2017年11月22日水曜日

愛なき組織変革って有り得るの?

どんな組織にも自分のやりたいようにしたがる人は居るだろう。

それは日本相撲協会のように伝統的なしきたりを大切にする組織でもそうだ。

最近の騒動を見て居ると、現横綱にしても元横綱にしても、利他的というより利己的な姿に見えてしまう。

要するに誰かのため、じゃなく自分のため、なのだろうとね。


さて、組織には自律的に構造化と最適化が進む傾向が内在している。

そもそも何がしかの「求心力」があるから組織化が起こるわけで、組織を維持させる方に向かうのは自然な流れでもある。

そこで組織を変革するためには「組み替え」が必要になるのだけど、惹き込まれていない人を組織に取り込むことはその時は大きな刺激になるけど、後に組織から排出されてしまう。

こうした「薬」のような存在にはなり得るけど、新たな「求心力」となるためには、僕は組織や組織が機能を発揮するための仕事への「愛」が必要だと思う。

他者を許し分かち合う気持ちが無い人に誰も惹き込まれないよね。

一緒に仕事をしていてもなんだか薄寒くなってくる冷え感からは、冷めた関係しか生まれない。

熱すぎるのも奇妙だけど、冷めた関係で組織を変えられるとはとても思えない。

進むとしても変革ではなく、部分に参画し、自己の正当性主張と他者の無駄を糾弾する、機能化、合理化、最適化なのでしょう。


王者のようだけど冷たい存在





2017年11月21日火曜日

「物語る組織を創る」のは誰ですか?

「物語を変える」

この文には主語がない。

しかし、主語を「自分の」とするか「皆の」とするかには大きな違いがある。

「自分の」「物語りを変える」には強さではなく「弱さ」が意味を持つ。
「皆の」「物語りを変える」には演説、雑談、対話、議論の物語法マトリックスが有効である。

今日、僕が参加した「物語る組織を創ろう ~共創し学習する、フォロワーシップによる新しい組織」というイベントの中で僕が気になったポイントだけど、前者は埼玉大学大学院・宇田川元一准教授、後者は立教大学大学院・梅本達夫特任教授の話である。

共に経営と組織の観点ではあったもののナラティブという個人の物語へのアプローチと、ストーリーという集団の物語のアプローチの違いは僕には異質なものに感じられた。

イベントに参加した人5人と話したところ、大学病院の精神科で医師をされている方は前者、他の4人(コンサル、人事、経営)の方は後者に関心をお持ちだった。

今日のイベントの主催、非営利型株式会社Polarisは、『ちゃんと』から自由になり「物語る」組織となりたいと、どちらかと言えば個人の物語からはたらきかたをつくる方向性が出ていたように思えた。

僕はイベントがもやもやした感じで終わることに肯定的なのだけど、今日のもやもやはややネガなもやもやだ。

なぜなら「寄りそう」と「盛り上げる」の、本来は使い分けるべきものを妙に一体化して場を作っているように感じた(違いへの言及がなかった)からだ。

反論、反証があまりに少なかった。

最後の質問セッションで宇田川さんの「人間は皆違ってわかりあえないものという前提で良いのではないか」という一言が、このイベントの前提であり、そして結論であるのなら、物語法マトリックスで「そもそも」(起)「でも」(承)「いやそれなら」(転)「要はこうだ」(結)のうち、僕は「でも」(承)「いやそれなら」(転)のないことを気にしているのかもしれない。



反論、反証には時間が足りないね





2017年11月20日月曜日

自分についた嘘は自分に帰ってくる 仕事選びもね

今の僕にとって学びたいことと仕事にしたいことが一致している。

でも、ここに至るまでに大きく迂回してきたなぁ、と思う。


そもそも、僕の大学と就職は不連続だった。

自慢じゃないけど、卒業するから就職したのだ。

大学で「プロフェッショナル」とか「X理論・Y理論」などを勉強たことを思い起こすとまるでお笑いの就職活動だったよね。

でも、その当時は、皆が就職するから就職するのであって、金融業界に人気が集まっていたので銀行に潜り込んだわけである。

仕事は「皆がするもの」だった。

なので、4年経って研修で外の世界をみたとき、改めて「仕事」を考える羽目に陥り、そして転職した。

次の仕事は、家業だった。

今から振り返れば、銀行の仕事から離れた後のその仕事は「きっと僕がするべきもの」であって「なぜか僕が惹かれるもの」ではなかったのだと思う。

もし家業が書店なら本屋さんになっていたのだろうからね。

そして、その仕事は「きっと僕がするべきではないもの」になって離れた。


そこからもう一度、「どんなことを仕事にしたかったのか」と考えたとき1年かけて行き着いたのが今の仕事である。

僕にとって、大学の時学びたいと思ったことと仕事にしたいと思ったことは結局一緒だった。


で、ね。「皆もそうだから」とか「するべきだから」と仕事を選ぶと「皆となんだかちょっと違う」「本当にするべきことであると思えない」と考えて仕事を辞めることになるのではないかな。

厳しい環境になればなるほど自分が自分についた嘘に気づかされてしまうのです。

退職理由の本音ランキングは、1位:上司・経営者の仕事の仕方が気に入らなかった(23%)、2位:労働時間・環境が不満だった(14%)、3位:同僚・先輩・後輩とうまくいかなかった(13%)(リクナビNEXT)だそうだけど、僕の経験から言えば、そもそも自分に嘘をついていることを認められない(認めたくない)時に言いそうなこと(言っていたこと)だなと感じる。


自分は自分を覆えない


2017年11月19日日曜日

物語を作ろうとしない人は自らの成長を疑うべき

僕が暗闇に放った矢をライトを使って探していたら、どこからか
「ちょっと待て」と聞き覚えのない声が掛かった。

「お前の探しているものは平地にはなく大きな木にあるのだ」
その声はこう続いた。
そこで僕は周りをぐるっと見回したけど、どこにも大きな木は見当たらない。
僕が立っているのは暗闇の中だ。

そこで目の前を飛ぶハチにも聞いてみる。
「この近くに大きな木はありませんか?」
ハチは一瞬、僕を見て空中でホバリングをしたのち、応えることなく飛んで行ってしまった。

仕方なく僕は探すのはやめて、この世の最も強い磁石を使って鏃の鉄を引き寄せることにした。
少し時間が掛かりそうだから、この携帯電話であの方に連絡を入れておこう。


この並び

Amazon知育・学習玩具大賞2017は「ローリーズストーリーキューブス 冒険」だったそうだ。

僕はこのシリーズの一つをだいぶ前に手に入れていた。

冒頭の物語は、キューブを振って出た目を繋げて作ったものだ。

1つ1つの要素の並びで物語が生まれるわけで、偶然の並びから物語を作るのは楽しい知育である。

このキューブを手に入れた経緯は、仕事である会社が定義した6つのバリューの浸透を図るツール作りの参考のためであった。

そして、バリューのピクトグラムとサイコロが自作できるキットを制作したのだけど、日の目を見ることはなかった。


僕たちは、身の回りの要素を並べていくらでも自分ならではの物語を作り出すことが出来る。

しかし、誰かの物語の一要素となって、その物語に不満を並べる人は少なくない。

僕にはこのおもちゃが実は社会人向きであるように思えるのだ。


ストーリーを生み出す



2017年11月18日土曜日

「ほぼ日のアースボール」を買ったよ

糸井重里さんが社長を務めるほぼ日が、六本木ヒルズで「生活のたのしみ展」を開催している。

今日、妻と行って来たのだけど、小雨ぱらつく寒い日にも関わらず会場は多くの来場者で賑わっていた。

その賑わいの中でも最も人が集まっている場所の中心には、糸井重里さん本人が居た。

ただ居たのではない。

マイクも使わず、多くの人に向かって「ほぼ日のアースボール」を丁寧に説明し、そして売っているのだ。

価格がちょっと高いことも、もちろん「ほぼ日のアースボール」を企画した社員の奮闘ぶりを伝えることも忘れない。

糸井さんの知名度を持ってすればもう少し楽な売り方もあるのだろうけど、先頭に立って楽しそうに商品説明をする糸井さんの姿には深い感銘を受けた。


会社を率いる仕事って何だろう。

ビジョンやルールを作ることか、事業戦略を決めることか、難しい決断をすることか、人事権を行使することだろうか。

もちろんそれらもあるのだろうけど、自分が先頭に立って、活き活きとひょっとしたら新米がやらされるような仕事をすることも会社を率いる仕事だよね。

そんなことを糸井さんの姿は語っているように感じた。


中心に居る人は


この人です






仕事の、楽しくやろうぜモードとちゃんとしようぜモード

360度評価というマネジメント評価(主に)手法がある。

この評価の結果には色々な人間関係が含まれてしまう。

例えば、やたら低い評価を連発する人は評価というより明らかに反撃である。

もちろんそのような評価を受ける理由はあるのかもしれないけど、他の人の評価が低くない場合、個人的感情である可能性が高いよね。

逆に低い評価がない人は、評価する周囲の人が気遣っているケースも少なくない。

アンケートに投影されるのは、評価だけでなく人間模様だ。


人が集まると、共感、反感、感謝、嫉妬など様々な感情が入り乱れ、共生、共存、従属、隷属、敵対など様々な関係性が生まれる。

こう言った問題、課題を乗り越えて行くのが組織マネジメントだ。

しかしちょっと考えれば組織マネジメントは、組織に集う人それぞれが協働のセルフマネジメントが前提になっていることがわかる。

コミュニティとオーガニゼーションの違いは、偶発的な創発と協働の連鎖にある。

僕は創発志向なので場の化学反応を期待する楽しくやろうぜモードだけど、ちゃんと仕事しようぜモードのときは協働主義だ。

でも、組織を混乱させるのは、僕のようなどっちも派や、逆張り派(ちゃんと仕事の時にも化学反応好き)なのかもしれないね。

どっちも派は、気をつけないと逆張りをしていることが少なくない。


一方で、大概、組織にはちゃんと仕事しよーぜモードの協働嫌いという問題児も居る。

人の働き方を否定して自己流に仕事を進める人たちでそもそも協働に向いていない(=組織に合っていない)。

僕は、協働のセルフマネジメントは、単にチームワークやリーダーシップを発揮することではなく、2つのモードを状況に合わせて適切に切り替えることだと思う。


どっちも、はTPOが大切









2017年11月17日金曜日

答えを見つける力を身につけるために必要なこと

”これがこうなら、あれはそうなるだろう”

「推論」は僕たちの生活を創造的にしたり、効率的にしたりすることに大きく役立っている。

1つの知識によって対応できる事象が増えること、「一を聞いて十を知る」は賢さの現れである。

時に「忖度」など、行き過ぎてしまうこともあるけど、全てのケースを記述しなくても判断が下せることで社会がよりうまく回ったり、他者よりも活躍する人出てきたりするのだ。

さて、「推論」は、抽象度が高まるほど適応範囲が広がる。

また、概念的であるほど、持ち運びしやすくなる。

コルブの経験学習では、学習プロセスにおいて「抽象的概念化」(Formation abstract concepts and generalizations)と表されるステップがあるのだけど、いろんなことに活かせる知恵を獲得することは、人生を変える原動力にもなる。

38歳、元阪神投手の公認会計士が悟った真実

一方で、僕たちはいきなり高度な「推論」が行えるわけではないだろう。

赤ちゃんがなんでも口に入れて食べられるもの、食べられないものを見分ける力をつけていくように、僕たちには常に意識、無意識の試行錯誤が必要だ。

僕たちが生活を豊かにするために必要なことは、「正解を知っていること」ではなく「正解を導く力を身に付けること」だ。

「推論」はその力を獲得するために誰にも備わっていて、「経験学習」を見てもわかる通り、グレードアップすることが出来る能力だ。

意識的試行錯誤からは「直感」が、無意識的試行錯誤からは「ひらめき」が生まれるとも言われるように、「直感」や「ひらめき」の多い人は「推論」をグレードアップしている可能性がかなり高い。

どうやら、試行錯誤という回り道なしに、答えを見つける力を身につけることはできないようだ。


生き物は「推論」する