2013年6月30日日曜日

気配りと目配せ

部下を持ったり、社外の方(受託者)と仕事をするときに、誰もが必ず感じるのが気遣いの良さ、悪さです。

「何でそこに気づかないのだろう」とか、「それがわからないのかなー」「気が利かない」など「もうちょっと自覚を持って仕事(私のサポート)が出来ないものだろうか」と不満がきて、「どうすればいいのやら・・・」と頭を抱えるものです。

逆に、すごく気が利く部下や社外の方も居ますが、稀です。
また、この「気が利かない不満症候群」は、おそらく連鎖します。

この悪いスパイラルから抜け出す方法は忘れがちですが、実は簡単です。
その方法ですが、過日、NHKの「プロフェショナル 仕事の流儀 言葉の力SP」で星野リゾート、星野社長のエピソードが紹介されました。

お前が考える七割で良しとして、ほめてやれ

(詳しくはNHK番組HPをご覧下さい。)

このように、まずは、自分の要求水準を下げ、次にポジティブフィードバックを行うことが解決策です。

「中か己を恕す」(上や下に厳しく、自分に甘い)は、言語道断ですが、他者への厳しい評価は決して事態を好転させないことを理解すべきです。

会社によっては360°評価というシステムを導入していますが、本来なら評価結果から気づいて欲しい人は自らへの厳しい評価によって、反発したり、無視したり、自信喪失したりと事態を変える施策になっていない現状があります。

さて、「要求水準を下げてほめる」というポジティブフィードバックだけでは解決つかない問題もあります。

それが、気配りと目配せだと思います。

「気配り」とは、「その場を統制している状態や感覚」と言えるでしょう。「場の統制」には、「状況の把握」「事物の配置」「人の指揮」が揃って出来ることです。そして、「状況の把握」と「人の指揮」で大切なのが「目配せ」です。

「気配り」「目配せ」は「場の統制」の経験よって初めて身に付くものですが、自己統制感とも相通じるものであって、仕事経験だけでなく、幼児期、児童期、青年期(エリクソン発達課題)の環境にも関わっていそうです。

これらを踏まえると、場を統制する感覚、つまり主体性を持って場に居るためには、過去の発達状況を踏まえた上で、経験を積むこと、つまり、「経験のデザイン」が重要なのだと思います。

なお、マニュアル主体の環境では、人はマニュアルに則すという統制される側なので、場を統制(自分で統制できている感覚)する経験のデザインとは言えないのだと思います。


目配りしてます


2013年6月29日土曜日

ある土曜の街

曇りと晴れのあいだで行きかう街と命。そんな土曜日です。


プードルな雲


日向ねこ ちょっとこちらを気にした


空に浮く塔


そこに咲く花


割れる空


それでも生きている


街角の記憶

2013年6月28日金曜日

良いことは続かない

でも、悪いことも続きません。これは、事実としてではなく、「そのようなものである」と歴史や経験を通じて理解しています。自分への戒めみたいなものです。

脳には妙なクセがある」(池谷裕二著)に、「幸せな気分に浸っているときほど要注意」という一節があります。オハイオ州立大学ラウント博士の研究により、人は、「嬉しい気分の時には、表層的な手がかりを頼りに、安易に状況を判断する傾向がある」ことがわかったそうなのですが、例えば、投資家にとって、株価が上がっているような良い状態、すなわち、達成感、幸福感を得ているときはちょっとした情報で売ったり買ったりしているように思えます。
最近の株価の変動を見ていると、自動売買や海外の投資家によって変動が大きくなっているだけでなく、個人投資家も反射的に売り買いをする人が増えているのではないでしょうか。自分は株の取引を行いませんが、証券会社が手数料で儲かっていれば、おそらく間違いないですね。

良いときこそ丁寧に細心に
悪いときこそ素早く大胆にいきます


なんとかなることはないけどなんとかしようとするとなんとかなるものだケロ

2013年6月27日木曜日

ちょっと気になる幸福度と貧困と格差の話

「幸福の王国」ブータンで苦しむ若者たち

国ごとの物質的、経済的豊かさの指標であるGNPに対して、国ごとの精神的豊かさの指標として、1972年ブータンの国王がGNH(国民総幸福量)を提唱しました。その後、2005年にブータンで行われた国勢調査では、”「あなたは今幸せか」という問いに対し、45.1%が「とても幸福」、51.6%が「幸福」と回答した”(Wikipedia 国民総幸福量より)そうです。最近、日本でも大規模震災や長引く不景気、経済的閉塞感とも相まって「幸福」についての議論が活発に行われています。そのなかでこの、GNHの考え方は広く引用されています。

そのなかで、「ブータンで苦しむ若者たち」というニュースが流れてきました。薬物乱用、アルコール依存、犯罪率上昇、そしてそれらの背景にある若者の失業問題と、急速にフラット化する社会の波にブータンの人間的で先進的な価値観も飲み込まれようとしてるのでしょうか。確かに、ブータンは「ユートピア国家」ではなく、GNHは目標であることを勘違いしてはいけませんが、人は、事例なき指標に具体性、妥当性を感じられるのか疑問が残ります。

シリコンヴァレーに広がる貧困

「幸福」の極にあるのは、やはり「貧困」でしょう。日本でも貧困率が上がっていて、決して他人事ではないのですが、アメリカの中で様々意味で豊かな地域と思われているシリコンヴァレーでも貧困が広がっているそうです。豊かさ故の地域の生活水準の高さと、豊かさに憧れて実情を知らずに移入してくる住民とのギャップがこのような事態を招いているようです。

アメリカ社会は人種ではなく“知能”によって分断されている

豊かさと貧困は格差によって生み出されますが、その格差が、これまで思い込まれていた人種の問題ではなく、”知能”により生み出されていることを橘玲さんが指摘されています。これは、「チャールズ・マレーの『階級「断絶」社会アメリカ』(草思社)」からの引用のようですが、真実でなく、事実だとすれば非常に大きな課題を顕在化させそうです。例えば日本でも、東大生の親の年収は950万円以上が51.8%というレポート(リンク先は調査結果の引用ですが、引用元のデータが見当たりませんでした)のように、格差が格差を生む構造を取り上げる風潮がありますが、ひょっとして、親の階層の問題でなく、知能の問題だとすると事実を見誤っている恐れがあります。

事実はひとつ、真実はたくさん。

どれだけ、事実を見極め、未来を見つめられるのかが一人ひとりに問われる時代です。


正しく見る目




2013年6月26日水曜日

性格の変化しやすさという性格

性格を測定していると、その変化が見えてきます。「性格」という日本語は英語ではパーソナリティかキャラクターですが、パーソナリティは役割によって変わるもの、キャラクターは刻み込まれて変わらないものと言う文脈を持っています。このように英語で2つの単語があるように、「性格」には変わる側面と変わりにくい側面があります。

さて、実際に、会社に入る前と入った後で測定された「性格」では、変化があります。その変化には、いくつかのパターンがあります。

そのパターンの中で、比較的多いのが、仕事を通じて自分自身を見る目が厳しくなるパターンです。さらに、詳しく見ていくと、ネガティブな側面に関して一旦、より厳しい内省が進むようです。

例えば学生時代はあまり好ましくない傾向として「たまにいらつく自分」だったものが社会人になって「わりといらつく自分」に自己認識が変わるケースなどです。

一方で、効力感(外に働きかけることが出来るという感覚)に関しては、あまり変わらない人と、減少する人がいます。これらは、当然、置かれた環境にも寄るのですが、変化のしやすさも「性格」の一部として重要な情報です。

性格の測定に関しては、変わりにくいものを測定するという考え方もあれば、変わりやすさを測定しようというものもあり、その目的と方法は千差万別ですが、不確定性原理のようにそれらをある瞬間において正確に測定することはできないと個人的に仮定しています。

性格というのは点でなく、線、それも周期的に振動する線として理解すべきものなのかもしれません。



ほら、ブレている

2013年6月25日火曜日

非構造のデザインは何を実現するプロセスだろうか

最近、よく聞くようになった言葉のひとつに「ビッグデータ」があります。ブログでも何回か取り上げましたが、個人的には「ビッグデータ」よりも、同時に取りあげた「非構造化」のほうを注目していたりします。それは、それまで、クローズな存在であったプログラムソースがオープンになったことと同じような、パラダイムの転換を感じさせてくれるからです。

最近、分子科学研究所(愛知県)や岡山大などのチームが、氷が解け始める瞬間を解明したというニュースが流れました。氷が水になることは誰でも知っていますが、水にかわる瞬間は実はまだ解明されていなかったようです。その事実にちょっとビックリしました。

http://sankei.jp.msn.com/science/news/130624/scn13062408420003-n1.htm

”氷の結晶は、水分子を六角形に規則正しく並べた構造をしている。熱を加えると、まず1個の分子が構造から外れて自由に動きだし、この分子が元の場所に戻れず、結晶にゆがみが生じることが判明した。”

逆に、水のみならず、金属も、液体の状態から冷えるとある温度で相転移がおき、固体になります。その際、規則正しい原子の構造になりますが、ガラスは規則正しい構造にならないため非晶質固体と呼ばれるそうです。

いずれにしても、私たちが日常的に道具や、足場として自らの能力(課題を遂行すること)を引き上げるためには、それらが「構造」であることが重要です。組織化され規律のとれた軍隊は、個々の能力を超えた力を継続的に発揮しますが、寄せ集めで規律のとれていない軍隊では、個の力と装備の武器力の範囲でしか力を発揮できません。

このように、「構造」もしくは「構造化」は、より大きく難しい課題を遂行するために、より高度に尖鋭化していき、建築物はより高く、コンピュータはより早く進化し続けています。

ところが、世の中全般を見渡すと、大局的には生態系がそうであるように構造ではなく、開かれた環境においてバランスをとることで成り立っています。それは、日々つねに変化しながらも、それぞれが総じて持続可能性を模索することで維持される状態です。

直感ですが、「非構造のデザインとは持続可能性の目的に向けたプロセスである」、ということになるかもしれません。例えば、ビッグデータから見えてくるインフルエンザの流行予測は、インフルエンザウイルスを根絶することではなく、人間にとってもウイルスにとっても持続可能な関係性を模索している過程なのかもしれません。

HRに目を転じてみると、非構造化データと非構造化分析はタレントマネジメントのキーワードであると思いますが、そのデザインは優位性が強められながらも、駆逐ではなく、共存し持続可能な組織の未来図へ繋がっていたら素敵ですね。


水面に浮かぶ

2013年6月24日月曜日

影絵あそび

影に見入る、そんな時もあるものです。





地上の星が濡れ光る

2013年6月23日日曜日

スーパームーンに祈りを込めて

今日の満月はスーパームーンです。残念ながら今のところ、空を雲が覆っています。20時32分頃、月に逢えますように・・・


前回のスーパームーン 2012年5月5日


出よ、雲の彼方から


 青空に月


明治神宮と月


明治神宮御苑越しの月


グラスを射す月光


蒼い月


月の葉陰

2013年6月22日土曜日

サービス化する社会とリーダーシップとおもてなし

今日は、MALL:経営学習研究所の田中理事主催、sMALL 「普段とは少し違った視点で就職活動を一緒に考えてみませんか」に参加しました。いつも、MALLでは、いろいろな気づきと出会いを頂くのですが、今日の気づきは「サービス化する社会とリーダーシップ」です。

順番は逆になりますが、以前、リーダーシップに関して、成果志向、成果主義との関係性に触れました。つまり、リーダーシップにおいて、自ら課題を持ち、それを成し遂げることは避けて通れない、というより、具象であるという観点です。

つまり、世の中に様々な課題を見つけ、もしくは見つかっている課題を解決しようとする行為はリーダーシップの発揮であると思われます。さて、世の中で困っていることを解決するスキームに「サービス」という概念があります。そして、現代社会はより一層、サービス化が進んでいるように感じます。

例えば、今日のイベントの中でも、大学生の就職を考えるキャリアセンター、就活の情報を提供する事業会社、世の中の仕組みを良くしようとするNPOなど、様々な立場の方が非常に有益なお話をされていましたが、これらも、見方を変えるとサービス化の一環であると思います。

一方で、イベントの中でも大学生の受け身な姿勢に関する言及もあったと思います。

日本文化のコンテクストである、「おもてなし」では、「したく」「しつらえ」「しかけ」という三原則のもと、主客平等で対峙する駆け引き場面に自分は強く惹かれます。一方、欧米文化ので「サービス」は、ベネフィットの提供であり、主従関係が前提となるそうです。

この春に、studio-L に就職された、佐谷さんのお話は、まさに、サービスの受益者としての就活から、主と対峙し場を作る就活への転換であったと感じました。そこにはリーダーシップのうえでの平等性があるので、おそらく、studio-Lの山崎さんも仲間として向かい入れたのだと思う次第です。

以上の観点からも、一番短かったですが法政大学長岡教授のメッセージ、「AとBの選択肢があったとき、Cを選ぶこと」が今の就職活動を考えるとき、自分の芯を喰っていました。

(イベントの報告は、いつも本当に上手に纏める方がいらっしゃるので、今回もそちらに期待しております・・・)


水に映る太陽ではなく、本当の太陽を心に

2013年6月21日金曜日

歳に関するもろもろを並べて眺める

最近目にした本から歳に関する記述を抜き出してみます。

子曰、吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩。

論語の有名な一節で、説明は要らないですが、区切りを見ると15、30、40、50、60、70です。

これが、「風姿花伝」(世阿弥 著)では、

七歳 この藝において初めて
十二、三 いよいよ花めけり
十七、八 第一の花失せたり
二十四、五 誠の花には非ず
三十四、五 盛りの極めなり
四十四、五 身の花も、外目の花も失するなり
五十有餘 善悪見所は少しとも、花は残るべし

と、区切りは7、12・3、17・8、24・5、34・5、44・5、50+αです。

「人生は五十歳から」(三浦朱門 著)では、

幼年時代は不満の時
十代は選別の時代
ドロだらけの二十代
板挟みの三十代
人生の峠、四十歳
人生は五十から

ですから、論語に近くて、一桁、10、20、30、40、50です。

今の日本人の都市生活者、会社勤めをする男性のライフイベントで考えると

6歳で小学校、12歳で中学校、15歳で高校、18歳で大学、22歳で就職、あとは概ね30代で管理職、40代で経営(に近い仕事)、50代で出向や役職定年、60歳で再雇用、65歳で引退

と、6、12、15、18、22、30、40、50、60、65といった感じでしょうか。

「年齢」は数少ない人に関する共通の客観的事実ですから、年齢に関する知見には説得力があります。それらを並べるだけでも、何か見えてくる気がします。


今度、先日お邪魔した、ACADEMIC HACK! 「30代後半のキャリアを考える:激流、筏下りの先にあるもの」にもインスパイアされ、カフェゼミ形式で、社内の30代社員を対象とした「対話の場作り」をしようと企画中です。人数の制限はありますが、30代であれば社外の方でも参加OKにするつもりです。日程が決まったらお知らせします。



壁に蛇口

2013年6月20日木曜日

リーダーシップから、更に考える

以前、自分なりのリーダーシップ像を「目的のために本人のベストでありかつ周囲の期待を超えた知恵と行動を提供すること」としましたが、巷には数多くのリーダーシップ論があります。そこで、最近の本などから少し、リーダーシップについて考えてみます。

まず、「人選力」(C・フェルナンデス・アラオス著)では、有能なリーダーによく求められるコンピテンシーとして、

1.成果志向 ビジネスそのものの変革
2.チームリーダーシップ 高業績のチーム作り
3.恊働能力 みずからの職務に直接影響の無い人たちとの仕事のしかたが上手い
4.戦略的思考 日々の差し迫った問題の域を超えてみずからの責任範囲を超えてより広い対極的な視野で考えることを求める力

の4つのコアをあげています。


「採用基準」(伊賀泰代著)では、リーダーシップと成果主義はセットであるものとして、以下のようにリーダーシップを捉えています。

リーダーシップ・・・「目標を掲げる」「先頭を走る」「決める」「伝える」
 成果主義・・・努力でもプロセスでもなく、結果を問う
 知的体力・・・問題解決案を考える能力

これらを課題と捉えるとより身近になる気がします。

「人選力」では
成果を出すという課題
競争力の強いチームを作り方向性を示すという課題
様々な人と恊働するという課題
広く高次な視野で考えさせるという課題
目の前のこれらの課題が転がっていてそれをクリアできる人が有能なリーダーであることの証になります。

「採用基準」では
目標を掲げるという課題、先頭を走るという課題、決断するという課題、伝えるという課題を遂行できる人がリーダーシップがあることになります。

これらの課題は仕事の進め方ですから日々、目の前にあるものです。例えば、一見、成果を出すという課題が無い流れ作業であっても、ミスを無くすとか時間あたりの処理を増やすなど成果を設定すれば、そこに成果を出すという課題が生まれます。

「課題(無ければ定める)に対して本人のベストでありかつ周囲の期待を超えた知恵と行動でそれを解決する人」

自分なりのリーダーシップ像をすこしバージョンアップしてみました。


課題は目の前にあるのだ

2013年6月19日水曜日

いろ、いろいろ

検索結果を見ると今年の夏の流行色は、エメラルドグリーンなのでしょうか。

昔、FASHION COLORという雑誌を見ていましたが、1年ちょい先の提案がいろいろ載っていて、読んでいるだけで専門家になったような気分になれました。日本流行色協会という、そのまんまの名前の協会があったり、インターカラー(国際流行色委員会)という団体が2年前にトレンドカラーを検討していて、それを元に、アパレルだけでなく、メーカーなども集まって国内向けの「いろ」を決めていたり、と私たちが買っている商品の「いろ」の発信元を辿ると、いろいろなひとがいろいろな思惑で「いろ」を決めているようです。

写真の言葉に触れ、「いろ」を巡るいろいろな話をちょっと懐かしく思い出しました。


楽しんだ者勝ち!

2013年6月18日火曜日

気質と能力の微妙な関係

「論理的に物事を考える気質」と「論理的に物事を考える能力」。言葉にすると漢字二文字の違いですが、実際は結構大きな違いとなって現れます。

「気質」とは、ついやってしまう傾向性ですが、「能力」は課題を遂行する力です。
前述の論理性で言えば、議論や思考において道筋をつける傾向と実際に道筋をつけることの違いですが表現の上ではどうも微妙です。

そのような傾向があれば、遂行する能力もあるのではないか?
はたまた、傾向性があれば能力が身に付くのか。能力が高いと傾向性が生じるのか。この議論は大概、抽象度を上げると「にわとりとたまごの話」になってしまいます。

一方、話を具体化すると
「あいつの言い方は理屈っぽいけど一向に話に筋が通っていない」となりますし、逆に「あいつは筋が通ったもっともな話をするけれど気分屋で情に流される」といった身近な隣人の話になります。前者はピントがぼけている印象「だからさー」、後者は我が侭な印象「おいおい・・・」を受けるでしょう。

ハンス・フォン・ゼークトは、士官に関して、「無能な働き者は処刑しろ」と言ったそうですが、気質と能力(質 × 力)から見える関係性は考えている以上に人に強い印象を与えているようです。



印象をあたえるもの

2013年6月17日月曜日

土足禁止ですよ

今朝のとある公園の一コマ。まあ、姿勢が良いから許しましょう。
「土足禁止は後ろにある健康こみちでしょ」という突っ込みは無しです。

昨晩、NHKの特集で「中国激動 怒れる民をどう収めるか ~密着 紛争仲裁請負人~」という番組を見ましたが、ルールの無い?社会は悲惨です。衣食住という、基本的な生活の基盤である土地や住まい、そして仕事までもが地方政府によって取り上げられ、中央政府に陳情をしようとすると連れ戻され捕らわれてしまうという、あまりの無法ぶりに唖然としました。

この猫が住む東京都中央区では、歩きタバコも条例で禁止されています。ルールが多くなると兎角、暮らしにくい面も増えてきますので、ルールを生成するルールの質によって社会の質は決まると言っても良さそうです。

会社も同じだと思います。会社にも様々なルールがあり、あるものは明文化されない「掟」や「慣習」であったりします。やっかいなのは、「掟」や「慣習」が特定の人のルールだったりした場合、なかなかそれを変えることが難しいことです。そのような人は「場を仕切る」ケースが多いからです。そして、そのようなケースでは、自分勝手だったり、我侭を通すことが示威行為として重要であるのもやっかいです。ルール生成ルールの質が悪い事例ですね。

ルール生成ルールとは、ダブルループ学習と同様に変革を引き起こすものですが、例えば、言語領域においては、コミュニケーションツールとしての言葉が新語や死語などでどんどん変わっていく様が参考になります。

それらを考えると、つまり、ルール生成ルールとは他者性の表象なのかもしれません。



いい姿勢だにゃー

2013年6月16日日曜日

空の青さをみつめていると

空の青さをみつめていると
私に帰るところがあるような気がする
だが雲を通ってきた明るさは
もはや空には帰ってゆかない

谷川俊太郎 六十二のソネット 「空の青さをみつめていると」 より


空の青さへ

2013年6月15日土曜日

コンフェデレーションカップをみる決心

サッカーのブラジルワールドカップの開催を来年に控え、コンフェデレーションカップが今日から始まります。ワールドカップでも対戦出来るかわからない強豪国、ブラジル、イタリア、メキシコとの対戦は本当に楽しみですが、なにぶん、ブラジルは地球の裏側。まさに昼夜逆転です。そんなに遠いところでの試合をライブで見ることが出来る技術の凄さに感動しつつも体がついていけるのか心配です。


街角にブラジルカラー

2013年6月14日金曜日

地図から見える世界がある

研究者がどのような学術誌を開いているのか、アクセスログからクリックした軌跡を追跡し、地図化したものが、下記のHigh-resolution maps of scienceです。アクセスログは大学や学術誌のアーカイブなど4つのポータルから取得されたものだそうですが、この地図の面白さは、学術分野の近さを理論的な整理からではなく、実際に、学術誌にアクセスした研究者の行動から可視化していることです。


データを地図化すると、それぞれ地図上のポイントがその他のポイントと近いのか遠いのかを視覚において把握することが出来ます。これは、井上ひさしさんの文学観「むずかしいことをやさしく/やさしいことをふかく/ふかいことをゆかいに/ゆかいなことをまじめに/書くこと」に通じる世界です。

以前、仕事のなかで、会社の中の仕事をデータ化して地図を作ったことがあります。この地図は会社の中でキャリアのビジョンを描くためのものでしたが例えば、一般職、初級管理職、中級管理職において地図が変わる様は、定義やインタビューで理解するよりも劇的に面白い結果となりました。
一般職においては「内と外」、初級管理職においては「活躍の場の大小」、中級管理職においては「構築と推進」と、主軸が変化しながら仕事に接している様子は、キャリアの断絶であったり、役割の変化と言われる知見が図らずしも可視化されたことになります。そしてそれらの軸は、組み合わさって立体的な構造となります。こう書くと、もはや「やさしく、ゆかいなこと」ではありません。

情報を地図化(平面化)するということは、2軸での整理、「二次元」化を意味します。「二次元」という言葉で有名なのは漫画文化ですが、リアルは「三次元」です。



地図は三次元化すると関係性の情報は飛躍的に増し、見える世界が変わるのですがやはり「むずかしい」。「やさしく、ふかく、ゆかいで、まじめな」3D化を思案中です。


光あれ

2013年6月13日木曜日

プロフェッショナルの連携と混沌の場

ジャズには、インプロヴァイゼーションという即興演奏があります。それぞれの演奏者がインスピレーションを沸かせてアドリブでその場限りの演奏を行うものです。

大昔、まだ、田園調布に田園コロシアムというテニスの競技場があったとき、V.S.O.P.というQUINTET(5人組)が行った演奏は、「雨の田園コロシアム」と呼ばれる伝説の名演奏でした。まだ、高校生だった私も、友人に誘われてその場に居たのですが、露天のスタジアムは豪雨で身体はびしょ濡れ、合羽を叩く雨の音越しに演奏を聴いていました。演目が終わったころに雨も上がり、そのあとのアンコールは最高・・・だったそうです。実は、雨にめげて、アンコール前に帰ってしまうという大失態をやらかしてしまいました。
最近、このときのCDが売られていることを知り、いま、その到着を心待ちにしています。

このようにジャズには、伝説の名演奏がいくつもありますが、カタルシス(抑圧の解放)を得られるプロの真髄を体感出来る瞬間です。

仕事場面でも、アドリブは重要です。素晴らしい仕事は、一定の合意(コード進行)のもとでそれぞれがセンスとアイデアを競い合いアウトプットする、そしてそれは、外から見ていても、素晴らしさが伝わってくるものです。
このような仕事がいつでも誰とでもできるものではないことは残念な事実です。

さて、このようなプロの即興演奏には5つの前提があります。
1.とにかく演奏が好きである
2.日頃、半端ではない練習を積み本番で披露できる技術がある
3.経験を積み場に応じた鋭く柔軟な応変さを備えている
4.直感やひらめきを大切にしている
5.相互に尊敬があり信頼している

残念な仕事の様子はこうです
1.仕事だからやっている(本音では好きでない)
2.オン、オフとか言って本番で練習をしている
3.体験はあっても経験が無く状況が変わっても同じフレーズの繰り返し
4.直感やひらめきを否定し、それまでの慣行や理屈をふりかざす
5.不信、卑下、見下しなどなど

以前、芸大生の就活を追いかけたTV番組を見ました。芸では人並みの生活が送れないので就活をする、という話なのですが就活がうまく行きません。それはそうでしょう。今の日本に残念な仕事が成立する余地は少ないですし、おそらく、今後その余地はもっと少なくなるのではないでしょうか。

残念な仕事は、ある意味、混沌の場ですから、何かが生まれる素地であり意味があるのですが、カタルシスの生まれるプロが作りだす場ではありません。端的に言えば、プロの演奏に人はお金を払いますが、渋谷の雑踏にお金を払う人は居ないのです。

経験者の採用で面接を行うと当たり前のように応募者は会社の事業内容に関心があると言います。しかし、「それではどんな本を読んでいますか?」と聞くと答えられない人が多いです。本を読むことだけが練習ではありませんが、その惨さに気づいていない応募者が痛々しいです。そして、これは新卒でもそうでしょう。パチンコにビギナーズラックはあるかもしれませんが、プロのパフォーマンスにビギナーズラックはありません。

そして、自分と自分の属する組織をプロ化するにはどうしたら良いのか、日々の実践と学びが続きます。


本番で練習するプロはいません

2013年6月12日水曜日

問いかけで行為をかえる試み

毎日、書きたいと思ったことを書いているのですが、今日は、書きたいことがどんどん変わっています。

最初に頭に浮かんだのは「効力感と自己過大評価」。もう少し考えて「効力感と錯誤」となりました。文章を書き始めてから考え方ではなく、体験をもとにした具体的なことへ視点を変えたくなり「効力感と錯誤に寄り添う」にしてみたのですが、どうもぱっとしません。そもそも、あまり寄り添っていないし・・・それと、このテーマは自分に対するあまり良い問いかけになっていないように感じました。

そこで、思いついたのが「愚問は頭を悪くする」。大村はまさんの指摘ですが、これは自分自身への問いかけにおいても大切な視点だと思います。他責、他罰、見下し、決め付け、この類の話はどうも自分の頭を悪くしているのではないか。そう思ったわけです。

そこで、自分自身に対する良い問いかけとはどのような問いだろうか、と考えて思いついたのが「ギャップを埋める良い問いかけ」です。ギャップに目が行ったのは、過大評価とか錯誤の名残です。出来ていると思っているけど出来ていないことを埋めるために、どのような問いかけを自分にすればよいのだろうか・・・

もはや書きたいことではなく、自身の課題の話ですし、すらすら書けることではありません。

そこで、もう一度身の回りを振り返り、知識、スキル、勘の三拍子揃ったシステムエンジニアもしくはシステムの営業担当者について書きたいなと思ったのですが、いまから踏み込むことも出来ないし、そのお題は置いておいて、この問いかけで変わるプロセス自体が面白いと思った次第です。

通常は
「探る」→「思いつく」→「書きながら整理する」→「いったん結論に至る」
ですが、今日は、
「探る」→「思いつく」→「問いかける」→「探る」→「思いつく」→「問いかける」・・・→「そのまま書く」→「いったん結論に至る」
ということでした。

問いかけるだけで行為はかわるものです。


ほんとにそれはサイン(矢印)ですか?

2013年6月11日火曜日

タレントマネジメントにおけるメタデータと非構造化データ分析

ビッグデータ化の流れは止まるところを知りません。この流れは、物事の考え方を大きく変えていきます。そのなかのひとつに非構造化データ分析というキーワードがあります。

これまでのデータ分析では、分析するためにデータの形式を揃える必要があります。それは分析を行うツールの制限でもあるのですが、そもそも「分析」とは、複雑な出来事を整理し単純化し法則を見い出すプロセスであって、データを構造化することは、分析の第一段階必須作業に当たるのです。

その前提を覆すのが非構造化データです。非構造化データでは、見出すのは法則性ではなく、関係性です。「風が吹けば桶屋が儲かる」といった関係性の有無を表出するので、風の強さや桶屋の儲けが客観的基準で測定され定量化されていなくても問題ありません。一方で「台風が接近し風が強い」「五月晴れの空のもと風が弱く吹いている」といったデータがあり、他方で同時に「桶屋の儲けが過去最高を記録した」「桶屋が儲からず閉店が相次いでいる」というデータが出現していれば、理由はわからずとも関係性を発見できるのです。

この「風の強さ」とか「桶屋の儲け」といった情報が、非構造化データ分析で重要な役割を果たす「メタデータ」です。また、このような情報をもとの情報に付加したものをメタタグと言い、例えば、Webページの検索を行う際に、活用されています。

さて、タレントマネジメントではタレントの持つ複雑さや可変性を情報化する必要がありますが、情報を構造化(人材要件定義作成やアセスメント選定)することに大きな課題があります。万能な計測方法が今のところ無いことと、マネジメントのアプローチが極めて多様であるが故に、構造化とは実際には割り切ることを意味することになってしまうからです。例えば、「業務システム開発PJアサインのためのITスキルマネジメント」のように割り切れば、構造化可能なのですが、「新規事業を興こせる人材の育成」といった抽象的な表現では、事業環境、事業ドメインの定義から育成方法論まで含め、無限の構造化を検討、試行しなければなりません。

しかしながら、人材情報にメタタグがついていて、非構造化データ分析が行えるとしたらどうでしょうか。人材情報の構造化に苦労するよりも、より早く結論に到達出来ることは、AmazonのリコメンドやGoogleの検索結果を見れば明らかです。

この考え方は、ビジネスにおいてもデータよりもストーリーを好む日本人には馴染みにくいかもしれません。また、具体的に何をすればよいのか分かりにくいかもしれませんが、人の想いというバイアスを排してグーグルのオキシゲン・エイトのように「データは事実を語る」のです。あ、関係性が表出できないスモールデータではダメですが・・・。


構造化は個人の美意識の問題である


2013年6月10日月曜日

受け入れ、葛藤、否定、挑戦、内省、気づき、そして革新へ

この4月で勤続10年を超えました。中途入社で社長まで経験できるとは入社時には考えてもみなかったことですが、前の仕事は12年だったので、もうすぐそれも超えそうです。

さて、この10年間で自分に起きたことを振り返ってみると以下のような変化がありました。

受け入れ・・・仕事のやり方やしきたりを学び身につけること
葛藤・・・それまでの経験を通して諸々の課題が見えてくる
否定・・・仕事のやり方を否定する。クリティカル・インシデントもこの時期に発生
挑戦・・・より良いやり方に挑む
内省・・・「思った通り」の結果になったのか
気づき・・・「思った通り」とは何を意味するのか

「受け入れ」は文字通りです。未経験の新分野での実務において全てが新たな学びです。
「へぇー、こうやっているんだ」とか「なるほど、そうなのね」といった言葉が脳内を巡ります。

「葛藤」は、「受け入れ」といっしょにやってきます。「でも、なんだかやりにくいな」、「おかしくない?それって」と目が点になったり?マークが頭の上を飛び交う状態です。そんな折、これは変えた方がいいなぁと思い始めたところ、社内と衝突がありました。

「否定」です。良かれと思っていても、それは、それまでの仕事のやり方やしきたりを否定することなので衝突して当然です。組織という既存の社会性は新参者に対してそれほど寛容ではありません。一方、新参者にとってその衝突はその後の組織へのスタンスを決定づける出来事、「クリティカル・インシデント」です。そして最初は経営者じゃないし「余計なことだ、止めておこう」と思います。

「止めておこう」と思っても見て見ぬ振りをする性分ではないので、やがて「クリティカル・インシデント」を乗り越えて、葛藤や否定を内在させながらも信念に基づいて「挑戦」が始まります。焦らず慌てず、そして深く悩みながらより良くするため行動を起こします。

行動は何らかの結果を招きます。そしてその結果は、良きにつけ悪しきにつけなかなか思った通りにはないものです。「内省」のはじまりです。「よかったなー」と上機嫌になったり「だめだー」と落ち込んだりしながらそもそもの行動に至った背景からプロセスを「そもそもあーして、こうしてこうなった」などと省みて結果を見つめます。

なぜ思った通りになったのか、ならなかったのか考えるなかで、そもそも「思った通り」とは自分のエゴだったのではないか、どうなることが良いことだったのかなど考えながらふと、このように考えるきっかけの大切さに気づきます。「どうあるべきか」ではなくて「どう考えるべきなのか」を学びます。

10年間を縮約すると以下のような感じです。
「よし!」「ふむふむ」「えっ?」「それ、ちがう」「うそ・・・がーん」「しーん」「なにくそ」「ふう・・・」「うーん」「そうか!よし!」(つづく)

何につけ、振り返って思うことは、「ありがたい」ということです。


実るのです








2013年6月9日日曜日

自然という他者性

「自然といふは自は、自(おのずから)ということで、行者の計らひにあらず」
「然といふは、然(しか)らしむといふことばなり」
                        無心ということ 鈴木大拙 より

「自然」とは、おのずからしからしむ、すなわち、人が自分の分別や力では測れない、そして向こうから「客観的に、あるいは絶対的にそうなってくる」ものです。「自然の力」とか「自然の脅威」と表現すると意味が更に際立ってきます。
そして「自然体」という言葉は、その事実を受け入れる術を説きます。

先日、アメリカで竜巻の被害が発生しました。ストームチェイサーと呼ばれる、竜巻を追いかけるプロフェッショナルまでもがこの竜巻に巻き込まれ亡くなるという悲劇になりました。大震災のときもそうでしたが、自然の力の前に人は無力です。科学の発展で、様々な状況や現象を計測し更には予測されるようになってきましたが、「自然」が敵わない相手であるをより具体的に理解出来るようになったに過ぎません。

さて、自分と自然の境目はどこでしょう。自分の計らいで制御が出来る範囲が境目だとすると、自分と自分以外というのが1つ目の案です。自分以外と言えば、他人もその対象となります。しかしながら他人は、一定の条件下では、自分の計らいで制御出来る(と思いがちな)対象です。2つ目の案は、人間と人間以外です。
おっと、3つ目の案もあります。今、足下でくつろいでいる我が家の愛犬、彼は、「おすわり」も「お手」も「待て」も出来ます。人間+人間のペットとそれ以外が第3案ですね。こうして考えていくと、恐らく第4案、第5案とどんどん自分が広がっていきます。自分が広がっていく感じは、何となく気持ちいいのですが、突如として第2案すら否定されます。

「過去と他者は変えられない」

交流分析に拠らずとも、明らかなことですが仕事をしていて「おのずとしからしむ他者(部下、同僚、上司、顧客)」にうちのめされることはよくあります。

私たちは皆、おのずからしからしむ存在に対して、畏敬の念をもって祀り、向き合い、抗って生きているのですね。


なんともならないものなのです

2013年6月8日土曜日

街角の紫陽花 さまざま

この時期になると街中の至る所で紫陽花の花が溢れます。
色も形もさまざまで目を楽しませてくれます。










以上、日本橋界隈でした

2013年6月7日金曜日

測ることは知ること

ケルビン卿として知られる物理学者のウィリアム・トムソンは「測ることは知ることである」と断言したそうです。確かに、「測る」ことで新たな知見が生まれます。昨日、TVで「西暦775年のミステリー 宇宙 謎の大事件」という番組を放送していました。日本の学生が、屋久杉を使って自然界にはほとんど存在しない放射性炭素を測定したところ、西暦774年から775年にかけて急に濃度が上がっていることがわかったそうです。そして、それが発表されると、世界中がその確認のための調査やその原因の仮説作りに動き出したのですが、これなどは、まさに「測る」ことで生じた「知ること」です。

「測る」ことはとても大切なアプローチです。何はなくともまず測ってみることに意味があります。なぜなら、そこには「知ろう」とする意識があるからです。

「知る」ためには、見たり、聴いたり、触るなど、感覚器を使って外部の情報を知覚する方法や言語を使って知識を構築する方法がありますが、道具を使って「知る」行為は近代における科学の発展とともに急速に進歩した方法です。

さて、「測る」ことにこだわると「正しく測る」方法に目が向きますが、「正しく測る」ことは物理の世界では不確定性原理があって無理、となっていますし、大体が「正しさ」で迷走することが多いようです(最近では、福島原発の地下水の放射線など、後から正しくなかったといって騒ぎになるケースが非常に多いですね。)

ビッグデータの時代になって、「とにかく全部測る」ことが可能となり、改めて、「測ることは知ること」の意味が変わり一層、重みが増してきました。



測ります