2017年8月16日水曜日

Great or Crazy Journey? 人が旅する理由

このブログを書きながらクレイジージャーニーという番組を見ている。

普通の人が絶対に行かないような場所を超個性的な人たちが目的を持って旅する番組だ。

普通の人の旅も、観光、グルメ、癒し、学びなど目的はあるが、多くの場合「安全であること」が前提だよね。

「安全」の尺度は人それぞれだけど、危険性の高い旅ほどテレビ的には美味しいのだろう。

さて、そもそも人はなぜ旅をするのだろうか。

山を登る人が「そこに山があるから」と言うが如く「そこに旅があるから」なのだとしたら、そもそもの「なぜ」を解き明かすのは難しいだろう。

実は、僕たちがコンビニで商品を買ったり、SNSに記事や写真を投稿する行為も「なぜ」がよくわからない。

もちろん、お腹が空いたから、とか、他人に自分の投稿を承認して欲しいからと言った欲求はあるのだけど数ある選択肢の中からコンビニや特定のSNSを選ぶ理由を説明することは容易くないのだ。

なぜなら、簡単に選ばなくもなるからね。

そこでコンビニもSNSも集客のために様々な試行錯誤を繰り返すことになるから、マーケティングにも終わりが来ない。


消費者の無意識の行動と違って、旅をする行動はかなりはっきりと意識があるように感じられるけど、もしも「どこでもドア」があったとしたらコンビニに行くのと変わらなくなるのかもしれない。


そこに国もある




2017年8月15日火曜日

無意識に「一人っ子」を構造で考えていないか

構造が機能を定める。

僕たち生き物の存在は、こういった構造主義を超えている。

構造は、僕たちが理解可能であることが前提だけど、「生命」には必ず理解出来ないものが残ると思うからだ。

しかしながら、構造主義はあらゆる領域に存在して僕たちの姿を定めようとする。

例えば以下のような記事だ。

一人っ子は兄妹のいる人とは脳の仕組みが異なる?

脳科学の発展は目覚ましくて、ついちょっと前まで定説であった男性脳、女性脳の違いが実はないことも解明されている中でこれは意外なニュースだった。

僕は心理学の研究はそもそもバイアスの掛かった研究だと思っている。

それは人か認知していることを解き明かそうとする研究だからだ。

そして、この研究は「一人っ子は異なる」というバイアスを持ってデータを観ているんじゃないかなと感じた。

構造に理由を求めることは、モノゴトを変える力にもなるし、変えない力にもなる。

だから、良い、悪いではないけど、僕たちは構造の持つ意味をその本質から考えるべきだよね。


神に構造はあるのか


2017年8月14日月曜日

何かを生み出すために必要なコト

”自分の居心地の良さ、悪さで自分の行動って決まるので、理念を先に考えて、理念に合わせて行動することは、僕はあまりしたくないんです。” 儲ける知性を休ませ、親切を――糸井重里に資本主義を聞く

かつては売れっ子コピーライター、今は上場企業の代表取締役である糸井重里さんの記事が面白い。

冒頭の一節は記事から転載したものだけど、人にはその人にとっての快適さがあり、最初に掲げる理念はその人にとって居心地の良いものになりがちだ、ということを言っているのだろう。

大村はまさんの名言「一番先に浮かんだ言葉は使わないこと。たぶん、それは「自分の癖」だから、いつも同じ事を言っていることになる」から受ける印象とたぶん同じだ。

パーソナリティ特性は、思考や行動を習慣化する。

それによっていちいち考えなくともなめらかに社会で生きていくことが出来るのだけど、一方で、無意識にバイアスを掛けて物事も見るようになるし、思考を停止して居心地の悪いことを避けるようになる。

だから、自分のパーソナリティ特性を知ってそれに向き合う、ということは思考を巡らせ、居心地の悪さを感じ、他人の力を借りて自分の壁を超えることである。

さて、糸井さんは同じ記事の中で、差異を生むのは人間であること、何かを生み出す人の価値は上がっていることにも言及している。

”モノやお金の価値が相対的に下がっているのとは逆に、人の価値はどんどん上がっています。モノを作るための労働力としてよりも、イノベーションを生み出すような人材だとか、無理かもしれないことでも実現できるよう工夫する人材だとか、そういう人が圧倒的に足りないと思います。” 同記事より転載

「そういう人が圧倒的に足りない」という課題からは、何だか特別な人が世の中には少しだけ居るように感じるけど、そうではないだろう。

僕は誰でも何かを生み出すことが出来ると思う。

しかし実際に生み出す人たちは、多くの場合、自分の居心地の良さを越えた者である。

また、その越え方は個人ごとに異なり、千差万別なのだ。

で、ね。この課題の本質は、「パーソナリティ特性を、今ある自分の表象ではなく、未来の自分への出発点にすること」である。

今の自分を越えることはある意味、イノベーションであり、無理かもしれないことを実現できるように工夫することだものね。



イトイさん、飛んでますよ〜








2017年8月13日日曜日

「縦割り」という視野狭窄に気をつけよう

僕が生まれ育った浅草橋は鳥越神社が近くにある。

鳥越神社は小さな都会の神社なのだけど、神輿は大きく重い、千貫神輿が自慢だ。

僕はこの神輿を担いだことはないけど、多くの担ぎ手が道いっぱいになって神輿を担ぐ様はとても強く記憶に残っている。

その後、会社が浅草にあり、向島に住んでいた時は浅草寺の三社祭が身近な大きな祭りだったけどやはり神輿は鳥越神社の千貫神輿が凄いなぁと思ったものだった。

さて、今日、今の住まいの氏神さまである富岡八幡宮の深川八幡祭りを見てきた。

実は、今の住まいは、富岡八幡宮と神田明神のちょうど境にあって、当初、氏神さまは神田明神だと思っていたので実は、富岡八幡宮だと知ってちょっと驚いた経緯がある。

神田明神が氏神さまだと信じていた時は富岡八幡宮のお祭りがどのようなものかほどんど知らなかったし、鳥越のお祭りに行っていた時は富岡八幡宮も知らなかったと思う。

深川八幡祭りでは、氏子の町内会が繰り出す神輿が富岡八幡宮に集まるのだけど、沿道からものすごい勢いで水が掛けられる。

その様は、花火よりも弾けている。

でもそれを知ったのは、氏子になってからだ。

祭りになると町内に〆縄が張られる。

それは、社会や生活を割る象徴にも思える。

観光客という外様でなく、当事者としてよその祭りに参加するためには何が必要なのか、考えると縦割りから抜け出す方法が見えて来るのかもしれない。


水かけ




2017年8月12日土曜日

労災認定の事実と真実? 研修に潜む危険性

先日ショッキングなニュースがあった。

ある会社の新人研修で業務上の死亡として自殺が労災認定を受けたケースがある。

父親は、会社、研修会社、講師を訴えていると言うものだ。

研修は「意識行動改革研修」と呼ばれ、仕事で成果を出すために必要なマインドセットを与える、しかし受講者にかなり負担を強いるものだったらしい。

しかし、その目的、内容や負担の大きさは僕にはわからない。

事実としてわかっていることは、新人研修の途中で受講者が自殺し労災に認定されたと言う事実だけだ。

そして自殺という取り返しのつかない事態まで至らなくても、新人研修の途中で受講者にトラブルが発生することは、実はそれほど珍しくないのではないだろうか。


多くの企業や新人研修を受託実施する会社と参加する新人は常にリスクを理解している必要がある。

研修の内容に関わらず、だ。


レアではない

シンギュラリティ後も売れ残りの時代は続く?

物やサービスを買う人にとって、売れ残りは売り手ほど気にならない。

必要とする時に必要とする物が入手できれば良いから不必要な時に不必要な物は興味関心の対象外だ。

今、世の中は、買い手に最適化されていく一方で、売り手にとってはどうなのだろうか。

作り手は買い手という観点では原材料を仕入れる立場でもあるので、作りやすい環境があるものの、一方では、いざ売り手になると売れ残りに心を痛めることになる。

売り切りごめんで売れ残りなしでやれている人は社会で極めて少数だ。

なぜそうなるのか、といえば、売り手が過剰であること、それと売り手と買い手が二極化しているからなのだと思う。

コンビニの廃棄食品などはじめ、日本の廃棄食品量はとても多いけど、事業者間の競争だけでなく、買い手と売り手の心理的要因も無視できないだろう。

自給自足であれば余剰や過剰を減らす工夫が自然にできる。

必要な量と余分が発生していることがわかるからね。

要するに、買い手はこれだけ欲しいと言わないし、売り手はどれだけ売ろうとしているか言わない。

この双方の沈黙と憶測で世の中が成り立っているので売れ残りが生まれる。

買い手はそれが心地よいし、売り手は真剣で必死だ。

クラウドファンディングのような仕組みは売れ残りを減らす手助けになるだろうけど世の中全てが置き換わるようなことはない。

さて、あと何年かして、人工知能が汎用化され自ら社会のことを学び始めた時、売れ残りの本質を何と認識しその解決に向かうだろうか。

僕たちの心地よさと真剣で必死な想いをどう調和してくれるのかな。


人々




2017年8月11日金曜日

未来を憂うことなかれ

僕たちが若かったころは1999年7月に人類が滅亡するって言うノストラダムスの大予言があった。

ノストラダムスの大予言を信じる信じないは別として結構、世の中の認知度が高かったように思う。

でも7月には空から恐怖の大王が降るどころか天災も起きなかった。

この類の悲観的予言は、ノストラダムスの大予言だけではない。

最近では、2012年12月にマヤ暦が終わり終末が来る、と言うのもあったよね。

人類の終わりだけでなく、国家の崩壊や大不景気の到来、戦争の勃発などなど世の中には悲観的な予言が溢れているけどほとんどは現実になっていない。

一方で、大地震や悲惨な大規模テロ、リーマンショックなど天災、人災は現実に数多く起きている。

確かに、起こりうる悲観的未来に対して備えることは必要だ。

未来には良いことしか起きないなんて都合の良い夢想だものね。

で、ね。休みの今日、家でONE OK ROCKのライブ映像を見ながら思うのだけど、新しい才能は必ず生まれ、新しい環境で新たな花を開き明るい未来を描いていくのだ。

だから僕たちは環境をどんどん新しくして行く必要があるのだろう。

それは結果として明るい未来を描く一助となっているのだからね。


明るいね