2017年7月22日土曜日

グランパな日 僕は生まれ変わっているのかもしれない

記憶や意識を辿るといつでも20代に戻れる。

その頃の感情を再現することもできる。

ただ、鏡を通して現実を見れば間違いなく年相応になっている。

思えば遠くへ来たものだ。

僕の歴史には輝きもあれば影もある。

誰でもそうだろう。

そして僕の歴史は、新たな歴史を生み出している。

本当に有難いことだ。

会社で部下の成長を見守るもの至福の想いだけど、自分の子供が親になっている姿を見ると別の感慨が湧き出してくることに気づいた。

もう、世界は僕のものじゃない。

君たちのものだ。

で、ね。想像するよりもグランパになることは難しくない。

今を受け入れることだけだ。

で、ね。とても元気になった。

明日から新たな僕の歴史を刻むよ。


龍雲 そして My Road


2017年7月21日金曜日

君は超社交的なパートナーだわん

世の中には面白い研究があるものだ。

例えば、犬はなんでそんなに友好的なの?という研究などもその一つである。

犬と一緒に暮らす僕にとって、尻尾を振りながら顔をペロペロ舐められるのは普通の出来事だけど、確かによく考えればちょっと不思議だ。

しかも僕の犬、ルイだけじゃなく、糸井重里さんのところのブイヨンちゃんもKenakoさんのところの小次郎くんもたいそう友好的だ。

たまに、人や他の動物を襲い怪我させる凶暴な犬もいるけれどごく少数だから一般論として犬は人のよきパートナーになっている。

さて、犬は、遺伝子レベルで超社交的な人と共通性が認められるというのが研究の知見である。

超社交的、というのは社会不適応に至る発達障害のレベルで「超」らしい。

つまり、もし犬が変身したとしたらあまりに社交的で困ってしまう人間になってしまう。

犬が人のパートナーとして成立するのは、彼らが犬だから、なのだ。

確かに、ルイは「がぶ」(甘噛み)するけど超社交的なのだと理解すれば納得がいく。

彼にとって「がぶ」は僕と交わるための行為なのだ。

ということで、僕は今日もルイに尻尾を振られ、顔を舐められ、がぶされて一緒に過ごすのである。


超社交的?



2017年7月20日木曜日

今日、僕はランチに挑戦された

僕はランチのお店選びであまり開拓をしない。

ジョブズやザッカーバーグ、アインシュタインがワンパターンの服装で決断の数を減らすのと同じで、不要な決断はしないからだ。

かといって同じ店に毎日通うほどロイヤルティを持っていないので、いくつかのお気に入り店をローテーションする。

行きつけの店は、中華、とんかつ、唐揚げ、寿司、カレー、うどんなどバリエーションを持って被らないようにしているのだけど、必ずそれらの決まった店に行けるとも限らない。

そう、「ランチの挑戦」は勝手に僕を待っている。

今日はその「挑戦」の日だった。

用事で外出し、ちょうど昼の時間帯になったため、歩きながらお店を探し、そして入った店は路地裏のとんかつ屋だった。

実は、様子を探ろうと店の前を行ったり来たりしてみたのだけど、中は全く見えなかった。

意を決してお店の戸を開けると、おそらく80歳くらいの老夫婦がそこに居る。

正しくは、ただ座っていた。

即座に『このお店、お客は来るのだろうか』と感じたけれど、他に誰ひとり客がいない店を後にするのはあまりにも感じが悪いし、お年寄りに悲しい想いはさせたくない。

無言で入店すると、お婆さんはカウンター4席とテーブル席10席の店内でテーブル席の真ん中に僕を通してくれた。

そして、僕の印象は確信に変わった。

『おそらくこの店、僕が食べている間に他の客は来ない。』

店内を見渡すと座った席の前にビールを冷やすケースがあるが、電源は入っていない。

年季の入った木造の店に不似合いな大きなクーラーからは不気味な匂いが漂ってくる。

木造の古い家で漂う例の臭いなのか、それ以外の臭いなのかはわからなかったが、食欲は即座に失せた。

僕は、あまり空気を吸い込まないように無言で料理を待ち、出てきたヒレカツランチ定食を一気に平らげ店を後にした。

ヒレカツランチ定食は不味くなかったように思うけど正直、食べながら味はどうでも良いと思った時、僕はランチから挑まれた戦いに勝つことができなかったのだ。


世に中には、素敵な雰囲気でにぎわっている店もあれば、絶対にインスタに投稿されないような手強い店も世の中にはたくさんある。

やはり僕はランチファイターにはなれそうもない。


これはうまうま

2017年7月19日水曜日

炎上させてる? ロングテールの噛みつき注意

かつてサイレントマジョリティと呼ばれた人たちは、インターネットとソーシャルネットワークの普及でもはやサイレントな存在ではなくなった。

マジョリティはロングテールに姿を変えたのだ。

インターネットビジネスはロングテールを消費者や参加者にすることだから全ての個人で発信力が増すのは必然だ。

そうした発信力の高まりを受けて増えているのが”炎上”だね。

ネットが”炎上”する多くの場合、他責な発言が引き金になることが多い。

その発言も最近は”炎上”を意識したものが少なくないように思う。

「ブースト」と呼ばれるランキングの上昇やフォロワー、視聴回数の上昇を狙って人の怒りを買うような投稿を行うものである。

昨日も議員の”炎上”がニュースを賑わしていたけど誰かを犯罪者にしてしまうような行為を正当化することはできないでしょう。

愉快犯、確信犯、故意犯は立派な犯罪だよね。


ネット社会において匿名性や発言力を前提とした倫理観が求められている。

一方、倫理観には「身勝手な正義」という行き過ぎの厄介な問題もあり単純ではない。

これからも「噛みつき」を意識して発信すること、発信を受けて発信することとを考えていきたいと思う。


噛みつき攻撃



2017年7月18日火曜日

得意なことと苦手でないこと 適性はどっち?

「さて、何を食べようか?」

お昼ご飯で食べたいものがあればいいけど、食べたいものがない時は困るよね。

そんな場合、食べたくないものを考えると案外素早く絞り込めたりする。

今日はカレーなないな、とか、魚はやめておこうなど、Don'tによってDoが決まるわけ。

実はこれ、戦略的な考え方でもある。

正解がないなかで、決断をする場合、都合よく「直感」や「閃き」が降りてきてくれれば良いけど、そんなに都合よく行かない時もある。

また、論理的に考えるにはミッシーな状態となるだけの情報、つまり、選択肢を網羅し階層化が必要だ。

さて、ここまで「食べ物」で考えてきたけど、同じようなことが「仕事」にも言えるだろう。

どんな仕事をしたいか、クリアじゃないことだって普通にある。

最初はそれほど関心がなかったのに、いざ初めてみたら妙に仕事にフィットすることだって珍しくないだろう。

手を挙げ研修で達成度が高いのは、元気よく手を挙げたかでなく、経験の意味づけを通じて自分の殻を破った人だ。


人は無意識に「得意なこと」を選択する傾向も持っているから、わざわざ「得意なこと」を選んで、自分の成長の幅を狭くするよりも、「苦手でないこと」とで自分の幅を広げる方がメタに捉えて「適性」のある状態であるのかもしれないね。


苦手ではない柄の首輪




2017年7月17日月曜日

カラーセラピーでリフレクションする休日

僕が子供のころ「海の日」という休日は無かった。

海に行くでもなく、海の近くに住んでいるわけでもない僕にとって、「海の日」はいまひとつピンとこない休日だ。

とはいっても、人並みに休みを楽しんでいるので「海」に感謝しないわけにいかない。

僕が「海」で思い浮かべるのは蜷川幸雄さんが演出した舞台「海辺のカフカ」なのだけど、「海」のシーンは思い出せないから「海の日」の「海」もきっとそんなものなのだろう。

さて、僕は今、家の近くのカフェでカラーセラピーを受けている。

セラピストは妻だ。

リフレクソロジー、アロマテラピーアドバイザーなどの資格を持っている彼女は、最近アドバンスカラーセラピーの資格も取ったので今日、はじめて受けたのだ。

セラピーがカウンセリングと学術的な定義においてどう違うのか知らないけど、カラーセラピーを受けながらクライアントに気づきが生まれるよう、しっかりと考えられて作られているなぁと感心した。

日常的な社会生活を送るうえで心理に大きな問題を抱える人にはそれに対応するスキルが必要だから奥さんのようなセラピーには向いていないと思うけど、ちょっと元気を無くしたり、悩んでいたりする人には良い気づきを与えてくれるのではないだろうか。

というのも、クライアント中心でカール・ロジャースのノンディレクティブなアプローチをちゃんと実践しているからだ。

僕はこのディレクティブ、ノンディレクティブというのは人の心理に関わる態度で大きな分岐だと思う。

ディレクティブなものは結論に導くもので選択肢を人に与える行為で、ノンディレクティブは自ら選択肢を見つける支援だからね。


今日の妻のカラーセラピーで僕の選択肢が見えたと思う。

新たな選択肢の出現というより、選択肢の顕在化によるものだ。

おかげで充実した休日になりました。


カラフル!



多様性で求められる一人一人のリーダーシップとは

色々な価値観、信念、文化的背景、生活背景を持った人々が組織に集まっていることを組織における多様性と言うけど、多様な人々が1つの組織目的に集うことは、もともと資本主義の原点であり発展の源泉であった。

ただそこに共通の主義信条や倫理観が息づいていたのも忘れてはいけない。

そして組織の最適化が進み、組織風土が生まれ、組織社会化のプロセスが強化されるに連れ、組織では徐々に画一性が高まる一方で、異なる主義信条、倫理観だけでなく、異なる働き方までも組織が取り込む時代が来ている。

階層構造を前提とした画一的な官僚型組織では、権限が上位に位置して、トップダウンや権限移譲がわかりやすい。

そしてリーダーシップは権限とセットだ。

さて、多様性を前提とすると権限は相対的に弱くなる。

経営の都合から、働き手の都合に少しだけど重心が移るからだ。

仕事に120%コミットメントしろ、という素直だけど乱暴なマネジメントは社会的に通用しない。

かつて労働組合の出現でこうした行き過ぎた人材マネジメントは修正されたけど、高度なスキル、経験、態度を持った人材とイノベーションを必要とする今日の企業では世の中にタレントを組織の懐を深くしてどれだけ集められるかが経営課題なんだよね。

とはいっても、タレントが輝くのは、目的に向かってその能力が活かされる時だけだから、「想い合い」が欠かせない。

で、ね。多様性が受け入れられる組織の中で自分のタレントを活かしたければ各自が「想い合うリーダーシップ」を発揮するってことだ。

「想い合う」のは事業、同僚、上司、部下、経営、株主、顧客などステークスホルダーと呼ばれる多くの人たちや仕事そのものだ。

ジョブホッピングや雇われ意識って、実は自分の多様性やタレントを放棄していることなのかもしれないね。


想いをブリッジ