2013年7月31日水曜日

可視化という客観性と目の独裁に気をつけよう

日曜日に参加した、MALLのイベントで近藤良平さんと「行為の動機を行為する:ダンス・パフォーマンスを通してモチベーションを考える」のなかで二人一組になり、両方の手のひらを合わせ、一人が目をつぶり、目を開いた人の動きに合せるセッションがありました。そのセッションの前は、二人とも目を開いて同じことを行うのですが、目をつぶったほうが合わせやすいことを体感できます。そして、次のセッションでは一方が目をつぶったままフロア中、動き回ったり、パートナーを替えたりしました。自分を導くものは相手の手のひらだけです。

目の見えない七人が、象の体を触り、それぞれが象とはどのようなものであるか述べるという「群盲象を評す」という教訓があります。鼻、体、尻尾を触った感想をそれぞれ述べるわけですが、それは象の部分であって、お互いに対立するもやがて相互に理解しあうという話です。

目が見える人にとって「象」とはどのようなものであるか、お互いに理解し易いと考えられますが、パートナーの動きに合わせるときは目をつぶったほうが相手を理解できました。この場合の相手の理解は「手のひら」に触れるという感触だけです。

犬と散歩をするとき、リードという紐を繋いで歩き、お互いにリズムが合っているときは、リードは「J」の字のようにゆったりと垂れています。しかしながら、そのような状態のときほど、お互いの進む方向、スピード、ちょっとした変化が敏感に伝わってきます。これは、犬を目で見ることでは得られない理解です。

目は非常に多くの情報を取り込む装置であるとともに、見たものが事実であるという暗黙の了解によって感覚の中で優位的立場にありますが、実は、世の中、見ただけはわからないものだらけなのですね。

物事を客観的にするために「可視化する」アプローチがありますが、これは、物事を理解するための一つの側面であり、盲人の教訓で言えば八人目の存在ということです。「見る」ことと同様に、目をつぶって(半眼で)「聞く・話す」「リアルに触れる」「クンクン嗅ぐ」「じっくり味わう」「びびっと感じる」ことが肝要です。


Don't Watch, FEEL!


2013年7月30日火曜日

カラスの遊び 子猫の遊び

遊びは、その活動そのものに内在する報酬を求める以外に、どんな動機によっても動機づけられない” 「人間はなぜ遊ぶのか」M・J・エリス

カラスがすべり台をすべったり、TVのアンテナで鉄棒の大車輪のようにぐるりと回ったりする映像がTVで流れていました。番組のなかでは、「なぜ、カラスはこのような行動をとるのか」という質問に、解説者の方は「ヒマになるとこのようなことをする。都会のカラスは食べ物に困らないので時間が余っている」とコメントされていました。

確かに、切羽詰まった局面では、なかなか「遊ぶ」ことは難しいです。その観点で言えば、カラスの遊びは暇つぶしということになります。

さて、ほかの番組では、生後3ヶ月の子猫が兄弟と遊ぶシーンが流れ、子猫の遊びには「力試し、狩猟、SEX」の3つのトレーニングの要素があるとの解説がありました。つまり、生き延びるための知恵を遊びを通じて学んでいることになります。

カラスにしろ、子猫にしろ、人間のような知恵を働かせて「遊び」を意味づけることはないと信じていますが、「報酬」を広く捉えれば、本能に従った活動においても、短期的には「活動そのものに内在する報酬」が存在していると言えるでしょう。一方でそれは、長期的には重要な生存の戦略なのかもしれません。

時間という余白があったとき、仲間がそばにいるとき、目の前に山と積まれた仕事があるとき、ふと生じる他からは報われない行為を大切にしたいです。


あそびなし


2013年7月29日月曜日

他罰という依存

会社が悪い、上司が悪い、部下が悪い、政治が悪い、国が悪いなどなど、自分の周りを攻め始めるとどこまでも際限がありません。このように自分以外のものにうまくいかない理由を求める性格傾向を他罰性(または、他責、外罰)と言います。

さて、一見、他罰性は他者と関らない態度となりそうですが、実は、他罰性の高い人は、他者に依存しているように感じます。例えば、人の悪口を言っている人に「気にしないで放っておけば?」とアドバイスするケースがあるかと思いますが、「気になって仕方が無い」「放っておけない」から悪口を言うのであって、解決になりません。

また、企業におけるハラスメントの背景にも同様の問題があると思います。各人の企業活動における義務と権限は役割として定まりますが、業務遂行や指導の範疇を越え、性格や人格にまで言質、行動が及ぶ場合、合理的な職務ではなく、本人の他者から離れられない依存性と理解したほうが良いと考えています。

この「離れられない」という状況は、意識面ではなく、まさに行動面で理解すると分かり易いと思います。

例えば、以下のようなものです。

過干渉 あれやこれや関与するネタを探し吹っかけてくる
人格否定 「なぜ出来ない」「こんなに駄目だ」と執着して相手の否定を行う
操作 相手の心の弱みに付け込んで動かそうとする

もし、自身の行動を振り返り、上記のような行動が確認された場合、その相手と「離れられない自分」に向き合う必要があるのではないでしょうか。また、他者が「離れられない」状態である場合、そこに向き合うことは相互に依存し合う状況を生み出すので注意が必要です。なぜならば、強い依存は個の成長と人と人の繋がりの柔軟性を阻害するからです。

社会的ネットワークにおける「弱い紐帯の強み」(Mark Granovetter「The strength of weak ties」)で見いだされる「弱いつながりの重要性」という発見は、他者とどのような関係性を持つことができるのかを示唆しています。そこで、他罰という依存に嵌らずに、弱いつながりを構築することを自分のひとつのテーマとしています。



適度な距離感



2013年7月28日日曜日

行為の動機を考えてみた

今日は、MALLのイベントに参加です。少し前までは、主催の方に「すごいですねー、皆勤ですねー」などと言われていたのですが、今日あたりはそれも言われなくなりました。

さて、今日のテーマは、NHK「てっぱん」ダンスを振り付けした近藤良平さんと「行為の動機を行為する:ダンス・パフォーマンスを通してモチベーションを考える」でした。実際に体を動かして内省するスタイルはドラムワークル以来です。

ペアになって初対面の人と手を繋いだり、目をつぶって相手に合わせたりなどなど、行為から考えることによる気づきがたくさんありました。

そのなかで最後のセッションでは、「動機」について、「なぜ、今日来たのか」とか「なぜ、体を動かしたのか」というメタな問いかけがありました。

自分は、「動機」は後づけ、つまり、行為の創発は適応的反応であると仮定しています。ゆえに、暑い夏の日曜日に集うのも適応的反応、場でダンスをするのも適応的反応、月曜日の朝、出勤するのも適応的反応だと。行為の前提が「動機」だとすると、「動機」があれば行為を生み出すことが出来ることになりますが、この話をしていくと必ず、「動機」は人それぞれとなり、理解に辿りつけない気がしています。リフレクションにおける「意味づけ」と同じように実は「動機」も後づけなのではないでしょうか。

その観点で、今回の自分の「動機」を意味づけすると、学びへの傾斜が行為を創発しており、それは、成長への欲求ということになるのでしょう。学びへの傾斜は、加齢による生存不安です。

リフレクションではある「動機」を求めたい人が現れましたが、MALLの理事はすかさず他の方へ質問へ繋いでいました。


奇跡の木 動機は?

2013年7月27日土曜日

冷やし中華の具 多様性と要件

冷やし中華を綺麗に作りたくなりました。
そこで、冷やし中華麺のパッケージのような伝統的な一品に挑戦です。

まずは、多様性。
錦糸卵、ハム、キュウリ、トマト、もやし、紅ショウガ。
これだけあれば良さそうです。味、食感もそうですが、大切なのは色です。緑、黄色、赤、ピンク、白。すべて、食欲をそそる色です。

次に要件。
皿の真ん中に盛った麺の上に、富士山のようになだらかな傾斜を描くよう、全てが直線的に細長く、できれば同じくらいの長さに揃っていることが好ましいです。

卵はフライパンで薄く平らに焼いたあと、細長く切ります。焦がさないよう余熱で焼くのがコツです。ハムは一度剥がしてから、キュウリは曲がりを考えて切ります。
さて、問題になるのが、トマトともやし。
トマトは薄くは切れますが、細長くするとバラバラ、ぐちょぐちょです。しかし、トマトは個性的でチームには欠かすことの出来ない規格外の存在。個性を活かして切りましょう。
そして、もやし。食感が美味しいのですが、味のないやつです。さっと茹でただけでは、全体の味を薄めてしまうので、酢とゆずポン酢で味をつけ、さわやかさを演出します。

素材の特性を理解してどう活かすか、これは、恐らく料理も組織も同じなのだろう・・・などと考えながら、冷やし中華の山頂に紅ショウガを載せて出来あがりです。

冷やし中華編
1.素材を決め、集める
2.それぞれの素材の特性から、下ごしらえして大きさ、長さを揃える。
3.要件に合い難い強い素材は、逆に素材の存在感を引き出す。
4.特徴の無い素材は、ちゃんと味付けをする。

組織編
1.人材要件を定め、集める
2.それぞれの人材の特性にあわた育成目標や役割を設定する。
3.型にはまらない強い人材は、逆にその人材の存在感を引き出す。
4.特徴の無い人材は、組織風土、文化を薄めないよう組織社会化をすすめる。



この段階で成功が見えている

2013年7月26日金曜日

枠組みと自立の対立と統合

「うちの会社には戦略がない」

どこの飲み屋さんでも隣の席から聞こえてきそうな発言です。
「戦略がない」と言うのは、ほんとうにそうでしょうか?
例えば、会社の方針として、「これに力を入れよう」と決めたとします。思いつきでも無い限りそこには理由があります。もし、思いつきであったとしても、それは「直感」に従うという決めがあります。

戦略とは「枠組み」と「方向性」です。例えば、組織が、等級制度という「枠組み」と評価制度という「方向性」を持てば、すでに戦略的です。今、議論されている人事の戦略化とは、正しくは事業戦略化のことを指しています。つまり、事業における優位性を構築できる「枠組み」と「方向性」を人と組織において人事が担うものです。

さて、「戦略がない」という言葉には「会社の言う事には納得出来ない」という意味合いが多くの場合、含まれています。さらには、「会社が決めた事に従わない自由が自分にはある」という宣言でもあるわけです。

自分の事を自分で決めるられることを「自立」と言います。これは、正解の無い時代において強く求められる能力であり、今日の多くの会社で求められています。(昔は、「頭は家に置いて来い!」という会社が本当にあったそうです)

「枠組み」にただ従う依存関係、「枠組み」に逆らう対立関係、いずれもレガシーな人と組織の関係性です。そして「枠組み」の意味づけを行う自立する人と組織の統合関係こそ、今、ハイパフォーマーと呼ばれる人の特徴なのだと思います。

再び、飲み屋での会話です。
「私はどんなことでも会社の戦略に従います!」 依存関係
・・・離れられない関係ですね。

「俺は、ハイハイって聞くけどその通りになんてやりませんよ」 対立関係
上司がいないときに良く出ていそう。

「会社の戦略を使えば、こんな遣り方だってOKだよね(^^)v」 統合関係
目の前で言われたら惚れてしまいます。



対立関係っぽい・・・(;_;)



2013年7月25日木曜日

88%の確率は高いのか、低いのか

就職難といわれる昨今においても新卒採用における内定者の内定辞退はなかなか減りません。もちろん、企業によってだいぶ状況も異なりますが、企業が採用活動における人材の見極めを強め、同質な人材を奪い合う状況が背景にあります。

さて、複数社の内定承諾、辞退者によるHRビッグテータの解析を行ったところ、適合率88%のモデルが出来ました。分析した我ながらびっくりですが、これは、ほぼ一割の誤差で承諾、辞退を予測できることを意味しています。解析に使ったのは、パーソナリティデータですので、行動は予測できて当然なのですが、プロフィールその他の情報を入れた解析も試す価値があるでしょう。

以前、とある会員の退会予測モデルが86%だったとき、モデルを作ったエンジニアの発言が今でも忘れられません。それは、

「86%ではロケットは月に行けません」というものでした。

そう、彼は、かつてロケットの設計に携わるエンジニアだったのです。
彼は99.9999%の精度を求める世界で生きてきたので思わずそんな言葉が口を突いて出たのでしょう。

HRビッグデータが語る真実は、認識と異なるものでした。それは、例えば、辞退者や早期離職者などが自ら語る真実と行動の事実のギャップです。辞退、退職の本当の理由を聞き出そうとしても、そもそも相手に対する気遣いや自己正当化というバイアスによって認知が意識的に、また無意識のうちに歪められています。つまり本人にとって都合のよい真実しか聞き出せないのです。

一方、ビッグデータ分析が見せてくれるのは、「88%」の「事実」です。そこには2つの意味があります。ひとつは「88%」という精度が高いのか、低いのかという評価です。エンジニアリングの精度で言えば低いのでしょうが、行動データの精度でいけば高いです。そして、精度以上に大きな意味を持つのが「事実」であるということです。

事実は小説より奇なり −バイロン−
です。


街の裏側

2013年7月24日水曜日

問題解決のドライバ 創造的思考


「問題解決力」は、以下のプロセスで構成される能力(課題を遂行すること)です。

1.「問題」を見つけ出す、という認知
2.自分なりに「問題」の解決策を定める、という思考
3.自ら解決に向けて行動、内省し結果をだす、という行動

このプロセスを支えるドライバが創造的思考です。
創造的思考は、2.の思考だけでなく、1.の認知においても視点を広げる役目を果たします。例えば、「これは問題だと思います!」と新たな問題を持ち込む部下。「あー、面倒くさいのがまた来たよ・・・」と思っている上司との違いは、実は、この創造的思考なのです。

心理学者のJ.P.ギルフォードは創造性の研究において以下のような創造的思考の促進要因(阻害要因)を整理しました。


Guilford 創造的思考の促進要因/阻害要因

1.生育環境 解決しなければならない問題に多く直面すること
   ex.地方>都市部 不幸>幸 第一子、早生まれ>その他
2.内発的モチベーション 満足の源泉が問題解決そのもの
3.記憶の貯蔵庫 記憶から引き出す、柔軟性
4.グループ思考(ポジ、ネガに作用) 思考が異なる方向に拡張、代替案の多様性、相互刺激(社会的促進)
5.アウトプットの批判(ネガ)
6.気質 偏見、恐れ、不安、妬み、反抗癖(否定主義)、無感動、自己満足、権威に対する尊敬、出世などのために他者を喜ばせようとする試み、自信の欠如

発達心理の領域とも重なって来ますが、実は、企業が採用面接においこの創造的思考の要因を確認していることが多いように感じています。それは、仕事という困難において発揮されるコンピテンシーの種だからでしょう。

創造的思考は、行為を創発するトリガーです。おそらく困難が待ち受ける、正解の無い未来に向き合うキーワードが問題解決力と創造的思考です。


創造的思考はロックできませんよー


2013年7月23日火曜日

転がるビー玉のマネジメント

マネジメントには人の側面と業務の側面があります。業務の側面においては、目標や目的を実現するために事業遂行上の問題や課題やテーマを解決することを指します。また、人の側面では、動機付け、育成、連携など人との関わりにおいて組織の活性化と能力の向上を図ることを指します。

組織にマネジメントが発生する背景には、組織が持っている勾配(自然とそちらに向かう傾き)はそもそも「維持」「発展」という方向に傾斜しているからでしょう。ちょうど、傾いた床にビー玉を置くとコロコロと一方向に転がりだすように、組織を構成する人にとって「維持」「発展」は転がる方向として魅力的です。

さて、人の心の中の勾配は必ずしも組織の勾配と一緒ではありません。気質、心的リアクタンス、信念・信条、慣習、文化など多様な勾配があり、同じ床の上の立っていても、バラバラの方向に転がるのが「人」です。ゆえに、多様な人材が集う組織ほど人の側面のマネジメントが重要になってきます。そもそも、産業組織は、多様な価値観を内包できることが産業組織以前との大きな違いですから、マネジメントは多様性が前提です。

つまり、産業組織では様々なプローチを通じて、床の上を同じ方向に転がるよう傾斜をつけること=マネジメントであり、「維持」「発展」が困難になればなるほど、その傾斜はきつくなるのでしょう。

「戦略化」も傾斜のひとつですが組織活動が戦略的になると、戦略理解と戦略遂行の両面において、一定以上の能力を必要とします。人事の戦略化とは、この人材の能力を採用、育成、登用など人事活動を通じて確保することを指しています。

ところがこの能力の確保によって発生するのが、戦力と戦力外の線引きです。景気が回復しても就職難、黒字なのにリストラといった現象は決して一過性のものではないことがここから推察できます。

多様性を前提としたマネジメントにおいても、一方向に転がるように傾斜をつけるだけでなく、線引きという多様性への矛盾を内在しています。


植物も高度な計算と戦略で生き残る

2013年7月22日月曜日

餃子の具と行列の関係

7月から色々な食料品が値上がりになったそうです。あるソーセージは、値上げをしないかわりに微妙に短くなったとのことですが、この手の話はなんとなく身の回りにありそうです。

たまに餃子が食べたくなると必ず思い出す店があります。大餃子が売りで、いつも行列が絶えません。大餃子自体は、他の店でも食べられるのですが、他のある店で大餃子を頼んだ際、大餃子とは言えない、萎びた大餃子が出て来たことがあります。

「これ、具が減っていませんか?」なんて言えません。「写真と違う」とも言えません。その時はなんとなく残念な思いだけが残りました。

さて、久しぶりに本命の店に行きました。もちろん、頼むのは大餃子。待つことしばし、来ました、待望の大餃子です!出来立ての熱々を一口・・・ん?、あれ?、なんだか具が少ない?
いやいやいや、そんなことねーだ、きっとおらの気のせいだ(なぜかあまちゃん風)
もう一口。
ん〜、口一杯に具が広がらない・・・

そういえば、開店前だけどそんなに並んでいなかったなーとか、窓の外の行列はもう無くなってる。前に来た時は、階段に並んで待っていたのに・・・なんて考えながら食べると味も残念。

たまたま行った日が空いていただけなのでしょう。また、お腹が空いていたので物足りなかったのかも。事の真相はわかりません。

あれ?天丼の海老、小さくなった?とか、このハンバーグ、混ざり物が増えた?とか、うなぎ丼がうなめしになったとか、今日の放送はやたらCMが多いなーとか、なんだか昔のVTRばかりのスペシャル番組だな・・・とか、逆に、なんだか量が増えたとか、誤差とは言えずに感覚的に覚える違和感とお店の繁盛ってどのくらい相関があるのでしょうか。


写真は本文と無関係です、と書いても餃子は貼れない(笑)

2013年7月21日日曜日

私を月に連れて行って…♪

Fly me to the moon

And let me play among the stars
Let me see what spring is like
On jupiter and mars

In other words hold my hand
In other words darling kiss me

Nat King Cole 



写真から唄が聴こえてきます

2013年7月20日土曜日

ちょっとした対応で相手をいらっとさせる方法

多くの人が相手のちょっとした対応の癖で苛つく経験をしていると思います。たまたま今日、診断書の受け取りとカメラ修理の受け取りが重なり、そのことを考えました。

いずれも、受領欄に署名をする場面です。

A.署名を求められる→備え付けの鉛筆を手に取る→鉛筆と一緒にあったボールペンで署名するように求められる→ボールペンをとり名字を署名をする→名前も署名するように求められる→名前を追記する

B.ボールペンを差し出し名字のみ署名を求められる→署名する

やはり、あとから前の行動を修正する(させられる)ときにどうもいらっとするようです。正しいゴールに辿り着ける最初の対応が肝心ですね。


最初の対応が肝心

2013年7月19日金曜日

曖昧なPと駄目だCで部下は育つのか

新卒採用や若手社員に対する課題感として、「指示待ち」、「主体性の無さ」といった言葉が出て来ます。つまり、自ら考えて切り抜ける姿勢が足りないと多くの組織人が考えているわけです。問題解決症候群など、その状況を的確にまとめている知見もありますが、どのようにすればそれらの姿勢を身につけさせることができるのでしょうか。

管理業務のフレームワークとして広く知られるのが「PDCAサイクル」です。「PDCAサイクル」は今では、生産管理や品質管理だけでなく、各種企業活動の改善における科学的アプローチでも利用されます。

さて、仕事の現場で以下のようなことが起きています。

P:「こんなことやって欲しい」「わかりました」という曖昧な指示、合意

D:「とにかくやろう」「とりあえずやってみよう」という実行

C:「そうじゃなくて・・・」「何でちゃんとできないんだ!」という駄目だし(駄目だC)

A:「引き受なければ良かった」「ちゃんと指示してください」という主体性を失う内面の修正

実行した人の印象は、「自分は悪くない」という他責や、「自分は役立たないのでは」といった自信喪失です。

プロとしては、Cのフィードバックで、P、Dのレベルを向上させることが求められるわけですが、実態としては、その姿勢は千差万別です。さらには、Pに課題のある人、Dに課題のある人、Aに課題のある人が混在しますから、「駄目だC」をポジティブに活かせる人は一握りなのだと思います。それを乗り越えた人がプロである、とも言えるのですが、「子供の時代の安全基地」を持たない世代にとってそれは、より厳しいフィードバックです。

PDCAなどでは、スパイラルアップによって、仕事のレベルやメンバーの力を伸ばしていく探索型と、保有する能力の範囲内で定義された課題を的確に解決する解決型のデザインが重要だと考えます。

探索型
曖昧なP、スピード感のあるD、行為のC(confirm 承認)、メタに問いかけるA(ask & awareness 良質な問いかけと気づき)

解決型
的確、正確なP、堅実で仕様を満たすD、徹底的なC、新たな解決に向けたA

そして、組織や仕事を混乱させるのが以下の混在型です。
曖昧なP、スピード感のあるD、徹底的なC、混乱するA(avoid 避ける)
前述の例はこれに該当します。

例えば、抽象的な人材像でスケジュールに追い立てられて採用活動で内定を貰い、入社後に現場では駄目だCが連発され、主体性が育たない(どころかメンタルや早期退職も・・・)若手社員 というのは私の妄想でしょうか・・・


踏みつけるといいのは麦だから


2013年7月18日木曜日

それぞれの流儀

十人十色、人にはそれぞれ変えがたい個性があります。数年前、SMAPの「世界で一つだけの花」がヒットしましたが、誰もが世界で唯一です。

咲くは花、己が力
咲かせるは、暖かき春の風

30年近く前に参加した研修のコーディネーターから頂いた言葉ですが、今でも鮮明に記憶しています。自立と支援の狭間を人はそれぞれの流儀で成長していくのですね。


Only One

2013年7月17日水曜日

居心地の悪さに学ぶこと

月に一回、自画持参:::Bring Your Own というイベントが開催され参加しています。このイベントに惹かれた理由は「居心地の悪さ」という言葉でした。

場に臆するような歳でもなく、新しい場に出向くことに抵抗もありませんが、場によっては非常に居心地の悪い思いをします。例えば、複数の未知の人が集まる場に出向いたとき、自分以外の人は皆、知り合いだったりするとなんとなく、話にも入れず「どうしようかなー」とウロウロし、取り合えず初対面ではない人を見つけてほっとするものです。

Bring Your Own(以下、BYO)では、「意識的・無意識的につくられてきたコミュニケーションのあり方についてあらためて考え」(HPより引用)デザインされています。それらは以下の通りです。

(1) 〈現場〉の理解は、コミュニケーションのプロセスにおいて創造される。
(2) 自由闊達な、そして創造的なコミュニケーションに、シナリオはない。
(3) 多少の違和感や居心地の悪さが、継続的なコミュニケーションの契機となる。

この3番目の「居心地の悪さ」が私にとってのキーワードでした。

「居心地の悪さ」とは、脳が不安を感じている状態ですので、「前帯状皮質」や「扁桃体」などの脳部位が活動しているのでしょう。この部位はおそらく、エドガー・.シャインが述べる「生存不安」「学習不安」においても活動しています。シャインは学習に伴う不安感として、変化に抗おうとする「学習不安」と生きていくには変わらなければならないという恐ろしい現実認識「生存不安」があり、「生存不安」が「学習不安」よりも大きいとき、初めて学習が生まれるとします。つまり、不安は新たな行為を創発するきっかけにも行為を阻害するきっかけにもなるわけです。

BYOは「居心地の悪さ」を継続的なコミュニケーションの契機という、行為の創発に向かわせるデザインだと見ています。ですので、1回目の参加は、まさに「居心地の悪さ」であり、思わず主催者の方に「お邪魔して良かったのでしょうか?」と聞いていました。2回目以降は、勝手もわかり「居心地の悪さ」も薄らいできたので、今度は、新たに参加される方の様子を見て、自分の1回目を内省したりコミュニケーションのあり方を俯瞰したりしています。

「居心地の悪さ」というプチ生存不安を活かして学ぶということを意識してから、改めて自分にとって不快さを伴う様々なことが実は学ぶきっかけであることに気づけたと感じています。


さあ、居心地の悪い場所へ!




2013年7月16日火曜日

「弱い絆の強さ」とコミュニティが栄える真の理由

スタンフォード大学社会学部教授の社会学者であるマーク・グラノヴェッターが説いた「弱い絆の強さ」は、強い絆で結束する組織よりも、弱い絆で結ばれた組織のほうが発展性に富んでいるということに気づいたものです。

これは、情報共有の非効率性にも言及するテーマです。

報告・連絡・相談を略した「ホウレンソウ」とは、そもそも組織活性のメソッドであって、上司が部下をマネジメントするツールではなかったそうですが、実は、情報を共有することはとても大きなコストを発生します。

例えば、プロジェクトの内容をプロジェクトメンバー以外にも共有しようとすると共有のための発信と受信者の人数分の時間を奪うことになります。そして、その情報の密度が濃くなるほど情報共有コストも増えるわけです。

そして、この情報共有の密度こそが、多様な人々の集まりである組織の「絆」の強さ、弱さでもあるわけです。

つまり、組織を内向きに強めることが、外に向かって発展する力を阻害しているのです。

例えば未来工業では「ホウレンソウ」禁止です。「常に考える」価値観を共有する一方で、自主性を重んじる故に、「ホウレンソウ」を禁止しているそうですが、それは、特許庁の意匠登録件数20位という組織の発展性とも決して無関係ではないように思えます。つまり、結果として必要以上に、絆を強めないことで効果を発揮しているとは考えられないでしょうか。

ソーシャルネットワークの研究が進むにつれ、「ストラクチュアル・ホール」とか、「トランザクティブ・メモリー」など、情報の結節点の有効性に注目が集まっています。また、個人の学びにおいても、結節点となる分野の学びが重要だと言われています。

そして、ビッグデータ分析では、アルバート=ラズロ・バラバシが携帯電話の通話記録分析から、コミュニティ内で多くの接点を持つ人間が居なくなるより、コミュニティの外部に接点を持つ人が居なくなるとコミュニティが崩壊したかのように求心力を失うことを発見しています。

組織内のコミュニティ機能が希薄になってきている状況で、職場内のコミュニケーション改善が問われますが、ネットワークの問題として捉えると、内部活性と組織発展という異なった課題の側面が浮かび上がってくるのです。


花は外に開く

2013年7月15日月曜日

エサよりメスをさがすオス

東京大学飯野教授の研究で、線虫のオスは、エサよりもメスを選好することがわかったそうです。ちなみに、メスはエサを選好するそうな。

食べ物よりも異性 線虫のオス

このような選好は適応的応答勾配として、思考や意識の結果生じる行為ではなく、本能的なもののようです。種の維持、保存という生命の目的に則して適応した結果が優位性をもって強化されたものだと思われます。そして、同じような状況に置かれると、まるで勾配を球が転がるように、自律的に行為が発生するのでしょう。

私たちは恐らく、意識でコントロールしているつもりのことでも、実は、このような適応的応答勾配によって行為を創発していることが多くあります。

ちょっと前に「美人事」という言葉が行き交いました。すでに死語となっているのかもしれませんが、何だか線虫の話を聞いて思い出してしまいました。ただ、モチベーションに関わるこの手の話は色々とあるように思いますし実際にそれらしき場面は日常的です。

さて、「自らを変える」という行為は、根源的にはこの「勾配」を変えることに行き着くことであると仮定しています。つまり、意識や習慣を変える根源には、無意識の行為と向き合う必要があるのでしょう。


無意識に向き合う

2013年7月14日日曜日

ドタキャン、辞退、ファイナルアンサー?

採用活動を行っていると必ず「ドタキャン」があります。面接など、日程を調整したにも関わらず、当日になってキャンセルをする人が一定の割合で居て、更には連絡も無く来ない言語道断君も居ます。

データを見て行くと、このドタキャンにも一定の傾向性が出てくるのが面白いところです。おそらく、他社の選考とぶつかったり、すでに内定をもらってしまったりと複数の企業への応募、選考が同時に進むが故の事情があることは容易に推察できるのですが、資質データに違いが出ることからは別の事情が垣間見えます。

それらの事情は概ね以下のようなものです。

1.狡猾で機敏
2.上位志向で自己中
3.飽きっぽくて移り気
4.及び腰で回避

これらの事情を俯瞰すると思い出すのが、サイバーエージェント曽山さんのお話です。それは、サイバーエージェントがネットバブルで急成長、上場した直後にバブルが崩壊して危機的な状況に陥ったとき、会社に残ったのは「謙虚な人」であったというものです。その後、サイバーエージェントでは、全員で「仲間選び」をしているそうです。

1から4の事情は恐らく、誰にも内在するものであり、それは仕事でのパフォーマンスとも関係しています。サイバーエージェントさんでは、「退職」というファイナルアンサーを出した人と出さない人の違いに会社の未来を託す人材像を見いだしました。

組織というのは、得をする場ではなく、苦楽が混在する場ですからドタキャン、辞退、退職、それらのファイナルアンサーを出す前に目の前に示された選択の意味づけをすることが大切なようです。


仲間ならどうしますか?



2013年7月13日土曜日

プロフェッショナリズムを考える

プロフェッショナリズムを考えるとき、非常に参考になるサイトがあります。東京大学中原准教授のブログのなかの「プロフェッショナル」とは、そもそも、何か? : 「オレ様プロフェッショナル論」を読み解く豆知識!?」です。

専門家論としての「プロフェッショナル」がどのように定義されてきたのかなど、シンプルで分かり易いサマリーなど価値満載ですが、副題にもなっている「オレ様プロフェッショナル論」の的確さに唸るばかりです。

「オレ様プロフェッショナル論」とは、「プロをめざせ=要するにオレのように仕事をしろ=ていうか、オレをめざせ=そしたら成功する(=失敗したらおまえの努力がたらん)」ということを指しているそうですが、これは自分にとって、とても痛い指摘でもあり、一方、今になって気づくことが非常に多いものです。

そもそも、今の仕事に就くにあたり「プロフェショナリズムと自発的協働意欲・インテグレーションセオリー(妥協でなく統合)」というキーワードをずっと抱え、温めているのですが、経営サイドに立ってからは「オレ様プロフェッショナル論」でプロフェッショナルを捉えていた気がします。

ちょっと前に、強引に引っ張るタイプの男性を「オラオラ系」と呼びましたが、会社を引っ張ることを意識し過ぎたのか、中原先生の言葉をパクれば「オラオラ系プロフェッショナル論」でしょう。

その中で、当然の帰結ですが、人材のプロフェッショナル化が進むわけがありません。しかしそこからの役員間での数年に渡る対話が非常に良い問いかけになりました。つまり、他人を変えるのではなく自分が変わることの重要性についてです。

重要性には気づいたものの、自分が変わるためには何が必要なのか、当初はピンと来るものもなく、とにかく、色々と外に目を向けて新たな機会を得るとともに内省を繰り返したことで「オレ様プロフェッショナル論」をメタに捉えられるようになったのかもしれません。

いまの自分にとっての「プロフェッショナリズム」とは何なのか。

それは、即時性は問わず他者に高次で認められる結果を出すことですが、同時に常に自身を革新し続ける豊穣さ、瑞々しさ(意欲)を湛える複雑さを内包することです。
そして「オレ様プロフェッショナル論」は自分や他者にとって「頭を悪くする愚問」であり、「プロたれ」とは、自らに向けるべき言葉だと今は考えています。(人をプロフェッショナルに育てる結果を出した育成のプロにとっては、他に向ける言葉になりますね)


人必ず自ら侮りて然る後に人これを侮る


2013年7月12日金曜日

問題解決症候群と問題解決力の奇妙な駆け引き

「問題解決症候群」という言葉があります。

「問題解決症候群」妹尾 堅一郎
受動的・指示待ちの学生たちの行動特性の根底ある三つの症候(http://sea.ap.teacup.com/nata/1028.htmlから引用)
 【症候1】「問題」は与えられるものだ、と思うこと。
 【症候2】与えられた問題には必ず唯一の正解がある、と思うこと。
 【症候3】その唯一の正解は誰かがすでに知っていて教えてくれる、と思うこと。

妹尾さんが学生の中に見出したこの「問題解決症候群」は非常に的確に学生と社会人のギャップを描き出しています。

社会に出ると求められるのは、「自己責任」です。自分でなんとかするのが「社会人」であり、自立した人間の行いですが、実際、仕事場面で「指示待ち」であったり「わからない」とか「知りません」と言ってしまったり、「どうしましょう?」と聞いてしまう言動に接すると、そこにもこの「問題解決症候群」がありそうに感じてしまいます。

この「問題解決症候群」が、受験勉強によってもたらされているという指摘は、確かに学生では当たっていると思いますが、社会人においてはちょっと状況が違う気がします。というのも、そもそも、日本社会において、社会人の「自己責任」は憲法や様々な法律でも規定されています。「社員は家族」と言う経営者も居ますが、社長は社員で扶養控除は受けられません。扶養するくらいの意識と扶養の枠組みはまったく別物です。

つまり、教えを請う学生が「問題解決症候群」を名乗るのは妥当ですが、「自己責任」の社会人にとっては、似て非なるものであると考えます。

社会人が求められるのは、
1.「問題」を見つけ出す、という認知
2.自分なりに「問題」の解決策を定める、という思考
3.自ら解決に向けて行動、内省し結果をだす、という行動
であり、これは「問題解決力」と呼ばれる能力です。

この「問題解決力」は、「主体性」や「自律性」など、いろいろな呼び方に名前や表現、強弱などを変えて企業が学生を見極める視点になっています。先ほどの「問題解決症候群」と見比べると、そのギャップの大きさがよくわかると思いますが、社会人においては、「問題解決症候群」ではなく、「問題解決力の無さ」として理解すべきことです。

ところが、現実、会社においては、「問題解決力の無さ」を棚に上げた、受身、多責、回避が多く見受けられます。

統計分析のなかに、「教師あり学習」と「教師なし学習」という異なる分析手法があります。「教師あり」は、明示された結果に向かって分析を行い、「教師なし」は、明示的な結果なしに分析を行うのですが、「教師あり」のほうが、ざっくりと簡単に言うと、早く結果に到達することが出来ます。私見ですが、「教育」は、効率的、効果的に結果にたどり着く、もしくは結果をより高度にするための人類の戦略であって、そもそも結果を出すことは、「生物は生命という自己責任である」ことを再認識することが大切だと思うのです。

下手をすると、問題解決症候群の問題を解決する問題解決力という落とし穴に嵌っていることこともありそうです。(自分で解決すべき問題を他者が解決してあげることで、自分で解決できない状況に向かっている、という意味です)



自立するのが当たり前

2013年7月11日木曜日

子ども時代の「安全基地」

ツイッターで茂木健一郎さん()をフォローしていますが、よく、朝に連続ツイートが流れてきます。このところ、少し間が空いていたようですが、今朝(7月11日)の連続ツイートは自分にとって最近の出来事と重ね合わさる意味深いものでした。

その主旨は、「根本的な自己肯定感を持っていない若者には、彼らのありのままを肯定することが必要である」というものでした。

先日、菊池省三先生の学級での実践のお話を聞かせて頂く機会がありました。菊池先生は、実践のなかで「ほめ言葉のシャワー」というとてもユニークな取り組みをされています。これは、一日に一人の子をクラス全員が一人づつほめていくもの(立場が変わると今度は自分がほかの子をほめます)で、順番に、日が経ち一巡したらまた最初の子から、という風に続けていくと一人の子が一年で4500回、ほめられることになるそうです。

これは、まさに「肯定」のプロセスです。(しかも徹底した)
その結果についてはここでは触れませんが素晴らしい効果を感じ取れました。
逆に、このような素晴らしい実践に巡り合えない子供のほうが圧倒的に多いのも事実です。まさに、茂木健一郎さんが指摘されたように、「安全基地」を持たない子供が青年になり、社会に出てくるのです。

ある人事の要職の方と以前、お話をした際に、仕事の中でトラブルを生じる問題社員との面談では、必ずと言っていいほど、本人から子供時代の親との関係性に話が及ぶそうです。

これら、見聞きしたことだけでも人が自我を形成する過程において時代や環境や親や教師などから様々なフィードバックを得たことの影響が、大人になっても大きいことはどうやら間違いなさそうです。(もちろん、本人の先天的な要因もあるでしょうが・・・)

どのような「安全基地」を持つかは多様で、人によるものでしょう。また、「安全基地」を持たない人も居ると思います。パーソナリティ診断の結果を見ても「安全基地」はその影を深く落としているように感じます。

今思えば、自分にとっての「安全基地」が心の中にあるように思います。世代的に経済成長に伴う時代的肯定感がありますが、心のなかの「安全地帯」は、今、学習不安を乗り越える大きな支えになっていると感じます。


ためして! がってん!!

2013年7月10日水曜日

暑い日は麻婆豆腐とほおずき市

今日も一日、暑かったですが、夏には夏の風物詩があるものです。
仕事の前、仕事の間、仕事の後に猛暑日の徒然を巡りました。


ジャン酎モヒートを朝から想う


いつも我が家はレシピで陳さん



しびれと香りと笑顔がある


明るさが残る仲見世に人、人、人


お香に燻るお堂の軒下


四万六千日の厄除が灯る


市がたつ間を人が縫う


見上げれば甍の影を背負う茜雲


元気、元気、橙ね

2013年7月9日火曜日

30代のタレントマネジメント

今日、「宇宙飛行士界に見る、30代から「伸びる人」」という記事が出ていました。宇宙飛行士の選考においてもっとも注目しているのは「伸びる人」か否かということだそうです。これは、多くの企業の新卒採用に関しても議論されるテーマです。学生には「即戦力の誤解」があり、資格や成果、実績に目を向けがちですが、企業の人事が見ているのは、行動やコンピテンシーを通じて入社後の活躍の見込みと、特に「伸びしろ」です。

宇宙飛行士の選考において「コミュニケーション」「チームワーク」「リーダーシップ・フォロワシップ(補佐力)」など、一般的な項目も重要視していますが、「伸びる人」として「未知のことを面白がることができる人、失敗を恐れない人」を注目する背景には少し、注意が必要です。それは、まず、ベースとしてしっかりと仕事を遂行することが出来ることです。つまり、ちゃんと仕事が出来て、そのうえで失敗を恐れず未知の事に挑める人なのです。

選考の課題のなかで、「ちゃぶ台返し」があります。チーム課題の提出間際に、ダメ出しをして、その後の対応を見る課題です。この課題に合格する人は、まさに、未知の状況で我を失わず課題達成に向けて一歩を踏み出す人ですが、チーム課題をしっかりとやったうえでの「ちゃぶ台返し」ですので、そこに至らない場合は論外という事でしょう。

さて、キャリアの上で30代は、社会人になって10年くらいが経ち、「一人前」のレベルに熟達している年代です。つまり、「しっかりと仕事を遂行出来る」年代ですので、質の違いはありますが、多くの組織の中で宇宙飛行士と同様に「ここから伸びる人」という視点で見極められていると思います。実際の仕事の中で「ちゃぶ台返し」に出会う事も多く、そこでの対応によって期待されたり見切られたりしているのだと思います。

一方で、組織の中の30代はキャリアの移行期にあたり不透明感、不安感を持っています。これは、キャリア・ミストと定義されますが、35歳を境にマネジャー昇進への可否、採用募集の激減、女性では出産といったことなどを背景に、「今の仕事でさらに成長出来るのか」「これから何を目標とするのか」といったことに悶々しているようです。


このように30代は「さらに伸びる盛りの極み」と「板挟みで霧の中」の2つのモードの中で揺れ動く年代であり、組織においては非常に重要な年代と認識しなくてはなりません。
タレントマネジメントの視点「活かす」「伸ばす」で考えると、30代を活かし、伸ばすためには、アセスメントと課題の遂行によって「モード」と「伸びしろ」を見極めることが大切です。そして「モード」×「伸びしろ」の4象限においてマネジメントを実施することが経営レイヤーでのタレントマネジメントの目標である、組織における人的資本の最適ポートフォリオへの道となると考えます。


30代がテーマ


2013年7月8日月曜日

人材のiPS化に向けた行為の創発をまとめてみる

以前、新入社員や学生をiPS化する方法について考えてみました。そして、「自律的に環境適応し、不確定な状況に向き合う行為の創発のためには何が必要なのかが核心」としました。その後、様々な新たな場に出向き、気づいたり観察した結果をまとめてみます。

さて、出向いた「場」ですが、大きくは、「新たな行為を創発した結果、人が集まっている場」と「新たな行為の創発を啓蒙する場」に分けられます。
前者は、初対面の人達がいきなりグループワークを行うような場です。例えば、ラーニングイベントがこれに該当します。一方、後者は、セミナーなど、主にスクール形式で話を聞く場が該当します。

さて、「人が集まる場」において、観察していると面白い共通性があります。それは、常に他者を巻き込み、巻き込まれるという相互の引き込み現象が見られることです。多くは、「対話の場」という設定が行われるので、自らを語り、他者を聞き、そしてさらに語るという対話の基本的なルールが前提ではあるのですが、それ以上に、他者の話のなかに新たな気づきを得たい、という心の準備が整っているように感じます。それと、自らを語る際に、多くの人が単線ではなく、複線のストーリーを持っている事も共通です。難しい言い方をすれば、「複雑な私が、更に複雑になるきっかけを作っている」ということでしょう。

例えば、ある方は、企業でバリバリ活躍しながら、ミッションとは別にイシューを持ち、保育士の資格取得を目指しています。そしてイベントでは新たな何かを得られて帰っていかれました。また、他の方のキーワードは「気づきは何からでも得られる」でした。

一方、「啓蒙する場」の特徴は、「啓蒙される者」の雰囲気が皆似ていて、同じように反応(もしくは無反応)するということです。その人たちと話をすると、点となるいくつかの出来事をつなぐ一本の線で自らを語ります。(まったく語らない人も居ます)

さて、それらをイメージしながら新たな行為を創発するために必要なことは以下のようになりました。

・加速する複雑さ(脱予定調和・脱慣性軌道)
 興味、関心、問題意識、課題解決など、背景はいろいろだが自らの複雑さを形成すること。

・手ざわり
行動が必ず伴っている、Doがあること。
Doは事態を複雑にしたり簡単にしたりしてくれる実践です。強制的なDoであっても新たな行為の創発はあるようです。

・自己統制とレバレッジ意識
自らのリーダーシップで場と相互に存在する主客一体、相客一体であり、コヒーレントであること。
レバレッジとは、自分の外側の存在を使って自分の能力を高めることです。固定的知能観や孤立感が強いと自己完結的になり、新たな行為が創発されません。

引き続き、これからもiPS化について考えていきます。


我が輩はシンプルだにゃー・・・

2013年7月7日日曜日

夏色の街

大貫妙子「夏色の服」に想いを馳せて・・・


Red Rose on Blue


Dripping Water


Red,Yellow and so on, so on...


White with Green


Orange


White and Blue


Yellows


Greeeeen


Blue and Fish


Black and White or Dark and Light


Rainbow

2013年7月6日土曜日

子供の対話×大人の対話

ACADEMIC HACK!「対話の実践知」に参加して、「子供の対話」とは何か、「大人の対話」とは何かを実践の報告を通じて考えました。登壇者だけでなく、近くの席の方のお話もすごく面白かったです。

さて、自分のまとめは、「対話」という「手触り」を通じて、子供は「ふれあいによる気づき」を、大人は「掘り起こしによる気づき」を得ている、というものです。

同じ「対話」という言葉使っていても、「子供の対話」と「大人の対話」は大きく違っていて自らの実践においては意識して使い分ける必要があるのではないだろうか、という気づきを得ました。

紛らわしいのは、「対話」というアプローチは、概念的には同じです。ゆえに、場のデザインが無いと情緒に流され逆の方法になってしまいそうです。
実践における「対話」は、場に応じてその考え方までも変える必要があるのでしょう。


子供の対話は生命の広がり


大人の対話は金網の彼方の掘り起こし


東大にあつい夏がきた

2013年7月5日金曜日

気づきと仕切り 場のデザインのむずかしさ

人が集まる、もしくは人を集める。そのような場のデザインはむずかしい、という話です。

昨日参加した法政大学長岡教授のカフェゼミは、社会人も含めてオープンに開催されている大学のゼミです。そして、ゼミのテーマは慶應義塾大学・加藤文俊教授の「カレーキャラバン」の話を手掛かりとして、「困難克服の物語」とは異なる視点から、「プロジェクトを通じて何を学ぶか」について考えるというものでした。自分が得たキーワードは「集まる」「続く」です。人が集まるということは、何らかの「引き込み」があり、「意図しない引き込み」にこそ「集まること」の本質があるように思います。また、以前「非構造のデザインとは持続可能性の目的に向けたプロセス」と述べましたが、「続く」ことの背景に何がデザインされているのかとても気になります。

さて、予定時間を越えるなかで持ち上がったのが、「カレーキャラバンはプロジェクトにあたらないのではないか」という質問に対して、加藤先生が「カレーキャラバンをプロジェクトと言っていない」と応えそれを長岡先生がフォローした場面で、他の質問者が「プロジェクトを考える場と捉えてカフェゼミに参加してるのにプロジェクトではないという応えはおかしい」というコメントをしました。そしてそこで時間切れとなってしまったので自分なりに整理をしてみました。

そもそもゼミにおいての長岡先生の問いかけは、「脱予定調和」と理解しているので、「プロジェクトではない」という応えは私にとって気づきの仕掛けが開花した瞬間でした。「プロジェクト」として捉えることに違和感を覚えるカレーキャラバンの経緯を聞きながら、でも、どこかで「プロジェクト」的に捉えていて「地域活性じゃないよね?」などと学生と対話をしていたのですが、そのもやもやがくっきり、すっきりした印象です。しかし、本人に聞けていませんが昨日のカフェゼミを「プロジェクトを考える場」として捉える人にとって、場のテーマを外した仕切りと感じたのではないかな?また、そのことを”正当に”指摘したことを否定するのはおかしいと考えたのではないかな?と推測しています。

このような感覚は初めてではありません。以前、茂木健一郎さん、池上高志さん、植田工さんのトークイベントの際に茂木さんが質問に大いに憤慨したことがあります。それぞれが思索しようという問いかけがあった場で、「答え」を求めてしまう「問題解決症候群」的な質問に対して、質問者の思考を否定する応えでした。私にはそれによって茂木さんが本当に言いたいことが良く伝わってきたのですが、質問者が否定されたように伝わることで強い反論が上がっていました。

前述のやりとりは、テーマそのものというよりも、場の設定に関するデザインの違いが表出したのだと自分は捉えています。
何を成し遂げたいのか、それは、深くは信念から発するものであり、場を主宰する者によって決まるものです。しかしながらそこに集う人は、とくにオープンな集いであるほど多様な信念を持ち寄ることになり、それぞれの自分の正義において意図しない方向に場が進むものです。それも含めて「気づき」ではあるのですが、セミナーやワークショップだけでなく、会議や会社の運営など、あらゆる場のデザインはむずかしいものです。


場をデザインしよう!

2013年7月4日木曜日

グーグルの雇用における5つの驚くべき発見と日本の新卒の就職活動における10のキーワード

ニューヨークタイムスにグーグル人事担当の副社長のインタビューが掲載されたそうです。その際に採用活動とその後のパフォーマンスを分析した結果として以下の5つのキーワードが語られました。

1. Brainteasers are useless.
2. No one is good at hiring.
3. In leaders, the most important quality is consistency.
4. Employees score their managers.
5. GPAs and test scores don't matter.
http://www.inc.com/issie-lapowsky/5-surprising-facts-how-google-hires.html

日本語にすると
1.難問は使えない、2.雇用は誰が行っても同じ、3.リーダーにとっては一貫性が重要、4.被雇用者がマネジャーを採点する、5.学力テストの点数は無意味 となります。(ニュアンスが間違っているかもしれませんので、原文を読むことをお勧めします)

ちょっと、キーワードが発散してしまっているので、自分なりに整理すると、

これまで、グーグル採用の代名詞になっていた、難解な問題や優れた面接官探しは効果が無いこと、学力テストの点数は無意味であることがわかったので止めて、統一した雇用基準を導入したことと、特に、リーダーの採用に関しては、「一貫性」を重要視し、また、雇用された者がマネジャーを採点することで偏りの無い双方向性を実現している、

ということだと思います。

このアプローチは、日本の企業においてもすでに見られるものであり、改めて採用プロセスのあり方がデータから検証された結果として人事部門の不安を払拭することに役立ちそうです。

採用プロセスにおける面接の考え方に「基準」と「人肌」があります。「基準」は、面接視点を定めてその視点に沿って判断しようとするもの、「人肌」は、基本的に面接官の感覚で人物を判断しようとするものです。人材に必要な資質項目を得点化してレビューすると、「基準」を面接に導入している場合、合否で得点にはっきりとした差が出るのですが、複数の人が「人肌」で行う場合、多くのケースで得点に差が出ません。「基準」を定めるということは、採用活動を客観的にするための第一歩です。なお、「人肌」に関しては、面接合格者のタイプ分けをすると面接官の資質・経験との類似性や育成志向など、非常に面白い傾向が出てきます。

さて、先日、文化放送キャリアパートナーズ就職情報研究所 平野恵子さんのお話を聞く機会があったのですが、その際に10のキーワードを掲げていらっしゃいました。

それらは、
1.大学生
2.大学
3.キャリア教育、職業教育
4.インターンシップ
5.ゆとりからさとり?(受身の強化)
6.即戦力の誤解
7.盛る学生(プロセスより結果を重視)
8.大手企業人気
9.ターゲット大学&リクルーター
10.3月-8月ルール
です。

まとめとして「学生から社会人の段差が大きくなっている」と述べられていました。段差が大きくなりつつもコヒーレント(相互に干渉しあいながら)に就職活動が続いていることがカタストロフィー(不連続な変化)を予感させます。採用プロセスはグーグルの例のように、科学的、合理的に進んでおり、カタストロフィーの予兆はありませんが、景気が回復しても採用が増えないという”転覆”はすでに起きているのかもしれません。


Road to My Company


2013年7月3日水曜日

概念構成力という能力におもうこと

「能力」とは「課題を遂行すること」です。つまり、ある定義に沿って設定された課題を遂行したとき(または、遂行できなかったとき)その定義の能力があること(ないこと)が測定されます。
少し、話は脇道に逸れますが、それで言うと、「超能力」とは、「超越した課題を遂行すること」なのか、「課題を超絶に遂行することなのか」曖昧ですね。また、「潜在能力」という言葉は遂行されていないので測定出来ないはずですから、「能力の推定・推測」と言ったほうが間違いないと思います。

言葉遊びはここまでとして、「概念構成力」という能力について考えてみます。

冒頭の定義に沿うと「概念構成力」は、「概念を構成するという課題を遂行すること」です。つまり、取り込んだ情報から概念を構成してアウトプットすることです。
もう少し、具体的にするとこの課題は
「見たり読んだり聞いたりしたことから、その本質とその構造を取り出し、他者が理解し納得する状態に表現すること」となるでしょう。

この課題には複数の要素が含まれています。

まずは、情報を正しく知覚することです。知覚が正しくなければその後のプロセスは怪しくなります。例えば、文章から情報を取得する場合、視力は重要な要素ですから、加齢とともにその力は低下します。このように、年齢とともに低下する能力を「流動性能力」といいます。
次に、本質とその構造を取り出すことです。この課題は、経験が有効に働きます。過去に同じような課題を経験しているとその経験に引き当てて素早く課題を遂行出来るのです。このような能力を「結晶性能力」と言います。
最後に、他者が理解し納得する状態で表現する課題ですが、これも、経験が有効に働きます。

こう考えると、概念を構成するという課題に関しては、多少、知覚が劣っていても、経験があればそれで補って遂行することが出来ることが分かります。しかしながら、事実が正しくインプットされていないのに本質を語ることには大きな問題があります。具体性、即時性の喪失です。時として年配者が声高に語る本質に違和感や頑固さを感じるのはこのような事情もありそうです。


事実を読み解き伝えるのはその場に居るもの

2013年7月2日火曜日

習っていないもの

いま、私たちの直面している仕事とは、その多くが、新しい要素を多く含んでいます。例えば、新しいお客様であったり、新しい課題であったり、新しい状況であったり常に、何らかの新しい要素と向き合いながら仕事をし、成果を出していきます。

新しい要素があるということは、それまでの経験を通じて力を発揮しなければなりません。「習っていないから」とか「教わっていないから」「わからないから」といって仕事を断っていたら、今の社会で仕事は減る一方です。少し前までは、平気でそれを言う人も居ましたが、最近の若手にそのような事を言う人は少ないように感じています。しかしながら、習っていないことをやり遂げる真の力を身につける事は容易くありませんし、採用、育成の場面でそのギャップに直面し絶望します。

「習っていないものを読んでわかるのが国語の力」と大村はまさんはおっしゃったそうです。そして、試験の得点などで、国語の力を見てしまう事で勉強そのものが見えず、力が実らないと指摘されています。「大村にとって、力というのは、複雑多岐に渡る複合体であるけれども、それぞれの力は働きかければ少しずつでも育つもの」(「大村はま 優劣のかなたに」苅谷 夏子著)というのもとても大切な視点です。

現在の大学生の就職活動において大学の成績はまったく参考にされていないそうです。これは、試験の得点が、学生の真の力の証になっていないことを暴いています。

仕事において、習っていないことをしっかりと遂行することを適応的熟達と言います。一方、習ったことを上手に遂行することを定型的熟達と言います。習っていない事を遂行するために問われるのは本当の仕事の力であり仕事を通じて学び熟達するものですが、そもそも、習っていないことに向き合おうとする姿勢が必要です。そしてそれは、本来であれば勉強を通じて高校生までに培うべきものでしょう。高校生、大学生においては、自律において力を実らせ、社会に出て花開くことが、社会の求めでもあるはずです。

「奇跡の教室」(伊藤氏貴著)では、力を実らせ開花させた著名人が、中学時代にその姿勢を身につける様子が描かれています。その姿に思いをめぐらせると、大学のキャリア教育でも使われる「社会人基礎力」を大学生や社会人若年層で問うには遅過ぎるのではないかと感じる次第です。



すべてがサインです