注意を理解するので、「良くない行動」であることを実は理解しているのです。

わざと反規範行動をとることは、じつは、規律的な行動に従うことから生じているのではないかと感じました。規範に逆らうことで従っている人よりも楽をする、得をするという行為が創発しているのではないでしょうか。

これらを整理すると、「管理者と管理対象者の立場が生じると、管理者は統制の強化によって満足を高め、管理対象者は、統制をうけることに慣れるので指示を待つようになり、そして、一方で指示に反した行動を見せるようになる」ということです。スタンフォード監獄実験では、更に、指示に反した行動を罰して統制を強化しようとすることで管理者に行き過ぎた統制という問題行動が生じています。

最近問題となっているアルバイトの問題行動は、実はマニュアル化、指示待ちが進んだ結果として生じているものであり、ゆえに、社会的制裁が加わったとしても繰り返されるものなのではないでしょうか。抗わずに居られないのです。

日本の社会に順応している外人は、定時に遅れたことを詫びます。日本の社会は、高度に、いやひょっとしたら過度に統制されている社会なのだと感じます。電車の正確さ諸外国に類を見ないそうです。それは、統制されることによってもたらされる褒美に対して、その快楽をより強化する勾配が強いことを意味するのでしょう。そして統制の強化によって、反動としての問題行動が強化されている、そんなことを立ち会い(監督)をしながら考えていました。


統制する快楽と従うご褒美 そして抗う個性

2013年9月27日金曜日

人が「察する」のはなぜなのだろう

統計に関わる仕事を行っていると、データから傾向性が見えて来ます。その傾向性の中には、未知のものと既知のものがあるのですが、既知のものに関しては、何か別の調査結果によって可視化されているわけでもなく、なんとなく、雰囲気として伝わってくるもの、つまり、察していることであることが多いように感じます。

例えば、男性と女性の雰囲気の違いや学校、大学、出身地、家族状況、兄弟の有無などに関して持っているイメージは、実は、わずかで微妙な違いを非常に大きく感じ取ることによって形成されているように思えるのです。

具体的な数字にしてみれば、数パーセントの違いから、二極対立的な差異の認識にまで知覚を増幅するのは、恐らく、生き物としての本質なのでしょう。

例えば、ちょっとした棘が刺さっただけで生活に支障が出たりします。緻密性の高い人は小さなミスが見逃せません。逆に、ちょっとした変化を捉えて事業を興す人も多く居ます。それらに共通することは、小さな感覚の芽生えが行為を創発することです。創発する行為にも種類があって、チャンスと捉える人、リスクと感じる人、そしてチャンスとリスクに振れる人が居ます。それが集団になると変化に対して発揮される群知能になるのではないでしょうか。データによって見えてくる傾向性とはその群知能の片鱗なのかもしれません。

さて、行為を創発する小さな変化の感知とそれを増幅する脳の仕組みにおいて、その起点となる小さな変化のなかでも、なかなか実体化、形式化がしにくい「雰囲気」とは何なのでしょうか。じっくり考えてみたいテーマです。


小さな変化に冬を感じます

2013年9月25日水曜日

吾輩は猫である

吾輩わがはいは猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当けんとうがつかぬ。

そんなものである。


白い靴下

2013年9月24日火曜日

競争と成長

「餃子の王将には競争があるから会社が成長する」

昨日の夕方、ニュースバラエティと見ていたらアナウンサーがそうコメントをつけていました。そのとき考えたのが、「競争があれば会社が成長するのか?」です。

幼稚園や小学校の運動会で順位をつけないと聞いて驚いてから、もうだいぶ経ちます。今でもまだ続いているのでしょうか。運動で競い合うということは、身体性の発揮において非常に明快な達成ですから、達成のない運動に果たしてどのような意味があるのか多いに疑問が湧きます。身体を動かすことに意味があるのではなく、身体を動かして何かを達成する(あるいは達成出来ない)ことに意味があると考えるからです。言うならば「競争賛成派」ということです。

一方で、アナウンサーのコメントに違和感を感じたのは、競争が組織に常によい影響を与えているとも思えないからです。例えば、足の引っ張り合いも競争と言えば競争ですが組織にはあまり良い影響を与えません。また、大きく考えれば行き過ぎた競争の結果、国民にしわ寄せが来ることもあります。それらは、過当競争の結果です。よって、適切な競争が好ましいわけですが、競争が適切か否かを決めることは主観的になり困難です。度が過ぎると前述のような順位をつけない徒競走みないなことになりかねません。逆に競争を煽りすぎると職場が荒れます。静岡県の知事は明らかに学力テストの結果を使って競争を煽っています。どうも、煽るにしろ、抑えるにしろ誰かが競争を外から支配することはあまり好ましいことではなさそうです。

結論として、
競争とは本来、環境と相互干渉的(コヒーレント)に発生するものである
と仮定してみます。

この仮定であれば、会社の瀬戸際において「生き残り競争」があることも説明できそうです。

「餃子の王将は顧客の支持による好調な業績のなかで好循環を生むよい競争が創発しているようです」

今度はそんなコメントを聞きたいです。


競争に勝つ!

2013年9月23日月曜日

小ネタ、快感、やさしく面白く

小ネタについて考えてみました。

今回は
あまちゃんの秘密は沢山の小ネタ
小ネタは瞬間の快感
ストーリーがやさしく面白くなる
というお話です。

今更でもありませんが、NHKの朝ドラ、「あまちゃん」には、宮藤官九郎さんがたくさんの小ネタを仕込んでいます。小ネタとは、ドラマのストーリーと本質的には関係ないサイドストーリーを指しますが、小ネタを探してツイートしあう人たちもいるようですから、ドラマの盛り上げに多大な貢献をしているのでしょう。

小ネタが多く登場するのは、ドラマではなくお笑いの領域です。ダチョウ倶楽部のように小ネタ自体が芸風として認知されている芸人も数多く居ます。親父ギャグも小ネタの類いです。

小ネタの特徴は、1.短時間で認知される、2.シニカルなものも含め笑いを誘発する、3.習慣化によって期待を生む、4.やがてマンネリ化して無反応となる、の4つだと思いますから、マンネリ化するまでは瞬間的に緊張を解いてポジティブな思考に切り替えるよい手段だと言えるでしょう。

さて、小ネタの特徴を挙げましたが、それらの特徴は逆に小ネタに課せられた使命であるとも言えます。例えば、短時間で認知される必要がありますから、説明が必要なものは小ネタと言えません。また、笑いを誘発できないものもNGです。例えば、講演や研修、セミナーなどで場の緊張を解そうと小ネタを差し込むことがありますが、失敗するケースが多いと思います。それは、認知の前提(スキーマ)が一致していなかったり、初めて聞くような話であったり、提供者の緊張が伝わっていたりしてのことです。

小ネタの効用は、難解なストーリーへの理解を高め、単調なストーリーへの興味を強める、すなわち「やかりやすく」「面白く」することでしょう。ただ、お笑い芸人の小ネタが一過性であることを見てもよくわかるように、単調な小ネタはあっと言う間に逆効果となりますから、本ネタがしっかりとしているうえに豊富な小ネタが差し込まれていると人はストーリーに引き込まれて行くのでしょう。


上に小ネタがあります

2013年9月22日日曜日

複眼で創発する人事の仕事

組織における人事担当者は投資家
人事担当者は10年後を見通した仮説が必要
仮説を複眼で検証し仕事を創発


組織人事のなかで、例えば採用担当者であれば、入社してから退職するまで、最長で40年以上、組織の一員となる3億円の人材投資を行っていると考えられます。10人なら30億、100人なら300億です。企業の業績が悪化するとリストラで事業を立て直すのが常套手段であることを見ても、人材投資は企業にとって非常に重要なテーマです。その出発点が採用活動であって、日本では被雇用者の権利が強く守られていることも忘れてはなりません。

投資家が投資を行うにあたっては、仮説を持って様々な分析で仮説の検証を行うように、人材投資に関しても仮説が重要です。それは、10年後を見通したものとなります。なぜ10年後かというと、人材が一人前になるのに10年と言われる経験則、入社して10年経つと経済環境もライフステージも明らかに変わること、仮説を検証する材料が確実に揃うこと、以上3つがその根拠です。

では、実際に10年後の仮説を持った人材投資、例えば採用活動を行っている企業はどのくらいあるのでしょうか?個人的な印象としては、ほとんどありません。というのも、事業計画が短期間化し、中期3年が一般的になる中で、それを遥かに越えた長期の投資を考えるスキームが成立し難いこともその一因になっていると思います。また、役割化する組織のなかで、10年後どころか3年後に検証を行うべき担当者が異動してしまう人事が当たりまえのように行われています。残念なことです。

さて、医療の現場ではセカンド・オピニオン(当事者以外の専門家である第三者の意見)はすでに一般的です。投資の世界でも、投資仮説を検証するのは第三者の専門機関です。では、組織人事の世界ではどうでしょうか。このことを考えるためには、まず仮説の有無が問題となります。医療の現場では専門医の診断結果がこれに該当します。

顕在化している課題、もしくは未来にむけて自ら設定する課題の本質を明らかにするためには、客観的な診断が必要です。例えば、頭痛がするといってもその原因は様々なように、組織においてイノベーションが起きないという現象からだけでは本質的課題解決は行えません。問題が知覚されたとき、風邪薬を選ぶような対処が好ましくないことは明白です。

ところが、多くのHR系サービスはいきなり処方箋から始まります。採用の母集団が集まらないといったらこのパッケージ、メンタル発症リスクが高いといったらこのパッケージ、マネジメントを強化するならこの研修みたいに、ドラッグストアに行って市販薬を選ぶような手軽さがありますが、本質解決になっているのか大いに疑問があります。

人事の方と本質的な議論の端緒につくと、良く「難しい」という言葉が出て来ます。これは、前述のような投資スパンの問題であったり、組織運営体制と課題のミスマッチが背景にあると思います。しかしながら、投資という、予測不可能、複雑な未来に向けた課題解決ではそれ自体を課題(課題解決の課題)ととらえて解決にむけた取り組みが行われており、それがオピニオンペーパー、セカンド・オピニオンの活用なのです。

たとえ仕事は瞬間であったとしても、瞬間であることが「難しい」のではなく、本質をとらえて解決することが人材に関わる仕事なのだと思います。


植物はこんなに複雑ですが「難しい」とは言いません

2013年9月20日金曜日

2つの主体性 「主体性をもって演じる」ことの難しさ

主体性とは「ビジョンとこだわりである」

これは、大学生研究フォーラム2013のパネルディカッションでの東大吉見先生の発言です。このフォーラムは大学生が主テーマですから、「主体性をもって学ぶ力」の大切さを問われた京大溝上先生に応じて、吉見先生が展開されたのですが、組織において主体性が求められる場面は2つあります。

一つは「主体性をもって繋がる」こと。吉見先生の定義を使わせて頂ければ、「自らのビジョンを持って組織外(内も)の人や事との繋がりを体現すること」です。これは、自らのビジョンですから、繋がるテーマは自由です。例えば、飲み仲間でも良いし、趣味やボランティアでもOKです。この繋がりでは当然ですが、積極的なコミュニケーションが発生します。

この「主体性をもって繋がる」ことは、じつは組織を活性化する非常に重要な行為であることが、最近のビッグデータ分析で明らかになりました。分析では、コミュニティの活性化に寄与するのは、コミュニティの中心者ではなく、コミュニティ外部とのネットワーク多く有する者であり、スモールネットワークという概念で六次の隔たりと言われる弱い繋がりの強さをある側面から実証する形になりました。

もう一つが「主体性をもって演じる」ことです。こちらも吉見先生の定義を使わせて頂くと「組織のビジョンを自らのビジョンと統合し、求めに執念をもって適応すること」です。たとえば、組織が作る行動規範や職責、役割、目標達成などがこれに該当します。

「えっ?会社員の人は皆、そうなんじゃないの?」という声が聞こえて来そうですが、ポイントになるのが「組織のビジョンと自らのビジョンを統合」することです。要するに会社員ひとりひとりが社長と同等の意識と行動を体現することなのですが、階層化、分業化、二極対立化など多くの障壁による構造化が進んだことにより、現在の多くの会社では「社長の意識を持った社員」を生み出すことはより困難になっているのだと思います。



主体性!

2013年9月19日木曜日

知識は過去のものだが、知恵は未来からやってくる

”最近の人は知恵でなく、知識ばかりを求めている。
知識は過去のものだが、知恵は未来からやってくる。”

             バーナン・クーパー(ランビー族)1990年
            それでもあなたの道を行け ジョゼフ・ブルチャックより

知恵とは「道理を判断し処理していく心の働き。筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力。」(Wikipedia)

知識を過去、知恵を未来に例えた前述の文章に触れ、今更ですが「知恵」は問題解決志向であると感じました。もしかしたら未来を考える時に生まれるのが「知恵」なのかもしれません。

知識の蓄積は、私たちの知覚を安定させます。「大人になる」ということは、知覚が安定し、一貫した行動や安定的に分別のある判断が出来るようになることです。ところで、知識労働者(knowledge worker)という言葉はありますが、知恵労働者(wisdom worker)という言葉は聞いたことがありません。「知恵は未来からやってくる」のであれば、「デザインとは夢を実現するためのプロセス」なので、知恵を持って働く人は、知恵=デザインにて、designerで良さそうに感じます。

中秋の名月を眺めながらそんな事を考えてみました。


花と名月

2013年9月18日水曜日

猫にとって自らの力を測ることとは

猫は、子猫のとき同じくらいの猫同士で戯れ合いながら、3つのことを試しているそうです。

一つ目は、自分の力。自分がどのくらいの力を持っているのか、遊びを通じて測ります。

二つ目は、狩りの力。相手を倒す真似事をします。

三つ目が、繁殖の力。将来訪れるその時に向けてシミュレーションを行います。

そして大人になると、自分の力と照らして接近、回避の判断をし、エサを捕まえたり、猫同士で争ったりしながら子孫を残して行きます。

実際に目の当たりにする猫の生活はとっても豊かです。寝そべって甘えてみたり、眼力で相手を威嚇したり、のんびり休んだり。しかしながら、そこにある「しなやかさ」は、自らの身体でによって測った体感での自己理解がしっかりあるからなのでしょうね。


猫によって近づける距離が異なります

2013年9月17日火曜日

分析は料理のごとし

分析をしていて、ふと、分析って料理に似ていると感じました。素材、調理、盛りつけ、そして食べる場の雰囲気と手順も要点がそっくりです。

最初に素材選びです。有り合わせの材料を使って何か料理を作ることもありますが、多くの場合は出来上がりをイメージして、つまり、何を作るか意志をもって素材を揃えるところから始まります。分析も同じです。有りものデータでの分析も出来ますが、明らかにアウトプットを起点にデータを集めた方が実は、楽だし効率的で失敗がありません。一方、素材選びに手を抜くと出来上がりが貧相で残念なことになります。

次に調理。どんな料理にもレシピという形式知があります。もちろん、匙加減という暗黙知もありますが、形式知を使ったほうが経験の浅い人や感覚の薄れている人にとって間違いがありません。そして、調理の際の丁寧さと大胆さ、手際が料理の出来不出来を決めます。分析も一緒です。形式知に則って丁寧にそして大胆に手際良く進めることが肝要です。この場合の「大胆に手際良く」とは、素材であるデータを捏ねくり回さないことです。弄りすぎると素材が台無しになります。

出来るだけ素材の良さを引き出す為には、アウトプットイメージとそのための素材選びの一致感が重要なことは料理を考えるとわかりやすいかもしれません。たとえば、肉じゃがを作る時に大根を選んだらすでに失敗です。同様に、基礎ナレッジを表出するのに、バイアスの強く掛かったサンプルを選んでしまった段階で分析はすでに失敗しています。ただ、料理の場合は、大根で肉じゃがというと、大概、「えーっ!」となりますが、分析の場合は、それに気づかず召し上がっている方が多いのも事実です。

そして、盛りつけ。どんな料理でも、綺麗に盛りつけられれると満足度が高まります。逆にどんなに美味しく作っても、フライパンのまま食べたら美味しさも半減してしまいます。同様に分析結果も、TPOに合わせて見せることが大切です。縁日で食べる焼きそばと高級イタリアンで食べるパスタの盛りつけが異なるように分析においても結果を使う場面にあわせて数値やグラフを利用します。

最後に、食べる場の雰囲気がとても大切です。料理は皆でワイワイ食べたり、誰かとじっくり味わったりすることで、味覚、嗅覚、視覚だけでない、聴覚、そして触覚の五感で楽しめます。分析結果も目(視覚)と頭だけで味わうのでなく、議論や対話による聴覚、データが生まれた現場の手触り感という触覚、美味しい結果、不味い結果という味覚、そして何かありそうだと匂ってくる嗅覚など五感全てで結果を感じた時が一番充実するのです。

さて、これから取りかかる分析は、まず素材ありき。目の前にどーんと素材があります。素材選びの楽しさはありませんが、料理人はそういうハンデを負ったときも、腕を見せようと燃えるものです。


月に団子にすすき 素敵な盛りつけですね


2013年9月16日月曜日

じぇじぇじぇ(‘jjj’)の倍返しWomanはお・も・て・な・し

2013年秋、私のこのところのTVに関する話題はNHK「あまちゃん」、TBS「半沢直樹」、日本テレビ「Woman」、そしてオリンピック招致プレゼンでの滝川クリステルさん「お・も・て・な・し」です。

まず、3つのドラマの特徴は、過去の清算。人にはそれぞれ囚われている重い過去があって、それが氷塊することで心が満たされるという共通性を私は感じてしまいます。「繰り返すネガティブ」の典型です。

「あまちゃん」はそれを過去の当事者ではない主人公あきちゃんが軽いタッチで偶然っぽく氷塊していきます。この偶然っぽい感じが、宮藤官九郎さんの演出です。ドラマにぶち込まれた小ネタは偶然と言う感じですが、実は必然となっていてそれも心地よいです。

「半沢直樹」は正義心の強い主人公半沢直樹が、父親を自殺に追い込んだ自分が勤める銀行の役員を追いつめていくことで過去を執念をもって打ち壊して行きます。仕返しが、倍返し、100倍返しとなんだか、エスカレートしていくところが気になります。

「Woman」では、主人公小春が、母親の失踪や愛する夫の突然の不条理な死という過去と向き合いながらその背景や理由を目の当たりにし、自分の命と向き合いながら過去を意味づけして行きます。装飾の無い音と満島ひかりさん、田中裕子さんの演技が絶妙です。

さて、これらのドラマとは唐突感がある「お・も・て・な・し」ですが、これらのドラマ共通の演出に感じるのが実は、この「お・も・て・な・し」です。

「おもてなし」の三原則は「したく」「しつらえ」「しかけ」と言われます。それぞれに当てはめて考えてみます。

「したく」とは、客人を向かい入れる準備です。TVドラマでは客人=視聴者ですね。ですから、どのように視聴者を向かい入れるのか、それぞれの脚本家、演出家の趣がよく出ています。「あまちゃん」では、音楽と俳優陣、「半沢直樹」では、主題歌無しと無機質な銀行(風)の建物(都心では日常的です)、「Woman」では、下町風の身近な生活感と情景です。

「しつらえ」は、季節感の演出です。「あまちゃん」では北三陸の四季や地元の物産と方言、「半沢直樹」では逆に季節感の喪失、「Woman」では、下町の夏などが伝わってきました。

そして、「仕掛け」では、主客の融合がおこります。要するに、身の丈感、「こんなことある」とか「こんな人、居る」とか「そう、そう、こんな感じ」という風にアハ体験やクオリアが鏤められていて、最後にはカタルシスが待っています。

ということで、思わず嵌ったTVドラマに意味づけをしてみました。


タイアップの主題歌や楽屋落ちの配役、空気感、生活感の伝わらない場面や演技、飛躍があり見る側が引いてしまうオラオラストーリー、まあ、こんなドラマやバラエティは今の時代、誰も見たくないでしょうね。


台風にも負けない「おもてなし」の時代



2013年9月15日日曜日

営業経験者(営業担当時はハイパフォーマー)はなぜイノベーティブなのだろうか

仕事を通じて持つ人の仮説のなかで、個人的に高い実感と確からしさを持つものがあります。そのひとつが、「営業経験者(営業担当時はハイパフォーマー)との仕事はイノベーティブであり、クリエーティブである」というものです。

仕事柄、人事部の方と仕事をする機会が多いのですが、それらの方々の中に同じ「匂い」を感じる方々がいます。

例えば、打ち合わせの際に見極めているのが「何をするのか」ということよりも「誰とするのか」という印象です。もちろん、目的を持って仕事を進めるうえで、「人」が全てではありませんが、相手の過去である「実績」よりも、この人たちと何かが生み出せるという「予感」を大切にしているように感じます。

それだけに、相性が大切になってしまう傾向もありますが、仕事に変化と挑戦が含まれていることに変わりはないようです。

なぜ、このような傾向性を感じるのか考えるに、営業という職種が主体的に新たな繋がりをつくる要素が強いからではないでしょうか。一方、管理部門での仕事は、既存の繋がりを強める(非効率の削減とルールの浸透)要素が強いようです。ですから、「予感」よりも合理的に必要性が高いか、低いか、が重要です。

自由参加のワークショップでは人が簡単に繋がります。それは、主体的に参加してるので、誰と一緒になるのかわからないという不確実性を前提として、たまたま同じグループになった方と繋がる偶有性も活かされているからだと思います。

一方、会社の定例会議ではメンバーが固定されることで不確実性、偶有性が排除され合理的な思考が優先されます。ですからそこにあるのは組織的な同調リズム作りであり、繰り返しによる既存の繋がりの強化です。閉じたメンバーで行う研修も似たようなものでしょう。外部研修で社外の人間が講師を務めることは、メンバーが閉じないための仕掛けと言う側面もありそうです。

さて、主体的に繋がりをつくること、つまり、不確実性と偶有性への傾斜というのは紛れも無くイノベーティブさを内在した行為です。ですから、営業経験者(営業担当時はハイパフォーマー)がイノベーティブなのは偶然なのではないと言えるでしょう。


不確実性と偶有性は感性に響きます

2013年9月14日土曜日

ボス考

あくまでも個人的な経験をもとにボス像を整理してみました。

第一段階
ボスキャラ vs 有象無象

有象無象は似非ボスということで。
0.似非ボス

第二段階(ボスキャラのタイプ)
軍隊長殿系 vs 肉食猛獣系 vs 情深い系 vs 腹黒化かし系 vs 結局無責任系 vs 手触り慎重系

現状では、6タイプのボス キャラタイプを経験しています。

1.軍隊長殿系・・・どのような場面でも階級を絶対的な価値感としている
2.肉食猛獣系・・・自らの獲物(成果)を得る為には身内も攻撃する
3.情深い系 ・・・・部下や取引き相手の心根を大切にし、責任を負う
4.腹黒化かし系・・上手く世渡りしているようだけど底が浅くて本音が見える
5.結局無責任系・・船が沈む前に自分だけ下船する、もしくは船が沈みそうなときでもLet it be。実は常にすごく不安意識と依存心が強い
6.手探り慎重系・・必ず自分の体験、経験で事を測り手堅く判断し、代理体験の幅が狭い

さて、自分がボスだったときに0から6のどのタイプだったのか・・・それは、私がめくるページには書いてありません。部下だった人しか知らないのでしょう。


見えるのは我が足のみ也

2013年9月13日金曜日

客観風、主観的データによる問いかけ

科学におけるデータは、客観性の証人です。現象の理論化と再現における重大な証拠であり、誰が見ても同じ理解を生むものです。これに対して人によって理解が変わるデータが主観的データです。

例えば、A社で活躍する人はB社でも活躍するという再現性については議論の尽きないところですが、企業によって活躍する人材が異なることに疑う余地はありません。というか、一人の人間が同じ瞬間に異なる場所に存在出来ませんから、厳密な意味で検証は不可能な命題です。

では、多くの企業が保有する人材の評価データはどうでしょうか?

これも言うまでもなく再現性の無いデータと言えるでしょう。どれだけ客観性を高めようと努力しても、人の組み合わせや状況が変われば評価データは変わります。余談ですが中には、エクセルシートを使って前期の評価データをそのままコピペする管理職もいるそうですが、この場合、数値は同じだとしても、前提である測定を行っていませんから、評価結果はデータではなく単なるゴミです。

さて、何故、組織では主観的なデータを分析したり活用しようとするのでしょうか。私はそこにはデータを使った問いかけという大切な目的があるからだと思います。科学であることよりも、問いかけを使って成果を得るための気づきを得たり行動を創発することが、事業を推進する組織にとっては重要です。つまり、データの客観性という非現実的な科学性に捕われるのではなく、データから何かに気づこうとする「学び」にその本質がありそうです。


もちろん、科学も学びです

2013年9月12日木曜日

言葉と行動の間にあるもの

旅行に行きたいと言う人は9割、でも、本当に旅行に行く人は5割足らず。さらに夏休みの家族旅行などイベント系消極的旅行を除くと積極的旅行者は2割未満。このように言うことと行うことには大きなギャップがあります。

例えば、手分けして仕事をしていて、「あれ、どうなった?」と聞いて、手つかずの人は4割、ぼちぼちやっている人は3割、期待以上に進めている人は2割というのがこれまでの仕事経験で感じる比率です。あっ、残りの1割の人は、「拒否」します。

会議の場で「こんなことに取り組みたい」と言う共感が生まれても、実際に進められることは半分で、しかも、想像以上に取り組みが進むことは1割程度だった場合、大切なことは共感が生まれることよりも、主体性を持って行動することになります。

多くのハイパフォーマーを見るに、主体性の無い人は皆無です。そしてその主体性とは、語ることから受ける印象ではなく、行動することから感じられる印象です。そう、言葉で説明されなくても主体性は伝わって来ます。といって、黙して語らないわけではなく、語る時は行動しながら語っていますし、語っていることも自らの行動や行動するイメージと常に一体感があります。

どうも、自分の言動を省みるに、言葉と行動の間にあるのは身体のようです。あたり前のようですが、身体を意識せずに語っていることの多くはあまり実際に進んだ記憶がありません。そのようなときはきっと外から見ると主体性は感じられないのでしょう。

ずっと前から「こうしたい」って話し合っているのに、ずっと変わらずにいること。

そこには山のようにどっしりと居座って行動を阻む身体があるようです。


動かないものから主体性は感じない

2013年9月11日水曜日

挑戦する空気を凍らせてはいけない

仕事をしていて良いことが続き、乗ってきたときに足元を掬われることがおこる、そんなことは誰にでも経験があると思います。また、「何が良いことで何が悪いことか」はあくまでも主観的な価値基準なので、当人以外において共有するのはなかなか難しい側面もあります。

さて、組織においても良い流れが人によって足元を掬われることがあります。組織内の利害関係などで脚を引っ張られるといった争いごとでなくても、例えば「これをやってみよう」「あれもやってみよう」と挑戦的空気が満ちていくなかで、「そんなこと意味が無い」「自分はやらない」など、リスクを提示しながら一撃で空気を固めてしまう人が組織のなかには必ず存在します。

もしリスクの提示が正しいリスクマネジメントの一貫であれば、論拠をもって語れますし、状況に応じて対応が変わるとしてもポリシーは一貫してるはずです。ところが、マイリスクマネジメントの特徴は、言動の不一致にあります。

わかり易いケースで言うと、同じ行動であっても他人の行動には批判的なのに自分の行動は正当化するものです。例えば、会議に遅れることで他者の時間を奪うと言いながら、自分は延々と無駄話をしていることなど、具体例もいろいろと挙げられます。

ただ、これは多かれ少なかれ誰にでもあるものですから気にしないとして、一方でとても気になるのは、挑戦する空気を凍らせるという行為です。

良いことばかりは続かない(悪いことばかりは続かない)、という言葉は自らの楽観(悲観)を戒めて事に取り掛かるべし、という意味と、「どうせそのうち・・・」と学習性無力感(期待感)の2つの側面があると考えています。そのうち、閉塞的状況においても期待を持つことは今回のテーマではありません。

人は挑戦的状況においてたびたび無力感を学習してしまうと、挑戦そのものをしなくなります。そして、いざ、挑戦が必要な局面になっても思ったような挑戦が出来なくなります。このような現象は動物実験でも確認されていますから原始的な脳の機能なのかもしれません。更には人だけでなく、このような課題を持った組織がたくさんあります。

それらの組織の間違いは、小さな塊りとなった挑戦する空気を凍らせる人を放置してきたことに尽きるのだと思います。そして、凍らせる人は経営トップから現場スタッフまであらゆる階層に居ますから、組織全体として挑戦する空気を凍らせることは悪いことであるという前提を作ることが重要なのでしょう。

ただ、勘違いしてはいけないのは、なんでもかんでもやってみるのが良いといった、浮ついた行動を推奨する雰囲気が「挑戦する空気」なのではないことでしょう。とても実感することです。

例えばトヨタの「なぜを5回繰り返す」とか未来工業の「常に考える・ホウレンソウ禁止」とかクレディセゾンの「となりのコートのボールも拾う姿勢」などは、「凍らせるのは悪いことである」と直接糾弾してはいませんが、凍らせない前提が内在されています。それらの組織は地に足をつけ自らを戒めながら且つ「挑戦する空気」が凍らない組織の良いお手本だと思います。「良い前提」は「良い問いかけ」でもあるのです。

このように受け入れ易く、かつ浮ついたり、きれいごとではないウエイや組織風土が浸透した組織では「挑戦」によって短期的には成果が出ない局面があったとしても、その後、必ず成果を生み出せる土壌であると言えるでしょう。


まずは「自分が地に足つけて、凍らないこと」が凍らせない第一歩

2013年9月10日火曜日

組織におけるヒト 戦略への適応とここ一番での異質性

組織を運営する際に同質性を求める場面と異質性を求める場面があります。この2つの志向性が場面によって切り替えられることを人材に求めがちですが、これは、個の強みという観点で言えば対立する性向ですから、同じ規範や制度の枠組みで評価できるのでしょうか。

例えばサッカーで、フォワードの選手はあまり守備をしません。そのかわりここ一番で得点をあげます。逆に、守備の選手は常に安定した力で相手の攻撃を防ぐことが求められます。もっともチームで守り、チームで攻める日本のようなケースは若干異なりますが、それはむしろ、稀なケースであって、例えばフォワードの決定力が高ければ守備での貢献はそれほど求められないと思われます。

また、対戦する相手チームの力が上になれば全員が守備的に動くことが求められるので、フォワードであっても守備が必須になるのでしょう。

つまり、チーム戦術の理解と実践においては、同じ規範、制度が有効です。しかし、個人の力を発揮する場面では、同質性はあまり有効だとは思えません。むしろその人ならではの異質な個の強みを最大限活かすことが求められるのではないでしょうか。

この場合、個人にとって同質性は「戦略」、異質性が「才能(強み)」ということでしょう。苦手であっても嫌いであっても戦略を理解して最大限の努力をする、そして、自分の得意であり好きな力をここぞというときに発揮する、そのためには他者と異質な強みを持ち磨いていることが大切だと考えます。


3匹集まれば組織?

2013年9月9日月曜日

拡散するポジティブ、繰り返すネガティブ

ツイッターのビッグデータ分析から、ポジティブな意見を発信するオピニオンリーダーは時間とともに増えていくのに対してネガティブな意見を発信するオピニオンリーダーは繰り返し発信している(NHK 震災ビッグデータ2)とのこと、意識はなぜこのように働くのでしょうか。

職場を見ていると自分も含めてネガティブな意識にとらわれる時はどうも、変えられないもの、他人や過去に執着する傾向があるようです。一方、ポジティブな意識に目が向くときは他者のポジティブな意識と共振していろんな事ができそうに感じます。

もう少し分解すると
ネガティブな意識は
常に批判的で可能性を見ようとしない
リスクを捕らえて自己の正義を振りかざす
意識を持てば持つほど囚われる
同じ土俵に上がらない(壁を作る。上がってしまうと自己矛盾をおこす)

ポジティブな意識は
普段よりも色々できるような気がする
リスクに寛容になる(脇が甘くなる)
ポジティブな人は連鎖する(すぐに気が合う)
どんな土俵にも上がってみる

ネガティブな意識を手放すためには、無理矢理ポジティブに考えようとするのではなく、批判的になって正義を振りかざす自らの意識に囚われないことが大切なようです。意識を手放す(無心、世界を止める、あなたがあなた自身から離れる、などなど)心境への道はまだまだ遠い・・・


行けばよいのです

2013年9月8日日曜日

氷山モデルは入口です

人の行動とその背景を説明するとに良く使われるのが氷山モデルです。これは例えとして、「氷山の一角」といわれますが、海面上に見えている部分はごく一部で海面下にその大部分があること、そして、その大部分は目に見えないことを意味しています。

この見える部分、見えない部分は「行動と性格」「顕在と潜在」「外面と内面」のように言い換えて使われるのですが、境界線(海面)を境にして二項対立的に捉えるよりも、前提を転換することが必要だと考えます。

それは、場所と場、図と地、時間と空間あるいは記録と記憶の関係性です。

例えば、写真を見た時に映されたその空間を感じとることや、対話のなかのでのキーワードがある場所での出来事、匂い、感触まで呼び起こすような、奥行きや広がりといった、まさ多次元ワールドへの転換です。この場合、写真、対話、もしくは、行動、外面は多次元ワールドのインデックスです。日頃、私たちはインデックスを並べて操作しています(メソッド、モデル、ストーリーなど)。多変量解析などを行っているとこのことを少し感じられます。

質感の世界は、茂木健一郎先生の「クオリア」が有名ですが、何気なく、私たちが五感で取り込んでいる情報とそれによって作られている「意識」は本当の世界への入口に過ぎないのでしょう。そして、本当の世界とは、私たちが無意識も含めて様々な実践や体験を通じて得られる身体知であり、中に入るとは、行動を通じて場や地や空間や記憶を広げたり変えたりすることなのかな、と考えています。


この写真はカフェと口内から鼻腔にひろがるハーブの香りへの入口です

2013年9月7日土曜日

表参道 街の色がたり

Concept  "Colors Pallet" 


Mustard


Turmeric 


Yellow and Red


Red


Red White Green 


Green and Red


Green and Orange


Green


Green


Khaki Green and Blue


Blue


Sky Blue


Purple


Rose Pink and Cream White

and so on, so on ...

Sep, 2013

2013年9月6日金曜日

人を動かす言葉 勝ち言葉とほめ言葉のシャワー

言葉には人を動かす力があります。それは「言霊」のような霊的な力というよりもっと具体的に身近に存在しています。

サイバーエージェントの「勝ち言葉」
サイバーエージェントの取締役であり名物人事本部長の曽山哲人さんから直接聞いたお話のなかで強く記憶に残っていることのひとつに「勝ち言葉」があります。営業部門の人は「期中に○○百万円の売上達成」のようにわかりやすい目標を立てることができますが、人事部などのスタッフ部門においては、何を持って目標達成とするのか、目標に対してどのくらいできたのかを設定するのかわかりにくさがついて回ります。例えば、新制度の導入では、目的は、導入による効果であって、導入そのものが目的ではないはずです。しかし、実際の効果が出るまでに時間がかかりますし、その間に状況も変わってしまいます。そこで、制度の導入によって生じた短期的な変化や最初のアウトプットに対して社長が「○○ができそうだね」とおもわず呟いたら「勝ち」と決めて取り組むそうです。
わかりやすい達成目標として、人が発する言葉に焦点をあわせる、言葉という目標によって人が動く構造です。

菊池省三先生の「ほめ言葉のシャワー」
ステーブ・ジョブズは本当に優秀な人は褒める必要がないと言っていましたが、ほめることによって人が劇的に変わることを実践されているのが、菊池省三先生です。そのほめ方が尋常ではありません。良いことをしたらほめる、というのではなく、良いことを探してシャワーのように周囲の人がほめるのです。ほめられること、ほめることが日常になると人は変わるのですね。以前、会社でほめる文化を作りたいと思い、取り組んだことがありますが、上手くいきませんでした。おそらく、中途半端な取り組みだったのでうまくいかなかったのでしょう。大人になると、プライドもあって、そもそも「ほめる文化っていいよね」という共感作りから大変です。また、成長の段階によってほめ方も違ってくるはずです。

ということで、今日のテーマは人を動かす言葉です。(慌ててアップしたので内容を少し修正しました)


言葉で動くこともある

2013年9月5日木曜日

性格というハイブリッドシステム

このブログを毎日書き続けて思うことは、毎日書き続けたほうが書くことのハードルが低いことです。おそらく、週一とか、間隔を空けてしまうとスイッチを入れるエネルギーが相当掛かる気がします。これは、東大の中原先生もブログで「初動回転理論」と書かれていますので、私固有の感覚ではなさそうです。

さて、これを少し拡張してHRデータ分析、脳科学などの知見を加えて以下のような「性格はハイブリッドシステム」を考えてみました。

1.性格は省エネと活性化のハイブリッドシステムである
2.省エネモードは日常の行動傾向を支える
3.活性化モードは非日常の行動を創発する
4.省エネと活性化の切り替わりも性格である

日頃、考えずに行っていることにはさほど、エネルギーを割いている気がしません。そのようなときは「意識は後づけ」という脳科学池谷先生の言う通りだなと思います。例えば、ブログも習慣になれば書くこと自体にあまりエネルギーを使いません。ところが、何か新しいことに取り組む時はガソリンエンジンが動き出すようにスターターが必要です。ガソリンエンジンは馬力が上がりますが、一方で、燃料を大量に消費するのでそのまま使い続けるとガス欠になってしまします。そこで、誰もがどこかで、省エネモードに切り替えているのでしょう。

さて、省エネモードは本人にとって一番楽な状態ですから、意識を定量化したとき値が低く出ます。一方、活性化モードでは値が高く、その差は100点満点で10点くらいの差があります。しかし、省エネモードは12時間働けるものの活性化モードは3時間くらいがピークですから実際の消費エネルギーは4倍相当ぐらいでしょうか。

以上、要するにONとOFF、交感神経と副交感神経の話です。余談になりますが、疲労度は交感神経と副交感神経のバランスで簡易に測れるそうです。

ところでエンジンに排気量があるように性格にも規模観があります。

5.固有の規模観と効力感によってダイナミズムが変わる

人は自分の規模観のなかで日常、非日常を切り替えますから、たとえば、軽自動車で80km/hのスピードを出すとかなり頑張っている感があります、が、フェラーリに較べたらそれは頑張っているうちに入りません。人選力とはこの世界観を測ることを指しているのでしょう。よく、面接などの場面で本人(面接を受ける人)はすごく自分に自信をもっているのだけど、どうしても物足りなく感じてしまうことがあります。それは、この規模観のズレだと思います。もっとも、見た目がフェラーリでもエンジンは軽自動車というケースもありますから実際の規模観は走ってみないとわからないものです。

6.省エネモードにおける主たる勾配が重要である

最後に、実感としてあるのが、活性化モードに入る準備が常に出来ている人とそうでない人が居るということです。前者は自らスイッチを入れるので主体的ですが、後者は周りが苦労してもスイッチが入りません。これはさきほどのように定量化すると日常時で100点満点で20点以上の差がありますからスイッチが入って10点加算しても、前者の省エネモードに及ばないことになります。そんな感じです。

今日は車をメタファーに性格を考えてみました。


いまどきめずらしい公衆電話ボックス

2013年9月4日水曜日

なせばなる なしてならねぇ ならぬことはならぬもの

精神論的な観点かもしれませんが、「強い意志を持ってやればできないことはない」という考え方は大事ですが、他人に当てはめてしまうと「なしてならねぇ」(あまちゃん風)となってしまいます。時として「ならぬことはならぬもの」です。

現場とは「現在進行形」「具体性」「複雑性」「予測不可能性」「即興性」などの、5つのキーワードで彩られる場所(小田 2010)であり、それらのキーワードに適応するために、新入社員は定型的熟達、適応的熟達、創造的熟達(金井壽宏)と一人前への階段を登る必要があります。ところが、マネジャーは、「素人感覚」「世間感覚」「現場感覚」を失いながら『突然」に「多様」な職場で「役割」の移行を求められ『弱さ」を自覚と他者からの「内省」(中原淳)と向き合っていて、新入社員は自ら成長することを求められます。学生時代に成長する人材とは「主体的に学ぶ力」「豊かな対人関係や活動性」「高い将来への意識を持つ」人材であり、それらは「社会人になって職場の働き方に関連性がある」(溝上慎一)そうですが、大学生の実態は、高校7年生(平野恵子)と揶揄される状況のなか、「社会への入口が、社会への出口に」(田中潤)なっていることによって、社会とのギャップが開いています。(同前)

ところが、これは大学生だけの問題でなく、若手社員の置かれた現状です。今までよりも高いレベル早いスピードで一人前を求められる状況にあります。成長しないのは本人の意識や態度の問題であって、「なせばなる」ものと思いたくなりますから「ならない」ときは「なしてならねぇ」と口にし、意志の弱さや謙虚さ、向上心の無さを攻めてしまいます。しかし、意識や態度は一日二日で身につく物ではありませんから「ならぬことはならぬもの」なのです。

「ならぬことはならぬもの」を受け入れ、自分中心の世界感を転換しなければなりません。

(「ならぬことはならぬものです」の本当の意味は「やってはいけないことは絶対にやってはいけない」という戒めです。)


無心と世界を止めること

2013年9月3日火曜日

褒めるのは場当たり的な対処か?

『真に優秀な人は自分のことは優秀だと知っているから褒めてやる必要はない』


18年前のジョブズのインタビューを知人のFacebookページで知り、Youtubeで見ました。この言葉はその中で出て来たものです。「優秀な人は褒めなくても仕事の内容に集中する」ということです。これは確かに納得感があります。

そこで、「優秀な人は仕事の内容に集中する」のか、「仕事の内容に集中するひとが優秀」なのか考えてみたところ、個人的には後者のほうが気づきがあると感じました。仕事の内容に集中すれば優秀になれるのであれば、私にもわずかにチャンスがありそうだからです。

仕事の内容に集中するということは、良い仕事をしてしっかりとアウトプットを出すという思考を持つとそれが意識され、習慣になり、性格となって運命になる(マザーテレサ)、すなわち優秀な人になれるわけですから、まずは、しっかりと仕事の内容に集中することから始められます。

一方、マネジャーはポジ5ネガ1の割合でフィードバックをしないと部下は受け入られない、という事も言われます。「褒められて育つタイプなんです」と公言する若手もいますが褒めてから・・・というスタンスで関わりを受け、それで上手くいく人は能力はあっても優秀にななれないのかもしれません。

18年前のこの頃、ジョブスはアップルを追い出されNEXTという会社で浮上出来ずにいました。当時の秋葉原にあったLAOXザ・コンピュータ館(通称ザコン)の上階では、ジョブズが作ったNEXTのワークステーションが陳列され、良く触りに行ったものです。


もしボスがジョブズだったらどうするの?

2013年9月2日月曜日

能力を活かす性格とは

能力テストと性格のデータを分析すると特定の性格クラスタにおいて能力テストの平均点が低くなります。そこから能力を活かす性格の側面が垣間見えます。

能力テストは、国語、数学などの問題や基礎的な操作などを一定の時間内で取り組むことで能力を総合的の測定するものですが、ここで測定されるのは、頭の回転の速さと解を導きだす集中力です。

ミシガン大学の研究で行われた研究では、流動性知能(問題解決や未知のパターン認識をする能力全般)が簡単な訓練で向上することが確かめられています。その訓練とは、まさに集中力を高めることに貢献するものです。
しかしながら、訓練で取り組む課題が難しいと感じてしまうと集中力は上がらず流動性知能は向上しないそうです。

目の前の課題を出来ると感じるのか、難しいと感じるのか、その瞬間に発揮される能力が決まっているのだとしたら課題に向き合う時のメンタリティが大事だということがわかります。そして、そのメンタリティが定常化したものが性格です。

脳科学では、「脳が出来ると思う(思わせる)こと」の重要性がわかっています。「自己効力感」が低いクラスタの能力テスト平均点が低いは、恐らくこのような背景があるものと思います。また、社会における課題は、テストのような課題よりも複雑で他者との関係という高次な課題があるため能力テストの平均点以上に能力の発揮に差が生じるのでしょう。


胸を張っていきましょう

2013年9月1日日曜日

こたえがなくてもこたえない大切さ

「どうすればいいんだろう?」と思ったとき、「こうしよう!」と決めて行動する。しかし、次の「どうすれば」で「この前もこうしたから・・・」を続けていっていいのでしょうか。
「答えがなくても堪えない」こと、それは「押し寄せる正解のない問題を臨機応変に解決し続けることの大切さ」という今回のテーマです。

次の3段階で考えます。
1.不良な設定のある問題・・・正解のない問題とは不良設定問題である
2.解を導く条件・・・不良設定問題を解くためには拘束条件が必要
3.同質化しない強さ・・・拘束条件が前提化から逸脱しないと問題解決の固定化がおこる

与えられた条件だけでは答えが出ないものを不良設定問題と言います。そこにいくつか条件を加えることで答えが出るようになると良設定問題になります。そして加えられた条件を拘束条件と言います。ファミレスのメニューからオーダーを選ぶ際に「食べられないもの」という条件が加わるだけでメニュー選びが楽になります。もっと厳しい状況では、津波からの避難。避難の可否を瞬時に決断出来たのは事前に作ったマニュアルであったり、親からの経験の伝承、地元の言い伝えであったりしました。このように、「こたえがない」ものにおいては、「答えを出す」ための条件が必要であることがわかります。

ところで、東日本大震災が起こる前、被災地となった学校では赴任した校長が災害前の避難場所の議論において津波のスピードを念頭に校舎屋上への避難を想定したことに対して、地元出身の教師は、地続きの高い場所(山)に逃げることを譲らなかったそうです。そして、避難場所が校長に一任されるなか震災がおきてました。校長は、自らの拘束条件を変えて、山への避難を決め、結果、全員が助かったそうです。もし、校長が、自らの拘束条件を変えずに屋上に避難していたら全員が津波の被害にあっていたようです。

このように、拘束条件は前提としてではなく状況に応じて臨機応変に変えることができます。これはとても重要な示唆です。

さて、新卒学生の就職活動(就活)という正解のない問題で、このテーマを考えてみます。面接訓練、形だけの留学やインターンシップ、試験対策、就活塾など選考の対策やトレーニングは学生にとって就活と言う正解のない問題を解くための拘束条件と考えられます。このような就活対策という拘束条件は就活というイベントにおいての良設定問題化であると考えられます。一方、真面目にこのような対策をとる学生は、企業に入って正解のない問題に直面したとき、自ら正解のないことに向き合えるのか疑問が湧きます。仕事で求められる重要な問題解決は、横並びではないからです。対策をしてはいけないのではなく、先ほどの震災の事例でもわかるように、皆がやっているからといった前提によって同質化してしまわないことが、社会に出て求められる主体性です。

同質化しないということは、常に自ら考えることです。それは、決して楽なことではありません。「できるだけエネルギーを使わずに」することと真逆のことですから、こたえがないことに向き合い続けるにはへこたれない、堪えない強さが大切なようです。


向き合い続けること