2013年3月31日日曜日

前向きな部長、後ろ向きな課長

上司の前向きな言葉が、部下を後ろ向きにさせる理由」というエントリーでは、不満に対してポジティブな言葉が意味をなさないこと、そして「共感する力」が大切であることを述べています。

そして、相手を前向きにできる以下の3つのステップを紹介してます。
■ステップ1:相手の気持ちを理解し、それを認める
■ステップ2:同意できる部分を見つける
■ステップ3:相手が前向きな感情を持っている対象を見つけて、その感情を強化する

これは、NVC(Non-Violent Communication,非暴力コミュニケーション)の、観察・感情・ニーズ・リクエストの4つの段階とも通じているように思います。

さて、上司・部下、部長・課長というのは組織における階層ですが、特性を分析すると面白いことがわかります。

上司、部長は、そもそも前向きな特性を持っているケースが多く、それは、新しいことや難しいことに接するとファイトが湧くタイプです。一方、部下、課長は、バランスを取ったり、仕事を安定させたり、無駄を省いたりすることが得意で、新しいことや難しいことはリスクであると感じるタイプです。

これは、階層に求められる役割にも起因すると思われます。そして、その役割に向けて自然と特性も最適化が進むのだと考えられます。

ある、大手の食品メーカーでは、新商品の開発に関して、役員、部長たちが、課長に対して物足りなく感じていましたが、調査したところ、まさに、役割に向けて特性の最適化が進んでいる状況でした。そして、後ろ向きな特性は、失敗を恐れ、何かと不満を言い易い特性でもあり、実際ES調査でも満足度が低く出ます。

この結果を踏まえると、後ろ向き(少なくとも前向きではない)な課長に対しては、「共感する力」をもってマネジメントすることが有効なのであり、前向きな課長に対しては、その限りではないでしょう。

仕事が複雑化し、部下、課長の仕事の役割が不明確(より挑戦的)になる以上、前向きな人材を採用、登用する重要性と、「共感する力」を上司、部長が高める必要性が増しています。


部下、課長は止まっていませんか?

2013年3月30日土曜日

残念なひらめき 偽装ひらめき

何かを思いついた時、その理由が説明出来るものが「ひらめき」、説明出来ないものが「直感」であると言われます。

「なんだかよくわからないけど、そう思う」と言ったほうが良い場面で、なぜか延々と説明をしようとすることがあります。つまり、「直感」なのに「ひらめき」にしようとする「偽装ひらめき」です。

恐らく、「ひらめき」にしたほうが「妥当性」「論理性」があって、もっともらしく見えるからでしょう。逆に、もっともらしく見せたいとき、人は、「直感」を「ひらめき」に置き換えようとするのかもしれません。

つまり、「いつもそのことを考えているんだ、そうしたらこんなことが思い浮かんだ」と言わざるを得ないとき、「偽装ひらめき」を述べるのでしょう。

ただ、本質は「直感」なので、全然、説明がついていない。背景や事情、理論を知っている人にとってみれば、面白い「直感」かもしませんが、全然、「論理的」でも「妥当」でもないわけです。

でも、それはそれで全然、良いことです。底の浅い「ひらめき」を恐れてはいけませんし、馬鹿にしてもいけないと思います。偽装に気づくことが大切な学びだからです。

さて、タイトルの「残念なひらめき」とは、本来、人よりも多くの知識や情報を持って「ひらめく」べき立場の人が、実は、自分の経験や狭い知識、好き嫌いのなかで展開する「ひらめき」です。これは、「ひらめき」でなく「直感」です。「うまく説明出来ないけど、大事そうだから」と言えばいいのに、それを、自分の経験や狭い知識で無理矢理説明しようとするのは「直感」の正当化でも質の悪い「偽装」です。

組織のなかで重要な立場の人間がそれを行うと、組織は落とし穴に嵌ることになります。

「何か思いついたとき、延々と説明が必要なら、それは、直感である
そして直感を(ひらめきに)偽装してはいけない」

以後、気をつけようとおもいました


直感は直感

2013年3月29日金曜日

15採用は iPS採用 だ!

4月1日には多くの企業で入社式があり、新入社員を向いいれます。そして、14採用がまさにこれから選考と内定の終盤に突入する段階です。

そんな時期に何ですが、今後の採用の新機軸は何でしょうか。

私はそれを 『 iPS採用 』 と呼んでいます。

不確定性が高い時代、何にでも適応し、実績を出してくれる、そんな人材を今の企業は必要としています。
例えば、グローバル人材が欠損していれば、グローバル人材にかわる万能新人。
例えば、現場を支える人材が足りなければ、現場で活躍する人材にかわる万能新人。

学力が高くても世の中の変化についていけない人(自分には関係ないとか自分だけは大丈夫、みたいな)を企業が雇用維持するのは今後も難しい、というか無理ゲー(こういう使い方でいいのかしら?)。なお、入社後は、「学力」が「経験」とか「職歴」に置き換わります。

実際、企業の採用戦略、戦術が多様化する兆しが明らかに見て取れます。
硬直的、保守的、単目的、出先機関的な採用活動はレッドデータブックですね。

学生も戦略思考になってきました(無駄な戦い(エントリー)はしない)
滅私奉公的な職業観は消えてゲーミフィケーション型の職業観が増えています。

学生が真剣に仕事を考えるようになると、成長を志向する学生は、ナンバーワン、オンリーワンを目指し、成長をそれほど志向しない学生はやりがいやスリルもしくは自分の好きなことを仕事にしようとする。結果、自律的職業選好、要するに自分軸が強まり、組織軸が弱まるわけです。

そこで、これまで、真っ白な学生(社会人に比べたら)を採用して、企業色に染めていくといったシナリオの採用活動から、自律性を高める学生から iPS学生(らしさも含め)を見極め、採用後の育成によってiPS社員化(培養)していく採用育成戦略が15採用からのトレンドになるものと思われます。


新芽が息吹く

2013年3月28日木曜日

はらっぱに雑草、すみっこに枯草

山口県生まれの近代の俳人、種田山頭火の読んだ句に


やつぱり一人がよろしい雑草
やつぱり一人はさみしい枯草

があります。

この2つの句、前半は一緒で韻を踏んでいるので似た印象ですが、「一人が」と「一人は」、「よろしい」と「さみしい」、「雑草」と「枯草」が対立的になっていて、句を並べると行ったり来たりするように感じます。


これを中原先生のある日のブログ、大人に必要な「ひとりの時間」:"はらっぱ"化する日常と、失われゆく"すみっこ"と合わせて読むと立体(3D)化します。

中原先生は「はらっぱ」をフラット化する社会、「すみっこ」を「異化する時間」、敢えて「独りになれる時間」の例えとして使われました。この表現、とても素敵です。

さて、自分なりに「はらっぱ」と「すみっこ」と「雑草」と「枯草」を立体化すると・・・

「はらっぱ」にも「すみっこ」にも「雑草」も「枯草」もあるのですが、どちらかというと「はらっぱ」には「雑草」が似合いそう。(だけど、「雑草」には実は「すみっこ」が必要(もしくは希望)である、というのが山頭火と中原先生の類似点だと考えます。)

一方、「すみっこ」にある「枯草」。「雑草」にとってみたら「贅沢な時間」なのかもしれません。でも、ほんとうはさみしい。

なんとなく、そんな風景を立体的に思い浮かべました。


水辺にひとり

2013年3月27日水曜日

茹で蛙と社会の転覆

「茹で蛙」(ゆでがえる)という言葉があります。

熱いお湯に生きた蛙を入れると当然、飛び跳ねて逃げ回ります。
ところが、水に蛙を入れ、だんだん熱していくと、蛙は心地よさを通り越して、危険な状態になっても逃げ出さずに最後は茹ってしまう・・・という話です。

この「茹で蛙」、バブル崩壊以降の経済状況下、日本の大手企業で働く人に教訓として語られることがあります。自分を取り巻く環境がどんどん悪化しているのに、いまの心地よさに身を委ねて保守的に仕事をしていてはいけない、ということを伝えることが目的です。

一方、ここ数日、昨年の衆議院選挙が無効であるとの判決が出ました。長年放置している怠慢として厳しい糾弾がはじまりました。これまでの司法判断が「違憲ではあるが、選挙結果は有効、なぜなら影響が大きいからね」としていたのに比べて、明らかに判断が厳しくなっています。

大型客船や大型タンカーは三角波など様々な波を想定して転覆しないよう設計されていますが、時として、この設計を超えた力が船を転覆させることがあります。通常では船が右に傾いたら次は左に揺れて復元する、その振れ幅の最大を想定して転覆しない安全な範囲となるよう設計していても想定外の振れ幅が自然界には存在しているのです。

東日本大震災のときの田老町のスーパー堤防が町を守れなかたことは記憶に新しいですね。

社会に目を転じてみると、自然界ほどの規模ではないものの、実は、このような転覆があちこちで起きているのだと思います。

大丈夫だろうという慢心、いまの心地よさに慣れて「茹だりかけている蛙」にとって、いきなり来る転覆は唐突に見えますが、実は、船もいきなり転覆するわけではなく、振れ幅が臨界をこえたとき(相転移)、問題となるわけです。

この社会の転覆、悪い話ばかりではありません。破壊的イノベーションは、その一例です。


そう、気づきましたね。
茹っていない蛙、船に乗っていない人にとって、実は、この転覆は他人事であるばかりか、時には革新に至るプロセスです。しかし、茹りつつある蛙、船に乗っている人にとってはまさに、破壊される死活問題なのです。

「茹で蛙」にならないためには、茹で蛙と船をメタファーにすると、1.茹りつつある鍋に入らない:振れ幅があって転覆しそうな船には乗らない、2.温度計を持つ:乗るなら救命胴衣を装着する、3.火をつける側にいる:転覆させる側にいる ことが大事です。


水族館では緊張感のないマイワシが出てきて、水槽に天敵のマグロ集団を入れるそうです。
マイワシにとっては、まさに死活問題。社会の転覆が起きます。
うまくいけば、マイワシの動きが良くなり、水族館の観客は喜び、担当者は褒められることでしょう・・・


ずべて振れています

2013年3月26日火曜日

ハードリピーターの原点

海外旅行者の数パーセントに満たないハードリピーターは業界売上の10%を担っていると聞いたことがあります。ハードリピーターは、どんなに仕事が忙しくても、週末にちょっと時間が空くと、直ぐに海外へひとっ飛びするくらい、海外旅行が大好きです。

一方、いろいろな人に「あなたは海外旅行をしたいですか?」と聞くと、かなり多くの割合で「はい」と答えるのですが、実際に、旅行に行く人は限られていて、経験としても新婚旅行とかイベント系の家族旅行が多いのだそうです。

では、どうすれば、ハードリピーターになるのでしょうか?

これは、恐らく、旅行だけでなく、遊園地やファッションやコンテンツ、食べ物などありとあらゆる領域の関心事だと思います。

様々な消費材の売上は、ハードリピーターに支えられていることがわかっています。
ですので、ハードリピーターを増やすということは、劇的に売上を増やせる可能性を秘めているのです。

これに対抗する考え方が、ネットビジネスで本格化したロングテール。少しづつ、多くのひとから集めて売上を増やす考え方で、Amazonなどはその代表ですね。ただ、最近のKindleとかみても、明らかに、リピート率を高めようとする戦略が見てとれます。最近も突然、商品の値段が上がったと騒がれていましたが売上、収益の改善に貪欲なようです。

され、話をハードリピーターに戻しますが、旅行のハードリピータに関して、人間の成長発達のプロセスと関係があるようです。もちろん、円高の進展(今は円安にふれていますが)など、取り巻く環境との共進性があるので、発達段階に全ての理由を求めるのは無理ですが、少なくとも、大きな要因のひとつとして捉えられます。

この、人間の発達段階にあわせた営業戦略は、世の中を見回してみると結構、多くて、ハンバーガーなど、小さいうちから経験を増やしリピーターを育成する取り組みなどは、まさにそれ。反○教育などもその類です。

また、最近、よく言われるグローバル人材なども社会人になる前の経験との関係性が分析されています。

ここで疑問なのは、私たちは発達段階にあわせて経験を蓄積して反射的もしくは理性的に判断しているのだろうか?ということです。

赤ちゃんの研究では、勾配から危険を回避(危ないから登らない)する学習は、ハイハイから二足歩行に移る際にリセットされてしまうようです。まあ、未発達な赤ちゃんだから・・・と侮る前に、実は、我々も、様々な局面、場面でリセットを繰り返していると考えることは出来ないでしょうか。

この考えを持つにきっかけになったのは、バーチャルコミュニティーへの参加を通してです。パソコン通信時代から、インフラ、デバイスの進化にあわせ、コミュニティーの場はどんどん移り変わっています。俯瞰して見ると中にはバーチャルコミュニティ自体に飽きてしまって辞める人も当然居るわけですので、穴の開いたバケツに水が流れ込んで、溜まっている、溜まったそばから水が流れ出て、流れ出るほうが少ないと水が溜まり、その、溜まっているバケツの場所が時間とともに移動するイメージなんですよね。流れ落ちた水がたまたまもとのバケツに入るとリピーターになるというわけです。早回しにすればするほど「たまたま」になります。

そう考えていくと日々行われるリセットのなかでハードリピーターとは、マクロで見れば、百年間継ぎ足し使っている秘伝のタレみないな「世界観」の問題なのかもしれません。一方、ミクロで見ると実際には秘伝のタレは数週間で中身は全て入れ替わっているわけなので、ストーリーとしての面白さはあっても、抽象度を上げたときにどこまで固有性を排除できるのかについては慎重になるべきでしょう。




源流を見ても河は語れない

2013年3月25日月曜日

記憶は引き出すのではなく復元するもの

私は写真を撮っているのですが撮り溜めた写真を見返すとき不思議な感覚を持ちます。
何気ない日常の一枚と、桜が満開でそれは見事な千鳥ヶ淵での一枚の撮影時を思い出す記憶にあまり違いがないのです。

写真を撮ること自体、何か気になるものがあってシャッターを押しているので、強ち、何気ないとも言えないのですが、なんでこんなの撮ったのだろう?という写真も結構あります。

しかし、その写真を見るとそのときの状況や、空気感や、場合によっては匂いまで思い出すことが出来ます。ところが私は記憶力が良いわけではないので、どう考えても記憶を引き出しているように思えません。

さらに、撮り溜めた写真を時系列に、iPhotoでペラペラ漫画のようにめくっていくとそれこそ走馬灯のように記憶が蘇ります。

そうなんです、記憶は蘇るものなのです。

こう考えると、悲しい思い出が薄らいだり、物忘れをしたりするのは引き出す力でなく蘇る力が弱くなった、つまり復元する力の変化を意味していると言えるでしょう。この復元する力はゆらいでいて常に少しづつ変化しているように思います。

このようにブログを書いたり、写真を撮ったり、またはメモを取る事は復元の手掛かりをあちこちに残しておくようなもの。それであれば私でも頑張っていろいろ覚えようとしなくても済みます。あー良かった(笑)。

しばらくぶりに手掛かりに触れ記憶が蘇るとき、微妙に違和感を覚えるのは、かつての自分と今の自分のズレ(変化)なのかもしれませんね。


何気ない瞬間

2013年3月24日日曜日

桜満開の千鳥ヶ淵を散歩する

半蔵門線半蔵門駅で降りて、まずは国立劇場に向かいます。
国立劇場には神代曙、小松乙女など染井吉野とは違う種類の桜が、その優美な満開の姿を見せてくれます。今年も満開です。
幸か不幸か、開花が例年よりも早かったこと、また、昨日の天気予報で、今日はあまり天気が良くないと言っていたことが重なり、人出はそれほど多くなく、絶好の花見となりました。
いつの間にか青空が覗く、穏やかな天気に桜が映えます。


国立劇場を後にすると、半蔵門に向かい、さらに、こちらも例年より人出が少ない中、お堀に沿って多くの人の流れと逆向きに歩いて千鳥ヶ淵を目指します。

千鳥ヶ淵は、それはもう見事に桜一色。言うことなし。


千鳥ヶ淵で桜を満喫したあと靖国神社に向かい標本木を見ます。もちろん、こちらも満開です。


さて、靖国神社境内のたくさんの出店と飲み食いで楽しそうな花見客を横目に、九段坂を下ります。
神社を出た右手の武道館ではどうやら大学の卒業式の模様。若い人で溢れかえっています。4月になると彼等も社会人。大きな学び直しが待っていますが、先鋭化する社会において、どのような適応をみせるのでしょうか。


そのまま九段下を抜け、神保町を目指します。都営三田線に乗って千石まで行き、六義園の枝垂桜を見るプランもあったのですが、神保町三省堂の近にある放心亭に流れついて、ドイツの生ビール、ソーセージ、にしんのリンゴ酢漬けをおいしく頂き、日曜午後が暮れていきます。


花で目を麦泡でのどをうるおす

2013年3月23日土曜日

夢と生活を天秤にかけられるのだろうか

今朝、東京芸大の4年生を取り上げたテレビ番組を見ていました。
卒業を控え、芸術の道に進むか、企業に就職するか、それぞれの悩みや葛藤を描いた番組です。

そのなかで、気になったことがあります。
親の関わり方です。

音楽の世界では、芸大に入学することは同年代にとってトップクラスに位置することを意味します。
但し、同年代ではトップクラスであっても、年代の壁が無くなるとトップクラスではなくなってしまう、つまり相対的な位置でしかない、ということです。
もちろん、年代を越えてトップクラスに成る可能性もあります。

さて、年代におけるトップになることも決して楽な事ではありません。
特に芸事は、親の支援がとても大きな意味を持ちます。番組では、部屋を防音に改造する為に父親は車を諦めたと言っていました。

人材マネジメントでは、発揮される力を以下の方程式で説明する事があります。

発揮能力=f(保有能力、態度)±g(環境)

この、方程式にあてはめてみると、「環境」の力が発揮能力を高める上で大切なことがよくわかります。
実は、芸事だけでなく、勉学においても同様です。東大生の親の収入が高いことがわかっています。良い環境は、親が作り維持しているのですね。さらに、環境だけでなく、親自身の価値観や夢が子供の「態度」の形成にも大きな影響を与えている可能性が大きいようです。

さて、番組のなかでソプラノ歌手を目指した女性は、就職活動を始め、そして、内定をひとつも得られずまた、夢に向かって・・・とありました。

注意しなくてはならないのは、「問題が尖鋭化すると生存可能性が低くなる」ことです。つまり、専門性を高めすぎると生活面のリスクが高くなります。芸術という、尖鋭度の高い領域では、ごくごく一部の成功者とその世界だけでは生きていけないその他多く存在といった図式になることは知られていますが、ビジネスの領域でも酒井 穣さんが指摘されているように仕事を得ることが、本当に難しく」なっていく、つまり尖鋭度が高まっているのです。(これから更に高まります)

そして、親の支援や影響力が生活面でのリスクを高め生存可能性を下げていることはないでしょうか?

親は子供の育成に関して、子供の夢や希望や適性を見極めたうえで、早期に環境に適応できる自律性を形成させるため、機敏で学習・適応能力の高いサバイバル力を高めるか、適切なポートフォリを組んで生存可能性を高める戦略的支援を行うかしっかりと考えたほうが良さそうです。



咲かせたい、いや、自ら咲くものである

2013年3月22日金曜日

信頼なき叱責

今日は、反省。

他者、特に上司が部下にフィードバックを行うときは、ポジ5ネガ1が良いと言われます。

「ここがいいよねー」とか「それ、すごい!」とかを5つ並べてから、「でも、ここがねぇ・・・」と1つ言うくらいじゃないと、フィードバックされた側が納得感を持って受け入れられないのです。

自分がフィードバックされる身であれば、至極、納得感があります。

たくさん褒められて、そのうえでちょこっとお小言を頂くのであれば、「まあ、聞いてやろうか」という気にもなります。

逆に、フィードバックする側だと、じつは、気になっているのが「お小言」だったりするので、「ちょっと・・・」「なんで・・・」「どうして・・・」「それじゃあ・・・」と、もう、マシンガンのごとく浴びせかけて、たまに、「いいところあるよ」と救っているつもりなんだけど、全然救っていない。

さらに、日頃の信頼関係、というより、無駄話を全然していない間柄で、役割だからと、お小言を言うのは、フィードバックではなく叱責です。

「これから世の中は」「誰々は」なんて言っちゃった日にはもう最悪。

フィードバックされた側は、麦踏みのごとく、踏みつけられて成長ホルモンが一気に出て強くなる可能性もありますが、「じゃあ、こうしてみよう」なんて類の前向きな行為の創発はおきないですね。


PCに大判ポストイットを貼りました。書いた言葉は・・・

”共感し、ほめて、ほめて、ほめて、ほめて  そんれから ダメ出しをしよう”


ほめてくれるかなー

2013年3月21日木曜日

結果と原因では行為を創発できない

私たちは、様々な活動の結果につき、たえず内省し、考察し、新たな行動に結びつけていると考えがちです。因果で物事を認知し、知覚、操作、記憶するという立場です。

しかし、日々のひとつひとつの行動はどれだけ詳細に認知、解明、知識化され、蓄積されているのでしょうか。一昨日の昼ごはんを思い出すのも難しいのに・・・ですよ?

例えば、「毎朝、同じ時間に起きて支度をし、会社に向う」、「立派な計画書や報告書を作成する」ことは出来るのに、「トイレに備えているハンドペーパーが無くなったら新しいものを補充する」、「お茶サーバー利用のルールを守る」、「朝、元気に挨拶する」、こんな簡単な日常的行動が改善されないのは何故でしょうか。

「躾が足りない」や「ルールが守れない」ことは、行為の原因になりますが、「周りが心地よい所作をする」、「ルールを自ら守る」という行為を創発するものではありません。(ここで言う「行為の創発」とは言葉通り、あくまでも自律的、自発的に発現する行為を指します)

そのことを考えていくと、「習慣」と言われる行動パターンは、思索的、経験的に蓄積された知識を操作して発生しているのではなく、「同じ事を繰り返す」というごく基本的な生命活動の拡張なのだと思うわけです。
つまり、拡張次第で「新たな習慣」を形成出来たり出来なかったりするのであり、「ルールを守る」ことを認知、操作の問題と捉えてしまうことにはそもそもの問題がありそう。

では、行為の創発には結果と原因ではなく何が必要なのでしょうか。

ここで大切なのは拡張する方向に破れていることでしょう。

えっ?あの人があんな犯罪を・・・しかも反省していない・・・

どんなに頭が良くても(計算、記憶、記述に優れていても)、自己中心化傾向を持つ人は、外部の構造を偏ってしか利用しないので、ルールが守れず、他者の認知や操作を非難し自己弁護に走るわけですね。自己中心化傾向とはこの場合、拡張しない方向に破れていることを意味しています。

あの人、生まれ変わったみたいに良くなったね!

一方、環境適応傾向を持つ人(謙虚な人)は、内省、考察によって生まれた構造を生かして新たな活動を行う、習慣を拡張する方向に破れいてるので「新たなルールを守り習慣化する」ことに長けていることになります。


もちろん、日々、人は複雑なルーチンを組み合わせて活動していますのでそんなにシンプルではありませんが、行為を創発するためには、外部の手掛かりを積極的に取り込む、要するに、”好き嫌いせずに何でもどんどん学ぶ方向に破れていましょう”ということですね。























破れて花咲く

2013年3月20日水曜日

記録を問う

”京都大と大手予備校の河合塾は11月から、全国の高校2年生約6万人が大学を経て社会人になるまでの約10年間の成長の過程を追跡する調査を始める。”
昨日の日経夕刊に出ていた記事です。

最近は、ライフログなど、デジタルデバイスを活用して自ら生活記録を残す人も増えて来ました。
また、電子決済の増加に伴い、購買履歴などのデータも勝手に蓄積される一方です。
アマゾンのリコメンド、楽天のアフェリエイト、Facebookの「いいね」など、気楽な行為がその人の”人となり”をバーチャル空間で創造していきます。

この創造は、決して良い面だけではありません。例えば、携帯電話の引き落とし遅延で住宅ローンが借りられないとか、クレジットカードを何気に数枚加入すると、無担保借り入れ枠が知らないうちにチェックされていたりとか、なりすましで逮捕された事件なども「記録」がもたらす新たな問題であり、確実に増えてきています。

さて、冒頭の記事。
この手の調査は何も今回が初めてではありませんが大々的にやる意味は何でしょう。
インフラとデバイスの普及は、大規模調査と経年蓄積を可能とし、サンプリングではない、日常生活の全量記録も夢では無くなって来ています。

詳細なデータが私たちにどんな気づきと変化を与えるのか・・・
これまで、データを集め、活用してきた身として、今、模索しているのは、膨大な記録ではなく活動を創発する自律性、自発性です。


データの花が開いて心は豊かになるのだろうか

2013年3月19日火曜日

データ分析の難しさ

情報処理の分野は、ここ20年で飛躍的に成長しました。最近では、Smart化によって、インフラとネットワークが統合され、私たちの生活に様々な変化をもたらしています。

いつの間にか、私たちの身の回りにデータや、データの入出力を司るデバイスが溢れ、今までになかった量と質で、データを分析するチャンスを増やしています。

これまで、様々なデータを扱い分析してきましたが、最近、こんな気になる記事がありました。

Our brains can be logical and compassionate — just not at the same time
(我々の脳は、理と情を別々に叶える)

Our brains have two very important functions that tend to work quite well — just not simultaneously. It turns out that when we’re being analytical, the empathetic parts of our brain shuts down, and vice versa. 

http://updates.io9.com/post/34761671294/our-brains-can-be-logical-and-compassionate-just-not

分析をするために、分析手法を学んだり、ツールの操作を覚えることにそれほど難しさは感じていないのですが、分析結果の受け手に結果を理解してもらうこと、さらにはその結果を持って語る意見や柔らかい(学術的検証が為されていない)仮説に共感を得ることは難しいことであると思います。

特に、データの裏づけがあっても、創造的な(経験則の生きない)意見、仮説への共感を得ることは難しく感じます。
共感を生むケースは、① 受け手に分析のスキルが備わっている場合、② 受け手が創造的な資質を備えている場合、③ ①②無くても事前の信頼関係がある場合のいずれかもしくは組み合わせでしょう。①②③全てが揃っている場合・・・振り返ると、素晴らしいナレッジが生まれています。

前述の記事を参考に考えると、受け手は、①②③が無いと、まず、分析者もしくは分析結果の分析取り掛かります。
「この分析者、または分析結果の論理的合理性どこにあるのだろうか」
そこに共感は生まれないからなのかもしれません。

昔、「踊る大走査線」の映画の中で、青島刑事や主役たちが論より情(情熱、友情など)で描かれたのに対して、データ分析を担当する若者の情感が乏しい人達として演出されていました。
アナリスト(分析担当者)って大概、ちょっと冷たい感じに描かれますね。


ヒュンと走り去る

2013年3月18日月曜日

主要100社は統計的に有意か

今日のニュースで新卒採用計画に関する記事が配信されていました。
この時期、就職活動をする学生、ならびにその親にとってとても気になる事でしょう。就職活動も、エントリーシートの提出などが終わり、もうすぐ、選考が一斉にはじまります。

さて、記事には最後に「調査対象の100社は企業規模や業績、採用実績などを考慮し、各業種の主要企業を選んだ」とありますが、これを持って世の中全般の動きと考えて良いのでしょうか?

ひとつはどうやってその100社を選んだのか、サンプリング計画の妥当性を検証する必要があります。その際は、日本の産業構造をベースにしたのか、気になるところです。
例えば、個人的には最近の成長力が高い企業の動向などです。また、そもそも100社で本当に信頼性が足るデータなのでしょうか。

それらを考えると、主要100社を対象とした調査結果の配信、というのは私にとっては「事実」ではなく、「読み物」であり、意図を持って作成された記事ということになります。


”就活生のみなさん(推測)が就職したいと思っていると(自分達が)判断した100社の動向という読み物”ということです。


データ集めは、とかくコストが掛かるもの。お手軽サンプリングは、自己責任で仮定作りのためのものであれば良いですが、受け手としては、まず、情報を見分けるリテラシーを持つことが大事です。


情報化社会の礎

2013年3月17日日曜日

近接領域で学ぶか飛躍領域で学ぶか・・・

今朝ほど、ある講座の情報を得て、申し込みをしようか悩みました。一旦、申し込みを決めて手続きを進めるうちに、とある提携カードの引き落としだと割引がある事がわかり、今度は、提携カードの申し込みを調べているうちに講座の申し込みを考え直すに至りました。

なぜ考え直したのかというと、「学びの領域」が違う事に気づいたからです。

「学びの領域」には、自分の現在の場所の周辺にある近接領域と、自分の現在の場所から離れた場所にある飛躍領域があると勝手に思っています。

近接領域は、言葉を変えればすぐに役立つ学習です。それは、仕事であってもプライベートであっても良いのですが、場合によっては、「あ、これ知っている」ということもあります。確からしさや一段上の知識を得るための学びです。

一方、飛躍領域は、初めて経験する、もしくは今すぐは役立たないかもしれない学習です。「へぇー、そうなんだ」とか「これってもしかしたら・・・」という風に新たな視界を与えてくれる学びです。

昔から反主流的なところがあり、トップブランドに価値を感じてこなかった自分なので、セルフブランディングとしても、飛躍領域での学びに力を入れたい、と気づいた朝でした。














飛躍する学びへ

2013年3月16日土曜日

商魂をみた

水天宮が耐震強度の関係で建て直しをするそうです。3月1日に、日本橋浜町の明治座前に仮移転しました。

そうすると、それまで無かった人の流れが生まれました。人形町界隈から新水天宮に向かう妊婦さんやまだ小さな赤ちゃんを連れた家族連れです。家族連れに関しては、夫婦に夫の両親、妻の両親を合わせた6人パックが標準です。

3月最初の戌の日は、それまで浜町界隈では見た事の無い行列が発生していました。また、人形町界隈から浜町に向かう、甘酒横町の人通りが増えました。

今までは、明治座で講演があるときの年配のご婦人が多かったのですが、明らかに違うセグメントです。

これは、甘酒横町の変化を予感させます。

そして、今日、今まで無かったものですが、和菓子屋の瓦せんべいに戌せんべいが生まれ、年配の婦人向けの洋服屋がマタニティーを扱いはじめていました。

一方、新水天宮周辺の飲食店で、前と変わらない店もまだあります。

チャンスを逃すまいとする姿勢ってわかりやすいです。


コンセプトよりもビジネス

2013年3月15日金曜日

採用を科学すると

この時期は、2014年に大学を卒業する学生の就職活動が佳境に入るタイミングです。
新卒一括採用の功罪も取りざたされていますが、組織が加入する新たな構成員を見極めることはどのような組織のおいても必ず生じるイベントです。(解体する組織を除きます)

応募する側と受け入れる側には、それぞれの思惑があって、短い時間の間に、確認したり、試したり、見極めたりと、もう少し悪い表現をするなら、演じたり、誤魔化したり、疑ったりと、それはもう、駆け引きのオンパレードみたいな状況になります。

これをメタに捉えると、応募する側、受け入れる側ともに活性が上がっている状態での出会いということになります。

ただし、この活性はベースとなる日頃の活性レベルにプラスオンされるものなので、今風に言えば「盛っている」状態です。

実際に新人が組織に参入すると、新人も組織も素顔に戻るのでギャップに驚くわけです。
これをリアリティ・ショックと言いますが、昨今、若年層の離職率の高さの一因となっているとも言われており、インターンシップなどを通じて素のお互いを確認する取り組みも増えてきています。

さて、採用というイベントを通して、大学から企業に人材の流れが生じます。流れが強いと売り手市場、弱いと買い手市場になるのですが、この流れは企業の環境とも密接に関連しています。

つまり、経営環境において成長や競争などが激しい企業ほど、人材にも強い流れを求めます。売り手になれる学生を積極的にたくさん受け入れようとするのです。


一方、成熟していたり寡占だったりして成長や競争が緩やかな企業には強い流れが流入しません。その会社に適した流れの学生をじっくり見極めて受け入れます。


ここからは仮定です。

「強い」とは、人数と適応的応答力である。


今後、考察を行いたいと思います。



飛びます

2013年3月14日木曜日

グーグルのオキシゲン・エイトと人望の研究


グーグルでは、管理職の質を上げるために「オキシゲン・プロジェクト」を立ち上げ、データ解析を行ったのち、いかの8つのマネジャーの重要な行動と3つの陥りやすい罠を表出し、活かしています。
この手のものは、原文のほうが正確です。

In order of importance the 8 top behaviours of managers are:

1.Be a good coach
2.Empower your team and don’t micromanage
3.Express interest in team members’ success and personal well-being
4.Don’t be a sissy: Be productive and results-oriented
5.Be a good communicator and listen to your team
6.Help your employees with career development
7.Have a clear vision and strategy for the team
8.Have key technical skills so you can help advise the team

In addition they identified 3 key  manager pitfalls:

1.Have trouble making a transition to the team
2..Lack a consistent approach to performance management and career development
3.Spend too little time managing and communicating



http://rapidbi.com/google-project-oxygen-8-point-plan-to-help-managers/ より

メンバーと、メンバーの今・未来に対して積極的で、対話を行い、具体的かつ明快な意志と仕事のツボを抑えているマネジャーがグーグルの目指すマネージャーの姿であるということです。
また、チームを放置したり、優柔不断な指導育成、管理や対話に時間を割かないといった落とし穴があると言っています。

資質要素に分解すると、効力感、明朗性、安定性、関わる姿勢、聞く姿勢、表現するちから、的確さ、自身の価値観などでしょう。

一方、山本七平氏は著作「人間集団における人望の研究―二人以上の部下を持つ人のために」のなかで『近思録』から人望について、次のような九つの徳目「九徳」を身につけることを、その具体的な到達目標としていることを紹介しています。

1.寛にして栗(寛大だが、しまりがある)
2.柔にして立(柔和だが、事の処理が出来る)
3.愿にして恭(まじめだが、ていねいで、つっけんどんでない)
4.乱にして敬(事を治める能力があるが、慎み深い)
5.擾にして毅(おとなしいが、内が強い)
6.直にして温(正直・率直だが温和)
7.簡にして廉(大まかだが、しっかりしている)
8.剛にして塞(剛健だが、うちも充実)
9.彊にして義(強勇だが、義しい)

「九徳」が無いのは以下の状態です。

寛大で結構なのだが、しまりがない
柔和でありがたいが、なにも処理できない
まじめなんだが、とっつきにくい
事を治める能力があるいのだが、尊大で高飛車だ
おとなしいが、しんがない
正直・率直なのだが、冷たい
まかせっきりなのは結構なのだが、何もつかんでいない
一見強いんだが、内はからっぽ
強勇なのは結構だが、無茶をするから困る

「九徳」が人の有り様を概念的に述べているので、具体的にしようとすると、業務スキルや能力などに拡大して、都合の良い解釈がうまれてしまう可能性がありそうです。
対して、オキシゲン・エイトは具体的な行動を述べていますが、概念的に捉えるとシンプルに「人望」のあるマネジャーの姿が浮かんできて、それは、スキル、能力志向ではないことが良くわかります。

オキシゲン・エイトは人望に至る行動と言ってもよいのではないでしょうか。


しまりがないのは愛嬌ということで・・・

2013年3月13日水曜日

人間ウオッチ 茂木健一郎さんのライブとテレビのギャップ

この一ヶ月の間に、生で2回、放送で1回、茂木健一郎さんを拝見する機会がありました。茂木さんをTwitterでフォローしているのですが、拝見するたびに印象が違って面白いです。


1回目は、青山ブックセンターでのトークイベント。茂木さんと池上高志さん、植田工さん、宮島達男さんが登壇されました。少人数でそんなに広くない場所でのイベントだったこともあってか、リラックスした雰囲気でかなり、マニアックな突っ込みもありました。

その中で、茂木さんが豹変したのが、観客からの質問タイム。質問された方にものすごく攻撃的でした。茂木さんはそれが自分のコミュニケーションスタイルだと、述べていましたが、その後、Twitterでも謝罪?していたので後から配慮が必要と考えられたのでしょうね。

伏線は2つあったのかもしれません。一つは前日に、登壇者の池上さんが誰かと議論のうえ殴られたらしい出来事に対する怒り。もう一つは、2X3が正解で3X2が不正解とする小学校の算数教育についての怒り。

2回目は、慶應日吉協生館でのシンポジウム。プレゼンとパネルディスカッション。茂木 健一郎さん、池上 高志さん(!)、前野 隆司さんが登壇されました。こちらはかなり広い会場ですが、割りと高齢の方が多かったかな。風邪をひいてどうも高熱がありそうということで、前回にくらべるとかなり大人しい印象でした。

そんな中、どうやら、茂木さんと前野さんに親交があって、前野さん主宰のシンポジウムに登壇を決め、さらに茂木さんが親交のある池上さん(本当に仲が良さそう)を誘われたようで、前野さんと池上さんはあまり接点が無かったのでしょう。そして、ディスカッションの中で前野さんと池上さんが熱くバトルを始めると、茂木さんは、どうしたものかと体調が悪い中、うろうろ壇上を歩き回ってお互いの立場を尊重されていました。

こういうケース、確かに、茂木さんの立場だと困るでしょうね。しかも、体調が悪く、いまひとつ議論の中心に位置できないのに・・・。


茂木さんの体調ですが、Twitterでのつぶやきでは、シンポジウムの直前に行っていたパリのルーブル美術館でのお仕事で風邪をひかれたようでした。

そのルーブル美術館でのお仕事が昨日、テレビで放映されていました。

風邪をひかれる前で元気そう(当たり前ですね)。しかも、編集が入っているので、明るくやさしく知識に溢れた茂木さんが其処にいらっしゃいました。



これらのギャップに接して、自分にとって一番、学べたのは「怒れる茂木さん」です。次が、「風邪をひいた茂木さん」(笑)、一番、印象が無いのが「テレビのなかの茂木さん」ですね。

やはり、人は心からの怒りを持って真剣に語っているときが一番、伝わるのでしょう。

自分ごととしては、「風邪をひいた茂木さん」(調整役)「テレビのなかの茂木さん」(解説役)にあまりならないようにしたいです。


真剣さが伝わる
『ANGER from the Bottom(地底からの怒り)』
ビートたけし×ヤノベケンジ コラボレーション作品

2013年3月12日火曜日

グローバル人材を採用した

仕事柄、グローバル人材の採用に関してお客様と話をします。

そこで、実際にグローバル人材の採用に取り組みました。
結果は、中国の留学生1名に内定を出し、4月よりメンバーになります。

並行して日本の学生の採用活動も行っているのですが、みなさんが仰るとおり、モチベーションの差に愕然としました。また、留学生はレベルとしても優秀ですし、中にはこの4月から大学院に入学する人が応募してきたりと、仕事に関して真剣そのものです。

選考の基準は、日本人でも外国人でも変えることはありませんでしたが、日本人よりも気になるのはやはり、日本語がどのくらい話せるのかと、ナショナリズムに関して。例えば、お客様のところに行って領土問題の議論になったら困る、なんてことも考えました。要らぬ気苦労かもしれません。

新メンバーを向かい入れるにあたって、グローバル人材の研究をされている先生にも助言を頂いたし(ありがとうございます)、今から入社後が楽しみです。



今、秋葉原のAKB劇場があるビルに昔、T-ZONEというパソコンショップが入っていました。店員の方にアジア系(インドかな?)の方が居て、ちょっとクセのある日本語で接客してくれた記憶があります。PCに詳しかったので採用したのでしょうね、きっと。

また、有楽町の高架下にある「新日の基」という居酒屋は外国人の店員がたくさん居て珍しかったです(外国人のお客さんもたくさんですが・・・)

こんなことが記憶にあるようでは私の中のグローバル意識、ぜんぜんダメなのでしょうね・・・


桜はまだかいな・・・

2013年3月11日月曜日

やすらかに・・・

もう2年なのか、まだ2年なのかわかりません

昨日のようにあの日、あの時を思い出します



震災で亡くなられた多くの方々に黙祷を奉げます


合掌


2013年3月11日14時46分

2013年3月10日日曜日

桜木あたり

根津から住宅地を抜けて坂を登ると小高い山の上にでる。もう少し正確に云うなら、文京区の根津と台東区の池之端の境目を進み、坂道を登っていったところが桜木である。

ここは、東京芸術大学の裏側にあたる地域だが、昔、上野周辺にお寺が集められた経緯から、道を往くと多くのお寺に行き当たることもあり、感性と静寂と歴史を感じることができる一帯だ。まだ、木造の古い住宅も点在し、街を彩っている。

この時代に古い住宅に住む人は、何らかのこだわりがあるのだろう、良く手入れされている印象で、街への愛情をも感じさせる。また、それらの住宅を改装して店舗にしている店も見当たり、それらの店には何がしかのアートがあって、古さのなかに新しい感性が息づいている。

その中の1つの店、店主は、齢六十過ぎの女性であった。

品の良いその店主は、私が店に入ると、すかさず持っていたデジタル一眼カメラを見て
「今日は、よい被写体に出会えましたか?」と声を掛けてきた。
その店主は、店を始める前、プリントラボをやっていたらしい。写真フィルムを現像する仕事である。

カメラがデジタルになり、コダックやポラロイドなどフィルムメーカーが倒産しているなか、現像が仕事として成立しなくなったのだろう。それまで、どのくらいその仕事にこだわり、愛していたのかその店主が語る事は無かった。

数年前に全ての現像機材を処分したというその店主は、オリジナル雑貨、セレクト雑貨が並ぶお店の中、真ん中に吊るされた数多くのカラフルなカメラストラップの前でつぶやいた。

「自分で撮った写真の現像もできないのが寂しいですよ・・・」


桜木あたり、この一体が桜の花で染まる季節がもうすぐそこに来ている。


アートがある街、生活




2013年3月9日土曜日

演じる ということなめてはいけない

今月は何故か、舞台を2つ見る事になりました。

日頃、舞台を見る機会が非常に少ない身としてはとても珍しい出来事です。

1つめは昨日見て来た「久保田万太郎作品その二十三 「雨空」「三の酉」」です。同級生が出演しています。
「雨空」は大正9年、「三の酉」は昭和31年の作品のようです。現代とは違った「言葉」「場面」「人間関係」を舞台を通して感じることができました。正直、ちょっとわかりにくいところもありましたが作品で語られているテーマは情感に溢れ、ベテラン俳優の演技もあって、じわじわ心に染みてくる感じです。

もう一つは来週見る、「TSUWAMONO - WE LOVE the EARTH」です。子供が出演します。こちらはどうやら「未来」がテーマのよう。若い俳優さんたちがどんな舞台を見せてくれるのか楽しみです。

「役を演じること」を軽く見てはいけません。
子供に聞きましたが稽古は半端じゃないようです。
稽古に比べたら研修なんて、配役の段階でしかないと思いました。私たちはそのあとにどれくらいハードな稽古を積んだうえで仕事という「本番」に望んでいるのか、稽古もせずに本番に望んでいないか、それを考えるための時期(タイミング)を迎えている気がします。


何事にも時期がある

2013年3月8日金曜日

3つの素な周期運動 人編

3つの素な周期運動が創発を生む。人にもあてはまる仮定であると考えます。



パーソナリティデータを分析すると3つのタイプが見えてきます。

この3つのタイプは車で言うと、エンジン、足回り、ハンドルの役割です。

アクセルを踏むとエンジンの回転数が上がりタイヤが回ります。これがエンジンの役割。

スピードが上がると、地面の凸凹で車が激しく突き上げられます。それらの振動をタイヤやサスペンションで吸収して、車体を安定させます。また、ブレーキにより減速することも車体を安定させます。これが足回りの役割。

スピードが上がると直進性が増しますが、進路を変えるためにハンドルを操作してタイヤの向きを変えます。これが、ハンドルの役割です。

組織になかで3つのタイプはお互いに連携しているのですが、バランスが崩れるといろんなことが起きてきます。

エンジンが強いが、足回り、ハンドルが弱い・・・猪突猛進、パワフルながら不安定。クラッシュします。

足回りが強くて、エンジン、ハンドルが弱い・・・安定していますが、進みません。上り坂で止まります。

ハンドルの効きが強い・・・すぐ右左へとふらつきます。


現在は経済環境は上り坂の悪路。


この道を進むためには、エンジンが強く、かつ、ダイレクトなハンドル裁きが重要です。足回りも大切ですが重荷にならないよう、軽量化が求められます。



Let's FUN !

2013年3月7日木曜日

組織でのイノベーションのチェックポイント:ストレンジアトラクターはありますか?

今日は創発について思いを馳せました。キーワードは、ストレンジアトラクター。
まずは、アトラクターって何?からはじめます。

アトラクター(英: attractor)とは、ある力学系がそこに向かって時間発展をする集合のことである。 その力学系において、アトラクターに十分近い点から運動するとき、そのアトラクターに十分近いままであり続ける。アトラクターの形状は点や曲線、多様体、さらにフラクタル構造を持った複雑な集合であるストレンジアトラクターなどをとりうる。 カオスな力学系に対してアトラクターを描写することは、現在においてもカオス理論における一つの研究課題である。 アトラクターに含まれる軌道は、そのアトラクターの内部にとどまり続けること以外に制限はなく、周期的であったり、カオス的であったりする。(Wikipediaより引用)

「アトラクター」を考えることは創発において非常に重要だと考えています。「アトラクター」という言葉には馴染みが無いかもしれませんが、「アトラクション」と言う言葉はよく聞くと思います。遊園地の乗り物や集客イベントを「アトラクション」と言いますね。言葉の意味は、「引き付けるもの」、物理で使うと「引力」です。

人の関わりにおける「アトラクター」とは何でしょうか。

例えば「カリスマ○○○」とか、人脈とか、「○○ブーム」などがそれに該当すると思います。

さて、組織でのイノベーションとの関係性で考えると、「そこに向って時間発展する集合」だけでは、ちょっと物足りない感じです。なぜなら、組織内でアンオフィシャルなネットワークが活性化してもイノベーションが起きるとは思えないからです。(アンオフィシャルなネットワークが活性化することは大切です)

昨日、お会いした方は現在のポジションでの職責を大きく越えて様々な人を巻き込む動きをしていました。しかも、その根底には社長の考え方が貫かれています。その方の活動がやがて「時間発展する集合」となるのか否かはわかりませんがイノベーションを生み出す可能性のある活動であることには違いないと感じました。その方の周囲にアトラクターが発生する場合、それは、社長の考えと相似形(フラクタル)であるストレンジアトラクターとなるでしょう。

フラクタルであるか否か・・・破壊的イノベーションに対峙する、改善ではない持続的イノベーションの本質がそこにあるかもしれません。


フラクタルな世界へ


2013年3月6日水曜日

人材データベースは「どこでもドア」である

もう、10年ほど前から情報システムにおける人のデータの蓄積と活用が議論されています。所謂、人材DB(データベース)と呼ばれるものがそれにあたります。

人材DBの議論がなかなか定まらないのはいくつかの理由があると思います。

そのひとつがデータの活用と人材の活用の混同です。

最近はビックデータ等、人に関わる大量の情報を様々な局面で活用しようとしています。それは、データと活用が1対1で無くなくなり多次元化していることを示しています。
例えば、IDとパスワードの対の関係は1対1が確保されます。
ところが、私がフェイスブックにインプットした情報は1対多の関係ですし、フェイスブックなどのSNSでは多対多の関係(社会化)がデータと活用の間で構築されています。

データの多様性が増えれば増えるほどデータ相互の関係性に新たな発見が生まれます。データマイニングと呼ばれる領域で、今後、さらに発展が見込まれます。

改めて言うまでも有りませんが、データの蓄積やマイニングは人材の活用ではありません。(肝)

一方、人材の活用でここ数年話題なのが「グローバル人材」です。
企業が世界のマーケットを視野に入れて事業展開する能力を高めないと、技術進歩などによる物理的な制約が弱まったり、TPPなど規制緩和での制度的障壁の消滅が進み、フラット化する社会において淘汰されてしまう時代がいよいよ目の前にあります。
これら事業テーマと人材の活用を一緒に議論することは大事ですが、人という領域は、極めて古くから多くの議論があり、これまでも、おそらくこれからも議論や挑戦、失敗がずーっと続くものだと思います。

整理します。

加速度的に蓄積・多様化し新たな発見が生まれるデータの領域と、普遍的に過去から未来永劫続くと思われる人材の議論。そして、その間にあるのが人材DBです。

最近、トヨタクラウンの宣伝でたけしにジャン・レノ扮するドラえもんが言っていますね。

た「どこでもドア、あんたもっているだろ?」
ジ「もってる」
た「あれどっちが入口でどっちが出口なの?」
ジ「どっちも」
た「あんたでもわかんないことがあるんだ」
ジ「つまらないでしょ、全部わかったら」
た「あっ、出口だ」
ジ「入口だよ、未来の」

人材DB編にしてみましょう


「人材DB、あんたもっているだろ?」
「もってる」
「あれどっちが人材の活用でどっちがデータの活用なの?」
「どっちも」
「あんたでもわかんないことがあるんだ」
「つまらないでしょ、全部わかったら」
「あっ、データの活用だ」
「人材の活用だよ、未来の」(逆バージョンも成立します(^^)

人材DBというドアを介して、データの活用と人材の活用を行ったりきたりするのです。

ところで、「どこでもドア」ってあったらいいなーという空想の品ですよね・・・
人材DB作りって、じつは「どこでもドア」を作る工程なのだと思います。


その先に未来がある





2013年3月5日火曜日

挑戦しないのはなぜ? 幸福と革新

昨日、前野さんは幸福と革新の関係性を示していらっしゃいました。
根拠となるアンケート調査の分析データもあるようです。

一方、池上さんのセッションでは、デフォルトモードネットワークのお話がありました。
安静時の脳が活動している状態を、デフォルトモードネットワークといい、同期性のある活動を行っているようです。

Spontaneous break up of Periodicity lead to Happiness.

(周期的な動きの自発的な破れが「幸福」へ導く)

いかにも複雑系ですが、個人的にはすごくしっくりきます。

なぜなら、私たちの仕事(のうち核心部分)は、この「周期性の自発的な破れ」に呼応して発生する仕事だからです。平たく言えば、日常における挑戦です。一緒に仕事を関わらせて頂く方々は間違いなく挑戦者です。だってそうでしょ?もう、私たちの会社を選ぶだけですでに挑戦です(笑)

余談ですが、私たちのような会社がどのくらい成長しているかが挑戦する社会のKPI(Key Performance Indicators)なわけです。

さて、「周期性の自発的な破れ」により生まれる新たな潮流が何かを生み出している状態、つまりそれは創発です。

そして人間の行動レベルでの「自発的な破れ」を私たちは「挑戦」と呼び、それに原始的な幸福感を持つ人が「挑戦者」なのだと考えています。予定”不”調和な人です。

一方で、周期的な動き自体も「幸福」であることがわかっています。ずっと同じ事を繰り返していると楽しくなるのです。そもそも「周期的な動き」を人は好むのです。みんなで輪になってドラムやパーカッションを叩くとそれだけで楽しいです。この場合は「リズム」という周期と共体験が幸福感を高めるのでしょう。

一番最初の話に戻りますが、幸福と革新に正の関係性があるとしても、それは前述のような理由で考えれば、幸福な人が革新を起こすわけではないことがわかってきます。挑戦しない人が皆、不幸であるともとても思えませんし・・・
だって、「このままじゃダメだ」とか言いながら、予算が取れないので、と言って挑戦(できない)しないけど、その割には結構、幸せそうに見える・・・というのは穿った視線でしょうかね。


1時間掛けて花の名を調べるという「自発的な破れ」


2013年3月4日月曜日

脳と心の幸福を考える

今日、参加したシンポジウムのタイトルです。

風邪、発熱でいつもより元気の無い茂木健一郎さん、最後には切れ味の本領を発揮した池上高志さん、幸福を因子分析した前野隆司さんという三名の論客のプレゼンとパネルディスカッションは、なかなか面白かったです。(あー幸せ)

印象に残ったキーワードは、茂木さんは「Experienced Utility」振り返って得られる満足による幸福。池上さんは「Phasing」繰り返しとちょっとづつずれていくと表れるCatharsis(カタルシス)による幸福。前野さんは「4つの因子」による幸福。

池上さんと前野さんがパネルでバトルしたのですが、「科学を統計で語るな」という池上さんと、「まったく賛成ですよ、一面では」と自分と池上さんの考えが違うと切り分ける前野さん、体調も悪くウロウロしながらまとめようとしている茂木さん、の衝突で幕を閉じたのでした。

因子分析をつかって「幸福」を考える前野さんのアプローチは、仕事上、馴染みがあるのですが、今日は池上さんの意見を支持します。

池上さんの意見は、「科学っていうもの別に知識を切り売りしたらこういうものですよ、っていうものではないんです。科学って言うのはもっと人間的なものだし、科学的な考え方は何かといったら定量して統計的にやって見せるものではないんですよ。科学はもっと根源的なもののわけ。」ということでした。

池上さんは、流行のビッグデータなどの解析もやっていらっしゃるので科学的アプローチを否定している話ではまったくなく、アンケートデータの統計的処理とナレッジ化が科学的な考え方であるという立場が許容出来ないのですね。

どこまでがFACTで、どこからがTURTHなのか、そして、実際に生活のなかに息づくFACTとTRUTHのリアリティの発見、つまり科学と生活の一体性という、科学的にデータを扱う者の心得を説かれたのだと感じた一日でした。


なつかしの母校の売店。まだあった!

2013年3月3日日曜日

ことばというのは

「ことばはたった一つですけれども、ほんとうにわかったというときには、(中略)人生の一部がほんとうにわかっていくのではないだろうかと思います」(刈谷夏子著「大村はま 優劣のかなたに」より抜粋)

ことばには「ラング」と「パロール」があるとフィルディナン・ド・ソシュールは考えました。

簡単にすると、「ラング」は社会全体で共有されるもの、「パロール」は個人がラングを具体的に使ったものです。

私たちは常日頃、何気なくことばを使います。ところが伝えたい事と伝わる事には常にギャップがあります。それは、脳が「理解」するということは、自分が保有するデータに引き当て物事を認知するプロセスです。コミュニケーションとはある意味、経験のコンバージョンなのですね。
コミュニケーションのツールとして利用する「ことば」は、記号体系であり、記号の交換ではかなり情報が縮約されてしまいます。

要するに「たった一つのことばがほんとうにわかる」というのは、とても難しく、一方でホリスティックな出来事なんです。

「ことばはほんとうにそういう力がある、人間と言うものを開いて見せる窓というような気持ちがいたします」(同前)


気持ちのいい一日

2013年3月2日土曜日

振れ幅で進む

「性格って変わらないのですか?」

仕事でパーソナリティの測定をしている関係上、こんな質問をたまに受けます。この質問には二つの問いが内在されていて、
1.正しく測定出来ているのですか?
2.結果は変わるのじゃないですか?
と言うのが質問された方が聞きたいことだと思います。

「人を正しく測定する」ことって、そもそも何が正しいのかを議論する必要があります。例えば、自己回答のアンケート形式だと、勘違いや恣意的な回答があり得ます。また、他者が観察した場合、必ず何らかのバイアスが掛かっています。学力テストだって、コンディションによって結果は変わります。学習効果もあるので、対策が有効になります。現在行われている「人の測定」は、それらの影響性を出来るだけ少なくするよう作られていますので「正しく測定」しようと工夫している、というのが1の答えです。

つぎに結果は変わるのじゃないか。
検証結果から言えば、変わるけど幅がある。つまり、性格は幅で考えるものである、ということです。この振れ幅を越えると、本人にとっても、周囲にとってもいろいろ社会的に不都合が生じるようです。

さて、この振れ幅の大きさが創発の推力なのではないかというのが今日の仮定です。

たとえば、スティーブ・ジョブス。エキセントリックに完璧を目指す一方、禅に傾倒していました。すごい振れ幅です。
この視点で人を見ていくと、新たな発見があります。実は人の成長を実感するときって、この振れ幅を感じているように思えるのです。


振れてちょうだい

2013年3月1日金曜日

職場環境のデザイン 音編

仕事に集中したり、気持ちを切り替えたりしながらも、常に前向きな空気がある職場にしたいと考えていますが、そのひとつの取り組みとして、昨日、職場の音について試行段階から一歩踏み込みました。

現在のオフィスに移転した際、音のある職場にしたく、サラウンドのお手ごろな機材(小型のスピーカーが6個もある)を準備しました。環境音が欲しかったのです。これは、防災設備の関係上、執務室と廊下が完全に遮断されていないこともあってサウンドカーテンとして設置した側面もあります。


次にどのような音楽を流すか、です。

まず、屋久島の自然音のCDを流しました。これは、自然の音なので、ある意味、まったく刺激の無い音です。やがてメンバーが刺激を欲して、クラシックベースの音楽を流すようになりました。ただ、音楽になるとある程度聞くとどうも飽きてくるようです。CDを変えたりしていましたが段々、メンバーも面倒くさいし、音に興味が無くなって来ました。

そんな折、内田洋行さんのオフィスを見学させて頂くと、やはり職場に音がありました。ご説明頂くと、自然音と軽音楽を混ぜて流しているとのこと(しかも、圧縮なしの音源!)

これはいいアイデアです。環境音と音楽を混ぜることで、無機質なオフィスに自然な雰囲気かつ適度の刺激がある環境を演出できそうです。

ただ、同じような機材をさらに置くのは本望ではありません。また、CD1枚のリピートは飽きます。

そこで、インターネットラジオに注目しました。これだといろいろ選べて、エンドレスに流せてしかも無料です。

そこで、実験的にタブレットに小型のスピーカーを繋いで音楽を流してみました。メンバーからのクレームもないようなので、いよいよ小型スピーカー(あまりに音が悪い)を止めてBOSEのスピーカーを準備しました。BLUETOOTH(無線)で繋がるものです。

やはり音質は雲泥の差。

現在は、環境音として屋久島の音をエンドレスで流し、手元のタブレットからインターネットラジオに接続し、バロックやイージーリスニングの音楽を無線でスピーカーに飛ばしています。(スマート!)

カフェのようにリラックスしたり、集中したり、対話がおきて、言い争いが減る職場。
初めて執務室に入った瞬間でも緊張がすこし溶けるような職場。

サードプレイスではないものの、セカンドプレイス+αみたいな環境にしたいので、これからもいろいろ試してみます。


次は窓辺でレタスの水耕栽培をやりたい(^^;