2017年4月23日日曜日

世界にたったひとつだけの花が咲く場所

僕たちは唯一無二の存在だ。

たとえ一卵性双生児のようにDNAを分かち合っていたとしてもそれぞれは異なる存在だ。

出発点が一緒でも、その後のちょっとした事で違いが生まれる。

環境の影響は大きいよね。

僕たちが言語を獲得するプロセスで重要なのは、自分の脳の力じゃなく環境の力だっていう研究もある。

例えば、赤ちゃんは「water」という言葉を一番多く使われる台所で覚えるという。

この場合「玄関」でなく「台所」が果たす役割は大きい。

大人にとっての「職場」も一緒だ。

偏りのあっても業務、職務スキルや社会性はその場所の力だ。


さて、キャラクターと呼ばれる「変わらない性格」が概念上のものなのか、事実なのかは別として同じ種でも環境から異なる力を引き出し違う花を咲かせる。

そして僕たちも環境の一部なのだ。


相互に影響し合う



2017年4月22日土曜日

頭の使い方、気持ちの使い方、心の使い方 むずかしいことをやさしくしてみよう

僕は犬や猫や馬や豚などになった事が無いのでそれらの生き物が自分をどう捉えているのかわからないけど、自分に関しては若干の知識を持っている。

あるがままの自分も大事なのだけど、一方、社会で見知らぬ人たちと折り合いをつけるためには自分をコントロールする自分も大事だね。

さて、個人的には自分をコントロールするためにはリフレクションの技法がマインドフルネスやゲシュタルトなどよりもとっつき易いと思う。

リフレクションでは心のエレベーターとして思考、感情、欲求で自分を客体視するのでイメージ化し易いのがその理由なのだ。

さて、もう少し自分なりに考え方を整理すると、思考、感情、欲求の客体視とは、頭の使い方、気持ちの使い方、心の使い方となる。

頭の使い方は、思考の癖からの解放だ。要するに最初に頭に浮かぶ考えは癖なので囚われて無いってこと。

気持ちの使い方は、好き嫌いのコントロールだね。対象の良いところを探して「嫌いじゃないかも」って思えればOKだ。

そして、心の使い方が一番難しい。

心って、満たされない想いに支配されるものだから、心の使い方って満たされない想いを扱うことでもあるのだよ。

誰かが満たしてくれたらそれで済む場合もあるけど、大概、誰も満たしてくれないから満たされない自分、つまり子供の自分と向き合う修行になる。

やっかいだね。

まとめると、最初に頭に浮かんだ考えを見直し、嫌いな相手の好きになれるところを探し、常に欲求不満な自分の中の子供を成長させていくってことだよ。

どう?
やさしくなったかな?


やさしい季節





2017年4月21日金曜日

同じものを観て、同じように感じろというのは無理難題

経験から学ぶことは大切さだけど経験から何を感じるかは人それぞれだよね。

でも、企業が行う研修でゴールとして描かれるのは「同じように感じ、考え、行動する」ことだ。

それは、研修などの教育場面だけでなく懇親イベントなどでも同じ考え方が潜んでいるのでは無いかな。

例えばリーダーになる人はしっかりした目標や目的を持つことが多いけど、メンバーが持つのはリーダーと異なる目標や目的だったりする。

もっとはっきり言うと、リーダーが皆を楽しませる為に企画したイベントをメンバーが鬱陶しく感じているのは当たり前なのだ。

これは、経験をデザインするときに考えなくてはいけないテーマだね。

例えば、昨日聞いたコミュニティマネジャーの話では「参加のデザイン」と言っていたけど、参加まではマネジメント出来るとして、そこから何が生まれるかは創発であり、化学変化だ。

だから、「こうやったら爆発する」と言うリスクヘッジはある程度想定出来るけど、好ましい反応が得られるか否かは結果を評価するしかない。

要するに経験のデザインって、結果のレビューに掛かっているってことだよ。

だからリフレクションが大切なのでしょう。


同じ絵を観ていても何を感じたか深く対話を行えばお互いの違うことがわかってくる。

「なぜ同じように感じないのか」と腹が立った時は、肝心なプロセスを等閑にしてしまったことに気づかなくちゃいけないのだ。


感じ方は人それぞれ





2017年4月20日木曜日

コミュニティと放送事故の関係と意味を考える

今日の夜、久しぶりに法政大学長岡ゼミのカフェゼミに参加した。

社会人が参加できる学生のゼミって貴重だ。

さて、本日はコワークングスペースのコミュニティマネジャーの話を聞き、対話する場であった。

そもそも、コワークングスペース=レンタルデスク的な認識しかしていなかった自分を恥じながらやはり、ずっと考えていたのは「コミュニティ」のことだ。

僕はコミュニティ(共同体)抜きに組織のことを考えることができない。

これはマッキーバーのコミュニティ論に影響を受けているのだけど、コミュニティから目的性が高まってアソシエーションに移行する段階と、コミュニティが持っている創造性の高さはアソシエーションへの移行で失われるとの仮説を持っているからなんだ。

で、ね。長岡教授のカフェゼミは学び自体を問う、「学びの共同体」なのだと思う。

合目的的であることや予定調和を疑う態度の呈示はとても印象深い。

さて、カフェゼミ終了後にゼミの卒業生とかつてのカフェゼミの出来事を笑いながら思い出していたのだけど、その時は参加者が基調講演をした人に場を壊すぐらい喰ってかかった。

それは放送事故レベルだったように思う。

でも、創造性とはまさに事故なのだよね。

多くの人は、コミュニティは日常的に事故も起こりうる場だけど、会社は事故を起こしてはいけない場だ。

要するにコミュニティには事故を当たり前と受け止める寛容さがあるけど組織にはそれが無いってこと。

改めてその大切さに気づけた夜でした。


カフェゼミ!






2017年4月19日水曜日

親分と子分という共依存関係

酒井穣さんのリーダーシップ論では、孤独なリーダーシップが語られている。

でも、親分、子分の関係では孤独なリーダーシップは成立しないよね。

要するに、親分は子分を必要とし、子分は親分を必要とするのだ。

そんな、共依存関係の苦労もあるので、親分同士、子分同士の間には不思議な親近感があったりして、仲が良い。

また、子分上手はどんな親分からも好かれるし、逆もしかりだね。

でも、ね。共依存関係であることに違いはない。

可愛さ余って憎さ百倍、の世界がその先に待っている。

上下間での補完関係が拗れるとややこしいのも同じ構図なのではないだろうか。


浮くのは自らの力?河の力?

2017年4月18日火曜日

理念浸透と学びの促し アジとファシリ、勝つのはどっち?

組織が些細なことでも一丸となれるために日頃必要なことは何だろう。

「一丸になろう!」という理念を強く浸透させることだろうか。

それとも構成員が一丸とならない現状から何かを学び取り、自ら慣性軌道を修正することだろうか。

「浸透させる」ことには少なからず強制力が働いている。

浸透させたい人がよく行うのがアジテーションだ。

みんなと同じことをしなさいという同調圧力だって「外圧」だ。

で、人は「外圧」が掛かると普通反発する。

反発を防ぐためには、「認知」「理解」「共感」の段階的醸成が必要らしいけど、「理解」と「共感」の間には深い溝が横たわっているよね。

では、「我々はなぜ一丸となれないのか?」という問いを起こすのはどうだろうか。

「認知」ではなく、「認知的不協和」に目を向けてみるのだ。

そこから内省が進み、「本質への問い」が起き、「新たな意味化」によって「選択肢の拡大」、つまり一丸となるためのそれぞれの行動変化が起きることを期待するのだ。

内省を支援するためにファシリテーションが行われるけど期待通りの答えに到達するかはわからない。


どちらも組織の状態や、やり方次第なのだと思うけど、些細なことに向いてるのはどちらかしらん。


上下どっち?


2017年4月17日月曜日

体の強さと心の強さ

人は見た目で他人を判断するバイアスを持っている。

だから、体格のガッシリしたスポーツ選手などは心も強いと考えがちだね。

でも、某野球選手などを見ていると決してそうではないことに気づくのだ。

また、サッカーでもFIFPro(国際プロサッカー選手協会)は「現役サッカー選手の26%、引退した選手の39%が精神疾患で苦しんでいる」との調査結果を2014年に発表している。

もちろん、精神疾患=心が強くない、ことではないけど、見た目と内面は必ずしも一致しないことを意識する必要がありそうだ。

もちろんその逆で、見た目は弱々しいのだけど、とても心が強い人も居る。

そう、人を見た目で判断してはいけないのです。


可愛いけど攻撃的
攻撃的だけど気は弱い