2018年1月17日水曜日

究極の素材でストーリーを紡ぐ「おまかせ」

締め後のブログを書こうとMACを開いていると、テレビで「究極の鮨」が流れている。

「藤本繁蔵」と言う30年前に亡くなった伝説のすし職人の話だ。

この伝説の職人が作ったのが「おまかせ」だ。

寿司屋で最高の贅沢はカウンターで「おまかせ」を味わうことだけど、なぜ「おまかせ」が贅沢なのかあまり考えたことがなかった。

値段がわからないものを頼むからではなく、技の極みを味わうことだからなのだね。

で、ね。技の極みって何かといえば、妥協のないすしネタ選びと美味しく味わえる握りの技術、そして一番のポイントは「ストーリー」であるとのことだ。

マグロの仕入れでは決して値段を聞かず希少な良いマグロを手に入れる仲卸との信頼関係を含め、「おまかせ」には様々な「サイドストーリー」も満載だ。

普通は「素材こだわる派」、「ストーリーにこだわる派」、そして「こだわらない派」とかに別れるのだろうけど、究極であることは全てにこだわることなのだね。

そして、客は「おまかせ」で身を委ねる。

僕は、究極の仕事の一面を見た気がした。

追記

そういえば会社の経営も、ある種の「おまかせ」だね。

だから、最高の素材でストーリーを紡ぐのが経営者が目指す姿なのでしょう。
(安価な素材を並べる経営者ではやはりどこか寂しいね)


これはストーリーでなくカタログ

2018年1月16日火曜日

「きっかけ」が世界を決める

何かのきっかけから行動が生まれ、そして何らかの結果をもたらす。

その結果は、次のきっかけのとなりの次の行動を生む。

僕たちは生まれ落ちてから毎日、毎時このきっかけと結果を連鎖させているよね。

この連鎖の仕方は人によって異なり、スタイルや信念、観念を生み出す。

「こう言う時はこうするのだ」ってね。

で、きっかけの作り方が異なると行動も結果も全て意味が変わり、スタイル、信念、観念も異なるものになる。

だから、その人の「きっかけ」を知ることは重要だ。

その人の世界は「きっかけ」から作り出されているからね。

そして、自分の世界を広げる人は、上手にきっかけ作っている。

逆に自分の世界を閉ざす人は、きっかけを自ら断ち切るのだ。


きっかけ

2018年1月14日日曜日

カラーセラピーで掘り起こした言葉が僕をさらに変える

今日、家人のカラーセラピーを受けて自分の嫌いな色をサポートする色を決めた。

そして、さらにサポートを意識する言葉を考えたのだけど、その際に頭に浮かんだ言葉が「一隅を照らす」だった。

本だったか、テレビの番組だったか、はたまた誰かの話だったのか記憶が定かでないのだけど、「一隅を照らす」と言う言葉が頭の片隅に残っていたことは記憶している。

そこで、Evernoteに何か記録していないか検索を掛けたところ、「互助社会とスポーツを通した地域づくり」と恩田 守雄流通経済大学、社会学部大学院社会学研究科 教授の論文がヒットした。

この論文は法政大学長岡教授のカフェゼミで「公共私 共独自の領域の消失」の話を聞いた後にクリップしたもので、「一隅を照らす」はこの論文から僕の記憶に残ったものではない。

しかし、その論文の一節を読んで言葉の使い方がやや間違えていたこと、そして正しい意味を知ってさらに僕の目的にフィットする言葉であることを知った。

以下がその部分である。

”互助社会は一人ひとりの「自助」が出発点となる。こうした互助ネットワークの本質を示す言葉として,「一燈照隅,万燈照国」がある。一つの明かりは隅しか照らさないが,それが集まると国をも照らすということは一人ひとりの力は弱くてもそれらが集まると大きな力になることを意味する。これは互助ネットワークの大切さを示す言葉で、一人ひとりが輝く「一隅を照らす」という延暦寺の開祖伝教大師最澄の言葉に基づいている。まず「自助」から始まり,それが集まり「共助」(互助)が生まれ,やがて「公助」 を引き出すことができる。一人ひとりが社会の中で自らの役割を自覚することが肝要で ある。” 2011. 3 社会学部論叢 第21巻第 2 号 6頁より

誰かが僕に言葉を与え、その言葉は他の誰かが与えてくれる言葉と連なって僕を刮目させてくれる。

部分もちゃんと気がつけば繋がってより深く、より広く、より高くなることを知ることができて良かった。


カラー


「カフェ」にとって僕はいい客だったのか

昨日の朝、ちょっと仕事がしたくて近所のカフェに行った。

犬も居て家では作業や考えがまとまらなかったからだ。

近所のカフェはパソコンの電源が取れることもあって、パソコンを持ち込んで何かをやっている人が多い。

11時くらいに行った時、電源があるカウンター席は半分くらい埋まっていたのだけど、荷物置きの籠が用意されていないため、空いている席に自分のカバンを置いている人が多く、結局僕と家人が並んで座れる場所は1箇所しかなかった。


パソコンは圧倒的にMacで、カフェにはやっぱり齧られたリンゴマークが良く似合う。

僕も普段はMacなのだけど、仕事のデータはMACじゃうまく扱えないから思い入れのある、古いVAIOを持参した。

HDDをSSDに換装して古いOSで使っているのだけど至極、軽快で古さを全く感じない。


さて、コーヒーを頼んでパソコンを開くと、眼鏡を忘れてしまった失敗以外、仕事はいたって快適に進んだ。

コーヒーも美味しいし、BGMも好みの曲が掛かるし、少し長居になったとしても店の人から何も文句を言われることもない。

本当にありがたいカフェだ。


ただ、仕事を終えて帰る際に「ありがとうございました」の声も掛からなかったのがちょっと気になった。

ひょっとして、僕たちはお店に迷惑をかけたのだろうか。

例えば、お店の効率を考えれば荷物置きを作ったり、逆にあまり長時間の利用にならないようカウンターの電源の数を減らしたりすることも出来るだろう。

そうしないと言うことは、パソコンを持ち込む人は「大歓迎」でなく「まあ歓迎」なのかもしれない。

で、ね。そう思うと、僕にとって快適で、かつカフェにとっても「普通に歓迎」となる頃合いが相互に共有されていると嬉しいね。

いつも貢献出来るか自信はないけど、トータルでは貢献したいもの。


美味しいコーヒー(昨日のお店じゃありません)


2018年1月13日土曜日

対話の難しさを改めて感じる

職場のコミュニケーションは、仕事のやりがいや成果に直結する。

そこでは「議論よりも対話」が重要である場面は少なくない。

一方で、ちゃんとした対話を行うのは案外難しい。

お互いに話を聴きながら否定せず、新しい物事の見方を得るには、「語る」「聴く」「紡ぐ」の3要素が必要なのだけど、「語らない(語れない)」「聴けない」「押し付ける」ことを上手にコントロールしなければならないからね。

「・・・」→ 頭の中がぐるぐる回る癖、「じゃあ、こうすればいいのでは・・・」→ すぐ結論を出したがる癖、「でも、私はこうやっているから・・・」→自分を主張したがる癖、などなど誰にでも会話の中で対話を阻害する癖を持っているのだ。

また、沈黙が怖くて何かを話さなくてはならないとしょっちゅう口を挟むのも良くない癖だろう。

癖を発揮することも対話の一つではあるのだけど、自律によるマネジメントは対話の質を向上させる。

そして自律的な対話を成立させるにはフィッシュボールなど、対話の様子を客観的に見て学んだり、多くの場数を踏んで自己修正の能力を身につける必要がある。

そして、対話の訓練が必要な人もでも気づかずに「対話しよう」と言うものだ。


金の対話になってる?

2018年1月11日木曜日

スキルとノウハウとナレッジの違い

世の中には多くのスキルとノウハウとナレッジが存在する。

この3つの違いを知ることは結構、大切だと思う。

なぜなら、混同することによる問題も少なくないからね。


ナレッジは、暗黙知を形式知に転換するナレッジマネジメントを見てもわかるようにそもそも人に帰属し共有し難いものだ。

一方、ノウハウは特定のチーム、集団、組織に帰属する。

例えば、強いサッカーチームには、効果的なトレーニングで選手を鍛えたり、試合で相手チームに勝つためのノウハウが蓄積している。

少し言い方を変えると、ノウハウを保有する集団に帰属しないと価値を発揮出来ないものでもある。

そして、スキルは誰でも一定の努力で獲得できるし、獲得の状況を測定でき、組織やチームが変わっても同じレベルで力を発揮する技能だね。

スキル教育を行ってもノウハウは身につかない。

スキルは、「Aの次はBをする」と記述されるのに対して、ノウハウは、「Aの次にはBかCがあるがこの場合はCを選んだ方が効果的だ」と状況に応じた選択を支援する知恵として記述される。

同様に、ノウハウを伝授してもナレッジは生まれない。

ナレッジは、例えば「良い選択とは、結果に対して最も効果的、効率的な道を選ぶことでなく、これまでに選ばれていない新たな道を生み出すプロセスである」のように、「意味」として記述され、物事の見方を変え行動の幅を広げる。

どう変え、どう広げるかは人それぞれだ。

言い換えると、「スキル=こうする」「ノウハウ=私たちはこうする」「ナレッジ=それで、私はどうするのか」だね。


スキル=転がるボール ノウハウ=皆で獲得 ナレッジ=寄せ集まっても気づくのは個々




2018年1月10日水曜日

広告モデルと絆モデルの違いについて

広告メディアにとって一番の KPIは露出度だ。

つまりどれでけ露出しているか=金が儲かるのか、とコンバージョンされるわけだね。

炎上商法もそうだけど、広告モデルが常に気にするのは露出度というKPIだ。

だから、バカなYouTuberにとんでもない収入が入ったりする。

これはAI(人工知能)でも一番問題になる部分だけど、仕組みに「倫理」は無い。

「倫理」は人が意味を知り、自らを律する行為だからだ。

意味を知ることが出来ない露出度というKPI指標や、AIに「倫理」は無縁だよね。

そして現在のAIが取り組んでいるのが、露出度を最適化(Optimize)してバスらせること。

最適な状態を迎えて皆が小躍りするのが理想郷なのだろう。

そんな状況に違和感を持つ人は、露出ではなく、絆をKPIにする。

どれだけお互いに知り合えたのか、を持続可能性のエンジンに据えるわけだね。

そして露出に争い「倫理」を越えた暗黙の「意味とルール」が出現する。

主客一体の相互尊重で「意味とルール」を守る。

だから、煽ったり罵ったり、世論に迎合したりしない。

で、ね。僕は絆モデルの方が好きだね。


日本人の絆