2013年5月31日金曜日

気づきにおけるビフォア アンド アフター 慣性軌道から外れること

早いもので、カフェゼミとACADEMIC HACK!をはしごしてから既に一週間。直後に「シゴト」について考えてみましたが、ここからさらに一歩進めてみようと画策し始めました。

気づきがあったあと、自分の行動がどう変わるのか、それは実際に行動してみないとわかりません。
例えば、最近、参加させて頂く様々なラーニングイベントでは非常に多くの気づきがありますが、どうやら「気づき」によって、引き出しが増える場合と軌道が変わる場合、およびその両方の場合もしくはそれ以外の場合がありそうです。ひとことで「気づき」と言ってもアフターは様々です。

引き出しが増える場合とは、「そうか、その見方があるんだ!」とか「そんな風に考えられるんだ!」とか「そういった理論があるのか!」と、知識の幅が広がるイメージです。手持ちの札が増えるとでも言いましょうか。
もっと分かりやすく言えば、「あっ、これ、提案に使えそう」というものです。

一方、軌道が変わる場合とは、これまで習慣的に走っていた自らの「慣性軌道」から「気づき」という分岐器で新たな軌道に入るイメージです。例えば、ラーニングイベントでお勉強をして、仕事に使おうと考えるのは「慣性軌道」上のことで、ラーニングイベントに参加して、仕事を変えようと思うのは「慣性軌道」から外れることです。この場合の「仕事を変える」というのは、「本当に転職してしまう」から「仕事のやり方を変える」まで範囲は非常に広いでしょう。

実際、本当に「慣性軌道」から逸脱できたのか、実は、まだ、「慣性軌道」の上に居るのかはやってみないとわかりません。例え、転職したとしても「慣性軌道」上であることも少なくなさそうです。景色は変わったけど、同じレールの上をひたすら走っているわけです。

そして、「慣性軌道」の上か「新たな軌道」の上なのか、それを知ることができるのは本人のみなのかもしれません。


脱線したら事故ですよー


2013年5月30日木曜日

梅雨入りに思う

今はどうだか分かりませんが、十数年前は、傘が一番売れる時期は梅雨ではありませんでした。春先に雨が続くとかなりの勢いで売れたものです。梅雨に入ると傘を持ち歩くようになることと、梅雨に入る前に購入して備えることが多いためでしょう。
降ってきて間に合わせで買うコンビニのビニール傘は違うと思いますが、デザイン・品質・高機能を売りにする傘は、ファッション商品と同様な売れ方なのかもしれません。

シーズン商品は実際に使うタイミングと売れるタイミングが違います。そして、売れるタイミングで使う頻度があがると予測以上に売れるのだと思います。

逆に、売れるタイミングで使うイメージが湧かないと売り上げが悪くなります。例えば、冬物が売れるタイミングで気温が高かったりすると冬物の売り上げが落ちます。

もちろん、天候だけでなく、景気やブームなどの要因もありますから、商品は出来るだけ売上に近い時期に作れると良いのでしょうが、生産地が遠くなると商品を準備する期間は一層、早くせざるを得ません。
昔、商人だった父から習った商売の鉄則は、「売れてから買え」というものでした。確かに、売れてから買えば、必ず儲かることになります。(もちろん、利益の出る仕入れが出来ての話ですが)
しかし、売れるかなり前に買わなくてならないとなると、博打的な要素が強いです。


消費者が、欲しいと思う商品を欲しいタイミングで買える場所に届ける。

言葉にするとシンプルですが、実際、消費者の心は複雑です。その複雑に揺れる心を相手に延々と博打を続けているのがその実態なのかもしれません。


梅雨ですね



2013年5月29日水曜日

タレント(?)マネジメント マネジャーの仕事は0を1にすること

そして、1を10にするのは本人の力。

これ、TVのバラエティ番組で聞いた言葉です。
その番組は、ロンドンハーツというPTAから大分嫌われている番組で、そのなかの「有吉先生のタレント進路相談」というコーナーで芸能人の有吉さん、田村淳さんが発しました。台本があるのかもしれませんが、自然に語っていた印象です。
言葉が出てきた文脈ですが、なかなかブレーク出来ないタレント(芸能人)が、「事務所が自分たちに力を入れて売り出してくれない」「事務所に力が無い」など、事務所やマネジャーに対する不満を並べていました。
タレントからタレントマネジメントがなっていないと指摘されたわけですね。

この場合、「0を1」というのは「機会を作る」という意味です。例えば、TV番組に出ることや雑誌に載る機会を作るのが、マネジャーや事務所の仕事で、そこから先、番組内で周りから認められ、新たな機会を得ていく、「1を10にする」行いは本人次第であるということですね。

まずは、業界は違ってもハイパフォーマーは全うな考え方を持っていることを再認識しました。正直、あまりにまとも過ぎて笑えなかったです。

マネジメントとは、広く多様なものですが、育成という観点では、この「機会を与える」ことは非常に重要なことです。大切なのは「仕事を与える」や「成果を与える」のではないことですね。

サラリーマンからよく聞こえてくる「会社はどう考えているですか」「会社はどうしてくれるのですか(どうしてほしいのですか)」「うちの会社にはちゃんとした方針がない」「大企業にはかなわない」これらの発言の背景には、先ほどの売れないタレントたちと同じで、1を10にするのは誰なのか、という本質が抜け落ちています。

逆に、10の人が同じ事を言った場合はかなり問題です。10の人は、そもそも滅多にそんな事を言わずもっと的確に表現しますが、いずれにしても経営構造に大きな課題があることは一目瞭然です。


また、同じ放送のなかで、「業界歴が長いと言ったって、ぎゅっと縮めれば実際、1ヶ月くらいの薄さ」という表現もまとも過ぎるものでした。

こちらも、企業で社歴や業務時間が長いからといって、ぎゅっと縮めてどのくらいの仕事をしたのかと考えてみると浮き上がってくる課題です。
「プロフェッショナルはいつくるかわからない15分のために常に準備を怠らない」と言いますが、アマチュアの仕事にどれだけ長く携わったからといって、決してプロになれるものではありません。

芸能界では、売れなければ(成果が無ければ)自然に退場となりますが、日本の会社では自然淘汰が働きにくい制度的硬直性があるので事は重大です。10までいかなくても7でいいかな、とか5でもいいかな、というのも程度の差の話ですね。


私たちは自らのタレント(才能)を1から10にする準備や努力を日々どのくらい行っているか、非常に深く考えさせられる瞬間でした。


プロは人のせいにしない






2013年5月28日火曜日

タレントマネジメントのキーパーソン HRデータサイエンティストは何処に?

人材に関わるHRデータもビッグデータ化が進む中、データをカテゴリーごとに分析することの意味が問われています。
特に、哲学や倫理学や社会学、そして心理学と人や組織を語る学問が細分化、先鋭化するなかで、それぞれの理論や仮説に沿ってデータが測定されており、恐らくそれらを含めて全てのデータを取得しようとするととてつもない量の調査が必要になってしまいます。

ぱっと思いつくだけでも、パーソナリティ、モチベーション、EQ、満足度、能力テスト、業務スキル、コミュニケーション、コンピテンシー、人事考課、MBO(目標管理)、360°(多面観察)、メンタル、グローバル、マネジメント、ロジカルシンキングなど、仕事が複雑化するのと同様に、カテゴリーも細分化、複雑化ています。

これらのデータはそれぞれ独立して使われながらもデータソースは同一という特異性を持っていますから、関係性や因果性を内包しています。さらに、測定方法のバイアスによってデータの海は混沌としています。

最近注目されているビッグデータは、構造、非構造が入り交じった多様で大量のデータで取扱いのため、格納と活用で新たな技術革新が求められています。昨年、非構造化データに取り組みましたが、すでに実用性も非常に高いレベルにあります。一方で、データサイエンティストの技量によって取り扱えるビッグさが変わってしまい、人材の確保、育成が課題の一つになっているそうです。

あれ?「人材」に話が戻って来ました。

さて、HRデータサイエンティストとは、何でしょうか。
グーグルがデータサイエンスでオキシゲン・エイトというマネジャー行動を抽出したことは以前のエントリーで書きましたが、それらの仕事をするのがこの、HRデータサイエンティストであり、2つの顔を持ち合わせた人材と言えるでしょう。

ひとつは、データサイエンティストとしての側面。格納と活用の技能を保有し科学的探究心があることがその人材イメージです。
もうひとつが、HRサイエンティストとしての側面。人と組織の理論に通じて定見を持ち、科学的な手法で仮説を検証する人材イメージです。

じつは、HRデータサイエンティストに関してかなり具体的な人物イメージがあるのですが、そのような人材を確保、育成することは意義深く、そのうえとても楽しそうです。



仮面ライダー1号、2号のときのショッカーの基地だったらしい

2013年5月27日月曜日

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。


マザー・テレサの名言です。

Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words;
Be careful of your words, for your words become your deeds;
Be careful of your deeds, for your deeds become your habits;
Be careful of your habits; for your habits become your character;
Be careful of your character, for your character becomes your destiny.


思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

大村はまさんは次のように言いました。

一番先に浮かんだ言葉は使わないこと。たぶん、それは「自分の癖」だから、いつも同じ事を言っていることになる


思考、言葉、行動、習慣、性格、運命 もしくは、一番先に浮かんだ言葉、癖、習慣・・
この文脈はいろいろな人が用いています。


意識が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。―ウィリアムジェームス

こちらは、どちらかというと良い意識を持てば運命を拓けるイメージです。


性格を、先天的傾向に基づく感情面の個性である気質から作られる行動や意欲の傾向(Wikipedia)と定義した場合、それは異なる状況下においても同じようにふるまうことが期待されています。脳科学の知見では、脳は「意識」する前にすでに反応する準備を始めており、それによって非常にスムーズに行動できるのだそうです。この「期待」とは、そもそも生物が事象に素早く的確に対応するために備えている能力だと思われますが、「予測」はそれを思考の領域まで拡張したものではないでしょうか。

人は、考えて行動し、習慣になり癖を作って運命となる。
しかし、マザー・テレサも大村はまさんも、「思考」に気をつけなさいと警鐘を鳴らしました。それは癖であり、運命を決めてしまうから・・・

どうやら脳の持つ再帰性と可塑性の連鎖に身を委ねないほうが良さそうです。


もうすぐ梅雨です

2013年5月26日日曜日

ハタチのシゴト、アラフォーのシゴト

仕事をシゴトと書くと、雑誌の記事や美術館で展示されているもののように感じます。なぜかちょっと素敵、かつ鑑賞しているようです。

振り返るとシゴトについて、より深く考えるようになるタイミングがありました。
世の中的にも社会人デビューを迎える時、多くの人はハタチ前後、一通りシゴトが見渡せるようになる三十路あたり、次のステージへの移行期であるアラフォー、人生とシゴトのやじろべえに揺れる五十過ぎあたりが、そういったタイミングであるように思います。
女性は、さらにライフイベント「シゴトノギャップイヤー」がそれぞれのタイミングを横断する形であります。

それら次期の考え方を抽象的に捉えると、予習、実習、選択、決断と表現できそうです。

予習・・・最近はインターンシップなど、シゴトを予習する機会が増えていますが、1984年頃は予習するといえば先輩、友達、先生、親、あとは就職情報誌でした。当時は予習をしたという実感は無かったですね。今の学生には、是非、こうした「越境」の機会、アダルトニア(キッザニアの大人版)をどんどんチャレンジして欲しいです。特に、「勝手にアダルトニア」(募集があるから、ではなく、自らの発意をもって行うインターンシップ)を。

実習・・・考えていたシゴトと身を以て知る仕事の違いの連続でした。学生時代の新しいものを積極的に取り入れる意識が通用しないアナクロな世界でありコテコテのサラリーマン哀歌、それが実習の第一印象です。一方、仕事そのものの難易度が高く、「オサメルコト」と大人の世界の作法と生き方という「ハタラクコト」に直面していた記憶があります。

選択・・・この道をこのまま進むのか、他の道を選ぶのか、実習を終えてコースを選択する場面です。自分はこの選択に関して十数年の期間中に二回の経験があります。
「エラベルコト」なのでどんどんチャレンジすれば良いと思います。
ただし、その際に重要なのことは、「実習ヲ終エテイルコト」なのだと最近、経験者採用の面接を行っていて強く感じます。選択前であっても、新たなシゴトにおける貢献が出来ていないのであれば「エラベルコト」とは言えません。大学を卒業してもそれで大学院に入れるわけではないことと同じです。
もちろん「ハタラクコト」の理解も終えている必要があります。具体的に自らの市場価値を定義できず、一方では完璧な正義を振りかざしている人には、本人が選んでいると思っていても、本当の意味での”選択”はありません。

決断・・・この道で何を極めるのか、ひとつひとつの出会いや出来事に対して意味づけを行い、さらに考え決断する、小さなことから大きなことまで決断の連続です。自分の人生に責任を持ち、己が道を行くのです。

シゴトという言葉は一つですが、多様な意味が満ちています。


カモメハカモメ シゴトハシゴト?

2013年5月25日土曜日

ミシュラン 2つ星の小樽 伊勢鮨さん

美味しいお鮨を頂いたので、珍しくグルメレポートです。といっても写真のみ。
言葉は要らない美味しさでしたので。


住宅地に近い場所です 


そい しっかりとした歯ごたえと味


桜鱒 旬ということです


生にしん 初めてです

牡丹海老 写真を撮り忘れましたが文句なし


帆立貝 あまーい


ホッキ貝 新鮮で味深い


水タコの頭 旨味がたっぷり


ズワイガニ 言うことなし


しゃこ 解禁になったばかり


いくらの醤油づけ 醤油と酒のみ


こまいのたまご タラコよりも繊細


ばふんうに 蕩ける


帆立の子 磯の匂い、うにに似てる



いぶりがっことクリームチーズ
お酒に良く合う



そして、大将 二代目だそうです
腕だけでなく人柄も最高です!


2013年5月24日金曜日

カフェゼミ と ACADEMIC HACK! をはしごした日

昨日は、法政大学長岡研究室のカフェゼミと、東京大学中原研究室のACADEMIC HACK!をはしごするという暴挙にでました。
なんでこうなったのか・・・目の前にある機会にはとにかく手を出す、ということでもあったわけですが、我ながらちょっと反省をしています。

カフェゼミは、まさに、大学のゼミにお邪魔するもので、大学生が中心です。「シゴトとアソビの境界線」というテーマで、「与えられた選択肢の中からチョイスしない」という長岡先生のゼミ生へのメッセージが深く刺さりました。大学生のみなさんともっとお話したかったのですが、想いを振り切って本郷に向かいました。
一方、ACADEMIC HACK!は、開始直前に教室が変わるという修羅場があったようで、時間ギリギリに飛び込んだ受付の前では中原先生がひたすらお詫びをしているという思いがけない展開からスタートです。こちらは、富士通ユニバーシティさんの事例紹介とワークを通じて「30代後半のキャリアを考える」というテーマで、社会人が中心です。

まずは、このような機会が開けていることに明るい未来を感じました。
そして、組織に染まる前の学生にとってのこれからのシゴトと、組織に染まって不安になっている大人のこれからの仕事を考える機会を同時に体感することで不思議な感覚を味わっています。いろいろ思うところがあったので一日かけて整理しようと思います。


層は異なっても「ひとつ」です




2013年5月23日木曜日

コミュニティとアソシエーションの境界線

今日は「シゴトとアソビの境界線」を考えるという刺激的なテーマの大学のゼミ活動に参加させてもらいます。

そこで、「社会的集団の境界線」について考えてみます
マッキーバーは、コミュニティとアソシエーションという社会的な類型を提起しましたが、今日において、新たな類型の社会的集団が増えて居ます。例えば、ボランティアやNPOなど、自発性と機能性、どちらの要素も少なからず持ち合わせた集団が、社会の中での存在感を増しています。

この図は、コミュニティとアソシエーションという類型にインスパイアされながらも、より、現代的な類型と、それぞれの連続性を理解するため十数年前に作成したものです。
当時は、地域活性化における株式会社化(黒壁)などの取り組みが行われ、地域と企業を接続する考え方が必要だと考えていました。
ある、転換点(図では変曲点)おいて、集団化が進むことによって増えるコストよりもパフォーマンスが増える、つまり、集団化が維持される状態に変わります。これを組織化のメリットと考えました。

要するに転換点までは持ち出し、転換点後は継続的に収入が生まれる状態です。

そして、組織の最適化が進むとパフォーマンスが一層高まります。これを構造化のメリットと考えました。

構造化されると組織構成員の動きはより歯車的で自由度が減り、一方では、より高い収入が得られるようになります。構成員は、良い、悪いの二極で評価されることを受け入れなければならず、様々なストレスを抱えます。また、より高い価値のアウトプットは歓迎される一方、ポテンシャルに対して厳しい目が注がれます。成果志向、達成志向、論理的、戦略的思考など具体的な価値向上への評価が高まるのに対して、商品開発、新規事業開発、採用など将来的な価値向上への期待に対して厳しい目が注がれる傾向が高まるでしょう。それは、個人のポテンシャルの解放というより、組織の具体的な価値向上のための視点です。構造化のメリットを最大限、享受、伸展させながら構造化をより強めるベクトルに向かっての連続性だからです。

地域活性の取り組みをきっかけに、コミュニティとアソシエーションの境界線にはじまり、集団が自然発生→組織化→構造化と連続的に存在する状況と、その連続性において何が強まり、何が弱まるのか考えてみましたが、実際に企業の様々な実態を目の当たりにして、それほど悪い仮説でもなさそうだと感じています。


これは境界線だニャー




2013年5月22日水曜日

言葉と行動のギャップに孔子も悩んでいた

”子曰、始吾於人也、聴其言而信其行、
今吾於人也、聴其言而観其行、於予興改是、(「論語」より)”

「始めは、言葉を聞いて、その行いを信じたけど、今は、言葉を聞いてさらに観察するようになった、それは予(という人)のことで改めたのだ」。孔子の学びです。
言った通りに行動しないと、次には、言っただけでは信じて貰えなくなる。日常的によくあることですが孔子も同じでした。

仕事のあらゆる場面で、人は、自分に、他者にコミットメントをします。しかし、一方ではコミットメントを履行することの難しさに直面します。

「○○君、今期はこれこれこういうことをやって欲しいのだけどどうかな」
「わかりました、がんばります」
この言葉は、聞く人に「ちゃんと理解し、遣り切ります」という印象を与えますが、しばらくして
「○○君、あれ、どうなっている?」
と聞くと
「あっ、すみません、まだ手がつけられていません」
「・・・」


”ほんとうに空々しい答え方というのでしょうか、分かり切っていることを分かり切った調子で得々と言ったりするのは避けなければなりません(「大村はま 優劣のかなたに」苅谷夏子著P82)”

「真実のことば」でない、空虚なことばが生まれるのをいかに避けるのか、大村はまさんも課題として捉えられていたようです。これ、面談の際の教訓です。

私たちは、言葉と行動のギャップに悩み、戸惑うわけですが、次の指摘にはすごく深い示唆があるように感じます。

”知者は行動を考えることによって生きるものでもなく、行動を終えた時、考えるだろうことを考えることによって生きるものでもなく、行動そのものによって生きるのだ(「気流の鳴る音」真木悠介著P34)”

そもそも、言動一致と言いますが、日頃の行動の前に必ず言葉や目標があるのでしょうか。

脳科学では、脳の中では意識よりも行動の準備の方が早いことが測定されています。もちろん、考えなくても行動出来るという訳でなく、思考という足場を使ってより効率的、効果的に行為を創発するのが人間の強みです。そして、他人と共有できる足場としての言葉や目標が重要であることに疑いはありません。となると、言葉や目標が足場として機能しているか否かによって行動の質が変わるのでしょうが、足場として常時、機能させられる人は、上場企業でも10〜15%くらいのようです。
また、そもそもの行動レベルが低いと足場があっても行為が創発されません。

”この現在の一刹那、生死にかかわらぬ「ただ今」が、すなわち無心の世界である(「無心ということ」鈴木大拙著P112)”

「無心」木や石のようにそこに在ること、それは、「行動そのものによって生きる」ことの輪郭をはっきりと浮かび上がらせてくれます。

整理すると、
1.腹に落ちていないのに調子を合わせる
2.言葉や目標があっても行為を創発する足場として使っていない
3.行動そのものが希薄 もう少し踏み込むと「活き活きと生きていない」
この三本柱によって言葉と行動のギャップが構成されてるようです。

自分事としては
空虚に合わせない、すべてに学ぶ、しっかりと振れ幅を持つ

他者の関わりにおいては

合わせさせるように問い掛けない、Playful Learning! 、振れ幅を共感する
が処方となりそうです。


で、いつやるんですか? 今でしょ!


手を伸ばし合って繋がるのです

2013年5月21日火曜日

組織を動かす3つの波と組織が内から変われるために必要な「学習」 

大学で組織論を学んでから早くも30年近くが経ちますが、今もこうして内に外に組織を考えることが出来ることは幸せです。せっかくの幸せなので自分の整理をしてみます。

さて、学問的な議論ではありませんが、細かいことは気にせずに、ざっくりと捉えると、組織を構成する人材には3つのパターンがあると考えています。「細かいことは気にせず」というのは、「適当に考えた」ということではなく、統計処理によって、情報を縮約して作った仮説であるということです。

その仮説とは
1.人は、効力感と情動性の視点で組織に与える影響性において、「展ばす」「整える」「ゆらぎを与える」3つのパターンに分けられる
2.「ゆらぎを与える」は更に2つのパターンに分けられる
3.この3つのパターンの組み合わせは組織行動の創発に少なからず影響性を持っている
というものです。

まず、それぞれのパターンの説明ですが、
「展ばす」パターンは、効力感が高く、情動性が低い組み合わせです。
「整える」パターンは、効力感が低く、情動性が高い組み合わせです。
「ゆらぎを与える」パターンは、効力感が高く、情動性も高い組み合わせと、効力感が極めて低く、情動性が極めて高い組み合わせです。

「展ばす」パターンが創発する組織行動は、周囲を巻き込みながら拡大していこうとする言動です。成長段階の企業や、ビジネスモデルや商材が固まっていてマーケットシェアを拡大していこうとする企業でこのパターンの人材が多いことが確認されています。
「整える」パターンが創発する組織行動は、無駄を無くし、効率化をすすめる言動です。飛躍をせず、堅実に仕事を行うことに向いています。業績を重ね、最適化が進んでいる企業で多いです。以前、バブル経済が崩壊する前後で、不動産投資をやっていなかった銀行の評価が180度変わったことがありましたが、このパターンが多い堅実な組織は、大きな災害のとき、生き延びる確率が高そうです。
「ゆらぎを与える」パターンが創発する行動は、前向きだけど気分で変わったりぶしつけな印象を与える言動や、どうして?って言うくらいネガティブな言動です。簡単に言ってしまえば、組織を混乱させます。協調が難しく、逆にそれが組織の脱予定調和の力となります。

さて、まずは、このパターンが3つあることがキーだと考えています。
これは、以前にも取り上げましたが、池上高志さんが述べられている「3つ以上の互いに素な周期運動があるとカオスに移行しやすい」ことにヒントを得ています。組織が創造的な振る舞いをするためには3つのパターンに何らかの相互影響性がありそうです。

そして、これらのパターンは個人においても、その集まりである組織においても固定ではなく、中央値や最頻値を持ちながら「なめらかに」行き来するものと考えています。

この、組織行動の創発にとって、3つのパターンの組み合わせとともに、とても重要なのが「学習」です。行動の創発とは、つきつめれば応答的反応ですが、人間は応答すべき足場を自ら構築します。「学習」という足場作りによって、創発する行動を可塑的に変えることが出来るのです。この足場が飛躍的であるほど、大きな変化が予感できそうです。

組織のメンバーが入れ替わると、否応無しに「パターンが変わり」「学習」が始まります。これは組織に取って行動を創発するチャンスですが、組織はどうも、「パターンが変わらない」ように人を選び、早期に学習を終える(早期戦力化、行動の規範化)ように動くことが多いようです。

組織行動における人のパターンと学習の重要性について、少し考えが整理できました。


戦略の多様性が種の強さ、ではあります

2013年5月20日月曜日

良い考え方という宝もの

昨日参加したラーニングイベントで、27歳にして居酒屋をオープンした女店主の方と少しお話をしました。というより、意地悪な質問をしてそれに応えて頂きました。以下、その質問と応答です(酔っており一部、記憶が怪しいところもあります)

(問)最近、飲食店に行くと、店員同士の掛け声で「あいよー」というのが多いとおもうのですが、流行なのでしょうか
(応)チェーン店は、マニュアル化しているかもしれません。お客さんも「元気があっていい」という人と、「うるさい」という人に分かれるでしょうね
(問)なんだか心の入っていない掛け声に聞こえてしまって・・・。物販の店舗で、商品整理でお客に背中を向けながら「いらっしゃませ」って声を出している人も如何かといつも思っていて、それに近い印象です
(応)まず、声を出すように教育しているのでしょう。教えて覚えさせることが大事です
(問)教育すればちゃんと出来るようになりますか
(応)なりますよ
(問)どうやって教えているのですか
(応)やらせて失敗することで覚えさせるか、ほめてほめて伸ばしていくかです
(問)それで本当に出来ますか?
(応)もちろん
(問)無理な人がいるのじゃないかと最近感じるのですけど
(応)どこかで見切ることは必要ですね

記憶を辿ると、大体、こんなことを話していたと思います。

見返すと、私の問いの真意は、”気持ちの感じられる店員さんが少なく、それを教えるのは難しいのでは”というで、ちょっと迷宮に入り込んだ問いです。

一方、店主さんは、”相手に合わせて教えれば出来るようになるし、だめな時もあるでしょう”と非常にシンプルな考え方でした。

このような対話によって自分の中の混乱や迷いが霧散することは珍しくありません。大村はまさんは「愚問は頭を悪くする」とおっしゃったようですが、実は、気がつかないうちに自分自身に愚問を投げかけていることがあります。「迷宮に入り込んだ」とは、自身に対する答えの出ない問いかけなのだと思います。

他人の良い考え方は、参考になるだけでなく、頭の中の愚問の掃除に役立つ宝物です。


ぱっと開く






2013年5月19日日曜日

知性で闘う仕組みと蕩ける空間 酒場学習論@MALL

今日は、昼間から赤羽のまるます屋さんでお酒と肴を頂きました。これ、れっきとした学びの場なのです。MALL田中理事企画のラーニングイベント、酒場学習論です。酔女 倉嶋紀和子さんの素敵なお話を中心に”学び”を得ました。

前回の中原先生のイベント”研修開発・内製化プロセスの探究”が知性で闘う仕組みだとすると、今日の酒場学習論は蕩ける空間です。中原先生が、「聞く」「考える」「対話する」「気づく」ことを繰り返し提言されているのに比べて、酒場学習論は「呑む」(ほんとに呑むのが先)「聞く」(呑むにつれ怪しい)「対話する」(何の対話やら・・・)「沁みる」(クーーー)と、言うデザインで、内と外の境目が溶ける場でした。
イベントの終わりに配られた経営学習新聞のトップが「記憶は失っても、学びは残る」って、座布団3枚いけそうです。
MALLという場の、この振れ幅が日本の未来を予感させます。

人はなめらかな存在であり、私たちが豊かさを実感出来るのはこのような「場×自身のなめらかさ」であるというのが私の仮定です。

これからも、この仮定が仮説となるよう、仕事で、仕事以外で学んでいきます。


手書きの「酒」。すばらしい演出。回収されてしまって残念(;_;)


場所は赤羽。初赤羽という方が多かったかもしれません


まるます屋さんは赤羽のランドマークです 


二階の様子はこんな感じ。今日は貸し切りですが、子供連れのご利用もあるようです


ジャン酎モヒート。ジャンボ酎ハイモヒート風ですね
向こうに見えているのは一人居酒屋経験無しの中原先生(^^)


肴の〆はうなぎの蒲焼き。さんしょうがどばっと出て、一層美味しい(^^)


写真中央が倉嶋さん。長岡先生も含め和装がお似合いです。羨ましいー


帰り道、赤羽駅の中にはこんな風景が


今日も新たな出会いがありました

2013年5月18日土曜日

パッケージという苦しみ

自分が今の会社に入ったとき、「パッケージを作って欲しい」と言われた記憶が今でも残っています。つまり、商品として認知される明確な枠組みを持った道具や役務の塊りを作るということですが、そこには、その塊がどんどん売れるという前提が含まれています。

わかりやすく簡単に売れて儲かる商品を作って欲しい、というのが真の意味だど思いますが、「わかりやすい商品」と「簡単に売れる商品」と「儲かる商品」の意味の三重性が話を難しくします。さらには、「わかりやすい」「簡単に売れる」「儲かる」には、暗に「他社の商品に比べ」が掛かっている場合もあります。

この条件にあったパッケージを作るためには、「他社の類似商品を調べ、世の中で広く求められている道具を楽に作り、簡単にかつ売れるように仕立てること」を考えなければなりませんが、類似商品がある段階で、すでに簡単に売るのは難しくなります。また、類似商品より売れるようにするためには、差別性のある付加価値をつけなければなりませんが、それは、基本的に儲からなく構造です。

ここでちょっと発想を変えると、類似商品がない分野であれば、ハードルが下がります。しかし、今度は、新しい商品分野は、大概、利用者にとってわかりにくいものです。つまり、別のハードルが上がってしまう訳です。このようなトーレードオフを回避するため、それぞれの要請に対する処方を考えてみます。

すると、
「わかりやすい商品を作る」近道は、すでにあるもの、欲しいと言われたものを作ること
「簡単に売れる商品を作る」近道は、売れている商品よりも安く売ること
「儲かる商品を作る」近道は、高く売るか安く作ること
ということになります。

例えば、世の中にあって、利用者が価格が高いと不満をもっている商品を、驚くほど安く作り、期待以上の安さで売ると、「パッケージ」が出来たことになります。

利用者の期待がデザインであった場合、利用者がデザインが悪いと感じている商品を、驚くほど安く作り、期待以上のデザインで売ることが「パッケージ」になります。

実際、このようなパッケージは世の中にあり、それによって成長している企業がお手本にですが、そのような企業を見ていると、「考える」「作る」「売る」それぞれの機能がパッケージに向けて最適化され会社全体がパッケージを志向していることがよくわかります。「パッケージを作る」ということは、実は「パッケージを作る意識と組織を作る」ことなのでしょう。

この最適化、日本人にとっては得意技なのですが、その得意技が通用し難くなった今日、パッケージは一層、難しいテーマになっています。
そして、今、求められているのはイノベーションです。すでにある商品や顕在化している顧客の不満、欲求に拠らない商品や役務の開発こそが重要な課題となっているのです。

しかしながら、パッケージ同様、イノベーションも意識、組織作りから行わなければ絵に描いた餅なのだと思います。


祭と担ぎ手がなければ神輿にあらず


2013年5月17日金曜日

記憶と視点の転換 

私は、「記憶する」ことが得意なほうではではありません。正確にいうと一字一句覚えるのが苦手です。大雑把と言いましょうか、物を覚えるときはざっくりとポイントを押さえているようです。TODOやスケジュールは不思議なくらい覚えているのですが、さらに行く場所の記憶にまでなるとかなり怪しくなってきます。

ところで、日本人学生のデータからは記憶力が全般的に高く、一方、視点を転換する力は低い傾向が認められます。これは、ひょっとしたら、学校教育のスタイルによる影響性があるのかもしれません。思い込みかもしれないので、これ以上の言及は避けますが、「記憶すること」と「視点をかえること」のどちらがこれから大切になっていくのか、考えてみます。

これは、限られた脳という資源をどのように使えば良いかという問いの裏返しでもあります。

人間の脳は、我々が居るこの地球という星の大きさと比べると、とても小さいものです。ところが、その小さい脳が、地球をこえ、太陽系やその外側までも、また、一方では、とても認知出来ないミクロの世界をも理解しようとしています。そしてそれらを認知するために画像や映像や記述や模型などを脳の内側ではなく、外側に情報を置いて活かしています。

これまでは、外側におくことが出来る情報の量や質が限られていました。故に、内側に溜められた情報の量の多さや、質の高さとそれを引き出す力が優秀さを評価する基準だったのだと思います。「記憶すること」とは、内側の情報を引き出すことです。
今日では、外側の情報が誰にとっても飛躍的に増えています。それは、情報を溜める方法と引き出す方法の共進化によるもので、電車待ちのホームで8割くらいの人がスマホを弄っているとき、その指先から全世界の膨大な情報が繋がっている事実には驚きを覚えます。

インターネット上の膨大な情報が記憶すべき情報でないことは最初からわかっていたので、ブックマークや検索など情報を整理していつでも引き出せる機能が進化しました。
そしてフェースブックの「いいね」は友達の脳が整理した情報を引き出す仕組みです。これまで、他者が整理した情報を引き出す仕組みが書籍だったのですが、今は「編集」という作業なしに情報が引き出される状況になったのです。
寝ている間に、脳はその日にインプットした情報を整理、再構築しているそうですが、それに近い機能が、ネットワーク上で実現しているとしたら、すでに、どこまでが自分の脳なのかわからない状態ですね。

このように考えると外側で「記憶」はどんどん増えていき、その情報を引き出す仕組みが進化しているおり、人間にはその状況と共進化することが求められています。
そして、その共進化の実態が「視点をかえること」だと考えます。
統計学では、情報が増えると多変量解析が行われるようになります。これは、情報を縮約して新たな視点を据える手法ですが、日々の生活の中で、じつはこのような「視点をかえる」必然性が増してると感じています。

(これまで)
自分の脳に情報を溜め、上手に引き出し、縮約して行為を創発する。
    +
(いま)
自分が内側から外側にどんどん広がっている
    =
(いまから)
外側に勝手に溜まっていく情報を、内(自分)と外(検索、友達、キュレーターなどなど)の連携で上手に引き出し、内側で縮約して優れた行為を創発する




面白い窓





2013年5月16日木曜日

mixiの社長交代に思うこれからの組織の「描き」かた

mixiの社長が交代するというニュースが昨日流れました。新社長は30歳、マッキンゼー、ネイキッドテクノロジー、mixiと3社の多様な経験を持ち、難しい局面のmixiを再び盛り上げるべく、”永久革命”に取り組むようです。

mixiが何故、現状に至ったのかは様々な分析が行われていますのでそちらに任せるとして、ここでは、mixiの例を手掛かりに、これからの組織の作り方に関して考えたいと思います。

原始的な組織は、地域の人のつながりから生まる「集い」です。この「集い」は、日本では祭や講などですが、某かの「想い」が原点にあります。

産業組織でも基本は同じなのですが、産業革命により「地域性」が崩壊し、”基本”、誰でも「集える」ようになったところが産業革命前と少し違います。

情報革命はさらにその流れを加速し、”本当”に誰でも「集える」ようになってきています。近い将来、国籍、居住地、年齢など一切関係なく「集い」が生まれるのが当たり前になるのでしょう。(そう考えると「多様性」の議論って産業革命期の組織論ですね)

さて、組織は「想い」を持った人が「集う」ことが基本ではありますが、これは情緒的な話ではありません。「想う」のは誰なのかを考えるとわかります。

例えば企業で考えると
1.創業者 会社を興す強い想い
2.従業員 会社を支える人それぞれの想い
3.社会 社会の構成員が持っているこうしてほしいという想い
4.地球 我々が暮らすこの地球に存在する全ての物の想い

3は社会の要請、4は環境との共生、共存が「集う」原点です。

現代は、産業革命前後、情報革命前後で組織の母集団となる「集う」人の条件がゆるむのに反比例して、「集う」ことが問われているのだと思います。

そもそも、「集う」単位で考えると、組織の境目はとても曖昧です。前述のmixiも顧客を「集う」人と考えれば、組織の一員です。そして、「想い」が失せると一番先に「集う」ことをやめるのが顧客です。

会社にとって、社長はとてもわかりやすい存在ですが、社長≠組織 です。ある調査で、コミュニティを消失させるのは、内部との繋がりが強い核が無くなることでなく、外部とのネットワークを豊富に持つハブを失うことであると分析されています。この結果を踏まえると、社長が核であることの必然性は、情報革命後、薄れてきているように思えます。

結論として、これからの組織を作るのは、社長でなく「集う」人です。
一方、「集う」ことは、時代性も鑑みこれまでと違った新たな「描き」かたがありそうです。
私はそれは、時代の変化にあわせて組織の意味も変化している現代において組織に「居る(要る)」人を無くし「集う」人を増やすという「集う」人自身の意志と見極め(サイバーエージェントさんの取り組みが参考になります)、外部ネットワークとのハブ機能(ストラクチュアル・ホール)を育てるという育成、「集う」をデザインするキュレーションの3つがキーであるように思えます。


大あくび



2013年5月15日水曜日

飲食店 新規開店と老舗店舗の違いと共通点

会社の周りは再開発が進み、新しい大きなビルがどんどん建っていきます。
新しいビルには、多くの飲食店が出店しているので、昼食や会食で次にどんな店に寄ろうか楽しみが増えています。

これら、新規開店の店は、いくつか類似した問題を抱えているように感じます。

1.気配り、目配りが足りない
2.オペレーションがぎこちない
3.リピートさせる工夫がない

1については、例えば、おしぼりが出ない店がありました。店の方針だそうです。ところが一番最初に出てくるのがパン。パンをそのまま汚れているかもしれない手で食べてくださいというのは、親切じゃないですね。
また、何かを頼もうにも、店員が各テーブルを回っていません。遠くに居ても目配りがないのでこちらから呼びにいく始末です。

2については、例えば、ラストオーダーを取りに来て、オーダーした後、しばらくしてからその料理が出来るのに30分以上掛かると言いに来る店がありました。そもそもラストオーダーは店の事情ですから、店の事情に合わせた誘導が必要でしょう。ホール担当の理解不足か調理場とのリレーションが良くないのだと思われます。

そして重要なのが3。1、2の不満は恐らく、ほぼ全てのお客が感じていると察します。しかし、それらの不満はそのままでは潜在化しています。そして、潜在不満を持ったお客はシンプルに違う店に行くだけです。

レジで、「サービスは如何でしたか?何かご不満はございませんでしたでしょうか?」と一言聞けば、顧客の潜在不満を顕在化できて、そのお客の定着とサービス向上ための貴重な情報をいっしょに入手できると思うのですが、最近、使ったお店でそのような対応をした店は皆無です。

新しいお店は物珍しさから、一度は使ってみるけれど、二度とは使わないということが多いです。

それに対して、老舗店舗では、1、2はもう、嫌になっちゃうくらい完璧だったりします。頼みたいと思うとそこに人がいたり、離れていてもすぐに気づいてくれます。オーダーから食器を下げるところまで流れるように動き早く腰を上げるように仕向けることも珍しくありません。

しかし、3に関しては老舗店舗でも記憶にありません。

新規開店の店舗が老舗店舗に対して1、2の不利を挽回するために活用すべきなのがまさに利用者の生の声なのではないでしょうか。

実際、行き場の無い利用者のお店に対する不満の声は、ぐるなびや食べログやSNSなどのネットワークを使って利用者間で共有されているのですから・・・。

ところで、一歩引いて考えると、これは飲食店に限った課題ではないことに気づきます。
サービス化する全ての仕事に必要な視点であると言えるでしょう。


1.気配り、目配り ・・・目の前だけ見ていてはいけない
2.的確かつ迅速なオペレーション ・・・マイペースはNG
3.お客の要望、不満が常にフィードバックされるリピートへの工夫 ・・・ラーニングデバイスの配備など


見逃さないよ


2013年5月14日火曜日

「働くこと」とは

自分の周りに「働くこと」を考えるサインが3つ揃ったので一旦、私が考える「働くこと」を整理してみます。

「働く」とは「傍をらくにすること」という説がありますが、私が興味があるのはそういった情緒的な話でなく、「働く」という行為です。
そして、「働くこと」とは、行為をメタ認知する態度を示しています。

「私が働く」ってなんだろう?


では、「働く」とは、どのような行為なのでしょうか。蟻のえさ集め、蜂の蜜集め、鳥の巣作りなどなど、人間以外の生き物にも「働く」行為があります。「生きる」「子孫を残す」など自分自身や自分の属する種の継続、保存のための行為が「働く」と認識されます。

一方で、「働く」と認識されない行為の代表は「遊ぶ」です。(「遊ぶ」以外に「祭る」などもあるでしょう)
「遊びは、その活動そのものに内在する報酬を求める以外に、どんな動機によっても動機づけられない。」(M・J・エリス)という定義に則って考えると、「働く」とは外在する報酬を得ることで動機づけられていることになります。この場合、外在する報酬とは、生存や種の保存に直接的、間接的に結びつくものです。

さて、近代化が進むまで、第一次産業が「働く」行為の対象でした。それが、第二次産業、第三次産業と対象が広がりながら、またその中心が大きくシフトしています。それは、人間が「働く」という行為を自らが作り出した構造(産業という)によって創発していることを明らかにします。
私たちは働きながら働き方を変えているのです。(少しづつ、体力中心よりも知力中心に変わっているようです)

まとめると、人間にとって「働く」とは、限られた能力、体力への相対的な依存を小さくしながら、外在する報酬を最大化する行為なのではないでしょうか。



朝早くから「働く」

2013年5月13日月曜日

悪魔と天使の宴 俺様vs皆様

プラトーンという映画があります。その中で、主人公と取り巻く人物として登場するのがバーンズとエライアスという二人の人間です。この二人は対照的なキャラクターとして設定されています。

バーンズは力で現場を牛耳るタイプ。上官を超え、モラルを破り、そしてついには同じ国の兵士に対して引き金を引いてしまいます。

一方のエライアスは、バーンスよりも階級は一段低いのですが、高い戦闘能力を持ち、また一線を踏み越えない倫理観を持っています。その部分でバーンズと衝突します。

主役のテイラーが、戦場を離れながらも自分の中のバーンズとエライアスがこれからもずっと戦いあっていくというのだろうという予感を持って映画が終わります。

再びの引用となりますが、「現場とは「現在進行形」「具体性」「複雑性」「予測不可能性」「即興性」などの、5つのキーワードで彩られる場所(小田 2010)」といわれます。まずは、バーンズもエライアスも現場に適応する能力が高い設定であることがわかります。その二人のキャラ設定の違いは、その場合の適応において、局所的か、大局的かということでしょう。

言い方を換えると適応におけるセルフマネジメント(自己管理)がクローズかオープンかの違いではないでしょうか。

某社の会長、社長が決算を偽装して逮捕された際、「会社のため」と言いましたが、これは、クローズなセルフマネジメントの良い例でしょう。暗に「自分は悪くない」と言っています。

一方、オープンなセルフマネジメントに関しては、注意が必要です。「こうすべき」「こうでなくてはならない」という考え方はたとえそれが原理原則であったとしても、オープンではないからです。本人にとっては正義であっても、他者からはそう思えない、例えば、モンスター・ペアレンツ、モンスター・クレイマーなどが具体例です。

そして、オープンなセルフマネジメントの一つの姿が、あらゆる人、物への「感謝」ということなのだと思います。

まとめると、オープンなセルフマネジメントとは、非限定的に環境(自分以外の全て)と連携、連鎖する行為を指しており、クローズなセルフマネジメントとは限定的に環境と連携、連鎖する、もしくは、非連携、非連鎖な行為を指しています。また、世の中の偉人、達人を見渡すと、クローズも道を究める上で大切な瞬間になっていることがわかります。

この二つのセルフマネジメントは、病気などで環境を知覚できない人を除き、全ての人の心の中に「皆様と俺様」「感謝と他責」の葛藤として存在しているのでしょう。


気になる?気にならない?許せる?許せない?

2013年5月12日日曜日

「忘れる」という切り替え

隈研吾さん、林真理子さんの対談番組で、お二人とも「失敗はすぐに忘れる」という”特技”をお持ちだと語られていました。これは、クリエイティブな仕事をする上でとても重要だそうです。

このことについてちょっと考えてみます。

まず、この場合の「忘れる」という行為は、
1.記憶そのもの自体が無くなる
2.記憶を引き出せなくする
の2つを指しているように思います。これは、パソコンのハードディスクなど、電磁的記憶媒体のデータ消去に似ています。違いは、2は「消えたようにみえる」状態ですから、復旧することが出来ます。「嫌なことは早く忘れて」というときの「忘れる」は2でしょう。「呑みすぎで記憶が無くなる」ような場合は1なのかも知れません。
いずれにしても、記憶という内部情報が使えないことを意味しています。

さて、冒頭のお二人の文脈を考えると、1、2いずれもちょっと足りない印象です。意味としては「無かったことにする」くらいのほうが合っているように思えます。もっと好意をもって解釈するなら、「失敗とは考えない」と意味づけているのではないでしょうか。

理解としては、経験を「失敗」と位置づけることで、「やらないほうがいい」とか「やっても無駄だ」といった無力感を内面に醸成してしまうことを防ぐ達人の知恵です。

失敗することよりも失敗を恐れることのほうが望ましくない、と教えてくれます。

ところで私の場合は、物覚えが苦手なので、記憶は蓄積されているものでなく、都度、再現されるものだと考えています。
よって「忘れる」という行為は
1.記憶の再現が出来なくなる・・・あれ?何だっけ?
2.記憶の再現において意味が変わる・・・
と定義したいです。

これは、忘れたいけど忘れられない、ちょっと情けない自分と出会ったときにに便利です。

1は忘却曲線に則り、3日接しない(断つ)でいればいい感じになります。
2が上手くできるととてもポジティブに生きられます。突き詰めると、「意味がどう変わったかのか」ではなくて「意味を変えることはいいことだ(楽しい)」であることになるからです。
そして、「忘れられない」状態とは、要は「依存している」状態ですので、「忘れる」とは、依存しない、真の自分らしさ開放への入口に立つことが出来る=新しい自分を創発する瞬間なのでしょう。


365日24時間、新しい自分へ


2013年5月11日土曜日

神田明神神幸祭 雨の街を行く


先頭は一本歯の高下駄を履いた天狗


お馬さんに乗って


残念、雨対策のビニールでよく見えない・・・


牛は本物は無理だったみたい


カラフルな幟


白馬が連なる


一の宮 大己貴命(だいこく様) 
神輿は台車に乗っています


二の宮 少彦名命(えびす様)

三の宮 平将門命


神と神のニアミス?


街中を練り歩く長い列


相馬野馬追 騎馬武者が続きます


ちとこの馬、目つきがやばい


カッケー


おしまい