2013年2月28日木曜日

芽を踏みつけるもの

自分の体験談ですが、新しい会社で勤め始めて間もなく、必ず想いを挫く出来事がありました。新卒で入った会社では、社内旅行での酔った上司のしつこい説教、中途で入った会社では、貢献意欲に対する横槍がそれです。タイミング的には以下のような感じです。

1.不安な気持ちで入社
2.すこし慣れて周りが見える
3.こうしたら良いのではないかと想う
4.その想いを言葉や行動にしてみる
5.想いを挫く出来事がおこる

5は1から半年後くらいでしょうか。

5のことをクリティカルインシデントと呼びます。

会社と言う組織に入って会社色に染まっていく過程を組織社会化と呼びますが、クリティカルインシデントは、その後の行動に大きな影響を与える出来事です。

たとえば、私はその一撃で貢献意欲が吹っ飛びました(そのときは言われたことだけやろう・・・となった)。

クリティカルなので、本人にとってちょっとした出来事では済まないことです。

これは排除すべきプロセスなのでしょうか?

麦は、強く成長するために踏みつけます(麦踏み)。
踏まれた麦は、エチレンを出して自らを強化します(強くなる)。

人も、組織の中で成長するためには挫けるプロセスが必要です。
ただ人によっては挫けた後、自らを強めるのでなく、自己限定的になり問題を回避するようになってしまいます。変えられない過去によって未来が閉塞している人は後者のパターンだと思います。
(もちろん、本人の問題だけでなく、挫く出来事の大きさにもよりますね)

人は麦のように均質ではありませんから、人を受け入れる側(踏みつける者)は5に関して、ちゃんとデザイン(方法と結果を考える)し実践することが重要だと思います。特に、多様性を大切にするのであればなおさらです。

受け入れる側が自分のスタイルや割り切った方法論(あるべき論)で踏みつけると、本当の事故(インシデント)になってしまいます。


サクラはまだかいな

2013年2月27日水曜日

繋がることは創発の起点

昨晩は、会社の仲間のお祝いで上海蟹をご馳走しました。先日の東京マラソンを4時間を切る3時間59分12秒の好タイムで完走したのです。自己ベストを20分更新だし、素晴らしい!

彼は、新年の抱負で今年の目標として4時間を切ること(サブフォーと言うそうです)を公言していました。実際に切れたら上海蟹をご馳走する約束をしていたので、早速、実行した次第です。

こういう約束が果たせるってうれしいですね。

さて、食事をしながら面白いエピソードを聞きました。

彼がフルマラソンを始めるきっかけとなった知り合いの方も東京マラソンを走っていて、コースの途中で出合ったそうなのです。それも、数十メートル手前からその方がはっきりと見えたそうです。

群衆の中から特定の人を見つけす能力を人間は持っているようです。私たちは、人類がかつてジャングルの中で生活していたとき、天敵をいち早く見つけ出して身を守るためにつけた力を日常生活の様々な場面で活用しています。

溢れかえる商品の山からたった一つの商品を見つけ出すことが出来るのもこの力かもしれません。”検索”など何かを見つけ出す機能が非常に役に立つと感じるのも、経験から学ぶというよりは本能的にわかっていることなのではないでしょうか。

また、ある程度の経験が必要ですが、仕事で集計表や報告書を俯瞰して見ていると計算間違いや誤字が浮き上がってきます。見つけ出す能力って何気にすごい力です。


一方、見つけ出す能力と、背景にあるストーリーはまた別物ですので、きっかけを作ってくれた人との再会はご縁というより不思議な繋がりを感じます。言い方を変えると、一度出来た経路が偶発的に強化されたプロセスであると言えます。偶然の再会を”不思議”と感じるのはそこに価値意識があるからだと考えます。

フェイスブックなどSNSは繋がりの経路を強化する機能を持っているので、上手く繋がると創発をおこせるかもしれませんね。シカゴ大学のロナルド・バートが名づけた「ストラクチュアル・ホール」の概念が”上手く繋がる”イメージです。


実は、今回のお祝いが上海蟹だったのは、フェイスブックで繋がっている食事会で、先日、蟹を食する機会があったからでした。

走るきっかけと食するきっかけが重なり合って、、美味しいお祝いという「創発」(と表現したい)にありつけたわけです(^^)v


ちなみに、上海蟹はもうすぐシーズンオフだそうですので食べたい方はお早めに。


「やってみなければわからない」話は、また明日へ(^^;



創発した上海蟹!

2013年2月26日火曜日

デザインと現実のギャップ

何事も描いた通りには進みません。

キャリアをデザインし、自分の未来を描いても、実際にその通りになる人は少ないものと思われます。
一方で、偶発的な出来事が、その後の人生に大きな影響を与えたりするもの。何事もやってみなければわからないものです。

明日へ続く



この先、何があるかわからない

2013年2月25日月曜日

オブジェクト指向と構造化

プログラミングに関わった経験のある方は、「オブジェクト指向」や「構造化」は、馴染みのある言葉だと思います。


人や組織にこの考えを当てはめることはできるでしょうか。


人と人の関わりで全体がどう機能するのか、例えば、チーム編制の議論は、オブジェクト指向でおこなうべきだと考えます。

一方、組織目的を果たすために、機能を定義し組織図を描くのは構造化での議論が適していると思います。


チーム編制を分析すると、直接的にパフォーマンスを発揮しないけど、チームのパフォーマンスに良い影響をもたらす人がいます。場を和ませたり、皆が可愛がったりする人ですね。チームのムードメーカーです。

ただ、それ以外にもメンバーのパフォーマンスを引き上げるのが、実はローパフォーマーの存在である、という可能性もありそうです。「あいつのようにはなりたくない」というプレッシャーがパフォーマンスを引き上げる力となっているかもしれないのです。思い当たる節もあります。「みせしめ」もこの類いかもしれないです。

人と人の関わりは複雑ですね・・・


関わりが発生するには、オブジェクトたる人は、内部は、”基本”、安定的ですが、環境に対しては動的でアクティブであることになります。内部における非均衡の駆動力は、情動的、本能的な反応だけてなく、知的関心から探究心に向かうサイエンスのアプローチ、つまり、「なんだろう?」「なぜだろう?」といった知性的な反応が入り乱れて形成されたものです。言い換えると、内部では生体、反照、自省がドロドロと混在している状態で表出する自律性なので、関わりが複雑になるのは当たり前といえば当たり前です。(この文章のように(汗)


私は、複雑な関わりが自然と構造化(自己組織化)するもの(散逸構造)、それがコミュニティーではないかと考えています。

自律的だが複雑な「オブジェクト」同士の関わりと、結果として表れる「構造化」。


なんだか「構造化」(例えば制度を作って)を先に行い、「オブジェクト」の関わりを促す(行動規範の定める)のって本末転倒のような気がしてきました。「人の関わりの暗黙知を形式知化したものが制度である」と定義できるといいですね。




三位一体、でございます

2013年2月24日日曜日

アート、アート、アート

「アート」は、最近、自分のアンテナに引っ掛かっている方から発信されているキーワードです。

経営   × アート
科学   × アート
デザイン × アート

向き合うのは、自分、表現、意味、そして価値 かな


まずは表現しよう

2013年2月23日土曜日

大きな欲と大きな目的


密教の教えでは、
”もし欲を持っているとするのだとするならば我が身だけの欲望ではなくより多くの人々の幸せのために働く欲に変えなさい”
”自分自身の小さな欲ではなく大きな欲を持ちなさい”
と説くそうです。

いま、大切なのは、「あるべき姿」を論じるよりも「どう考えるべきか」を身につけることだと思うのですが、その観点から言ってもこの教えは示唆深いと思います。

達観するというのはちょっと違うとも考えていて、目の前の様々な出来事を受けて、では自分はどうするのか、といったごく日常的なことではないでしょうか。

会社における仕事って自然と細分化していって、他の仕事と分断されていきます。
ある意味、これは散逸構造なのだと思います。
そして、大局的なエネルギーを吸収する組織、つまり、良いビジネスモデルを持った大規模な事業になればなるほど、より早く、強固な構造化が進むことを意味します。

となり人の仕事がわからない・・・とか、うちの会社はセクショナリズムが強くって・・・などの愚痴を現場でよく聞く一方、経営的な視点で自分の仕事を捉えて欲しい・・・といった経営サイドの要望(私もその一人)もよく聞きます。

この、自分の仕事といった「小さな目的」から企業の価値向上といった「大きな目的」(企業の提供する価値を向上させる)への転換は本来、中間管理職のミッションなのですが、これがまた、難しいミッションです。転換を目的とした研修などもたくさんあります。「大きな目的」は「あるべき姿」なのでコミットメントが必要ですが心理的リアクタンスが生まれるので動機を内発させる仕掛けが必要になる訳です。バリューやウエイも
仕掛けのひとつです。

ただ、ほんとうに大事なことは、「あるべき姿」へのコミットメントだけではなく、自分の欲をより大きな欲に高めるという考え方のなかに「大きな目的」を活かすことではないでしょうか。

日常的な欲と仕事→大きな欲を持つという考え方を身につける→大きな欲のために大きな目的を活かす・・・多様な意味づけが出来る=どんな状況、環境下でも通用する
日常的な欲と仕事→大きな目的へのコミットメント・・・限定的な意味づけ=状況、環境が変わると意味が失われる

こんな感じ。




 構造美ってあるんですよね

2013年2月22日金曜日

言霊から考える多様性

もう、だいぶ前になりましたが、田坂広志さんに会社紹介をする機会がありました。

当時はまだ、入社間もない平社員(年は40過ぎでしたが・・・)。
社内で流通してた事業紹介用の資料を使って20分程度のプレゼンをしたところ、終わるや否や田坂さんから

「君のプレゼンには言霊が無い」と言われました。

goo辞書では、


こと‐だま【言霊】  
古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力。発した言葉どおりの結果を現す力があるとされた。

と書かれています。

要するに、
「君の発した言葉には結果を遂げることへの力と思いがこもっていない」
とご指摘頂いたわけですね。最近は、この言葉を省察の際の宝物としています(^^)


一方、田坂さんはお忙しいなかでいらっとして仰った印象もあり、当時は今みたいに受け取ることは出来ませんでした。


正しいことを言っていても受けとった相手は必ずしも正しく理解、納得できるものではないようです。
考えるに、人は、常に場の背景にある文脈とあわせて言葉を聴いているからでしょう。

思ったように疎通出来ない相手に、「そんなこと言っていないでしょう!」 と言うのではなく、相互になぜそのように理解してしまうのかその背景に思いを馳せることは多様性を受け入れる心の有り様なのかもしれません。




目も語るよ

2013年2月21日木曜日

人材のメチル化を誰かと研究したいなぁ

「生命のサンドウィッチ理論」を引き合いに、マネジャーの仕事ぶりを組織の資源と目的の間を動き回るものとして捉えてみました。

さて、生命の本質が「動き」にあるとしたら、「仕事をする」ということは組織に命を与える行為に他ならないでしょう。

では、「仕事」の仕方はどう、規定されるのでしょうか。

ひとつは「組織社会化」といわれるプロセスです。会社の色に染まるわけです。
ところが、一旦、社会化が終わると会社の色が変わったり、会社を変えたりしても、個人の「仕事」仕方が変わらないケースを良く、目にします。
身近なところでは、転職者が「うち」と表現する組織が指す場所がどこなのか、は端的にこのことを表している例だと思います。


ノーベル賞を受賞したiPS細胞は、4遺伝子が分化した体細胞を未分化な分化万能細胞へと戻すこと(初期化[リプログラミング])(wikipediaより引用)を発見したことにより作り出されたものです。

この時期に、山中教授がiPS細胞を発見したことは、組織と人を考える上でも重要な示唆ではないかと深く感じ入っています。

多くの組織が、成長とともに、細分化、専門化、縦割り化が進み、生存可能領域が限定され閉塞感を持っています。
企業組織における社会化の進行は、分化万能細胞たる若き人材を、分化が終わった細胞に変化させているのでしょう。でも、一度そうなると、組織の目的を変えても、分化済みの人材は変われないことを意味します。これ、まさに直面している問題ではありませんか?


脳科学とか生物学の方で人材の多様な能力の発現を不活性化させるメチル化の解明を誰か一緒に研究してくれないかな・・・




動いてなんぼ。オレッ!

2013年2月20日水曜日

変化と学習 挑戦編

意図的に変化を起こし学習すること。それを「挑戦」と呼ぶことがあります。

昔話編の子育ては自分で撒いた種ですが、ある意味、起きた変化に向き合う学びでした。一方、自分がキャリアチェンジをした際は、自ら変化を起こすことにより発生する学習であり挑戦でした。


以前、NHKプロフェッショナル 仕事の流儀で日本を代表する靴職人・山口千尋さんのお話が放送されました。 http://www.nhk.or.jp/professional/2007/0904/index.html

本場イギリスへ留学する際に会社が提案した1年の休職を、尊敬する先輩のアドバイスもあって

得るは、捨つるにあり

と、職を辞してイギリスに渡ったそうです。

山口さんは自らを追い込む形で変化を作り出し、学習されたのですね。


一方で、意図的な変化であっても、「捨つる」ことでなく、学習する場面もありそうです。

最近、よく参加させてもらっている経営学習研究所のイベントなどは、意図的ですが、「捨つる」ところまで追い込むようなことはありません。(「捨てるもの」に気づくことはあります)

この2つは学習の方向性として「探求」と「探索」の違いと理解しています。




お酒の探索は「ときめくなまえ」でいきました

2013年2月19日火曜日

変化と学習 昔話編

身の回りには日々、学ぶことが溢れています。(学べること、と言う方が正しいかな)

40代のある時期に9ヶ月ほど子育て(幼児ではありません)をした経験があります。毎朝4時に起きて朝ご飯と掃除、洗濯、アイロン掛け、お弁当と夕飯を作って会社に行き、仕事を終えてから食材などの買い物をして帰るという、今にして思えばハードながら良い経験をしました。

この経験を通じて、料理の手際とレパートリーが一気に増えたのとそれら(家計なども)を記録する習慣が身に付いたものです。あとアイロン掛けも上手くなりましたし(笑)総じて手際がよくなりましたね。

一方、子育ては難しかったです。思春期の男の子の兄弟の無口で微妙なところと、すれ違いの生活で、会話が少ない一方、壁に穴が増えていく・・・


生活面での変化は、学習を余儀なくさせスキルが上がったのと、普段、これらの家事・育児をされる方、家事と仕事と育児を両立される方のご苦労を実感することが出来るようになったと思います。

あと、悲壮感でなく、ある意味楽しめていたこともラッキーでした。今、思い返せば、辛いとか嫌だとか思った瞬間に、体が動かなかったのだと思います。今が悪いと思うより進歩することはすばらしいことである、と意識的に思うように取り組んだ記憶があります。



料理もアイロン掛けも実は好きです

2013年2月18日月曜日

多様性で問われること

多様性に関して、グローバル人材での議論を引き合いに以下の個人的仮定を考察してみました。


多様性とは学習がある状態を指すのではないか
であれば、多様性は引き当てる経験の多さ(増加)か、引き当てようとする強さ(効力感)によってもたらされる状態ではないだろうか



グローバルで問われるのは2つだと思います。

1.学び直しの経験と習得というメタ学習
2.自分が他者に何を学ばせるのかという自己の基軸

これは、グローバル人材の研究論文やセミナーでの体験談などを通じて得た考えなのですが、著しくコンテクストの異なる人々の他者性を使って自己革新する方法に気づけるか否かということの重要性です。・・・何言っているかわからないですね・・・

要するに、他人達の土俵に登って自分らしさを発揮するにはどうしたらいいか、どう適応するのか、もとい、未知のことに出会う不安や不快の切り抜けて自分ならではの力をどう発揮するか、問われているのだと考える次第です。

小さい話ですが、私は、セミナーやイベントでも参加したとき最初に居心地の悪さを感じています。(繊細な自分が嫌いではありません(笑)
切り抜け方としては、太くいくと決めることです。

それと自分らしさの発揮。
これは、「自分」が無いと不可能です。

そもそも「自分」とは、何でしょうか。

ここで言う「自分」とは生命体としての個の存在としてよりも、「場」との兼ね合いにおける「自分」を指しているように思います。
職場における「自分」、仕事における「自分」、社交場における「自分」などなど・・・
「自分」はひとつでなく、むしろ多面的に捉えたほうがよさそうですね。プロフェッショナルに出会うと「自分」の無さが実感できます。



さて、テーマは”多様性で問われること”でした。

考察の結論をシンプルにまとめてしまえば、「適応と発揮」です。
そして、多様性とは動的で状況はどんどん変わる意味を内在していると思いますので、「適応と発揮」も実態はどんどん変化していく=学習がある状態と言えるのではないでしょうか。

変化と学習について考えてみたいと思います。



いろいろあります



2013年2月17日日曜日

多様性が在る場所

地域コミュニティの衰退は古くからの問題となっています。その一因と考えられた職場コミュニティも近頃は衰退してきていると言われます。

コミュニティの衰退には2つの側面があると思います。

一つは、参加者の減少。単純にそこに集う人の数が減ってしまうことです。一人一人の活力は、ある意味コミュニティのエネルギーですから人数が減ることでエネルギーの全体量が減少します。

もう一つは、意味づけの減少ではないかと考えています。これは集い方を意味します。例えば職場の人数は変わっていないのに、活力が失われていく状況があります。無力感からくる無意味性、組織化力(疎通)の希薄化など集い方に関する問題はコミュニティを考えるキーになりそうです。

ついては、以下の仮定をしばらく考えていきたいと思います。

意味づけの観点から、
多様性とは学習がある状態を指すのではないか
であれば、多様性は引き当てる経験の多さ(増加)か、引き当てようとする強さ(効力感)によってもたらされる状態ではないだろうか


キラキラしているもの


2013年2月16日土曜日

こころのなかに潜むもの

「それでは前回の会議で今日までに各自考えることになっていた○○の件について、それぞれの意見をお願いします。」

し〜ん・・・

え?問いかけが悪い?
(「良質な問いかけ」と「受け止める勇気」)
http://www.nakahara-lab.net/blog/2013/02/post_1955.html

そう、「問い」自体が駆り立てる問いになっていないのでしょう・・・
そもそも自分が駆り立てられていないし。

仕方なく、自分の意見を言いましょう。

「では、私から・・・」

次は、強制的に振ってみます。

「どうですか?」

「ちょっと待って、そもそも・・・」

な〜んだ、意見があるならなんで最初に言わないの?と思うけど、これはきっと、「物事の多様性」に気づくようなファシリテーションがうまく行っていないからです。

「じゃあ、いいですか?」

し〜ん・・・

「えっと、いいですね?」

し〜ん・・・(アイコンタクトで頷く)

まあ、強引にまとめているわ。

会議のファシリテーションとしては明らかに失敗で、その分、学べた気がします。
私の学習を阻むものは、「同じ立場で会議に参加しているんじゃないの?」という参加者のリーダーシップ、フォロワーシップへの期待(というより「あるべき論」?)です。学び直しの本質は自分自身のこころとの闘いです・・・


ほ〜ら、こころのなかに潜むものが・・・

2013年2月15日金曜日

組織でゆらぐ人のありかた

創発は偶然起こるもの(意図して起こせないもの)だと考えています。これは、日々の仕事のなかでも実感することです(結果が出ないことを正当化するものではないのですが・・・)

蟻の動きをシミュレーションした結果、優秀でない蟻が、群れに与える恩恵があるそうです。ここで言う「優秀でない」とは、触角の感度が低くて、群の道標であるフェロモンを感知できないことを指しています。優秀でない蟻は群で「ゆらぐ人」です。
例えていうなら、ほぼ全ての車がカーナビ装着のうえ自動運転で制御されるなか、カーナビが無い車が居るようなものですね。当然、道を間違え、その結果、裏道の「誰も知らない隠れた知られない名店を発掘してしまった」みたいなことが起こるのですが、これは偶発的な成果であって、意図的(企業で言えば、予算化して)なものと考えないほうが良いものです。何故なら偶発的=低確率ですのですから。
仮に優秀な蟻が全て探索的に活動したら群に恩恵があるどころか群の存続にも危機を招くでしょう。

さて、独自の感性で発見(創作)をする人は、発明家やアーティストです。ある種のマーケッターやビジネスパーソンもこのカテゴリーです。それをA群と呼びましょう。
つぎに、探索が好きな人(リサーチャー)も新たな領域を発見する可能性を持ちます。独自の感性ではないけれど行動パターンが探索的な人ですね。行動的な人、新しい物好きの人がこれに該当します。こちらをB群と呼びます。

私はA群とB群の違いにつき、A群は直感的であり不連続なもの、B群はひらめき的であり連続性があるものと考えていますが、最近は「認知要素」と「行動傾向要素」の掛け算で理解する必要があるように思っています。

生粋のA群は、独自の感性と非合理的な行動傾向を持ち、周囲から理解されにくい存在でしょう。一方、独自の感性持ちながら、社会(組織)と非常にうまく折り合う人々も居ます。

組織のなかで期待されるのは、この独自の感性と合理的な行動傾向であり、組織が恩恵を得るために臨んでいる「ゆらぎ」の本音がそこにありそうです。

であれば、組織でゆらぐ人のありかたは、自らのゆらぎと組織への貢献のバランスをとるインテグレーションか、自らのゆらぎのために組織を利用するレバレッジのいづれかということになるでしょう。

創発に取り組む身として、組織でゆらぐ人の力になりたいですね。





ガラスをはめた窓に感性が写る

2013年2月14日木曜日

夢を現実にするプロセス

デザインとは夢を現実にするプロセスである(コーベルグ&バグナル)

これは私が大事にしている言葉の定義の一つです。
この定義が要請するするのは、デザインではなくむしろ「夢」の存在でしょう。
”あなたには夢がありますか”と問われている感じが好きなのです。

リアルに夢から覚めた朝、ぼーっとした頭で問い返していいます。














夢はきらきらしている

2013年2月12日火曜日

ギブがなければはじまらない、で、どうする?

質問のある人いますか?

私の会社では、月曜(今日は火曜だけど)の朝は、ゆらぎ会議と称して、日々の仕事のなかで生み出した工夫や、新しい発見を共有しています。

会議を始めた当初は、発信することが必須で自由参加(志のある人)としていましたが、時が経つにつれ、なんだか全体会議になってしまいました。
人数が増えると当然のように発言が減ります。主体的な参画者でなく、お客様になっている雰囲気です。振っても質問が出ません。

金曜日に参加したイベントで同じテーブルになった方が、やはり、会議等の場でお互いに顔を見合って質問が出てこない状況を日本人の特色であり、好ましからざること(グローバル化する社会において)とおっしゃっていました。うん、よくわかります。

茂木健一郎さんも、トークイベントで同様の状況を怒っていました。(私も質問が出ない一員でしたが・・・)

質問が出るには、①「話がわかる」②「質問することがある」③「質問したい」④「質問する雰囲気がある」の4つの条件のうちいくつかが該当する必要があると考えます。

例えば、聞いている人が専門性を持っている領域で話をすると、質問が出ないというケースは少なくなります。会議の人数が減ると当然、密度が濃くなり、質問する人に引きずられて質問も増えることは実感できます。。

会議中、発言をしない人、目をつぶっている人、スマホを弄っている人・・・参加資格ないよ・・・とずっと考えていましたが、「大村はま 優劣のかなたに」(刈谷夏子著)のなかの一節、「「読めません」とは言いません」を読んでハッとしました。教室の引き締まった空気を作っていない原因は、実は、自らが作り出す小さな決まり事の問答のにあるというのです。「読めますか」「はあい」「わかりましたか」「はあい」。真剣な答えを期待していない自分の甘えがそこにあると。

ギブがなければはじまらないグローバルな世界において、ギブをさせないあたりまえにしてしまっている小さな決まり事の積み重ねをしていないか、深く考えてみたいと思います。


それは「きみ」なんだよ

2013年2月11日月曜日

ルールをデザインすることの意味

組織にはルールがあります。ルールを作るのも守るのも仕事とされます。

久しぶりに車を運転しましたが、事故も起こさず、目的を果たすことが出来ました。
振り返って交通ルールをしっかり守っていれば、事故の大半は防げるのだと思います。
交通ルール同様、組織のルールは目的を果たすためには守られなければなりません。

さて、誰でもルールを作れるわけではありませんので、ルールを作るルールが存在することになります。例えば、マネジャーが各自、自分なりの人事制度を作っていたら、大変なことになってしまうでしょう(もっとも、それに近いことが実際は起こっていますが・・・)そこで、人事部で企画し、役員会で承認するというルールが存在するわけです。

組織内で利害関係が多様になると、協力的な関係だけでなく、一種の矛盾的関係(敵対とか衝突とか)を生み出すので、組織内の共通の認識(コンテキスト)としてルールを作るルールが存在していることが大切になるのですね。

新たなルールが生まれ、矛盾的関係が解消されると消滅する関係性がある一方、新たな関係性が生み出される、こういった創出と消滅を繰り返す状態と、その背景にある秩序の存在、それぞれの場面ごとにルールをデザインすることの意味が異なっていると理解しています。例えば、ゆらいでいる状態とゆらぎを生み出す瞬間と言えば良いのかな。重要なのは意味性の理解、いやむしろ、意味づけの多様性を組織は内包していることだと思います。

ちなみに、ゆらいでいる状態は安定的(自己組織化)だと考えますので、これも検証すべきテーマです。
















お花の影から微笑んでいる子、わかりますか(^^)

2013年2月9日土曜日

創発が起こるとき、起こらない理由の仮定を思いついた

お風呂に入りながら考えていたのですが、人の集まりである組織は、組織が崩壊しないよう安定させる仕組みを持っていると考えています。ラングトンが1990年に生み出したカオスの縁 (Edge of Chaos) という考え方がそのイメージの根底にあります。組織ではカオスの縁に至るもっと手前のところに安定させる仕組みがあって、それによって、組織における創発を防ぐ働きをしていると仮定してみました。複雑系で語られる多様性に満ちた細胞持っている暴発しない仕組みと創発を防ぐ働きに自己相似性があるとしたら面白そうです。

例えば内田洋行さんが行った新入社員の隔離による「新人を通じたイノベーション創発」活動は、その仮定を仮説化するときの材料になりそうです。他にもイノベーションの課題を持っている企業の状況を整理することがよいヒントとなりそうです。また、イノベーションに関する先行研究も多いと思うので調べてみましょう。

賢者は歴史に学ぶ。

これを忘れちゃいけないですね。
戦後の高度成長でおきた社会レベルでの創発もヒントになりそうな気がします。

キーワードはシステムの活性化とメチル化(発現の不活化)かな・・・

ここからは睡眠学習。脳に整理してもらいましょう。おやすみなさい。

遥かに、安らかに・・・

グローバル人材を翻訳してみた

昨晩参加した、「地に足をつけて、グローバル人材育成を語ろう」経営学習研究所イベントで「グローバル人材」という意味の英語はあるのだろうか?という疑問が少々話題になっていましたので、Google翻訳で、日本語から英語に翻訳してみました。

(日本語)グローバル人材 → (英語)Global Human Resources

なるほど、そうきたか。
では、逆にするとどうなるのだろうか

(英語)Global Human Resources → (日本語)グローバル人事

おっと、変わった。

Wikipediaで調べると
人材(じんざい)とは、才能があり、役に立つ人物。すなわち社会に貢献する個人のこと。人才とも。

一方、
人事(じんじ)とは、以下のような意味がある。
  1. (自然に対して)人間に関することがら、出来事
  2. 人間としてなし得るまたはなすべきことがら(例:人事を尽くして天命を待つ。)
  3. 企業その他の団体・組織における職員の処遇などの決定に関する業務(本項において解説)
  4. 人事異動の略
  5. 意識(例:人事不省)
  6. 法律用語として、人の身分や能力、住所など、そのうち特に身分に関すること(例:人事法、人事訴訟)
企業そのたの団体・組織における業務としての人事には、それぞれの団体・組織によって、多少の範疇の違いがあるが、一般的には次のようなものを指す。
  • 要員管理
  • 人事制度
    • 評価制度(人事考課)
    • 等級制度
    • 賃金制度
  • 福利厚生制度
  • 教育訓練制度

対談でのポイントは引きあたる概念がないのでは、ということですので、これは単なるWEB遊びです。
ただ、私たちもそこらへん全般をイメージしているのではないでしょうか。


遊びましょ


2013年2月8日金曜日

マネジャーはグライダー? 生命のサンドウィッチ理論より


デザインと創発

現在、私にとって最強、かつ最大のテーマです。おそらくこれからも。
このブログでは、このテーマの沿って、日々気づきのあったことを書いていこうと思います。


今年、嵌った本が何冊かありますが、そのうちの1冊、生命のサンドウィッチ理論」を読んで気づくことがありました。


この本は、複雑系と人工生命などを専門とされる東大教授、池上 高志さんと挿絵は植田 工さんの著作です。 



複雑系の考え方は、組織や経営を考える際、とても重要なアプローチですが、日々の仕事に埋没していくと、いつの間にか抜けているので本を読んで息を吹き返した感覚でした。(笑)

組織運営においては、「今度の体制をどうしようか?」「組織をどう変えようか?」「来期の予算はどのくらい・・・」「我々の事業目的とは」といった経営企画者としての仕事や、「なんで伝票の期日を守れないのだろうか」「ごみ当番をちゃんと出来ないなんて・・・」「じゃあ、どうするか・・・」といった統治責任者の仕事に日々、向き合っています。このレイヤーで社内でもお客様とも、議論が活発に行われています。

その動きを、「生命のサンドウィッチ理論」に当てはめ、考えてみました。

会社という枠組みはハードウエア(パソコン)で、会社が何を行うのかという目的がソフトウエア(エクセルやワード)とすると、例えば、パソコンにエクセルがインストールされていても、それだけでは、人材プールのエクセルシートは出来ない。ようするに、そこに動きを与えるもの(操作)が必要なのです。
つまり、人・物・金・情報といった資源と、事業目的があっても会社はそれだけでは単なる物体ということですね。「仕事」という行為があって、はじめて会社は躍動するのです。(なんだか当たり前・・・でも、人を目的に向って仕事させることって思ったようにいかない・・・)

本のなかでライフゲームの紹介があります。そのなかに登場する「グライダー」という移動物体。このグライダーが、「ます目」というハード、「ライフ」というソフトの間にあって、まるで生命がそこにあるように振舞います。面白いのはグライダーは様々な固定物体や振動子にぶつかって、変化をおこしたり消滅したりするのです。

私には、経営資源のなかを泳ぎ回り、経営資源と衝突し、時には、変革し、時には挫折し、まるで事業目的が活きているかのように振舞うマネジャーの仕事ぶりと、このグライダーの動きと重なって
見えました。(幻覚か?)

実践知としては、成果が出るか、出ないかはべつとして、マネジャーの活性が高まれば事業目的に向かい組織が躍動することは間違いないようです。

一方、どうして組織は最適化(硬直化)に向うのか、複雑系の理論から説明できるのではないかと思いますので、引き続き研究を続けていきたいと考えています。


















必ずグライダーに乗ってモーニングローリーにのるぞー!!

2013年2月7日木曜日

Galaxy から iPhone へ


デザインと創発

現在、私にとって最強、かつ最大のテーマです。おそらくこれからも。
このブログでは、このテーマの沿って、日々気づきのあったことを書いていこうと思います。



AppleとSAMSUNGの訴訟合戦は記憶に新しいです。

SAMSUNGはスマホのシェアを半分とり、Appleは、最高益を出したけど、株価が下がっています。

これらの出来事は、世の中のニュースであって、関心はあるけど、直接的に自分に影響するわけではありません。


ところが、最近、身近なところでこの2社(の商品)が火花を散らしました。(笑)
会社で社員に提供する電話をGalaxy から iPhone に替えたのです。

業者さんがカラフルなバリエーションの携帯カバーをつけてくれたおかげで(ありがとう!)、皆のiPhoneがiMacのようなキャンディーカラーになり、オフィスの雰囲気もうんと変わった気がします。

自分個人の携帯がiPhoneであったので使い方に慣れていることもあるのですが、私用のときよりも、仕事で使うととても使い易いです。特にメール。皆の評判も良いようです。

Galaxyもよいスマホですが、どうも、仕事で使うには機能が多くて複雑だったように思います。それに較べてiPhoneはシンプルな印象です。つまり、私には「引き算のiPhone」に対して「足し算のGalaxy」と感じているわけですね、きっと・・・

それでも、防災対策でいくつかアプリをいれてもらったりして、だんだん複雑になるのでしょうが、最初から盛りだくさん、と最初はシンプル、では大きな違いがありそう。

今日の気づきとして、「より良く使うもの、機能的なものほどシンプルにするべきである」という仮説を持ってみようと思います。



シンプルなのに味がある・・・

学びはリスク(苦痛)、だけど、ときめきませんか?

デザインと創発

現在、私にとって最強、かつ最大のテーマです。おそらくこれからも。
このブログでは、このテーマの沿って、日々気づきのあったことを書いていこうと思います。



消費に慣れてしまうと、費用対効果の思考が当たり前になってしまいます。

例えば、大学生が授業のあと、教授にする質問。

「これは、テストに出ますか?」

授業に受けるというコストにおいて最大の効果は良い成績である、というロジック。

人材育成では、研修の効果測定。

「これやったらどのくらい効果がでるの?」

費用を掛けるのだから効果がでないと困る。

いづれも消費社会の思考です。

橘玲 (日本人)では、日本人の本質として超個人主義、要するに損得で物事を考える日本人の本質が取り上げられています。例えば、戦前の軍国主義と戦後の平和主義の大転換もこの日本人の本質から考えると合理的に理解出来ると論じています。

損得で考えるのが日本人だとしたら、私たちにアイデンティティは成立するのでしょうか?

損得って相対的なものですよね?相手や状況で変わる自分。人材マネジメントの世界ではそれを「受け身」と言っているはずです。またそれを、当然のように責めているはずです。採用現場では「主体性」とか要件に普通にしています。

あれ?矛盾していませんか?

「成功」の反対語は「失敗」でなく、「なにもしない」こと。それは、主体的に学ぶ行為に本質があるからではないでしょうか。

そうは言っても日本人。損得で考えるのがマジョリティですから、組織で何かを為すためには「費用対効果」を避けて通れません。

であれば、費用を掛けずに学ぶ工夫をするか、費用をかけて学ぶ覚悟をするか、どちらかしか無いはずだし、個人レベルでは当たり前だったりします。

では、おかしいとかダメだとか言う気は毛頭ありませんが、組織を運営する側に覚悟なくして、覚悟した個人にどう向き合うのでしょうか。覚悟なき個人に覚悟無き組織運営って閉塞の本質であったりします。

覚悟といってしまうと、最近の体罰問題といっしょで精神鍛錬になってしまいますので、もっとやさしくするならば個人も組織も「学ぶことにときめきましょう」。その前向きさが未来への入り口なのだと思いますが如何でしょう。

シャイン先生が学習とは苦痛を伴うものであると、申しておりますが、学ぶことにときめかなければただの苦痛でしかないですよね・・・

キュンとくるときめくものを大切に

2013年2月6日水曜日

イノベーションは打開策ではない


デザインと創発

現在、私にとって最強、かつ最大のテーマです。おそらくこれからも。

このブログでは、このテーマの沿って、日々気づきのあったことを書いていこうと思います。


2013年2月6日 雨ときどき雪 ・・・ 騒がれたほど雪は降らず。


仕事柄、様々な企業の方とお会いする機会があるのですが、最近は、その骨子をまとめて一言で要約することができます。

「イノベーション」です。

もちろん、具体的な話の内容は、組織論であったり、採用戦略であったり、人材データベースであったり、グローバルであったりするのですが、話の根本にあるのは、閉塞感と打開策とにいきつきますね。

そして、その打開策=「イノベーション」というケースが多いのだと思います。

では、本当にイノベーションが打開策となり得るのでしょうか。

私の答えは、YesでありNoである です。

Yesのケースは、様々な事象が絡み合うことで偶発的におこるブレークスルー

Noのケースは、幻想

もう少し具体的に説明すると、ある会社では、研究開発にかなりしっかり取り組んでいるものの、新しい商品が生まれてきません。組織内では、研究テーマや研究プロセスに課題があって変革が必要であると考える人もいるのですが、周囲の共感は得られないようです。また、別の会社では、自主研究をすべて止めさせて、研究テーマをコントロールしているようです。そこに共通してあるのは計画「絶対」主義(ちょっと暴言かな)。

そもそも、研究って何かを探索するわけですよね?

自分がなにかを探すときに置き換えて考えると、置き忘れた携帯を効率的に探すにはそれまでの行動を思い起こしてあたりをつけて直線的に動きます。しかし、「何か面白いことないかな~」と面白いことを探すときはどうでしょうか?直線的に動くより、普段と違う行動をとるはずです。

わざわざ置き換えて言わなくても、目的的な研究と探索的な研究はあきらかに方法が異なると皆、直感的にわかっているのだと思いますが、やっかいな、目的性のある探索的な研究という「なんじゃこりゃ?」状態のものが当たり前のこととして氾濫してると思うわけです。

事業成長のため、閉塞打破のための新商品開発、新規事業検討、新業態開発・・・

何か良いことを直線的に見つけてくる。 そんなこと出来るの?

世は複雑なので、絶対にできないとは思いません。また、イノベーションの本質とは何だろうと考えると決して、偶然とだけも言えない(この件は別の日に)ので、偶発的としてYes。

しかし、目的に沿ってイノベーションを起こすことはナンセンスな幻想でありNO。

今日は、第一回目ということもあり、ちょっと整理モードでした。


















偶発の一枚(^^)